16/02/14 誤字修正
「オードル様、御食事の用意ができました」
その声の主に顔を向け、習慣化している言葉を投げかける。
「あぁすまないな。君も一緒食べるといい」
その言葉に最初は戸惑っていたものの、諦めか、慣れか彼女は軽く微笑みつつ返す。
「はい、ではご一緒させて頂きますね」
そんないつものやり取りを交わし、食卓に向かい合う。
一見暖かい雰囲気に包まれているかのように思えるが、他人がみれば声をあげ、全力疾走でここから離れようとすることだろう、何せ…
山羊にも似た悪魔がフォークとナイフを器用に使って食事をしており、それをさも当然かのよう、共に食を進める女性がいるのだから。
「私と君が出会ってからどれくらいになる?マリ」
「ちょうど今日で153日目ですわ、オードル様」
即答か、それに何がちょうどなんだ?
相変わらず変わった女だな、こいつは。
「そうか。この身では街を歩くのが難しい故、助かっているよ」
今度は少し間が空き、目をつぶりながら彼女は言った。
「だって貴方は私の命の恩人ですから、それに…」
瞼を開き、俺の目を見ながら続けた。
「人にも神にも裏切られたのですから、私に残るのは悪魔だけでしょう?」
まるで全てを諦めた者の自虐的な言葉のようだが、俺が感じたのはそれとは違うものであった。
気恥ずかしくなったため、皮肉をくれてやろう。
「私は君を利用するだけ利用して、用が済んだらその魂を頂く。そう思っていてもかい?」
うむ、悪魔らしい言葉だ。
少しの充実感を得ているとそれを崩しにかかってきやがった。
「それでしたら、私の魂は貴方の中で生き続けられるのですね。あぁなんと甘美なことでしょう」
やはり可笑しな女だなこいつは。
元よりそうだったのか、『あれ』がきっかけだったのか。
彼女の言葉を微笑みで流しつつ、思考を過去へと飛ばした。
ー
草木と風の奏でる音に目を覚ます。
自分が横たわっていることに気づき、身体を起こす。
ある筈のない満天の星空に男は現状に混乱する。
何処なんだここは?俺はあの時…
しかし今はそれよりもこの姿だ。
鏡のようなものは持ち合わせていないが、そのような物がなくてもわかることはある。
目覚める前とは違う服装、普段は決して被ることのないシルクハット。
そして何よりこめかみから天へとつき刺すかのように存在する山羊に似た角。
この姿はまるで…
混乱を脳の奥へと追いやり、状況を把握するため深く思考する。
数刻後、持ち得る全ての知識を総動員させて、導き出した可能性、それは大きく分けて三つ。
一つ、ここは死後の世界とやらで姿は俺の深層心理に焼きついたものが反映されているからであり、後に閻魔だか神だかが何らかの沙汰を下しに来る。
二つ、ただの夢。そう泡沫のってやつだ。
明晰夢というものもある。
しかしここまで五感を刺激するものなのか?という疑問が残る。
三つ、俺は死の直前ユグドラシルを起動していた。
なんの因果か知らないが魂だけ仮想現実へと飛ばされた、というもの。
三つ目が一番突拍子も無いが裏付けるようなことが幾つかある。
まずは俺がユグドラシルの中で取得していた魔法が使えること。
大昔に流行った猫型だか狸型よろしくの、物理法則を無視したアイテムボックス。
その中身や装備の大部分はユグドラシルを引退した時、仲間に渡したため大したものはないが。
けれどサービス終了を既に迎えているはずだが…。
そう更に思考を続けているとこちらへ近づいてくる音に気がつく。
「馬車か?何より情報が必要だな、ちょうどいい」
こちらからも歩みを進めると馬が暴れ出す。
そして馬車の周囲にいたのか武装した男が数人現れた。
「お前は何者だ?!こんな人気のない道で変な仮装しやがってよ」
「?!」
「そんなにビビるなよ。いつもだったらぶっ殺して身ぐるみ剝ぐとこだったが、今日は大きな収穫があって気分がいいんだ。有り金全部置いてきゃ命だけは見逃すぜ」
男が何か言ってるが頭に入ってこない。
本来ユグドラシルでは表情や口元は動かせるだけの機能はない。
ますますわからなくなってきた。
これはやはり夢なのか?
「だまってねーで、さっさと出すもんだしな。こっちの気が変わらないうちにな」
…人が悩んでるってのに煩い輩だな。
とりあえずは行動を起こさなくてはな。
「いや、すまないな。少し思うところがあってね。出すもの?だったな、特別な物をやろう」
その言葉で盗賊達から怒気が薄れ、べたつくようなニヤけづらを浮かべる。
「さあ、受け取りたまえ。《ドラゴン・ライトニング/龍雷》」
荒れ狂う光が盗賊達へと向かう。
彼らは何が起こったのかすら気付かないまま消し炭へと変わった。
「いかん、威力を見誤った。馬車は…無事のようだな」
これがゲームのイベントなら馬車の中には囚われのお嬢さんか、どっかのお偉いさんが居るはずだが、果たして。
そっと扉を開けるとそこには相当乱暴されたに見える女性が一人。
瞳は虚ろで、ボロ布を着せられているだけだが、月のような美しさがあった。
「良い夜、とは言えないか。今晩はお嬢さん」
先ほどの魔法により、高揚した気持ちのままに、現実では赤面ものの台詞を滞りなく発しつつ、マントを被せてやった。
「……随分紳士的な人、いえ悪魔さんですね」
意外だな、反応があるとは。
しかし生への渇望も死への恐怖も感じない。
現実を受け入れつつも、どこか夢ごこちでいる。
さて、どうしたものか。
「悪魔さんは私を連れ去ってくれるのですか?この裏切りに満ちた世界から」
殺してくれ、俺にはそう聞こえた。
だが…
「残念だったね、お嬢さん。私はこの通り悪魔だが色々と事情があってね。この世界の情報が欲しい、そして住み家もね。だから」
強く瞳に力を込めて、甘く囁くように言葉を紡ぐ。
ゲーテのファウストをイメージしつつ。
「私と契約しないかい?」