Fate/strange fake Prototype   作:縦一乙

85 / 164
day.08-04 戦力増強

 

 

 可能性は無限に広く公平に分散している。

 歴史に『もし』などありえないが、未来に『もし』は溢れている。それは可能性という言葉で一括りにされているが、しかし果たしてどれくらいの人間がその可能性を認識しているのか甚だ疑問であろう。

 

 署長は甚だ遺憾ながらも魔術師や元軍人の肩書きを持ってはいるが、本職は警察官であり、警察官のつもりでもある。そして警察官は名探偵ではないので、容疑者のちょっとした仕草からインスピレーションを発揮して犯人を特定するようなことはほとんどしない。

 警察がするべきは地道で綿密な捜査であり、例えどれほど怪しくなくとも容疑者全員の行動を調べ上げ、動機とアリバイとトリックを細かく調査する。だから、全てが判明するのは大抵は事件後のことであり、そこで辿り着きようやく「あの時の行動はそのためだったのか!」と手を打つのである。

 

 つまり何が言いたいかというと。

 

「お前の嘘が役に立つとは思いもしなかった」

「こんなこともあろうかと思ってな!」

 

 署長の皮肉にキャスターは大まじめに大嘘をついてみせた。

 

 スノーフィールド市内にある誰もいなくなったビル、その地下で署長は漏れ出た情報のデータ整理を行っていた。

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)の情報はほとんど除外してある。計画中枢近くにいた署長が知らぬ情報の方が少ないだろうし、知らないと言うことはフィルタをかけた秘書官が些末事と判断したと言うことだ。

 確認したかったのは、こちら側の情報が一体どれほど流れたか、ということのみ。そして署長の予想通り、こちらで用意した計画は全て流れ出ていることが確認された。ただし、その半分以上はキャスターが適当にでっち上げた嘘であり、ダミー情報である。

 こんな嘘情報を作っている暇があったら、もっと他にできることはあったと思うのだが、それを質問するのは危険すぎる。場合によっては、署長はキャスターを殴り殺してしまいかねない。

 

「……まぁいい。実際に役立っているわけだしな。特別に不問に伏しておこう」

「眼が笑ってないんですが、マイマスター」

 

 そしてキャスターの膝は笑っていた。

 三度ほどキャスターを(一方的に)殴り、署長は嘆息して怒りを静めた。抵抗しなかったのはキャスターなりの反省なのだろうか。

 

 流出した情報の中には“上”の誰々とキャスターは実は繋がっており、全ては計画の内、などというものもある。相手を揺さぶるにはほどよい策であろう。

 特に署長が逃走中に令呪を使い切ったことも有利に働いている。キャスターが一時的とはいえ令呪に従い姿を消したことで、マスターとキャスター共に脱落したという疑いを持たせることも成功していた。これがどれ程通用するかは不明だが、一応のアドバンテージを持つことはできたといえよう。

 後はこれをどう活かすかが問題だ。

 

「やはり、ジャック――いや、もうバーサーカーと呼ぶべきか。あいつの情報が漏れ出たのは痛かったな」

「しかも当人も戻ってこねぇし」

 

 あっさりと復活したキャスターの言葉に、署長は別に指定席でもないのに空けられている空席を眺め見る。

 あのロバの竪琴聴き(オノスリューリラ)による情報漏洩以来、公共の通信網は完全に沈黙。二十八人の怪物(クラン・カラティン)が密かに張り巡らせておいた非常時の通信網を暗号変換させて何とか連絡を取ろうとしているのだが、それでもバーサーカーから応答はない。

 

「端末から時折反応だけは返ってきているんだがなぁ」

「案外本人は既に消滅していて、端末は誰かに奪われたか」

 

 何とはなしに言った言葉が正解であるなどと、神ならぬ署長に分かる筈もない。おまけにその端末は盗聴されることのない特別仕様だったりする。

 

「……そんで? これからどうすんだよ、マスター?」

「そうだ、なぁ」

 

 キャスターは軽い口調で割と真摯な質問をしてくる。

 マスター権を失ったマスターは頭の後ろで手を組みながら天井を眺め見ていた。自分で炒れた不味いコーヒーを一口だけすすりながら、秘書官の炒れてくれた美味いコーヒーを思い出す。

 

 情報の整理は検討がついているので、おおよそ終わっていた。

 やはり最大勢力は潤沢な宝具を装備し、戦闘経験豊富な人員を持つ古巣たる二十八人の怪物(クラン・カラティン)。そして人員こそ最大であるが装備に劣り非戦闘員も多く抱える原住民。この二大勢力が特筆すべき戦力であるのは間違いない。

 そこに第三極として署長達サーヴァント同盟を加えても良いが、残念ながら組織として戦うには話にならない。少しヘマをしただけで全滅必至なのが現状である。

 そして何より、アーチャーとランサーという聖杯戦争の二巨頭がこの図式には含まれていない。それが故に圧倒的優位である筈の二十八人の怪物(クラン・カラティン)が迂闊に動けずにいる。

 つけ込む隙があるとすれば、今しかない。

 今しかない、のだが。

 

「戦力増強……するしかないだろ」

「一体誰を?」

 

 実に真っ当すぎる署長の方策に対して、キャスターは至極真っ当な意見を返した。それで簡単に答えが出るのであれば、最初から悩みなどするわけもない。

 ここにバーサーカーがいたのであれば、ひとまずマスターであるフラット・エスカルドスと話もできたであろう。そこから、夢の中で共闘したらしいティーネ・チェルク、繰丘椿、銀狼との交渉も考えることもできた。だが、そのいずれも今はどこにいるのかようと知れない。そもそも、情報があっても互いに面識がないのである。仮に接触できたとしても、裏切り者と判明してしまっているキャスターと同盟を組むのに難色を示さないわけがない。進んで組みたいと思う者もいないだろう。

 つまるところ、即時戦力増強は絶望的という結論だけが出た。

 

「……そういえば、あの二人はどうした?」

 

 結論が出てしまったところで話題をかえようと、署長は広さだけは無駄にある部屋の中を眺め見る。

 殺風景な部屋には埃が積もっていた。そこについた足跡は署長とキャスターだけ。

 

「東洋人なら隣の平屋にいるよ。……なんだ、あの錯乱状態を知らなかったのか?」

「何のことだ?」

「何でも、この建物には入れないらしい」

「……何を言っているんだ?」

 

 前後の会話とキャスターの言葉の繋がりが署長にはよく理解できない。

 

「俺にも分からん。いきなり入り口前で立ち止まって、この建物に入らないと一点張りだ。理由を聞いてもマンションがどうのこうのと喚くばかりだ。今は隣の平屋で大人しくしている筈だぜ」

 

 肩を竦めて説明をするキャスターではあるが、それで分かる説明でもない。

 この場所を二十八人の怪物(クラン・カラティン)に把握されている可能性は低く、自家発電施設があり、適度な物見もできる高さもある。この建物は非常に優良な物件なのである。一体何が不満なのか教えて欲しいくらいである。

 

 そう言えば、と署長は以前にも何か見たくない赤い幻影を見たとかで、東洋人が酷く怯えていたことを思い出す。これ以上の不安材料は抱えたくないのが本音ではある。

 総合的に考えて、結論はひとつだった。

 

「クスリが切れたんだろ」

「ここで呪いや魔術を最初に疑わないところが兄弟らしいぜ」

 

 現職警察官は極めて現実的な解答を提出した。だが採点者であるキャスターは解答用紙にバツ印を付けて返してくる。

 

「そんな面白くもねぇ展開は潰してるよ。一応、犬小屋にあった毛布を材料に精神安定効果に特化した宝具安心毛布(ライナス)を作って与えてはみたんだが、静脈注射ほどの効果もなぶっ!」

「いい加減貴重な時間と魔力と逸話を無駄遣いするのはやめろ」

 

 キャスターの首を手土産にすれば命だけは助けて貰えるだろうか、と署長は思わなくもない。半分は冗談だが、半分は本気である。せめて、この疫病神を役立たせる方法は早急に見繕う必要がある。

 ちなみに、この即興宝具安心毛布(ライナス)はノミがいるという理由で即刻アサシンに焼かれてしまったりする。マスターの胃を慮ってサーヴァントが黙っているなど、署長の知る由もない。決してこれ以上殴られたくないからではない。

 

「まあいいさ。ならアサシンも東洋人に付き合って隣へ行ったのか?」

 

 キャスターが何かしら隠しているのに気付かぬ署長ではないが、令呪を持たぬ署長とキャスターの関係は(一方的に殴ったりしつつも)同等だ。無駄な追及は不和を招きかねないと考え、署長は露骨に話を切り替える。

 元より署長が気がかりなのはアサシンの方である。

 

「いいや。アサシンなら周囲を偵察してくるってよ」

 

 やや署長から距離を取って復活したキャスターは首を横に振る。意外な答えに署長の口から感嘆の言葉が零れ出る。

 

「殊勝なことだな。協調性などないものと思っていたが、これは見解を改める必要があるな」

 

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)の情報網は街中に仕掛けられたカメラと携帯電話の盗聴に因っている。しかしカメラは電源の喪失とミダス王の呪いの余波で役立たずになり、市民がそもそもいなくなったことで盗み聞く情報がそもそもない。

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)は目と耳を失ったに等しいダメージを受けてはいるが、無人となった市街地はその理性までも失わせかねなかった。

 今のこの状況、市街地を問答無用で焼き払う口実に事欠くまい。さすがにそれは最後の手段と考えたいが、有り得ないことではないのだ。

 

 反撃をするからには失敗は許されない。だから今は相手の情報が少しでも欲しいし、逆に反撃どころかこちらの現状を悟られぬよう細心の注意を払う必要がある。アサシンの能力であれば、偵察にはうってつけだろう。

 

「ああ、だからちょっと遠出してもらって、どうせなら中央通りに構えている二十八人の怪物(クラン・カラティン)に隙があれば突っ込んでみろとアドバイスしといた」

「……お前というサーヴァントを一瞬でも信じた私が馬鹿だった」

 

 一応は同盟なのだからそういうことは早めに連絡して欲しい。そして、それは偵察とはいわない。

 署長の非難の視線の意味くらいはわかるのか、露骨に視線を逸らせ署長から距離を更に取るキャスター。だが別に面白いから頼んでみたというだけでもない。

 

 アサシンは実を言えば非常に優秀なサーヴァントだ。アサシンというクラスでありながらそのパラメーターは異常な程高く、聞けば宝具の種類も数多く使い勝手も良いと聞く。歴代のアサシンの中でも、頭ひとつ飛び出ているのは間違いない。

 だというのに、明らかに格下であるバーサーカーに一度ならず敗北したとも聞くし、先だってのアーチャー戦においても歯牙にも掛けられなかった不遇っぷりである。

 

 原因は明かな経験値不足に他ならない。

 今、アサシンに必要なのはそこらへんに散らばる雑兵でも、ラスボス級のアーチャーでもない。適度に強く歯応えのある中ボス級の敵である。

 その意味では、拠点防衛をしている二十八人の怪物(クラン・カラティン)は難易度として明らかに高いが試験対象としては相応しい……とキャスターは思っている。端的にいって負けるだろうが逃げるくらいはできるだろう、くらいには。

 

「無理に決まっているだろ」

 

 キャスターのその考えに真っ向から首を振って署長は否定するが、その気持ちは分からなくもない。

 情報漏洩以前の問題として、こうした現状ともなればあの場所は真っ先に占拠対象となる地点だ。となれば別に署長やキャスターでなくともどういう陣形となるのかは簡単に予測がつく。

 遠目でしか確認していないが、あの兵数からしてアーチャーやランサーといったサーヴァントに対応できるとも思えない。となれば、あそこに配置された兵は捨て駒だ。本命はどこか遠くで構える遠距離からの狙撃であろう。

 

「一応、どういう陣形と作戦かは教えておいたぜ? 狙撃があるとも言い含めておいたし。ワンショットキルの逸話で昇華しなかったんで必中というほどの命中率もないだろ」

「必中の加護を付加しなかったのは狙撃手の思考を逆手に取られることを恐れたからだ。あと『ごんぎつね』はワンショットキルの話なんかじゃないからな?」

 

 このサーヴァントは『ごんぎつね』を『がん(・・)ぎつね』と勘違いしているのではなかろうか。

 

「まがりなりにも対英霊弾として徹底的に強化した特注品だぞ。知っていたとしてもあの弾速を躱せるとはとても思えん」

 

 事前に分かっていたとしても、恐らくは無理だと署長は判断する。

 狙撃である以上、狙撃手がどこにいるのか判断するには最初の一発を撃たせる必要がある。そしてよしんば撃たせて場所が分かったところで、数キロ先にいる狙撃手を仕留める手段がなければ意味がない。

 制圧だけならアサシンでもなんとかこなせるだろうが、その後の狙撃は無理だろう。防御・回避・反撃、その全てにおいてベストな行動を取らねば攻略は不可能だ。アサシンにそれを可能とするスキルやスペックはあろうとも、到底こなせるとは思わない。

 キャスターにしても、その結論は同じ筈だ。

 

「実戦経験を積ませてレベルアップ、というつもりか?」

「無駄……にはならないと思いたいねぇ」

 

 署長とキャスターとの一番の違いは、この戦争を盛り上げたいという意志の有無である。そのためにキャスターは無理・無駄・無謀であろうとなかろうと、アサシンに活躍の場を設けたいところなのである。

 署長としてはこれでアサシンという手札がなくなる方がよっぽど恐ろしいのだが。

 

「せめて、前線に出られる壁役が何人かいればいいんだが」

「俺に期待するなよ?」

「お前を出すくらいなら私が出た方がよっぽどマシだ」

 

 軽く笑いはするがその声は乾いている。実際、最悪の事態に陥ればそうした状況もあり得るのだ。

 戦力増強。それが最優先課題となっているのは間違いない。

 

「仕方ない。私はバーサーカーの情報を少しでも集めることにしよう。逃げることに関しては一家言あるサーヴァントだ。あっさり消滅していることはなかろうよ」

「俺もそれには同意だぜ。きっと俺たちがピンチの時に颯爽と現れてくれるに違いない」

 

 バーサーカーは生きている。その大前提が今後ファルデウスと彼らとの運命を大きく分かつことになるとは今は誰も気付いていない。

 

「それで、俺はどうする? モザイクを自動で補完して無修正ま○このテクスチャを貼るコードを組もうと思ってるんだが」

「キャスターは二十八人の怪物(クラン・カラティン)と原住民以外で戦力になりそうな人物を探してくれ。あとお前はパソコンに一切触れるな」

 

 初日の武蔵戦で魔術師が大量に行方不明になってもいる。前線に出張るくらいの魔術師だ。もしかすると上手く生き残り地下に潜伏している可能性もある。二十八人の怪物(クラン・カラティン)の情報網に引っかかっていない段階で可能性は限りなく低いが。

 

「そうそううまくいくかねぇ」

「いかせるんだよ。っと、噂をすればアサシンが帰ってきたようだな」

 

 署長のノートパソコンにエレベーターが起動したことを示す表示が点滅している。電源は完全に落ちているように見せかけてはいるが、実際には自家発電によって稼働できるように細工をしている。これが特殊部隊なら閉じ込められる可能性のあるエレベーターなど使わず、階段を使って突入してくる筈だ。

 だが署長の言葉にキャスターは珍しく怪訝な顔をしてみせた。

 

「どうした?」

「……帰るのが早すぎる」

 

 署長はキャスターからアサシンが出かけた正確な時間を聞いてはいない。だが、あの拠点を偵察するには数時間は要するだろうし、攻略をするのならばもっと時間はかかる筈である。

 エレベーターにカメラは設置されていない。この建物は防音対策もされているので足音なども聞こえない。

 

 腰のホルスターから署長は静かに拳銃を抜き放ち、キャスターも壁に立てかけてあったソードオフショットガンを無言で手に取る。誰にも当たらぬキャスター本来の宝具ではあるが、己の魔力を込めねば普通に銃としても使用できる。

 使っていたテーブルを蹴飛ばして即席のバリケードを用意する。まだ一口しか飲んでいない珈琲が床に黒い染みを作った。

 

「なあ兄弟。ひとつ賭けをしようぜ」

「誰が兄弟だ。それで、どんな賭けだ?」

 

 いつも通りの軽口を叩いてみせるが、これから現れる人間が誰かによって、二人の運命は大きく変わってくる。

 

「これから現れるのは、男か、女か、だ」

「敵か味方じゃないのか?」

「それじゃつまんねえだろ」

「じゃあ、私は女にしておくぞ。若い女性だ。というかもうアサシンでいい」

「何だとっ!? 俺に男を選べというのか!? イヤだ。俺も女が良い!」

 

 割と本気で抗議するキャスターに呆れながら、署長はエレベーターが地下に降りたことをノートパソコンのモニターから確認。テーブルの端から顔を覗かせてその時を待つ。キャスターも逆側から同じ事をする。

 そういえば女癖の悪さもこの英霊の特徴の一つだった、と今更ながら署長は思い出していた。そして革命を経験している分、戦闘経験もそれなりに豊富だったことも思い出す。足手纏いにはなるまい。

 

「じゃあ、俺はもっと幼く可憐な美少女に賭けよう! ボーナスチャンスで一気に倍率ドンだッ!」

 

 何がボーナスで何がチャンスで何が倍率ドンッ、なのかは知らないが、署長はそうした言葉の応酬の最中であっても油断はしていない(キャスターについても同様であると思いたい)。自らの装備をチェックして、退路を確認する。データ解析の途中であるノートパソコンを持ち逃げたいところだが、そこは邪魔にしかならなさそうなのですっぱりと諦める。

 

 この部屋の入り口は三カ所ある。前方に一カ所、後方に一カ所、後は地下の下水道へと通じる隠し扉が一つある。数年前までとある犯罪組織が使用してきた曰く付きの秘密基地である。こうした時の備えは万全だ。

 その組織を壊滅し全員検挙した当の署長が太鼓判を押すのだから間違いない。

 

「来るぞ」

 

 エレベーターの扉が開く音がする。廊下に敷き詰められた厚手の絨毯は廊下を歩む音を消し去る。今更ではあるが、攻められたときの備えを完全に怠っていた。わずか数時間で行えというのも無理からぬ話ではあるが、少なくとも絨毯は取り払っても良かったかも知れない。そうすれば人数くらいは把握できただろう。

 そして、ドアノブが回り、二人がいる部屋へと侵入者が現れ出でる。

 

「……何を、しているのですか?」

 

 一目見てこの状況を看破したアサシンの呆れたような一言に、二人はどっと疲れた顔をしてみせた。額の汗を拭い取り、拳銃をホルスターへと戻しておく。緊張の糸が切れれば、喉が渇き腹が減ったことにも気付くものだ。

 

「……ほらな、私の勝ちだ。夕飯はキャスターが作るんだな」

「いや、勝ったら何かするか決めて――」

 

 ほぼ同時に、二人の視線は一点に収束される。

 疲れているのだろう、と二人は思った。

 何せ、こちらは潜伏中のお尋ね者。この地にいる以上袋の鼠に違いはなく、このままだと追い込まれるのは間違いない。自らの力で状況の打破は難しく、蜘蛛の糸より細い希望に頼るより他はない。ろくな睡眠どころか休息すら取れぬ中、ストレスは今がまさにバブル期真っ盛り。

 

 大抵の薬物には軍人時代から耐性をつけていたりする署長であったが、時折ドラッグの後遺症とも思える症状にうなされることもある。キャスターもまた大抵の悦楽を金の力で叶えてきた経験があるのでこうした禁欲生活に慣れている筈もない。

 両者の結論は同じだった。

 やはりストレスには勝てなかったようである。

 

「そういや以前健康診断とかいう名目で俺の脳内を調査したことがあったよな? 後で聞いたところによると、と俺の視覚野と聴覚野がともに高い活動レベルにあったらしいんだよ。リアルな夢を見たり幻視や幻聴があってもおかしくないってよ」

「ふむ。しかしリアルな感触がある。視覚連合野に送り込まれる映像、体勢感覚野によって得られる感触、それら脳内ハイウェイのどこかに直接実在し得ない筈の疑似情報が送り込まれてるみたいだな」

「おお。集団幻想とかいうやつだな。本当に手触りがあるような感触がくる。しかし惜しいな。せっかくなら絶世の美女を願っていればよかったぜ」

 

 現実主義者の署長と快楽主義者のキャスターに頭をごしごし撫でられながら怯えて何も言えずにいる椿を見ながら、アサシンはやはりここに連れてくるべきではなかったと少しばかり後悔していた。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。