Fate/strange fake Prototype   作:縦一乙

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day.07-04 騎乗のクラス

 

 

 その廃工場には(ましら)がいる。

 

 スノーフィールド近郊にあるいくつもある廃工場のひとつ。後は取り壊すだけなのだが、取り壊すべき責任を持った者がいないため長いことこの工場は放置され続けていた。どれくらい放置されていたのか、持ち主だって覚えていまい。スクラップにしかならない機械や錆だらけの鉄骨に積もった埃は、少なくとも年単位で人の活動がここでなかったことを意味していた。

 近所の悪ガキがたむろしてもおかしくない物件だが、そうしたことにも使われた形跡はない。住宅街とはかなり距離があるし、ここへ至る道はろくに整備されていない野道である。立地条件的に合わなかったのだろう。

 なので、多少大きな音を立てても何の問題なかった。

 

 工場内を、猿は縦横無尽に飛び跳ねる。地面に足を付けるような真似はしない。工場内を血管のように張り巡らせている配管は手を掛けるには丁度いいし、錆びているとはいえ工場を支えているのは鉄筋だ。体重の軽い猿なら多少蹴ったところでびくともしない。

 

 まだ昼間。

 この工場内は窓に段ボールが嵌められているので薄暗くはあるが、それでも落日の遠さだけはわかる。

 踊る猿が舞い散らす埃のおかげで、屋根に開いた穴から斜光が目視できた。

 

 ここに来てからすでに二時間。猿は未だ飽きることなく遊び続けていた。こうした廃工場というのはまだ幼い猿にとって、冒険島に等しい魅力を持つ。その気になれば一日中だって遊び続けることだろう。

 だが、さすがにそろそろ休んだ方がいいだろうと、やはり錆び付いた工場の扉を叩いてフラットは猿に対して休憩を呼びかけた。

 

「椿ちゃん! ジュースを買ってきたけど、一緒に飲まない!?」

 

 夢中になって遊んでいた猿改め椿は、その言葉に視線が目標物であった鉄骨から削がれた。

 

「ジュース!? 私アップぎゃッ!?」

 

 一瞬の油断で足場を見誤った椿は、工場の鉄骨に頭からぶつかり実に痛そうな悲鳴を上げる。そしてそのまま五メートルを垂直落下。地面はとても固いコンクリートである。分厚い埃をクッションに、椿は顔面からコンクリートに熱烈なキスをする。

 

「アップルジュースか。じゃあ僕はオレンジにしようかな」

 

 ガキリ、ととても日常では聞こえない音がしたが、フラットは特に気にした様子もなく紙袋からオレンジジュースの紙パックを取り出してみせる。

 

「あ、待って、私やっぱりオレンジがいい!」

 

 コンクリートに罅を入れながら椿は何事もなかったかのように立ち上がる。そして急ぎフラットのもとに駆けつけようと低空を駆ける様は闘牛といった様相だが、その攻撃をフラットはマタドールの如き体捌きで躱してみせた。

 

「ふふん。そう言うだろうと思って僕は二種類を二本ずつ買ってきたのさ!」

「すごいお兄ちゃん、天才だ!」

 

 闘牛並の突進をまたもやキャンセルできず、進路上にあった大木に頭突きを喰らわせることで椿は身体を止めた。大木を左右に激しく揺さぶる突進だったというのに椿は何事もなく、今度はゆっくりとてくてく歩いてフラットからまずオレンジジュースを受け取った。

 

 汗と埃ですっかり汚れた以外に椿は掠り傷ひとつ負っていない。それでいて椿は工場の外で太陽を眩しそうに見上げながらジュースの味を堪能する。

 

 そう――ここは夢の世界ではない。

 

 夢にはなかった太陽がここには存在し、ジュースの味を舌で味わうこともできる。不快とも思える工場内のオイルの匂いも、何も感じることのできなかった夢の世界を思い起こせば新鮮この上ない。

 ほんの少しだけ伸びた手足と少し切りすぎた髪の毛も、自分という存在を椿に強く感じさせてくれていた。

 

「この調子なら問題はあまりなさそうだね」

「うん! ライダーのおかげで元気一〇〇倍だよ!」

 

 そんな二人の会話に椿の左手が携帯電話を操作する。ほら、と椿がフラットに見せる携帯画面には「私がいる限り問題は起こさせない」とある。

 傍目から見ればこれは椿の一人芝居にしか見えないだろう。この様子を医者に診せれば精神的ストレスによる自我分裂とかそういう結論に至りそうだ。

 

 しかし、そうではない。

 一年間身体を自分で動かさなかった椿が、人間離れした動きで遊び回り、今もまた即死してもおかしくない事故を無傷で耐えてみせる。

 今の医術や科学をもってしても、これを成し遂げるのは不可能だ。ならば残るは魔術に頼る他はないが、それですら一級の術者が人体操作と肉体強化を行っても、ここまで精緻に椿の意志に沿った動きは到底できまい。

 魔術による精巧で精密な人体操作と、常に変動し続ける最適値を再設定し続ける肉体強化。これらを成し遂げるには人の手では不可能だ。もし成し遂げるとするならばそれは人間という枠を超えた英霊――そう、例えばペイルライダーとか呼ばれる規格外のサーヴァントくらい。

 

 つまるところ、ライダーはまだ消滅してはいなかった。

 

「けど、まだ意思疎通は上手くできていないようかな」

「そだね。私が視線を逸らしちゃうと、ライダーは上手く動けないようだし」

 

 それはどちらかというと視線を逸らした椿の責任であるのだが、ライダーとの意思疎通が進み身体が慣れていけば、ライダーも椿の視界を頼ることのない無視界作業にも慣れてくることだろう。しばらくは便所で尻の穴を拭くのに苦労することだろう。

 

「ほんと、ライダーのおかげだよね、ありがと」

 

 椿の言葉に椿の左手は自動的に動いて「喜んでもらえて何よりです」とタイプしてみせる。

 

 椿の肉体が今現在動けているのはライダーの力のおかげである。

 古今東西、ライダーのクラスに召喚される英霊がどれほどいるか定かではないが、宝具や幻獣などに騎乗するライダーはいても、マスター自身に騎乗するライダーはこのペイルライダーくらいだろう。

 

 他者の動きを自由に操る能力を持つライダーは、その力で椿の肉体を操っている。

 だからといって、ライダーは椿の身体を好き勝手に操っているわけではない。ライダーの役割は椿の意志意向を正確にくみ取り、椿が日常生活を送る上で不自由ないよう介助しているだけに過ぎない。

 

 フラットが椿の現実復帰を考えたとき、障害となったのはいつ暴走するかも分からぬ椿の魔術回路と一年間寝たきりで衰えた筋力の二点である。

 脳内の魔術回路については椿の夢を一度消滅させることで強制的に沈静化させ、そこをフラットが調整することでなんとか片が付いたが、筋力についてはライダーの力に頼るしかなかった。

 

 椿とライダーの関係において最も致命的なのは、二人の意思疎通と現状認識に大きな齟齬があったことである。そのために一年ぶりに現実世界へと帰還を果たした椿に無理を言って令呪を使ってもらい、椿とライダーの感覚と認識の共通化を図った。

 

 結果は御覧の通りである。

 二番目の令呪の効果である「人を傷つけない」という命令も予想外に上手く機能していた。加減の分からぬライダーもこの令呪の強制力から椿が傷つかない範囲を学習し、先ほどのようなアクシデントにもライダーなりの対処をしている。

 

 最初にフラットが立てた計画では第一の令呪でライダーに脳内の魔術回路の暴走を止めさせ、第二の令呪で両者の意思疎通を図り、第三の令呪を念のための予防策として置いておく予定だったが、この調子であれば令呪なしでも椿とライダーは上手く付き合っていけることだろう。

 

「それで、これからどうするの?」

 

 オレンジとアップル、両方の紙パックを両手に持って交互に味を楽しみながら、椿は実に自然な疑問を問いかけてくる。つい先日夢の中で出遭ったばかり(しかも一応敵同士でありながら)だというのにこの信頼感。フラットがいかに無茶なことを言おうとも椿は無条件に信じてしまうことだろう。

 それだけに、この脳天気男にしては珍しく視線を宙に彷徨わせることになった。

 

「そう、だねぇ……」

 

 曖昧な返事でお茶を濁すが、そう長くは続かない。実に順当な質問であるだけに、フラットもそのことについてはずっと考えてはいた。

 

 当初はティーネとすぐ会えると楽観視していたのだが、集合場所としていたスノーフィールド中央病院は近くにあった警察署がテロにあったとかで人目が激しくとてもではないが留まれる状況ではなかった。

 

 そして次に自らのサーヴァントであるバーサーカーに連絡を取ろうとしたものの、何度連絡しても一向に携帯電話が繋がる様子がない。魔力の流れから未だ健在なのは確かだが、バーサーカーはその性質上マスターであるフラットにも具体的にどの位置にいるのか分からぬ欠点を持っていたりする。そういう意味で実はかなり特殊なサーヴァントなのである。

 

「とりあえず、もうすぐ雨も降ってきそうだし、このまま中で身体を動かす練習でもしててよ。僕はもう一度街へ偵察に行ってくるからさ」

 

 そういって無策であることを誤魔化しながら、遠くに見える雨雲を理由に無理矢理椿を廃工場の中へと誘導する。ついでに紙袋から食料としてサンドイッチやヨーグルトなども渡しておく。つい先日まで入院していた人間に食べさせるものではないかもしれないが、そこはライダーが胃腸を操作し上手く消化してくれることだろう。

 

 フラットの何か怪しげな気配に疑問符を浮かべる椿ではあったが、そのことを尋ねることはなかった。フラットが言うのだから、椿はただそれに従うだけで万事上手くいくという信頼によるものだ。

 それはある意味、フラットの思い通りでもある。

 

 椿と別れ、フラットは椿がいた工場と同じくうち捨てられた別の工場の中へと入っていく。ただ先の工場と違い少々手狭で、つい最近人の手が入っているという違いがある。少し奥に入れば、魔法陣とその上に敷かれた寝袋がある。

 

 街に偵察に行くというのは真っ赤な嘘だった。

 

 倒れ伏すように、フラットはその寝袋に俯せになる。紙袋から市販の強力な栄養ドリンクを取り出し、一本二本と無理矢理喉に流し込んだ。本当はもっとカロリーのある栄養食も取るべきなのだろうが、今はそれだけの気力もない。

 

 今、聖杯戦争においてフラットは脱落寸前にあった。

 

 バーサーカーのマスターは過去その殆どが魔力切れによる自滅で敗北したというが、フラットもその一例となりかけている。

 この聖杯戦争で一番魔力効率が良く、必要とする魔力も最も少ないバーサーカーではあるが、何故そのマスターであるフラットの負担が大きいのか。そこに疑問が入る余地などない。

 

 バーサーカーとアサシンの二重契約にティーネへの魔力供給とライダーとの戦闘、そしてトドメとばかりに一級魔術師が複数人でやるような繊細な儀式を準備もろくにせずに実施したのだ。どれだけ魔力量に自信がある魔術師であっても底をついて当たり前のことをしているのである。

 

 実際、この調子で魔力の消耗が続いたのならばフラットはあと数日……下手をすると明日にでも死んでもおかしくはない。もうバーサーカーのマスターとか関係のない自業自得としかいいようのない敗北の仕方である。

 

 それなのに虚勢を張って椿の面倒をわざわざ見に行ったりしているのだから始末に負えない。

 けど、と呟きながらフラットはその手を宙へと伸ばす。そこには何もありはしないが、もうすぐ掴み取れそうな何かがある。

 

「もうすぐ、俺は英霊と友達になれるんだ……!」

 

 未だ持ってその子供じみた発想を捨てないフラットに救いの手をさしのべる者はいない。だが、当の本人の気力はそれだけを頼りに生き足掻こうとしている。

 

 ティーネとの約束を思い出す。

 ここを生き延びれば英雄王ギルガメッシュと会うことができる。それはこの世で生きるどんなに憧れた存在に会うよりも胸の高鳴る瞬間であろう。

 

「たの……しみ……だな……」

 

 椿を心配させぬよう三時間だけ体力を回復すべく、フラットは寝袋にくるまった。

 眠気は、何もせずともすぐにやって来た。

 シトシトと雨の音が近付いてくる。

 

 


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