Fate/strange fake Prototype 作:縦一乙
目が覚めたのはもう昼も過ぎた頃合いだった。
筋肉が久しく機能しなかったことで身体中が軋んでいる。天蓋付きの見慣れた族長専用のベッドであるが、こうしてみると想像以上に大きいように思える。もしくは、自分が小さくなったのかと錯覚する。
つい先ほどまで腕の中で抱いていた繰丘椿の身体は、どこにもない。その温もりが残っているようにも思うが、それは気のせいなのだろう。
ティーネ・チェルクは現実へと帰還していた。半ば推測だらけの確証の乏しい方法ではあったが、上手くことは運んだらしい。
「姫様、お目覚めになられたのですか」
ティーネの目覚めにすぐに気がついたのか、長年連れ添った乳母がすっかり窶れた顔がティーネの視界に入ってきた。目に涙を浮かべて目覚めたティーネに寄り添いあちこちに手を当てて身体に異常がないか確認してきた。場合によっては無礼極まりないことではあるが、大きすぎるベッドに小さなティーネが横になるとこうでもしないと顔も見られない。
代々の部族長が寝所として利用してきたここは、成人男性が複数人の女性を連れ込めるよう必要以上に広めに作られている。未だ成長途中の女子が寝るには不便極まりない。それにティーネは異性をここに複数招く真似はできそうにない。
いずれ時がきたら小さなベッドを用意しようと頭の隅で考えておく。その時まで生きていれば、の話であるが。
「その呼び方はもう止めてください。私は族長です」
「私にとってはいつまで経っても姫様は姫様ですよ」
涙ながらに語りながら、乳母は温かいスープを差し出してきた。いつ目覚めるかも分からないというのに温かいということは、冷める度にスープを用意させていたのだろう。子供扱いされることに多少抵抗はあるが、母親以上に献身的な乳母の行為は素直にありがたかった。
「私が眠って、何日が経ちましたか?」
「四日と半日といった頃合いでしょうか……本当に良かった。薬が効いている筈なのに起きる様子が全くないのですから!」
空きっ腹にスープを流し込みながら乳母に問えば、夢の中での経過時間とほとんど変わりない。だとすれば夢の中で聞いた女医の言葉を信じるなら聖杯戦争に大きな変化はない筈。だが、四日という日数は組織として変質を促すには十分に足る時間である。
面倒ではあるが、これは色々と確認する必要がある。
「何か他にお持ちしましょうか?」
「いいえ、結構。その代わり現状報告を聞きたいわ。内密に相談役を呼んでください。他の者には気取られぬよう、迅速に」
ティーネの言葉に乳母はやや曇った顔になるが、「わかりました」とすぐに部屋を出て行った。それだけでティーネの予想は半ば当たっているのだと理解した。
名残惜しそうに部屋を出て行く乳母を見送り、ティーネは意識を切り替える。この要塞内にいるとはいえ、相談役全員を集めるのにもやや時間は必要だろう。その間にできることは早い内にしておくべきだ。
申し訳ないと思いながらも飲みかけのスープを台座へと戻し、軽く呼吸を整え意を決して身体を確認してみる。
今着ているのは寝間着代わりのローブで、下着は穿いていない。三日間寝たきりだったというのに汚れていないということは、乳母が処理してくれていたのだろう。
だが、確認したいのはそんなことではない。
身体の内を駆け巡る魔力の流れを感じる。夢の中ではせいぜい小川程度にしか流れていなかったが、今や大河もかくやとばかりに暴れ回っている。
スノーフィールドの地そのものから供給される魔力はアーチャーに供給する魔力を差し引いても余りある。あまりのギャップに眩むほどであるが、これが本来ティーネが平時に扱う魔力量なのである。
やや慎重に調べてはみるも、巡る魔力に澱みはなく、三画の令呪にも問題はない。そのことに安堵と不安を感じながら、避けては通れぬ道と、ティーネは思い切って自らの丹田に己の魔力を巡らせてみる。
「――っ」
結果はすぐさま表れた。
浮かび上がったのはティーネの胸から下腹部にかけて描かれた紅い魔法陣。簡素に見えて実に複雑な術式を織り込まれたそれは、ティーネに適切な形で他者の魔力を受け取り自らの魔力へ組み込む変換器である。
乙女が自らを捧げようという一世一代の決意に対し、これを描いた本人は「ごめん、なんか勘違いさせちゃった」とか「十二歳を抱くのは無理」とか「別に房中術でなくとも方法はたくさげはぁ!」とか言っていた。ちなみに最後のはティーネがその無礼者の顎を殴り飛ばした時の台詞である。死ねばいいのに。
とはいえ、この魔法陣はフラットの血液を用いた歴とした魔術の塊である。性行為こそしなかったものの、ティーネの未発達な胸や将来を感じさせる臍周り、特に子宮のある下半身をこれ以上ないほど(魔法陣を描くために)弄り倒したフラットの魔術は、今現在も彼女の身体に魔力を供給し続けている。
あの時のことを思い返して頭を抱えたくなる。
他者からの魔力提供は子宮に射精されるのと似た快楽とも聞く。欲求不満めいた感覚から自慰の誘惑にかられるが、それはおいておく。
「こんなことであの夢が現実だったと証明されるのもどうかとは思いますが……」
最悪、眠っていたあの出来事全てがティーネの夢である可能性もあった。
他のマスターとの同盟、ライダーとランサーの戦い、“偽りの聖杯”、全て荒唐無稽といえばその通り。だが、夢の中でフラットにかけられた魔術は現実にティーネに影響を及ぼし続けている。これがあの夢が現実であったという何よりの証である。
もう必要がないのでさっさとこの魔法陣を消したいのだが、これは一体どうやったら消えるのだろうか?
そんなことを思いつつ身だしなみを簡素ながら整えていると、扉の向こう側に複数の気配が現れノックする音がする。ノックの癖から乳母であるには違いない。が、集まるにしては早すぎる。
「……入れ」
なるべく苛立ちを悟られぬよう機械的な声で入室を促せば、乳母がティーネの命令通り相談役を引き連れて入室し、そのまま何も言わずに退室していった。
ここにいるティーネと相談役は、謂わばこの原住民の実質的頭脳である。
末端やその縁者、支持者を含めれば数千人まで膨れあがる人数を考えると、トップにはそれ相応の権限が必要とされる。そのためにティーネと相談役以外の者はこの場に立ち会うことが許されない。
「お目覚めになって何よりです」
「申しわけないけれど、そんなことよりも時間が惜しい。現状の報告をして欲しい……けれど、あなた達が今何をして、何をしようとしていたのかを先に聴いておきたいわね」
口々に挨拶をしようとする相談役にストップをかけ、ティーネの視線が先と打って変わって厳しいものへと変化する。
当然だ。相談役というのは原住民のトップであるのは周知の事実。そして、そのトップの中のトップであるティーネが一時的とはいえ倒れた以上、話し合う内容は自ずと知れてくる。
話の詳細こそ分かるわけもないが、相談役が中途半端なこんな時間にこうも早くこの場に招集できたのがその証拠であろう。
彼らの中で結論はほぼ出ていると見た方が良い。
意図してその目に苛立ちを込めれば、その視線に慌てた者が一人。そして目線を逸らした者も一人。いずれも相談役の中で比較的若手の過激な急進派。どちらかといえば保守派に属するティーネだが、今までその強大な権限を以て彼らを排斥したことはない。建前だけでも組織を一枚岩としておきたかったからである。
この聖杯戦争の最中である以上、一致団結する必要があるのに、これでは足を引っ張り合うばかり――
「……待ちなさい。何故、一人いないのですか」
九名の相談役を呼んだというのに、ここに座すのは八名のみ。あえて名前を呼ばず相談役の人数で判断したかのようにティーネは振る舞うが、その実、最も頼りにしていた者の姿がここにはない。
「ああ、そのことですか」「祖父殿でしたら先日から」「我々もそのことで話し合っていたのですよ!」「気の毒なことでした」「何せ急なことでして」「新たな相談役が必要であると」「ここは一致団結し」「推薦したい者が」「英雄王の差配にも困ったもの」「責任をとられたのでは?」「そんなことより訴えたいことが」
次々と勝手なことを言い始めた相談役だが、その全ての言葉をティーネは違えることなく耳に入れた。彼らは他者の言うことなど端から聞いておらず、自分勝手なことを恥知らずにも平気で口にしてみせる。
まだ族長の地位に着いたばかりの頃、政治についてろくに分からぬ部分もあって、そのために重要な案件については相談役にそのまま任せていたことがある。そうして一度でも頼られたという実績が彼らの強みとなり、結果的にこうした暗愚な者をこの場に招き入れることとなってしまった。
これを失策というのは早計だろう。万能なる人間などどこにもおらず、また真に無能なる人間もいやしない。最善手が最良の結果となるとも限らず、また最悪手が最良の結果を招くこともある。
一言で言ってしまえば「仕方がない」。
「――よく、分かりました」
五分近くも好き勝手に話した相談役達に、ティーネは静かに告げてみせた。
さすがに族長の言葉を遮ることもできずまだ喋り足りない様子ではあったが、部屋の中には沈黙が落ちる。
相談役全員が、次に発するティーネの言葉を待っていた。そして都合のいいことに、口を開いていた相談役は己の訴えが通るとばかり思い、愚かにも頬が自然と上がってすらいた。
彼らの言い分は何も間違っているわけではない。理がないわけでもない。組織として何ら問題のない提案なのだ。
「( )」
言葉は、そこにあったのかもしれない。
意志も、思惑も、そして感情も全てを乗せて、ティーネは己が魔力を解放した。久方ぶりに使用した魔力は、思ったよりも出力が強かった。
元より族長の条件の一つがこのスノーフィールドの地に愛されていること。それは即ちティーネが魔術使いとして最も優れている証左でもある。
ただの一撃で、相談役八人の内五人が抵抗する間もなく消し炭となる。焦げ付いた炭の臭いに顔が辺りの空気を汚した。
「何か意見はありますか?」
ティーネの言葉に重い空気がはき出された。
この場に残った三人は、部屋に入った時から一言も発していない者達だ。そしてティーネが心から信頼している腹心である。
その腹心が、ようやくその口を開いた。
「……一応、苦言を呈しておきますが、急進派連中は黙ってはいないでしょう」
「私のサーヴァントは暴君です。ならば、そのマスターも暴君になってもおかしくはないでしょう?」
ある程度予想はしていたのだろう。確認をするように問うてくる腹心にティーネは静かな覚悟を持って答えた。
怒りがそこにあったのは確かであろう。だが、怒りだけで組織の頭を半分殺すことなどしはしない。
ある意味で最悪のタイミングともいえたが、これ以上野放しにしていては大きな隙となってしまう。反乱でも起こされた日には、多くの者が無駄に血を流すことになってしまう。
そう判断したからこそティーネは彼らに裁きを与えた。
早まったわけではない。むしろ遅すぎたくらいだ。
聖杯戦争を目前に控え、組織を纏めるのに妥協し、形だけでも足並みを揃えようとしたのが拙かった。一人旅立たせてしまった祖父に詫びる言葉もない。
彼を殺してしまったのは、無能な自分の責である。
「彼らのおかげで大方のことは理解しました。英雄王が籠城を命じたのですね?」
「はい。我々相談役で話し合い、現在物資の調達を急遽行っております」
実際に話された内容から籠城とは少々ニュアンスが違うようであるが、夢の中であれだけの感染者と戦ったティーネだ。アーチャーがどういう意図で命じたのかは分からぬが、疫病であるライダーの存在を感じ取っていたのかも知れない。
だがそれだけというには腑に落ちぬところもある。
これは、直接話を聞く必要があるだろう。
そして、こちらからも話をする必要がある。
――いや、その前に“偽りの聖杯”を確認するのが先か。
「英雄王はどちらに?」
ティーネの問いに相談役は黙って首を振る。
この意味が分からぬティーネではない。
これくらいは予想している。
「私はこれから外へと出ます。護衛は不要。後のことは任せますが、我々一族の安寧を第一に動いてください。穏便に進められるならそれが一番ですが、必要とあらば粛清を行っても構いません」
こうなることを考えて内密に彼らを喚び出したのだ。まだティーネが目覚めたこと知る者はまだ少ない。そしてこの場でいきなり相談役が殺されたなどと予想する者もいるまい。
うまくすれば二日くらい相談役の不在は誤魔化せる。そこから先は、相談役の頑張り次第。
ベッドから降りて服を着替える。生き残った相談役はティーネが幼い頃より心を寄せていた身内である。今更恥ずかしがる関係にはない。
いつも通り白いドレスを身に纏ったティーネは、下を向く三人に最後になるかもしれない命令を下す。
「私が倒れた場合、敵を討とうなどとは絶対に思ってはなりません。次の族長はあなた方三人で選んでください。汚名は全て私に被せ、原住民が生き残ることを第一に。誰一人として命を粗末にするようなことのなきようお願いします」
ここで五人もの相談役の命を奪ったティーネだ。暴走したティーネが全て悪いとすれば、全て丸く収めることができる。ティーネが死んだとしても組織そのものはその死を最大限に利用することができる。
「……姫様も、命を粗末になさらないでください」
「その呼び方はもう止めてと言った筈よ、叔父様」
その忠告には答えず、幼い頃の呼び方で相談役に別れを告げてティーネは部屋を後にする。
あの最強無比のアーチャーがティーネの補佐を必要とする筈もない。マスターであるティーネはこのまま関知することなく籠城をした方が絶対良いに決まっている。
だが、そんな簡単な選択肢を前にしてもティーネはその命を賭して要塞の外に出なくてはならない。
今、ティーネの前には二つの道がある。
一つは、マスターとしてアーチャーと協力し“偽りの聖杯戦争”を戦い抜く道。
そしてもう一つは、スノーフィールド原住民の族長として、サーヴァントの力を必要とせずに“偽りの聖杯戦争”を終わらせる道。
単身、彼女は要塞の外へと歩み始めた。
その足先は既に決まっていた。