Fate/strange fake Prototype   作:縦一乙

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day.05-09 院内感染

 

 

 時間はほんの数分だけ遡る。

 

 署長の祈るような想いが通じたかどうかは別として、この時ティーネと椿の両方の命を助けたのは誰であろう、銀狼であった。

 

 ベッドで眠る椿の真下で毛繕いをしながら待機していた彼は、女医の突然の出現にいち早く警戒状態となっていた。それはティーネとフラットが来てからも変わらず、銀狼はその本能から筋肉を縮ませ爆発する瞬間を今か今かと伺っていたのである。

 

 椿の尋常ならざる感情の爆発とライダーの咆哮は、銀狼にとって準備万端のランナーに送る合図に他ならなかった。

 

 ベッドの上に素早く乗り込み椿を強く抱きしめるティーネの服の襟首を咥えて、銀狼は大きく跳躍する。結果としてライダーは紙一重で椿との接触に失敗した。だがライダーに躊躇はない。一度で駄目なら二度、二度で駄目なら三度、達成されるまで永劫に繰り返せばそれで事足りる。

 

 一撃目は避けられた。が、二撃目は避けられない。

 宙へと逃げた銀狼だが、ライダーの追撃を回避するには軽いとはいえ少女二人分の体重はさすがに重すぎた。逃げ場のない空中では思うように身体も動かせず、身を挺して盾になることすら適わない。わずかにティーネが椿を強く抱きしめることで精一杯。

 だがその二撃目も椿には届かない。間に入ったフラットが壁となり銀狼が地に足を付けるまでの時間を何とか稼いでみせる。

 

「フラット!」

「だっ――大丈夫!」

 

 ライダーの一撃を受けるフラットにティーネが叫ぶが、予想に反してフラットの力強い声がすぐに返ってきた。

 

 ティーネは自らの足が床に着くと同時に病室の扉を開放する。スライド式のドアは人の手でなければ開けることは難しい。

 まず椿を咥えた銀狼に扉を潜らせ、手を床につけながら這う這うの体で何とか立ち上がったフラットの手を取り、ティーネは病室の外へと脱出する。

 

「――!? 追ってこない?」

 

 ドアは自重によって自動的に閉まるタイプである。だがこの程度の障害物があのライダーに通じるわけもない。すぐに追いすがってくるとティーネは予想したが、あの黒い霧が病室から追い縋って現れる気配がない。

 銀狼は既に階段にまで到着している。このまま病院の外へと出れば逃げ切ることも十分に可能だろう。

 

 銀狼もそれが分かっているのか、椿の身体に気を遣いながら階段を下りようとし――その口を離して椿をその場におくと、階下へとその身を投じた。同時に聞こえる、落下音。銀狼単体のものにしてはやけに大きい。

 

 ティーネが階段に辿り着いてみれば、一階へと下りる間にある踊り場に看護師の女が一人倒れている。そして点滴のキャスター付きスタンドを武器に、銀狼へ襲いかかっている細身の患者が一人。

 

「ああ、なんかこういう展開覚えがあるなぁ!」

 

 もはや無理矢理活を入れようとしているのか、フラットは先のダメージなどなかったかのように愉しげに笑ってみせる。

 しかし覚えのあるゲーム展開では初期になんらかの銃火器を入手できるし、相手は分かり易いゾンビである筈だった。だというのに、ここで武器になりそうなのは消化器ぐらいだし、敵はゾンビっぽくはあるが生身の人間である。そしてラスボスはすぐ傍にいるのである。

 

「こういうことですか!」

 

 ライダーが追ってこない理由を察し、ティーネは急ぎ踊り場に飛び降りる。

 ライダー自身が追いかける必要はないのだ。操れる手駒なら大勢いるのである。ついでに手駒の脳内リミッターを外せば、銀狼を力任せに押さえつけることもできるだろう。どう見てもひ弱そうな患者が人間以上の膂力を持つ銀狼と互角に力比べできているのがその証拠であろう。

 

 掴まれるのは拙い、と判断しティーネは小柄な体躯を活かして患者の懐に飛び込んでいく。心臓の上から全力の一撃を打ち込めば蹈鞴を踏むのも当然。男は踊り場から更に一階へと落ちていくが、その最後を見届けている暇はない。

 

「下は駄目だ、囲まれてる!」

 

 力の抜けた椿の身体を背負い、フラットはティーネに声をかけて階段の上へと駆け上がる。

 フラットの言うとおり、窓の外を見れば暗い夜道をこちらへと向かう人の姿が何人も見受けられる。まだその人数は少ないが、遠くを見れば更にその数倍もの人数が闇の中に蠢いている。

 

 外に出て逃げ切るという選択肢はこの段階でなくなった。残った脱出路は上階のみ。しかしそれは籠城というあまりに救いのない選択だ。

 

「ふっ!」

 

 戦闘力は奪ったがまだ動こうとする看護師をティーネは容赦なく蹴り飛ばし、先の患者同様に階下へと落としておく。

 少しでも障害物を設置することで進行速度を遅くすることが狙いだが、果たしてどれくらいの時間を稼げることか。この調子なら平然と踏みつぶして来そうである。

 

 この隔離病棟は五階建てで、その性質上ここに常駐する人間の数は少ない。また侵入経路が階段と非常階段の二択しかないことが救いとなっている。

 あらん限り動かせるものを障害物として階段下へ放り込み、ついでに防火壁を作動させ即席のバリケードを展開させる。

 

 四階にライダーに操られていると思わしき看護師が一人いたが、これはなんとか窓から外に投げ飛ばして事なきを得る。躊躇なく殺す真似をしているが、夢の中なので勘弁して貰いたい。

 

「とはいえ、これでは二時間程度が限度です」

 

 同じように三階四階の階段を封鎖して更なる時間を作り、最上階である五階の一病室で今後の作戦会議をする。

 現状を考える限りでは、ティーネの判断に間違いない。確かに即席のバリケードとしては割と良くできていたが、あの人数相手には焼け石に水。下手をすれば一時間もせずにここへ到着するかもしれない。

 

 時間が余りに足りなさすぎる。

 椿は両親を失ったショックからか、再びベッドで眠りに落ちてしまった。

 銀狼は落ち着かないのか、疲れているであろうに周囲を警戒してうろうろしている。銀狼の研ぎ澄まされた感覚なら、隠れて襲いかかってくるような伏兵もこのフロアにはいまい。そして自らの筋力を強化してバリケードを築いたフラットは魔力的にも体力的にも大きく消耗している筈だ。

 これを回復させるのにその時間は余りに短い。

 

「――いや、多分その倍以上の時間はかかるじゃないかな」

 

 焦るティーネの推測をよそに、フラットはしばし考え、否定した。

 

「? それは随分と楽観的ですが、根拠はなんですか?」

「ライダーだよ。ライダーが操る人間には無駄が多すぎるんだ。人数を絞って効率よくバリケードを撤去すればいいんだろうけど、次から次へと人が集まって撤去どころじゃなくなっている」

 

 廊下側の窓から外を見るフラットは逆側を見てみなよ、と指で向かいの窓を指さしてみる。

 ティーネが病室側から窓の外を見れば、そこはもう完全に人、人、人。壁を伝って中に入ろうとする者もいるが、パイプなどのとっかかりのない壁ではそれも難しい。それでも、少しずつバリケードの材料が外へと持ち出され始めている。

 確かにこの渋滞では、ここに辿り着くまでに相当な時間を要することだろう。

 一息入れる程度には、余裕ができた。

 

 焦りがどこかに霧散していくのを感じる。

 余裕が、生まれる。

 

「……状況を整理しましょう。椿は令呪を使用しましたね。あの時、何と言ったか覚えていますか?」

「こんな世界なくなっちゃえばいい、とか言ってたね」

 

 苦い表情でティーネとフラットは互いにその意味を共有した。

 それはつまり、この夢の世界そのものの否定だ。

 ティーネとフラットが最後まで選択しないと誓った選択肢だ。

 

「ライダーはマスターたる椿を殺すつもりでしょうか?」

「都合良く解釈すれば、椿ちゃんの脳内にある魔術回路だけを健全に調律する、ということもありえるけど……」

 

 そうであれば一番良いのだが、あの単純な命令しか聞けないライダーが、そんな精細極まりないことをするとは到底思えない。椿を殺すだけなら、実に簡単にこの世界をなくすことができる。

 

 令呪の命令に幅があるのだけが救いだが、これでこの世界から全員で脱出する当初のプランは一気に難易度が跳ね上がっていた。

 

「もっと調べたかったのですが、こうなってしまえば仕方ありません」

 

 結局入り口は見つからなかったが、この病院の地下が怪しいことは判明した。

 現実に戻れば使える駒の数で群を抜いているアーチャー陣営が断然有利である。人海戦術を使えばすぐに手がかりを掴めることだろう。繰丘に手紙を送った市議の自宅を抑えることができればほぼ確実だ。

 

「椿を任せても大丈夫ですね?」

「うん。資料は全て頭に入ってるし、あとは現実で施術するだけ。椿ちゃんを日常生活に戻すことは難しくないよ」

 

 外科的な手術や特別な薬品も必要はない。椿の魔術回路の形と特徴を把握した以上、フラットは椿の頭を切開することなく適切な形に調整することができる。後は椿の令呪が二画あれば全ての問題はクリアされる。

 

「となると問題はここをどう乗り切るか、というところですね。やはり英雄王に頼む方が確実でしょう」

「いや、召喚するならまず俺のジャックで様子を見よう。何も知らないままじゃ火力に任せて台なしになる可能性も高いんでしょ?」

 

 それは以前にも話した内容だ。アーチャーの性格が相当面倒なのは確かであり、ただ召喚するだけでは焼き尽くされて終わりになってしまう。ライダーを殺させるわけにはいかないのだ。

 

「では今すぐにでも?」

「それはまだ早いよ。ライダーは今までにないほど莫大に魔力を消費している最中の筈なんだ。こうして時間を稼げば稼ぐほど、ライダーの魔力は消費され弱まっていく。最後の最後まで粘った上で召喚すれば、それだけ成功率は上がる筈だよ」

 

 フラットの提案に、仕方ないとティーネも同意する。成功率が上がると言ってもせいぜい数パーセント程度に違いない。

 けれども、全員が助かる可能性を高めることができるのならば、それに命をかけると二人は迷わなかった。

 

「じゃあ、時間もあることだし、俺はバリケードの強化をすることにするよ。ここのベッドを横にすれば――」

「フラット」

 

 疲れている筈なのに無理して動こうとするフラットに、ティーネは声を掛けずにいられなかった。

 気付かぬふりはしてきた。しかし、さすがにこの場で逃げようとするフラットをこれ以上そのままにさせるわけにはいかない。

 

 二人は部屋の両端に座って話し合っている。この距離は、話し合いをするにしては余りに遠い。そしてフラットはそれを意識してティーネを遠ざけている。

 

「私に、何を隠しているんですか?」

 

 


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