Fate/strange fake Prototype   作:縦一乙

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day.04-07 エルアライラー

 

 

 今夜の仕事はこれで終わり、なわけもなかった。

 仕事という意味では署長との電話など仕事の内には入らぬただの雑事。リスク覚悟で乗り込んだとはいえ、事前調査もあったおかげで命の心配はないのだ。怪しい動きをしているとはいえ令呪を使い切ったジェスターに本腰を入れて討伐するほど署長は暇ではないし、念のため適当に用意しておいた死体(えさ)も撒いておいたのでそれどころではあるまい。

 本当の仕事は、その後にあった。

 

 署長との電話から数時間後、日付が変わろうとする少し前。スノーフィールド南西、森林地帯と砂漠地帯の境目でジェスターは仕事に本腰を入れていた。

 

 つくづく、手が足りないと思う。

 アサシンの処遇に目処がついたのは僥倖だが、それ以外がどうにもいけない。命のストックを複数持つ身ではあるが、これなら身体が複数あった方が余程良い。死徒といえどこうも休みなく動けば過労死だってすることだろう。

 実際、気を抜けば一秒とかからず死ぬことだろう。

 

 声はない、足音もない、衣擦れも、息遣いさえない。

 足音と気配を殺しきれる最大の速度で、滑るように濃密な森を掻き分けて征くモノがひとつ。咄嗟に躱せたのは長年培っていた勘によるものだろう。致命傷こそ避けたものの、すれ違いざまに付けられた傷から血が溢れ出る。

 反撃しようと試みるも、その頃にはとっくに姿を見失っている。無駄を承知で周囲の草を蹴散らしてみるも、そこに手ごたえがあるわけもなく牽制にもなりはしない。

 

 既に五度。この吸血鬼らしくないことに、同じようなことを繰り返している。

 後の先をとるカウンター。これもジェスターらしくない戦法であるが、だからといってこの敵の先を取れる術などそうありはしない。それにらしくないとはいえ吸血鬼の運動神経であれば十二分に脅威である。

 その脅威が五度も失敗している。

 認めねばなるまい。この敵は――

 

「強い、な」

 

 傷口から溢れ出る血を舌で丹念に舐めながら、ジェスターは結論を下す。

 人食い虎と見紛う速度で森を駆け渡る敵。木々の間を左右に蹴って上空へ駆け上がる異様な機動は、明らかに人の技の範疇ではない。重力を、慣性を、筋肉の動作性を根底から力任せに無視できるものだけが可能な動き。

 

 濃厚な霧のように闇を月明かりが森の中にわずかな間に切り裂いていく。ジェスターから少し離れた小高い場所に、月の後光を浴びてその獣は悠然と現れ出でた。

 小柄な体躯に特徴的な長耳。身に纏う毛皮はジェスターの血で汚れ、その瞳の奥に宿る知性は類い希なるもの。膝は柔らかく蹴り足は強く、重心は前寄り。一見して脆弱な生き物ではあるが、その魂は熱く燃え盛る太陽そのもの。

 

 彼の存在は人ではない。

 人ではなく――英霊。

 その名も、エルアライラー。

 またの名を、千の敵を持つ王(エリル・フレア・ラー)

 伝説に語られるとある一族の王にして英雄である。

 

「クァハッ! さすがに分が悪い! どうか命ばかりは助けてくれまいか!」

 

 大袈裟なほどに大声かつ大きな動きで命乞いをしてみる。当たり前のことながら、ジェスターが今更命など惜しむわけもない。そも、この英霊がこちらの言葉を解するかどうかすら知らないのである。

 知りたかったのは、エルアライラーの反応。

 

 英雄英傑というのは肝が座っているものである。かくいうエルアライラーとてその例外ではないが、生来の気性までコントロールできるものではない。

 兎角、この一族は臆病なのである。

 反応がないということは、つまり、そこに狙いがあるということ。伊達や酔狂で行っていないということ。生来の気性に反してでも、覚悟を決めざるを得ないということ。

 迂闊というなかれ。それしかないと理解している以上、策を練るのは当然であろう。

 

「やはりな。貴様、もう時間がないな?」

 

 零すように漏れ出たその一言に、エルアライラーの姿が瞬間、消失する。ともすればそこにいたのが幻像であったかのような気もするが、残像という意味では正解だろう。うっそうと茂る草と見通しのきかない木々に紛れ、エルアライラーは姿を隠した。

 

 なるほど、こちらの言葉は理解しているらしい。

 変なところに感心しつつ、ジェスターは周囲を警戒する。

 本来であればここから脱兎の如く逃げるのが彼ら一族の主義であるが、ジェスターに泣き所を看破された以上、その選択肢はありえないしできない。

 

 この森という領域にあって、エルアライラーにジェスターが勝てる道理はない。それはこれまでの戦闘が正しく証明してくれている。エルアライラーの優位はそうそう覆るものではない。

 だというのに何故臆病である筈のエルアライラーがわざわざジェスターの前に姿を晒したのか。答えは単純。決着を焦ったのである。

 

 確かにエルアライラーはジェスターよりも強い。だが、一撃でケリがつけれるほどにその実力に大きな差はない。それはこれまでの戦闘が正しく証明してくれている。

 エルアライラーは俊敏さを売りとする英霊。となれば、真っ向勝負はリスクが高く、これまでのようなヒットアンドアウェイこそが勝利への最短経路となる。それを選択しないということは、これは何かあると考えるのにおかしいことではない。

 

 これまでの実況見分からジェスターは東洋人の令呪が不特定多数の英霊を召喚するものと看破している。これがどれほど強大で凶悪な切り札であるのか、分からぬ者はおるまい。要は後出しじゃんけんができるのだから、条件さえ整えられれば負ける道理がない。

 

 召喚回数の制限と英霊との契約内容に難はあるが、それでもまだリスクとリターンの釣り合いは取れていない。となればまだ何かしらの短所があると睨んでいたが、どうやらエルアライラーの反応から間違はないようである。

 時間制限。強い英霊であれば短く、弱い英霊であれば長く召喚できる安全装置を兼ねた呪縛か。ならばエルアライラーが現界し続けるのもあと数分といったところだろう。

 

「さて。まあ検証はここまでにするか」

 

 勝利条件が明確になった以上、ジェスターがすべきはあと数分間を全力で逃げることであるが、吸血鬼は何故かそれとは真逆の行動に移る。

 そのまま立ち止まったのである。

 

 今晩起こった一連の事件は、ジェスターが故意に誘導した作為的なものである。すなわち、東部湖沼地帯での戦闘から今に至るまで、東洋人の令呪について詳細に検証するための実験に過ぎない。

 

 特に湖沼地帯で突発的な戦闘に陥り、大量の警官に追われた東洋人は見事に混乱の極地にいてくれた。夜の森という不安を煽る状況も背を押したのか、おかげで少し背後から声をかけただけで碌に確かめもせずに貴重な令呪を使用してくれた。

 これがもしジェスターという死徒が相手だと分かっていればヘルシング教授でも喚ばれ窮地に陥ったのだろうが、結果として喚ばれたのは夜の森でも十全に活動し長時間召喚し得るエルアライラーという中途半端な英霊だった。

 

 おそらく、この不確かな状況にあって、呼応する英霊が彼しかいなかったのだろう。どんな英霊であろうと枯れ尾花で喚ばれてはたまるまい。あわよくばつかの間の自由を手に入れるつもりでエルアライラーは呼応したのかもしれない。

 

「不純な。少しはアサシンを見習うが良い。獣め」

 

 その動機を不純であると決めつけて、ジェスターは罵りながら周囲を軽く見渡した。

 夜の眷属であるジェスターはもちろん夜目が利く……が、当然エルアライラーの姿を見つける事はできない。生い茂る草木が邪魔をするし、そうでなくとも気配遮断は彼の十八番である。これを解決するには森を抜け出るより他はない。

 

 あと少し南へ行ければ森を抜け砂漠へと出ることになる。エルアライラーも地形効果の恩恵を考えてか、森から出すまいと南側からよく気配を感じる。ならば次の攻撃も南側から来るだろうか?

 しばし考え――そして諦める。結局来ると分かっている攻撃ですらジェスターは躱しきれなかった。反応速度が圧倒的に違う以上、先を読むことに意味はない。見えない殺意に気を取られた途端、反対方向からやられたとしてもおかしくはないのだ。

 この森をどうにかしない限り、勝機はない。

 

 つまり、この森をどうにかすれば、勝利は容易かった。

 

 エルアライラーが襲いかかってくるタイミングは反応できないだけでなんとか分かるのだ。夜の森は、何もエルアライラーだけに利するわけではない。だからこそ、エルアライラーは気付かなかったのだ。

 己の足下に広がった、ジェスターの赤い紅い朱い、赫い影を。

 

 森が、一瞬にして蒸発した。

 半径わずか数メートルながらも、大地から噴き上がる瘴気の波濤。草木が草木として維持できたのは数瞬もない。弟子を喰らった時は上品に骨を残したりもしたが、その気になれば無差別にこの影は貪り喰らってみせる。

 

 無論、その効果は果てしなく絶大である。なにせエルアライラーからすれば、自らの領域であった足場が獰猛極まりない硫酸へ変貌したに等しい。いきなり毒の海に突き落とされたようなジェスターの罠にそもそも対抗手段がないのだ。

 

 全身を赤い影に嬲られながら必死に逃げようとするエルアライラーであるが、そこを狩ることは難しくなかった。大した労もなく軽く振るった腕の中に、エルアライラーの細首が呆気なく収まる。

 捕まえてしまえば、この脆弱な生き物は吸血鬼の足下に及ばない。

 

「クハハッ、確か君たち一族は自ら進んで火の中に飛び込んだ者もいたらしいな。奇しくもそれと同じことをしたわけか」

 

 エルアライラーの身体から流れ落ちる血が、赤い影によって舐め取られる。

 周囲の森が一瞬にして枯死しながらも、その身体はまだ原型を残していた。身体の内にある霊核こそ無事であろうが、全身をローストされて生き残れるほど非常識ではあるまい。

 

 運命は変わらない。残り数分の命が、数秒の命になっただけ。

 そして分が秒になったところでジェスターは油断しない。いかに低級かつ弱体化しようとも、英霊は英霊。この状態でも反撃の可能性はゼロではない。

 ぺき、と意外とかわいらしい音が手の中で響き、反撃の可能性をジェスターはゼロへと貶める。エルアライラーの首が不自然な角度で垂れ下がれば、肉体がわずかに痙攣する。

 消滅するまでのわずかな間にその肉をくちゃくちゃと咀嚼しガリガリと骨を噛み砕きずるずると液体を吸い出してみるが、思ったよりも不味かった。

 

 頭蓋を握り潰しゴミのように捨てた方が良かったかと、エルアライラーが粒子となって消滅してから少しばかり後悔する。

 吸血鬼といえど英霊の血肉を啜ったところで際立ってパワーアップすることはない。英霊の味に興味があったことは確かだが、狙いは別のところにある。

 

 きっとどこかで見ているであろう観客をジェスターは意識していた。森林地帯の深部にはランサーが居座っているため、二十八人の怪物(クラン・カラティン)は全面的に撤退しているが、まさかカメラのひとつも残っていないはずもない。それに“上”は何も一人ではないのだから、きっと、ここでのジェスターの行動は(ライブ)で見られている。

 

 曲りなりにも英霊と呼ばれる高位の存在をあっさりと殺し食す吸血鬼。恐れてくれるならそれも良し。畏れてくれるのならば更に良し。使えそうな駒だと、注意すべき駒だと認識されることこそが重要である。

 今なおだんまりを決め込む“上”が今後どう動くかは分からないが、このまま彼らの思惑を裏切り続ける事態に陥るなら黙って座視することもすまい。その時には今日の布石が意味を持つことだろう。

 

「クァハッ。次の予定も決まった。善は急いだ方が良かろう」

 

 ヒュドラが召喚された時から薄々思っていたのだが、東洋人の令呪(システム)は安全装置に関しては酷く緩い。召喚者の安全も考えていなければ、神秘の秘匿すら頓着していない。

 聖杯戦争のマスターとして看過できぬ事態かもしれないが、残念ながら令呪を手放したジェスターがそんな正義感に目覚めるわけもなかった。

 

 むしろここは積極的に最大限利用することを考えるべきである。

 

 偽りの聖杯戦争、ひっそりと行われた吸血鬼と英霊の対決はこうして終わる。この時点でジェスターの頭の中で描かれた青写真はいかにも荒唐無稽で非現実的、おまけに甚大な被害がこれ以上になく盛り込まれていた。

 もちろん、その程度のことで吸血鬼が止まるわけもなかった。

 一秒の時間を無駄にすることなく、吸血鬼は次なる仕事に挑むべく、スノーフィールドの地に背を向けた。

 

 

 


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