Fate/strange fake Prototype 作:縦一乙
その一報が入った時、折しもスノーフィールド市警は混乱の最中にあった。
スノーフィールドの治安は様々な事情も相まってさほど悪いわけではない。
スノーフィールドには警察機構を筆頭に大小幾つもの治安維持組織がある。そのどれもが優秀と言うこともあって、警察署の電話交換手は久しく苦情処理以外の仕事が回らないこともあった。
しかし今回はそれが裏目に出た。
咄嗟の対応ができるよう指示は出されていたが、ほぼ同時刻に殺人・強盗・交通事故の報告(いずれも不確定情報)が舞い込み、ついでとばかりに泥酔した自称アーティストが警察署内でビール瓶を片手にお酒の神様を敬うべしとご高説を垂れていた。間の悪いことに折しもジュニアスクールの社会見学も行われている最中であり、スノーフィールド警察署長はその対応に笑顔で対応しなくてはならなかったのである。
情報が錯綜する。
効率を考えたシステムとは得てして遊びの少ないものである。混乱したのがわずかに十分少々ということを考えれば優秀であるとも言えるが、その間重要度が低い、と判断された事案は完全にストップした。
タトゥーをした不審な外国人観光客がいる、という情報は本来であればキャスターのマスターたる署長の耳に直ぐさま入る筈だったが、本業を優先した対応者はそのことを署長の耳に入れることをしなかった。
聖杯戦争を知らぬただの一般職員がそうした対処をしたことを誰が責められようか。
結局、聖杯戦争の参加者たる署長にその件が報告されたのは魔術師としての弟子である直属の戦闘集団『
「――市街にサーヴァントが現れただと」
その報告にわずかな苛立ちを滲ませながら、署長は今後の対応を考え眉間に皺を作った。
とはいえ、これでサーヴァントやマスターが見つかると期待はしていたわけではない。監視カメラをはじめとする警察機構の情報網を利用できるとはいえ、サーヴァントはともかくマスターの一次情報についてはあまりに手がかりが少なすぎる。
それこそ、無防備に令呪をむき出しにしていない限り、マスターの発見は困難だ。
聖杯戦争のセオリーに則っていれば、そんなことある筈がない――そう考えても無理からぬこと。
それが聖杯戦争開始早々二人目ともなれば尚更だ。
「今度は一体どこの阿呆だ」
周囲を慌ただしく動き情報を整理する部下へ一通り指示を出し終え一区切り。誰ともなく罵ってみるものの、それで過去の失態が帳消しになるわけでもない。
キャスターのマスターである自分にもしもの時があった場合に備え、マニュアルを作成していたことも裏目に出ていた。
早急な判断を要する際にマスターたる自分と連絡が取れぬ場合、仕留めることが可能なら連携を取りながら通常火器にて対応するよう指示してある。今回の場合も魔力濃度から令呪が本物、もしくはそれに類する能力・性能を持つ警戒すべき魔術結晶であることを現場の
その結果、白昼堂々市街地でサーヴァントが暴れる事態となった。
この偽りの聖杯戦争においてはこうした事態に備える監督役が存在しない。
事後処理をどうするのか正確には聞かされていないが、責任の一端を警察署長としても、戦争に参加するマスターとしても取らされることは間違いない。最悪、事後処理の対象そのものになる可能性すらある。
どうして初っ端から終わった後のことについて頭を悩ませなければならないのか。どちらにしろ事態を早急に収める必要がある。
ちらり、と時計を見る。指示を下して二分と少々。
待機状態にあった
「ここまで大胆に動かれた以上、他のマスター達も気付いていない訳もあるまい……」
と。
不意に今まで使っていた電話とは別の、窓際に置かれた電話が音をたてる。
この聖杯戦争のために署長は二つの電話を用意していた。
ひとつは関係者にのみ知らせた外向きの回線であり、これには署長の右腕である秘書官を通して連絡をすることになる。
そしてもうひとつの回線は、署長への直通回線である。緊急性が高く、身内であっても間に入れたくない時にはこれが使用されることになっている。
音を立てて自己主張を続ける電話は、後者である。
「…………」
直通回線はそうそう使われるものではない。重要かつ緊急の時にだけ使われるのであり、最初の第一報はともかく、以後の対応にこの電話が使われることは少ない。そもそも、この回線の存在自体、知る者が極端に少ないのである。
必然、心当たりのある人物は一人しかいない。
迅速な行動が求められる職種の長としては、いささか手を伸ばすのに時間がかかっていた。
回線が接続されると同時に聞こえてきたのは一般アナログ回線からデジタルの秘匿回線に切り替わるノイズ音。それと、今この場で一番聴きたくなかった男の声だった。
『おいおいおい、おもしれぇことになってるっつーのになんで俺に連絡よこしやがらねぇ! 舞踏会への招待状はシンデレラにもちゃんと送っておくように言っておいただろうが!』
思わず怒鳴りつけたくなる衝動を眉間に皺を寄せることで抑え、一応ではあるがマスターとサーヴァントである関係を思い出す。
どこで知ったのか知らないが、確かに無関係ではない。シンデレラなどという可愛げのあるものではないが。
「……キャスター。お前はお前のやるべきことをなせ。すでに
署長自身も騙しきれない嘘をついてみる。どれもこれも問題だらけで、事後処理も含めれば解決なぞ当分先の話だ。
『はっ! 何の問題もないだと! わかってねぇな。ようやく聖杯戦争が開幕したってのに暢気にしていなさる! このままじゃあつまんねえ結果になっちまうからこうしてわざわざ電話したんだぜ?』
「私は忙しい。用がないなら切るぞ」
『いい案があるんだがなぁ? 後で聞いておけばよかったって、後悔するハメになっても文句言うんじゃねぇぜぇ?』
キャスターの挑発的な発言に半ば本気で切りたくなるのを何とか堪えてみる。怒りにまかせるのは簡単だが、キャスターの機嫌を損ねたことで“昇華”の作業が滞るのも馬鹿馬鹿しい。聞くだけなら、まあ損することはあるまい。
錠剤型の胃薬を一つ、苦虫を噛み潰すようにして飲み下した。
「……早く言え」
『まずは
案という割には、その口調は命令だった。
キャスターは巫山戯た英霊ではあるが、マスターがサーヴァントたる自分に何を求めているのか理解していないわけではない。それ故に“昇華”の作業以外に口を出すことは少なく、それが命令ともなれば初めてである。
「……理由をきいてやる」
普段の虚言なら即座に切って捨てるところだが、傾聴に値する言葉をキャスターは持っているらしい。
もちろん「
序盤での傍観は
一般警察官を大量に現場へと投入し、そしてあえて逃げ道を用意しておけば、それで一応の解決もできよう。むしろ警官という立場上現場を押さえることで漁夫の利を得ることも期待できる。
だが今後のことを考えると、早い段階で
準備万端に相対できる敵でない以上、日中の市街地での混戦はかなり好条件とすら言えよう。地理的優位もあり、支援も期待でき、それでいて既に敵サーヴァントの情報も得ている。次の機会などが来る保証もない。
何より、
それが分からぬキャスターではない。マスターの疑問にサーヴァントは当然のように解答を用意してみせる。
『前にも言っただろ。俺は本来できの悪い台本を直すほうが得意だってな。
……なぁ兄弟。お前さんは俺以上に現場を知っていると思うんだが、状況を簡単に教えてくれねえか』
今度は頼みというより確認。
誰か別の者から説明することも一瞬考えたが、この英霊はあえて主人の口から説明させたいらしい。迂遠なことをするより素直に従った方が良さそうである。兄弟について訂正する時間を惜しみ、入ってきた情報を簡単にまとめる。
スノーフィールド市内において令呪を持った外国人旅行者を
令呪が本物であることを確認した段階で現場の一般警察官四名と共に旅行者を包囲、通常火器による射殺を試みた。が、射殺直前になってサーヴァントが召還され、同時に令呪のひとつが反応したことからサーヴァントは旅行者のものとみて間違いない。
名乗りが本当なら、真名は新免武蔵藤原玄信――東洋のサムライらしい。クラスは不明。
サーヴァントによって
現在確認されただけでも負傷者が十三人、倒壊した建物四棟、火事が一件、死者は確認できていない。
詳細な場所などは伏せて署長はキャスターの要望通りに説明する。キャスターがいらぬ好奇心で現場にちょっかいをかけることを防ぐためだ。だがそんなことを追求することなく、キャスターは大人しく署長の言葉に耳を傾け、何かを思案――いや、納得している様子であった。
『はん。予想通りだぜ兄弟。こいつぁ確かにできの悪い台本だ。これを仕組んだ奴はとんだ三流だぜ』
「仕組んだ奴だと?」
意図的にキャスターは署長の興味をひく言葉を使っている。それが分かっていながら、この事態においては聞き返さずにはいられない。
『言葉の綾だ。いるかもしれねぇし、いないかもしれねぇ。運命の女神は俺のセフレだが、もし仕組んだのが奴なら今度ヒイヒイ喘がせてやる必要がある。知ってるか? アイツ首筋が弱いんだぜ』
「お前の下劣な嘘はどうでもいい。だがこの事件、裏で誰かが糸を引いてると何故言える?」
『確証はねえよ。だがもし俺がこの聖杯戦争の脚本を書くなら、同様の展開にはなっているだろうよ』
これじゃあせっかくの役者が台なしだ、とキャスターはぼやいてみせる。端役には端役の役割があるんだぜ、とも。
受話器の向こう側でキャスターが笑みをこぼす気配が感じられた。キャスターにしてみれば、ここで署長がその可能性に辿り着くことが、脚本の修正なのだろう。
署長の脳裏で、一本の線が繋がった。
「――他勢力の一掃が目的とでもいうのか」
本来ならば一笑に付す結論ではあったが、キャスターはそれを否定しなかった。
かつて冬木で行われた聖杯戦争はそれぞれのサーヴァントを擁する陣営が戦い、共闘し、裏切り、策謀を尽くして争い、そこに教会が神秘を秘匿するべく監督役として乗り出していた。結果としてそれ以外の勢力はサーヴァントを擁するいずれかの陣営を援護することはあっても、直接開催地である冬木の地へと乗り込むことを抑えられていた。
だがこの偽りの聖杯戦争はそれぞれの陣営が争うことまでは今まで通りだが、教会の監督役は存在しない。そしてマスター以外にも令呪を奪取できるという事実が、いつの間にか多くの魔術師達に知れ渡っていた。
おまけに協会に宣戦布告する真似までしてしまい、結果として驚くほど多くの勢力がそれぞれに優秀かつ命知らずな愛すべき馬鹿野郎をスノーフィールドの地へと派遣している。
となれば、令呪に選ばれなかった他の魔術師達が他のマスターから令呪を得ようと考えるのは自然な流れというものだ。
現在、百人を超える武闘派の魔術師がスノーフィールド市内に潜んでいることが確認されているが、実際にはその数倍の魔術師が入り込んでいることだろう。スノーフィールド全域まで拡大すれば関係者含め確実に四桁に達している。
『よく知らないが、シンメンタケゾウ某といえばグレーテストソードマスタームサシの真名じゃなかったか? ヨシオカ・スクールで大暴れした逸話があるほど問題児なんだろ?』
「――それは見落としていたな。真名が世に知れた通称であるとは限らんか」
キャスターの冷静な意見に想像以上に焦っていたことを実感する。
一〇〇名近くの吉岡一門を一網打尽にし武蔵の名を一躍全国に轟かせた一乗寺下り松の決闘。多対一に秀でた逸話はこの状況にパズルのピースのように合致していよう。
ちなみにキャスターは「道場」を「スクール」と翻訳することであらぬ誤解をしているが、それをわざわざ指摘する優しさを署長は持たなかった。
『繰り返すが、確証はねえ。確証はねえが、俺はいると睨んでいるし、現状を見てもその通りになってる。
――お前さんがもし令呪を持たぬただの魔術師なら、この機会をどう捉える?』
「…………」
キャスターの言うとおり、この状況は令呪を持たぬ魔術師からすれば千載一遇のチャンスだ。
サーヴァントは確かに強力な戦力だが、強力であればあるほど多対一ではその能力は十分に活かせない。令呪の転写に時間はさほどかからない。直接的な戦闘を行わず、ただマスターとサーヴァントを分断し時間を稼ぐだけならば、リスクに見合う釣果を得られることだろう。マスターが魔術に対して無知であれば尚のこと時間は少なくてすむ。
あまりに都合の良い条件が整いすぎていた。これを警戒するのは当然であるが、これを大人しく静観するような魔術師なら、最初からこの地に来るべきではない。
『時間は、もうないんじゃないか?』
そうキャスターは言い残して、電話は一方的に切られた。少しの間、音声の切れた後にプーッと音の流れる受話器を見つめた後、署長は静かに受話器を置いた。
時計を見る。
口に手を当て、視線は宙を睨み付ける。
かつての聖杯戦争においては、何も知らぬ第三者に令呪が宿ることはままにあった。だがそれは他に候補がいないためであり、今回の聖杯戦争においては候補はスノーフィールドにいる魔術師の数だけあると言ってもいい。
入ってきた情報によると、旅行者は一般人である可能性が高く、また聖杯戦争についても知らない可能性が高い。だというのに、他の魔術師をさしおいて令呪をその身に宿している。
畢竟、本件が偶然である可能性は非常に低い。何者かが意図的に旅行者へ令呪を与えたと考える方がよほどしっくりとくる。
とは言えキャスターの言うことをそのまま信じているわけではない。
状況からしてキャスターの言うことはもっともであるのだが、あれは劇作家としての意見だ。現実的に考えればこんな序盤で令呪を持つ貴重なマスターをそんな雑多な目的のためにリスク覚悟で放り出すわけがない。
理性は告げる、キャスターの言葉は無視するべきだと。
キャスターはあくまで
「……キャスターめ」
部下へ連絡すべく受話器を再度取りながら誰ともなく呟いてみる。市街で暴れているマスターとサーヴァントの後ろに誰かいるのかいないのか分からないが、少なくとも
そんな皮肉を感じながら署長が新たな命令を下したのはすぐのことだった。