Fate/strange fake Prototype 作:縦一乙
バーサーカーのサーヴァント、殺人鬼ジャック・ザ・リッパーの変身能力がいかに凄まじく厄介なものか、聖杯戦争に関わる者なら理解することができるだろう。
狼の皮を被った羊という言葉があるが、バーサーカーがやっていることはその逆である。それがどれだけ戦略に幅を与えるのか、知略に疎いアサシンでも容易に想像がつく。
戦闘能力が低くとも、存在しているだけで警戒に値するサーヴァントである。例え死んだとしても、安心することなどできはしない。
しかし幸いなことに、アサシンは唯一このサーヴァントに対してのみ、アドバンテージを有していた。
「あなたのことは少しだけだけど耳に入れているわ、バーサーカー?」
「……うちのマスターはお喋りでいけないな。しかしその名は止めておいて欲しい。私のことはジャックと呼んでくれ」
「ジャック……ねぇ?」
バーサーカーの言葉にアサシンは意味深に繰り返す。
バーサーカーが自らのクラス名を隠す理由は多々あるが、理性あるバーサーカーというのはただそれだけで大きなメリットだ。
キャスターがバーサーカーをライダーと誤解したように、序盤において然程メリットはないが、中盤以降にあっては正体不明のサーヴァントとして俄然その意味を増してくる。
クラス名をフラットから知らされているアサシンにそうした意味はさほどない。それどころか真名を推測される危険が大きいが、それならそれなりの布石にもなり得る。
今更ではあるが、バーサーカーは自らの特性を認識しつつある。周囲の情報を操作し誘導し、偽装する。伊達にスコットランドヤードの捜査の手から逃げたわけではないということだ。
「それで? 一体何の要件かしら?」
「何、少し君と話し合いがしたくてね」
「話し、合い?」
白々しく話すバーサーカーにアサシンは訝しげな表情を隠せない。最初の用件は、最初から決まっている。
「それで、うちのマスターはどうした?」
「殺したわ」
次いで尋ねるバーサーカーの言葉に、アサシンは衒いもせずに即答した。
アサシンとフラットは魔力パスだけとはいえ契約を完了している。そして、今現在そのパスから魔力はまったく供給されていない。同じマスターから魔力供給を受けている筈なのだから、その点についてはバーサーカーも気付いていないわけもない。
だが、当のバーサーカーがそんなことを気にする様子もなかった。
「ふむ。ちゃんと呼吸は停止させたかね?」
「……?」
バーサーカーの言い方にアサシンは違和感を覚える。
呼吸の停止を確認したのなら意味は分かるが、停止させたとなると絞殺したか、という意味になる。
バーサーカーの問いかけにアサシンが戸惑っていると、まるで教師が駄目な生徒に質問するように、バーサーカーは問い続けた。
「ちゃんと首を斬ったかな? 心臓も潰しておいただろうな? 魔術師は脳をちゃんと破壊しておかないと蘇ることもある。主を生かそうとする魔術刻印も忘れてはならない。
――それで、君は一体フラットをどう殺したのかね?」
「苦しまぬよう、処理したわ。跡形もなく、ね」
やけに言及してくるバーサーカーに、アサシンは虚言を弄することなくありのままを答えた。
構想神殿――あれに入れば、何人も外に出ることはできないと聞いている。そして中に入れば待っているのは緩慢なる死。誰も抵抗できぬままゆっくりと魔力を吸われ、枯死していくことになる。あの業は食虫植物ならぬ、食人結界なのである。
運が良ければまだ生きている可能性はあるだろう。しかし、バーサーカーとアサシン、両方の魔力を供給していたため、フラットの魔力はあの時点でかなり危なかった筈。とてもではないあの結界の中で今も生きている可能性はない。
「また随分と手抜きではないかね?」
「謝罪でも要求するのかしら?」
「手ぬるいと言っている」
瞬間、突き刺さるような殺意の刃にアサシンは戦慄する。
本物と錯覚しかねぬ殺意の塊。有り得ぬ数が、有り得ぬ方向から、有り得ぬ速度で、アサシンを狙っていた。
アサシンはバーサーカーの正体を知っている。であれば、その実力が一般人をこっそり殺す程度でしかないことも分かっている。警戒すべき能力なのは認めるが、所詮はその程度であり、こうして正面切って対峙するのに恐ろしい相手ではない。
だというのに、アサシンはただの殺気に過剰なまでに反応してしまった。
身体を貫こうとしたのはただの殺気に過ぎない。
所詮は妄想の産物であり、実体には何の影響もない。とはいえ、錯覚であろうと認識してしまえば同じ事。精神に直接刺さる刃は精神力でしか抗えない。心を強く持てば無傷で済むが、弱ければ後に引く痛みを延々と感じることになる。
狂信者が実体のない刃をどれほど恐れるのか。覚悟をもってあたれば恐るるに足らない児戯を、しかしてアサシンは反応してしまった。
思わず距離を取ろうと立ち上がろうとして――失敗した。
周囲からは椅子に座り直したようにしか見えなかっただろう。対面に座るバーサーカーは片手で肘を突き、片手で自らのジュースを飲んでいる。第三者目線で彼がしたことといえばそれだけだ。
意表を突かれたのは確かだが、この程度の挑発で、アサシンは警戒レベルを最大にまで高めてしまった。
「……一体何を」
視線だけでアサシンは足元を確認するが、汚れた床があるだけでそこには何もない。だが確かに、立ち上がろうとしたアサシンの足を掴んだ何かがあった筈だ。
変身能力で足を腕にでも変えてアサシンの足を引っ張ったのなら分かる。だが、あの感覚はもっと別の何かだった。
まるで霧のようだとアサシンは思う。
そして、自らの心の中にも霧が纏わり付いている。
「先にも告げたが、君には圧倒的に経験が足りていないな。単純な能力値だけなら君と私では話にならないというのに、君を倒すことは難しくとも、君を殺すことは実に容易い」
既に二度、バーサーカーはアサシンを真っ向から殺すチャンスを見逃している。
アサシンは気付いていないだろうが、バーサーカーがアサシンをただ殺すだけなら十回以上殺せている。
彼女がキャスターと接触する前に出会えたことに、バーサーカーは感謝していた。
アサシンの経験不足では手玉にとられるばかりで話にならない。バーサーカーが唯一アサシンに勝っているラック判定には大いに感謝するべきである。
ここでの彼女の査定を、バーサーカーはわずかに誤っていた。
彼女が“狂信者”であると知っていたのなら、おそらくここでの出会いがどれほどの奇跡かわかるまい。だがその誤解が解かれることはない。
実は自身以上の狂気をその身に秘めたアサシンに対し、バーサーカーは口を開く。
「私は狂気を象徴とした存在だ。狂気と人は向き合った時、人は理性を放棄し、正常な判断を下せなくなる。
多くのサーヴァントはその正体を知られることで弱点となるが、私は例外だ。私は私の名を知られることで、その恐怖をその相手に植え付ける。伊達に
私の正体とクラスを知って、安心したつもりだったのだろう?」
「……ッ」
虚仮にされたことにアサシンは腹を立てる。バーサーカーにも腹を立て、そして何より、身構えて置きながらそれに対処できずにいた自分に腹を立てる。
先の過剰反応は、どう言い繕っても取り返しの付かない失態だ。例えどのような猛者であろうと、あのような体たらくを晒しては実力差など関係なく、あっさりと殺されても仕方がない。
バーサーカーにとって、実力差など何の障害にもなりはしない。むしろ相手が強ければ強いほどその弱さが際立ち、驕らせ、侮らせる――
「それが、あなたのスキルというわけですか」
「何を馬鹿な。こんなもの、スキルですらないただの知識だ」
アサシンの言葉をバーサーカーは一蹴する。
そして事実、バーサーカーがやっていることはその程度でしかない。
確かにバーサーカーは自らを過大評価させる技術に優れている。ただし、サーヴァントとしての能力はそこまでで、それをどう活用するかは工夫次第。隙を見せた瞬間に何かが起こるのは恐怖映画の鉄則だ。バーサーカーがやっているのはそれの延長線上に過ぎないのである。
誇るようなことですらないし、実際に劇作家相手には無駄でもあった。
「この程度で動揺して貰っては先が思いやられるな。もっとも、そのおかげで私のマスターは助かったわけだが」
「助かった……?」
「フラットは生きている。直接会ってはないが、間違いないだろう」
なまじ信じがたいバーサーカーの言葉ではあるが、証拠とばかりに渡された携帯電話を覗き見れば、フラットが綴ったと思しき文面がある。
『ちょっと困ってる子がいるから助けてくるね(^^)/ 困ったことがあったら呼びに来て! すぐ駆けつけるから!』
黙って携帯を返却するアサシン。
バーサーカーはそれを無言で受け取った。
誰かがフラットを騙っている可能性は確かにある。だが、「駆けつける」のに「呼びに来て」というセンスはフラットをよく知らねばできることではあるまい。この状況で何故か日本流の顔文字を使っているのもフラットらしい所作である。
「……実に、彼らしい文面ね」
本当に短い時間しか接触していなかったが、アサシンもこれでフラットの生存を確信した。
本来の構想神殿の術者でないアサシンでは、この業のどこに欠点があり不具合があるのか完全に把握しているわけではない。時計塔で長年研鑽を積んできた(?)魔術師であるフラットであれば、わずかな時間で脱出できる可能性は大いにあった。
信じがたいことではあるが。
信じたくないことであるが。
「私としてもフラットを助けに行きたいのは山々だが、いかんせん居場所が判然としなくてね。大方、どこかの結界内にまた閉じ込められたのだろう。仕方なく、私は私で動くことにしたわけだ」
「私にマスターの居所を吐かせるつもりではなかったのかしら?」
「それはこのメールを見たときから考えていなかったよ。私が最初にしたかったのは君という存在の査定だ。フラットを確実に殺さなかった君が、あのフラットの居場所を知っているとも思えなかったからな」
棘のある言葉ではあるが、フラットが生きている以上アサシンが口を開けることはできない。
そして「それに」とバーサーカーは言葉を続ける。
「――私の目的は君達にある」
君達、とバーサーカーは一人で行動していたアサシンに言った。