Fate/strange fake Prototype 作:縦一乙
――スノーフィールド、市内某所。
市内でひっきりなしに鳴り響くサイレンはここでは遠い。同じ市内でありながら、この地域一帯は夜間の人口密度が異なっているためか実に平穏なものである。単に事件が表沙汰になるまで時間がかかるというわけではない。実際、この区画一帯過去10000時間遡ったところで事件は何ひとつとして起こっていない。
一種の結界と言い表して差し支えあるまい。が、そこに魔術の二文字は介在しない。この異常を現実のものとしているのは魔術などではなく、ただの技術のみ。
同じく聖杯戦争に参加する者であるならば、おいそれと尻尾を掴ませる真似は厳に慎むべきなのである。第四次聖杯戦争にて、若かりしロード・エルメロイⅡ世が化け物揃いの参加者の目をかいくぐり如何にして生き残ったのか、この実例を参考にせぬ訳がないのである。
薄暗い部屋の四隅に剣を持った甲冑がじっと見守る薄暗い部屋の中。彼らの守護によるものとばかりに、煌めくモニターやスクリーンからこの場が安全である証拠をリアルタイムで淡々と映し出していた。
スクリーンの中身を理解するのに特にこれといった知識は必要としない。赤が危険、黄色が注意、青が安全、といったわかりやすい色分けである。中央スクリーンに表示されたスノーフィールド全域の地図は幾つか黄色く表示された場所こそあれど、その大部分が青色で統一されていた。
「――つまらんな」
「ええ、まったくですね」
そんな面白くとも何ともないスクリーンにぼやく声がひとつ。芸のない阿諛追従もひとつ。
一人は一面青色のモニターを見つめる眼光鋭い小柄な初老の男性。一人はサイレンだけで叫び声のひとつも聞こえぬスノーフィールドの夜景を眺めるやり手ビジネスマンを連想させる熟年の男性。
二人は、この“偽りの聖杯戦争”を仕掛けた側の人間である。
トップ、ではない。意思決定者とは縁遠い悲しき中間管理職ではあるが、現場レベルで言えば間違いなく最上位に位置している。
黒幕といって差し支えない立場であるが、かつて冬木の聖杯戦争で同じく黒幕然と暗躍した言峰綺礼や間桐臓硯と異なり、彼らは徹底的にこの“偽りの聖杯戦争”に参加していない。
ただひたすらに傍観者であり続け、観察者を気取るのみ。一番近しい立場を挙げるなら、アインツベルンのアハト翁か。
しかしながら、同じく黒幕の一面を持ちながら絶対的に違う点というなれば、彼らは自らの駒に何の期待もしていないことである。
聖杯戦争開始より早数日。すでに幾つかの衝突はあったが、この二人が手を叩いて喜ぶような展開には至っていない。
つまりは、何のイレギュラーも起こっていなかった。
全ては彼らのシナリオ通り。日中市内でサーヴァントが召喚される事態に陥ったことも、協力関係であったはずの繰丘が早々にリタイアしたことも予想の範疇。そしてそれらの事態を見た各陣営が様子見に徹し始めるのも当然だった。
想定通りだ。
だからこそ、つまらない。
観察のし甲斐がない。
「こうなってくるとフェイズ5への移行は悪手でしたか」
男の言葉には様々な意味が込められている。
この場にいる二人ならば、ほんの気まぐれ程度の思いつきで署長が行う必死の努力は水泡へと帰すことになる。いくら署長がフェイズ5移行を宣言したとしても、管理者権限はこちらにあるのだ。
署長の行動を制限するのに苦労はない。理由など幾らでもあるし、作ることだって幾らでもできる。
だが幸いにして、同じ立場にいながらも両者の考えは同一ではない。
「それはいかんよ君。さすがにマナー違反だろう」
「これは失礼を」
半ば予想していたであろう老人の回答に返す言葉は悪びれたものではなかった。
ルール違反ではなく、マナー違反。
実際、彼らが全力で署長のバックアップに回れば一日どころかものの数時間で勝敗は決することになる。ワンサイドゲームほど退屈なものはない。ならば、これ以上退屈にすることは控えるべきだろう。
「それに、だ。このスノーフィールドが火薬庫である事実には違いあるまいよ。何のきっかけで爆発が起こるか予想は難しい」
「それが大爆発であれば良いのですが」
二人は軽く笑い、そして軽く溜息をつく。
予測は難しいが、可能性を論じ、確率を算出することに難しくはない。当然、この二人もその数字を知らないわけがなかった。
現状において何かしらの爆発が起こる可能性はほとんど0パーセントに等しい。一時間後の数字も似たようなものであり、一日後であっても10パーセント程度。天気予報の降水確率のようなものなので時間が経てば経つほど当てにできないが、素人の判断よりかは当てにできよう。
それに、小さな爆発が起こることは聖杯戦争であれば確定的であるが、それが連鎖することはあっても大爆発まで拡大することは稀であろう。
理由は幾つかあるが、その筆頭は署長の存在である。
全てを掌握する彼らに比べて、署長が把握する情報は限定的で確度の低いものばかり。だが現実は攻略本があるわけでもなし、少ない情報から全体を推測し現状にあって最善であろう手を打つことしかできることはない。
聖杯戦争での勝利を目指すための最善最適最短手の評価値を100とするならば、現在の署長の評価値は40から50の間にある。多くの経験を踏んできた優秀な指揮官ですら30前後と聞けば、その凄さが分かるというもの。全知ならぬ身で評価値50に一瞬でも届けば、それは十分神業なのである。
このまま署長の才腕がふるわれたのなら、誰に気付かれることなく知らぬ間に各個撃破されることは想像に難くない。そんなことで大爆発など期待するだけ無駄だろう。
「……やはりフェイズ5への移行は止めさせておくべきか」
「それはマナー違反なのでは?」
あっさりと前言を翻すのに躊躇はない。署長が優秀であればあるほどつまらなくなることは彼ら黒幕の共通認識となった。いや、これは最初から想定されていたことでもある。
欲しかったのは、口実。そして同意。
「アンパッサンやキャスリングがチェスの誕生と同時に存在したわけではあるまい。ここはひとつ、一石を投じてみるのも手だろう」
「致し方ありませんな。しかし我らだけで勝手に事を進めてしまうのも良いとは言えません。然るべき手順に乗っ取る必要がありませんか?」
ここまでのやりとりは別段打ち合わせたものではない。だが、このフリこそが一番重要なところだった。
まあこれくらい察することができねば魔術師ならぬ身でここまで出世することもなかっただろう。この程度のことで老人の機嫌を取ることができるのなら安いものだと男は思案して言葉を紡ぐ。
「確かにな。では、明日にでもスノーフィールドを発つことにしよう。署長への足枷はそれからになりそうだな」
「それが良いでしょう。この場は私にお任せください」
ただの了承だけならば電話でも事足りる。やれやれと思いながら男は欲しかったであろう言葉を投げかける。
どうやら、ようやくこの老体にも危機感という貴重で分かり辛い感覚を抱いてくれたらしい。率直に喜ばしいことだろう。開戦前に抱いてくれればもっと良かったのだが。
夜景を眺めながら男はガラスに写っている自分の口元が歪んでいるのに気がついた。
男は署長を内心高く評価している。
目障りである事実には違いないが、それは署長の高い能力故。そんな彼が当初想定していた予定を一蹴してフェイズを独断で進めたのである。臆病風に吹かれたなどと表向き笑いはしたが、そんな当たり前の感性を持っていたのなら偽りの聖杯戦争なんぞに参加するわけもない。
その署長が早々に最大限安全マージンを取らねばならぬ事態に陥っているのだ。立場上同調するわけにはいかないが、こちらもこちらで警戒せざるを得まい。事前準備は万端であるが、リスクを分散するに越したことはない。
「君はどうするかね?」
「私には私の職務がありますので。ここで私までいなくなってしまえば後が困ることになります」
暗に同行しないと告げておく。現地スノーフィールドへの実質的権限を委譲する形となるが、職務に忠実とあれば無碍にもできまい。
「それに万が一のことを思えばここから道中のフォローも必要です。ファルデウスに護衛させましょう。ラスベガスまでならそう問題もないでしょう」
「いや、あれに貸しを作るのは好かんな。それに子飼いの護衛なら何人かいる」
「……それは、」
いささか不用心なのでは、という言葉を男は飲み込んだ。
ああも大役を務めたファルデウスが今現在ゲーム盤の上にいない理由は、単純に信用されていないだけである。だから権限を制限し、玩具を取り上げ、冷遇する。そんなことをするから怯え逃げ帰る羽目になっているのだと気付かないのである。
「警備が些か手薄になるが、不安かね?」
「……いえ。ご心配には及びません」
老人の言葉はこの場での護衛が少なくなることへの懸念だった。この場所を隠蔽するために防備は最低限に止められている。二人の重役がいるからこそ、今の警備レベルが維持されているのである。
だが男にとってその程度の警備など誤差の範囲内。むしろ警備など邪魔だとすら思っている。認識の違いを改めて感じてならない。
「いつお発ちになさいますか?」
「そうさな。ならば早い方が対処もしやすい。明朝までには出立しよう」
などと言いつつちらりとモニターをちらりと盗み見ていることに気づかぬふりをする。
最重要人物であるアーチャーが明日にも動き出そうとする気配がある。彼の王への最大の対処策は眼中に入らぬことである。如何に王の目が優れていようとも、その範囲は極限られたモノになるだろう。
フム、と男は沈思する。老人の考えは男とそう変わるものではない。アーチャーの危険度を考えれば、安全策は幾らあってもありすぎるということはあるまい。
それになにより、
「幸いにしてジェスター・カルトゥーレの所在が市内に確認できていいます。移動の際には市内を迂回するようお気を付けください」
「ジェスター? ……ああ、脱落者といえど侮るべきではないか。分かった。考慮しておこう」
あまり理解している口ぶりではないが、注意喚起を最低限しただけでも良しとするべきであろう。
ジェスターが脱落した事実はない。単純に令呪を使い切り、サーヴァントとも没交渉なだけである。その事実誤認を伝えるのは簡単であるが、これ以上の説明は老人のプライドを傷つけかねない。
どうせこれからいなくなるのだ。リスクが低いという事実を無理して伝える意味もあるまい。
先に署長の評価値が40から50の間にあるとしたが、ジェスターの評価値は10を下回る。故に老人はジェスターを侮っているわけだが、
聖杯戦争での勝利を目標としないのだから、その評価も当然である。これはこれで、侮るどころか脅威と判ずるべきである。
今この場で思いついた割には準備が整いすぎていたが、それに何か意見を言うことなく老体が退散して行く姿を見届ける。これからのことを考えれば男も一緒にスノーフィールドを脱出するべきかもしれないが、あいにくと男が注視する存在がもう一人。
評価値不明ながら、暫定評価値60オーバーをたたき出しているマスター、フラット・エスカルドスの行方が分からぬのである。
おそらくこちらの情報網が通用しないような異空間に潜伏しているのだろう。完璧に身を隠しているだけに軽々に動く可能性は低いが、好機と見れば躊躇しないだろう。あの老体が餌としてどれほどフラットの興味を誘発するのか疑問であるが、黒幕が序盤から危機に晒されれば実験どころの話ではなくなる。
スノーフィールド脱出時の隙は男にとって看過できるものではないのだ。
老人が用意する護衛が如何ほどのものか不明だが、あのロード・エルメロイⅡ世の直弟子を相手に生半な戦力で相対するなど怖気が走るというもの。老体が無事スノーフィールドから脱出できればそれで良いし、失敗したのならそれはそれで構わない。危険があると判明すればその時は黒幕らしく全力で聖杯戦争に介入するだけである。
「……愚かなことを」
老人がいなくなり人口密度の減った部屋で男は呟く。
この場が安全であると分かっていながら、老人はそれを信用しようとはしなかった。サーヴァントの戦闘力を目の当たりにして事前情報が当てにならぬと悟ったのだろう。相手を過大評価し、そして
いや、と男は頭を振る。
ありとあらゆる技術により確保された安全地帯。直接戦力として配置された警備は最小限。万が一にもサーヴァントに狙われれば到底逃げ切ることなどできはすまい。怖じ気づくのも無理はない。
ましてや、その身に直接被害が出るであろうその瞬間まで、隠密性を重視したこちらの切り札は起動しないよう設定されてあるのだから。
部屋の四隅で剣を構える甲冑を一瞥し、男は低く声を殺して嗤った。
屋内戦闘用自動機械人形。
対英霊特化仕様の
サーヴァント相手でも一対一を三〇秒間保証された竜の骨より削り出された鬼札、それが四体この場にある。
人の身では仮に重武装で乗り込んだとしても無力な装飾品に過ぎないが、周囲一〇〇メートル以内にサーヴァントを感知すれば、この甲冑は究極の護衛へとその身を顕現させることになる。
「さあ来いよサーヴァント。俺はどこへ逃げも隠れもしないぞ」
スノーフィールド市内の一区画。
サーヴァントがただの一体でも踏み込めばその瞬間、偽りの聖杯戦争は終結する。可及的速やかに全サーヴァントはなりふり構わず排除され、事情を知る関係者は早々にいなくなることになる。
それを回避するためには、徹頭徹尾この場に近寄らぬか、遠距離より瞬時にこの地区を焦土とするか。あるいはサーヴァントによらぬ戦力によりこの場を制圧するしかないが――残念ながら、そんな都合の良い情報を知る者なぞ、この黒幕を除いてどこにもいはしないのである。