Fate/strange fake Prototype 作:縦一乙
その初老の男は悩ましげな顔をしていた。
悩んではいる。しかし疲れている様子はない。一見して賢者と見紛う相貌ではあるが、どこか稚気を孕んだその顔は幼子のようにも見える。
そんな老人が、君の存在に、ふと気がついた。
「なんだ、こんなところまで尋ねに来る酔狂がいたのか」
君がここにいることに驚くよりも、この場に誰かが訪れる可能性に老人は驚いている。珍しいことだ。そして珍しいというだけ。有り得ないという程ではない。つまりは、息抜き程度には丁度良い。
そんな老人の都合など知ることもなく、余裕のない君は老人は誰でここはどこかを不躾に尋ねてみる。
しかし老人は自らの正体について触れることはない。
「ここはどこだと? さてな。そんなことを知ってどうする。異空間か、特異点か、平行世界の狭間か。はたまた
――そうだな。強いて言うなれば、これは君の夢の中だ」
夢、と君は繰り返す。
周囲を見渡せば、ここには本当に何もない。老人と厳めしい椅子と机、それに老人の背後には古めかしいダイヤル式の電話。なるほど、夢であれば余計なものを意識できないのも無理はない。電話の色が美しい青であるのも頷ける。
しかし君はふと気になるものを見つける。
机の上にある開かれた本のページに、髪を金色に染めた眼鏡をかけた少女の姿が描かれていた。
アヤカ・サジョウ。
君と似てるかもしれないし、似ていないかもしれない人物。他にも気になる点は多々あるというのに、君はその人物が気になって仕方がない。君はまったく見ず知らずの人物に対し、異常なまでの興味を抱いている。
そんな君の様子に老人はようやく合点がいったと頷いた。
「なるほど。先ほどコーバックと彼女のことについて話していたわけだが、どうやら回線にまぎれてプロトタイプの情報が引き寄せられたようだな。となれば、君を招いてしまったのは私ということか」
老人は君に理解できないことを納得する。
しかし君は未だ理解できずにいる。
「悩むのも当然だ。君は産まれたての雛鳥さながらの状態にある。何も知らないし、何もわからない。本来であれば別途専用に用意されたプレイングマニュアルに則り、刷り込みが行われる筈だったのだろうがね」
幾万幾億も繰り返せばそういうこともあるだろう、と老人は嘯く。奇跡のような可能性であっても、老人にとっては日常の一コマに過ぎない。そこからどう方向性をつけるのかは老人に委ねられる。
もっとも、委ねたところでその結果に老人が頓着することはない。
「しかし君を元のところへと戻すのは手間だ。面倒だが、ここは私が一肌脱いだ方が手っ取り早いかもしれん」
老人はしばし思案し、やれやれと億劫そうに君へと向き合う。
老人は君を元来た道に戻すことなく、君をしかるべき場所へと送り出してくれるらしい。
老人の態度とは反比例するように君は老人に感謝した。
「まず君の知識を問うておこう。“偽りの聖杯戦争”を知っているな?」
老人の問いに君は頷く。
君の記憶にある“偽りの聖杯戦争”とは、『スノーフィールドで行われる六人のマスターと六柱のサーヴァントで争いあうバトルロワイヤル』とある。
そして君はその“偽りの聖杯戦争”の失われた『セイバー』のクラスを補完する存在としてその戦争に参戦することになっている。
君の答えに老人はやや考え込む。そして早々に考えるのを放棄して余計な注釈をいれることなく、君の答えに頷いた。
「そんなところだ。君はプレイヤーとして、その戦争に参加する」
そこで老人はちらりと君も気になっていた本に視線を這わせる。
今の話と彼女がどう関係あるのか、君はわからない。しかし思い切って君は件の人物、アヤカ・サジョウについて問うてみる。
「君が気になるのも無理はない。彼女も君と同一の役割を担う存在だ。もっとも、君が彼女と出会うことはありえない。君は普通であっても、彼女は特別だからな」
君が参加する“偽りの聖杯戦争”には君という
君がアヤカ・サジョウが気になるのもそれが理由だろうと老人は告げた。
君はよく理解できない。
「細かい事はどうでも良い。分かる必要もないし、分からない必要もある」
老人の答えに君は少し不愉快になる。教えを請うている身ではあるが、もっと有益で分かり易い情報を君は欲している。
「仕方がない。ならばその令呪の使い方はわかるな?」
わかる、と君は答える。
令呪は三日前、ラスベガスにて白い髪と白い肌の美女から押し付けられたものだ。
他のサーヴァントとは異なり、常に召喚し続けることは不可能。
一度喚び出して力を行使すれば、令呪と共に加護も消える。
五柱だけ呼び寄せられる、使い捨てのサーヴァント。
使い方によっては、他のサーヴァント達を屠ることも可能だろう。
「呼び出せる英霊はペルセウスやイアソン、スカサハ、ヒュドラといった十数種類の中から選べる。勿論、使い切ってしまえばただの“器”に過ぎない君が生きていられるわけもない。加護を失い退場したくなければ慎重に使うことをお勧めしよう」
老人の助言に君は素直に頷いた。
頭の中には召喚できる英霊のリストがある。それぞれの英霊には簡単な略歴があり、パラメーターも添付されている。それらを参考に君はどの英霊を喚べば良いのか判断できるようだ。
老人は欠陥品に哀れむように、もしくは呆れたような目で君の右手・右肩・背中・左肩・左手にある令呪を順に見る。君はそのことには気がつかない。
「ただし、破格の切り札を持つ代わりに君には四つの制約がある」
令呪があるから制約があるのかは疑問だがね、と老人が独りごちるが、君はその貴重な呟きを聞き逃す。
老人は続ける。
一つ、君は――『エレベーターのある建物に入れない』。
一つ、君は――『時折、血塗れの女の子の幻影を見る』。
一つ、君は――かつて、日本の冬木市という街に住んでいた。
一つ、君は――どうやら何かから逃げてアメリカまで来たようだ。
君がそれらの事象を克服できるかどうか、それもまた君次第だ。
と、何かを思い出すように説明してくれる。
「そうだな、あとスノーフィールドのどこかに『Rin Tohsaka』と刻まれた魔力針がある。序盤で見つければ動くのが楽になるだろう。他に、日本に住む人形師が作った義手もある。腕を失った時には捜してみると良い」
老人の目線が宙を泳いでいる。
そこに君は疑問に至る。
“偽りの聖杯戦争”の情報は机の上にあるのに、何故思い出すような真似をしなくてはならないのか。
まるで、老人の観測しようとしている“偽りの聖杯戦争”と君が参加する“偽りの聖杯戦争”が違うものかのようだ。
そして君の質問に老人は首肯してみせた。
「その通りだとも。私が観測しようとしている“偽りの聖杯戦争”は未来の物語だ。そして君が参加しようとしている“偽りの聖杯戦争”は過去の物語。たとえ起源を同じくしようとも、もはや両者は別物だ。
同じ食材を使っても調理の仕方は料理人次第。メディアが違えば演出も違うし、書き手が異なれば結末も違う。舞台と登場人物が同じでも初期値が異なれば尚更だ」
老人の言っている意味を君は反芻する。
では、二つの“偽りの聖杯戦争”では何が違うのか。
「違いを一つ一つ挙げていくには無理がある。それに子細を語れば君の有利に働いてしまう。プレイヤーの名こそあるが、ゲーム盤の駒に過ぎない君が全体を俯瞰するのはルール違反だ」
既にいくつかそのルールに触れていることに老人は頓着しない。あるいはどうでも良いと思っているのかもしれない。
「……いや、そもそも私以外にとっては比較することには意味がないか。
ふむ。いいだろう。ルールに触れずに違いを挙げるなら……」
ひとつ言葉を句切り、老人は考えながら、あるいは思い出しながら、言葉を紡ぐ。
「君が参戦する“偽りの聖杯戦争”にはスノーフィールド市の他にスノーヴェルク市というものもある。多くの魔術師がスノーフィールドに集まってきてはいるが、その中にフランチェスカと名乗る少女の姿をした魔術師はいない、というくらいだ」
それだけ抑えておけば、“偽りの聖杯戦争”のプロローグは何ら変わりはない。
だから安心して君はプレイヤーとなりたまえと、老人は太鼓判を押す。君は訳の分からないまま頷いた。
署長はオーランド・リーヴという名前かもしれないし、そうでないかもしれない。
キャスターの真名は大デュマかもしれないし、そうでないかもしれない。
曖昧な判断と胡乱な記憶のまま、老人は君にそう助言する。
ただし君がその真実を得ることは絶対にない、と断言する。
その後、スノーフィールドの地理や情勢について基本的な知識を受け取り、君は礼を述べてその場を辞してその身を翻した。
一体どうやって来たのか分からぬまま、君は老人の前からいなくなる。
次に気付いた時、君はスノーフィールドの街の入り口に立っていた。
夢を見ていたような気分だったが、そのことを君は不思議に思わない。
ドラッグストアに入り、君は店番をしていたモヒカン刈りの男に平屋の安いモーテルの場所を尋ねる。外見とは裏腹にフレンドリーなモヒカンは道を教えてくれ、そして君の令呪を「いかしたタトゥー」と褒めてきた。君は愛想笑いをしながら店を出た。
プレイヤーがこの場からいなくなった後、ふと老人はものすごく基本的なことを注意していなかったことに気がついた。
老人が忘れていたのも無理からぬこと。それは老人にとってあまりに基本的で、一般的で、ことさら示唆するようなものではない。プレイヤーがその道に通じていれば、釈迦に説法ということもありえよう。ただの馬鹿なら馬の耳に念仏ということもある。
どうせ今後も幾千幾万幾億ものプレイヤーが誕生していくのだ。そしてそのどのプレイヤーも老人と二度目の接点を持つことはない。
老人が接点を持つ可能性があるのは観測すると決めたアヤカ・サジョウただ一人。一期一会が確定している存在など、いちいち気にするほど暇ではないし、温情もない。
ゲームの基本ルールはレクチャーしたのだ。それだけでも随分な親切だというのに、それ以上のことなど知ったことではない。
駒の動き方を知っていれば、自ずと戦術は見えてくるのだ。それに気付かなければ痛い目に合うだけ。死んだところで老人に迷惑はかからない。
少し気にはするが、気にしただけだった。老人はすぐにその事実を忘れ、自らの作業へと戻っていく。
老人が注意し忘れていた事実。
つまり、令呪は隠すべきという基本戦略。
でなければ、すぐさま敵に発見され、プレイヤーは駆逐されることになる。
プレイヤーの姿を確認したモヒカンが、その後真面目な顔でダイヤル式の受話器に手を伸ばした。そのことを、老人が知る由もなかった。