Fate/strange fake Prototype 作:縦一乙
「ど、ど、ど、ど、どうしよう……」
口に指を咥えて生まれたての子鹿のようにブルブル震えるフラットを隣に、アサシンは呆れながらこの様子を眺め見ていた。
事の発端は戦争終結後に彼へ送られた二通の手紙だった。
一つは、魔術協会から戦争に参加したマスターの一人として、そしてヘタイロイの統率者として送られたものだ。
この“偽りの聖杯戦争”でのフラットとヘタイロイの功績を称えると共に、戦後処理について協会の人間として交渉のテーブルについて欲しいという要望書。フラットが結界の隙間をすり抜けて届けた情報のおかげで協会は政治的に非常に有利な立場を築けたらしい。明言こそ避けられているが、ヘタイロイとは別にフラットへ相応の報酬を用意する旨が匂わされている。
それはいい。
問題は、二通目の手紙にある。
見た目には何の変哲もない手紙だ。だというのにその手紙を見た瞬間、アサシンは何故かおどろおどろしい何かを感じとった。怨念と称するべきか、呪いとでも言うべきか。もちろん、普通の手紙である以上魔力など感じ取れるものではないが、どうしてだろうか、その手紙の中にカミソリが入っていても驚かない自信があった。むしろ入っていないことにこそ、驚きがあったと言っても良い。
一通目には困った顔をしながらくねくね身体を揺らせて喜んでいただけにアサシンもさほど気にはとめていなかった。だがそのテンションのままで差出人すら確認せずに手紙を読んだフラットは喜色で赤くなった顔を一気に死人のような青さへと変えていった。
古代の魔導書でも読んで何か知ってはならないおぞましい事実を知ったようにガタガタと震え出し――
そのまま夜逃げ同然に逃げ出した。
「そんな、先生がなんで、喜ぶと思って……ッ!」
始終、そんな調子である。
一通目についてはフラットがアサシンに読み聞かせるように話していたので内容を把握しているが、二通目についてはどうにも要領を得ない。
言葉の端々から察するに、どうやらフラットは何かとても大きな――それも取り返しの付かないようなミスをしでかしたらしい。それこそ、一通目の将来を約束された輝かしい報奨などをすっぱり忘れるほどに彼は何かを怖れていた。
戦争中であっても常にマイペースであった彼が取り乱すとは、一体何が書かれていたのだろうか?
序盤で別れてしまったバーサーカー以上にアサシンはフラットと交流がない。ただでさえ雲を掴むような性格のフラットを理解できていようはずもなかった。フラットが学生であるということを知ったのですら、つい最近。どういう師の元で何をどのように学び、どういった経緯でこの戦争に参加したのかアサシンはまるで知らないのだ。
彼の功績を考えれば怖れるものなど何もないとアサシンは思うのだが、残念なことにフラットの功績が大きければ大きいほど、彼が公的文書に刻みつけた師の二つ名が凄まじい勢いで拡がってしまうのである。
手紙の内容を簡潔かつオブラートに包んだ感じにすると「大人しくその場で待ってろ」というものであり、読み手によっては気にするものではなかったかも知れない。が、読み手であるフラットはそこにかつて感じたことのない殺意を(ある意味的確に)読み取り、生命の危機――あるいはそれ以上の根源的恐怖を感じ取ってしまった。
聖杯戦争の最中ですら緊張感を持てなかったフラットである。そのフラットがこうして怯えることができたのだから、やはりエルメロイⅡ世は教育者に向いているのだろう。
そんなこんなで、今、フラットとアサシンは飛行機の中にいる。
恐怖に怯えながらもフラットはその天才性を遺憾なく発揮していた。ヘタイロイ各員に時間稼ぎを頼み、囮をバラ撒き罠を仕掛け、欺瞞行動も忘れない。途中偶然遭遇した麻薬カルテルを混乱を起こすためだけに警察と全面戦争させた手際は見事なものだった。
まさかこの逃避行がフラットに対する更なる誤解をジェスターに与え、結果的に破滅へ追い込むことになるとは今の彼女が知る由もない。パスを通じて追跡される可能性を怖れたフラットによってジェスターとアサシンとのパスは完全に切っていたのだ。彼女がジェスターの死を知るのはまだ先……いや、永遠にないのかも知れない。
わざわざフラットに同行する義理もアサシンにはなかったのだが、現界し続けるためには魔力供給が必要だし、今更そこらの人間を襲ってソウルイーターの真似事などできよう筈もない。それに何より、今のフラットを放置するのは危なっかしい。本来のサーヴァントであるバーサーカーが不在であるなら尚更である。
心的外傷ストレスなんて言葉が自然と思い浮かぶ。戦争帰りの帰還兵にもよく見られるというが、フラットをその範疇に含めていいかは悩むところであろう。
(……あなたが手を貸せば、何とかなるのではないかしら?)
内なる声にアサシンは辟易しながら首を振る。確かにアサシンの業を使えばフラットの精神疾患(?)もあっさりと解決するし、もっと根本的な原因を物理的に取り除くことだってできる。
(ま、そうですよね。あのまま英雄として大勢の人間に囲まれるのは好きになれないし、フラット一人なら扱いやすいし)
また別の声も聞こえるが、こちらは無視。自らの声である以上嘘ではないが、直視する必要はない。
数多の宝具を扱い精神を変質しきった彼女であったが――実を言えば、以前の彼女とほとんど変わりはない。
正確には精神の変容はあったが、その全てを彼女は自分の中に造った別人格へ押し付けていた。
アサシンが生前唯一に習得できずにいた宝具、妄想幻像。その再現である。
かのハサンは己が持つ多重人格をベースにこの奇跡を作り出したが、多重人格というベースを持たぬアサシンにそんな真似は不可能なはずであった。
アサシンのように成長段階を終えた者が意識の分離を進めることは普通ならば有り得ない。ある種の記憶や自己感覚を変容させそれを切り離すことなど、強固な精神の持ち主であればあるほど不可能だ。狂信者であれば尚のこと。
自分には不可能だという思い込みもあって、アサシンは同時代に生きたハサンを直接目にしながら、最終英雄と立ち向かうその時までその業を習得できずにいた。
だがそれも過去の話。
生前であれば不可能だった。だが、現代の知識を併せて活用すれば不可能ではない。
メスカリン系の幻覚剤を用いた自己洗脳。これによって人格分裂と類似する症状を意図的に発症させることができる。ライダーの感染を直に目にしてノウハウも獲得、狂想楽園により似たようなことができることは確認済み。いつだったか狂想楽園の毒に耐性がないことをキャスターが嘆いたこともあったが、耐性がないからこそこういう使い方もできるのである。
最終英雄との戦闘の最中に意識を緩慢にする幻覚剤を摂取(しかも初使用)するとは自殺行為に等しいが、これによりアサシンは自分を見失うことなく、思う存分アーチャーの宝具を扱うことができたのである。
フラットがアサシンの心配をしなかったのもこれなら当然であろう。
(私の本質を見抜いたフラットと二人っきりなんて、なんて素晴らしいことでしょう! これは世に言う駆け落ちという奴ではないでしょうか! バーサーカーが同行しなかったのも気を利かせたからに違いありません!)
もっとも、その後遺症はきっちしと残っている。
四六時中開かれる脳内会議は鬱陶しい限りである。特にフラットを異性として声高に主張する別人格には辟易する。これが本当に自分の一部であったかと思うくらい、この別人格の頭の中は花だらけだ。真実の愛を得たと主張しているが、キューピットの矢みたいな宝具を使った記憶はない。
「……ああ、どうしよう、どうしよう……」
だが隣でずっと頭を抱え同じ事を譫言のように繰り返すマスターをみれば、そんなことは些細なことかと断じられるだろう。それでいいとも思わないが。
窓の外に拡がる雲海を誰ともなくアサシンは頬杖を付いて眺める。この下にはスノーフィールドの街もあるはず。そこで繰り広げられた戦いを思い返し、そしてこれから起こるであろう二人の戦いに思いを馳せた。
かつてはこんな光景を見ても心一つ動くことはなかったであろうが、今のアサシンは確かに何かを感じ取っている。単純にいれば、胸が躍っていた。見るもの全てが新鮮に感じられてならないのである。
精神変容は全て別人格へと押し付けたが、令呪での命令や数々の体験を通じて変質がゼロであったわけでもない。これも成長と割り切れば、決して悪いことだけでもないだろう。召喚当時のオリジナルと、そう大きく変わってはいないはず。
自然と、彼女の口角は上がっていた。
それは彼女にとって、幼少時以来忘れていた笑顔というものだった。
世界を見て回ろう、と恐怖の余りついに嘔吐をし始めたフラットの隣で、アサシンは一人静かにそう思った。