Fate/strange fake Prototype 作:縦一乙
その報告が上がってくるのにそう時間は必要としなかった。
「――それが、結果の全てか」
署長の声に落胆の色は隠せなかった。
市内高層ビルにある警察署とは別に構えられた
机に肘をついて指を組み口元を隠しながら、署長は確認するかのように眼前の人物に問うてみた。
署長の前に立っていたのは、先ほどランサーと交戦していた筈の
「申し訳ありません。私の失態です」
署長に対しこちらも落胆の色を隠せない。いや、むしろ現場指揮官としてあの場での行動に悔いがある分、慚愧に堪えない様子だった。
ランサーを結界内に閉じ込めた後、彼ら強襲班は全力で撤退していた。宝具を自律起動させランサーを足止めをし、繰丘夫妻と倒れた仲間を引き連れて全力で逃げただけだ。
宝具はランサーが結界を壊した段階で自壊するよう仕掛けられていた。
結界内に溜められたランサーの魔力と現場に残してきた宝具三つ分の幻想崩壊によって、繰丘邸はその敷地の三割が蒸発することになった。
想定されていた事態ではあったが、だからといって簡単に許容できるものではない。
上空には隠しようもない程でかいキノコ雲が出現し、汚染された魔力が広範囲に撒き散らされる事態に陥っていた。
繰丘が所蔵していた貴重な資料はもちろん、地下にあった霊脈も完全に潰され、今後数十年は草木も生えない不毛の地となることだろう。これでは仮に『次』があってももう使うことなどできはしない。
イスに深く腰掛けるふりをして周囲を眺める。幸いにしてその現場指揮官である彼を責めるような眼をした者は一人もいない。状況を見誤っている者がいないことにひとまず安堵の息が漏れた。
彼の現場指揮官としての行動は決して間違ったものではない。
無形の泥人形というランサーの特性を考えれば、斬撃などによる点と線の攻撃は無意味。むしろ、早期に零距離大規模幻想崩壊を仕掛けて撤退した英断は褒められるべき功績である。
事前に準備していたとはいえ、あの程度の装備でランサーは倒せるような存在ではない。
まともに戦っていいればあっさり全滅するのがオチであり、最悪捕獲され口を割らされることになることも予期された。不用意に敵へ情報を与える真似は慎むべきであり、証拠隠滅も兼ねると考えれば、彼らができることの中では最善策ともいえた。
計算違いだったのは、あれだけの爆発に反して爆心地にいた筈のランサーが全くの無傷であったことか。
観測班からの報告によると、ランサーは爆発の余韻が収まるのを待つまでもなく、焔に焼かれた繰丘邸から何事もなかったかのように立ち去ったという。
ギルガメッシュ叙事詩によれば、エルキドゥの肉体は創造の女神アルルの手によって作られたものらしい。いわば彼の肉体そのものが神の宝具であることを考えれば不思議なことではないだろう。
宝具、
あの爆発に堪えたことからランクは低く見積もってA以上。叙事詩に倣って強大な呪いを用意できるわけもなく、かといって真っ向勝負したところでランサーを傷つけられる手札は少ない。
おまけに用意されているそれらの手札は非常に使い方が限定されているため、おいそれと使用することができないものばかりである。少なくとも街中で安易に使用できるような代物ではない。
「……ランサーの正体、それに宝具を知れただけでも良しとするしかあるまい」
署長の中でそれ以上の言葉が言えるものでもない。
情報が戦局を作用するのは世の常である。ならばこの程度の犠牲で敵の情報を得ることができたのならば僥倖とも言えよう。もし英雄王に対し切り札を切った後にランサーとぶつかっていたなら、どうしようもなかったことだろう。
問題は、そのランサーが、署長達が最大の敵と位置づける英雄王の親友という点だ。
彼らが戦い合うことは間違いないだろうが、それは両者が二人残った場合においてのみ実現する戦いだ。因縁がある以上、出会ってすぐに戦うことは考えにくく、むしろ後顧の憂いを排除すべく協力し合う可能性が非常に高い。
その場合、二人が真っ先に排除しにかかる標的が
ランサーに目を付けられた。この事実が何よりも重い。
「それで……今後は如何なされますか?」
「…………」
部下からの問いに、署長は何も答えられずにいた。
英雄王に匹敵する英霊などそうそういるわけもなく、いたとしても策略を用い互いにぶつけ合わせれば済む話だったのだ。まさか何の打ち合わせもなく共闘関係が構築される展開など、まったくの想定外である。
己が主の沈黙に、周囲の部下は一様にその唇が動く瞬間を固唾をのんで見守った。
彼らだって別に現状が絶望的というほどではないことは理解している。まだこちらの正体を看破されているわけでもなく、温存してある宝具も多数。地の利はこちらにあり、いざとなれば『切り札』を使用すればいいだけのこと。
だが、現段階において
「現状を確認する」
重い重い沈黙を破って、署長は静かに響き渡る声で命令する。
署長の言葉を聞き違えた者は居ない。マスターからの質問に対し襟を正して応えるのみ。
「確認されているサーヴァントは?」
「現状5体。アーチャー・ランサー・キャスター・アサシン、そしてクラス不明のサーヴァントが1体」
「確認されたマスターは?」
「素性が判明しているマスターは署長を含め2名。アーチャーのマスター、ティーネ・チェルク。素性は不明ですが、時計塔の魔術師らしき青年がクラス不明のサーヴァントのマスターと判明しています。更に、先の戦闘の発端となった東洋人を含めると計4名となります」
「撃破サーヴァントは?」
「1体確認。アサシン、宮本武蔵」
「
「3体確認。クラス不明のサーヴァントとランサー、キャスター」
「
「2体確認。ランサー、キャスター」
「現状を把握できているサーヴァントとマスターは?」
「3体確認。アーチャー、ランサー、キャスター。マスターは署長、ティーネ・チェルクのみ」
「我々の損害は?」
「
「……では、」
一呼吸、署長は間を置いた。
「このままでの我々の勝率は、いくらだ?」
顔の位置はそのままに、視線だけを傍らで奥ゆかしい妻の如く控え黙ったままの秘書官へと向ける。
この聖杯戦争における情報のほとんどは彼女に集約される。警察機構から得られる莫大な情報は隊員のフィルターを通して彼女に伝えられ、そこからさらに必要な情報が署長へと受け渡される。
そして不都合な情報はここで遮断されることにもなる。組織の長として、知らない方が良い情報もあるのだ。署長からの全幅の信頼を受けている彼女だからこそ、許される暴挙である。
「……現状での『我々』の勝率は、68パーセントとなっています」
秘書官の口から漏れ出た数字は、現状を理解するのに十分なものだった。
他勢力の者が七割の勝率と聞けば驚愕するだろうが、その認識を署長は持たない。そんなことよりも、重い口を開いた秘書官に署長は更に追い打ちをかけなければならない。表向きの数字よりも、気にするべきはその中身だ。
「その際の
「残存戦力は三割以下。そして署長の生存率は二割以下です」
事実上の全滅といっていい数字に、黙って推移を見守っていた他の
この計画を立案した“上”の面目こそ立てることは可能だろうが、現場にいる
泰然と座したまま署長は皆の動揺が収まるのを待つが、こっそりと、ため息をつく。部下の手前、所作の一つ一つに注意を払わねばならないのが面倒でたまらない。確か、当初の勝率は96パーセントと高かった筈なのだが、とんだ番狂わせである。
伝播した動揺は表向き数秒で鎮まるが、心の内に走った衝撃はそんなもので収まるわけがない。意図して一分、署長は沈思する。その間会議室は物音一つせず、もしかしたら天啓となるかもしれぬ電話もかかってこなかった。
思考の迷路は、意外にも簡単に抜け出ることができた。
「……今夜0000をもって、本作戦はフェイズ3ターン2からフェイズ5へと移行する」
重い重い沈黙を破って、署長は厳かにそう告げた。
静寂の帳が一瞬にして吹き飛ばされる。誰も何も発さないというのに、その動揺は先のものより隠しようもなく、次から次へと伝播していく。
フェイズ1では対サーヴァント部隊を育成。
フェイズ2ではキャスターによる昇華宝具の装備・習熟。
そしてフェイズ3は情報収集を兼ねた部隊の実戦テスト、及びフェイズ4・5への下準備を目的としている。わずか数日でフェイズ3を終了することになるとは思わなかったが、臨機応変に対応するにはこれしかない。
「よろしいのですか?」
秘書官の言葉には様々な意味が込められていた。
「フェイズ3での経験不足は否めないが、貴重な戦闘データは習得し共有もできている。そして実際に戦果も挙げることもできた。残るサーヴァントの探索は続けるが、現状で確認できるサーヴァントに戦力を優先したほうが効率的だ」
「そうではありません」
意図的にはぐらかした署長の回答に、秘書官は皆を代表するかのように詰め寄った。
公私ともに長年連れ添った腹心である彼女が、署長の意図を読めない筈がなかった。それでも、言葉にして問わねばならぬことを署長は口にしている。つくづく良い部下を持ったと署長は思った。
戦後を睨めば、おいそれと隙を見せるわけにはいくまい。
現場の意思統一が必要だった。
「何故、フェイズ5なのですか」
「聞いての通りだ。フェイズ4を実行しない。だから、フェイズ5だ」
「既にアーチャー、ランサーについてはフェイズ4での対応は不可能と判断した。残るサーヴァントも我々の網を潜り抜け続けている一筋縄ではいかぬ英霊だ。徒に時が過ぎればそれだけ我々は不利になる」
「……覚悟は変わりませんか?」
「愚問だ。我々が成すべきことに違いはない。総員、作業にかかれ」
秘書官の最後の忠告を機に、署長は号令を発した。同時に部下達が駆け足で自らの班へと戻り、各部署との連携を確認し始める。先程までの静寂が嘘のように周囲がざわめいてきた。