Fate/strange fake Prototype 作:縦一乙
カルキの前に、ライダーはいた。
それは間違ってはいない。ライダーは確かにカルキ前方数十メートルのところで臨戦態勢にあった。索敵用に使用していた感染飛沫の濃度を極限にまで高めて空間を浸蝕して支配区画を拡げつつある。周囲に極黒の魔力弾を四桁近くも浮かべ、今尚増加中。肉体を駆け巡る魔力はそれだけで警戒に値する。
ライダーはカルキと同じく神の宝具であるランサーと矛を交えている。結果敗北したとはいえ、その経験は決して無駄などではない。相性の悪さを補えるほどの魔力を手に入れ、莫大な処理能力を有効活用できるだけの時間もあった。
今のライダーであれば、もう一度ランサーと戦おうともその結末は分かるまい。アーチャーとだって互することができよう。
カルキと戦う上で、他のどのサーヴァントよりも下地ができていたのがライダーであることに間違いはない。
事実、時間切れとなったがために攻撃こそを行われなかったが、カルキはライダーを英雄神話誕生素体として脅威度を第四位に認定してまでいた。ことこの場において両者の激突が起こらない方がおかしい。
ただ。
ライダーは、この期に及んでその場を動こうとしなかった。
攻撃態勢には入っている。対象を抉り取るライダーの魔力弾であれば、
だが、ライダーはそれを実行に移そうとはしなかった。
そもそも、面と向かって対峙している段階でおかしいのだ。正々堂々を旨とするような騎士道精神などライダーは欠片も持ち合わせていない。力尽くでどうにかなる相手でない以上、ライダーが行うべきは先制であり、奇襲だ。周辺環境を最大にまで利用し、身を隠して敵の虚を突く。
それが最適解。
ランサーを食している間に最大威力で横っ面を叩くことは十分に可能であった。
もっと言えば、ランサーを捕食される前に一撃でも叩き込めば、そこで話は終了だった。
そうした可能性は可能性のまま過去のものへと落ちていく。確かにそれを可能とするだけの実力はあったし、それを判断しうる目も持っていた。賢明なライダーがそんなことを考えつかないわけもない。
しかし実際には、最終英雄を労せず倒せる機会をライダーは指を咥えて見ているだけだった。
ライダーの行動は不可解に近いが、全ての行動に納得なせられる万能なる解答がある。それどころか、一連の行動において最大の謎にだって答えられる。
最大の謎。
つまりは、ライダーがこの場にいる理由。
地下から地上へと飛び上がり撃墜されたカルキの行動を正確に推測するのは不可能だ。カルキ自身だってこの場にいるのは偶然の結果であり、追随するにしてもカルキの運動性能は狂化したランサーでさえついていけなかったのだ。
繰丘椿という器に縛られているライダーがこの場にいるのはあまりに不自然。瞬間移動宝具を備えたアサシンや、空間渡航宝具を持ったアーチャーですらまだこの場にはいない。全員が集合した瞬間にあの地下から全力でこの場に走らねば、この場で両者が会う可能性はない。
本来ならこの場にライダーがいるのはおかしいのだ。
その答えを、繰丘椿は知っていた。
(ライダー、ライダー! 動いて、ライダー!)
必死で訴えるマスターの叫びに、ライダーは応えない。応えられない。
ライダーはおよそ戦闘とは無縁の英霊である。
何故ならライダーは病気という現象を具現化した存在。即ち個ではなく群であるが故に、個体の存続を重視しない。単一戦闘の勝敗に拘泥する必要はなく、全滅を防げればそれで良いのである。
その戦略が、この聖杯戦争では有効に働かない。
マスターという楔はライダーの強みを消失させ根本的戦略の見直しを強制する。礼儀礼節を弁え時に理性的な対応をしていたライダーであるが、それは椿という弱点を守るための一手段でしかない。
で、あるが故に。
ライダーはカルキをその目で見た瞬間、相手と自身の状態を見比べて、潜在能力と勝率を換算した結果、答えを導き出していた。
それは、『この場からの逃走』だった。
後先のことをライダーは考えていない。これより死する者に礼を尽くし義理を果たす必要はないと判じていた。
英霊六騎が最終英雄に勝つ可能性は零ではない。決して高くはないが、賭ける価値はあるだろう。世界の命運の前に過程を選ぶ必要は有るまい。過程を選んでいる状況でもない。そこにはありとあらゆる選択肢が許容されることだろう。
そんなわけがない。
神が許し、人類が許し、マスターが許したとしても、ライダーは許さない。
ライダーは現状を正しく把握している。カルキが何を目的とし、どういう手段でどれほどの能力があるのか。そんな最終英雄を打倒しうる道筋だって見当をつけられるし、実行するだけの能力もある。
ただし、犠牲者の中に繰丘椿の名は確実に刻まれる。
それだけは、許されない。
許すわけにはいかないのだ。
今ここでカルキを倒さねば、人類の大半は死滅し現代文明は崩壊するだろう。しかして救済という御題目を掲げている以上、カルキは人類を全滅させたいわけではないのだ。99パーセントの人類が死に絶えようが、1パーセントの生き残った人類の中に繰丘椿が含まれていればそれで良い。
カルキの目的を正しく認識しているライダーだからこそ、付け入る隙を見いだしたのだ。
人類の未来と唯一の勝機を投げ出して。
繰丘椿が生き残る道を、希望を、ライダーは見いだした。
希望は絶望へ相転移していた。
「うあぁあああああああああああああああああああっっっ!!!」
喉が潰れるくらいの叫声。
胸の中で膨れあがる、得体の知れない気配。
空気が爛れる。
大気が腐れる。
内蔵を裏返しにされような吐き気に、ライダーは襲われていた。
単純にいって、ライダーは『恐怖』していた。
情動的反応に交感神経が興奮し、冷汗が流れ、震え、収縮した抹消血管で顔面が蒼白となり、呼吸が激しくなり、心臓の鼓動が異常に早まる。さらに副腎からはアドレナリンが分泌され、血液が固まりやすくなり、糖分が出ていた。
身体を意志一つでコントロールできるライダーにあるまじき適応不全。
それも無理からぬこと。
今、カルキははっきりとライダーという存在を認識した。認識されてしまった。
これだけの実力差にあってはライダーといえど芥子粒のようなものでしかない。それでも認識したということは、カルキはランサーの捕食により学習したのである。高純度の霊体はカルキ延命の妙薬と化す。その血を啜り肉を貪り魂を咀嚼する。サーヴァントは、うってつけの材料だった。
夜の道は、見えないから恐ろしい。
でも、見えすぎることも恐ろしい。
理解できるというのは、ただそれだけで恐怖を育む。
進化していく過程でライダーは確固とした理性を手に入れてしまった。強固な精神ロジックはおよそ混乱や動揺とは縁遠いが、箍が外れればこんなもの。恐怖で身体は動かず、ありとあらゆる準備も無為に帰す。
ランサーが捕食されたのも、ライダーが恐怖に麻痺していたから。
ライダーが臨戦態勢なのも、魔力弾や飛沫がただ自動生成されているだけ。
選択肢を間違えまくったライダーであるが、同じ間違えを難度も繰り返し間違えるような真似だけはしなかった。
わずかな時間ではあろうが、カルキとライダーが激突するには数瞬の間があった。
反撃に出る隙と、逃げる猶予。
闘争と、逃走。
ここで前者を選ぶようなら、最初から皆を裏切り犠牲に捧げる真似などしないだろう。
1パーセントをゼロにするのは弱い心だ。
その意味では、ライダーはまだ強い心を持っていた。
まるで動こうとしなかった身体が、カルキの巨体が動こうとするわずかな予備動作だけで解き放たれた矢のように動いた。
くるりと身を翻すと、全力でライダーはカルキから距離を取る。煙幕代わりに高濃度飛沫を全力散布し、魔力弾を解き放つ。直進・曲線・乱反射曲進とバリエーションを揃え攪乱しつつ、椿の姿形を真似たダミーを複数放出。身が竦んで動けなかったのが嘘のように次々と手を打つことができる。
これが最初からできていれば何の苦労もないが、土台それは無理な話。
圧倒的格上の存在に『恐怖』するという貴重な経験に、ライダーは急速に進化の
余裕をなくし、形振り構わず動く様は大戦末期の軍司令部を彷彿とさせていた。駆け上った先に待ち受ける『破滅』の二文字を、ライダーはまるで見ていなかった。
いや、あるいは見えてはいるのか。何もしなければ一秒後に訪れるであろう破滅的な未来を回避するべく、そう遠くない未来の『自滅』をライダーは確定させようとしていた。
幸いにして、カルキはライダーをキャスターみたく問答無用に救世剣で消滅させるつもりはない。目的は魔力の補給であり、複数あるとはいえ貴重な補給源を無闇に失うのは愚策過ぎた。
最低でも一体。可能なら全員を捕食し吸収する。
しかも残った補給源の中で、ライダーは随一の獲物。変換効率はC-と決して高くはないが、保有する魔力量が位違いである。下手をすると効率がA+のランサーよりも有益に働く可能性がある。
逃げるライダーの後ろ姿に、カルキは己が肉体へ力を込める。
およそ英霊らしからぬライダーの逃走行為ではあるが、その選択肢はカルキが最も忌避するものだ。敵が最も嫌がることを理解している。故にカルキはライダーの評価を『採集対象』から『獲物』へとシフトさせる。
つまりスイッチを入れてしまった。
次の瞬間には、逃げるライダーにカルキは苦もなく追いついてみせる。途中、何やら硬いものがいくつもあったが、そんなものは小事に過ぎない。
極小距離次元歪曲の重ね掛けによる疑似空間転移、それに自らの防御力を前面に押し出した力技。そうそう乱発できるものではないが、『獲物』相手であれば出し惜しみはしない。
時間こそが、カルキ最大の敵である。
ライダーは最適解を選んでいる。
そして、カルキもまた最適解を選んでいた。
救世剣は大上段に構えられ、絶望の風が唸りを上げる。
ライダーの逃走時間は、一秒にも満たなかった。