Fate/strange fake Prototype   作:縦一乙

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day.10-07 夢

 

 

 繰丘椿の意識はゆっくりと浮上していった。

 温かいシャワーが彼女の頭から全身を濡らしている。汗だくだった身体はシャワーによって清められていたが、身体の疲れはほとんど癒えていない。麻痺した感覚と動きの鈍い身体では、一体どれくらいの時間が経過したのかまるで検討が付かない。考えを巡らせようとすれば意識は頭痛がするほど錯綜し、精密な象を結ばない。

 ライダーがキャスターにシャワーを浴びながら自慰をするとか言っていたのを、うっすらと思い出す。ストレス発散には良いと聞くが、そんな気分にはなれなかった。まだ性欲を知らないというのに、リフレッシュも何もあるまい。その意味では食後の角砂糖やドロップ飴の方がまだ彼女の癒やし方を心得ていた。

 

 降りしきるシャワーを止めることなく、濡れた身体を拭くことすらせず、椿は裸のままに外へと出た。

 夜空に星はなかったが、歩くことに不自由はない。ここは繰丘椿の庭である。どこに何がありどんな色でどんな形でどんな材質なのか、果ては微少な傷のひとつひとつだって記憶している。そしてそれは事実となる。

 

 繰丘椿は、思い出している。ここで何があり、誰がいたのか。

 

 庭は決して小さくはない。子供が走り回るのに十分なスペースが確保されており、庭の隅には遊具が置いてある。滑り台やブランコやジャングルジム。そしてシーソーなど一人では遊べない筈の遊具もある。

 数日おきに打たれた注射の痛みを覚えている。この程度の痛みなら最初から我慢するほどでもなく、体内で虫が這いずる感覚すらも、不快感を覚えながらも泣き喚いたことはなかったはずだった。それなのに泣き喚く声が耳に残っている。

 

 今は誰もいない。

 心の奥底からも追い出してしまった彼等彼女等を、椿が本当の意味で思い出すことはできないだろう。確認するだけならば「Failure」とラベルの貼られた地下のガラス瓶を見れば事足りるが、それを行う勇気はさすがになかった。

 いずれは直視しなければならない問題を、せめて認識だけしながら、繰丘椿は溢れ出しそうになる涙を拭う。

 

 風は息を潜め、木の葉や草花も口を噤み、全てが静寂の底に落ちている。

 誰も共有できぬ孤高の世界が――繰丘椿だけの魔術が、復活していた。

 ここは、夢世界。

 崩壊したはずの、繰丘邸。

 

 繰丘椿は自ら望んで、再びこの夢世界を現出させていた。

 再現自体は比較的簡単だった。椿の魔術回路は脳内の細菌共々、ライダーによって拡張し増強されている。意識を集中させ落ち着いて魔術回路を回せば、あっさりと夢世界の扉は開かれた。

 難しかったのは、それをライダーに悟られぬよう動くこと。第一の令呪で命じられた「夢世界の消失」はその定義が曖昧であったため、今もまだその命令が続いている可能性があった。確信が持てぬ以上、こっそりとやるより仕方なかったのである。

 周囲を見渡し、ライダーの気配がないことを改めて確認する。

 ライダーなら椿のこの世界にも干渉できる筈である。それがないということは、未だ気付いていないということだろう。そのことに一抹の不安を覚えながらも、心の奥底ではそれを期待している自分がいる。

 

 どうしようもなく、寂しさを感じていた。

 時間感覚が完全に狂っているのが自覚できる。現実世界でキャスターとライダーが原住民要塞の食堂で話していたのはつい数時間前であるが、この夢世界ではもう何日も前のように感じてしまう。

 現実世界を意識し少しでも気を抜けば、すぐにでもこの世界は崩壊してしまうだろう。これからのことを考えれば、以前のように安易な逃避をするわけにはいかなかった。

 椿にはこの夢世界を作り出す魔術がある。

 そしてこの世界なら、現実で会えぬ者にも会うことができる。

 

「……ん、ああ。ごめんね。銀狼のこと、忘れてたわけじゃないよ」

 

 椿の内心を察してか、いつのまにか銀狼が背後にお行儀よく座っていた。手を伸ばして顔を撫でれば気持ちよさそうに目を瞑る。

 言葉の通じない銀狼が一体今どういう状況になっているのか、椿には分からない。だがこの世界に招くには、相応に弱っている必要がある筈だった。労せず喚び出せたということは、銀狼の身体は相当に弱っていることを意味している。

 

 もはや一刻の猶予もあるまい。

 急ぎ、銀狼を助ける算段を付ける必要がある。

 以前の椿なら、さっさとこの夢世界を抜け出し、この事実をライダーとキャスターに告げたことだろう。せっかく再構築したこの夢世界はライダーに壊されてしまうかもしれないが、この情報で状況が多少なりとも動くのならそれも悪い選択肢ではない。

 けれど、

 

「ごめんね。もう少しだけ、この世界で我慢してね」

 

 それでも、繰丘椿は銀狼に酷な言葉を投げかける。

 椿は気付いている。

 ここで安易な選択をしたところで、それは結局他者頼みでしかない。

 ライダーの力に任せ、キャスターの知恵に頼る。椿は両者にチップをかけているだけで、結局何の貢献もしてはいない。むしろ余計な情報を与えることで両者を困らせることにもなりかねない。

 ライダーのマスターとして、繰丘椿は繰丘椿にしかできぬことを最大限してはいないのだ。

 

「アサシンのお姉ちゃんは何とか喚び出せたんだよ、なら、フラットのお兄ちゃんだって喚び出せるはず。ランサーさんだって、生きているんだからお話だけでもできるかもしれない……!」

 

 椿にしかできぬこと。それは未だ現実世界で接触できずにいるランサー、アサシン、銀狼、署長、ジェスター、フラットをこの世界に引っ張り込み、情報を持ち帰ることである。

 幸いにしてアサシンはすぐにこの世界へ喚び出すことはできた。あまり有用な情報を持ってはいなかったが、署長の生存とジェスターの動き、そしてこちらの救出計画を伝えることができたので上首尾であろう。

 問題は、その召喚が椿に過度な負担を強いるものだということか。

 たった数分間アサシンを喚び出しただけで、椿は内臓を裏返しにされたような吐き気と地面を失ったかのような目眩に襲われた。背中に伝う気持ち悪い汗はその後暫く止まることはなく、夢でありながら意識の混濁が甚だしかった。アサシンを喚び出したことが数年前のことのように思えてくるし、話の内容だってもう自信がない。

 

 この世界は徹頭徹尾、繰丘椿だけのための世界だ。そのため他者が入り込む余地など皆無に等しく、他者を受け入れる寛容さも絶無に等しい。自らの狭量さを突きつけられたような気分になる。

 ライダーがあんなにも簡単に他者をこの夢世界に引きずり込んでいたので勘違いしていた。あれは感染というライダーの能力があったればこそできた非常識だ。

 

 ライダーは椿とのパスを通じて夢世界に入り込み、感染者はライダーというとっかかりを得て夢世界に喚び出される。その一連の行為に必要とされる魔力は、その感染者がライダーを通して負担する仕組みとなっていた。

 人によってそのコストは様々だが、英霊クラスになると尋常ではない魔力が必要となってくる。銀狼がランサーを喚ぶのに令呪二画分を消費したのも、そのあたりが理由だろう。

 

 サーヴァントをこれ以上夢世界へ喚ぶのは、いくら椿の魔術回路が特殊で増強されていようとも無理だ。拷問により弱ったアサシンでこの消耗であるなら、ランサーなどとてもではないが無理だ。いかに魔力があろうと、その負担に身体がもたない。

 せめてフラットだけでも喚び出せないかと椿は意識を集中させる。あの破天荒な男は色んな意味で規格外だが、コスト的な意味ではただの人間と変わりはない。それなら、まだ可能性があった。

 

 夢世界から現実世界へアクセス。魔力の波を打ち込み、その反応から対象を精査する。反射、屈折、揺らぎ、吸収率などを計算する必要があるが、夢世界に街一つを再現させた椿である。スノーフィールドという限られた範囲であれば、繰丘椿の手から逃れられる者などいはしない。

 先に聞き及んだ通りアサシンと署長、そしてジェスターらしき反応がスノーフィールドの地下に。その更に下にランサーが。銀狼の反応もその近くにあった。アーチャーの独特で強力な反応はやはりどこにもない。

 

「あれ、おかしいなぁ。フラットのお兄ちゃんがどこにもいない……」

 

 呟き、椿は己のミスのせいだと何度となく魔力を打ち込みその反応を探し続ける。生きてスノーフィールドに存在すれば必ず椿の網に引っかかる筈。生きていることを前提に動く椿は、死亡という可能性に目を背けていた。

 つい先程汗を流したばかりだというのに、椿の身体は汗だくになっている。平衡感覚こそまだ失ってはいないが、頭は狂うくらいに痛いし、心臓ははち切れんばかりに鼓動を刻んでいる。

 この夢世界を維持するだけなら苦労という程のものはないが、現実世界に少しでも干渉しようとすれば、その難度は一気に跳ね上がる。喚び寄せることに比べれば大したことはないが、それでも椿には相当な負担になっている。

 

 そんな椿の様子を、銀狼はじっと見つめ続ける。

 銀狼はこの夢世界に存在するだけで、椿にとって小さくない負担となる。さっさとこの世界から追い返せばそれだけ負担が減るというのに、それを椿はしようともしない。理由はたくさんあるが、決して銀狼を慮っているだけではない。

 

 人の精神は、それほど強くできてはいない。

 この世界は既に完成されている。繰丘椿はその気になれば数日だろうと数年だろうと、永遠にここに引き籠もることもできる。だがそんなことは不可能だ。人間は一人だけで生きていける生物ではない。

 銀狼は椿が現実世界を忘れず、そしてこの世界を維持し続けるための楔だった。

 だから銀狼は椿に負担をかけぬよう下手に動かないし、椿が孤独に打ち拉がれぬ程度にその存在感を演出する。甘えるような真似も慎み、ただ椿の傍らでその孤独だけを癒やし続ける。

 

 何も無ければ、椿が力尽き倒れるその瞬間まで銀狼は動くつもりなどなかった。

 その銀狼の耳が突如として動く。匂いなどないこの世界だがイヌ科の動物の癖か鼻をひくつかせ、視線が椿から逸れる。そしてその足にひっそりと力が込められる。

 夢世界で気配を隠すことは至難の業である。椿と銀狼以外誰もいない静止した空間は、ちょっとした変化でも殊更に目立ってしまう。銀狼の感覚器官であれば、周囲一〇〇メートルに何かあればすぐに気がつく。それ以上の距離であっても違和感くらい拾えるだろう。

 

 しかして分かり易い変化は銀狼の視線の途上、ほんの数メートル先で起こっていた。

 銀狼がすぐ傍らに動いたことで、フラットの探索に集中していた椿も異変に気付く。手を休ませ顎を伝わり落ちる汗を拭いながら、銀狼の視線の先を追う。そこではたと椿の思考が停止した。

 柔らかな感触、温もり。そして、

 

「椿」

 

 優しく自分の名を呼ぶ声。

 薄暗い闇の中であっても、見間違う筈もない。

 母のような慈愛に満ちた顔で顕現し、その両腕で椿を抱きしめたのは、一人の少女。

 砂漠地帯でデイジーカッターの一撃に巻き込まれ瀕死の重傷を負い、今もまだ意識を取り戻せぬ原住民族長。

 ティーネ・チェルク。

 今椿が最も心配し、そして最も会いたくない人物。

 

「椿」

「……」

「よく頑張ってるわね」

「……」

「無理しては駄目よ」

「……」

「一人でここまでできたのね。偉いわ」

「……」

 

 優しく椿を抱きしめ頭を撫でながら、労り続けるティーネ。しかして抱かれる椿の顔は複雑なものだった。涙が目に溜まり、声が喉元まで出かかっていた。驚いたのは一瞬、歓喜したのも一瞬。けれど、その次に訪れたのはただの沈黙だった。

 心のざわつきを、椿は抑える。溢れ零れそうになっていた涙を拭う。出かけた声は、ただの溜息となって外に出た。

 

「――お姉ちゃん」

「なぁに?」

 

 たっぷり一分は黙った後、椿は言う。

 

「黙れ」

「……」

 

 椿の『命令』に、ティーネはその張り付いた笑みのまま、従った。

 その言葉を真に理解しかねる銀狼も、「それでいいのか」と視線を送る。繰丘椿とティーネ・チェルクの関係は、銀狼だって理解している。こうも冷たい関係などでは決してない。

 

「……いいんだよ、これはお姉ちゃんであって、お姉ちゃんでないんだから」

 

 判然とせぬ理由を告げられても銀狼が分かる筈もない。だが、銀狼は分からずとも、椿は確信していた。

 この『現象』には心当たりがあった。

 椿がライダーと出会い最初に行われたのが、椿の理想的な家族を演じる父と母の召喚だった。本人の意識を奪い、自らにとって都合の良い役者として配置する。幼子がママゴトをするのと同じである。

 

 幼子であれば、騙せたのだろう。

 以前の彼女であれば、騙せたのであろう。

 しかし、現在の繰丘椿は、騙しきれない。

 

 冷静に、冷徹に。

 現実を俯瞰し、有り得る状況を確認し、持ちうる手掛かりを繰丘椿は分析する。

 ティーネ・チェルクがこの夢世界に来る可能性は充分にある。過去にライダーを介して招いてしまった実績もあるし、今の彼女は重傷で意識もない。銀狼と同じように『招きやすい条件』を揃えてしまっている。

 無意識に彼女を喚び出してしまった可能性もあったが、椿は己の負担を検証しながらそれはないと結論を出した。許容範囲内だとはいえ、銀狼だけでもこれだけ負担になるのだ。なまじ魔術使いとして優れているティーネを招きながら、椿の負担が増えないわけがない。

 それに何より、ティーネはあのような笑顔はしない。

 

「これは多分、私の中にあるお姉ちゃんの記録。そしてそれを基にした願望。……ごめんね。銀狼だけで充分なのに、こんなの作り出しちゃって」

 

 椿は自らを抱きしめてくれるティーネを、目蓋の裏にある残像と判じた。

 これは喚び寄せた者ではない。

 これは作り出したモノなのだ。

 だから、彼女はその腕を振り上げる。

 ここは繰丘椿の世界。ましてや無意識とはいえ彼女が作り上げたモノだ。これを消し去ることは容易い。

 砂の城を崩すのは、簡単だ。ただその腕を振り下ろせばいい。幻影は抗うことなく消失することだろう。幻影なのだから、障子紙より容易く破れよう。

 

「――――」

「……」

 

 椿の願望を体現しているティーネ・チェルクは、椿の振り上げた手に抗うことをしなかった。

 代わりに抗ったのは、傍らで事の推移を見守っていた銀狼である。

 椿の振り上げた手を邪魔するように、その身体を二人の間に挟む。端から見ればただ甘えているようにも見えるが、聡明な銀狼がそんな理由で動くわけがない。

 銀狼が、椿の顔を舐める。そこでようやく、椿は自らの顔が強張っていることに気が付いた。

 

 紙を一枚破るのに苦労はない。

 しかし、その紙が契約書ともなれば破っていいものか躊躇もしよう。高価な芸術品であればその価値は無視できまい。貴重な資料であればその意義も考えよう。恋文であれば、気持ち次第だ。

 一枚の紙切れでさえそうなのだ。知恵の実を食した人は、何も考えず何も意識することなく、単純に消すことはできまい。今の繰丘椿も、その例外ではない。

 

「……――うん、そうだね」

 

 銀狼が何を言いたいのか、繰丘椿は勝手に解釈する。

 この世界は繰丘椿の世界だ。そこに現れたモノが、望まないモノである筈がない。

 

「創造主だからといって、勝手に消していいもんじゃないよね」

 

 そして、親が子に何をしていいわけでもない。

 つい先程、自分の過去を振り返ったばかりだ。そして未来を見据えるために逃げないことを決めたではないか。両親と同じ轍を繰り返すのは反省がないのと同義だ。

 己の弱さの象徴ではなく、己を強くするための礎として、繰丘椿はこのティーネ・チェルクの存在を認める。

 いつか現実のティーネ・チェルクと出逢う、その為に。

 

「……何をして欲しいのかしら?」

 

 黙れと言われた筈のティーネが、創造主の命に逆らい沈黙を破って問うてくる。それがまた、椿の琴線に触れてくる。強くなる礎だからといって、甘えてならない理由はあるまい。

 

「じゃあ、膝枕」

「はい」

 

 そして、繰丘椿はしばし精神の休息を得た。

 寝息を立てるまで、時間はかからなかった。

 

 


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