Fate/strange fake Prototype   作:縦一乙

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day.02-01 目覚め

 

 

 長く、彼女はその痛みに耐えてきた。

 

 身体が傷ついていたわけではない。

 病魔に冒されていたわけでもない。

 この痛みは――存在するための証。

 

 生きる、ということはそれだけで茨の道を歩むことだ。

 喜びがあり、苦しみがある。それこそが生きるということ。

 だが、果たして彼女の生に喜びがあったのかどうか。

 

 彼女の人生は全て神のためにあった。

 その過程における悦楽は圧倒的に少なく、神に捧げられるものではない。

 その過程における苦痛は圧倒的に多いが、神に捧げていいものではない。

 神のためと叫びながらも、その実彼女は神へ何も捧げてはいない。

 狂信者と呼ばれながらも、その実彼女は神へ己を捧げてはいない。

 ただひたすらに、必要とされるその日のためだけに、彼女は邁進していた。

 

 結論として、彼女が神に求められることはついぞ来なかった。

 彼女がいじめ抜いてきた体は、全て無駄に終わった。

 彼女が得てきた十八の秘技は、全て徒労に終わった。

 彼女が長年培ってきた信仰は、何の意味ももたらさなかった。

 

 それでいい、と彼女は死の間際に思った。

 自身が必要とされる状況でない、そのことに満足した。

 

 彼女の存在を恐れた長老達は、彼女を封じ込めることにしていた。

 暗殺者と育てながら一切の仕事を与えなかった。

 血脈を絶つため生涯男と交わらせなかった。

 後継者すら残さぬようその秘技を次代へ継がせることすらも禁じた。

 後世の記録の中にすら――彼女の存在はどこにも記されていない。

 

 自身の生きた証をついぞ残すことなく、彼女は誰に看取られることもなく旅立った。

 もう二度と目覚めることはない。

 そう思えば、自身の生涯としては、そこまで悪いものではなかった、と思いながら。

 

 

 

 

 ……音が聞こえていた。

 耳慣れない異国の言葉と靴音と楽しげな笑い声。規則正しく刻まれる時計の音に、時折交わる鳥の囀り。

 

 ぼんやりと、耳だけを覚醒させていた。まだ頭には霞がかかっている。手足は未だ覚醒に至っておらず、呼吸ひとつに激しい疲労感すら覚える。意識がそのまま沈んでしまうのも、時間の問題かと思えた。

 だと言うのに、彼女の目覚めを認識させた声が、間近で聞こえてきた。

 

「ああっよかった! 気がついたみたいだね!」

 

 一体どこから判断したのか。外観的には何の変化もなかった筈。覚醒にはまだしばしの時間が必要だと判じ、このまま無視を決め込むも、声の主はそれらをまとめてきれいに無視してみせた。

 

「っ、――――――」

 

 口元に、水が運ばれた。

 渇いた喉に確かに水は心地よく、不覚にも幾ばくか口へ含んでしまう。決して多くはないそれは体に乾きを自覚させ、それ故に彼女の意識を急速に表層へと押し出すことに成功していた。

 

「――ぁ」

 

 遠慮なしに含まされた水を嚥下し、二度と目覚めぬと思っていた瞼をうっすら開けてみれば、そこには見知らぬ天井が存在した。

 気温は温かく、日は既に高い。カーテンすらない窓から空気が流れ込み、彼女の前髪を撫で伝う。

 

 彼女が寝ていたのは、固いスプリングながら確かにベッドと呼ばれる寝具の上だった。汚れてはいるがこの部屋唯一の布生地の存在を自らの上に感じながら、彼女はゆっくりと確実に意識をその身体に浸透させていく。

 

「大丈夫? 長い間目を覚まさないから心配したんだよ!」

 

 傍らで騒いでいたのは、水差しをもった青年。再度水差しを口元に持ってこられるがそれを彼女は首をふって断った。まだ体は水分を欲していたが、満たされることには抵抗がある。

 

「――あなた、は?」

 

 聞いて、彼女は青年を観察すると――身体の覚醒に引きずられるように記憶も朧気ながら甦り始めた。

 記憶を辿り、心当たりであるところの、彼の手に浮かび上がった刻印に注目する。

 莫大な魔力が秘められた、三画の独特な模様。

 令呪。

 

「俺の名前はフラット。フラット・エスカルドス。この聖杯戦争でバーサーカーのマスターをしているよ」

 

 実にあっけらかんと、フラットは彼女――アサシンに自身の正体を明かして見せた。

 そういえば、とアサシンははっきりと思い出す。

 確か、マスターを二人浚ってきたのだったか。

 その内の一人が、この男。

 

「――っ、あ……?」

 

 身体が反射的に動こうとしていた。何をしようとしたのか、アサシン本人にも分からない。そして分からぬままに、彼女はその瞬間雷に打たれたかのように、その身体を震撼させる。

 

「あっ、ぐっ――」

 

 我が身を蝕む電流はすぐに収まるが、胸元の激しい痛みは収まらない。痛みには慣れている筈だというのに、今日の自分は何故だか痛みを逸らすのが下手である。これは一体どういうことだろうか。

 まるで自分が自分ではないみたい。

 

 ベッドから起き上がるのも難しいアサシンをフラットが介助する。礼をする間も惜しんで自身の胸元を覗き見れば、引きつるような痛みの上から回復呪詛を描かれた包帯が幾重も巻かれている。

 

 二人を浚う直前に、あのサムライサーヴァントの爆発に巻き込まれた影響だ。あの爆発で武蔵の短鎗の破片が胸元に食い込んだのだ。

 

 あの時、アサシンは武蔵の傍で霊体化して気配を殺して隠れ潜んでいた。爆発のあった瞬間も敢えて防御することもなく、酷い怪我を負いながらも気配遮断を続行していたのである。そのおかげでバーサーカーの探索も潜り抜け、あのベストなタイミングで二人を浚うことができたのだ。

 

 が、こうして時間が経ってみるとアサシンの予想よりも遙かにダメージはでかい。収穫はあったが、その後二人を拘束することもできず倒れたことも考えると、これはまぬけとしか言いようがない。

 

 自らの不調をそう解釈し、アサシンは自身の身体を急ぎ調査してみる。

 服を着ていないのは些細な問題だ。身体のあちこちにダメージがあるが、そこまで問題ではない。問題となるのは胸元にうけた傷だ。これだけで彼女の能力を三割近く低下させている。完全回復にはまだ数日ほど必要とするだろう。そして一番の問題である魔力については……

 

「ごめんね、手当するにも服を脱がさなくちゃならなくて……」

 

 フラットは顔を赤らめアサシンから目を逸らしながら、手当てしたことではなく服を脱がしたことを詫びていた。何かずれている印象を受けたが、この事態に比べてみれば些事に過ぎない。

 彼女はフラットを鋭く睨み付けながら、詰問する。

 

「それについてはかまいません。それよりも……これは一体、どういうことですか?」

「これって?」

 

 アサシンが言わんとするところに心当たりがないのか、フラットは首を傾げる。

 彼がしたことといえば、この場に連れて来られるのと同時に倒れた彼女を介抱しただけだ。サーヴァントだから親しくなりたかったし、傷を癒やす術を持っていたから治療した。彼にとって、それは何ら問題のない行為である。

 

「惚けないでください。誤魔化さないでください。巫山戯ないでください」

 

 アサシンが激高するもフラットに響いた様子はない。それが、ますますアサシンをいらだたせる。

 引きつるような胸の痛みを忘れたかのように、アサシンは声を荒げた。

 

「何故、私の魔力が全快になっているのですか……!?」

 

 アサシンの言葉通り、現在の彼女の魔力量は召還された時と同じ、いや、それ以上の魔力を体内に留めていた。

 思い出してみれば、彼女がそもそも倒れてしまったのは蓄積された疲労と胸元の一撃、そして召喚後から幾度となく使用してきた宝具による極度の魔力低下が原因である。ここまで深刻な魔力不足になれば例えマスターから魔力が供給されていたとしても一朝一夕に回復するわけがない。

 

「――ああ。うん」

 

 そんなアサシンの疑問に、フラットはまたも軽く、事実を告げる。

 

「怪我の治療に必要だったから、君と僕とでパスを繋げたんだよ」

 

 ごめんね、とフラットは舌を出してちょっとした悪戯程度の謝罪を彼女に告げた。

 無論、この行為がいかに出鱈目なことか、この聖杯戦争の全てを壊そうとした彼女であっても理解できる。

 

 この男は、あろうことか令呪による束縛なしで、サーヴァントと契約したのである。

 

 これには、二つの偶然が重なっていた。

 一つは、彼女とそのマスターであるジェスターが完全な契約を交わしていなかったことだ。不完全な契約によってパスが安定せず、第三者が介入できる余地を残してしまっていた。

 もう一つは、フラットがこのマキリが完成させた令呪の契約システムを少なからず把握していたことがあげられる。第四次聖杯戦争にマスターとして参加したフラットの師の師であるケイネス・アーチボルトはこの契約システムを解析し、その魔力供給パスと令呪の命令パスを分割することに成功していた。その時の資料をフラットは断片だけであるが時計塔で見た覚えがあったのである。ケイネスの孫弟子である彼だからこそ、このような偶然が生まれたともいえる。

 

 とはいえ、状況的・技術的に可能であるとしても、敵サーヴァントを助けるフラットの思考は常識的に考えて理解しがたいものなのは間違いない。

 令呪による命令パスを同時に繋げるならともかく、魔力供給パスだけを繋げることに意味はない。

 サーヴァントは令呪があるからこそ仕方なくマスターに従うのだ。命令権のないマスターは、殺されないとしても死なない程度に眼を抉り耳を潰し喉を斬り四肢を潰され拘束されたとしても文句は言えまい。

 

「正気ですか、あなたは……」

「だって怪我してたしさ」

「この程度の傷ならばまだ幾ばくか猶予があります」

 

 アサシンの言葉ももっともだ。

 確かに無視していいダメージではないが、今すぐ消滅するほどのものではない。消滅までに猶予があれば、手段を選ばなければいくらでも対処ができる。

 ましてやフラットはすでにバーサーカーのマスターである。バーサーカーに加えてアサシンにまで魔力供給をしようとすれば、負担は単純に二倍――どう考えても数日中に自滅するのがオチである。

 

 けれども、そんなアサシンの言葉にフラットは首を横に振った。

 

「関係ないよ。他人が傷ついていて、自分には治す術がある。なら、俺は治してあげようって思うんだ。

 だって、痛いのってイヤじゃない?」

 

 そんな的外れな意見ではあったが、フラットの言葉に嘘偽りはなかった。そこに自身が殺される可能性を欠片も考慮していない。思いつきさえしていない。純粋なる善意だけで、彼はアサシンを救うことに決めたのだ。

 馬鹿げた行為と人は笑うだろう。だが、そんな愛すべき愚か者を彼女は幾人も見てきたのだ。

 

 自身のことを顧みず、ただ純粋に人のために尽くす者達。

 彼らの多くはアサシンとは異なる教えと異なる神を持っていたが、その行為そのものを間違っているとは思わない。憎むべきは異教と異端、そしてそれを扇動する者であり、その信徒本人ではないのだ。

 

 この青年を殺したくはない。

 聖杯戦争を破壊することがアサシンの目的であり、その意味では目の前にいるフラットは破壊目標の一つではある。とはいえ、この愚かなまでの善意を見せつけられては例え異教徒であろうと無闇に殺すのはアサシンの意に反している。

 

「……もし、生きてこの戦争を脱することができたなら、改宗することを薦めます」

「? よく分からないけど、考えておくよ」

 

 アサシンの薦めにフラットは軽く頷いてみる。宗教に関して特段興味はないが、それでも神と名のつく者に敬意を示す程度のことはできる。

 フラットの答えにアサシンは安堵した。

 これで心置きなく、

 

 彼を排除することができる。

 

「どうし――」

 

 アサシンの異変を感じたのか、フラットがわずかにアサシンの側へ身体を傾け、アサシンが伸ばした手を何の疑いもなく握りしめた。異変を攻撃と思わないことに一抹の裏切りを覚えながら、彼女は力在る言葉を発した。

 

【……構想神殿……】

 

 一瞬、周囲に風が発生した。それは彼女が漏れ出た魔力の余波だ。そよ風程度ではあるが、風は部屋の隅々をわずかに洗い、そして静かに消えていった。

 後には、一人残ったアサシンがいるばかり。

 

 フラットの姿は、どこにもない。

 

 現象としては、先に二人を浚った回想回廊とまったく同じだ。唐突に人が消えていなくなる。ただ違う点と言えば、回想回廊は「どこかに出る」のに対し、構想神殿は「どこにも出ない」。

 この業は発動してしまえば他者に抗う術がないのが利点である。強力な対魔能力があろうとも、問答無用で他者を影も形もその場から消し去ってしまう。零距離でなければ使用できないのが欠点だが――このスノーフィールドに集まってきた魔術師程度ならば、何の問題もない。ティーネ率いるスノーフィールドの戦士程度の実力であれば、誰に気づかれることなく、まとめて痕跡すら残らず消し去ることが可能だ。

 

 惜しむらくは、使用したアサシン自身が痕跡がないという痕跡を残していることに気付いていないことか。この静かなる蛮行が巡り巡ってティーネに疑念を抱かせアーチャーを動かしたなどと、彼女が知るのはかなり先の話である。

 

「……願わくば、彼に幸いを……」

 

 わずかな時間、彼女はフラットのことを思い祈りを捧げた。

 フラットを消し去る必要はなかったかもしれない。しかし聖杯戦争に関わる以上放っておくわけにもいかなかった。可愛そうではあるが、他のサーヴァントに出会う前にこうしてやることが、最善ともいえよう。

 盤上の駒を排除する方法が慈悲に溢れたものとは限らない。

 

 祈り終われば、あとは身体に鞭打ちベッドの上で軽く動いて調子を確かめる。

 痛みを無視すれば戦闘行為も不可能ではない。一番の問題であった魔力の供給が解決してしまえば、身体の不調など些末なことだ。魔力さえあれば対処のしようは幾らでもある。フラットから貰ったせっかくの魔力だ。大切に使わなければ――

 

「……大切に使わなければ?」

 

 ふと、自分の思考にアサシンは違和感を覚えた。

 何かが、ひっかかる。魔力の供給が覚束ないのだから、大切に使うのが当たり前――そんな常識的な思考に後先を考えぬ筈の狂信者は納得した。あるいはもっと時間があれば違和感の正体に気付けたのかもしれない。

 

 幸か不幸か、アサシンがその答えに辿り着く前に、それを中断させる者がいた。

 

「……侵入者」

 

 相次ぐ状況の変化や考察の途中であっても、彼女の優秀な感覚器官は黙ることをしなかった。

 彼女の頭の中で優先順位が組み変わる。よくわからぬ違和感よりも、現在進行形で対処が必要な事案の方が重要なのも当然であった。そして下位に落ちた違和感が今後浮上してくることはない。

 そんな重要な分岐点をスルーしたとは露知らず、アサシンは全感覚を総動員して侵入者を分析する。

 

 侵入者は一人だけ。多少周囲を警戒し足音を殺そうとしている感はあるが、訓練を受けた者の足取りではない。その足音の間隔から歩幅を割り出し、身長を計算すれば、心当たりが一人だけ浮上してくる。

 二人浚って一人消してしまえば、これはもはや推理ではなく算数だ。

 

「……あのサムライのマスター、ですか」

 

 確認するように呟いて、どうするべきか検討する。

 フラットを消したのは、彼が未だ健在であるバーサーカーのマスターであったからだ。サーヴァントを失ったマスターである東洋人とは立場が違う。二人が一緒にいたので両方浚ってきたが、彼女が交渉したかったのは東洋人の方である。

 

 交渉のことを考えると、フラットを消してしまったのは拙かったかもしれない。いささか性急に事を進めてしまったことを反省するが、いずれにせよフラットはどのみち消していたし、東洋人の辿るべき運命も決まっている。

 

 穏便に済ますためには、一芝居打つ必要があるだろう。

 手っ取り早く事を進めるのなら洗脳という手段もある。

 

 どちらもあまり得意ではなかったため、彼女は件のマスターが部屋に辿り着くまでのわずかな間、悩むことになった。

 

 


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