Fate/strange fake Prototype   作:縦一乙

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day.10-04 拷問

 

 

 ランサーが地下の“偽りの聖杯”を後にした頃、その頭上にある基地の一室でもひとつの勝負が終わった。

 生きたまま時間をかけて身体を少しずつ切り刻む拷問を勝負というには些か語弊があるだろう。だが勝手に勝負を設定したのは拷問執行者自身である。それでいて「拷問中に声を上げさせる」という分かり易い判定に敗北したというのだから、笑うに笑えない結果である。

 

 女の肌を、血が絶え間なく流れ落ちる。結局女は気絶するその時まで呻き声一つあげることなく拷問に耐えていた。ここで無理矢理起こすことは可能だが、その滴る血を前に拷問執行者はどうにも我慢ができなかった。

 

 手枷に繋がれ、壁際に吊されたままアサシンの血を、脇目もふらずジェスターは舐め取っていた。

 手枷は強力な魔力封じであるが、マスターとの直接接触であれば魔力供給が可能である。血を舐め取る赤い舌が触れる度に消滅寸前まで追い込まれていたアサシンへ魔力が供給が行われる。失われた五指や両足、削がれた耳に抉り取られた眼、裂かれ内臓が見え隠れする腹が、ゆっくりとだが確実に癒えていく。

 

「――ああ、もう癒えてしまった」

 

 流れ落ちる血も傷口が癒えれば止まってしまう。心底残念そうに、ジェスターは最後に口元に付いたアサシンの血を惜しむように舐め取った。

 アサシンの血は、ジェスターにとってどんな料理にも勝る嗜好の逸品だった。既に三度も同じことを繰り返しているが、それであっても飽きることがない。あと百回だろうとその発言は変わらないと断言できる。

 

 長い年月を経て数万にも及ぶ血を啜ってきたジェスターだが、これに匹敵する血を味わったことなど片手で数える程度。その砂糖菓子のような甘やかで、麻薬のように断ちがたい死徒の本能に、本来の目的すら忘れそうになる。

 自制が利かなくなる。

 あと一度。あと一度だけその血を舐めてみたい。

 

 壁や床に飛び散った血もジェスターの赤い影で残らず舐め取った。テーブルマナーにあるまじき行為であるが、それでもまだこの身体はアサシンの血を求めていた。

 アサシンの血に塗れたナイフを、舌がズタズタに傷つくのも厭わずキャンディーのように舐め回す。控え目にいってもその姿は異常であった。本人ですらその異常性を自覚しているのだから、他人の目からは尚更であろう。

 

 気付けば意識を失ったままのアサシンに、ジェスターはナイフを振り上げていた。その頸動脈を一息に断てば、噴き出した血はこの世で最も甘美な存在へと昇華されることだろう。その瞬間を想起しただけで体が愉悦で震えてしまう。

 正気を直前で取り戻さねば、きっとその光景は現実のものとなっていた。慌ててその軌道を逸らし、己の太腿に突き立てることで危ういところを回避する。

 死徒とは総じて狂気に呑まれた存在だが、魔術師上がりのジェスターにあって、本能の赴くまま簡単に狂気に呑まれては本末転倒である。

 

 ナイフでズタズタになった自らの舌が煙を上げて修復されていく。蕩けそうになる頭を必死になって保たせる。ナイフで太腿を貫いたというのに、痛みがまったく気付けになっていない。

 理性が砂のように崩れゆく。

 手段と目的が逆転しそうになる。

 このままだと、このままだと、

 私は、私は、

 ワタシハ――

 

「最近の死徒とは随分と変態なのだな、ジェスター」

 

 救いの声は、近くから聞こえてきた。

 ゆっくりと、時間を掛けてジェスターはその声の主へと振り返る。

 声の主は、アサシンと同じように向かい側の壁に吊り下げられていた。

 

 近代基地施設、それも使われる予定もない秘密基地に、そもそも拷問部屋などあるわけがない。せいぜい簡素な尋問室と営倉くらいであり、こうした専用の拷問部屋はジェスターがファルデウスに無理をいって作って貰ったこの一室のみである。

 今回はそれが幸いしていた。この部屋でアサシンと二人きりであったのなら、再度同じことを繰り返し、最終的にはどうなっていたのかジェスター自身も保証することはできない。

 

「目を覚ましたようだねぇ、署長……」

 

 なるたけ平静を装うように時間をかけて振り向いたが、その甲斐もなかったようだ。よほど壮絶な顔をしていたのか、ジェスターと目を合わした瞬間に覚悟をしていた筈だろうに、百戦錬磨の署長の身体が震えた。右手を失っていることなど関係なく、署長の全身から汗が滝のように流れ出てくる。

 

「醜態を晒してしまった……いつから目を覚ましていたかな。夢中になりすぎて気付かなかったよ」

 

 署長を落ち着かせるように、そして自身に言い聞かせるように、ジェスターはなるたけ穏やかに口を開く。

 署長にしても、ジェスターが落ち着こうと努力していることは伝わった。言葉が伝わるのならば、いきなり殺されることもない。悪魔との取引だって、契約書は読めずとも言葉は通じるのが大前提だ。

 

「ペチャペチャ犬みたいに血を舐めてる音が五月蠅くてな。それでいて自傷行為に走り始めたんで、つい声を出してしまった。お楽しみのところ邪魔してしまったかな」

「いいや。お陰様で目が覚めて感謝したいくらいだよ……傷の具合はどうかね?」

 

 自らに突き立てたナイフを無造作に引き抜き、そのままナイフで署長の失った右手の切断面を軽く撫でる。厚く巻かれた包帯に遮られてナイフの刃が通ることはないが、些細であってもその感触は傷口に伝わる。

 死なない程度に処置はしてあるが、麻酔などは打っていない。アサシンへの拷問とは較べるまでもないが、それでも大の大人が泣き叫ぶぐらいの痛みが署長を襲っていた。

 

「……ッ! お、お陰様でこの通りだ……それよりも、吊されてる左肩が痛くてしょうがないな……ッ!」

 

 先よりも激しく噴き出す汗が署長の現状をジェスターに教えてくれる。魔術回路を通しての痛覚コントロールも満足にすることができない。

 

「令呪を使われては困るのでね。念のため切り落としてしまわねば、安心できなかったのだよ」

「死徒の動体視力なら令呪を使い切っていたことくらい分かりそうなもんだがな……」

 

 念のため、で腕を切断されたのではたまったものではないが、署長がジェスターの立場であっても同じことはしていただろう。都合の良い情報ほど信じることなどできやしない。もっとも、署長であれば右手ではなく首を切断している。

 わざわざ生かして捕らえたのだ。無意味に拷問するためだけに生かされたのではないと信じたい。

 

「全ては貴様の思惑通りというわけか」

「いや、なかなか上手くはいかんようだ。署長よりもあのファルデウス、相当に頭がいかれてる」

 

 含みのある言い方でジェスターは悩みを吐露してみせる。

 市内は無論、ラスベガスでも確認したが、周囲で監視している“上”の幹部は悉く暗示にかかっている。その犯人がジェスターであることにもはや疑いの余地はない。

 署長が見るに、ジェスターの魔術の腕は群を抜いている。それでいてファルデウス自身の魔術の腕はそこまでではない。その気になればどうとでもなりそうであるが、実際にやっていないところから察するに、ファルデウスは相当非常識な手段でそれを封じているのだろう。

 しかしその割りには、ジェスターに余裕がある。

 

「なら、ここで一体何をしてる? 若い女を吊すなんて、上品とは言い難い」

「クァハッ! クハハハハッ! これは仕事だよ、誰もお二方を監視しないので私が引き受けた次第だ」

「趣味、の間違いだろう?」

「おかしなことを。拷問なんて残虐非道なこと、仕事でなければできはしない。私も苦しい。殴られれば殴った方も痛いと知っているかね?」

「その言葉がどこまで本気かは知らないが、任されたのは監視であって拷問ではなかろう?」

「クァハッ! これは痛いところをつかれた!」

 

 心底可笑しそうにジェスターは口元を抑えて嗤う。嗤いながら、ふらふらと気絶したアサシンへと歩み寄り、拷問によって剥き出しになったその乳房を撫で回した。

 荒い息と常軌を逸したその表情。その姿は劣情を催した獣に似通ってはいるが、ジェスターにあってそんな上品なことをする筈がなかった。

 

「そうだな、署長。そんな君に褒美といってはなんだが、アサシンを犯してみる気はないか?」

 

 唐突な、そして想定外の言葉にさすがの署長も言葉を失った。未だ収まりようもない痛みに幻聴だとすら思った。

 

「聞こえなかったか? 犯して良いといったぞ?」

 

 繰り返される言葉に幻聴という可能性も消し去られる。いや、ならば単にからかわれているだけに違いない。

 

「……何を、馬鹿なことを。自分でやればいいだろう」

「そんなものに興味はない。私は観客として愉しみたいのだよ」

 

 アサシンの裸体をその舌で這わせておきながら、ジェスター自身がアサシンを犯すつもりはないようだった。この吸血鬼に吸血衝動はあっても性欲はないらしい。

 

「本当は輪姦される彼女を見たくて基地の連中にも声を掛けたんだが、サーヴァントを犯すのはどうやら恐ろしいらしい。ファルデウスにも規律を盾に一蹴された。妥協案だが仲間に犯されるというのも乙というものだろう?」

 

 そうして、徐にその首筋へキスをするように噛み付いてみせる。恍惚としたその表情は麻薬中毒者と何ら変わりない。ジェスターの喉がごくりと鳴ってその血を胃の腑に落とした。

 

「こう見えてまだアサシンは未通娘(おぼこ)でな。貴様も慣れたものだろう? 腹心の部下だろうと催眠と自白剤の前に忠誠心など役にたたんよ。署長の性癖など聞く必要があったとも思えないが」

「……ついでに洗脳もされていそうだな」

「クハァッ! なかなか鋭いところを突くが、安心しろ。署長の前に敵として現れることはもうないさ。永久にな」

 

 離れているとはいえ、この部屋にも微振動はあった。アサシンに夢中で気付かなかったが、いつの間にかそれがなくなっている。ということは、そういうことだろうとジェスターは判断する。

 

「……ッ」

 

 部下の死を婉曲に告げられ、署長は奥歯を噛みしめ自らの怒気を抑えこむ。

 秘書官が懐刀ではあったのは事実だ。公私ともに親しく、特別な女性であることに違いはない。しかしだからといって、二十八人の怪物(クラン・カラティン)の中で彼女だけを特別扱いすることはできない。すでに元とはいえ幾人もの部下を失った無能な上司だ。それについて喚き散らす権利を――資格を署長は持ち合わせていなかった。

 

「一体何が目的だ?」

「……目的?」

 

 署長の言葉に、目を覚ましたかのようにジェスターは唐突に焦点を合わせる。またテンションが上がり、アサシンの血を啜っていたことにようやく気がついた。荒い呼吸にも同時に気付き、今度は口元を舐め取るようなこともせず、大きく深呼吸し、アサシンから離れて壁を背に座り込む。

 そのままの姿勢で、ジェスターは首だけを動かし署長を眺め見る。

 

「知れたこと。アサシンの真価を見極め暴く。ただそれだけだ」

 

 ジェスターの言葉に嘘偽りはなかった。

 

 


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