Fate/strange fake Prototype 作:縦一乙
このオペレーター室はスノーホワイト全体が見渡せるガラス張りである。
4フロアをぶち抜いて作られたこの部屋は天井までは実に二〇メートル近くある。強襲をかけるにしろ、何の装備も魔術も使わずに、ただ天井から落ちてくることなど普通は考えない。着地点の凹み具合をみれば、純粋な肉体強度のみで襲撃者は二〇メートルを落下してきたことになる。
「――構想――」
「馬鹿の一つ覚えみたいにその宝具を使うのは感心しないなぁ、アサシン」
超速で接近し業を解き放とうとするアサシンに、男は何ら慌てることがなかった。慌てず騒がず冷静にアサシンの手首を片手で掴み、背負い投げの要領で逆に数メートル先の壁に叩きつけてみせた。
上下が逆さまになった視界で、初めて見た顔だというのに、アサシンはその男の名を間違えることなく、親の敵のように吐き出した。
「ジェスター……カルトゥーレ……!」
「気付くのが遅いぞアサシン。私からの魔力供給をこの距離になるまで気付かなかったのか?」
心底呆れたようにジェスターは肩を竦めて手にしたモノを口につけ、流れ出てくる液体を口にする。それがただのカップで飲んでいるものがコーヒーなどであれば何の問題もなかった。
「一体、何を――?」
それは、人間の右腕。ジェスターが飲んでいるものは、傷口から流れ出る血液に他ならない。
では一体、それをどこから持ってきたのか。
「ふむ。やはり令呪はないな。欺瞞かと思ったがどうやらちゃんと使い切っているようだ」
「あっ? はっ?」
遅まきながら、署長が立ち上がろうとし、そしてそのままバランスを崩す。対応の遅さといい、無様に床に転がる様といい、署長の行動はいつもの精彩さが欠けていた。だがその行動をジェスターは賞賛する。
「よく動けるな、署長? 私は魔力ごと君から奪い取ったつもりだったが、手加減が過ぎたようだな?」
ジェスターの言葉に、ようやく署長は自らの右手がないことに気付く。そして同時に自らが酩酊状態にあることにも気付いた。
一体何をどうやったのか定かではないが、着地と同時にジェスターは署長の右手と魔力を根こそぎ奪いとったらしい。
意識の間隙を突いたとはいえ、とても人間業とは思えない。魔術師としてはともかく、指揮官としていかなる状況でも咄嗟の判断を下せるよう鍛え上げられている署長が、赤子同然に扱われている。
切り落とされた腕から流れ落ちる血が周囲を汚す。傷口に口をつけたジェスターの顔も汚れるが、一通り堪能したのか、口元を拭って署長の腕をそのまま地面へと落とした。その行為に、アサシンはどうしようもなく嫌な予感を抱いて仕方がない。
理屈よりも直感を信じて、アサシンは動く。
【……回想回廊……】
咄嗟に繰り出した御業はこの聖杯戦争で構想神殿に次いでよく使ったモノ。だが、その使い方はいつもとは違っていた。
展開させる通路の入り口は直径三〇センチ足らずの小さな穴。それでいて、出口までの距離はたった数メートル。未だ逆さま状態で壁にめり込むアサシンである。自由に動けないが、何とかその手に持った短剣を投擲してみせる。
その、異界の通路の入り口へと。
「ほう! ようやく応用というものに辿り着いたか!」
通路の出口はジェスターの頭の後ろ。完全な死角にありながらも、ジェスターはその一撃を完璧に避けてみせた。
必殺の一撃こそ外したものの、それでもアサシンの最悪の事態を避けることには成功した。
ジェスターの身体から放たれていたのは赤い影。床へ捨てられた署長の右腕は赤い影に舐め取られた一瞬で骨と化す。床を這いずり署長へと近付く影は本体が大きく傾いだことでその目標を大きく逸らすことに成功した。
「すま……ない」
朦朧とした意識でありながら、それでも片手で器用に服を破き、止血する署長。傷口を縛った痛みで意識を持ち直したのか、荒い息でジェスターと距離を取りながら立ち上がる。
「こいつが、君のマスターか」
「認めたくはありませんが、残念ながら」
何とか床に立ち、ジェスターを中心に回るようにしてアサシンは署長の傍へ移動する。
アサシンから見ても、署長のダメージは無視できぬレベルに陥っている。右腕がないこともそうだが、その身体からは魔力が――生気そのもの感じられない。立っているのが不思議なくらいだ。早急な処置の必要がある。
「離脱します」
「いや、待て」
アサシンの言葉に署長は首を横に振る。身体を支えようとするアサシンの手さえ拒否し、その左手で腰のホルスターから銃を抜いてジェスターへと突きつける。
ジェスターから伸びた赤い影はもうどこにもない。身体にこびり付いていた血も綺麗になくなっている。魔術を用いずにあの人間離れした肉体性能をまざまざと見せつけられた。これだけ状況証拠が揃えば、正体は自ずと知れてくるだろう。
「死徒がマスターとは恐れ入る。今回の聖杯戦争、マスターまでイレギュラーとは聞いていなかった」
「なんだ、そんなことも知らなかったか?」
馬鹿にしたような言い方に、これ見よがしにその発達した犬歯を見せながら、ジェスターはゆっくりと二人の元へと近付いてくる。距離は五メートルもない。二人は後ずさるが、その距離は徐々に埋まっていく。
「この聖杯戦争のカラクリを知らないわけではないだろう? 選ばれる基準が基準だ。真っ当な魔術師などが選ばれるわけがない」
だからこそ銀狼などの人外や、魔術師として欠落のあるフラット、幼すぎる椿などが選ばれる。最初から指名されていた署長は例外であるが、最も魔術師らしいアーチャーの元マスターも、ティーネに取って代わる「運命」にあった。基準だけでいうなら、ジェスターは割と正統派だったりする。
「その様子だとこの戦争の裏は知っているようだな。何故、そちら側につく?」
その署長の質問に、ジェスターの歩みが止まった。
この聖杯戦争に流布されているような願望機は存在しない。故にマスターが望む願いは、この戦争の過程の中にしか実現し得ない。
問題は、願いを叶えた先にある。全陣営に確実に用意されているのは、口封じのための「殲滅」の二文字だ。そのために用意されていた駒がファルデウスであり、署長が率いていた
「ファルデウスに例外などない。ジェスター、君がいかに優秀であろうと手段を選ばず確実に殺されるぞ? 私達は、既に鍵を得ている。この閉じた箱庭をこじ開け外に出ることのできる鍵だ」
この“偽りの聖杯戦争”の計画に、そもそも救いなどありはしない。
最初期にスタートした段階でどうだったかまでは知らないが、少なくとも署長がこの計画に乗った時点で戦後の関係者の処分は決まっていた。そして教会や協会が出張ることになれば、その前に“上”はスノーフィールドそのものの破棄を決定する筈だ。
人口八〇万のこの都市でさえ、最悪の場合そもそもなかったことにされかねない。
生き残るためには――その可能性を掴むためには、ここで互いに手を取り合うより他はない。この戦争の裏を――その真実を知っていれば、尚のこと。
だが、そうした署長の説得に対してジェスターの視線は冷たいモノだった。侮蔑の色すら見えるその瞳は、完全に呆れ果てていた。こうして無知を晒した署長と話をしたことを、ジェスターは後悔した。
「つまらないことを口走るな。今更それぐらいのことで私は立ち位置を変えないし、その程度の小手先に勝算があると本気で思っているのかね?」
先刻承知していることで説得されるとなると、これはジェスターに対する侮辱ですらある。
はあ、とジェスターはため息をついた。
意気揚々と出て行ったものの、結果はこの有様。リーダー格の署長がこれでは、今後期待はできないだろう。色々と暗躍していることは評価できるが、肝心要の危機感が彼らには圧倒的に足りていない。
これでは一体何のためにアサシンを預けているのか分からない。
ジェスターの目的はアサシンの絶望だ。
そのためにアサシンには成長し、その本性を悟らせることが必要となってくる。アサシンには教えねばならない。理解しないことが最高の幸せだったのだと。山の翁の仮面を持たなかった――持てなかったアサシンを、その呪縛から解き放つ。
アサシンの生まれた意味を、ジェスターはこの世に教えてやるのだ。
極まった希望を行き詰まった絶望へと相転移させる。
そのためならば、この命だって惜しむものか。
当初の想定では、アサシンは己の本性にとっくに気がついている筈だった。それをこうも雑に扱われては、わざわざ敵対関係となったジェスターの意味がない。
いい加減に気付いて貰いたいものだ。わざと署長を殺さなかっただけで、アサシンは回想回廊の新たな使い方、その応用に気がついた。その一点だけのために、ジェスターはこの場にいるといっても過言ではないのだ。
「とはいえ、感謝はしておこう」
よくぞ、この場に二人だけで来てくれたことに。即座に逃げず、会話をしてくれたことに。
ジェスターは、心の底から感謝する。
二人がこの場で何をしていたのか、ジェスターは知らない。が、何かをしていたとするならば、アサシンはこのスノーホワイトの重要性を知ったことになる。わざわざジェスターもファルデウスから直々に注意されたのだ。
スノーホワイトを巻き込むような真似はアサシンもできない。それでいて、署長の怪我は重傷である。
この二つは、アサシンに大きな枷となる。
大きな成長の、鍵となる。
単体戦闘能力で英霊と渡り合うのに、人間相手ではほとんど不可能だ。これはジェスターとて例外ではない。死徒の中には例外もいるかもしれないが、少なくともジェスターとアサシンの戦闘パラメーターを単純に較べたのなら、確実にアサシンへ軍配が上がる。ジェスターがアサシンに勝てるのは特殊能力としての赤い影と、長年の戦闘経験だけでしかない。
署長の怪我が上手い具合にアサシンの気を逸らす。会話による情報収集と時間稼ぎに一定の成果を得たことで、署長は勝機を見いだしていた。いざとなれば脱出できるという安心感が敗因となる。
集中力は才覚の領域ではないことを改めて実感した。鍛え、積み上げてこその集中力。天才に驕りというものを教えてやるのも悪くなかった。
尚も会話をしようとする署長が、咳き込んだ。そのことにアサシンの視線が一瞬だけ横にぶれる。それだけで、ジェスターには十分すぎる隙だった。
立ち止まっていれば、攻撃に時間がかかると二人は思っているのだろうか。二人の目の前にいるのは、神秘を追い求め死徒とまで墜ちていった魔術師であるというのに。
呪文など必要ない。姿勢や呼吸による集中も不要。ジェスターが二人にやったことは、ただ己の本性を少し解き放っただけ。美しいモノを穢したい、その一心で六連男装という張りぼてが必要なほど、ジェスターの本性は『純粋』だった。
解き放てば、それだけで人を傷つける崇高な概念。隠さなければ漏れ出てしまう醜悪で純潔の魔瘴が、二人を正面から打ちのめした。
構えていながら、その急激な圧に蹈鞴を踏む二人。意表を突いたのは確かだが、これくらいは何食わぬ顔で耐えて欲しいとジェスターは思う。
本性を抑えることはしない。ブースターというわけではないが、アドレナリンが出ていればそれだけでこの状況を愉しむことができる。そうでもしないと、やってられないのが本音だ。
……その後のジェスター対アサシン・署長の戦闘については割愛する。
ジェスターは二人を分断し、適当に痛めつつ、隙という希望を幾度となく見せながら宝具で逃げる暇だけを与えない。時にヒヤリとしながらもジェスターは二人を殺す真似だけはしなかった。その様を表現するには教育という言葉が相応しい。
手抜かりなく手を抜いたジェスターの教育は、通路に仕掛けられたトラップを解除した応援部隊が辿り着くその時まで続けられた。
後に提出された応援部隊の報告書にジェスターの危険性が大きく書かれることになるが、単体でアサシンと署長をあっさり捕らえたジェスターの有用性は充分以上に示されたことになる。
これにより、南部砂漠地帯、スノーホワイト、基地上層という三面作戦は表向き決定打を入れられず瓦解したこととなる。
事実上、ファルデウスの勝利がここに確定した瞬間であった。