リヴァイアサン・レテ湖の深遠   作:借り暮らしのリビングデッド

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8-3 僕=貴方

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

赤と紫の巨人が疾走した。

 

 

彼女は赤い巨人を操りながら、ある種の確信をもった。

 

勝てる。

 

二体の巨人はまるで互いを補完しあうように動いた。

彼女が攻めれば彼は引き、彼女が右に動けば同時に左に動く。

それはまるでその使徒と同じように、元は一つだったような、二つで一つの生き物になったような。

 

「ふふ」

 

彼女は無自覚に声に出して笑った。

 

ああ、勝てる。

 

あいつの動きが手に取るように分かる。

次にどんな動作をしようとしてるか分かる。

 

そして、きっと向こうも分かっている。

 

使徒の動きにあわせて、彼女は回り込むように動いた。

すると、あいつもまったく同じタイミングで。

 

ほらね。

 

「ははっ!」

 

彼女は笑った。

 

人と連携をとる、などという経験は彼女はほとんど初めてだった。

誰かと協力して目的を達成する、など彼女にはまったく縁がなかったのだ。

何故なら彼女は世界でたった数人のエヴァのパイロット、選ばれたエリート中のエリートなのだから。

 

だから彼女は知るはずがなかったのだ。

他者と、仲間と連携し協力する、その楽しさを。

 

勝てる!

 

あいつは今度はああ動くはず、ほらやっぱり!

ならこっちはこう動く、ああ、ほら、向こうも分かってる。

 

「あはは!」

 

そう、孤高に生きてきた彼女が、それを知るはずが無かったのだ。

他者、別の他人と寄せ集まって、まるで一つの生物へと変質するその安心感を。

その快楽を、彼女はこの時、初めて知ったのだった。

 

「シンジ!」

 

今よ!

 

もちろん、それだけで十分だった。

それ以上の言葉は要らなかった。

 

そして、赤と紫の巨人は天高く飛び上がり。

 

 

 

 

なのに。

 

「なんで最後の最後でミスすんのよっ!」

「そ…その、ごめん…」

 

もう!と彼女は声を上げて。

そして鼻を鳴らしてずかずかと更衣室を出て行った。

 

言わずもがな、最後の飛び蹴りでシンジはほんの少し体勢を崩してしまったのだった。

 

でも結果として無事使徒は倒せたんだし、まあいいか、と彼は思ったのだが、彼女の怒りは凄まじかった。

なんでこんなに怒ってるんだろう?と、彼が頭を悩ませるほどに。

 

本当にどうしてあんな顔真っ赤にして怒ったんだろう?

使徒はちゃんと倒せたんだし…それとも、着地で倒れたのがちょっとかっこ悪かったから?

 

それであんなに怒るの?

 

ここ数日朝から晩まで一緒に行動したおかげで、彼にもある程度彼女の性格は把握出来るようになったのだが、

そんな彼にもあの怒りようは謎だった。彼女は怒りっぽい人らしいが、そこまで理不尽ではなかったからだ。

でも、この怒りは少年には少し理不尽に感じたのだった。

 

「先、行くわね」

 

すると、しゃ、とカーテンが開いて涼やかな声。

あ、僕も、と何となく白い少女と歩を合わせて更衣室を出た。

 

相変わらず長い、殺風景な廊下だった。

ぼんやりしながら少女と肩を並べて歩いていると、良かったわね、と少女が言った。

 

「良かったわね。使徒、倒せて」

 

もちろんその台詞に皮肉だとかそんな成分はまったく無くて、彼は素直にうん、と頷いた。

 

「綾波も、弐号機に乗れたって…」

「そうね」

「…その、良かったね…?」

「そう?でも、私はあくまで彼女の予備よ」

「…そうなの?」

「ええ」

 

彼は、どう言ったら良いかよくわからなくて沈黙した。

何か言おうとして、でもやっぱり何も浮かばなかった。

 

すると、廊下の先に人影が見えた。

 

緋色の長い髪。どうやら彼女が壁に寄りかかってるらしかった。

あれ?先に帰ったんじゃないのかなあ、と彼は首を傾げた。

 

彼女が気配に気づき、顔を上げて、と、その顔がはっきりと歪んだ。

まだ怒ってるのかな、と彼は眉を下げ、でも視線が彼とは外れているのに気づいた。

 

どうやら彼女は綾波を睨みつけているようだった。

それにやっぱり首を傾げて、すると彼女はふん、と鼻を鳴らし、今度こそ背を向けて去っていってしまった。

 

…一体何してたんだろう?とシンジ少年は更に更に首を傾げたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

・Ⅲ 『僕=貴方』

 

 

 

 

 

 

 

雲ひとつ無い晴天だった。

 

その青を背景にさっき倒した使徒が二体。

改めて見ると、その巨大さにシンジはびっくりしてしまった。

 

白い少女としばらくの間、まだ回収される気配の無いそれを見上げて。

そして何となく、一緒に歩き出した。

 

蝉の声がうるさかった。

 

でもここ数日あまり聞く機会が無かったので、そのうるささもシンジには新鮮に聞こえた。

同時に、こんなにうるさいのに普段まったく意識せずに過ごせるのだから不思議だなあと思った。

 

何となく、自販機の前で止まった。

彼女も歩みを止める。

硬貨を入れて細い缶のサイダーのボタンを押した。

 

がちゃん。

 

それをおずおず少女に差し出してみた。

彼女は目を寄せて、一、二度瞬きした。

あ、今の表情は初めて見たな、と彼は思った。

 

すると彼女はそっと受け取って、ありがとう、と静かに囁いた。

彼はもう一本自分の分を買った。

 

がちゃん。

 

かしゅ、とプルタップを開けてこくりと飲む。

しゅわしゅわ気持ちいい。

 

やっぱりこんな天気の日は炭酸だよね、と彼は思った。

炭酸の心地よさと夏の青空の美しさは相互に補完しあって、互いを高めあっているようにすら彼は感じた。

 

その様子を眺めてた彼女も、真似するような動作でかしゅ、と開けて、ゆるりと仰いだ。

こく、こく、と彼女の白い喉が微かに蠢いた。

彼はそれに何故か頬が赤くなるのを感じて、自分でも訳もわからず視線を下げた。

 

「…おいしい」

 

彼女が静かに言った。

その口調に、ちょっとだけ柔らかな色彩を感じて、彼は嬉しくなってはにかんだ。

 

ぴったり歩調を合わせてゆっくり歩いた。

特に何も話さなかったが、彼女と一緒に居て居心地の悪い沈黙など無かった。

 

でも、すぐに枝分かれした道にたどり着いてしまった。

 

「私、こっちだから」

 

うん、と彼は少し残念そうに頷いた。

すると、彼女は碇君、と呼びかけこう言った。

 

「…また、明日」

 

あ、うん、と彼ははにかんだ。

 

「…また、明日」

 

 

 

 

彼女は緋色の髪を無造作にかき上げ、ふん、と不機嫌にカバンを放り投げた。

 

リビングのソファーにどさっと座る。

 

「…馬鹿シンジの奴」

 

改めて彼女は先の戦いを反芻した。

 

完璧だった。

完璧なコンビネーション。

まるで本当に、アタシとあいつで一つの生物になったような。

その高揚感と楽しさと一種の快楽のような情動をまざまざ思い出して。

 

なのに。

なんで、なんで、なんで最後で失敗しちゃうのよ、もう!

 

そう、彼女は極めて不機嫌だった。

あの初めて経験する高揚感に水を差された気分だったからだ。

 

はあ、と彼女はため息をついた。

そして、だからって何故自分はこんなに怒っているんだろう?と疑問に思った。

 

ふと、あの白い少女が頭に浮かんだ。

あのちんちくりんと並んで歩いていた少女。

少しの後、彼女はふん、とまた鼻を鳴らした。

 

すると、電話の着信音。

 

『あ、アスカ?今何処?』

「あんたん家よ」

 

ミサトからの電話にぶっきらぼうに返す。

 

『ああ、調度良かった。なら貴方の荷物だけど、整理しといてくれる?』

「アタシの住まいが見つかったの?」

 

実を言うと、彼女はあまりにも急に第三新東京に来る事になったので碌な部屋を用意できず、

しかたなくネルフの宿舎に世話になってたのだ。

だが、お世辞にも広いと言えないその部屋に満足できるはずも無く。

 

『そゆこと。いい物件見つけてあげたんだから感謝してよね』

「ドイツから残りの荷物持ってきても平気?」

『余裕よん。そこと同じくらい広いからね』

 

と、彼女は改めてリビングを見回した。

隅には、畳まれた二つのふとんと、彼女の僅かな荷物。

たった三日だけ過ごした家。

 

ふと、彼女の何かが揺れた。

 

『アスカ?』

 

ミサトの怪訝そうな声を無視して、彼女は考えた。

考えた。考えた。その揺らぎの意味を考えた。

明晰な頭脳をフル回転させて徹底的に考えた。

 

『おーい、アスカ?聞こえてるの?』

 

その受話器の声に、彼女は返答しようと口を開きかけて、また閉じた。

 

逡巡。

 

でも、彼女は即、腹を決めた。

 

 

 

 

「あれ?僕の荷物?」

 

ただいま、と玄関を開けて、シンジは思わず声を上げた。

目の前にはあまり多くない、彼の荷物が詰まれていたからだ。

 

すると彼女の足音。

 

「はあいシンジ」

「アスカ?これ、どうして?」

「どうしてって決まってるじゃない」

 

彼女は何言ってんの?とばかりに。

 

「アタシをあんな狭いとこに住まわす気?あんたの部屋が一番広いんだから当然!アタシのよね」

 

彼は意味を計りかねて。

 

「いや…ていうか、え?つまりアスカもここで暮らすの?」

「そうよ?」

 

決まってんじゃない。あんた馬鹿ァ!?と。

 

「…なんで?」

 

彼は不思議に思って素直に聞いた。

彼女はその様子に一気に不機嫌になった。

 

「何よ!?文句あんの!?」

 

上目にぎろっと睨む。

三白眼ぎみの彼女のそれはまさに肉食獣的な迫力で、シンジ少年はそれにややびびってしまった。

 

「いや…そうじゃなくて、なんで?」

 

そうじゃない、と否定したとたん彼女の不機嫌さは直ったようだった。

その変わり身にあれ~?と少年は目を白黒させた。

 

「しょうがないでしょ?ミサトがどうしてもって言うんだから」

「そうなの?」

「そうよ。だから文句ならミサトに言って」

 

そして彼女は上機嫌に鼻歌を歌いながら、元シンジ少年の部屋へと姿を消したのだった。

 

 

 

 

白い少女はその液体の中でゆっくりとまどろんでいた。

その呼吸に合わす様に、ケーブルを伝って彼女の思い出が伝達されていった。

 

「ダミー計画…本当によろしいのですか」

 

赤木リツコの潜むような声が、その暗く広大な部屋に響いた。

 

「かまわん」

 

碇ゲンドウは、裸のままケーブルに繋がれた白い少女を冷徹に見つめながら低く言った。

 

「ダミー計画なくしてラストチルドレン計画は無い」

「それは…そうでしょう」

 

リツコは肯定しつつ。

 

「ですが、また万一使徒化のような事態が起こったら」

「殲滅すれば良い」

 

彼女はすっと目を細めた。

 

「それが…初号機でも、ですか?」

 

彼は何も答えなかった。

低い唸りを上げて、そのまるで脳髄のように見える巨大なケーブルが静かに動きを止めた。

 

「終了だ、レイ」

『はい』

「送らせる。今日は帰ってゆっくり休め」

『…はい』

 

その少女と男の会話を、リツコは光る目で眺めていた。

 

 

 

少女は服を着ると、ぼんやりと昼間の出来事を反芻した。

彼のくれた炭酸の心地の良い喉越しが、彼女の何かをゆるく揺らした。

 

『ありがとう』

 

咄嗟に出た言葉。

初めての、言葉。

碇司令にすら言った事の無い、言葉。

彼女は無意識に唇を指でなぞった。

 

そして、その指先を、かり、と噛んだ。

 

 

 

 

彼女は、ん、とその元少年のベッドに腰掛けた。

洗ったばかりの髪をバスタオルでぬぐう。

 

そこは実際広い部屋だった。

これならまあ、ドイツの自宅にある荷物もある程度は入りそうだった。

流石に全部は無理だろうが。

 

そして、ふと、彼女はまったく無意識に鼻歌を歌っている自分に気づく。

 

上機嫌らしかった。

そんな自分に、彼女はやはりふん、と鼻を鳴らした。

 

 

 

 

「おつまみどうぞ」

「ありがと~!」

 

湯上りにタンクトップにハーフパンツといつもの格好で酒をあおっていたミサトは、少年の気遣いに心から感謝して礼を言った。

酔った勢いに任せてサービスよん、と少年に軽くハグする。

彼は相変わらず幼子のように無防備だった。

 

「あの、ミサトさん?」

「なあに」

「…いえ」

 

彼は拒絶せず彼女の成すがままで、それどころか体を預けてくれている気配すらあって。

それに不覚にもある情動を一瞬抱いてしまって、ミサトは内心あわてて、でも表面上はいたって平静にシンジを開放した。

シンジはつまみの皿を置いて、何となく隣の椅子に座り、話を振った。

 

「あの、アスカ…」

「うん、相談も無しでごめんね?急に決まったのよ」

 

嫌なのかしら、と一瞬不安になって、彼女は少し声のトーンを落とした。

 

「…もしかして、嫌?」

「いえ、全然…」

 

シンジはあっけなくそう言った。

まったく嘘の気配を感じなかったので、ミサトは少し安心してビールをあおる。

 

「ただ、どうしてかなって」

「いや、実を言うとね、実際は住むとこ決まってたのよ」

「そうなんですか?」

「そう、なのにアスカ、あれ嫌これ嫌だとか不満たらたらでね」

「はあ」

「で、あの子急にこっちに来る事になったから他に碌な部屋用意できなくてね。

 でも、こないだまで住んでた宿舎はもう嫌だって言うし…じゃもう家来る?って」

「はあ」

「こう、流れで…」

 

と、ふと、ミサトはようやくある可能性に気づいた。

私、もしかしてアスカに誘導されたのかしら?

まさかねえ…?いや、でも、と。

 

彼女は心なしふうん?と悪戯っ子みたいに笑った。

 

その様子にシンジは首を傾げた。

彼女はなんでもないと言って。

 

「シンジ君、ありがとね」

「…ええと」

「ん、色々よ。使徒のことも、アスカのことも」

 

ありがとう、とミサトはシンジを見つめて言った。

そして、やはり少女のようにはにかんだ。

 

 

 

 

シンジは新しく自分の部屋になったそこを開けて、ふとんを敷いた。

 

窓から空が見えた。

電気を消したままだったので月明かりが少しだけ部屋を照らしてくれた。

 

彼はその月明かりのままに、ごそごそとカバンを漁る。

そして周囲を見回して誰も居ないのを確認すると、ノートの間から折りたたまれたそれを取り出した。

 

未完成の、楽譜。

 

シャーペンを手にとって、ノートを下敷きに広げる。

と、まるで耳を澄ますように、頭を傾げた。

 

枕を鍵盤に見立てて幾つか音を撫でた。

しばらくそれをすると、うん、と頷いてペンをゆっくり走らせた。

 

それは寄せ集まった音だった。

 

もう少しで別の何かへと昇華しかけている、ただの寄せ集まった音だった。

 

そう、もう少しだった。

 

 

この都市に来てから聞こえていた様々な音を一つずつそこに記した。

 

 

例えば白い少女の、透明な音。

 

あるいは緋色の少女の、原色の音。

 

藍色の髪の彼女の、包んでくれるような香りの、暖色の音。

 

 

そして、母さんの、音。

 

 

ぽーんと彼の中でまた音が鳴った。

 

彼はそれが鳴っている内にそれを楽譜に描いた。

忘れないように、と。

 

 

その楽譜にはただひっそりと、『貴方』という題名が書かれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

15/8/19


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