リヴァイアサン・レテ湖の深遠   作:借り暮らしのリビングデッド

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4-2 帰り道をなくして、初めからない事に気づいて

 

 

 

 

 

 

 

「うおっはよお~!」

 

シンジは、ふすまの向こうから聞こえたそのミサトの陽気な声に、すっと目を開いた。

一瞬自分がどこに居るのか分からなくて。

ああ、葛城さんの家だと納得する。

 

つまり。

 

「…夢じゃ、なかったんだ…」

 

そのシンジの呟きは、夏の気配に溶けていった。

 

 

 

「さ~て朝ごはん食べましょ」

 

と何かやたらアッパーなミサトがテーブルの上に並べたそれはカップラーメンだった。

 

…カップラーメン…。

 

一体どんな生活をしてる人なんだろうか、と思って、周りを見回す。

そんなのはそのごみの山が雄弁に、もう良いですから、と言うぐらい雄弁に物語っていた。

 

今日にでもきっちり掃除しようと心に誓つつ、それでもお腹が減っていたのでお湯をそそぐ。

ミサトは昨日と同じタンクトップにハーフパンツの格好で頬杖を付きながら、何かわざとらしさすら感じる陽気さで言った。

 

「それでねシンジ君。今日はこの後一緒にネルフ本部まで言って色々説明するわ」

 

転校の手続きもしなきゃいけないしね、とミサトはやはり上機嫌に言う。

 

「貴方も詳しく知りたいでしょ?…エヴァや、使徒や…お父さんの仕事のことも」

 

シンジはそれに答えず黙ってカップ麺の蓋をした。

 

「別に…知りたくない?」

「いえ…そういう訳じゃ無いですけど」

「じゃあ、お父さんに会うのが、怖い?」

 

シンジの目が一瞬泳ぐ。

ミサトはもちろん見逃すはずも無かった。

 

「シンジ君…私が言う事ではないけれど…逃げちゃ、駄目よ」

 

その言葉にシンジはぼんやり視線を上げる。

 

「…逃げちゃ駄目よ、お父さんから、何より自分から。もし逃げたらね…」

 

生涯、後悔して生き続けるわ。

 

その声は深く、何か情動を宿していて。

でもこの時のシンジにはその深さも宿っている情動が何かも分からなくて。

ただ、耳を澄ますようにじっとミサトの瞳を見つめた。

 

すると、ミサトは少し照れたように、はにかむように笑った。

そんな笑い方をすると、ミサトはまるで少女のようだった。

 

「…ごめん。余計な事言っちゃったわね。おっと伸びちゃうから早く食べましょ」

 

いただきます、とミサトは美味しそうにラーメンをちゅるりと啜る。

シンジもいただきます、と静かに言って面を啜る。

 

しょうゆ味なら良いのにと思った。

 

 

でも残念ながら、味噌味だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・Ⅱ 『帰り道をなくして、

     初めからない事に気づいて』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「父さん…」

 

エレベーターのドアが開いてその大きな影が差した時、シンジはすくむ事しか出来なかった。

七年ぶりに目の前で見た父の姿は、記憶のそれとあまり変わらなかった。

 

今のような口ひげは無かったが、それでもその首が痛くなるくらい背の高い、がっしりした体つきや、

何か他者を寄せ付けない威圧感や、シンジを見下ろすその、眼差しも。

 

いや、でもと。

今でも十分大きいが、記憶ではもっと巨人のような人だった気がする。

 

ああ、自分が当時より背が伸びたからだ、と納得する。

だからようやく、本当に父と再開したのだと言う現実感が襲って、シンジはただ沈黙する事しか出来なかった。

 

と、シンジは視界の隅に白いものを知覚して視線を滑らせる。

思わず、あ、と声を出してしまった。

 

白い少女が、ゲンドウの影に隠れるように静かにたたずんでいた。

制服にその包帯まみれの姿は痛々しくて、儚く陽炎のようなその少女に、逆に一種の肉感や実存を与えてるようですらあった。

 

「おはようございます碇司令」

 

隣でシンジの様子を見ていたミサトが別人のような凛々しい声で言った。

 

「その、本日はご子息に本部の案内と…」

「かまわん。葛城三佐、君に全て任す」

「はっ!」

 

そしてシンジに一瞥もせず去っていく。

それを追うように白い少女も歩みを進めて、でも、一瞬だけ振り返った。

 

その赤い瞳と視線が交差して。

でも、本当に一瞬で興味をなくしたように、姿を消した。

 

「あらあ…久しぶりに会った息子に冷たいのねえ」

 

ミサトは場の雰囲気を和らげるように冗談めかして言う。

でもぼんやりと二人が去った先を見つめてるシンジを横目に捕らえて、おずおず口を開いた。

 

「…あの白い子がね、ファーストチルドレンの綾波レイ。ちなみにあんななりだけど外国の子じゃないのよ。

 アルビノっていう一種の病気でね、体の色素がないの。まあ、あたしもあまり詳しくないんだけど」

 

シンジもおずおずと口を開く。

 

「…父さん、とは?」

「ああ…あの子両親居なくてね、で、今の保護者が、その、碇司令なのよ」

 

シンジは沈黙して。

 

少しの間の後、そうですか、と小さく囁いた。

でもその視線は、ずっと二人が消えた先を見つめていた。

 

ミサトはそんなシンジの横顔を見つめ、そして、そっと目を逸らした。

 

 

 

「じゃ紹介するわね」

 

改めて、と名乗ったのは赤木リツコ。

 

「色々立て込んでてね、遅くなったけど、よろしく、シンジ君」

 

相変わらず白衣を纏った金髪にボブカットの女性は興味深げにシンジを見る。

その視線が何か居心地悪くて、おずおずとよろしくと返答した。

ミサトがその様子を見てからかうような口調で言った。

 

「そんなびびんなくてもいいのよシンジ君。見た目ちょっち怖いけど食われはしないわよ。解剖はするかもしれないけど」

「…ミサト?」

「ごみーん!じょうだんよおおう!」

 

次いで名乗ったのがショートカットが似合う伊吹マヤ。

 

「よろしくね」

 

マヤはにこっと笑った。

 

その笑い方が何か年の近い少女のような笑い方で、その外見の若さと相まって下手すると十代のようにも見えた。

シンジはその透明な笑い方に何か安心するものを感じて、無自覚にはにかみながらよろしくと挨拶した。

 

「あら、私の時とはずいぶん態度違うのね?」

 

リツコがからかうように言った。

 

「そりゃーあんたみたいな年増よりマヤちゃんくらい若い方がいいでしょーよ」

「…ミサト、それ墓穴掘ってるわよ」

 

と、そんなやり取りをしつつ。

次いで眼鏡の優しそうな日向マコト、肩までの長髪のカッコイイ感じの青葉シゲルと挨拶を交わす。

 

「それともう一人紹介したい子が居たんだけど…ちょっと急用が出来ちゃってね」

「ああ、さっき会ったわよ。レイでしょ」

「あらそう?」

 

リツコはコーヒーを啜って間を置いてから呟いた。

 

「あの子がファーストチルドレン、つまり初号機…ああ、貴方が乗ったエヴァよ。それの本来のパイロットなの。

 でも事故で大怪我しちゃってね。それで予備だった貴方を急遽呼ぶ事になったのよ」

「…リツコ」

 

その予備、という言い方が引っかかって、ミサトは潜めた声でとがめる。

 

「事実でしょ。それに…どうせ貴方の事だからろくに話してないんでしょ」

 

う、とミサトが言葉に詰まる。

 

「だから、遅くなったけど説明するわ。」

 

 

セカンドインパクト。

 

 

世間では隕石の衝突と言われているが、その実その災害を起こしたのは、使徒。

 

「その結果使徒という存在を知った人類は、サードインパクトを阻止すべく特務機関ネルフを結成。

 その最高司令が…貴方のお父さんよ」

「人類のための大切な仕事、ですか…」

「そういう事。そして使徒に対抗すべく作られたのが、エヴァ。」

「なんか、いくらなんでもはしょりすぎじゃない?」ミサトが揶揄する。

「物には順序があるでしょう」

 

とリツコは紡ぐ。

 

「でもエヴァにはある欠陥があってね。特定の資質のある子供しか動かせないの。

 何故なのかいくつか推測されているんだけど…実はね、現時点では私達にも完全にはわかっていないのよ。

 わかっているのはその資質を持つ子が凄く珍しいって事だけ」

「その…いいですか」

「どうぞ?」

「その使徒を倒すために、その、エヴァ?を作ったって言うのは…?」

「その疑問ももっともね。理由は単純、ATフィールドという、使徒が使う一種のまあ、バリアのせいよ。

 そのバリアは非常に強力で通常兵器はまったく通用しない上、同じくATフィールドでしか無効化できないの。

 そのために、使徒を参考に人工的に創り上げたのがエヴァ。あれも同じくATフィールドを使えるの」

「…あれも使徒なんですか」

「そういう事。」

 

シンジは何となくあの白い骸骨のような、でもまるで怖くない使徒の顔を思い浮かべた。

あの、とおずおずと口を開く。

 

「あの使徒の事なんですけど…僕が倒したんです、か?」

 

一瞬、場の空気が変わったように思えた。

それが良く分からなくてシンジは首を傾げた。

 

「…報告は聞いてるわ。貴方は覚えてないんですってね」

 

リツコはコーヒーを啜り落ち着いて答えた。

 

「厳密に言うと、貴方が倒した、というのとは少し違うわね。エヴァが倒したのよ。…暴走してね」

「…暴走?」

「そう、暴走。エヴァは生命体だから自分の意思を持っているの。

 だから攻撃されて防衛本能が働いたんでしょう。エヴァが自分の意思で…反撃したのよ」

 

シンジは、疑問を素直に口にしてみた。

 

「エヴァって、生きてるんですか?」

「そうよ。あれは生物なの」

「じゃあ…別に人が乗る必要ないんじゃないですか?」

「その疑問も、もっともだと思うわ。でも逆に自分の意思をもった生物だからこそ、人がコントロールしなければいけないの」

「…こちらの言う事を、ちゃんと聞くように?」

「そう言う事。飲み込みの早い子は好きよ」

 

リツコは微笑みながら言葉を重ねる。

 

「まあ、ざっくりとだけどこう言った事情があるのよ。それでここからが本題。使徒はね、これからも来るの」

 

シンジはぼんやりと聞いていた。

 

「つまりね…シンジ君。貴方にはサードチルドレン、つまり三番目の適格者として今後もエヴァに乗ってもらう事になるわ」

「リツコ!」

 

それまで黙っていたミサトが口を開く。

 

「何?」

「何って…そんな決定事項みたいに」

「決定してるじゃない。だから貴方引き取ったんでしょう?」

「それは…」

「偽善はやめなさいミサト。シンジ君、正直貴方が見事にエヴァにシンクロできた以上、貴方に乗ってもらうのは決定してるの」

 

シンジはうなだれながら黙って聞いていた。

 

「使徒が勝ったら今度はサードインパクトが起きる。そうなったら、また信じられない数の人が死ぬでしょう。

 もしかしたら今度こそ人類は絶滅するかもしれない。人類の命運がかかっている以上…貴方に拒否権はないのよ」

 

その歳なら分かるでしょう?とリツコは穏やかな口調で言ってのけた。

 

「もちろん、報酬は出るわよ。ミサト、渡した?」

「ううん…この話が終わってからと思って」

「じゃあ、ちょうど良いんじゃない?」

 

ミサトは少しため息を付いて、懐から通帳を取り出した。

 

「シンジ君…貴方にはきっちりお給料が支払われるわ。月給に、出撃の度に特別手当、その他もろもろ」

「はあ…」

「ただ貴方の年齢には大金だから、お父さんの許可貰ってしばらくは私が管理する事になるの。

 で、とりあえず前回の出撃のボーナスから、当面必要な分をこの通帳に入れといたわ。」

 

ミサトは通帳とカードを渡す。

シンジはぼんやりとその通帳を見てみる。

それはシンジがびっくりする額だった。

 

「…こんなに?」

「ええ、まあもちろん服とかなんやら、今後必要な分含めてよ。でも、貴方のお金だから残りは好きに使っていいわ」

「いいんですか…?」

 

それにミサトは笑った。

 

「…当たり前でしょ。貴方は命がけで戦ってくれたんだから、それぐらいの贅沢はバチはあたらないわ。

 それに、それはあくまでごく一部だし」

「…ごく一部で、こんなに?」

「そう。当然の報酬よ。個人的には少ないとすら思うわ。

 まあ、さっき言ったみたいに成人するまでは大部分は管理させてもらうけどね」

 

シンジはぽつりと言った。

 

「…もう、全部決まってるんですね…」

「シンジ君…」

 

ミサトは何か言いかけて、やはり言えず、変わりにこう言った。

 

「シンジ君、せめて…レイの怪我が治るまで、乗ってくれないかしら?」

「…白い、女の子ですか?」

「そう…あの子が怪我してる以上、貴方すら居なかったんじゃ、もしまた使徒が来たとき…」

「…そうですよね」

「ええ、もう一人セカンドチルドレンがドイツに居るんだけど、まあ色々大人の事情でね。すぐにはこっちこれないのよ。

 だから…無理かしら?貴方が必要なの。貴方が居ないと…その、レイがあの怪我のまま戦う事になるかもしれないわ」

 

シンジはやはりうなだれたまま、でも、あっけなく言った。

 

「…わかりました」

 

ミサトはあまりにあっけない肯定の言葉に目を丸くした。

そして思わず。

 

「いいの?シンジ君…」

 

それにリツコは眉を僅かにひそめた。

リツコにとってもシンジの返答は意外だったが、そんな事聞いてやっぱり嫌です、って言ったらどうするつもりなの?

と、相変わらずのミサトの中途半端さに心でため息をつき、シンジの様子を冷徹な目で観察した。

 

シンジは、ミサトを見て、リツコを見て、視線を落とす。

 

 

そして、視線を落としたまま無感情にこくりと頷いたのだった。

 

 

 

 

 

 

「でも…シンジ君よく乗ってくれる気になってくれましたね…」

 

伊吹マヤは、少し眉をひそめた。

それを横目にリツコは口角を上げる。

 

「あら、やり方が気に食わなかった?」

「あ、いえ…その…」

 

マヤはおずおずと。

 

「でも、シンジ君が本当に拒否すれば」

「強制出来なかったわね。洗脳するわけにもいかないし。でも、シンジ君はそんな事知らないわ」

「…先輩は心から尊敬しています、でも…」

「人類の命運が掛かってるんだもの。この程度の穢れ役どうという事ないわ…潔癖症は、この先辛いわよ、マヤ」

 

マヤは少し項垂れて、沈黙した。

 

「それで…初号機の監視、続けてるわね?」

「はい…24時間継続しています」

「…まさかね。」

 

研究室のモニターにそれが写る。

 

先の使徒戦。

 

その映像はあまりにも残虐だった。

マヤはやはり顔を背ける。

 

その映像では、エヴァ初号機が、生きたまま使徒を食っていたのだ。

そして使徒のコアにがぶりとかぶりつき、すると、使徒が突然爆発する。

 

一面の火の海。

 

「暴走か。エヴァの実戦は初めてだけど、それにしたってイレギュラーすぎるわ…」

 

リツコはそっと囁いた。

 

「こんな形で…S2機関を取り込む方法があるなんて」

 

その炎の中で初号機が雄たけびを上げる。

筋肉が盛り上がり、装甲、もとい拘束具を吹き飛ばす。

 

ただの映像ですら、その咆哮に思わず鳥肌を立てた。

それは本能が訴える畏怖に満ち満ちていた。

あれは恐ろしい、逃げろ逃げろ、と細胞が訴えていた。

 

リツコは、鳥肌が立ったその腕を撫でながら低く言う。

 

「S2機関の出力、相変わらずね?」

「はい、完全に停止しています。稼動の兆候もまったく見られません」

「ふん…」

「でも…どうして止まったんでしょう?初号機がその気になれば…」

「エヴァの考えている事なんて私達には分からないわ。少なくとも…敵対するつもりは、無いんでしょう」

 

今のところは、とリツコは独り言ちた。

 

「今頃…司令は委員会で突き上げられてるんでしょうか」とマヤ。

「さあ?意外と…お得意の隠蔽工作でもするつもりかもよ?」

「…そういえば、こんな事になったのに初号機は一時凍結命令…」

「そう、あくまで一時凍結。ずいぶん軽い処置よね」

 

リツコは皮肉気に笑った。

 

「一体…どこまでが碇司令のシナリオ通りなのかしらね?」

 

 

 

 

 

 

ちょっと見せたい所があるのよ。

 

夕食をとった後、そう言ってミサトが連れて行ってくれた場所はとても見晴らしの良い丘だった。

 

「もう少しよ…来た」

 

シンジは感嘆のため息をついた。

ビルが、地面から生えてくる。

 

「…シンジ君、これが、貴方の守った街よ」

 

シンジはその見た事もない(当たり前だ)壮大な光景に見入った。

その夕日の赤はまるで彩るようにビルを赤く染め、ミニチュアのような黒い影を作っていた。

その光景は確かに、鮮明に記憶に残るひとつの名画のようだった。

少なくともシンジは、実際この光景を一生忘れなかったのだから。

 

それが、良い事か悪い事だったかは遂に分からなかったが。

 

ミサトがあのね、と呟いた。

 

「私ね、シンジ君。貴方にどうお礼を言っていいかわからない」

 

シンジはその言葉にミサトを振り向いた。

夕日の赤がやはりミサトの稚気のある若々しい顔を赤く染めていて。

それが彩るミサトの憂う表情に、この時のシンジは無自覚に、まったくの無自覚に見惚れてしまった。

 

「私ね…その、使徒が、憎いの」

 

無意識に左胸をなぞりながらそっと呟いた。

 

それは本来、言うつもりの無い事だった。

というより、それを話したのは今のところミサトの人生で二人しか居ない。

それは本当に、ミサトにとって己の心の襞を見せるのと同義だったのだから。

 

だが、この時ミサトは話した。

 

何故、たった数日前あったばかりのこの少年に話すんだろう、と自分で疑問に思いながら。

 

もしかしたら罪悪感だったかもしれない。

それを少しでも軽くするために、こんな事情があるのよ、と自己弁解するつもりだったのかもしれない。

あるいは情に訴えて、少年に少しでも大目に見てもらおう、という打算だったかもしれない。

 

それとも、ただの懺悔だったのかもしれない。

 

結局、ミサトは確かに、とてもとても情に深い女で、冷酷になりきる事ができない女だった。

それは、必ずしも美徳とは言えなかったろう。

だがその中途半端さ、割り切れないミサトの弱さ、または優しさは、同時に悪徳とも言い切れなかった。

 

「セカンドインパクトの時、父を亡くしてね」

 

シンジはその憂いのあるミサトの顔をぼんやりと見つめた。

 

「私ね、インパクトの時、爆心地に居たのよ」

 

話すと長いから事情ははしょるけど…と、まるで独り言を呟くように。

 

「目の前で使徒の姿を見たわ。父はね、そのインパクトの最中…私を、庇って、死んだわ。」

 

私を庇ったの。と遠くを見て。

 

「それから私は復讐に生きる事を決めた。そのために必死で頑張って、まあ念願のネルフに入れたんだけどね。

 私には…エヴァを動かせない。直接、自分の手で復讐する事が出来ないの」

 

シンジはどうすれば良いか分からず、ただ黙ってミサトの話に耳を傾けた。

 

「だから、シンジ君。私貴方が乗ってくれてね…」

 

とそこまで言ってミサトは改めて自分に呆れた。

思わずがしがしと頭を掻く。

 

これじゃつまり、貴方は私の復讐の道具よ、と言ってるみたいじゃない。

みたい、じゃない。事実、道具に使おうとしているのだ。

だがそれを少年に暴露してどうするの?そうする事で自分は楽になるかもしれないけど、シンジ君は…

 

と、そこまで考えてシンジを見る。

 

彼は、どこかつぶらな瞳でミサトを見ていた。

そこには別段ミサトに対する軽蔑やなんやらの感情などなくて。

 

その無垢な瞳が、やはりミサトの何かをそっと愛撫した。

その柔らかい心地よさに思わずミサトはその瞳から目を背けた。

 

「だから、その…軽蔑していいわ。私のこと。…最低だもの」

「…よく、わかりません…」

 

シンジは正直にそう言った。

 

でも、と。

 

「…嘘をつかれるより…ずっと良いです」

「…シンジ君」

「僕は…必要とされてるんでしょうか…?」

「ええ…そうよ。貴方は必要とされている。少なくとも…私には、貴方が、必要よ。」

 

それは正真正銘、偽りの無い言葉だった。

だからシンジはじっとミサトを見て。

そっと、その景色に視線を戻した。

 

ミサトも黙って、その景色に視線を合わす。

 

血の様な赤い地面には、伸びた二つの黒い影。

 

 

その影が夜に溶けて見分けが付かなくなるまで、二人はじっとその光景を見続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

15/7/14


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