神喰い達の後日譚   作:無為の極

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第56話 有効活用

 極東支部の福利厚生の一環として新設されたラウンジは、通常であればゴッドイーター達の憩いの場として提供される事が多く、その殆どは任務の終わりに食事や休憩の為に立ち寄る事が多い。しかし、そんなラウンジにももう一つの側面があった。

 気が付けば既に時間が遅かったからなのか、照明は何時もの様に明るさを感じる事は無い。周囲を見れば少し薄暗いからなのか、何時もの溌剌とした雰囲気から一転し、落ち着いた風景がそこに広がっていた。

 

 

「弥生さん。私に何時もの下さい」

 

「偶には違う物でも良いのよ」

 

「私、この味が結構好きなんです」

 

「そう言ってもらえると嬉しいわ」

 

 取り止めの無い会話をしながらも弥生の手は止まる事は無かった。カウンターの下から出されたボトルを取り出すと、氷が入ったシェーカーに適量を注いでいく。既に手慣れた手つきだからなのか、シェイカーの蓋を閉めると同時に小気味良いシェイク音が周囲に広がっていた。

 

 

「はいどうぞ」

 

「ありがとうございます」

 

 カウンターに座っているのはのは仕事に区切りがついたアリサだけだった。本来であればバーカウンター故に他の利用者も居る事が多いが、今日は珍しくカウンターの利用はアリサ一人だけだった。

 ここのラウンジは特定の曜日はムツミの都合で終わる時間が早くなる事があり、その結果、バータイムとなってからの利用率は低くなる事が多かった。そんな事実はアリサとて理解している。その原因は極東でのアルコールの提供年齢が起因していた。

 アリサの前に出されたのは少しだけ黄色味がかった飲み物。『コンクラーベ』のクリーミーな味わいと共に甘酸っぱさが口に拡がるそれをアリサは好んでいた。

 

 

「チェイサーでサラトガクーガも作るわね」

 

「すみません。お願いします」

 

 何時もと違った光景なのか、アリサの背中を見ながら周囲にいた男達はアリサから視線を背ける様な事はしなかった。暗がりに見えるアリサの髪は照明の影響なのか、鈍く輝きながらその存在感を放っている。弥生とて視線を察知したものの、それ以上声を掛ける様な事も無い事を知っているからこそ、敢えてサラトガクーガを作る為に取り出したライムを切り分けていた。

 

 

「でも、随分と飲みなれた感じね。以前とは違って雰囲気出てるわよ」

 

「そうですか?そんなつもりは無いんですけど」

 

「ううん。ノンアルコールのカクテルなんて、実際にはジュースと変わらないのよ。確かにそれなりにテクニックも必要とするから、通常の物とは違うんだけどね」

 

「確かに言われてみればそうですね」

 

 弥生と話をしながらもアリサは残ったコンクラーベを飲み干していた。

 確かに昼間に飲むジンジャーエールに比べれば雰囲気だけでなく、その味も深く感じる。

 本来であればアリサがここに来るのは年齢から考えても間違い無い。アリサとてそれを当初は理解していたからこそこの時間帯に来る事は無かった。

 しかし、そんなアリサをここに誘ったのは目の前に居る弥生本人だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「確かに仕方ないね。だが、時間だからと締め切るのも申し訳ないと思うんだ。どうだい。何か良い案は無いかね?」

 

 榊の唐突な案に呼ばれたコウタは固まっていた。元々ラウンジはゴッドイーターの憩いの場として提供されていたが、実際に稼働していたのはエイジがまだ極東に居た頃の話。

 既に料理人としてムツミが来まってからは従来の様な不安定な営業ではなく、事実上の安定した営業が行われていた。

 コウタもラウンジに関しては利用する事は多かったが、夜に関しては任務の関係上、利用する頻度は多くなかった。確かに時間外の食事は簡易的な物が出ているが、通常になれれば味気ないのは事実だった。

 そんな事があったからなのか、突然呼ばれ榊から告げられた言葉にコウタはそれ以上は何も言う事が出来ないままだった。

 

 

「えっと……夜って確か終わりは8時でしたよね?」

 

「今はそうなんだが、今後の事も考えるとムツミ君の状態によっては営業時間もバラバラになるかもしれないんだ。確かに弥生君は良くやってくれてるんだが、それでも中々要望に応えきるのは難しくてね」

 

「確かにそうなんですけど……」

 

 コウタとしてもムツミに料理人が決まるまでに紆余曲折あった事は知っている。

 ムツミ以外の料理人が他に居ればこの問題はクリアできるかもしれないが、これまでに来た人間の事を考えると頭が痛い案件でもあった。

 

 

「取敢えず、今直ぐと言われても答えが出ないんで、少しだけ時間貰えませんか?」

 

「もちろんだ。コウタ君の感性に期待してるよ」

 

「はぁ。考えてみます」

 

 何時もの笑みを浮かべた榊の顔にコウタは少しだけ苦笑をうかべながら支部長室を後にしていた。これまでにも何度かあった無茶振りではあるが、今回もまた頭を痛める羽目になったからなのか、どこか浮かない表情のままだった。

 

 

 

 

「時間外のラウンジの運用?」

 

「そう。さっき榊博士からそんな事言われたんだけど、案なんて全然思い浮かばないって言うか……俺が出来る事なんて何にも無いんだぜ」

 

「因みにソーマは何て?」

 

「一言だけ。『勝手にしろ』だぜ。如何すりゃいいんだか」

 

 榊からの依頼を受けたコウタとしても、何とかしたい気持ちは多分にあった。

 確かに折角施設があっても常に使えないのであれば意味が無い事は理解している。事実エイジが居た頃はまだ稼動していない為に、それほど気にする人間は少なかったが、今はムツミが居る為に何らかの期待を持っている事は明白だった。

 もちろん遅い時間までムツミにお願いする訳にはいかない。同じ年代のノゾミが居るコウタからすれば、最初からそんな案は存在していなかった。

 

 

「アリサとしては何か良い案は無い?」

 

「そんな事突然言われても、案なんて直ぐには出ませんよ。それに今はサテライトの件でここに遅い時間に来る事は無いですから」

 

「そっか……でもさ、偶には休めよ。最近無理しすぎてるんだろ?」

 

 コウタがアリサに話したのは純粋に提案に対する話では無かった。エイジとリンドウが派兵に出てからはサテライトの建設に関してはアリサが事実上の責任者として動く事が多くなっていた。

 常に書類と格闘している姿はここに居る誰もが見ている。

 コウタとしても少し位は手伝おうかと思ったものの、膨大な申請書類と、解読すら困難だと思われる専門用語の多い書類は、これまでやってきたレポートなど児戯だと言いたくなる内容だった。

 

 

「そんな事はありませんよ。私なんかよりもエイジやリンドウさんの方がもっと大変なんですから」

 

「まぁ……そう言われればそうなんだけどさ」

 

 派兵に行ってからも、以前の様に単独で欧州に行った当時と同様にマメに通信は来る事が多かった。教導だけでなく接触禁忌種の討伐など派兵先でもやるべき事は山積したまま。

 常に何かしらやっている事はコウタも理解しているからこそ、眼の前で話をしながら書類と格闘するアリサを眺めていた。無駄話をしながら多少の気分転換を図るのも悪く無い。そんなコウタの思惑がそこにあった。

 

 

「とにかく私に聞く位なら弥生さんにでも聞いたらどうですか?その方が建設的な意見が出ると思いますよ」

 

「……そうだな。それとアリサ。最近寝てるのか?目の下にくまが出来てるぞ。あんまり酷いとエイジも心配するんじゃないのか?」

 

「その時はコンシーラで隠しますから大丈夫ですよ」

 

「それダメじゃん」

 

「コウタに心配される必要は無いですから」

 

 会話は終了だと言わんばかりにアリサは再び目の前にある申請書類に取り掛かっていた。

 あのネモス・ディアナ以降、漸くサテライトの目途が立ったからなのか、ここ最近は徹夜に近い物がある事をコウタは知っている。

 アリサは戦友であるとい同時に親友の彼女でもある。幾ら誤魔化した所でバレるのは時間の問題でしかない。

 ラウンジの運用も去る事ながらここは一つ何かやった方が良いだろうと、コウタは改めてロビーを後にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほどね。コウタ君としてはアリサちゃんの事が気になるのね」

 

「別に何かやましい事がある訳じゃないですから」

 

「そんなの知ってるわよ」

 

 榊からのラウンジの運用に関してはコウタとしては既に手詰まりの状態に陥っていた。

 元々ラウンジにはバーカウンターやビリヤード台と言った、明らかに何の為に使われるのかを示す設備が備わっている。態々コウタを指名せずとも結論は既に出ているも同然だった。

 そんな単純なロジックに気が付いたのは既に榊から伝えられて36時間が経過した頃。だとすればやるべき事は確認を取るだけ。コウタは直ぐに弥生の下を訪ねていた。

 

 

「でも、何であんな事、榊博士は言ったんです?」

 

「あら?気が付かない?」

 

「ええ。まぁ………」

 

 歯切れの悪い返事に弥生はゆったりとした笑みを浮かべながらコウタの話を聞いていた。

 この『柊 弥生』は最近になって極東支部の秘書として赴任していた。当初はどこか妖艶な雰囲気を持つ美貌からなのか、割と他の女性職員からも妬まれる事はあったものの、本人と直接会話した人間はその気さくさからなのか、当初持っていた感情は既に無くなっていた。

 元々本部の上層部付の秘書ともなれば機密の一つや二つ知っている事が多い。これまでにも何件かの相談があった際には割と際どい解決方法を取った事もあった。

 そんな部分を見ていたからなのか、コウタにとっては良く出来た姉の様なイメージを持っていた。

 

 

「簡単に言えば、アリサちゃんが少し無理をし過ぎてるのよ。確かにサテライト計画はクレイドルにとっても……ううん。広義に見れば、フェンリルにとってもかなり意識されてる計画なのよ。コウタ君。本部から見た極東支部ってどんなイメージがあるか知ってる?」

 

「ここの…イメージですか?」

 

「ええ。ここのイメージよ」

 

 先程まではどちらかと言えばアリサの話をしていたはずが、気が付けば話はサテライトからフェンリル全体へと変わっていた。

 元々どんな意味を持っているのかを考えた訳では無い。そもそもコウタとしてもここで産まれて、ここでゴッドイーターになっている。

 だからなのか、外部からのイメージと言われても全く想像が出来ないままだった。

 

 

「………ちょっと想像出来ません」

 

「素直なのね。簡単に言えば、フェンリルの中でも特に上層部からすれば目の上の瘤なのよ」

 

「なんでそんな事になるんですか?」

 

 弥生の言われた事にコウタは理解出来ない。確かにここが基準となっているだけでなく、比較対象が無いのであれば比べようが無い。しかし、目の前に居る弥生は本部に居た為に事実を知っている。

 これまでに考えた事が無い事実。だからなのか、いつもと違った考えがコウタの中に渦巻いていた。

 

 

「簡単な事。ここは他と比べても色々な意味でトップクラスなのよ。今回のサテライト計画もその一つじゃなかったかしら?」

 

 弥生の言葉に初めてサテライト計画の案を榊に聞かされた事を思いだしていた。既に人口の増加だけでなく、食料事情が格段に向上している事はコウタも理解している。しかし、それが他と比べるとなればどう違うのかが分からない。

 だからなのか、コウタはただ弥生が告げる言葉に耳を傾けるしか無かった。

 

 

「確かにそうですけど……でも、それとこれにどう関係性が?」

 

「要は嫉妬よ。本部に近いか、それ以上の設備と住環境。周囲に対するアラガミへの防衛力だけでなく、それを活かした研究はフェンリルの中でも断トツ。言い出せばキリが無いの。そんな中で今回出たサテライトが仮に破綻した場合、どうなるのか分かるでしょ」

 

「確かに……」

 

 弥生の言葉にコウタは改めてこれまでの経緯を思い出していた。事実上のサテライト拠点とも言えるネモス・ディアナは完全に自治として機能しながら住環境も決して悪いとは言えない内容だった。

 極東支部の様にひしめき合って生活するよりも、緑が豊で落ち着いた雰囲気を持っていた記憶がある。

 住環境を良くすればその分、人間が住まう場所は限られてくる。そう考えれば随分と贅沢なんだと改めて考えていた。幾らアラガミとの戦いに明け暮れていたとしても、その程度の事は想像出来る。

 仮にそれが失敗したとなれば、周囲の声は確実にアリサに向かうのは予想出来る事実だった。

 

 

「そんな事もあったから少しは気分転換させたらどうかって事なの。でもアリサちゃんの性格を考えると、それも難しそうね」

 

 コウタだけでなく弥生の目から見ても今のアリサはオーバーワークと言う言葉すら陳腐な様にも思えていた。

 責任感の強さ故なのか、確かにここが勝負所なのは理解出来る。だからと言って、そのまま簡単に容認する訳には行かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え……休めって本当に言ってるんですか?」

 

「ああ。このままやってもアリサが倒れたら元の子も無いだろ。根を詰めた所で良い結果が出る可能性は低いだろ」

 

「私はコウタとは違いますから。ほっといて下さい」

 

「ちょっと待てよアリサ!」

 

 コウタの言葉もむなしく、アリサは自身の殻に籠るかのように没頭していた。コウタが知っている中でも既に徹夜しているのは1回だけの話ではなく、既に何度か目にしている。

 本来であれば親友でもあるエイジからも言ってほしい所だが、今のエイジ達が置かれた状況を考えれば、安易に連絡する訳にも行かなかった。

 

 

「相変わらず真正面から行き過ぎよ。それだと返って逆効果よ」

 

「分かってはいたんですけどね……」

 

「まぁ、後は私の方で何とかするわ」

 

 アリサが去った痕、コウタの背後からは弥生の声が聞こえていた。恐らくは先程のやり取りを聞いたのかもしれない。だからこその台詞だった。

 1人でやれる事には限界がある。これまでのミッションを考えれば、アリサの行動はまだ極東に配属された頃と変わりなかった。

 既に提出された書類の内容に関しては不備は少ない。多少の漏れは弥生がフォローしているが、それでもその膨大な書類をやりきれる程甘くは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ラウンジの開設……ですか?」

 

「そうなの。元々から計画はあったんだけど、中々人選に困っちゃってね。漸く目途がついたから、今晩から開設なのよ。折角なんだし、アリサちゃんも感想を聞かせてほしいのよ」

 

 弥生からの言葉にアリサは少しだけ困惑していた。元々サテライトの建設に関しては概要は屋敷の人員も関わっている。幾らアリサと言えど独学で建築の事まで学びながらは無理があった。

 多少の事は聞きかじりながらでも可能だが、肝心の防壁の強度やコスト面。完成後の維持に関してはやるべき事は多岐に渡っている。

 1人でやれない事は無いが、そうなれば今度は他の申請に無理が生じる可能性が高かった。

 

 

「私は基本的にアルコールは飲めませんよ。それにそんな暇なんて……」

 

「暇ね……アリサちゃん。悪い事は言わないわ。今の申請書類が完璧に出来てると思ってるの?」

 

「え……そんな事ありえません。私何度も確認しました」

 

「だったらこれは、どう説明するつもりかしら?」

 

 弥生が見せた書類は先日入植者の対象に関しての立案書類だった。

 現在の外部居住区に住める人間はフェンリルに関わっている人間が優先されている。身内がゴッドイーターであれば他の誰よりも先に優遇されていた。

 人口増加による懸念事項を解決する為に計画されているサテライト計画はその選から漏れた人達を救う為にやっている。

 そんな中でも最重要ポイントとも取れる対象者の選別基準が記載された書類。弥生の手には完全に間違った内容が記載されていた。

 

 

「こ、これは……手元が狂っただけです」

 

「手元が狂ったで済めば良いけど、これが仮に直前で発覚した場合、現場は混乱するだけでは済まないのよ。このままだと極東支部を作った当時と同じ現象が起きる事になる。同じ轍を踏む必要はどこにも無いのよ」

 

 その重要性を誰よりも理解しているからこそアリサは弥生の言葉を真摯に受け止めていた。

 恐らくはこれまでにも何度も間違いがあったのかもしれない。しかし、今のアリサにとって過去を振り向くだけの時間と心のゆとりは無くなっていた。

 

 

「これ以上責めるつもりは無いの。ただ、少しだけ立ち止まる事も時には必要なのよ。だから今回のラウンジの運用に関しては息抜きと言うよりも、任務だと思ってもらった方が良いかと思うわ」

 

「…任務だと言うのであれば……」

 

 どこか釈然としないものの、弥生の立場から任務だと言われればアリサもそれ以上の事は何も言えなかった。

 既に準備されているからなのか、扉を開けるとそこはアリサが知っているラウンジでは無かった。

 薄暗い照明が周囲の景色を隠すかの様になっている為に、大勢が居るにも拘わらず、どこかプライバシーが保たれているようにも見える。何時もは食事をする為だけに利用していたからなのか、明らかに違った雰囲気にアリサは少しだけ驚きを見せていた。

 

 

「あの……こんなに違うんですか?」

 

「そうよ。でも設備に変更点は無いわよ」

 

 カウンターの向こうでは何時ものスーツ姿とは違い、白いシャツにベストを着た弥生がカウンターの向こう側に立っていた。既に用意されているのは明らかにアルコールだと分かる物。今日が初めてだったからなのか、ここい居る顔ぶれも何時もとは明らかに異なっていた。

 

 

「でも、こんなに変わるなんて……」

 

「それは着眼点の違いよ。同じ設備でも見せ方が変われば受け止め方も変わる。よく見れば皆同じよ」

 

 弥生の言葉にアリサは改めて周囲を見渡していた。確かに設備に違いは無い。

 薄暗い照明とテーブルの上に置かれたキャンドルの暖かな光が席に座ってる人物だけを照らしていた。

 

 

 


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