アイスブルーの瞳には先程から数字の羅列の様な物がアットランダムに映し出されているのか、その瞳が他の場所を映す事は無かった。
目に飛び込んでくる情報は猫の目の様にめぐるましい程に変動を繰り返している。時折赤く染まる事もあれば、アラガミのバイタル情報が一気に減少していく。傍から見れば圧倒的な情報量にも拘わらず、金髪の少女は終始冷静に判断をしていた。
「α1。バイタルが危険です。速やかに回復をして下さい」
「アラガミのバイタルが大幅にダウンしています。あと僅かです」
耳に付けたインカム越しに響く音は戦場での出来事。端末と音の二つの情報で少女は戦場を完全に把握していた。
ピアノを演奏するかの様に端末を叩く音に澱みはなく、次々と指示を繰り出していく。この少女にとっては今手掛けているミッションは何時ものブラッドのメンバーではなく、極東の新人から中堅までの部隊のオペレート。何時もとは勝手が違うからなのか、既に時間にしてどれ程の時間が経過しているのは判断する事すら出来ない。このまま終わりが見えないと思われた瞬間だった。
「オラクル反応が途絶えました。皆さんお疲れ様でした。帰投の準備は出来ていますので到着まで暫しお待ちください」
その一言で漸く厳しい戦いに終止符が打たれていた。インカムを外すと同時に、大きく息を吐く。先程までは殆ど呼吸をしていなかったからなのか、肺に入る冷たい空気はどこか心地よく感じていた。
「フランさん、お疲れ様でした」
「いえ。私はまだまだです」
背後から声をかけられたと同時に落ち着く事ができたのは、ヒバリが持って来ていたアイスティーを口に含んだからだった。端末上では先程の戦闘データが改めて確認しやすく出来るようにログデータとしてまとめられている。
何時もと違ったミッションはフランの冷静な見た目にそぐわず極悪な物だった。普段であれば連続ミッションはこのレベルの部隊が受注する事は殆ど無い。仮にあったとしても第1部隊やクレイドル。若しくはブラッドが入る事が多く、またどの部隊も隊長そのものが冷静に判断するからなのか、オペレートする側もかなり安心できる事が殆どだった。
『戦場では冷静さを失った者から脱落していく』誰が言った訳でも無い言葉ではあったが、今の極東はまさにこの言葉がピッタリと当てはまる事が多かった。
連戦に次ぐ連戦は肉体だけでなく精神までもが疲労を蓄積していく。その結果、集中力が低下し、やがてはアラガミに捕喰される運命だけが待ち構える事になるのはここの常だった。
初めて配属されたフライアはどこか実験施設の様なイメージがあった為に、ここまで厳しいミッションに当たる事は殆ど無い。精々が小型種が数体か、時折単体で見る中型種のミッションが殆どだった。もちろん、本部でも今のシステムが導入されてからは生存率が大幅に向上した事は知っているが、この程度のミッションであれば、態々自分達が出るまでも無いとさえ考えていた。もちろん現場を軽視している訳でも無ければ、慢心している訳でもない。精々がシミュレーションをそのまま実行しているだけにしか思えなかった。
そんな中でラケルの計画によって極東支部に来てからのフランはこれまでの常識を良い意味で破壊されていた。ここでは常にイレギュラーが発生し、そのどれもが高難易度ミッションに相当している。
戦うアラガミだけに集中すれば、今度はその戦闘音を察知して他の地域に居るアラガミがまるで吸い寄せられるかの様に戦場に舞い降りる。実際にこの目で見た事はないが、確実に生きたまま地獄に放り出されている様な錯覚を覚えるのは既に両の手で数える事すら不可能な程だった。
「そうですか?少なくとも私はフランさんと同じ頃はそんな事は出来ませんでしたよ」
「それはここのシステムが優秀だからですよ。私はただそのシステムの現す内容を口にしているだけですから」
出されたアイスティーはゆっくりと量が減っていくのと同時に、これまで乾ききった喉は潤いが起こったからなのか、フランも落ち着きを少しづつ取り戻していた。本来であればロビーのカウンターの中で飲食をする事は褒められた物ではない。万が一精密機器に問題が発生すれば、全ての任務に大きな影響が出てくる。
だからなのか、カウンターの中では無く、少し離れた場所にある椅子に腰を下ろして話をしていた。
「フラン=フランソワ=フランチェスカ・ド・ブルゴーニュです。名前が長いのでフランとお呼び下さい」
「私は竹田ヒバリです。これから宜しくお願いします」
フライアから配置転換されたばかりだからなのか、フランは少しだけ緊張していた。各地を転々と変わる事はオペレーターの場合、殆ど無い。戦闘時におけるサポートだけでなく、それ以外にも色々とやるべき事が多い為に、事実上の事務的な仕事も多かった。
キッカケは実に些細な事。これまで運用をしていた神機兵について色々と情報の開示請求を出しはしたものの、返ってきた答えは事実上のフライアからのパージだった。
決して何かを探ろうとした訳ではない。フランとしては万全を期したいが為に情報を開示してほしいだけだった。何もわからないままでは任務にも多大な影響を及ぼす。仕事を全うする為の当然の行為だった。しかし、ラケルが出した答えはこの地からの転属。自分の身に何が起こったのかすら分からないまま極東へと配置転換していた。
極東支部の支部長でもある榊から誘われた事実はフランにとっては喜ばしい物だった。従来であればパージした人物を受け入れようなどと思う可能性はかなり低い。理由はともあれ、何かしらのトラブルを抱えているに違いない。そう思われるのが関の山だった。
ここにはブラッドが居るだけでなく、一時期本部で共同任務をした凄腕のオペレーターが居る事もここに来る材料の一つだった。初めてシステムが導入された際に、一番の実績を叩き出した人物が居るのであれば、自分もその高みに至りたい。実績を考えればかなりのベテランだと勝手に予測した事もあったが、目の前に紹介された人物はどう贔屓に目に見ても、自分と対して年齢が変わらない様にも見えていた。
いくらあれこれと想像した所で実際に見ればすぐに分かる。自己紹介された際のヒバリはまさに年齢に見合わない落ち着きを持っている様にも見えていた。
「貴女があの竹田ヒバリさんですか。お噂はかねがねお聞きしてます」
「私は特に変わった事は何一つしてませんよ」
柔らかな笑みを浮かべはするが、ここに来るまでにフランは情報を確認していた。当時導入された際にはこれまでの様にただ状況を伝えるだけではなく、確実にゴッドイーターをサポート出来る能力は生存率を大幅に引き上げている。
もちろんシステムが優秀なのかもしれないが、それだけであれば本来であれば全体が底上げされるのが当然。しかし、当時の状況を見れば突出した成果を収めているのは極僅かだった。そんな中でも極東支部の成績はダントツ。だからなのか、フランもここに決まった際にはかなり緊張したままだった。
「ですが、本部での成績は竹田さんが一番でしたので、私としても是非指導して頂きたいんです」
「いえ。私の出来る事なんて限られていますので」
フランの言葉にヒバリは照れながらもどこか謙遜している様にしか見えなかった。ここでは自分を前面に押し出す様な文化は殆ど無く、常に控えめにしている事が多いと聞いている。だからなのか、そんなヒバリの言葉を全部受け入れている訳ではなかった。
自分がここに来た経緯を正確に知ってるのは支部長でもある榊だけ。事実上のパージはオペレーター失格の烙印を押されている様にも思えていた。
「そんなに卑下する必要はありませんよ。フランさんがここに来るまでにナナさんや北斗さんからも話は聞いてますから。かなり優秀な方ですって」
「え……そうでしたか」
何気なく言われたヒバリの言葉にフランは自分の顔が熱くなった様な気がしていた。ブラッドの様に戦闘に出ている訳では無い。自分の様な非戦闘員を普段はどんな目で見ているのかはフランも何となく理解していた。それは元々のフランの立ち位置にも大きく影響していた。
実際にフランは元からオペレーター志望として入隊した訳ではない。元々は本部の士官候補生としてフェンリルに配属されていた。士官ともなれば見るべき物は多岐に渡る。そんな中で現場の視察に対する一幕がフランの価値観を大きく歪めていた。
士官候補生とは言え、現場に出ればそれなりの階級を実質的には持つ事になっている。
それは命令系統に大きく由来する部分が多分にあるだけでなく、緊急時における指示やそれに伴う責任の所在を明確にする為だった。大きな権利を有する者はそれに伴い大きな義務も発生する。自分勝手に行動を起こせば大事な人的資源でもあるゴッドイーターの命を脅かす可能性があった。
事実、本部では殆ど無いが、現場での対応を誤った結果、部隊の全滅などあった日には確実に候補生と言えど責任の義務が発生する。だからなのか、適当過ぎた司令が最悪の結果をもたらしていた。
本来であれば士官候補生と言えど厳罰は免れない。
指示系統を一本化した際に、事実上の責任が発生した案件で、フラン以外の候補生はその際に、一人の人間の誤った指示であると責任を擦り付けていた。その結果、担当した人間は弁解をする間もなくその職を追われ、気が付けば何時の間にかパージされていた。
一度はフェンリルでの職に就いた者の末路は哀れの一言だった。これまで何不自由なく生活出来た物が、パージされた事によって日々の配給に並ぶ生活を強要される。慣れ切った者が悪いのか、それともそんな環境が招いた結末なのか、その人間は人知れず自殺してこの世を去っていた。フェンリルからすれば大した事が無い人材の世話など一々しない。
財閥の跡取り程度であれば何かしらの便宜を図る事も可能だが、生憎とそんな都合の良い物は早々存在しない。だからなのか、そんな陰謀や責任転嫁を当然の様に行う人間が部下に恵まれる可能性は皆無だった。
そんな事実を知っているからこそフランは最初に言われた言葉の意味を理解するのに時間がかかっていた。短い期間にも拘わらず、こうまで評価してくれる人間はあまりいない。だからこそ、ナナと北斗がヒバリに話した言葉はフランにとっては驚きの結末でしかなかった。
「実際にフライアでの稼動状況は少しですが入手しています。私も今のままは結構大変なので、フランさんが来れば助かります」
ヒバリの飾らない笑みはフランの緊張した雰囲気を壊していた。データ上ではかなりの才女の様なヒバリではあったが、今のフランの目に映るそれは歳相応の姿。そんな光景を見たからなのか、フランはここならばと思いながら今後の任務の事を考えていた。
「α1直ぐにその場から離脱して下さい。α2は周囲の索敵を!」
順調に進むと思われた時間は一瞬にして過ぎ去っていた。本来であれば何ら問題無いはずのミッションだったが、災厄は突如として舞い降りていた。
『感応種』ゴッドイーターをまるで嘲笑うかの様にイェン・ツイーは上空から舞い降りていた。シユウ種の武人の様な雰囲気とは違い、どこか貴婦人を思わせるその姿は、ただ見る分には問題無いかもしれないが、ここが戦場である以上、うっすらと浮かべた様に見える笑みはまさに地獄への片道切符でしかなかった。
極東のルールではブラッドが居ない場合、スタングレネードを使用しその場からの緊急離脱を義務付けている。その為に、どんなミッションでも最低限1個は保有しておく必要があった。
しかし、見えない何かに導かれるかの様にアラガミが次々と沸き起こった事から手持ちのスタングレネードはゼロ。その為に今出来る事は動かない神機を持ちながら逃げ惑う事しか出来なかった。
幾ら通信機に叫ぼうが、次々とバイタルを表す数字は減少を続けている。気が付けばα3の生命反応は消失し、α1は風前の灯火。本来であれば救護に向かうべきα2はフランの指示で周囲の索敵を行いながら離脱の可能性を探っていた。
「α1バイタルが危険です。直ぐに回復を!」
《まだ感応種に襲われたままだ。振り切る事は不可……》
「α1、応答して下さい!」
フランの言葉も空しくそこから聞こえるはずの声は既に無くなっていた。画面に出ているのはバイタル信号を発信していないα1のデータ。先程の途切れた声と画面上から判断出来る事は捕喰された事実だけだった。
自分の指示をこなしたはずの人間が、自分の指示によって命が消えている。これまでにもフランは何度もシミュレーションを繰り返した際に、何人かのゴッドイーターが犠牲になった事はあった。しかし、それはあくまでも戦略的な結果であって仕方の無い事でもある。当時はそうやって割り切れたものの、最後までフランの耳朶に残った声は紛れも無い現実でしかなかった。
先程まで激しく動いた数字は完全にゼロから動く事は無い。動かないバイタルの数字を見たフランはそのまま呆然としていた。
「α2、離脱可能ですか?」
《ああ、何とか可能だ》
「であれば速やかに離脱して下さい!」
《だが、他の仲間が》
「もう間に合いませんので」
《……了解した。直ちに行動を開始する》
呆然としたままのフランの通信を横取りしたかの様にヒバリはまだ生き残っているα2に向けて通信を繰り返していた。本来であれば到底容認される様な内容ではないが、緊急事態が故の判断だった。既に位置情報を確認すればギリギリアラガミの索敵範囲から外れたのか、アラガミはその場から動く事は無い。漸く死地からの脱出ともとれるミッションに幕が下りていた。
「フランさん……」
今のヒバリの目に映るフランは呆然した表情を浮かべていた。詳しい事は分からないが、フライアでオペレーターをした際には経験した事が無かったのかもしれない。そんな考えがヒバリの脳裏を過っていた。
フライアの頃は何も分からないが、実際に自分のオペレートで死者が出たとなればショックは大きい。事実、自分も一度は通った道だからこそヒバリは今のフランの心情を理解していた。
他の支部は分からないが、ここでは何だかんだと死者の数はそれなりに出ている。実際にヒバリも自分のオペレートでも亡くなったゴッドイーターを何人も見ているからこそ、立ち直って前に進むしかない事を理解していた。
「フランさん。亡くなった方の事を思えば気持ちは分かりますが、だからと言って何もしなくても良い訳ではないんです。直ぐにα2の回収の準備を行ってください」
「…………」
「フランさん。一度しか言いません。亡くなった方にばかり目を向けたら生き残ったα2は一生気に病む事になります。貴女がどうなろうと勝手てすが、生存している方を優先して下さい」
慰めるのではなく、冷徹にヒバリはフランに対し指示を出していた。未だボンヤリとはしているが、言われた言葉を辛うじて理解したからなのか、ノロノロと指示を出す。覚束ないまでは行かなくても初めの頃の様な手つきは一切見えなかった。
「私は……」
フランは人が少なくなったラウンジのカウンターの端で一人最後のミッションの事を思い出していた。自分の指示が誤りだったのだろうか?それとも他のやり方があったのだろうか。幾度となく色々なプランが浮かんでは消え去っていく。自分の手で守る事が出来たのは単なる偶然にしか過ぎない。自分の手は何て小さいままなんだろうと、一人悔やんでいた。
「隣、良いですか?」
落ち込んだフランはただ言われたからなのか、その声が誰なのかを確認せずにそのまま座る事を応諾していた。特別な事は何もない。そんな空気だけがそこに残されていた。