神喰い達の後日譚   作:無為の極

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第3話 蘇るあの日

 黛ナオヤの朝は日が昇る前から始まっていた。

 フェンリルに勤める人間の殆どは外部居住区かアナグラの居住スペースで生活をする者が殆どだった。勿論、神機の技術者でもあるナオヤもその例外には漏れず、建前としては外部居住区に住所がある事になっていた。

 単に整備士として生活をするのであればそれでも問題は無いが、教導教官としての側面がある以上、普段から鍛錬を欠かす事は出来ない。その結果、今も屋敷から通っている現実があった。

 

 日が昇らない早朝の空気はかなり澄んでいる。事実上の日課でもあるのか、ナオヤは直ぐに寝間着から稽古着に着替えると屋敷の道場に向かっていた。整備士の傍らで教導の教官をツバキから任命された際には思わず絶句していた。自分はあくまでも整備士であって現場に出る様な事は何も無い。ましてや実技の教導ともなればその対象者は間違い無く神機使いでしかなかった。

 ゆっくりと動くなかに行動の一つ一つを確認するかの様に身体を動かす。鍛錬の中でもかなり地味なこれは慣れた今でも厳しい物に変わりなかった。

 槍術の基本姿勢を崩す事無く突き、受け、払いの型を何度も繰り返す。早さは無いが正確さを求められる動きに乱れは一切起こらない。日が昇り、道場全体にも光が差し込む頃には既に体中から湯気が立ち上っていた。

 

 

「相変わらず早いね」

 

「何だ。もう起きたのか?」

 

 鍛錬が終わるのを見越したのか、ナオヤの背後から一人の女性の声が聞こえていた。振り返れば、浴衣が若干着崩れているリッカが立っている。何を思ったのか、その手には水筒が握られていた。

 

 

「私も何時もはこれ位には起きるよ。起きたら居なかったからちょっと驚いたけど。はい、これ」

 

「良く寝てたからな。こっちも何時もの鍛錬だ。気にする必要は無い」

 

 リッカから渡された水筒の中を確認したのか、ナオヤはそのまま煽る様に飲んでいる。大量に吹き出た汗を癒す様に体内に染み入る水はまさに甘露だった。

 

 

「ツバキ教官から最初に聞いた時は驚いたけどね」

 

「それは俺も同じだ」

 

 誰も居ない道場の中で、リッカは少しだけ休憩とばかりに腰を下ろす。既に日課は終わったのか、ナオヤは道場の床を拭きながら片づけをしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺、ゴッドイーターじゃ無いんですよ。そんなんで出来るはず無いです」

 

「お前の腕が確かなのはエイジだけじゃなく、無明からも聞いている。実際に実技となれば何かと体力の問題もあるのは分かるが、最初からそんな事は求めていない。

 教導カリキュラムの中で身体の運用技術と、神機としてではなく武術としての考え方を学ばせたいと考えている。知っての通り、ここでの教導は精々がダミーアラガミとの戦いだ。中型種程度までなら今のやり方でも問題無いが、今後現れる可能性が高い大型種となればいつまでも第1部隊に任せる訳には行かないからな」

 

 ツバキの言葉は正論だった。整備をすればそのゴッドイーターの力量は自ずと見えてくる。ただでさえベテランよりも新人の方が多くなる現状を考えれば、ベテランは事実上大型種の討伐任務が多くなる事は間違い無いが、それ以外にも弊害が直ぐに予想出来た。

 極東支部の正規の基準では無いが、ゴッドイーターの中での区切りがある。大型種の中でもとりわけ良く出没するヴァジュラの単独討伐はここでの一人前になれるかどうかの登竜門としての役割があった。

 

 数年前までは極東と言えど大型種が出没するのはそう多くは無かった。しかし、当時のアーク計画の隠れ蓑となったエイジス計画が公表される頃から、頻繁にその姿を見る事が多くなっていた。

 当時はノウハウも無ければ、今の様に新型神機すら無い状況。そんな中での討伐はかなり厳しい戦いを要求されていた。しかし、当時の第1部隊長でもあったリンドウ達が出動する様になってからは、戦術や戦い方のノウハウが確立されるようになっていた。

 そんな中での新型神機の開発により、更に戦術やその戦果は格段の向上していた。単独でも遠近両用で戦う事が可能になった現在では、単独での討伐は一つの節目の様な役割を果たしてた。

 

 

「それに関しては否定しませんけど。でも、俺はこれまで指導なんてやった事ないですよ」

 

「それには及ばん。お前が屋敷で子供達の指導をしている事を私が知らないとでも?」

 

「それは……」

 

 屋敷では年長者が年少者に対し、何かと指導する事が半ば当然の様になっていた。元々大人が指導する事もあるが、基本的には昼間は不在になる事が多く、その結果、年長者のナオヤやエイジがその代わりを担っていた。

 自分達もまだ求道者の様な側面はあるが、教えて貰いながら新たに教える事は自分の知識を深める事にもなり、場合によっては新たな発見に繋がるケースもある。そんな目的を当時の無明から伝えられた事で、今に至っていた。その事実を知っている以上、ナオヤの言葉は虚偽でしかなくなる。今のナオヤにツバキに反論出来る材料は何一つ無いままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でも、偶に見てると楽しそうにも見えるよ」

 

「そうか?そんな風に考えた事は無いな」

 

「案外と自分では気が付かないんだよ」

 

 そんな取り止めの無い会話が道場の中で続けられていた時だった。不覚にもこの時、小さな侵入者の気配を察知し損ねていた。

 

 

「何、朝からここでイチャついてるんだよ。道場は神聖な場所だぞ」

 

「ああ?誰と誰がだ」

 

「ナオヤ兄とリッカ以外に誰がいるんだよ」

 

 気が付けば子供の指導の時間なのか、入り口には数人の子供達が来ていた。今の状況を客観的に見れば乱れた浴衣姿のリッカと鍛錬が終わった後のどこか着衣が乱れたナオヤしかいない。ある意味ではそう捉えられても仕方ない様にも見えていた。

 

 

「ったく。お前らは誰からそんな知識を仕入れてくるんだ。お前達にはまだ早い」

 

「え~だって、この前シオ姉ちゃんとコウタが言ってたぞ。あとアリサ姐も」

 

「そうか………後でシメるか」

 

「私も一旦着替えに戻るから」

 

 何気なく出た言葉に2人は唖然とながらも、このままここに居れば迷惑になると感じ取ったのか、リッカは改めて部屋へと戻っていた。何時もはここに来る事は無いが、何故か今日に限ってはここに行こうと考えていた。それが何を意味するのかは分からないが、今は着替える為に意識をそちらに向けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ。リッカさんも来てたんですか?」

 

「皆こそどうして?」

 

 朝食が終わり、少しだけ寛いだ時だった。普段であればこんな時間に来客が来るのは屋敷では珍しい時間帯。それも一人、二人ではなく大人数で来る事は殆ど無い。玄関に出迎えると、そこにはエイジ達だけでなくブラッドが全員集合していた。

 

 

「聖域の件で少し相談があるらしいって。棟梁たちはまだ居るよね?」

 

「ああ例の件ね。確かまだ居たはずだよ。さあ、どうぞ」

 

 何気にリッカが対応した事に誰もが疑問を持つ事もせず、部屋の中へと入っていく。今回の件はどうやらリッカも多少なりとも聞いていたからなのか、エイジの言葉に理解が早かった。

 

 

 

 

 

「なるほどな。で、予算と人員はどうするつもりなんだ?あそこはオラクルが働かない地域なんだろ。神機兵も動かないんじゃ労働力は結構いるぞ」

 

「その件に関しては、我々の農業にも関する件になるので、労力を惜しむ様な事はしません」

 

 棟梁との話は隊長の北斗では無く、ジュリウスが代表として話合いの場を設けていた。

 元々の発案者でもあったロミオが本来であれば話をするのが筋ではあるが、事前に考慮した結果、ここはジュリウスの方が適任だと判断していた。厳密に言えば、ここの関係者の大人はどちらかと言えば全員が何かしらの雰囲気を持っているのか、ロミオも子供以外に話す際にはかなり気を使う事が多かった。全員ではないが、やはり職人のほぼ全員がそれに近く、発案者のロミオがそのまま交渉すれば即決裂の可能性が高いとシエルが判断した結果でもあった。

 

 

「だが、肝心の資金はどうする?今のままなら建築するだけでもそれなりに時間がかかるだけじゃない。そこの若嫁の仕事もある。生憎と俺達も生活があるんでな」

 

 何気にアリサの事を言われた事を思い出したのか、既に長期に渡るサテライトの建設計画を中断する訳には行かなかった。いくら神機使いと言えど、聖域の中では一般人と大差ない。

 何も無くそのまま建築だけするなら未だしも、感応種やそれ以外の討伐任務が入ればどうしてもそちらに時間を割く必要が出てくる。それだけで無い。農業に関しても今は全員が一丸となってやっている為に時間はかなり限られていた。となれば、建築物にまで手が回らない事実に流石のジュリウスも思案せざるを得なかった。

 

 

「あの、建築ってどれ位の時間がかかるんですか?」

 

「そうだな……1年は必要だな。ここと同じ様な物を建てるんだろ?」

 

 棟梁の何気ない言葉にロミオだけでなくジュリウスも固まっていた。当初はログハウスの様な小屋を考えて居たはずが、今の棟梁の言葉は屋敷の様な純日本家屋の事を考えている。確かに立派な建物が建つならそれに越した事は無いが、元からそこまで考えていた訳では無かった。

 

 

「あの……我々が考えていたのはログハウスの様な小屋なので、ここの様な物は特に考えてないんです」

 

「ログハウスだと?」

 

「……はい」

 

 緊迫した空気が流れていた。気のせいか、目の前の棟梁の顔色が僅かに曇っている様にも見えている。徐々に怪しくなる雰囲気に、アラガミとの戦いで緊迫した空気に慣れているブラッド全員が、思わず息を飲んでいた。

 

 

「何だ。だったらそれを先に言えよ。おい、クニオ!クニオは居るか!」

 

「何だよ親父。そう大きな声を挙げなくても直ぐに来るぞ」

 

 新たに入ってきたのは如何にも現場に居る様なタンクトップとニッカポッカを穿いた一人の職人だった。これから出る予定だったのか、手には道具箱を持っていた。

 

 

「こいつらがログハウスを建てたいらしい。お前、明日からそっちの現場に行け」

 

「はぁ?何を訳の分からん事を言ってるんだ。俺は002号サテライトの現場に行くんだぞ。誰がそんな事決めたんだよ」

 

「今、俺が決めたんだよ。ログハウスならお前、監督やれるだろ?」

 

 傍若無人な棟梁の言葉にブラッドの面々は既に話の展開について行く事が出来なくなっていた。資金面や人材面は何一つクリアされていない。にもかからず、目の前では既に計画が勝手に進められているからなのか、暫し呆然とそのやりとりを見ているだけだった。

 

 

「って事で、棟方クニオだ。明日から聖域での建築をする事になった。詳しい話は追々詰めるが、今はここの面子だけでやるんだよな?」

 

「はい。そのつもりです。しかし、先ほどの話では資金の事もありましたが」

 

「ログハウス程度ならそんなにはかからん。あんたたちがアラガミを討伐した資金でも十分に出来る。ただ、人材が少し足りないのも事実なんだがな……」

 

 いち早く再起動に成功したのかジュリウスがクニオとのやりとりをそのまま進めていた。他のメンバーは未だ呆然としている。そんな中でジュリウスの次にシエルが再起動をしていた。

 

 

「その件であれば榊博士とも相談していますが、どうやら宛てがあるそうです」

 

「そうか。だったら話はこれで終わりだ。必要な材料は聖域の中で調達するんだろ?だったら後は現場でやるだけだな。図面ならいくつか直ぐに用意出来る。多少のデザインの変更は構造が変わらないなら問題無い。それはそっちで決めてくれ」

 

 大よそ話合いには程遠い事実ではあったが、気が付けば殆どの事が簡単に終了していた。当初は何かと計画を立案しながらと考えていたジュリウスもどこか拍子抜けしたのか、結果的には何も問題が無いと判断された事で一息吐く結果となっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「随分と早かったんだな」

 

「何時もの事だよ。棟梁に話をした時点で結果は見えてるからね」

 

「まぁ、確かにそうだな」

 

 既に話が終わったからなのか、ナオヤが道場で指導をしているとエイジ達も来ていた。ここは足を運んだ事があるのはこの中ではロミオしかいない。北斗やジュリウスに関しても周囲を見る事で終始してただけだった。

 

 

「あっ!ロミオだ。また来たのか?」

 

「お前ら少しは俺を立てろよ」

 

 ロミオに気が付いた子供達の反応は早かった。一時期ここでの遊びと言う名の訓練の際に、散々苦労した記憶が次々と蘇る。ロミオは無意識の内に苦々しい表情を作っていた。

 

 

「時間あるんだろ?だったら遊ぼうぜ!」

 

「いや、俺はこう見えて今は仕事中なんだよ」

 

「仕事って、何もしてないじゃん。少し位は良いだろ?」

 

「ロミオ。我々も予定は既に前倒し出来たんだ。少し位ならば大丈夫だぞ」

 

「ほら、そこのイケメンの兄ちゃんも言ってるんだから、早速やろうぜ!」

 

 子供達を援護するジュリウスの言葉にロミオは内心項垂れていた。ここでの遊びがどれ程過酷なのかを知っているのはブラッドではロミオだけ。そんなやりとりを見ていたナオヤとエイジは止める素振りすら無かった。

 

 

「だったら、他の連中も一緒が良いだろ?ほら、ナオヤさんやエイジさんも居るからさ」

 

「2人が居たら遊びにならないからダメ。ここはロミオがやらないと」

 

 勢いに押され始めたのか、2人の事は即却下となっていた。既に援護はどこにも存在しない。そんなロミオに光明の一筋が舞い降りていた。

 

 

「だったら私もやろう。折角遊ぶなら、人数が多い方が良いだろう」

 

「おっ。お姉ちゃん話が出来るな。なんだロミオの女なのか?半人前の癖に生意気だな」

 

「お前らの方が生意気なんだよ!」

 

 アナグラでは若干背伸び気味のロミオではあるが、ここでの扱いは何も変わらないままだった。大人びた口調の子供に一々起こるのも面倒だと思ったからなのか、リヴィはそのまま話を流していた。

 不意に言われた言葉に内心驚いたが、この場で弁解する訳にも行かず、今はこの流れのままにする事を優先していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いつも、ここではこんな事をしていたのか?」

 

「ああ。今はまだマシだったけど、当時は大変だった」

 

 結果的にはリヴィだけでなく、ナナとシエル。北斗も交じっての行動となっていた。事前にエイジから説明は受けたまでは良かったが、まさかこうだとは誰も思ってもいなかった。

 多分に漏れず、ここの子供の運動量と判断力は尋常ではない。気配を完全に殺しながら行動するだけでなく、周囲の状況を判断しながら急な方向転換にナナとシエル、リヴィはついて行く事が出来なかった。北斗でさえも最初は目が追い付かなかったが、時間と共に何とか子供達の動きを予測出来た為に、他の人間よりかは幾分マシな状況となっていた。

 

 

「こんなに動くとは思ってもいませんでした」

 

「私も結局最後までダメだったよ」

 

「確かにこれは訓練になるな」

 

 既に疲れ切ったのか、シエルとナナは完全に座り込んでいた。リヴィも何とかその場で立っているが、状況そのものは同じ様な物だった。

 

 

「何だよだらしないな。じゃあ、次の場所に行こうぜ」

 

 既に見切りをつけたのか、子供達は他の場所へと走りだしていた。無尽蔵の体力を持っているのかと錯覚する程の動きに誰もが呆然と見ている。そんな中で何かを思い出したのか、北斗はロミオに確認していた。

 

 

「ロミオ先輩。そう言えば、ナオヤさんとエイジさんは?」

 

「多分、道場だと思う。何だかんだで一緒に組手とかしてるみたいだけど」

 

 ロミオの言葉に触発されたのか、北斗の脳内にここに来た当初の事が思い出される。当時と今はどれ位差が縮まったのだろうか。折角だからと自己弁護しながら道場の方へと歩き出していた。

 

 

 


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