神喰い達の後日譚   作:無為の極

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第29話 アネット・ケーニッヒ

 普段はソーマに譲る事が多いラボに珍しく榊の姿がそこにあった。

 ここ最近はキュウビのもたらすレトロオラクル細胞の研究が多いからなのか、周囲に置いてある本の内容はどれもオラクル細胞学の物ばかりだった。

 元々オラクル細胞を研究していたのは当時のメンバーだった榊とヨハネス。それとアイシャの3人だけ。まだ一研究室での実験が全てではあったが、オラクル細胞が学習した結果、アラガミとなってからは一つの学術としての役割を果たしていた。

 

 これまでの地球上にある細胞や細菌を人類が完全に把握した訳では無い。事実、太古の微生物がそのまま結晶に封じ込められ、その結果が今に至っている。何も無い一からの出発となった事が最大の要因だったのか、3人が研究した結果が事実上の教科書の様な役割を果たしていた。既に当時に比べれば、今の方が格段にその内容まで詳細に記載されている。

 人類がアラガミに対抗できる唯一の方法でもある、学習し新たな物を作り出す人間の能力が辛うじて今の世界のバランスを整えているに過ぎなかった。

 

 

「これは……」

 

《やはり新種の可能性は否定出来ませんね》

 

「やっぱり君もそう思うかい?」

 

《完全に判断するとなればもう少し情報が必要でしょうが、ここまで明らかに違うのであれば当然の事かと》

 

 ラボからの秘匿回線の先に居たのは無明だった。元々今回のアネットの派遣の際に、理由付けの一つとしてもたらされたオラクル細胞の情報も併せて依頼されていた。

 『スターゲイザー』『東の賢者』と呼ばれた榊の頭脳はフェンリル内部でも不動の物となっている。それだけでなく、紫藤の名もまたフェンリル内部では高い物だった。アラガミに対する行動学やオラクル細胞の新たな論文など、数を挙げればキリがない。そんな2人の科学者を要する極東支部であれば何かしらの結果が出るだろうと、ドイツの支部長は極秘裏にデータを流していた。

 通信をしながらも榊の目に映るデータはこれまでに幾つものアラガミを解析した物とは異なる数値が並んでいる。そんな中でも気になる点が幾つか存在していた。

 従来のアラガミにはありえなかった数値。これはまだこの種だけの話に留まっているが、何かしらの拍子でこのアラガミが捕喰される様な事態になれば、今度はアラガミが全体的に能力を底上げされる事になる。今はまだドイツ支部だけの話に留まっているが、これがスタンダードとなれば、早晩にでも地球上のゴッドイーターの半分は捕喰される未来しか無かった。

 

 

「ただ、詳しい情報が必要なのは間違い無いね。だとすれば派遣したい所だが、こちらの一方的な思惑があるとなれば、周囲の支部には流石に弁解の余地が無くなるのも事実だね」

 

《だとすれば、近日中に開催されるあれを使うのであれば問題無いかと》

 

「なるほど。だとすれば、こちらも少し根回ししておく必要がありそうだね」

 

 榊が言う様に、今の極東支部を取り巻く環境はかなり微妙な物となっていた。終末捕喰の回避による聖域の実体調査だけに留まらず、各支部への技術提供や食料の販売など単独でもやっていけるだけの力と金が揃っている。

 一時期はサテライトの建設に伴う資金量の低下もあったが、001号サテライトが完全に稼動している今、当時の投下した資金は全て回収されていた。

 それと同時に、螺旋の樹の作戦の際に介入した情報管理局もが極東支部の支持に回った事も影響したのか、フェンリル内部の上層部からは何かに付けて厳しい視線が飛んでいた。しかし、それはあくまでも内部の話であって、対外的な物ではない。この事実を知っているのは支部長の榊と無明。秘書の弥生の3人だけだった。

 

 そんな中で舞い込んだドイツ支部の情報はそんな思惑すらも通り越す程の内容だった。

 極東支部であれば何らかの措置を取る事は可能だが、これが他の支部となれば状況は大きく変わってくる。

 強大なアラガミが出ても、今の極東以外の支部では全滅の可能性も否定出来ない。だとすれば、自力で防衛する必要が出ていた。これが本部であればクレイドルの専門チームの派遣も可能だが、他の支部ではそれが出来ない。

 元々高額な依頼料を設定したのは、偏に極東支部と他の支部が同調する事を危惧した本部の指示だった。明らかに高額の費用がかかるのでれば、どの支部も二の足を踏んでしまう。本部の内部では気に留める様な内容では無いが、それ以外の支部では自分の命が係わる為に重大な死活問題となっていた。

 無明の言葉に榊は自分の下に来ていた一つの招待状の存在を思い出していた。幸か不幸か今の状況であれば手練れを最低でも3人は送る事が可能となるだけでなく、大義名分までもが存在する事になる。だとすれば、今来ているアネットを叩き上げれば何とかなるかもしれない。誰も居ないラボに榊の案を知る者は誰も居なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ドイツ支部から来ました第1部隊長のアネット・ケーニッヒです。以前はここの第2部隊に所属してました。短い間ではありますが、宜しくお願いします」

 

 ここに来た当初のイメージそのままにアネットは改めて挨拶をしていた。元々ここに居たと言う事実と、偶然この場にタツミが居た事からラウンジの空気は終始穏やかな物となっていた。

 

 

「しかし、あのアネットが第1部隊長とはね……」

 

「あの時はあの時ですから」

 

「いや。純粋に凄いと思ってるって。幾らここで多少なりとも所属したからって、そんな恩恵なんぞ大した物にもならないだろ?アネットが純粋に努力した結果だって」

 

 やはり久しぶりだったからなのか、それとも当時の事を懐かしく思ったからなのか、タツミは当時の事を思いだしながらアネットと歓談している。元々短期の派遣だった事も影響しているからなのか、歓迎会と言うよりは、何時もの騒がしい空気をそのまま使っただけに過ぎなかった。

 

 

「あら。随分と懐かしい顔ね。その様子だと元気にしてたみたいね」

 

「ジーナさん。お久しぶりです。何とか今はやってますから」

 

「そう。なら良かった。結構部下が増えると面倒な事も多くなるから大変よね。私も今にになってタツミの事を尊敬出来そうだわ」

 

「だったら少しは敬えよ。一応、今は俺が防衛班の大隊長なんだぜ。書類は早く提出してくれよ。ただでさえシュンやカレルが遅いから時間ばっかりかかるんだしさ」

 

「あら?そう言いながら、ラウンジでヒバリのコーヒー貰ってるのはどう言う意味かしら?鼻の下伸ばしてる貴方を見たら、流石にヒバリも百年の恋も冷めると思うけど」

 

 さりげなく自分の事を言われたタツミはそれ以上は何も言えなかった。

 防衛班を完全に再構成してからのタツミの作業は大幅に増えていた。各隊の書類を纏める関係上、そうしても提出が遅れれば、その皺寄せはタツミにかかっていく。そうなればすべての作業がそのまま一気に停滞する可能性があった。

 ジーナとブレンダンはまだマシだが、カレルとシュンは特に遅い。そんな中でもシュンの書類に関しては、一度タツミが確認して校正しなければ提出そのものが出来ない状態だった。もちろんタツミとて任務に出る傍らで書類の整理に追われている。

 まだ慣れていないからなのか、それとも面倒だからなのか、ラウンジで奮闘しているタツミの姿を見るのは珍しい光景では無かった。

 

 

「俺達の事は良いんだよ。それよりも今はアネットの歓迎だろ?」

 

「そうだったわね」

 

 2人のやりとりがここに来た事を意識させていく。ドイツ支部でも仲が良い人間は確かに居るが、やはりここの空気は何かが違っている。

 仲間意識が高いからなのか、それともキャラクターがそうさせているからなのか。そんな光景を見ていたアネットはどこか懐かしさを覚えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私が一緒でも良いんですか?」

 

「こちらとしては人手が多ければ多い程助かりますので」

 

 アネットは目の前の金髪の男性に少しだけドギマギしながらも、本当に大丈夫なのかと確認をしていた。

 歓迎会と言う名の宴会の翌日には既にアネットはブラッドと同じミッションに出向いていた。詳しい事は分からないが本来であれば特殊部隊の位置付けをされていれば多少なりとも秘匿すべき事実が存在する事になる。しかし、いざ同じミッションにとなった際に、アネットは思わず呆然としていた。

 自分の目の前には、以前何かで見た記憶があったジュリウス・ヴィスコンティ大尉。その隣には同じブーストハンマーを使う香月ナナ准尉。それと教導で見かけたロミオ・レオーニ准尉がいる。このミッションにどんな意味を持っているのは本当であれば考える必要があるが、どう見ても秘匿すべき内容は何一つ無い。極東に来るまでは何かに付けて警戒していたが、昨日のロミオを見ていたからなのか、疑う様な雰囲気をアネットは持っていなかった。

 

 

「アネットさんって『ベルリンの壊し屋』って異名を持ってるんですよね?」

 

「そうらしいですね。甚だ不本意であるんですけど」

 

 ナナの言葉にアネットは少しだけ落ち込んでいた。最初に聞いた際には随分と物騒な異名を持った人が居るもんだと、どこか他人事の様な感覚で話を聞く事が多かった。

 壊し屋と呼ぶからには対象物を完全に破壊するに違いない。どんな厳つい人なんだろうと想像していた。しかし、些細な事から異名は自分に向けられていた事を知った際には随分と落ち込んでいた。

 まだ年齢から言っても、キャリアから言っても二つ名を頂戴する程の数字を出した記憶はどこにも無い、一時期の様なうっとおしい視線が無くなったと思った矢先に聞いた内容に、かなりのショックを受けていた。

 

 

「私、少しだけ憧れてたんです。ブーストハンマーって確かに扱いが特殊ですけど、破壊力は一番だと思うんです。アネットさんが来るって聞いて楽しみにしてんで!」

 

「なぁ、ジュリウス。ナナってあんなキャラだった?」

 

「どうだろう。何か思う所があったのかもしれないな」

 

 テンションが高いナナを見たロミオは思わず小声でジュリウスに確認をしていた。何がそうさせているのかは分からないが、やたらとテンションが高い。決して悪いとは思わないまでも、その姿は明らかに何時もとは違っていた。

 

 

「ナナ。それ位にしておくんだ。アネットさん。ナナがご迷惑をおかけした様で申し訳ありません」

 

「いえ。気にしなくても大丈夫です。私もここに来て初めてハンマーを使う人を見たので」

 

 アネットの言葉にロミオが最初に気が付いた。ロミオも気にした事は無かったが、ここでのブーストハンマーの使用率はそう多く無い。ナナ以外にはエミールと後数人の人間が使うに留まっていた。

 破壊力は確かに期待できるが、決定的に攻撃に対するリーチが短い。更にナナに至っては銃撃がショットガンである事を考えればその傾向は顕著だった。

 

 

「ですよね!よし!今後はアネットさん、一緒にミッションに行きましょう!」

 

 確実に浮かれているのか、それとも興奮しているのか、ナナのテンションが低くなる事は無かった。気が付けばそろそろ定刻になりつつある。だたでさえ高難度のミッションには冷静さが必要となってくる。こんな調子で任務になるのは危険だと判断したのか、ジュリウスが改めてナナに何かを言おうとした時だった。

 

 

「ナナさん。これから任務です。大丈夫だとは思いますが冷静に行きましょう」

 

「了解です!」

 

 アネットの言葉にナナも先程までのテンションだけが高い状態から何時もの状態に戻る。そんな場面を見たからなのか、流石は部隊長だとジュリウスは心の中で感心していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱりここは極東だけある!」

 

 アネットは目の前で大剣を振るう神機兵を相手に、思わず心の内を声にしていた。元々の計画でもある自身のレベルアップと神機を強化する事を考えれば、2週間と言う時間は余りにも短すぎていた。

 当初は訓練から優先しようかと考えたものの、技術的な物よりも、今は一刻も早くコアを手に入れ神機をレベルアップさせない事にはどうにもならないと考えた結果だった。神機兵と戦った事は無いが、これまでの経験と相手の動きを考えれば、対処に困る様な事は早々無い。初見ではあるが、その動きを一通り確認したからなのか、これまで防御を主体にした動きを攻撃主体へと切り替えていた。

 

 アネットの経験の中で二足歩行のアラガミと戦った事はこれまでにも数えきれない程ある。シユウやコンゴウがそれに当たるが、基本の原理はどれも同じだった。二足歩行であれば必然的に全体重が二本の足にかかってくる。四本足であれば想像を絶する様な動きを見せるが、バランスを取りながら行動するのであれば、その動きは人間と大差無い物だった。

 大剣を周囲に振るい続ける神機兵の攻撃に正確性は感じられなかった。周囲に近づけようとしない攻撃は一つ一つを確実に対処すれば、大きなダメージを受ける事は無い。ならばと攻撃の隙を見つけたからなのか、アネットは神機兵の懐へと一気に距離を詰めるべく疾駆していた。

 

 神機のグリップを力強く握りながら視線は対象物へと向いていた。幾ら神機兵と言えど、出来る事は他のアラガミと大差無い。関節の稼動領域以上の行動をする事は仮にアラガミであっても出来ない。これはまだ新人だった頃、エイジから散々言われた言葉だった。

 逆にイレギュラーで曲がりさえしなければ、その場所は絶対安全圏内でしかない。既に懐に入った以上、神機兵は既に何も出来ない事が確定していた。近接戦闘を得意とするブーストハンマーの独特の破壊音が神機兵の膝関節を破壊する。

 幾ら装甲を固めようとした所で、稼働する箇所までもが装甲に包める訳では無い。膝の逆関節の部分から垂直に下ろすかのように、ハンマーのヘッドが地面へと向けられている。周囲に響かんとする破壊音だけがその戦闘の結末を伝えていた。

 

 

 

 

 

「流石はドイツ支部の第1部隊長ですね。ああまで鮮やかな戦闘は早々見る機会も無いですから」

 

 膝関節を完全に破壊してからの戦闘はほぼ一方的だった。一度崩れた動きを復帰させるにはそれなりの場所でそれなりの処置をする必要がある。只でさえ行動そのものに問題があるにも拘わらず、片足が事実上の不要な物と成り下がったからなのか、全員の攻撃がそのまま神機兵に襲い掛かっていた。

 次々と破壊される神機兵の装甲は既に用を成していない。破壊された装甲の隙間からは何かしらの部品や配線が見えていた。時間の経過と共に、その形を完全に変えている。時間にして恐らくは10分の経過していない。初見だった事を考えてもこの時間での終了は凄まじい物だった。

 

 

「いえ。夢中になってやった結果です。それに、今回は指揮を執る事もありませんでしたので」

 

「いや。アネットさんの動きは凄かったよ。私も、もっと頑張らないと!」

 

 アネットの動きに触発されたのか、ナナのテンションは再び高い物となっていた。冷静に考えても、この支部で手本と成る様な戦いが出来る人間は殆ど居ない。リーチの面で言えばショートがそれにあたるが、行動原理はハンマーとは明らかに異なっている。そんな中で、ある意味では手本の様な動きを見せたアネットの行動がナナに何かしらの考えをもたらすのは必然だった。

 元々神機兵の討伐だった事から既に帰投の準備を始めている。今回はアナグラからの近かった事から、ジュリウス達は置いて来たジープのある場所まで移動していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうですね。今は大きな問題は無いですから、僕自身は大丈夫です」

 

「そうかい。だとすれば、日程は大よそ決まってるからこちらで調整する形になると思うが、決定次第改めて伝える事にするよ」

 

 エイジは支部長室で榊と今後の件についての話し合いをしていた。元々アネットが来たのはドイツ支部で発見されたアラガミ討伐の為の準備。

 本来であればここで一定の成果を挙げれば、極東支部としては問題になる事はないはずだった。しかし、送られた細胞片のデータから予測出来たのは新種か亜種の可能性が高い事。仮にドイツ支部でそれが発見されたとなれば、今後は極東支部でも見る可能性は高いと判断した結果だった。

 既にドイツ支部には話が付いている。後はアネットの状況を見ながら日程を調整するだけだった。

 

 

「しかし、ドイツ支部で新種ってのも珍しいですね」

 

「ここ最近はそうかもしれないね。だが、これまでの全部の種がここが最初って訳じゃない。知っての通り、ディアウス・ピターやプリティヴィ・マータはロシアや欧州が最初だからね。事実上、一度現れたアラガミが霧散しても、既にオラクル細胞はその姿を学習している。それが元で今に至る訳だから、ドイツで出没すれば近い将来ここにも来る可能性は高いからね」

 

 榊の言葉に当時の事が思い出される。アリサにとっても馴染みが深すぎるアラガミは確かにその通りだった。可能性を考えれば、交戦データが有れば有る程こちらにとっても対策を立てやすくなる。そんな思惑を理解したからなのか、エイジは榊の要望をそのまま応諾していた。

 

 

 


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