無機質なはずの訓練室に、ナオヤと対峙するかの様に面を被った男性が大太刀とも取れる物を持って戦いに臨んでいた。ここに来た際にナオヤから聞かされたのは個人の教導だったはず。にも拘わらず、目の前で起こっている攻防はアネットが知る教導の域を既に飛び越えていた。
かなりの時間が経過したかと思い、アネットが時計を見ると時間はまだ10分程しか経っていない。訓練と言うよりも死闘に近いそれは既に訓練の領域を大きく逸脱しているのではと思える程に異様な物だった。
大太刀を持っている人間も決して動きが悪い訳では無い。ここでの基準は分からないが、今の動きだけを見てもドイツ支部でも事実上のトップになれる程の体捌きは、ある意味では感動出来る程だった。
本来であれば相手の攻撃の隙間を縫うかの様に一太刀入れる事も可能だが、相手がナオヤだったからなのか、態と作った隙に誘導され、逆にその隙に激しい刺突が幾つも男性の身体を穿っていた。仮面越しだからなのか、僅かに聞こえるうめき声だけがダメージの量を表していた。
「一旦は休憩だ」
「はぁ~助かった」
仮面を外して座り込んだのは、今回の教導相手のロミオだった。元々このやり方を今でも周到しているのは惰性ではなく、自身の五感を鍛え悪条件下でも同じ様な行動を起こす事を目的としていた。
アラガミとの戦いは常に万全の状態ばかりではない。雨や雪だけに留まらず、時間によっては太陽光までもが自分の障害となって立ち塞ぐ。視界を奪われたままで戦う事がどれ程過酷で困難な事なのかは考えるまでも無かった。
幾ら強靭な肉体があろうとアラガミからすれば一般人と大差は無い。仮に撤退が出来ない状態だとすれば、必然的に厳しい条件下での戦闘も止む無しとなるのは当然だった。
見ているだけでも息が詰まるかの様な重圧は確実に対峙している人間のスタミナを容赦なく奪い去る。事実、肉体出来な疲労だけに留まらす、精神的にも襲い掛かる疲労は通常のミッションでも感じる事は無い程だった。用意された水筒の水を煽るかの様に飲みこんでいく。戦場で休息を取っているのと然程変わらない様子は正に実戦を想定していた。
「次は俺も仮面を被る。手加減は出来ないから気を抜くな」
「ちょっと聞いてませんよ。俺、そんなだったら瞬殺じゃないですか!」
「そろそろ次のステップに行かないと今のままだと面白く無いだろ?」
「そんな事で決めないでくださいよ!」
懇願しているかの様に見えるのは気のせいだろうか。そんなやりとりを見ながらアネットは何気にゴッドイーターの腕輪を見ていた。自分達とは違い、漆黒の腕輪が示すのは終末捕喰を防いだブラッドの証。詳しい事は分からないが、自分達の第2世代と違い第3世代のそれはこれまでの様な偏食因子の違いを持っている事だけは何となくだが知っていた。
事実上の特殊部隊にも関わらず、目の前で気軽に教導しているその姿はアネットのイメージを少しだけ変えていた。これまでにも特殊部隊と称された物が何度かドイツ支部でも目にしていたが、誰もが独特の空気を纏っていた。実績そのものは何も分からない為に確認のしようが無いが、異質な雰囲気は支部内の空気を重く変えていた。しかし、目の前の金髪の男性からはそんな雰囲気を感じる事は一切無かった。まるでここに最初から居たかの様な人付き合いの良さがアネットの目にも映っていた。
「停滞は死と同じだ。ゆるやかに自分の技術を破滅に追い込む。ここで命ギリギリの教導をした方が戦場でギリギリの戦いをするよりもマシだろ?」
「そりゃ……そうですけど」
半ば言いくるめられた様にも聞こえるが、実際にはその通りだった。幾ら訓練で良い数字を残せたとしても、実戦になれば何の役にも立たない。それどころか過信して命を散らすのが関の山だった。
態々死にゆく者の為に技術を磨かせている訳では無い。人間が走馬灯を見るのは、死の直前になって打開策を見つける為に見せているなんて説もある。だとすれば、ここでギリギリの教導をすれば、万が一の際には生き残れる可能性が僅かでも高くなると考えた末の行動だった。
「その代わり短時間で一気に仕上げるぞ」
「了解しました」
ナオヤとロミオは再び激突を繰り返していた。
教導そのものは1時間程度で終了していた。元々決められた時間内でやる事が義務付けられているからなのか、一度時間が来れば後は随分とサッパリした物だった。
教導中のナオヤだけでなくロミオもまた戦場に居ると思わせる程の気迫がぶつかるからなのか、大気を震わせるかと思える程の迫力がアネットにも伝わってくる。今回の目的の一つにある自身のレベルアップがこれにあたるのかと思うと少しだけ気が重くなりそうな自分がそこに居た。
「そう言えば、榊博士からも聞いてるが、神機のアップデートと実力の底上げもするんだよな?」
「はい。支部長が言う前に私自身もそう考えてます。ですが……」
先程の場面を見たからなのか、アネットの声は弱々しい物へとなり出していた。あれが基準だとすれば確実にレベルは上がるかもしれないが、確実に自分にも何らかのダメージが残るのは間違い無い。まだ新人の頃でさえギリギリの教導をしていたが、今は当時とは明らかに違う。先程の攻防がどれ程の物なのかを肌で感じ取った以上、弱気になるのは当然の結果だった。
「それなら気にするな。こいつのは特別なんだ。他の連中にだってやっていないさ」
アネットの心情を読み取ったからなのか、ナオヤもフォローと呼べる程では無いが、説明はしていた。事実、アネットの実力がどれ程の物なのかは神機が届いた際にコンバットログで確認している。こことは違い頻繁に大型種が出るとは思えないが、それでも支部内での討伐数がダントツだった。
当時は何かと悩んでい居た事を思い出したからなのか、ナオヤは笑みを浮かべていた。
「あの、さっきから気になってたんですけど、この人は誰なんです?」
ロミオの視線はアネットに向いたまま。ロミオの言葉にアネットだけでなく、ナオヤも紹介してなかった事を思い出していた。
「ドイツ支部の第1部隊長をしてます。アネット・ケーニッヒです。2週間程ですが、ここに教導の為に来ました」
「俺は、ブラッド隊所属のロミオ・レオーニです」
溌剌した言葉と同時に握手を求めてきたからなのか、アネットの差し出した手をロミオは両手で受け取るかの様に握っていた。詳しい事は分からないが、態々ここまで来ているのであれば何かしらの思惑がある事位はロミオとて理解している。だからなのか、暫くロミオの意識は飛んでいた。
「ロミオ。その位にしておけ。アネットが困ってる。それとリヴィにも伝えておくから」
「ちょ……なんでリヴィが出てくるんですか。絶対にそんな事言わないでくださいよ。後々大変な目に合うんですから」
これまでにも何かしらのやりとりがあった事を思い出したのか、ナオヤの言葉にロミオは激しく動揺していた。ここ極東で戦闘時に関する実力以外にも女性陣の発言力は割と大きい事が多かった。
ヒバリやアリサ、リッカと中堅どころだけでなく、サクヤも教官としている。リンドウの奥さんである事は知っているが、それ以外にも弥生の関係もあってか頭が上がらない事が多々あった。それに感化されたのか、最近になってシエルやナナ。リヴィも同じ様な状況になりつつあった。
「いや。握手してジッと顔を見つめてたって言うだけだから問題無いだろ?」
「問題大ありですって!」
そんなやり取りを見たからなのか、アネットも思わず笑みがこぼれていた。
「アネットじゃないですか!どうしてここに?」
「教導の兼ね合いで2週間程ですが、ここで過ごす事になりました」
ロミオの案内でカウンターでヒバリと対面した後ラウンジへ移動すると、そこには休憩で来ていたアリサの姿があった。当時の状況があったからなのか、どこか懐かしさを感じている。時折メールが来る事はあったが、実際に目にしたのはあの時以来だった。
「教導って……確かアネットはドイツ支部の第1部隊長でしたよね。何かあったんですか?」
「色々と予定がありまして」
本来であれば何かと話をすれば良いのだが、このラウンジと言う場所は余りにも人が多すぎた。時間が時間だったからなのか、人の出入りが煩雑になると同時に食事の時間も相まって、何かにつけて色々な話が飛び交っている。まさかこんな状態で自分達の話をする訳にも行かないからと、アネットはそれ以上の明言を避けていた。
一方のアリサもまた何かしらの話を聞いていたからなのか、事情は知っていると言わんばかりに、他愛無い話で終始していた。
「でも、ここに来るって事は神機の事もですよね?」
「ええ。そんな感じです」
「……ここでは何かにつけて話しにくいですから、私達の部屋に行きませんか?」
アリサとは久しぶりだった事もあってか、何かと話に花が咲くも、アネットの事は何も知らされていない人間が多かったからなのか、視線は常にこちらに向いていた。
既に一部の人間は話をどこかで聞きつけていたからなのか、他とは違う視線が幾分混じっている。そんな視線に気が付いたからなのか、アリサは改めてアネットを自室へと誘っていた。
「そう言えば忘れてましたが、ご結婚おめでとうございます」
「有難うございます。でも、何で知ってるんですか?」
アリサが部屋に入ると何かを思い出したのか、アネットの言葉にキョトンとした表情を浮かべていた。最近ではどこの支部でもゴッドイーターの婚姻は然程珍しくも無い。確かに極東であれば何かにつけて話題になる事は多いかもしれないが、まさかこんな場面で言われるとは思ってなかったからなのか、アリサは僅かに感じた疑問を口にしていた。
「実は、最近出た広報誌に載ってたので、それで……」
「広報誌ですか……」
アネットの言葉にアリサはここ最近の自分の行動を思い出していた。広報誌が入る際にはクレイドルの活動が何かにつけて紙面を飾る事が多いが、それはあくまでも対外的な意味合いが強く、個人の事情に関して触れる事は多く無かった。そんな中で、自分もアネットへのメールでそんな内容の事を書いた記憶も無い。だからなのか、どうやって知り得たのかを聞きたいと思っていた。
「確か、これですね」
何かを思い出したのか、アネットはタブレットのデータをアリサへと向けていた。ここ最近ではノルンと情報を連動させる事が出来るようになったからなのか、部隊長クラスには報告用にと支給されている。アネットも第1部隊長の為に当然の様に保有していた。
手慣れた手順でデータを呼び起こす。そこに出ていたのは、アリサがエイジと式を挙げた際に着ていたウエディングドレスだった。しかし、ここで疑問が生じていた。画像に映っているのはアリサではなく、モデルの女性。だとすればそれに繋がる情報が何なのかが分からないままだった。
「確かにこれと同じ物は着ましたけど、これだと私だとは分からないですよね?」
「えっと……これじゃなくて、この記事の部分です」
疑問に答えるかの様にアネットは縦に画面をスクロールさせていく。どうやら何かの特集だったのか、同じ様な姿の女性が何人も写し出されていた。そんな中でアリサが見つけたのは一つの記事だった。
「これって……まさかとは思いますが…」
ドレスの紹介の際に実際に着ていたアリサの写真が小さく写っていた。あの場に広報が来ていない以上、何かしらの写真が流出している事になる。まさかと思いながらも記載された記事を書いた人間の名前を見たからなのか、アリサはそれ以上の事は何も言えなかった。『高峰サツキ』この時点でアリサは頭が痛くなりそうな思いをしていた。
「でもこれ位小さいなら、分かる人の方が少ないんじゃないの?」
「そうですか?少なくとも私はそうは思えません」
アネットとの話のやり取りはそれなりに楽しい時間となって過ぎていた。元々顔見知りだった事もあってか、久しぶりだった事に拍車がかかる。気が付けば既に時計の短針は8を指していた。
気が付けばエイジが帰ってきた事でそのまま3人で食事もしていく。幾らかつては多少なりとも居たとは言え、今では当時の人間はそう多く無い。事実、防衛班に関してもアナグラに顔を出す事は少ないからなのか、少しだけ緊張していた部分が見られていた。
まだ話し足りない部分は少なからずあったものの、やはり空気を読んだからなのか、アネットはその後退出していた。何時もの夫婦の団欒が始まる。そんな中でアネットが持っていた写真の話題へと移っていた。
「ここだと皆知ってるんだから問題無いんじゃないの?」
「十分な程に問題ですよ。ここは問題無いかもしれませんが、他の支部では何も知らないんですよ。今後だって派兵に出ない保証はどこにも無いんです。だってこれを見たら………世間の女どもがエイジに向くじゃないですか」
「………そうかな?」
「そうに決まってます」
「でも、これだけで判断は出来ないんじゃ……」
「エイジは甘いんですよ。女の世界は厳しいんですから」
何を思ったのか、アリサは珍しく勢いよく立ち上がりながら力説していた。しかし、これだけ見た限りでは自分が一切写っていない以上、そんな斜め上を更に突き抜ける様な考えを持つ人間が居るとは思えなかった。確かに今後も派兵が無いとは言い切れないのは紛れも無い事実。これまでに本部で新種のアラガミのデータ採取があったからこそ、結果的には長期滞在になったが、現状では余程の事が無ければその可能性は極めて低かった。
聖域が発生してからの極東のアラガミの分布図は確実に変化していた。種として完全に固着した神融種だけでなく、未だゴッドイーターに対し猛威を振るう感応種の討伐は、クレイドルとブラッド以外には一部の部隊だけが引き受けているだけ。アラガミの脅威が以前よりも確実に増した今、榊がそう易々と派兵をするとは思えなかった。
仮に他の支部に行ったとしても、左手の薬指のリングを見れば邪推をする様な輩は早々出てくる事は少ないはず。既に結婚してからそれなりに時間も経過している以上、その可能性は皆無だとエイジは考えていた。しかし、以前にあったハニートラップの教導以来、アリサはどこか暴走する様な部分が多分に見受けられていた。
嫉妬してくれるのは嬉しいが、度が過ぎればどこかで引き締める必要が出てくる。自分の妻に対し、どうやれば説得出来るのだろうか。考えれば考える程悪手の様な物だけが浮かんでくる。これ以上にはならないで欲しいと願いを込めて、エイジはアリサを眺めているだけに留めていた。
「まぁ、アリサがそう言うなら警戒しておくよ。それよりも今回アネットが派遣された理由って聞いている?」
強引な話題の変更が功を奏したからなのか、既にアリサは何時もと同じ様な状態に戻っていた。
これまでも何人かの派遣された実績はあったが、殆どが新人に毛が生えた程度の人間でしかなかった。しかし、第1部隊長ともなれば実質のトップに近い物があり、当人が不在の間は残された人間で現場を回す必要が出てくる。元々顔見知りなだけでなく、教導の担当と言う立場から考えても、安易に考える訳には行かなかった。
「詳しくは何も聞いてませんね。ただ、ドイツ支部で正体不明のアラガミが出たとは言ってましたが」
アリサの言葉にアネットがここに来た理由を改めて考えていた。本来アネットの実力を考慮しても接触禁忌種が束になって出てこなければ、そこまで苦労する様な実力では無い事はエイジも知っている。しかし、帰ってきたと同時に榊から言われたのはアネットの実力の底上げをしてほしいとの依頼も含まれていた。決してドイツ支部を蔑む訳では無いが、支部の看板でもある第1部隊長はそう簡単に支部から離れる事は無い。そんな思いがあったからなのか、エイジは明日改めて榊や弥生に聞いてみようと考えていた。
「エイジに聞きたい事があります。アネットさんと何かあったんですか?」
突然アリサの言葉に流石のエイジも何を言っているのか意味が分からなかった。アネットと会ったのはこの部屋が最初。それまでは来ている事すら知らなかった。にも拘わらず今のアリサはどこか疑っている様にも見える。自分が何をしたかを考えても無実である事に間違いは無かった。
「何も無いけど」
「てっきり私に内緒で会ってたのかと思ったんですが……」
「会うも何も、ここに来ていたのを知ったのはさっきだよ。むしろ何でいるのか不思議な位だって」
何かの地雷を踏んだのかもしれないが、心当たりが何処にも無い。あれば思いつくがそれすらも無いままだった。そんな中で一つだけ可能性があった。榊から聞かされた暫くの間は同じミッションに出て欲しいとの依頼。今のエイジに思い当たるのはそれだけだった。
「だって教導なんですよ。あの服を着るんですよ。心配じゃないですか」
「教導は基本的に実戦がメインだから、それは多分無いよ」
「本当ですか?」
「恐らく」
最後の言葉は明らかに不用意過ぎていた。収まるはずだったアリサの感情が再び何かに染まり出している。今晩はきっと苦労するだろうと考えながら、エイジは回避する事だけを優先していた。