緊急要請を受けたチームが戦場に降り立つと、風が無かったからなのか、そこにはむせかえるかの様に血の匂いが充満していた。本来であればアラガミは捕喰をする際には一気に喰らう事が多く、その結果、死体が食べカスの様に残る事は殆ど無かった。
周囲を慎重に索敵するも、その元凶となるアラガミの姿は何処にも見えない。一方でレーダーにすら映っていないからなのか、耳にある通信機からもアラガミに関する情報をもたらす為のオペレターの声を聞く事は無かった。
「周囲の索敵をしましたが、アラガミの姿は確認出来ません」
《了解しました。こちらでもレーダーの索敵範囲を拡大しましたが、アラガミは確認できませんので、帰投用のヘリを派遣します。到着は約20分程です》
「了解しました。ヘリが到着までは引き続き索敵を継続します」
通信が切れると同時に改めて周囲を観察していく。幾ら目を皿の様にしようがアラガミの姿はおろか、足音さえも聞こえない。既にこの区域からは完全に居ないからなのか、何時もとは違った空気がこの場に漂っていた。
「アラガミの姿はありました?」
「こちらは何も……」
「支部のレーダーでも発見出来ないとの事ですので、一旦は支部に戻ります」
「了解しました」
隊長の言葉を聞いたからなのか、部隊の人間は全員が安堵していた。
ここはドイツ支部。極東支部とは違い、接触禁忌種の遭遇は年間で片手で数える程しかない。事実、出没した際には最大で4チームを派遣し、事実上の総力戦に近い状態でミッションをこなしている。
遭遇してからの生存率はそう高くなく、アラガミの種によっては出動した人員の4割弱が殉職するケースもあった。事実、今回の緊急出動も正体不明のアラガミによって派遣した部隊が全滅したからと、他の場所でミッションをこなしていたアネットに出動要請が出ていた。現地での情報が皆無だっただけでなく、まさか自分達がそんな戦場に赴くとは思ってなかったからなのか、アネット以外の他のメンバーは皆青い顔をしていた。
事実上の死刑宣告に近いミッションに誰もが尻すぼみになっていく。そんな中で唯一極東支部で教導を受けていたアネットだけが平気な顔をしていた。
「でも、接触禁忌種なんて洒落にならないッスよ」
「このメンバーだと流石にね……」
部隊長でもあったアネット・ケーニッヒはそんな隊員の安堵の表情を見て、苦笑するしかなかった。帰投用のヘリに乗り込むと、一気にヘリの持続可能高度まで上昇していく。万が一アラガミが出たとしても攻撃が届かないであろう距離まで離れる事で何時もの状態に戻りつつあった。
「そう言えば、アネット隊長って極東支部に教導で出向いた経験があったんですよね?」
「新人の頃かな。でもあの時はまだ接触禁忌種なんて討伐した事無かったかな」
「噂だと極東支部はヴァジュラを単独で討伐しないと一人前だって認められないって聞いてたんですけど、それは本当なんですか?だとすれば化け物みたいですね」
「まぁ、本当と言えばそうなんだけど……」
部下の気軽な言葉にアネットは流石にそれは無いだろうと否定したくなっていた。確かに自分がまだ極東に居た際にはそれが可能なゴッドイーターが何人も居た事は記憶している。それだけではない。アラガミの個体差は他の支部と比べても雲泥の差である事は当時新人だったアネットも理解していた。
極東で強化した神機とそのパーツは、長らくの間ここドイツ支部でも一線級の威力を誇った状態で運用をしていた。当時は何かとやっかまれる事もあったが、極東での事実を話すと誰もがそのままアネットから距離を置いている。アラガミの楽園。アラガミの動物園と揶揄された極東支部は今も変わらずアラガミとの最前線に違い無かった。
「緊急ミッション済まないな。結局の所、確認出来なかったと聞いてるが?」
「はい。周囲を数回索敵しましたが、アラガミの気配はありませんでした。因みにアラガミの種別は何だったんでしょうか?」
「現在の所、周辺状況と残されたオラクル細胞の欠片の解析の結果、ハンニバル種の可能性が高い。だが、あくまでも種別だけだから、それが何なのかは実際に目で見ない事には何とも言えんな」
帰投直後に呼ばれた支部長室で、アネットは支部長と話をしていた。信号がロストしてから時間はそれなりに経過しているからなのか、アネット達の到着時には痕跡だけが残されていたに過ぎない。
細胞が風化したからなのか、それとも劣化していたからなのか、支部長の回答もまた曖昧なままだった。
「そう言えば、アネットは確か極東支部の如月エイジを知っているな?」
「はい。何度か指導を受けた事があります。それが何か?」
唐突に支部長から言われた言葉にアネットは首を傾げる事しか出来なかった。既に極東を離れてから3年近くが経過している。それが何を意味するのかが分からないままだった。
「実は最近まで独立支援部隊の任務の兼ね合いで本部に居たらしいんだが、その契約期間が終了したらしく、現在は極東支部に戻っているらしい。今、我々が直面している事案を考慮すると、近日中に何らかの対策を講じる必要が出てくる。
本来であればクレイドルの専門チームを派兵してもらうのが一番なんだが、生憎とそれを出来るだけの余裕が我が支部には無いのでな」
支部長の言葉をアネットはただ聞く事しか出来なかった。
接触禁忌種の討伐をクレイドルでも専門チームと称してエイジとリンドウが派兵されている事は隊長職以上であれば知りえる事実だった。それと同時に行われる教導の苛烈さも同じく耳に届いている。容赦ない教導は新人の高くなった鼻をへし折るには十分すぎる内容だと、アネットも何度か耳にしていた。
「まさかとは思いますが、極東に誰かを派兵させるつもりですか?」
「ご名答だ。期間は約2週間程を予定している。万が一接触禁忌種が出て厳しい状況であれば、即帰国してもらう事になると思う。行けるかね?」
含みを持ちながらもニヤリ笑う支部長を他所に、当時の状況を思い出したからなのか、アネットは僅かに懐かしさを感じていた。極東でのミッションのカテゴリーは割と細かく区切られている。
自分の力量を無視したミッションを受ければ、帰還するのは神機だけの可能性が高いからと、余程の事が無い限りミスマッチでのアサインは緊急時以外ではありえなかった。
その結果、各自のレベルにマッチしたミッションの案内は当時も無駄が無い様にも思えていた。
「当然です」
支部長の言葉に、断る要素はどこにも無かった。僅かとは言え、極東のメンバーと任務をこなした事実は今の行動原理にも組み込まれている。そんな当時の事を思い出しながらもアネットは二つ返事で頷いていた。
「北斗。そう言えば、ドイツ支部から教導の名目で誰かが派遣されると聞きましたが、何か詳細を榊博士から聞いてますか?」
シエルの言葉に北斗はここ最近の話を思い出していた。榊だけでなく弥生からもそんな話を聞いた記憶は無く、シエルも自分に聞いてくるとなれば、確実に何かしらの噂である事は理解していた。
フライアに居た頃は他の支部との連携を考える様にと、当時ジュリウスから言われていたが、最初がここ極東支部だっただけでなく、その後もここに居た為に他の支部の話を聞く事は無かった。
「何も聞いてない。シエルはどうやって知ったんだ?」
「私はサクヤ教官から聞きました。何でも精鋭が来るとか……」
珍しく確認せずに聞いたからなのか、シエルはどこか所在無さげに話している。事実、詳細を何も聞いていない以上、北斗としてもどんな返事をすれば良いのかを考えていた。
「ねぇねぇ!ここに『ベルリンの壊し屋』って呼ばれてる人が来るらしいね。その人は何でもハンマーを使うとか。知ってた?」
シエルの話を補完するかの様に、今度はナナが話しかけていた。どうやら同じ様な話を聞いたからなのか、それともここでは数少ないハンマー使いだと聞いたからなのか、ナナのテンションはどこか高いままだった。
「すまん。さっきシエルから聞いたばかりで詳細は知らない。でも何でそんなにテンションが高いんだ?」
「分かってないな~。いい北斗。ここの支部でブーストハンマーを使う人って結構少数派なんだよ。折角破壊力に優れてるんだから、火力が高い人が入れば部隊としての攻撃にも幅が出るし、それだけ有名な人が来るならマイノリティーからも脱却できるでしょ」
「ハンマーなら他にエミールさんも居るのでは?」
「でもな~『ベルリンの壊し屋』って言う位だから怖い人なのかな。やっぱり最初はおでんパンで様子見かな」
「ナナさん……」
ナナのテンションの高さについて行けなかったのか、シエルの言葉はナナには届かなかった。確かにここでのブーストハンマーを積極的に使う人間はそう多く無い。
分布を調べた訳では無いが、教導の影響なのか、それとも何を参考にしたからなのか、ロングやショート、バスターにチャージスピアの比率は割と多かった。サイズに関しては実質的には片手で足りる程の人間しか使っていない。攻撃方法が特殊だからなのか、それとも特殊兵装が影響しているからなのか、使いこなしている人間そのものが特殊な教導をこなしている事を知っている為に、どこか遠慮した部分が存在していた。
既にナナの意識はその先へと向けられている。その結果、シエルの出したエミールの名前はまるで最初から無かったかの様に会話が進んでいた。
「なるほど。だからここに。と言う事ですか」
《本来であれば我々が要請すれば良いのですが、お恥ずかしながら我が支部はそれ程資金が潤沢でもありませんし、派兵のついでに教導となれば少々厳しい物で》
榊は通信相手の心情を読み取りならがも、実情を勘案していた。ああは言われたが、クレイドルの派兵は長期的な目で見れば見た目のコスト以上の結果をこれまで何度も示していた。
戦闘時の判断や攻撃の方法など神機の強化は難しくても、それを使う人間の強化には定評がある。一時期エイジが単独で派兵していただけでもそれなりの結果を示していたが、既にその当時の人間はドイツ支部には殆ど残っていなかった。
退役しただけでなく、アラガミによって命が散った人間も少なくないのが原因だった。半ば常識となっているからなのか、榊もその事実は知っていても口にする事は無かった。
そんな中でエイジだけの派兵が終わり、今はクレイドルとしての行動をしている。そうなればそれに対する報酬や環境を整えるだけでなく、整備にもかなりのコストが要求される事になる。極東であれば容易に入手できるコアも他の支部では困難となれば、結果的には金銭のやりとりが発生する事にもなり兼ねない。実力と経済。どちらを取るのかは各支部で頭を抱える事案に違い無かった。
そんな実情から考えれば、極東に人間を派遣させれば実力と同時に神機のバージョンアップも容易に出来る。命の心配はあれど、今出来る中での最大の低コスト案。そんな経緯が存在していた。
「我々としては歓迎します。それに彼女は以前はここに少しだけ在籍していた訳ですから、馴染むのも早いでしょう」
《その件は我々も心配はしてません。本人の希望していた事ですから》
「では、予定の通りに歓迎しよう」
《その様にお願いします》
通信が切れると榊は手元にあった資料に改めて目を通していた。本来であれば虎の子とも取れる第一部隊長である人物をここに寄越すとなれば、その間の支部の戦力は低下が免れない。余程何かがあったからなのか、それとも単なる偶然なのか。
真相を解明すべく、榊は弥生に目で合図をしていた。
ヘリから降り立った女性は、大きく腕を上に上げる事で身体を伸ばす様に身体をほぐし深呼吸をしていた。長旅で淀んだ肺の空気が一気に入れ替わる事で気持ちを切り替える。急遽決まったドイツ支部からの派兵は既に極東支部にも伝えられているからなのか、変な緊張感を持つ様な事は無かった。
ヘリから降りた支部の光景は当時と何も変わっていなかった。土埃だけでなく、遠くで聞こえる喧噪。ここが最前線である事を嫌でも実感するだけでなく、短い期間ではあったがここに居た記憶が蘇ったからなのか、アネットはどこか懐かしさを感じていた。
「ドイツの支部長からは聞いてるよ。随分と久しぶりだね」
「はい。榊博士もお元気そうで」
かつて知った道だからなのか、念の為にと弥生がアテンドしたが、アネットの足取りは迷う事無く支部長室へと向いていた。
ここに来る途中では見た事が無い人間が多かったからなのか、どこか遠目でアネットを見ている様にも思える。ここに来た当時は右も左も分からなかった頃。今の自分は本当にここでも通用するのか少しだけ心配になる面もあった。そんな気持ちを知ってか知らないか榊は何も変わらない対応だった。
「しかし、第1部隊長の君が来たと言う事は、向こうは戦力が大幅にダウンするかもしれないが、何があったんだい?」
「実は、今回のミッションの中で未確認のアラガミの出現で部隊が一つ全滅しました。周囲の細胞片からはハンニバル種の可能性があるとは分かってるんですが、それ以上の事が何も分からないので、取敢えずはその戦力を高める方針だと聞いてます」
「ハンニバル種ね。確かにあの種は何かと曰くつきの話が多いから、あながち否定は出来無さそうだね」
アネットの言葉に榊も何か思う部分があったからなのか、それ以上の明言は避けていた。
以前リンドウが失踪した際に判明した事実はある程度情報としては公表しているが、その事実を知るのは支部長だけ。部隊長でも知らないケースがあるのは、ある意味では仕方ない事でもあった。それだけではない。ハンニバルの変異種ともなれば、討伐のレベルは一気に跳ね上がる。最近もここ極東ではルフス・カリギュラの変異種を相手に厳しい戦いをしてきた事実がある。
データ上では何も分からないが、コンバットログや当人の話を聞けばどれ程凶悪なアラガミだったのかは想像も容易い。そんな事実があるからこそ、榊もアネットに対し安易な発言を避けていた。
「お恥ずかしい話ですが、今のドイツ支部でハンニバルが出れば殉職率は一気に跳ね上がります。経験もですが、やはり神機のレベルとのミスマッチだけはどうしようも無いですから」
「なるほど。だとすれば、今回はそんな経験値の獲得と神機の強化をメインに考えると言う事で良いかい?」
「榊博士がそう言ってくれるのであれば助かります」
ハンニバル種までとなれば、ここでも単独でこなせる人間はかなり限られる。
気を抜けば一気に死の淵に追いやられるアラガミは尉官クラスが居なければ、スタングレネードを使用し、即時撤退がここでは最低限の条件となってくる。只でさえ素早い動きに翻弄されるにも関わらず、防御しても弾き飛ばされる程度の腕前と神機では歯が立たないどころか、完全に役立たずでしか無かった。
「だとすれば、部隊の件は少し考えてみよう」
「ありがとうございます」
榊の言葉にアネットも理解したからなのか、支部長室を出た後はそのまま技術班へと向かっていた。
「あれ?この神機ってアネットのだったんだ。またここに教導なの?」
「はい。2週間と短期ですが、またお願いします。リッカさん」
技術班に顔を出したアネットを出迎えたのはリッカだった。既に運ばれた神機はそのまま一旦は状態の確認の為に作業台に乗せられている。ここでの任務に耐える事が可能なのかを判断する為だった。
ドイツ支部では泣く子も黙る第1部隊長ではあるが、ここではそんな肩書は全く通用しない。元々のレベルが違う事もあるからなのか、アネットもどこか当時の状況に似たような状態になっていた。
「ああ。アネットか。久しぶりだな」
「ナオヤさんもお元気そうで。今日はこれで終わりなんですか?」
ナオヤはいつものツナギ姿から教導用の服へと着替えている。既に幾つかの予定があったからなのか、どこか忙しそうな雰囲気を出していた。
「いや。これからは新人の教導だ。これも俺の仕事だからな」
「ナオヤさんがやるんですか?」
「ああ。新人から曹長クラス迄は俺が見てる」
教導の言葉にアネットも当時の事を思い出していた。常に動きながらもアラガミの行動を予測し、その攻撃の範囲と威力を計算しながら戦術を練っていく。仮にそれが厳しい状況であろうが、生き残る為には実行するしかない。身体だけでなく頭もフル回転していたエイジの教導を思い出したからなのか、無意識の内に身体が震えていた。
「どうだ。アネットも少し見ていくか?」
「はい。ぜひお願いします」
アネットの動きを見たからなのか、ナオヤは促していた。今回の任務には入っていないが、自分も既に部下がいる身。だとすれば何かしらのヒントが掴めればと考え、同じく訓練室へと足を運んでいた。