神喰い達の後日譚   作:無為の極

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第153話 模索

 一部の人間を除いて大半の人間は、ブラッドが特殊部隊が故に過大な戦力を有していると考えている。従来のゴッドイーターとは違い、稀有な偏食因子を体内に有する事から繰り出されるブラッドアーツの事を誰もが信頼していた。

 当然ながら、これまでに感応種の討伐にブラッドが幾度となく戦場に舞い降りる姿を認識している。その結果、ブラッドに関してはある意味では特殊である事を心理的に理解していた。

 唯一無二ともとれるそれを戦場で駆使する事によって多大な戦果をもたらしていく。クレイドルの様に純然たる体術や戦闘力とは違った視線が一方的に晒されていた。

 だからこそ、その裏で積み重ねていく努力に日が当たらない。ブラッドアーツの様な華々しい攻撃が故に、その裏にある努力にスポットライトが当たる事は無かった。

 

 

「ぐはっ!」

 

「その程度で終わるのか?」

 

「……いえ。これからです!」

 

 静かな空間に響くのは一人の荒々しい呼吸音。何も知らない人間であれば、あり得ない光景だった。事実、この空間には観客となるべき人間は誰一人存在しない。だからなのか、一方的に攻撃を受けた所で、本人には何の遠慮も無かった。

 

 

「そうか。なら、かかってこい」

 

 激昂する事も、感情が昂る事も無い戦い。そこにあるのは教導と言う名の模擬戦だった。最初に刃を交えてからは一時間も経過していない。常に一方的に攻撃を浴びせられると同時に、最後は確実に反撃を許す事無く終わっていた。

 既に弾き飛ばされた回数を数える事はしていない。元から自分以上の技術を持つ人間との教導である為に、勝つための意気込みは持つが本当に勝てるとは思えなかった。

 ゴッドイーター特有の肉体強度を活かすだけのゆとりはこれまでに一度も無い。お互いの事を知る人間からすれば、最初から結果を見るまでの無い戦い。あくまでの自分の技量向上のためだからか、弾き飛ばされた側の眼は未だ死ぬ事は無かった。

 

 

「行きます!」

 

 これから攻撃をする事を宣言するのは下策中の下策。だが、対峙した人間には不意討ちが通用するはずが無かった。昂る感情を冷徹にコントロールすると同時に、精神的な勢いすらも自らの振るうべく刃へと乗せる。全ての動作に無駄をなくすかの如き斬撃は、これまでに一度も目にした事は無かった。真剣ではなく模擬戦用のモック。にも拘わらず、その刃は大気をも斬り裂くかの様だった。

 相手の頭上から風呂下ろされる刃。これがアラガミであれば、確実に脳天から一気に股下まで刃が疾る勢い。だが、相手はアラガミではなく一個の人間。まともに直撃すれば、最悪は命すら散る可能性を秘めていた。

 裂帛の刃が瞬時に迫る。だが、その手応えはまるで最初から無かったかの様だった。

 

 

「勢いは良かったな」

 

 振り下ろされた刃は、ただ残像だけを斬っていた。厳しい戦いをすれば、必然的に目の前の状況に集中する。そうなれば、視野が狭くなるのは必然だった。

 完全に間合を見切った事によって、攻撃の範囲を把握する。そうなれば、回避するのは容易だった。

 来るであろう斬撃の有効範囲を確実に見切る。幾らゴッドイーターの膂力をもってしても、見切られた攻撃は完全に無効化されていた。

 米粒程度の距離で斬撃を回避する。常人であれば恐怖に慄くが、生憎とそんな感情は持ち合わせていなかった。

 ミリ単位で見切る能力を持つ側からすれば、この後に起こる未来は必然でしかない。既に、勝敗は決したも同然だった。

 

 当然ながら渾身の一撃故に、完全に体重が乗った斬撃。回避された時点で待っているのは手痛い反撃だった。視野狭窄に陥った時点で、その攻撃がどうなるのは感がるまでも無い。素人ならともかく、対峙した相手にはそんな生温い感情は持ち合わせていなかった。

 距離感を狂わせた回避術。そこから先の未来を語るのは、余りにも酷だった。

 ゴッドイーターの強靭な肉体をもってしても、確実に躰の芯まで届く一撃。まるで旧時代の映画のワンシーンの様に死に体となった体躯は、くのじに折れ曲がり衝撃をそのまま壁に激突していた。

 全身を強打した事によって肺にあった酸素が一気に押し出される。この時点でこの模擬戦は強制的に終了となっていた。

 

 

 

 

 

「……ありがとうございました。自分の我儘につきあってもらい感謝しています」

 

「礼には及ばん。北斗やロミオもやってる。この程度で気にする必要はない」

 

「そう言ってもらえると助かります」

 

 普段とは違い、明らかに鍛錬用に着替えた服は完全に汗を吸っているからなのか、重くなっていた。普段の当人を知っている人間であれば、確実に泥臭い様にも見える。何時もであれば金色に輝く髪もまた、汗によってしなびれていた。

 

 

「まずはその汗を始末すると良い。場所は分かるな?」

 

 口調こそ厳しいが、そこには労いの心があった。ここは何時ものアナグラではない。屋敷の道場だからこそ出た言葉だった。

 

 

「はい。今日は、ありがとうございました」

 

 金色の髪もまた、深々と頭を下げた事によってそのまま下へと垂れている。既に本人の意識の中では矜持は微塵も無かった。この後は言われた様に汗を始末する以外にやる事は無い。まるで最初から分かっていたかの様に、向かった先には始末した後の着替えが用意されていた。

 

 

 

 

 

「改めて感じたが、勿体ないな……」

 

 誰も居ないからか、呟いた言葉は意外にも響いていた。事実、ブラッドのメンバーの中でロミオだけでなく、北斗もまたここで厳しい鍛錬を積んでいた事は知っていた。実際にまだブラッドが発足した頃、部隊のメンバーは自分とロミオしか居なかった。階級の事だけを見れば、自分が大尉である以上、指揮官として動くのは勿論の事、戦闘に関しても、自分だけがブラッドアーツに目覚めていた事から、実戦の際には先頭を切っていた。

 ある意味では部隊を支える為の柱としての自負。少なくともこれまで自分の周りに慕ってくれる様な人間が居なかった事が、その思いに拍車をかけていた。

 しかし、極東支部に来てからはその自負は良い意味で打ち砕かれていた。

 

 フェンリルの中で極東支部がどんな位置付にあるのかは何となく理解していた。アラガミの力が強ければ、当然ゴッドイーターの能力もまた高い物が要求される。その結果として、今の様な数字が出ていると考えていた。

 実際に自分達が極東支部に来てからは驚きの連続だった。本部の特殊部隊としての位置付けが故に、他の支部にも何度か顔を出している為に、大よそでも戦力は図る事が出来る。しかし、極東支部に於いては自分の能力の範疇から最初から逸脱していた。

 

 厳しい教導と同時に、他の支部とは違い、一定の戦闘技術を与えてからの実戦。当然ながら碌な訓練をしないままに戦場に送り込むよりは、格段に生存率が高かった。実戦から組み上げられた理論。教官もまた厳しいが故に、誰もがそれに疑問を持たなかった。

 当初はやりすぎではとの疑問もあったが、その疑問は戦場に出た瞬間氷解する。アラガミの強度が他の支部に比べてダントツに違っていた事だった。ここまでしても殉職者が出る。正に世界の最前線の名にふさわしかった。

 最大の要因はクレイドル。その中でも如月エイジの名は絶大だった。

 本部でも『極東の鬼』とさえ言われる程に厳しい教導。だが、その効果は誰の目にも明らかだった。そんなエイジをして絶対に敵わない壁と称した人物。今回の教導もまた、自身が強引に頼み込んだ末の結果だった。

 

 

「エイジさんの話だと、無理らしい。既に登録は抹消されてるって話だ」

 

「北斗。どうしてここに?」

 

 ジュリウスの回顧録を強引に現実に引き戻したのは北斗の声だった。ここは道場ではなく、浴場。しかも内湯ではなく、ゲスト用の外湯だった。

 

 

「ジュリウスがここに来るってナオヤさんから聞いたんだ」

 

「成程……で、ついでにここでやったのか?」

 

 ジュリウスの言葉に、北斗は沈黙を持って返していた。事実、先程までジュリウスはここの当主でもある無明と模擬戦をしている。あれから時間はそれ程経っていない事を考えれば、北斗がこの場に居るのは、違う意味で珍しいと考えていた。

 通常、部隊長にまでなれば、戦場以外の作業が一気に増える。当然ながら現場上がりの人間が真っ先にぶち当たる高い壁でもあった。

 部隊長に求められる内容は多岐に亘る。その結果、通常以上に余分な作業が増えていた。しかし、北斗に関してはその限りでは無かった。北斗の横に立って献身的とも言える程にシエルがそれを支えている。その結果として、北斗は隊長になる前と同じ様な時間配分が可能となっていた。

 そう考えれば、この場に居るのは明らかに不自然でしかない。だからなのか、ジュリウスの言葉に弁明するかの様に北斗は実状を口にしていた。

 

 

「既にアナグラでナオヤさんとはやってる。ここに来たのはジュリウスがここに来るって聞いたからだな。それに、明日の朝一番は予定してる」

 

「明日の朝……一番?」

 

「あれ?今日はここなんだろ?」

 

「特には予定してないんだが」

 

 ジュリウスの何気ない言葉に北斗は少しだけ焦りを見せていた。

 実際に今の時間は既に太陽が完全に沈む手前の時間。これから移動する事を考えれば、余程の用事が無ければここで逗留するのが一般的だった。だからこそ、見当がついていないジュリウスの言葉に冷や汗を流す。お湯に浸かっているはずの躰は僅かに寒さを覚えていた。

 このままでは、今回の件に関する根回しが完全に水泡となる。そう判断したからなのか、北斗は隠す事無く事実を口にしていた。

 

 

「いや……実は、既に皆がここに来てるんだ」

 

「珍しいな。何かあったのか?」

 

「深い意味は無い。ただ、ジュリウスがここに来るなんて事は早々に無いから、折角だからと全員に声をかけたんだ」

 

 北斗の言葉にジュリウスは改めてこれまでの記憶を探っていた。実際にここを利用する人間は意外にも限られている。クレイドル以外の人間では本当に数える程だった。

 そんな中でブラッドもまた特定の人間だけが利用している。今回のジュリウスに関しては、完全に片手で足りる程の利用しか無かった。

 

 

「ここ最近、ジュリウスの様子が少しだけおかしかったんでな。折角だから、鍛錬も込みで偶には部隊全員と言うのも悪くは無いかと思ったんだ」

 

「……そうか。随分と気を使って貰ったみたいだな」

 

「偶には気分転換も必要だろ?」

 

 北斗の言葉にジュリウスの胸中には温かい物を感じていた。これまでも紆余曲折あったが、それでもなお、自分の事を家族同然に受け入れている。そう感じた結果だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いっただきまーす!」

 

 ナナの言葉と同時に、アナグラではなく屋敷での食事はある意味では新鮮だった。実際に部隊のメンバーは指揮車を利用する際には必ずと言っていい程に当番制で食事を作る。目の前に用意された食事もまた、担当者で作った成果だった。

 普段とは違い、ここでは食事は基本的には自分達で用意する。招待された際には用意されているが、それ以外には当人が用意するのが規則だった。

 肉体の疲労を考えて、用意したのは豚肉を使った生姜焼き。甘辛いタレと、アクセントで味わう生姜の辛みは以外にも食欲を誘っていた。

 

 

「ナナ。いきなりがっつくなよ。お代わりはあるんだからさ」

 

「それは知ってるよ。でも、疲れた体にはビタミンが必要だってエイジさんも言ってたから」

 

「お代わりは用意してあります。ナナさんだけではありませんが、皆さんの分もありますので」

 

 シエルのさりげない言葉に、誰もが返事をする事は無かった。無視した訳では無い。純粋に出された料理に集中した結果だった。

 ナナに限った事ではないが、最初の段階から必要だろうと既にお代わりは用意されていた。肉の脂の甘さとタレが絡む。時折感じる辛みは食欲を更に増進していた。

 

 

「ムツミちゃんのも良いんだけど、ここはやっぱりね……」

 

 ナナの言葉に誰もがそれ以上の事を口にする事は無かった。事実、ここでは余程の事が無ければ、食事は基本的には自分達で用意する。それがここの規則だった。本当の事を言えば、ジュリウスに限ってはその限りではない。だが、ブラッド全員が集まった為に、食事の用意は各々でする事になっていた。

 当然ながら用意された食材はここの物。調理の力量が乏しくても、その分だけ食材がカバーしていた。今回用意されたのは生姜焼き。しかも、完全に下処理が完了した物だった。

 

 

「って言うか、焼いただけだろ?」

 

「ロミオ先輩。その考えは砂糖よりも甘いかもよ。これはこれで色々と技術が必要なんだから」

 

 何気ないロミオのツッコミではあったが、ナナは当然だと言わんばかりに反論していた。事実、下処理が完了していたのは、偏にナオヤの指示による物。当主の無明に関しては一切関知していなかった。屋敷ではゲストとして招かれる場合と、生活の場としての環境は以外と異なる。今回に関しては完全に後者の部類だった。

 だからと言って、そのまま放置するのも忍びない。そう考えた末の結果だった。

 確かにナナがやった行為はフライパンで焼いただけ。しかし、焼き方によっては食感や味は大きく変わっていた。

 

 肉を焼く行為は単純な様で奥深い。これまでのナナであれば確実に様子を見ながら何度もひっくり返していたはずだった。しかし、ナオヤからのアドバイスによって時間ギリギリまでひっくり返さず、様子を伺う。その結果として香ばしい食感を生んでいた。

 僅かに焦がした事によって、タレが作る香ばしい香りと、その結果生まれる歯ごたえ。ただ焼くだけのはずの料理が、これまで以上の味わいを生んだのは、偏にそのアドバイスに従った結果だった。

 改めて他のメンバーを見ても、誰一人文句を言う様な事は無い。それ程までに完璧に作られた証だった。

 

 

「いや、これは少なくともかなりの技術が要求されている。少なくとも俺もこれ程までの味を感じたのは早々無いな」

 

「でしょ!でも、ロミオ先輩の言葉はちょっと信用出来ないと言うか……」

 

「ちょっと待てよ!まるで俺が味音痴みたいじゃねえか!」

 

「あれ?そんな雰囲気になってたかと思うけど」

 

 ナナ言葉に反論したのは、ロミオもまた鍛えられていた証拠だった。ラウンジで食べているだけでは分からない違い。偶然にも感じたのは些細な違和感だった。

 口ではああ言ったが、実際にはなかりのレベルになっている。遠征の際には当番制で食事の準備をしていた為に、技量が向上している事は想定内だった。

 それでもなお、今回のこれはそれを上回る。本当の事を言えば素直に賞賛するだけのレベルだった。

 

 

「お前達、それ位にしておけ。ここで騒げばどうなるのは分かってるだろ?」

 

「……そうだね。下手に騒いだら、後が大変だもんね」

 

 仲裁に入ったギルの言葉に誰もがそれ以上騒ぐ事は無かった。厳密に言えば、多少は騒いでも問題は無い。しかし、ここには無明だけでなくツバキも滞在している。ツバキが結婚している事は一部の人間だけが知る事実。幾らブラッドと言えど、無明とツバキに逆らうだけの気概は無かった。

 そんな心情を察したからなのか、僅かに静かになる。これもまたブラッドの側面であるのは間違い無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、今後の事に関してなんだけど、ジュリウス君の真意はどうなんだい?」

 

「はい。今後の事に関しては部隊の中で改めて相談しました」

 

「って事は、今回の内容に関しては応諾したと考えても良いんだね?」

 

「はい。一度は自分の置かれた現実があります。そう考えれば、今の時点で断るだけの要素はありませんので」

 

「君達ならそうなるとは思ってた。ブラッドの諸君には、色々と迷惑をかける事になるとは思ってたんだけどね」

 

「少なくとも今の現状を鑑みれば、これは必然なので」

 

 榊の問にジュリウスは淀む事無く回答を口にしていた。事実、聖域の農業に関しては既にブラッドの手を離れつつあった。当初こそ色々と厳しい側面を持ってたが、極東の住人は他の支部とは違い、フェンリルに対してではなく、極東支部そのものに対しての感情しかなかった。

 実際に他の支部ではフェンリルに対する忌避感は根強く残っている。その根底にあるのは、これまでのフェンリルが住人に対する接し方だった。

 

 極東支部は基本的には支部としてのくくりを持っていない。お互いが出来る事を精一杯やった結果が今に至る為に、それなりに融和している部分が多分にあった。

 一番の恩恵は、サテイラト拠点での対処のしかた。アラガミ防壁にこそフェンリルのエンブレムが多少は刻まれているが、それ以外に関しての関与は皆無に等しかった。経済的には事実上の独立を果たしているとさえ言える程にフェンリルの庇護は少ない。それがゴッドイーターだけでなく、外部居住区に住む人間もまた同じく感じていた。

 そうなれば、自然とフェンリルへの依存度は下がっていく。その結果として、ブラッドが聖域での農業に関する支援を求めた際には、多数の応募がそこにあった。だからこそ榊もまたブラッドの、厳密に言えばジュリウスの心情を汲んでいた。大尉でありながらも、その実情は少尉に近い。それが一部の人間の知る所だった。

 

 

「既に先遣隊としてクレイドルのメンバーには出て貰っている。今の所は多少の問題が発生しても彼等なら乗り越えてくれるとは思うんだが、念には念を入れてと思ってね」

 

「そうですね。場所が場所なので、多少なりとも保険は必要かと」

 

「そう言ってくれると助かるよ」

 

「自分に出来る事をやるだけですから」

 

 特定の言葉が無かったのは、お互いが内容を理解していたからだった。今回の極秘任務とも言える内容の肝は、ジュリウスのクレイドル遠征チームへの合流。戦端を開く為のキッカケを作る為だった。

 現時点では感応種は極東支部以外では、未だ観測されていない。本当の事を言えば、ジュリウスが本部周辺に姿を見せる事が多分にリスクを孕んでいるのと同じだった。

 神機兵の暴走と、責任の所在に関しては、事実上の人身御供としてグレムスロワインダストリーが対象となっている。あれ程資金を投入した結果、欠陥品を世界にばら撒いた後遺症は今も尚続いていた。

 

 そんな中で、救国の士とも呼べるジュリウスの存在もまた、ある意味では爆弾に近い物があった。ラケルの側近として一時はフェンリルに対して反旗を翻している。極東ではブラッドの活躍も影響しているからなのか、それ程重要視されている事は無かったが、上層部の覚えは良い物では無かった。

 限りある椅子の数を奪い合う為に、色々と準備が必要となってくる。少なくとも、現時点で何かをするだけの余裕は無かった。そんな上層部の思惑を察知しているからこそ、榊もまた新たな一手を打つ。

 少なくとも自身の与える印象がどんな物なのかは完全に理解していた。

 

 元々スターゲイザーと称される程に世間に対する反応は薄い。しかし、その卓越した頭脳によってこれまで極東支部に訪れた危機を幾度となく回避していた。本当の事を言えば、幾つかの重要な事案を上手く活かす事が出来れば、極東支部そのものがフェンリルの中でも頭一つはおろか、完全に抜きんでる事も可能だった。

 本当の事を言えば、野心を持った人間であれば十中八九それを実行している。だが、榊はそれをしなかった事によって、完全に周囲を騙しきっていた。だからこそ、本当の意味での危機を察知する事が出来る。

 権謀術数の世界ではなく、あくまでも人類の観察者。その名にふさわしい行動をしていた。

 

 

「そう言ってもらえると助かるよ。現地に関しては既に準備は粗方出来てるから、後は君自身が行動するだけだ」

 

「ありがとう御座います。では、少しだけ時間を頂けませんか?」

 

「良いだろう。このままってのは何かと蟠りを残す。以前の二の舞だけは避けてくれ給え」

 

 ジュリウスの懸念を察知したかの嬢にジュリウスの真意を榊は汲んでいた。二の舞は以前に黒蛛病に罹患しながらもその事実を隠し、独りで悪役を演じた事に起因していた。

 当時と今は決定的に違う。永遠の別れではないが、少なくとも今後は簡単に合流する事はクレイドル以上に難しい事を理解していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ジュリウスがどんな考えで行動しているのかは分からない。だが、もう無理に動く必要は無いと思う」

 

「……北斗。今回の件に関しては、俺自身はそう難しくは考えていない。仮に離れていたとしても、永遠に離れる訳では無いんだ」

 

 ジュリウスの言葉に北斗だけでなく、他のメンバーもまた視線がジュリウスへと向いていた。今回ここに集まったのは、榊から聞いた訳では無い。本当の意味で偶然に近かった。

 事実、ジュリウスと榊の話はつい先程の事。少なくともブラッドのメンバーが知るのはもっと先の話のはずだった。無意識の内に螺旋の樹の出来事が蘇る。気が付けば、他のメンバーの目には色々な感情が浮かんでいる様だった。

 

 

「だが……」

 

 何時もとは違うジュリウスの雰囲気は何時か何処かで感じたそれに近い物があった。だからこそ、北斗はジュリウスが屋敷で何をしているのかが気になってた。

 当時、ラケルに騙されたままに操られていた頃とは完全に違う。少なくとも今のジュリウスには陰の雰囲気は感じ取れなかった。だが、何となく胸騒ぎがしないでもない。北斗にとっても慣れたこの場所だからこそ、不意に出た言葉だった。

 

 

「本当の事を言うとな、俺はお前達には未だに負い目を持っている。確かに騙されたと言う点に於いては俺も被害者かもしれない。しかし、一度は人類に対して反旗を翻しているのも事実だ。

 幾らフェンリルがカバーストーリーを作って取り繕ったとしても、俺自身が納得出来る物ではないんだよ」

 

 

 ジュリウスの言葉に北斗もまた、それ以上は何も言えなかった。農業に専念してからは、負の感情は完全に無くなったかの様にも感じていた。しかし、今回のクレイドルの特務に近いそれに同行するとなれば、北斗だけでなく、他のメンバーもまた動揺する。少なくともこの時点でジュリウスの気持ちを翻す事は出来なくとも、何らかの措置は取れると感じていた矢先だった。

 

 

「今回の件に関しては、完全に俺の我儘でしかない。だが、このまま安穏としたままで生きる事に、俺は……俺自身が納得出来ないんだ」

 

「だったら、他のメンバーには何て説得するつもりなんだ?」

 

「それは……」

 

 北斗の問に、ジュリウスは明確な答えを持ち合わせていなかった。あの最終決戦の際に、ジュリウスは一度ブラッド全員と完全に分かれている。確かに今となっては笑い話で済むかもしれない。

 だが、あの時のあの感情は紛れも無い事実。少なくとも何らかの形で全員に伝えるのは、ある意味では当然だった。

 

 

 

「まあ、良いさ。少なくとも本当の事を言ってくれたんだ。どうする?他に疑問はあるか?」

 

 北斗はそう口にすると同時に近くにあった扉を勢いよく開ける。そこにはブラッドのメンバー全員が勢ぞろいしていた。

 

 

 

 

 

「ジュリウス。お前……いや、これ以上は愚問だな。俺からは何も言う事は無い。アリサさん達の足を引っ張るなよ」

 

「ああ。だからこそ、ここで鍛え直してるんだ」

 

「まあ、元々は本部預かりだったんだし、少なくともこれまでよりは対応は多少はマシだろ?」

 

「そうだな……ロミオには鍛えられたからな」

 

「ジュリウス……私からご武運をとだけ」

 

「大丈夫だ。それよりも北斗の事を支えてやってくれ」

 

「ジュリウス……本当に行くの?」

 

「今度は大丈夫だ。あくまでも極東支部としての作戦の補助みたいな物だと聞いているからな」

 

 既に説明する必要はどこにも無かった。実際に屋敷は防音されていても、全部がそうではない。今回用意された部屋はどちらかと言えば前者だった。一度決めた事に対して翻るとは誰もが思っていない。今はただ、ジュリスの心意気を汲む事だけを優先していた。

 

 

「リヴィは何か言う事は無いのか?」

 

「私からか……」

 

 ロミオの何気無い言葉に、リヴィは珍しく言い淀んでいた。実際にブラッドとして行動した期間を考えれば、ジュリウスに対しての感情は他のメンバーよりも希薄になっている。この状況で自身が何らかの言葉を口にするのは野暮だとさえ考えていた。全く感情に無い訳では無い。ただ、どう言えばいいのか。それだけを模索していた。

 

 

「少なくとも、俺自身が皆に迷惑をかけている事は自覚している。だが、今回のこれに関しては完全に自分の私情を優先している。今回のこれは、これまでの…ある意味、恩返しだと思ってる」

 

「……そうか。ならば、私からは敢えて何かを言う必要性は無い様だな」

 

「ああ。さっきも言ったが、これから直ぐに何かが起こる訳では無い。それに備える為に今やっているだけだ」

 

 ジュリウスの心情がそのまま出たからなのか、誰もがそれ以上の事を口にする事は出来なかった。ジュリウスの性格を考えれば、ここで翻す可能性はゼロに等しい。今に始まった事ではない事を誰もが理解していたからなのか、それ以上口にする事は無かった。

 

 

 

 

 

「これからの皆に乾杯!」

 

 食事を終えたからなのか、既に用意された物は簡単に摘まめる物ばかりだった。ジュリウスの考えが翻らない以上、このままの空気で別れるのは最悪だと判断したからなのか、そんな空気を一蹴するかの様に突如として宴会の様なが始まっていた。

 ブラッドの構成年齢は低い。事実、成人としてふるまえる事が出来るのは一握りだけだった。本当の事を言えば、このまま一つのチームとして活動していきたい。しかし、このままではダメだと言う事もまた理解していた。そんな中でジュリウスの言葉。誰もが悲しみの感情を持ちながらも、その意識は完全に前を向いていた。

 本来であれば屋敷で騒ぐのは色々と問題が出る。だが、事前にそんな事を察知していたからなのか、ブラッドが集まった部屋は離れだった。ここならば母屋にまで声は届かない。それがささやかな気遣いである事を認識しながらも、ブラッドのメンバーは珍しく夜更けまで騒いでいた。

 一時とは言え、改めて袂を分かつ意味。誰もが心の奥底にある感情を一時的にでも忘れるかの様だった。

 

 

 


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