「距離があるからと油断するな!」
《ナナさん。まだ距離はありますが、十分に警戒して下さい》
「任せといて!」
ナナの体表から湧き出るかの様に赤黒いオーラが周囲へと拡散していく。ナナ自身が放つ血の力でもある『誘引』によって対峙しているアラガミは既に狙いを絞ったかの様に見えていた。
目測10メートル程の距離は通常のアラガミであれば絶対的安全圏内。どんな行動を起こすにしても身構えるだけの余裕が本来であれば存在している。しかし、今対峙しているアラガミはそんな距離すらも無視するかの様に一気に距離と詰める術を持っていた。
ネコ科の動物を連想させるしなやかな体躯はゼロから一気にトップスピードへと速度を高める事が出来る。視認してから構えるのでは神機の展開が追い付かない。既に一度噴出した血の力を止める事は出来ない以上、視線を僅かでも外せば吹っ飛ばされるのは自分の身体だった。
蒔き餌の様に溶け込むそれは幸か不幸かそのアラガミ以外に影響を及ぼす事は皆無だった。お互いが視線を外す事無く距離を詰めていく。さながら西部劇に出てくる早撃ちのガンマンの様にも見えていた。
「うぉりゃああああああ!」
ナナの渾身の一撃は本来であれば何も無いはずの空間に向けた一撃。何も知らない人間であれば確実に首をかしげるが、周囲の様子を見るゴッドイーターは誰一人疑問を持つ事は無かった。
一瞬にしてトップスピードへと到達すると同時に、先程までの距離が一気にゼロと化す。巨大な腕を起点として襲い掛かる鋭い爪は、ナナの一瞬にして散らす威力を誇っている。
ナナはアラガミが動くであろう予測を立て、全身の力をこの一撃だけに降り注いだ。自身の筋肉が引き千切れるかと思える程の一撃が何かと衝突し、反動で来た激しい衝撃はナナの腕を通じて全身を襲っていた。
幾ら頑強な肉体を持つゴッドイーターとて、この攻撃の衝撃は完全に殺しきる事は不可能だった。衝撃を上手く逃がそうにも予想以上の為に上手く出来ない。今のナナは完全に死に体だった。本来であれば反撃は必至。しかし、手ごたえを考えればそのアラガミの生死を確認する必要は何処にも無かった。
一気に仕留めようと接近したアラガミの頭部は、まるで弾け飛ぶかの様に頭部だと思われた物を粉々にまき散らしながらその躯体が進行方向とは真逆の方向へと弾け飛んでいる。既に生命を活動を停止したのか、頭部を綺麗に破壊されたアラガミはそのまま起き上る事は無かった。
《対象アラガミの生命反応はありません。今の所、周囲にも同じく反応はありません。皆さんお疲れ様でした》
耳に装着したインカムからはオペレーターでもある真壁テルオミの何時もの声が聞こえていた。資源の回収も終え、やるべき事は既に無くなっていたからなのか黒い大きな咢がアラガミの体内を喰らい尽くす。コアを引き抜いた北斗はそのままコアを確認しながら周囲の様子を伺っていた。
「こちらも全て終わった。回収用のヘリを頼む」
《了解しました。既にヘリは出発していますので、到着まで暫しお待ちください》
「ふ~今回はすっごく疲れたよ」
通信が切れたと同時に、先程まで刹那的とも取れる戦いを繰り広げていたナナは思わず座り込んでいた。肉体ではなく精神をすり減らす戦いはその後に疲れがドッと出てくるからなのか、北斗が振り向く頃には既に座るを通り越して大の字になって寝っ転がっていた。
「帰投ヘリがこっちに向かってるそうだ。恐らくは15分程だろう」
「今回の戦いはちょっと大変だったよ。まさかこんな事になるなんて……」
「そうは言っても今に始まった事ではありませんから」
「それはそうなんだけどさ……」
シエルの言葉にナナも不満はあるが、それ以上は何も言えなかった。既に螺旋の樹の汚染による浸食により神融種だけでなく、これまで散々苦戦を強いられてきたアラガミは事実上の通常種となってアナグラでのミッションに度々名を表していた。既に崩壊した今も当時とは何も変わらないとばかりに時折出没しているのは、感応種同様に完全に種として定着した証でもあった。
時間が経過したからなのかクロムガウェインの躯体はゆっくりと霧散していく。今回の戦闘は本当の事を言えば想定外の内容だった。当初はヤクシャとヤクシャ・ラージャの討伐だけのはずが、気が付けばその神融種でもあるヤクシャ・ティーヴラが乱入し、止めとばかりにクロムガウェインが討伐の対象となっていた。
当初は応援要請も検討されたが、侵入までの時間が余り無いだけでなく、既に動ける部隊はこのアラガミに対しての能力を持ち合わせていないからと、そのまま継続してのミッションとなっていた。
「もう終わったんだからそれで問題ないだろ?ヘリに乗れば好きなだけ休めるだろうが。それに、最初の大半は北斗がやったんだ。少しは働かないとな」
「何だかギルが冷たい気がするんだけど」
「気のせいだ」
そう言いながらギルが差し出した手を起点にナナも自身の身体を改めて起こしていた。既にヘリのローター音は大きくなりつつある。帰投用のヘリがここからでも目視出来る程の距離まで近づいていた。
「お疲れさん。新しい刀身パーツはどんな感じだ?」
「前の『暁光』も良かったですけど、この『
帰投してから忙しくなる技術班の下に北斗は今回から試験運用する事になった新しい刀身パーツのデータ採取の為に足を運んでいた。ジュリウスを救出した際に砕け散った白刃の欠片は、ガラスが飛び散ったかの様にそのまま砕けて消滅していた。
当初は何かしら言われる事を覚悟した北斗は恐る恐るナオヤの下へと向かったが、北斗が想像した結末とは違っていた。元々対魔刀の意味合いを持っていた刃が砕けたのは、それが持つ役目を全て果たした結果でしかない。周囲に何も無いままに振るった刃の力はラケルの最後の意志をも断ち斬っている。その顛末を聞いたからこそナオヤもそれ以上の事は何も言わなかった。
刀身が砕けたからと言ってミッションを受ける必要が無い訳では無い。暫くの間はクロガネ系統のパーツを使用していたが、やはり何かが違っていると感じているのか、能力的には遜色ないはずの神機は違和感だけが残っていた。そんな中で、今回の戦いから新たな刀身パーツのシェイクダウンとばかりに取り付けられていた。
「そうか。まだシェイクダウンの段階だ。これからのアップデートで以前と同様のレベルにまで持って行くつもりだ。悪いが暫くは連戦が続くと思ってくれ」
「こちらこそありがとうございます。まさかこんな物を頂けるとは思いませんでしたから」
既に作業台に乗せられた神機は直ぐに分解されていく。手慣れているからなのか、ナオヤの動かす手に澱みは一切感じられない。以前に聞いたこの手のパーツは特別な工程をいくつか含む為に通常の倍以上の時間がかかる事を聞いていた。他の神機と変わらず動かすその手を北斗は眺める事しか出来なかった。
「それと、今回の使用感もレポートにして提出してくれ。今後の開発とメンテナンスにも必要だからな」
既に北斗の方を向く事無くマニュピレーターを手早く動かす。このままここに居ればかえって迷惑になると判断したかなのか、北斗はそのまま技術班の部屋から退出していた。
「今回のレポートですか?」
「ああ。ミッションの方はシエルに手伝って貰ったから問題ないが、こればっかりはな」
シエルに話しかけられるも北斗の手は止まる事は無かった。作戦とは違い、使用感は本人の感覚だけが頼りとなる。ましてや今回に限った話ではないが、同じパーツを使っていても個人の癖を考えれば多少なりともチューニングする事で使用特性に違いが出てくるのはゴッドイーターであれば常識だった。
既にレポートの大半を終えたからなのか、北斗は画面から顔を上げると缶を持ったシエルが立っている。このままも申し訳ないからと、北斗は座る様に促していた。
「しかし、フェンリルの支給する物と違うのは分かりますが、何がどう違うんですか?」
「違いね……大きな違いは殆どないのかもしれない。が、戦場に立った際に不思議と安心感があるのは間違い無いな。言葉では言い表しにくいのも事実なんだが」
そう言いながら完成したレポートをメールで送信する。今回の感想を元に恐らくは細かいチューニングが施されるのは間違い無かった。これまでの事を考えると、珍しく次のミッションが早く来ないかと心待ちにしていた。
「北斗は何だか何時もより活き活きしてますね。何だかおもちゃを与えられた子供みたいです」
「そうか?そんなつもりは無いんだが……でも、有難いのも事実だ」
初めて『暁光』を見た際の衝撃は今でも憶えていた。白刃のそれはどこか神秘的な要素を持ちながらも何物も触れれば切れる様なイメージだけが存在していた。
事実、螺旋の樹の探索に於いて短時間で討伐が出来たのもそれが要因の一つでもあった。当時は切れ味だけに目が行く事が多かったが、今回の件でクロガネ装備に変更した瞬間、大きな違和感があった。
本来であれば無機物にも関わらず、『暁光』はどこか温かみを感じる事があったが、クロガネは完全な無機物であると同時に、命を完全に預ける事は出来るのかと言えば素直に頷く事が出来なかった。
初めてゴッドイーターになった際には刀身パーツはどこれも同じだと思っていたが、極東に来てからはその考えは大きく覆されていた。一番衝撃的だったのが、エイジが使用する神機を見た時だった。黒光りする刀身パーツからは異様な存在感が出ている。これまで激戦を戦い抜いた証なのか、それとも最初からそんな印象を持っていたのかは分からない。
当時何気なく聞いた際には驚愕の一言だった。神機はある意味では人工アラガミと何も変わらない。しかし、使う人間に対しては無害であるのが当然の考え方の中で、エイジのそれは明らかに真逆の内容だった。リスキーな物を完全に使用して使いこなすにはかなりの胆力が必要となってくる。覚悟を決めた戦いが要求されるのは間違いないが、まさかそんな事になっているとは考えた事も無かった。
「私にはその感覚はわかりませんが、やはり他から見てもその威力は格段に違う様に思えます。事実、数字がそれを語ってますから」
シエルの言葉通り、クロガネに変更してからの数字は以前に比べて若干ではあるが悪くなっていた。何が違うのかと言われれば確認出来ない程の誤差でしかない。しかし、同じ戦場に立つブラッドからすれば明らかに違う事だけは間違い無かった。
動きそのものに問題は無い。数字的な部分では同じはずの性能であれば、そうまで異なる事はありえない。今までずっと一緒に戦って来たからこそ、その違いに気が付く事が出来たに過ぎなかった。
「そんなにか?」
「ええ。まるで別人の様です」
「確かにそれは言えてますね」
北斗とシエルの背後から聞こえたのはテルオミの声だった。休憩時間だったからなのか、それとも神機の話をしていたからなのかテルオミはまるで同志を見つけたかの様に2人の下へと来ていた。
「実は北斗さんの使用している神機ですが、あれもまた特別みたいですよ」
「特別とは?」
「ここだけの話なんですが……」
周囲に聞かれると拙いと判断したのか、テルオミは周囲を見渡しながら声を小さくしている。余程の内容なのか、それとも機密事項に抵触するのかヒソヒソと話すその姿はどこか異様でもあった。
「何かあったのか?」
「いえ。久しぶりに神機でも眺めようかと思いまして」
テルオミは元々クレイドル付の野戦整備士だった。当初は何も分からないままに、ひたすら覚え作業をしていたが、ある時を境にオペレーターへと転身していた。もちろん今は完全にそちらの仕事ではあるが、時折暇を見て技術班に足を運ぶ事が何度かあった。元々ナオヤも顔見知りな事もなり、特に軽視する様な事は一切無かった。
「またか。しかしそんなに好きなら態々転身しなくても良かったんじゃないのか?」
「いえ。僕ではこの神機を触る事は出来ませんから」
テルオミの視線はナオヤではなく、現在整備中のエイジの神機へと向けられていた。初めてこの神機を見たのは何時だったのかは覚えていないが、そのインパクトは余りにも大きすぎていた。
黒く光る刀身は明らかに他の神機とは違う雰囲気を纏っていた。漆黒の刀身に刃の部分だけが鈍く光る。これまでどれ程のアラガミを屠ってきたのかは分からないが、まるでそれが死神の鎌の様にも思える程だった。
神機を伝う水滴すらも斬り裂く様に見える刃は、その場にいる物すら対象となる様にも見える。戦場で使う荒々しい武器であるはずのそれは、どこか美術品の様にも見えたからなのかテルオミの視線は暫くの間固定されていた。
「そんな仰々しい物じゃないと思うがな」
「それはナオヤさんがいつも見てるからですよ。事実、この刀身パーツは見る者を引きつける魅力がありますから」
「……そう言う見方も出来るのか。これには結構苦労させられたからな。今になって漸く扱い方を理解出来たって所だ」
「今でもそうなんですか?」
「これが完全に整備出来るとは思った事は一度も無いさ」
マニュピレーターは刀身パーツからコアの部分へと移動していた。通常の神機は核となるコアは一つしかない。神機そのものはフェンリルからの支給となる為に、一人だけ特別に支給される事は無かった。
当時のエイジも他のゴッドイーターと何も変わらないままに活動をしている。しかし、とある事実が終えてからは今の様に大幅なアップデートを施されていた。カバーを外すとむき出しのコアの周辺に、衛星の様に小さなコアの様な物が取り付けられている。以前に聞いたのは幾つもの制御をする為のサブ的な役割を果たす物だと聞かされていた。
当時初めて聞いたテルオミは多少は驚く事もあったが、どちらかと言えば興味の方が先に立つ事から、一度は目にしたいと思った行動の末だった。
鈍く光るコアの周辺にひっそりと取り付けられている。この制御がなければあっと言う間に神機に浸食されると聞いた際には作製の意図すら見えなかった。
「ナオヤさん。僕もこれを一度整備したいんです」
「気持ちは分かるが、結構シビアだぞ」
「それは分かっています。でも、一度は極東が誇る最高戦力の神機がどんな物なのか確かめたいんで」
テルオミは技術班に来てから初めて神機の整備に携わっていた。何もゴッドイーターだけが戦っている訳では無い。確かに自身の命を賭して戦場に赴く物と同列に出来ない部分は多分にあるが、自分が整備した神機のせいで命を落としたとなれば話しは変わってくる。
この世界に絶対は無い。あるとすればそれば決して良い意味ではなく殆どが悪い意味で使われる。テルオミが言う様に、エイジの神機を整備しているのは今でこそナオヤだけだが、そにはそれだけの理由があった。
これまでまで二人三脚で今の状態に持って行ったのは紛れも無くナオヤの腕を信じた結果でもあり、またお互いが意見を出し合って調整した結果でもある。通常のメンテナンスであれば誰がやっても変わりはないが、まさか極東の最高戦力の神機を整備のミスで破壊する様な結果となればその責任は計り知れない。
只でさえ手間が他の物と比べても倍以上かかる為に、積極的に関わりたいと思う人間が居なかった事も要因の一つだった。
「だがな……」
「じゃあ、最深部の部分はやらずに、表層の部分はどうかな?それなら誰でもやれるだろうし、現に他の人間もやってるんだからさ」
渋るナオヤに助け船を出したのは、隣で作業していたリッカだった。既に自分の仕事が終えているからなのか、今は特に急いでいる様な物は無かった。
「ありがとうございます!」
リッカからの許可を元にテルオミは嬉々として操作を開始する。自身でも天職だと思える程の腕を持っていたからなのか、表層分に関しては事も無く整備を完了させていた。
「……ねぇ、あれなら一度最深部もやさせてみたらどうかな?」
「そうだな。ああまで手際が良いなら問題ないかもしれん」
テルオミの背後でリッカといナオヤは話し合っていた。基本的に手順さえ間違えなければ神機の整備そのものはそう複雑な物ではない。しかし、中心のコアと4つの衛星を司るそれは手順だけでなく、それぞれが大きな特徴を持っている。各々が異なる特徴を持っている為に、結果的には5体の神機の整備をするのと変わりなかった。
しかも、手順を間違えればすべてが機能不全に陥る可能性を秘めているからなのか、ベテランと言えど慎重にならざるをえない代物だった。
「なぁ、良かったら一度やってみるか?」
「……本当ですか?」
「ああ。思ったよりも手際も良いし、それなら一度やってみると良いだろう。ただし無茶はするなよ」
「ありがとうございます!」
何をと言わなくてもそれが意味するのは容易だった。テルオミも以前からこの神機の話は聞いた事が何度かあった。とにかく手間がかかるだけでなく、最新の注意を払わないと手痛いしっぺ返しがやってくる。絶対に出来ない訳では無かったが、とにかく時間がかかるからとナオヤ以外の人間が整備する事は今では殆ど居ないとだけ聞いていた。
当初は何気なく聞いていたが、聞く人間全員が同じ言葉を並べる。決して天狗になっていた訳では無かったが、今の自分であれば問題は無いだろうと安易に考えていた。だからこそああなるとは誰も予測出来なかった。