雨天のミッションは何かと気を使う事が多かった。降り続ける事により大地はぬかるみ、スタミナは常に消耗し続ける。その結果、如何な手練れと言えど本来のパフォーマンスを発揮するのは困難極まりないとしか言えなかった。
「やっぱり雨のミッションは勘弁してほしいよ」
「でも、アラガミにはそんな事、関係ないから」
「だよな。そうそう、今回のミッションはシエルが居たお陰で助かったよ」
「いえ。私のした事は大した事ではありませんので」
今回のミッションは第1部隊特有の内容だった。
幾ら百の訓練を重ねても一の実戦には適わない。当然新人を簡単に死なせるわけにはいかないからと、サクヤからの依頼で今に至っていた。
本来であればコウタとマルグリットに加えて新人2名の布陣だったが、結果的には予定した人間の負傷により1人だけとなっていた。
「まぁ、確かに今回の件は正直な所有難かったよ。ほら、俺は基本的には後衛だし、新人の指示もあるからさ」
コウタがシエルに言うのは、ある意味では当然だった。
基本的には新人が帯同するミッションはランクが低い。コウタ達に合わせてしまうと結果的には負担が大きすぎるからだった。
事実、新人が2人入ったチームであれば戦力がかなり低下する。そうなればコウタ達も共倒れになる可能性を孕むが故の措置だった。
そんな状況下に加え、悪天候であればさらに危険度は増す。そんなコウタ達にシエルが志願した結果、今に至っていた。
「私の方こそ、悪天候での戦闘は良い経験になりますから」
そう言うシエルの表情はどこか何時もとは違っていた。
実際にゴッドイーターの住環境はそれ程悪くはない。それ所か良い部類に入っていた。
少なくともブラッドであればそれが更に顕著になっているはず。しかし、今のシエルからはどこか疲労が溜まっている様にも見えていた。
実際に隊長クラスであれば、それなりに権限がある。特にコウタに関しては新人の指導も入っている為に、より顕著だった。
だからこそ気が付く部分がある。ここ最近の事だけに限れば訓練室の一室は事実上、シエルが独占している部分があった。
ミッションの隙間を狙って入れている為に、それ程問題になる事は無い。しかし、その回数が尋常では無かった。
実際にオーバーワーク気味になっている事はヒバリもからも聞いている為に知っている。今回のミッションに関しても、口ではああ言ったものの、実際には心配する部分も多分にあった。
「確かにそうだよな。今後は新人にも一定量の経験は必要なんだろうな」
「そうですね。何かがあってからでは遅いですから」
不意に出たコウタの言葉にシエルの表情には翳があった。
可能性があるとすれば、あのミッションが引鉄のはず。実際に何が起こったのは当事者以外に知る事は無かった。
明らかに最近のシエルには余裕がない。何となく感じるのはある意味では強迫観念に近い感情。それがどんな意味を持っているのかを知る事が出来ないからなのか、コウタもまた少しだけ心配すると同時に、何とかしたいと考えていた。
しかし、シエルに対する肝心の言葉が何処にも見当たらない。戦闘中はそれ程気にならないが、帰投の際に出来るふとした時間は明らかに何かを考えている様にも見えていた。
実際にコウタもまた、サクヤから間接的に聞かされている。
コウタの性格からすれば、ここで何かしらの言葉をかけるのがこれまでだったが、今はそんな事をする事無く、だたシエルを見るだけにとどまっていた。
「そうだったんですか………」
「完全にそうだとは思わないんだけど、恐らくは何らかの面識は持っていたのかもしれないわね。流石にコンバットログと出動データだけでは完全に判断は出来ないんだけど」
「ですが、ああなった以上は何とかするのも隊長としてしての役割です」
「……貴方はそう言うと思ったのよね」
少しだけ出た溜息を飲みこむかの様にサクヤはコーヒーが入っているカップに口を付けていた。
先程まではまだ熱を持っていたはずの中身は既に冷え切っているからなのか、香ばしさは無く、苦味だけが残っていた。
事の発端はツバキの指示による物。サクヤもまたシエルの持つ雰囲気が明らかに違う事は理解していたが、その原因が何なのかまでは正確には分からないままだった。
命の軽さは今に始まった事ではない。サクヤもまた、今は一教官としての任に就いているが、リンドウとの結婚までは第1部隊の副隊長をやっている。
当然ながら仲間の殉職に関する事は目の前に座っている北斗以上の経験をしている。慣れろとは言わなくとも、命が軽いこの戦場では常に気に病む人間はそう多くは無かった。
「恐らくは……だけど、これしか思い浮かばないのよね」
「これは………」
サクヤが北斗に見せたのは、シエルのスケジュールだった。隊長であれば気軽に見る事が出来るそれは、サクヤが分かりやすく目印を付けていた。
そこにあるのはシエルが気に病んでいると原因となった人間と会っている箇所。サクヤが北斗に見せたそれは、少し前にブラッドが行った交流と教導を兼ねた部隊運用の記録だった。
「多分なんだけど、この時に何かがあったんだと思う。でも、私もこれ以上は分からないのよ。冷たい言い方かもしれないけど、この程度の時間で親しくなれたとは思えないのよね」
戦闘の内容は分からないが、少なくともこの程度の時間でシエルが親しくなれるとは、北斗もまた思っていなかった。
実際にブラッドに配属された当初の事を考えれば、まだ今の方が幾分かは柔らかくなっている。しかし、あくまでもそれは慣れている人間が居た場合の話。何も知らない新人とパーソナルスペースが広いシエルがどうなるのかを考える程に可能性が無い話だった。
だからこそ、仮にこれがそうであればと思いたくなる。北斗はサクヤの考察を聞きながらもぼんやりと考えていた。
「……そうかもしれませんね」
当初は誰もが気に病むも、これが幾度となく続けばその環境に適応する。それはある意味での自己防衛でもあり、現実から目を背けているとも言える。
殉職に限ってだけを言えば、慣れたくはない。死を軽んじた人間程、またそれに近くなるのはこれまでの経験に基づく結果だった。
だからこそ、シエルの落ち込み具合が激しいのは、何らかの衝撃を受ける程の何かをしたと考えていた。
実際にサクヤの権限でも、これまでに執り行った任務状況は確認出来る。少なくともあの当時に見た人間を片っ端から検索した際に、一人のゴッドイーターの名前が浮かび上がっていた。
日程だけを見れば二人が会った時間は微々たる物。実戦を訓練にする際には、基本的にはベテラン、または慣れた人間が部隊に必ず入る事になっている。それがある意味では命の担保となっていた。
担保された側からすればこれ程心強い物は無い。これもまた鍛錬の結果だからこそ、早くアラガミになれる意味合いも含まれていた。部隊運営をするのであれば会話の一つもあったのかもしれない。今はただそう考えるより無かった。
北斗はサクヤとの話の以後、決定的な打開策を打ち出す事が出来ないままに、時間だけが悪戯に過ぎ去っていた。
元々ブラッドの隊長でもあったジュリウスだけでなく、北斗もまた人の機微に敏い部分は殆ど無い。
社交性が無い訳では無い。ただ純粋に内部の事に関しての選択肢の幅が決定的に少ないだけだった。
部隊として見れば運用実績の低下が見られない。口を出そうにも険悪では無い為に、誰もが何となく様子を窺うだけだった。
「あの、エイジさん。こんな時はどうすれば良いんですか?」
「シエルの事?」
「はい。気持ちは分からないでも無いんです。ですが、実際にどうやって声を掛ければいいのかと思うと………」
既に北斗の中で有効的な手段を打ち出す事は不可能に近かった。
普段でさえ部隊としての方針は打ち出すが、プライベートな部分に対してどうすれば良いのかは良く分からない。
終末捕喰を止めた功績はあくまでも、これまでの部隊の延長でしかない程度にしか考えていなかった。
ましてや、シエルの考えを完全に理解している訳では無い。何とかしたい気持ちはあれど解決策は一向に見出す事は出来なかった。
そうなると北斗には手の施し様が無かった。同じ部隊の人間にも話は既にしているが、一向に打開策が出てこない。
冷静に考えればブラッドの各自の性格もまた独特だった。
人間関係に明るいのはロミオとナナ位しか居ない。その二人でさえも心配はするが、北斗同様に打開策は何も無かった。
そうなれば他の人間に頼らざるを得ない。その結果として北斗はエイジに相談する事にした。
「僕も何となくしか聞いてないから、一概にこうだとは言えないんだけど、目の前で殉職した際に何かがあったのかもしれないね」
「何かとは、なんでしょう?」
「…………少しだけ確認したい事があるんだけど、ブラッドのメンバーの中でギル以外の人間が目の前で殉職したシーンを直接目にした事ってあった?」
「………恐らくは無いはずです。少なくとも自分が出たミッションでは無かったと記憶してます」
突然のエイジの言葉に、北斗は改めてこれまでの事を思い出していた。
実際に殉職した場面を見た記憶は殆ど無い。ブラッドの中で殉職に近い状況になったロミオの件でさえも、眼前に見たのはジュリウスだけ。北斗もまた情報として知る程度だった。
「親しいかどうかは横に置いて、誰もが目の前でそうなれば気持ちに変化があるのは当然だと思う」
「ですが、シエルはその辺りの訓練もされているらしいですが」
「……本当の意味で北斗はシエルの事を理解してる?」
「理解は……してます」
エイジの言葉に北斗は条件反射の様に口にしたが、実際にはどうなのかを直接本人に聞いた事は無かった。
元々シエルの昔の話は殆どがレアから聞いた物であり、シエルから直聞いた話は殆ど無かった。
大よそを聞いた際には思う部分はあったが、だからと言って詳細まで聞いた訳では無い。エイジからの言葉に北斗は改めて自分の記憶を遡る。その瞬間、北斗は殆どの事を唐突に理解していた。
自分達は家族に近いと考えながらも、実際にはその殆どを理解していなかったのかもしれない。そんな取り止めの無い考えだけが過っていた。
「僕も偉そうな事は言えないんだよ。実際に誰だって言いたくない事の一つや二つはある。でも、知ったからと言って同情しろって話じゃないんだ。ただ、お互いが同じ目線で眺めた光景に意味があるんだと思う。実際に自分の背中を預けるんだ。しっかりとした話をした方が良いと思うよ。僕等だって最初からこんなんじゃなかったから」
当時の事を思い出したからなのか、エイジは僅かに笑みを浮かべていた。
実際に北斗の目から見てクレイドルの中核のメンバーでもあるエイジ達には一定量以上の信頼関係が存在している事に間違いは無い。
ここに来てからのクレイドルしか知らないからなのか、エイジの言葉に北斗は半信半疑の部分がある。当事者以外からすればクレイドルの人間関係はある意味では最上の物だった。
互いの意思を尊重し、足りない部分を補う。ある意味、理想の組織だった。そんなクレイドルでさえもが一筋縄ではいっていない。エイジの言葉に北斗は少しだけ疑問を持っていた。
だからと言って、この状況でエイジが嘘を言うはずも無い。そう考えたからなのか、北斗もまた自分から歩み寄った方が改善の余地はあるのだと考えていた。
「そうですか。でも、自分達の目から見れば問題なんて最初から無かった様に見えます」
「胸を張ってそうだと言えれば良いんだけどね。詳しい事はサクヤさんにでも聞けば分かるから」
「そうですか……」
「意外だった?」
「はい。少なくとも今はその事実に驚いていますから」
何気に言われた言葉に北斗もまた改めて、これまでの考えを一旦は捨て去り、新たな考えを持っていた。
これまでのシエルの評価はあくまでも他人が語った内容を自分の中に落とし込んだ結果であり、事実かと言われれば曖昧に返事をするしかない。
シエルがもたらす影響が思った以上に大きいと判断したからなのか、これまでの焦りを感じながらも一旦は時間を空ける事によって、自分の感情を宥める事にしていた。
「シエル。少しだけ良いかしら?」
「何でしょうか?」
躰を労わる事もせず、ひたすら鍛錬を続けていたシエルに声をかけたのはサクヤだった。
元々サクヤの立ち位置は以前にツバキがやっていた事。その中にはゴッドイーターのメンタルケアの部分もまた色濃く残っていた。
実際に鍛錬を続ける事に問題は無い。寧ろ、その結果として回りに与える影響の方が大きくなっていた。
鬼気迫る訓練に誰もが息を飲む。勿論、そのやり方が悪い訳では無い。
ただ違うのは、張りつめた何かが既に限界値を超えようとしている点だった。
現状では感応種に対抗する手段としてブラッドがあるのは周知の事実。しかし、ここで倒れられる部分があれば、討伐にも大きな影響をもたらすと考える人間の方が多かった。
偏食因子が異なるゴッドーターの発掘は以前の新型神機使いと呼ばれた第二世代型神機の適合者を見つけるよりも困難を極めている。
当然ながら榊もまた尖った状態ではなく、積極的に柔軟な方法を模索したままだった。
ラケルが発見した偏食因子は、これまでの考えから大きく逸脱した結果。これまでのアプローチから違った観点での開発は遅々として進んでいなかった。
「貴女、ここ最近はちゃんと休んでる?スケジュールを見たら全然じゃない」
「いえ。今の私にはまだ実力が足りません。このまま現状を維持するよりも更なる上を目指す方が建設的です」
シエルの言葉にサクヤは既視感を覚えていた。自分がまだ第1部隊の副隊長をしていた頃、リンドウの僅かな足跡を求めて自分の事を顧みず、ひたすら端末から調査していた事を思い出していた。
冷静に考えれば自分が一人出来る事などたかが知れている。今になって思えば完全に下策だった。
自分とシエルには明確に何かが違う事は理解している。サクヤもまた周囲の空気を考えた訳では無く一人の人間として何かしらの力になりたいと考えていた。
口にするまでもなく、ここ最近のシエルのスケジュールは自分を追い込んでいる様にも見える。それが本当の意味での鍛錬なのか、それとも何らかの贖罪を示しているのかは分からない。だからと言ってこのまま放置して良い内容では無かった。
周囲が気にしているのはサクヤだけでなくコウタやブラッドのメンバーもまた同様だった。
しかし、それが起因する物が見えない以上は明確な打開策を打ち出す事は出来ないまま時間だけが無暗に過ぎ去っていた。
「建設的ね…………悪いけど、ここ最近のスコアを見せて貰ったけど、鍛錬と上を見るにしては数字はそれ程結果を残している様には見えないのよ。自分を追い込むのは悪い事とは思わない。でも、全部を自分だけがしょい込むのはどうかと思うわ。
自分の考えだけが全て正しいとは思わない事。でなければ、私の権限を使って予定は全部キャンセルするわ」
「ですが………」
一方的なサクヤの言葉にシエルはそれ以上は何も言えなかった。自分の肉体は休息を要求しているが、精神はまだ足りなと訴えている様に感じる。
肉体と精神が同調して初めて完璧なパフォーマンスを発揮するのは言うまでもない。
自分の現状はどうなのかは横にしても、このまま突っ走るのが得策ではない事に間違いは無かった。
限りなく正論に近いからこそシエルはサクヤに何も言えない。
自分の中で未だ正解を出せないからこそ、シエルもまた自分自身の事で戸惑ったままだった。
「………言いたくは無かったんだけど、私も実は一時期似たような事があったの。結果的には解決はしたわ。でも、それは私じゃなかった」
「あの……それって……………」
「ねぇ、シエル。人は一人では生きられないの。周りに助けを求める事は悪い事じゃない。どうしても周りに頼れないなら、せめて隊長でもある北斗には言って欲しい。自分の思いの丈を口にすれば、少し位は楽になれるわよ」
サクヤのそれが何を指しているのかは直ぐに分かった。
リンドウと結婚している今、リンドウの右腕がどうなっているのかは以前に聞いていた。
当時の状況までは聞いた記憶は無かったが、今ならそれが何を指しているのかは何となくでも理解出来る。
一時期に比べればマシになったとは言え、今のシエルはどちらかと言えばフライアに来た当時をそれ程違いは無かった。
それ程親しい間柄ではない。時間にすれば僅かと言って差し支えない程しか見ていない人間の死は、シエルの心の奥底にひっそりと忍び込んでいた。
「…………分かりました。少しだけ考えてみたいと思います」
「………そう。こう言う言い方は好きじゃないんだけど、貴女達ブラッドはある意味では極東のゴッドイーターの希望なの。クレイドルが人類の希望なら、ブラッドはゴッドイーターにとってなの。これ以上は……まぁ、シエルなら言わなくても大丈夫よね?」
人の心の機微に疎いとは言っても、サクヤの言いたい事が何なのかは言うまでも無かった。
自分のやっている事は本当の意味で正しい事かは分からない。しかし、どこかで折り合いをつける必要もあった。
心の奥底に溜まった澱が僅かに流れ出す。これまで停滞していたシエルの心が僅かに違う方向へと動き出した瞬間だった。
《オープンチャンネルより緊急出動の要請。出動可能者は直ちにロビーまで集合して下さい。繰り返します……………》
アナグラのロビーに鳴り響くサイレン。それが何を意味するのかは考えるまでも無かった。