起死回生とも取れる白い闇はアラガミの運動を全て停止させていた。
これまでの記憶の中でスタングレネードを無効化したアラガミは1種類だけ。それを除けば今までの経験の中でも獣に近い性質を持つアラガミ程、その効果は計り知れない物があった。
目の前の金色の狼も例外ではない。
事前に来る事が分かっていたエイジはアラガミの目前で瞑目する行為に出ていた。
アラガミとの交戦の中で視界を奪われる事は死に近い物がある。事実、この戦いでも急ぐ理由はそこにあった。
視界不良の中での交戦は生存率が大幅に減少する。そうなれば討伐ではなく、生き残る事が最優先とされていた。
アラガミと対峙して瞑目するのは一定以上の距離があった場合のみ。そんな常識を無視するかの様にエイジは視界を塞ぐことによって聴覚や嗅覚を頼りに行動していた。
スタングレネードが放つ閃光は時間にして数秒。直視すれば視界は完全に失われるが、事前に視界を遮断すれば、その影響は一切無かった。
だからこそ事前に見た狼の位置と、感じる気配だけで目標の場所へと移動する。
閃光が消え、目を見開いた瞬間飛び込んで来た光景は、視界を潰された狼だった。
エイジが持つ漆黒の刃は既に狼を捕捉していた。
本来であれば更に懐に入ると同時にそのまま止めと言わんばかりに攻撃を仕掛けるが、それ以上踏み込む事はしなかった。
新種の討伐で一番必要な要素は臆病さ。これまでの様なアラガミであれば、その後の動きは予測できるが、新種となれば次の行動が読めない。スタングレネードを信用はするが、信頼まではしていなかった。
だからこそ、届く範囲の部分だけを斬りつける。確実に攻撃の手段を失わせる事を優先していた。
「俺達も行くぞ!」
「ああ!」
リンドウの言葉に反応するかの様にソーマもまた狼の元へと疾駆していた。
先程と同じ様なパターンではあるが、決定的に違うのは狼が大きな隙を作った点。咆哮を放つにせよ、既にエイジが飛び込んだ今では最早その選択肢すら無かった。
仮に放つ為に息を吸い込めば、エイジの刃が即座に喉元を強襲する。側面と背後からの行動はそんな可能性を完全に潰した結果だった。
「そのまま沈め」
キュウビの様に回転する事によって弾き飛ばす可能性も考慮したからなのか、三人の接近は時間差となっていた。
一の刃をエイジが、二の刃をリンドウが、三の刃をソーマが放つ事によって最悪の事態を回避する。エイジの刃が届いた瞬間に聞こえたのは狼の悲鳴だった。
「アリサ!俺達もやるぞ!」
「了解!」
三人を援護するかの様にコウタとアリサ、北斗もまたオラクルが尽きるまで一気に掃射する。機敏な動きさえ無ければ、幾らアラガミと言えど訓練場のダミーと大差なかった。
幾度となく放たれた銃弾は全てが動きを封じる箇所へと着弾する。この時点で戦闘の結末は見えていた。
掃射した事によって砂塵が渦巻く。既に太陽の光を感じる事は出来なかったからなのか、狼の姿を確認する為には僅かに時間を要していた。
悲鳴と同時に叩き込んだ攻撃は手応えを感じている。風が無いからなのか、砂塵が消滅するまでの時間がやけに長く感じ取れていた。
(まだ息がある)
砂塵によって姿を隠した狼の状況は何も分からないままだった。
本来であればアナグラからバイタルの状態を示す通信が届くはずだが、エイジはその通信を切っていた。
決して信用していない訳では無い。ただ純粋に自身の眼で、耳で確認した方が確実だと判断した結果だった。
あの忌々しいとさえ感じたアラガミに酷似している。だからなのか、エイジは自身の手で完全に決着をつけたいと考えていた。
本来であれば確実な方法を取るのが通常の考えかもしれない。しかし、あの当時は神機の封印を解かなければ倒しきれなかった相手。
特殊な溶解液を飛ばす様な事は無いが、それでも当時と今がどれ程違うのかを確かめたい衝動があった。
確実に実行すればアリサから小言が出るかもしれない。それでも尚、エイジは金色の狼の止めに拘っていた。
時間の経過と共に回復する可能性も捨て切れない。
今出来る事が何なのかを考えるまでも無かった。僅かにとらえた狼のシルエット。エイジは再度気持ちを入れ直すと同時に意識を集注させていた。
「あの馬鹿が!アリサ、フォローしろ!」
「了解!」
エイジが動いた事に気が付いたのはその場に一番近かったソーマだった。
実際にエイジが行動を起こした事に気が付いたのではく、純粋に砂塵が揺らぐ瞬間を見たからだった。事の起こりが見えない移動が出来るのはアナグラではエイジを含め二人しか居ない。
その内の一人が居ない以上は、誰なのかは直ぐに分かった。
一呼吸遅れた状態でソーマは再び狼へと詰め寄る。突然言われたアリサもまた何かを感じたからなのか、レイジングロアの銃口を狼へと向けていた。
視界は無くとも狼が何をしようとしているのかはエイジには何となく予想出来ていた。
これまでに培った勘からすれば、確実に何らかの反撃をするのは間違いない。そしてこれまでの攻撃手段を考えれば自ずとそれが何なのかが理解出来ていた。
気配を頼ると同時に砂塵の中に入った瞬間、その目を閉じる。
耳から入る情報を基にエイジはその刃を自然と振るっていた。
自身に迫る攻撃は態勢を低くすることによって回避する。
攻撃が回避された後に狼が出来る事は何一つ無かった。
感じる気配をそのままに無駄の無い力で鋭く振りぬく。その先にあったのは狼の喉笛だった。
鋭い斬撃に狼の喉からは遅れて赤が噴出する。返り血を浴びる事無くエイジはその場から離脱していた。
「やれやれだな………そう言えば、あれが例のアラガミに似てたんだよな」
「そう……っすね。でも、今回のあれも大変でしたけど」
「お前は後からきてぶっ放しただけだろ?」
「……俺達だって大変だったんで」
横たわった金色の狼は既に動く気配は無かった。
実際に通信機からもバイタルの反応が無い事は知らされている。リンドウは懐から取り出した煙草に火を点け、そのまま咥えたままコウタと話していた。
二人の視界に入るのはアリサに詰め寄られているエイジの姿だった。
あの時のエイジの行動をソーマが知れたのは偶然に等しい。少なくともリンドウだけでなくコウタも気がつかなかった。
結果的には討伐はしたものの、内容は褒めらえたものでは無かった。
不意に聞こえたのは偶然だったのかもしれない。風に乗って聞こえたのはアリサの声だった。
遠目から見る二人の姿は何となく心配している様にも見えるが、実際にはそれ程アリサは怒っていない様にも見える。
恐らくは討伐の為に突っ込んだ事よりも、周りをもっと信頼してほしい事が前面に出ている様だった。
「でも、まぁ、何だ。新種が出ればああ言った場面があるのも事実なんだよな。誰かがやらないとって事なんだが」
「だったら今度はリンドウさんがやりますか?」
「よせやい。俺はもういい歳なんだ。少しは楽させろ。それに何時までも俺に頼るのはいい加減、卒業しないとな」
一仕事終わったと言わんばかりにリンドウは煙草に火を点けていた。肺にまでゆっくりと入り込んだ紫煙はそのまま口から吐き出される。
既に視界は闇に染まっているが、アリサから聞こえる声がどんな状況なのかは何となくでも理解していた。
「で、お前さんはどうしたんだ?」
「いえ。まだまだ先は長いと思っただけなんで……」
リンドウの視界に留まったのは少しだけ浮かない顔をした北斗だった。
このアラガミが厄介だったのは対峙した北斗も理解している。実際にどれ程厳しい戦いだったのかは言うまでも無かったが、このまま凹ませるのは申し訳ないと判断したからなのか、リンドウは改めてフォローしていた。
「あれと比べるな。ああ見えてここでの討伐数は一番なんだ。それにあいつの元で鍛錬を続けりゃ結果は考えるまでも無いさ」
「ですが……」
リンドウの言葉を受け入れはするが、北斗は少しだけ意固地になっていた。
ブラッドの隊長としてではなく、純粋に個人として技量が劣っている。そんな北斗の様子を見たリンドウはそう考えていた。
一時期はリンドウもまた無明に対し、似たような感情を持った時期もあった。
極限にまで動きの無駄を排除した攻撃は素人目から見ても惚れ惚れする程。無駄が無いからこそ、アラガミもまた斬られた自覚を持つ事無く地に沈んでいた。
どれ程アラガミを討伐しようが、その上を何も無かったかの様に易々と超えていく。何をしてもまるで手が届かない。そんな当時の事を思い出していた。
「お前はお前。あいつはあいつだ。そもそも比べる事は無意味なんだよ」
「確かにそうですけど……」
「昔の俺もそうだった。俺なんて無明とだぞ。どれだけ凹んだと思ってるんだ」
「確かにそうですね」
北斗もまた初めて無明と一緒に戦った事を思い出していた。
常にアラガミの先を読み、攻撃の殆どを無力化する。一合二合と刃を振るう先に待っているのは血塗れになったアラガミの姿。これが同じゴッドイーターなのかと驚愕していた。
ある意味では究極の存在。初めてジュリウスを見た際にも驚いたが、少なくとも北斗の中では無明こそがフェンリルの中でも一番の存在だとそう思った程だった。
詳しい事は分からないが、リンドウが無明の同期である事は以前にも聞いた事があった。
そう考えればリンドウの気持ちは良くわかる。そんな無明の下で鍛えられたエイジの実力が突き抜けているのはある意味当然だった。
「まぁ……何だ。お前さんはまだ伸び代があるんだ。もっと精進する事だな。それに、お前にはブラッドと言うかけがえのない仲間も居る。もっと信用するんだな」
無い物ねだりをした所で事態が変わる訳ではない。現実を知る事は大事だが、だからと言って焦る必要はどこにも無い。今出来る事をゆっくりとするだけだった。
ヘリのローター音が徐々に大きくなってくる。ここで漸く長い戦闘が終わろうとしていた。
クレイドルが金色の狼と戦闘に入るのと同じ頃、ブラッドもまたこの長い戦いの終焉を迎えようとしていた。
既に第二陣とは言えない程にまでアラガミの数は急激に減っている。未だ原因は分からないままではあったが、今のブラッドにとっては僥倖だった。
既に数多のアラガミを屠っている。誰の目にも分かる程に疲労のピークに達しようとしていた。
「漸く減って来たみたいだね」
「そうですね。ですが、まだ油断は禁物です」
「でも、いい加減これだけってのも何だかな………」
小高い丘でブラッドの面々は小休止をしていた。
アナグラから届くデータと、自分達の目視で見たアラガミの数は当初からはかなり数を減らしている。
実際には後どれ位なのかと言われれば詳細までは分からないものの、それでも然程時間は必要とはしない事だけは間違い無かった。
シエルの隣で文句を言いながらも、ナナはポーチから取り出した簡易レーションを口にしている。普段のレーションではなく、戦闘中に食べるそれは純粋なカロリーのみ。味は二の次の代物だった。
それでも以前の物に比べれば味は格段の良くなっている。しかし、こんな状況下で口にする事を考えれば、ナナの言葉ではないが文句の一つの言いたくなっていた。
「今はそんな事を言っても仕方ない。とにかく、このアラガミを殲滅しない事には食事も何もあった物じゃないからな」
「はーい。もう少しだけ頑張ります!」
ジュリウスの言葉にナナは素直になるしかなかった。
実際にナナ自身も口にはしたが、本心ではない。
これまでにも幾つもの作戦に参加したが、こうまで厳しいと思う事は早々無かった。
それだけではない。ここには隊長でもある北斗の姿が無い事も拍車をかけていた。
決して依存している訳では無いが、北斗の存在感はある意味ではブラッドにとっては精神を安定させる部分があった。苦しくても北斗が居れば何とか出来る。そんな思いがそこにあった。
「北斗だってクレイドルと一緒に戦ってるんだ。俺達がこんな所で弱音を吐く訳にはいなかいしな」
「ロミオの言う通りだ。私達とて極東支部の一員だ。出来る事は全力でやらないと、最悪はクレイドルにも負担がかかる」
これまでの戦闘の中でクレイドルとブラッドはお互いの戦局を大よそながらに聞いていた。
実際に連携までは行かなくとも、両方から削るのであれば効率を求めるのは当然の事。交戦中は外部の情報は余程の事が無い限り耳にする事は無いが、今の様な小休止の場面では外部の情報は必須だった。
まだブラッドは気が付いていないが、クレイドルの戦場は驚く程に早く終わる。それはこれまでの経験が全ての要因だった。
乱戦になろうが連戦になろうが、できる事だけをやっていく。一見、簡単な様にも思えるが、これを実行しようと考えた場合、かなりの部分で精神的な鍛練が必要だった。
戦局は見える部分だけではなく、見えない部分にこそ意味がある。
一度攻めると決めれば苛烈に動き、様子を見るのであれば徹底的に動く事はしない。通常のミッションであれば考える部分は多分にあるが、今回の様な連戦になれば目先だけを考える訳には行かなかった。
だからこそ、温存の為に時間を短縮する。これが極東の最前線に張り続けてきた人間の経験だった。
短時間で終わらせる事によって発生する恩恵は大きい。精神的な負担を負わなかった事によって、その違いが今になって響いていた。
《シエルさん。クレイドルの交戦地域で新種が出没しました。現時点での詳細は不明。ブラッドの方にも出る可能性がありますので、気を付けてください。それとアラガミが接近中です。交戦までの時間はおよそ3分です》
フランからの通信に、全員が先程までの砕けた空気から一転する。
新種がどんな意味合いを持つのかはブラッド全員が理解している。攻撃方法はおろか、弱点となる属性すらも分からない。だからこそ改めて気を引き締めていた。
「やはりこれは………」
先程シエルが引いた引鉄は乱入したばかりのアラガミの命を奪っていた。
本来であれば独り言すら言わないはずのシエルが発した内容。それが意味するのは明らかに感じる違和感だった。
これまでに何度も感じた違和感は徐々に大きく膨れ上がる。今分かる事は何一つ無いままだった。
「シエル。今は目の前のアラガミに集中するんだ」
「そうですね」
気が散ったままでの戦いは些細な事で綻びが生じる。シエルにはそう言ったが、ジュリウスもまた同じ事を考えていた。
クレイドルで出没した新種。
これ程のアラガミが発生している今、仮に変異種や新種が出たとしても何らおかしい環境ではない。そう考えながら視線はアラガミへと向けられていた。
「これで終いだ」
ギルの持つヘリテージスの穂先はオラクルの恩恵を受け、赤黒い光を帯びていた。
既に目標としたアラガミは回避する手段を失っているからなのか、一つの光の弾丸としたギルの動きは完全に生命活動を停止させる程だった。
第二陣のアラガミも残す所は後僅か。目の前のアラガミを討伐すれば、残りの掃討戦は随分と軽減できる。そう考えていた。
既にチャージグライドが発現している為にギルがやれる事は何一つ無い。
このまま行けば、目の前のアラガミの胴体には大きな風穴が開くはずだった。
秒間で詰まる距離。既にギルはこの後の行動を考えていた。
チャージグライドだけで終わるとは思わないが故の思考。偶然にもその思考があった為に、目の前で起こった事態を見る事が可能だった。
突如として生えた鋭い爪。胸からそんな物を生やすアラガミをギルは知らない。だからこそ突如として起こった事実にギルの思考は僅かに停止していた。
刹那の攻防での思考の停止は死と同義。そんな事は戦場に立つ人間にとっては初歩の初歩だった。
だからこそありえない事実にギルの思考は停止する。
これが通常の攻撃であれば何らかの行動を起こせたのかもしれない。しかし、今はチャージグライドの影響で動く事が出来ない。その結果起こったのは一つの事実だった。
「ギル!」
チャージグライドがアラガミに届く寸前、突如として生えた爪はそのままアラガミの胴体を縦に真っ二つにする。
その先に居たのは黄金色のアラガミ。これまでの見た事が無いアラガミだった。
「フラン!このアラガミは何だ!」
《こちらには該当データはありません。偏食場パルスから推測できるのは感応種です》
通信越しではあったが、フランの声には動揺が走っていた。
この状況下であれば新種の一つ位は出るかとは思ったが、感応種だったのは想定外だった。
この時点で対応出来るのはブラッドだけ。しかも周囲の影響を考えると、必然的に周囲のアラガミもまた自分達で対処する事が要求されていた。
ただでさえ厳しい状況下での新種との対峙。先程の攻撃によってギルは進行方向を無視するかの様に弾き飛ばされている。既に周囲の仲間もまた突如現れたアラガミに集中していた。