「オーライ、オーライ」
Sボート320型のS-323とS-325がクレーンで降ろされ、ようやく地中海の水に浮かんだ。30m近くの長さがあるS-320型をドイツのブレーマーハーフェン基地から高速道路や鉄道を使って、イタリアのターラント基地まで運ぶのは大変なことだったろうが、無事に届いた。
アトランティスとしてはロシアの航空会社の輸送機をチャーターして空輸すれば、ものの1日でドイツからイタリアに送れただろうに、と思うのだが、それをしなかったのは機密保持といった観点からだろう。S-320型はSボートの中でも比較的小さな部類だが、中身はドイツ最新の科学技術が詰まった宝庫である。もし事故やら何やらでロシア当局に捕獲されてしまったら、非常に面倒くさいことになる。
ロシアは粗悪乱造、質の低い大量生産、なんてイメージが巷では蔓延っているようだが、実際は高い科学・技術力をもったすごい国だ。
クレーンから降ろされたS-323とS-325にはすぐに灰色のシートが掛けられた。S-320型はロシアだけに限らず、あまり他の国にも晒したくはない兵器である。出撃しないときはシートで隠し、武装したドイツ兵が関係者以外は近づけさせないようにすることになっていた。
アトランティスがチェック用紙を持って、S-323とS-325と共に届けられた武器や消耗品などの確認をしていると声をかけられた。
「君は仮装巡洋艦か?」
澄んだソプラノボイス。振り返ってみるとノースリーブのセーラー服と短めのスカートを着て、薄紫色の髪の少女だった。少し日に焼けた肌と変な髪型―――――髪を頭の上でくくっている。まるで西遊記の
「ええ、ドイツ連邦海軍の仮装巡洋艦アトランティスです。……貴方は?」
「イタリア共和国海軍のマエストラーレ級駆逐艦、4番艦のシロッコだ。アトランティス、君が来るのを楽しみにしていたよ」
シロッコと名乗った艦娘は手を差し出した。握手、ということだろう。アトランティスも手を出して、握手する。シロッコの手は「アフリカから吹く暑い南風」と名の通り、暖かい。
アトランティスはシロッコの目を見る。紫色の瞳はまっすぐこちらを向いていた。その目は暖かさも感じるが、どこか冷酷なものも感じる。仮装巡洋艦ゆえの性格か、アトランティスは新しく出会う人の値踏みをよくするが、シロッコには艦娘らしさよりももっと別のようなものを感じた。
国や地域によって人々の感触は異なる。アトランティスはまだドイツ、フランス、イギリス、フィンランドの艦娘としか触れ合ったことがない。イタリアの艦娘は初めてだ。だから、このシロッコが普通の艦娘なのか、それとも何か思惑があるのかは分からない。ただ、今まで会ってきた艦娘とは別種なものを感じたことは覚えておいても良いだろう。
シロッコはこっちの内心を知ってか知らでか、にっこり笑って言う。
「ドイツ仮装巡洋艦は有名だよ。君達、仮装巡洋艦なしではイギリスもフランスも深海棲艦を海に追い落とすことはできなかった、とね」
シロッコはウッド・チップ作戦とリュンヌ作戦のことを言っているのだろう。ウッド・チップ作戦はイギリスの、リュンヌ作戦はフランスの、深海棲艦を陸地から排除するための作戦である。両作戦にはドイツ海軍も参加しており、アトランティスなどの仮装巡洋艦艦娘も参加していた。
「特に君、アトランティスは大戦果を挙げて騎士鉄十字章を与えられたそうじゃないか。今は付けてないようだけど」
「落としたら嫌ですから」
「付けていた方がもっと魅力的に見えると思うよ。ああ、そうだ。もうすぐ昼時だけど、どうかな? その美しくて魅力的な英雄と一緒に食事をさせて頂くというのは」
さっきからぺらぺらと良く喋ると思ったら、やっぱりこれか。デートを誘ってきたのは今日で9人目だ。
アトランティスはため息を吐きたくなるが、それは全く表情に出さない。イタリアに入ってからはシロッコで23人目である。そりゃ、ため息のひとつも吐きたくなるが、本人の前ではしない。ただ、いままで食事に誘ってきたのは全員男だったわけなのだが、このシロッコという艦娘はレズビアンの気でもあるのだろうか?
アトランティスは残念そうな顔をして、首を横に振った。
「私も忙しくて……昼食はここの基地司令との食事会なのです」
「では夕食を――――――」
「夕食はイタリアの高級将校との作戦会議も含めた食事会です」
嘘ではない。言ったとおり、アトランティスは基地司令と昼食、高級将校と夕食、そういう予定になっている。もちろん二人きり、なんてことはなく、他の仮装巡洋艦や潜水艦艦娘、S-323、S-325の艇長と一緒である。
「残念だな」
シロッコは本当に残念そうな顔をして、下を向いた。でもすぐに思い改めたように、
「では明日はどう?」
ぱっ、と明るい顔になって尋ねた。
「基地食堂で良いなら」
「……うん、そうしよう。基地食堂だね。私もOKだよ」
少し沈黙してそう答えた。では明日基地食堂で。それを言い残し、シロッコは走って行った。シロッコの後ろ姿を見ながら、アトランティスはようやくため息を吐く。そして呟いた。
「2人と、じゃなくて、4人と、だけどね」
今日、アトランティスに声をかけた基地の男性は6名。そのうち、アトランティスは2名と基地食堂で一緒に食事を取ることになっていた。
「別に『2人で』、とは言ってないし。さて、続き続き」
艦娘に階級は与えられない。階級がないことは通常の軍隊では非常に問題だが、艦娘部隊では階級があった方が逆に問題になるからである。
当初は戦艦や巡洋艦、駆逐艦と艦種によって階級を分けられたのだが、そもそも艦娘達の指揮を執るのは艦娘ではなく、その艦隊を管理する司令官だった。もちろん、現場で戦闘指揮を執る者は艦娘なのだが、小さな部隊単位では複数の艦種が一部隊にいること自体少なく、場合によっては一艦種のみということもある。それだと階級序列によってトップ、詰まるところの旗艦が決めれないし、艦種で階級を決めてしまってはどんなに戦果を挙げようと階級が上がることがない。それでは士気に関わる。
そもそも艦に階級というものは存在しないし、艦隊では「旗艦」というもの以外に上下関係がそこまで発生しない。それなら旗艦とその他、ということ以外、階級なんていらないだろう、ということだ。
ただし、艦娘も軍隊の中にいる以上、待遇というものもちゃんと考えなければならない。相手が深海棲艦なのだから、普通の兵隊では戦えない。だからそこらの兵卒よりは待遇は良くしないといけないが、全体の指揮は取れないため、司令官よりも下でなければならない。
低くもなく、高くもなく。無難に士官扱いになる、というのは当然だった。ちなみに海軍には階級は一緒でも艦長をしている者の方が位は上、という習慣があるので、艦娘達の指揮を執る者、艦長、艦隊司令、元帥以外の士官は基本的に艦娘より位は下である。
不等号を使うと、こうだ。
元帥・総司令官>艦隊司令官・艦娘部隊指揮官>艦長≧艦娘>士官>下士官>兵卒
艦娘は軍隊での地位はかなり高いのだ。国によっては艦娘は艦長と同列だったりするが、基本的には普通の士官より位は高い。
だから、アトランティスを食事に誘ったイタリア海軍兵6名のうち、士官である2名しか食事をアトランティスと共にできなかったのである。士官と下士官、兵卒では基地食堂内であっても食事する場所が違うのだ。士官でないのに、アトランティスを食事にさそった兵はアホである。
そしてアトランティスを誘った士官2名もかなりのアホである。そもそも基地食堂、特に士官食堂は社交場のような面はあるものの、2人っきりで食事、という場所ではない。普通に同僚も同じ場所で食事を取る。デートするならよそでやれ。そういう冷たい視線を浴びせてくるだろう。ある意味、軍隊の中に身を置く艦娘の業とも言えるのだろうか? アホ士官2名はそのことに思い至らなかったのである。
だからアトランティスが士官2人、艦娘1人という複数人と約束したのは他人の視線、という点では非常に親切なものだった。
ターラント海軍基地の士官食堂の壁にはイタリア海軍旗を始め、ターラント基地で建造された艦船の側面図や絵画があったり、肖像画があったりする。長い歴史を持つ食堂なのだと感じられる士官食堂だった。
「美しいアトランティスさんとシロッコちゃん、共にこうやって食事をできて嬉しいですよ」
「はい、僕もです。美しくて知的なアトランティスさん、かわいらしいシロッコさんと食事をする、これはとても光栄なことです」
士官食堂で鉢合わせした士官2名は自分のアホさ加減にすぐ気付き、うまい采配をしてくれたアトランティスに感謝していた。幸いなことに、おのおのの情報交換のため、ドイツ、イタリアの艦娘や士官が同じテーブルに着いている状況だったので、アトランティスとイタリア人士官2名、シロッコの4人は異色には見られなかった。
「私もです。どうぞ本場のイタリア料理を楽しんでいってください」
シロッコはこの事態に驚くことはなかった。分かっていながら、参加していたのかもしれない。食堂でOK、と答える前の沈黙はそれを良しとするか、考えていたのではないか? アトランティスは「美しい」とか「知的」とか言われ、照れて笑いながら、シロッコについて、そんな風に思った。
イタリアの士官食堂のご飯はコース料理である。前菜、メインディッシュ、サラダ、デザート、コーヒーと出されていく。イタリアのコース料理はフランスのコース料理よりも品目が若干少ないのが特徴である。
アトランティスは皿が移りゆくように会話も移り変わっていく。ドイツやイタリアの軍事情勢、ウッド・チップ作戦とリュンヌ作戦の戦闘談、MST艇やS-ボートについて、そしてデザートあたりで今回の作戦「ヘラクレス」の話に移った。出されたデザートはジェラート。イタリア語で「凍ったという意味」を持つ氷菓である。
「今作戦は艦娘が配備されて以来、イタリアにとっては最大の作戦だね。今まではアドリア海とサルデーニャ島の輸送路を守るだけだったからね」
「カッテァーティ中尉! 私達駆逐艦だって、ときどき深海棲艦のシーレーンを妨害している。このシロッコだって1隻の駆逐艦クラスと2隻の輸送クラスを沈めたのだぞ!」
シロッコがカッテァーティの言葉に噛み付いた。自分がしている仕事を無視されるのは堪らないのだろう。「忘れていたつもりはないんだよ」とカッテァーティが謝り、
「そうそう。このむさいおっさんだって、裏の方ではよく働いてくれるシロッコさんや駆逐艦娘を良く褒めているんだよ。もしかして駆逐艦がお趣味なのかな?」
なんて、もう1人の士官サッケーリがフォローすると共に茶化す。
「あのねぇ。まあ、それは置いといて、沿岸防備と補給線妨害に必要な艦娘だけをイタリアにはとどめて、残りは西に送られてるね。今はコルシカ島で待機しているんじゃないかな」
イタリア海軍はヘラクレス作戦において、ジブラルタルに向かう深海棲艦艦隊の妨害である。簡単に言えば、敵艦隊にちょっと攻撃を仕掛けて疲れさせるのだ。
「ではターラントにはその補給線妨害の艦娘が多いのですか?」
「半分くらいはそうだね。シロッコちゃんもそうだね」
シロッコは元気に返事をする。カッテァーティはシロッコににっこりと笑ってから、話を続ける。
「敵シーレーンを攻撃するのは巡洋艦や駆逐艦の機動性が高い艦娘か、潜水艦のような隠密性の高い艦娘が任されるのだけど、ターラントには戦艦艦娘もいるよ。ターラントはアドリア海防衛の要だからね」
イタリアにとって一番守らないといけない海はアドリア海だった。深海棲艦が現れる前と同じように維持できている湾港施設はイタリアではアドリア海に面している港のみであり、漁業、貿易、艦船の整備・建造といった産業、外交、軍事といった三面で重要な海なのである。
「では、深海棲艦がイタリア艦隊が邪魔だ、ということで本気で潰しに来ても、ある程度の時間は稼げるのですね」
「それはもちろんだよ。そのために残しておいた戦艦や重巡だ。ターラントには艦娘以外にも通常艦艇や陸戦隊がいるし、高台には砲台だってあるからね。そう簡単には陥落しないよ」
アトランティスはほっ、と安堵した様子を見せた。
「アトランティスさん、どうしたのです?」
「仮装巡洋艦は補給をしたりする港が必須だから。ターラントが深海棲艦の手に落ちたら、ジブラルタルを英仏軍が落とさない限り、ドイツに私は帰ることができないもの」
ヘラクレス作戦内でアトランティスは空中投下物資でやりくりすることになっているのだが、ターラントが陥落した場合、航空機を物資投下に使う余裕がなくなる可能性だってある。そうでなくても、地中海でまともに機能している港はアドリア海に面してる所だけだ。もし、そうなった場合、アトランティスは数日で飢えることになる。
「大丈夫。私がいる限り、ターラントは落ちんよ」
シロッコが自信満々に言った。実際の所、駆逐艦1隻で何かが変わるとはあまり思えないのだが、その妙に自信ありげな様子と、その妙な髪型のおかげでただの一駆逐艦が言っているようにも見えず、アトランティスはつい安堵してしまった。
プロットはできあがっていてもプロット通りというわけにはいかないね。5話でヘラクレス作戦が始まりませんでした。次回こそ始まります。ごめんなさいね。
マエストラーレ級駆逐艦4番艦シロッコのモデルはみなさんお分かりの通り、機動戦士Ζガンダムのパプテマス・シロッコです。あのシロッコ(Ζの方)の頭のあれは帽子のように見えますが、髪をあんな風にくくっているそうです。シロッコ(Ζの方)は「常に世の中を動かしてきたのは一握りの天才だ!」なんて言っていましたが(すぐにカミーユに否定されましたが)、シロッコ(艦娘)もそんなことを言うようになるのでしょうか? 気になるね。
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ではシャクティ風の次回予告。(4話の予告と同じ。4話の予告は変更)
遂にヘラクレス作戦は開始されました。地中海の入り口で英海軍と深海棲艦が激しく砲火を交わしている中、アトランティスは地中海で行動します。機雷を撒き、敵の輸送級にちょっかいを出す中、アトランティスは見てしまうのです。撃墜され、捕まってしまったフランス空軍パイロットを……。
次回、「人と深海棲艦」。見てください!