「英霊…? 一体、なんの話を!」
フェイトがそう叫んだが、はっと自分の服を握りしめるヴィヴィオに気づいた。
ヴィヴィオは、なのはとフェイトの服を握りしめて、スカリエッティを睨みつけていた。その手は、微かながらに震えていたが、決して逃げず、真正面から対峙していた。
それに気づいた、なのはとフェイトは、ヴィヴィオの強さに心を打たれた。
そして、自分たちもスカリエッティを睨みつける。かつてあった戦いの傷跡は、痛みだけを残したのではないのだと、そう叫ぶように。
「全く、これでは会話になりそうにないな」
そう言うスカリエッティに、アインハルトのクローンがなのはとフェイトの髪を入れたビニールのパックをスカリエッティに渡した。
「助かるよ、私の仕事に必要でね」
「いえ、約束の件、よろしくお願いします」
アインハルトのクローンは頭を下げる。
「ああ、任せたまえ」
その会話を聞き捨てられないのは、なのはとフェイトである。
スカリエッティは、多くの人を研究材料とし、ヴィヴィオも道具として使った。そのようなものに叶えられる願いなど、正答なものであるわけがない。
「駄目だよ! 何か困ってるなら、私たちに頼って!」
「だ、そうだが、どうするかね」
なのはの言葉に、スカリエッティは皮肉な言葉でアインハルトのクローンに問う。
アインハルトのクローンは、なのはに向き直る。
「あなた方では無理です」
「そんなことないよ。ちゃんとお話しも聞くし、困ってるなら私たちが手伝うから」
その言葉に、アインハルトのクローン、小さくため息をつき、
「いえ、お気遣い感謝しますが、やはり無理です。申し訳ありません」
そう言って、頭を深く下げた。
「お話だけでも聞かせてもらえないの?」
「失礼ながら、時間の無駄かと」
と、その時、ノーヴェとアインハルトが、その場に現れた。
あまりの異常事態に、通信では話にならないと、走って駆けつけてきたのだ。
「おお、ノーヴェじゃないか」
「ドクター…」
ノーヴェは、複雑そうにスカリエッティを見る。スカリエッティは次元犯罪者であり、恐れられ、憎まれる存在であるが、ノーヴェから見たスカリエッティは違う。
スカリエッティのノーヴェの扱いは酷くなかった。むしろ親愛があったとさえ言える。
だから、ノーヴェはスカリエッティに対して、どうしても悪く思えないところがあった。
「どうだい、そっちでは上手くやっているかい?」
「ああ、悪くない、よ。仲間も増えて、仲良くやってる。他の奴らも似たような感じさ」
「そうか、それは何よりだ」
「ドクター…」
ノーヴェは、うつむきがちに少し考えたあと、顔を上げた。
「だから、悪いけど私はそっちにはつかない。大事な奴らがいるんだ」
スカリエッティは、眉を顰めたが、合点がいったと声を上げた。
「なるほど、私が何か悪いことをするのではないかと考えているわけだね?」
スカリエッティは、これみよがしに、ため息をつく。
「全く、ノーヴェ、君まで何を言っているんだ。私を悪の魔王か何かと勘違いしているぞ。ゲームじゃないんだ、絶対的な悪など存在するわけないだろう。あるのは都合と状況だけで、そんなものいつでもひっくり返る。自分たちが正義であると疑わず、その陰で我々のようなものを迫害し、自分たちのルールで矯正しようとする。そんなやり方に慣れてはいけないよ」
その言葉に、フェイトが我慢ならないと叫んだ。
「多くの人を傷つけてきたお前が、何を言う!」
「それだよ。『多くの人を傷つける』人間を、迫害し、差別しているではないか。大体、今の話は私のことだけに留まらないのだよ?」
スカリエッティは、隣にいるアインハルトのクローンを見る。
アインハルトのクローンは、目を閉じて動じていない。だが、アインハルトは、体を強張らせ、自分のクローンを見つめる。
「さて、では取引だ」
スカリエッティの突然の言葉に、フェイトは怪訝な視線を向ける。
「…取引?」
「取引、もしくは脅迫、かな? 私の隣のアインハルト君との約束を叶えるには、まず場所を移さなくてはね。黙って付いてきてくれるなら、『身の安全は保障しよう』。まあ、廃墟なのだが、場所は…」
スカリエッティは、その場所を細かく指定していく。
その指定が進むにつれ、なのはとフェイトの顔が怒りに染まっていく。
「おや、何か気になることでもあるのかな?」
スカリエッティは、その様子を愉快だと言わんばかりに、嗤う。
「では、行こうか。まあ、付いてこない選択肢は、ないと思うがね」
スカリエッティは、そう言うと歩きはじめ、アインハルトのクローンもそれに続いた。
少し遅れて、なのはとフェイト、そしてヴィヴィオ、ノーヴェ、アインハルトが続く。
「あの、なのはさん、その場所に何かあるんですか?」
ノーヴェの問いに、なのはは足を止めずに答える。
「くらげ君がいる」
アインハルトは、息を呑んだ。
「あの後、わたしたちも、くらげ君を探したの。昨日の今日だから、まだそこに居ると思う。ヴィヴィオ、アインハルトちゃん。危ないかもしれないから、あなたたちは…」
「いえ、私も行かせてください。恐らく、目的は…」
「アインハルトさんが行くなら、わたしも!」
なのはは、軽くため息をつく。
「危なくなったら直ぐに逃げるんだよ」
ヴィヴィオとアインハルトは頷いた。
そして、しばらくした後に到着した場所は、街外れにある廃墟であった。
その一帯は、何かの戦闘の被害を受けたが、いまだ復旧されておらず、瓦礫の山と、今にも崩れそうな建物ばかりである。
そして、その一室、その既に失われた窓から見える場所に、くらげは居た。
体育座りで、ぼんやりと薄汚れた床を見つめて、微動だにしない。その両手足は縄で縛られていた。
「くらげ君!」
そう言って、近寄ろうとするなのはとフェイトの前に、アインハルトのクローンが立ちふさがる。既にバリアジャケットを装着しているが、その姿は、アインハルトのバリアジャケットとは異なる。黒い、簡素な動きやすい装いで、近接格闘用の汎用的なストレージデバイスと思われた。
成長後の体になっているのは、アインハルトと同じだった。
なのはとフェイトの動きは、アインハルトのクローンの目と、曲げない意思に止められた。
スカリエッティが、アインハルトのクローンに近づきながら言う。
「彼女の願い、それは…」
「私との決闘、ですね?」
スカリエッティの言葉を、アインハルトが遮る。そして、前に出て、自らのクローンに数歩近づく。
「ほう、分かるか」
「自分のことです。以前の私が今の私を見れば、恐らく、それを望むでしょう」
アインハルトは、さらに数歩前に進み、なのはとフェイトに言う。
「わがままを言って、申し訳ありませんが、引いていただけないでしょうか。」
なのはとフェイトは、何度かアインハルトとアインハルトのクローンを見ていたが、しばらくして、静かに後ろに下がった。
アインハルトは、自らのクローンと向き合う。クローンも自らのオリジナルを観察するように見る。
しばらくして、アインハルトの服の中から、可愛らしい子猫が顔を出し、そのままアインハルトの肩へ移動する。それは、雪原豹をモチーフにしたアインハルトのデバイス、アスティオンである。愛称はティオという。
アインハルトのクローンが、ちらりと、それを見る。
「なるほど、インテリジェントデバイスですか…」
そして、ノーヴェ、ヴィヴィオ、なのはとフェイトに視線を向け、最後にアインハルトへ視線を戻した。
「良き師、良き友、良き人に恵まれているのですね」
「ええ、私には、勿体無いほどに」
「そんな未来があるのですね。正直信じられません。そんな幸せが待っていること、そして」
そして、無表情なその顔に、隠しきれない怒りが浮かぶ。
「そんな『スポーツ』をしていること」
アインハルトは、思わず少し顔を顰めた。
その言葉を言われることは分かっていた。けれど、たとえ以前の自分であったとしても、その言葉話す自分を、皆に見せたくはなかったからだ。
「一体何をやっているのですか。忘れてはいないはずです。忘れられないはずです。自分の記憶でないとしても、あの後悔を、あの無念を。何故そんな『遊び』をしているのですか」
アインハルトにとって、ノーヴェやヴィヴィオと共に歩んでいる道は、決して『遊び』ではない。
強くなるために、ひたむきに努力し、時には敗北して涙を流し、時には勝利し自分の強さを確かめる。その気持ちは、決して『遊び』ではない。
だが、それは言葉では伝わらない。だから、
「ティオ、『セットアップ』」
その言葉とともに、アスティオンが光を放ち、アインハルトが鮮やかなバリアジャケットに包まれた。クローンと同様に、成長した姿である。
両者は互いに向かい合い、構える。
だが、これは試合ではない。
その戦いは、合図もなく始まった。