その部屋の中央に倒れたくらげに、なのはとフェイトは、羽織っていた服をくらげにかけて、その横に座り込んでいた。
他の人は、その周りに立って、その様子を見ている。
「今日会ったのも驚いたけど、ほんまに一人で次元移動やらかすとは…。人間なんか、この男…?」
はやてがそう言いながら、くらげには近づいて、くらげに触ろうとしたとき、
「くらげ君に触らないで!」
なのはのその声に、はやてはビクリとその動きを止めた。
シン、とその場から音がなくなる。
「え、あ、ご、ごめんな。気がきかへんで。好きな男やもんな」
はやてが、戸惑いながらも謝ると、今度はなのはが慌てだした。
「え…? あ! ち、違うの! そうじゃなくて、触っちゃだめなの!」
その慌てているなのはに、金髪の女の子の高町ヴィヴィオと、碧銀の髪の女の子のアインハルト・ストラトス、ノーヴェから追い打ちがかかる。
ヴィヴィオは、名前の通り、血は繋がっていないが、なのはと親子である。フェイトももう一人の母親のように思われている。
「なのはママ、好きなのはよく分かるんだけど…、流石に独占欲が強すぎじゃ…」
「そうですね…、少しばかり…」
「少し…か?」
その若干引き気味の態度に、なのははフェイトに目で助けを求める。
フェイトは、軽くため息をついて、首を振る。
「なのは、気持ちは分かるけど、やり過ぎだよ」
なのはは、フェイトの言葉に、目に涙を溜めながらぷるぷると震えだす。
どうやら勘違いだと、気がついたはやてが、声をかける。
「なのはちゃんの行き過ぎた愛情は分かったとして、どういうことなん? 反応が普通やなかったで?」
なのはは、そのまま眉間に皺を寄せて考え込む。
それに、フェイトがようやく助け船を出した。
「なのは、皆には話しておいた方がいい。これからどうなるか分からないから」
「そう、だね…」
なのはは、躊躇いがちにそういうと、神妙に言葉を続けた。
「今からする話は、おおっぴらに言わないで欲しいんだけど」
その言葉に、フェイト以外が頷く。そして、
「くらげ君は、『触れた人を劣化させる体質』なの」
それを聞いた誰もが、自分の耳を疑った。
「えと、それは何かの比喩ですか?」
ノーヴェの言葉に、なのはは首を振る。
「劣化…、つまり弱くなると?」
「そんなことって、あるの…?」
アインハルトとヴィヴィオは半信半疑に、そう言って反応に困ったが、はやてが何かに気づいた。
「そんな…、でも、いや、そうか…、そうなんやな、『フェイト』ちゃん」
そのはやての反応に、フェイトは感嘆した。
「すごいね…。流石だよ、はやて…」
「前々から変やと思っとったんや。『ジュエルシード事件』、最も黒に近い容疑者がいながら、ジュエルシードを暴走させるだけの『魔力がない』として、未解決のままの事件。クロノ君に詳細を聞いてもはぐらかされて、まともに答えてくれなかったんやけど…、そういうことなんやな」
はやての鋭い目が、フェイトを刺す。
「はやて…」
「いやいや、フェイトちゃん。私は別に掘り返そう言うつもりはないねん。危険がないなら、それでええ。それを言うたら、わたしだって似たようなもんやしな」
フェイトは、その言葉に安堵の溜息をつく。
ノーヴェが言う。
「つまり、触らないように注意しないといけない、ってことなんですね?」
「うん。信じてくれなくてもいいんだけど、とにかく触らないでもらえたら」
「そこに、なのはさんの独占欲はないと」
「まあ、全くないとは言わないというか、むしろ多少あるというか、私もまだ触ったことないのにというか…」
なのはは、周りの皆が自分をじっとりとした目で見ていることに気がつくと、わざとらしく一つ咳をした。
と、その時、くらげが身じろぎをした。
なのはとフェイト、他の皆が見守る中、くらげが体を起こし、頭に手を当てる。そして、ぼんやりとした顔で周りを見渡し、なのはとフェイトの顔を見て固まった。
慌てて、その場から座ったまま後ずさる。
そして、周りの様子を見て、状況が理解できないのか、挙動不審だったが、意を決したように何かを言おうとした。だが、その口はパクパクと動くだけだった。
さらに慌て始めるくらげに、フェイトが一歩近づいた。
「くらげ君…、そのスキルはちょっと忘れてもらったの…」
フェイトは、自分が持っているロストロギアをくらげに見せる。
「これで撃たれた人は、そのとき考えてたことを、しばらく思い出せなくなる」
その言葉に、くらげは固まった。
そして、顔をくしゃりと歪ませ、くらげはヨロヨロと立ち上がると、周りを見渡し、見つけた出口に向かってあるき出した。
「待って!」
なのはが声をかけるが、くらげは止まらない。
「今度は私たちが、くらげ君を助けるから! くらげ君が安心できる居場所を作るから」
言葉が届いているのか不安になるほど、くらげの反応はない。
「くらげ君を、幸せにしてみせるから!」
その声に、くらげの足が止まり、辺りが緊張に包まれる。
くらげはこの世界に移動して初めて、声を発した。
「そんなこと」
くぐもった、抑揚のない、生気のない声。
そして、くらげは振り返る。
その目からは、必要なものが失われている。
何も望まない、何も期待しない。失わせて、奪うくらいなら。それに、初めから、くらげは知っている。
「『僕にできるわけがない』」
その絶望に満ちた声は、そんな資格がないと、そう断ずるように発せられた。
誰もくらげに声をかけない。だれもくらげにかける言葉がない。その絶望を否定するための言葉が出てこない。
だが、くらげが、また出口に向かおうとした時、
「待ってください」
その声が、くらげにかけられた。
それはアインハルトだった。皆が、アインハルトを驚きの目で見ていた。
「アインハルト・ストラトス、と申します。差し出がましいとは思いますが…」
アインハルトはそう一言前置きすると、
「私はあなたのことを知りません。何も知りません。ですか、好意は受けても良いのではないでしょうか?」
くらげはアインハルトを見ている。
「一人で抱え込むのは、いけないと思います。私もそれを学びました。ここから逃げても、何も始まりません。一人でできないことも、皆と一緒ならできるかもしれません。『できない』と言うのであればこそ、『できる』ように努力するべきではないでしょうか?」
くらげはアインハルトを見ている。
その目は変わらず絶望を抱えたまま、
「そうだね」
と、アインハルトの言葉を端的に肯定した。
肯定したというのに、くらげの様子は何一つ変わらない。
そして、ぽつり、ぽつりと独り言のように、言葉を続ける。
「努力するのが人間」
それが普通。
「前に進むのが人間」
それが当たり前。
「だから」
そうでないのであれば。
くらげの目が、冷たく、黒く染まっていき、その目はアインハルトに向けられる。
アインハルトが口ごもる。その目を前に、何を言えばいいのか分からなくなる。
くらげはアインハルトの方を見ていたが、しばらくして、出口に向かってあるき出し、そのままその部屋を出ていった。
「ま、待って下さい!」
追いかけようとするアインハルトを、なのはが制す。
「いいの、行かせてあげて」
「どうしてですか…?」
「言葉が届かないことだってある。そのときは行動で示せば、ね?」
なのはは、笑って、
「それに、くらげ君が『できない』のは、仕方ないことだから」
悲しそうにそう言った。