彼はその再会を望まなかった。
そこは、とある室内運動施設の一室。
広くはないが、スパーリングや簡単な試合であれば、特に問題ない程度の広さはある。
そこに向かい合う二人の女の子。
一方は柔らか気な金色の髪で、目がクリっとした女の子、もう一方は、碧銀の髪で鋭い目つきの女の子。
どちらも、左右の目の色が異なっているという特徴があった。
既に練習試合は始まっている。先に手を出したのは金髪の女の子だった。しかし碧銀の髪の女の子はそれを難なく躱し、即座に反撃する。だが、金髪の女の子もそれを躱し、反撃する。その息もつかせない攻防は、子供のそれとは思えない。
その試合を、四名の女性が壁側で見ていた。
「それで、今日はどういった用事なんですか? はやてさんも一緒となると、何かあるんですよね?」
ジャージ姿の女性がいう。恐らく、試合をしている女の子たちのコーチをしていると思われた。
はやてと呼ばれた女性はカジュアルな格好をしている。
二人とも髪型はショートカットだ。
「いやいや、何にもないで? ヴィヴィオとアインハルトの成長と、ノーヴェのコーチっぷりを見に来ただけや」
「か、からかわないで下さいよ。皆さんが一緒にいるのって珍しいので、何かあるのかと思いましたよ」
「まあ、そうやな。なかなか休みが合わへんかったり、用事があったりで、三人で会うことはあんまりなかったなぁ」
はやては遠くをみるように、ぼんやりとそう言う。
「まあ、ちょっとした約束でな」
「約束?」
「せや。機動六課設立のときの、二人からの約束や」
はやてはそう言うと、カバンの中から、銃のような、変わった形の何かを取り出した。金属というよりは宝石と言うような質感である。
それをノーヴェが見て言う。
「変わったデバイスですね」
「デバイスちゃうよ」
「違うんですか?」
「ロストロギアや」
「へー、そうなんで……はい?!」
はやてはその反応に、曖昧に笑う。
ロストロギアとは、古代の危険な遺産、膨大な力を持つものもあり、厳重に管理されているものだ。ノーヴェの反応も当然のことと言えた。
「まあ、ゆうても大したもんやないで? これに魔力込めて人間のこめかみを撃つとな、その人がその時考えてたことを一時的に忘れるっちゅーもんや。効果も一ヶ月もてばいいほうや。ほぼ無害と言ってええやろ」
「で、でで、でもロストロギアなんですよね?!」
「声が大きいわ。だから、私がおるんよ」
「はぁ、じゃあ約束っていうのは」
「これを『一日だけ貸し出すこと』や」
ノーヴェは、はやて以外の二人をみて、
「じゃあ、なのはさんと、フェイトさんが、これを使う、んですか?」
そう言った。
そこにいたのは、成長した、なのはとフェイトだった。
恐らくは二十歳程度と思われる風貌だが、昔の面影はしっかりと残っている。
二人ともラフな格好ではあるが、ピンクや黒を基調とした、少しばかり気合が入ったような感じを受ける
なのはは、はやての手からロストロギアを受け取ると、短くため息をついた。
「うん。まだ、迷ってるけどね」
「それにしても、急すぎやで? 今日いきなり言うてきて、申請通すのにかなり無理したわ」
はやてがこれみよがしに肩を落とすと、なのはは慌てて言う。
「ご、ごめんね。でも多分、今日、会える気がするから」
「うん。今日、だと思う」
なのはの言葉に、フェイトも続ける。
そんな二人を見て、はやてがため息をつく。
「そんないい男なんか? その『くらげ』君っつー男の子は」
「え?!」
ノーヴェがそのはやての言葉に驚く。
「お、男って、もしかして?!」
「子供の時から好きな人らしいで? 何度惚気話されたか分からんわ」
「そ、そ、そんなにしてないと思うんだけど!」
はやての言葉に、なのはが割り込む。
「事あるごとに、くらげ君が、くらげ君が、とか言うてたやん。なのはちゃんも、フェイトちゃんも」
「わ、私はそんなには…、言ってるかもしれないけど…」
はやてはもう一度、長い溜息をつく。
「どうせ、そのくらげ君に関係する話なんやろ?」
なのはの持つロストロギアを指差しながら、はやてが言う。なのはは、それを両手で握りしめて、いう。
「うん…。でもね、もしも、くらげ君が今幸せで、私たちがいらないんだったら、それでいいの。でも…」
「でも、もしも、辛いなら私たちが守ってあげたい。だけど、きっと、くらげ君は、それを望まない。私たちを傷つけない選択をする。だから…」
なのはとフェイトは、目を少し伏せながら言う。
「ま、ええけどな。でも、今日だけやで? 何もなかったから、明日また…ってわけには…?」
はやての言葉が尻すぼみになる。何かの異常に気がついたようだった。
「なんや…?」
フェイトはなのはへ手のひらを差し出す。
「フェイトちゃん…」
「私がやるよ。私は一度捨てたから。今度は拾いたい」
なのはが、フェイトにロストロギアを渡す。
その時、その部屋の中央の、空間が軋み始めた。
その異常は試合をしている二人の女の子も、直ぐに気がつき、慌ててその軋みから距離を取る。
軋みはグニャリと歪み続け、本来の空間の隙間に何かが捻り込まれる
気がつくと、そこにいたのは膝をついて俯いた、大学生くらいのみすぼらしい男だった。
ボロボロのTシャツにジーンズのズボン、そして薄汚れたスニーカーをはいている。
だが、人が『居る』とは思えなかった。
そこに物が『在る』だけのように、生気というものが感じられなかった。
誰もがその異常現象に息を飲んでいた時、なのはが、その男に声をかけた。
「くらげ君。久しぶり」
男は、機械的に反応するように、ヨロヨロと立ち上がり、振り返る。
その顔に、ぞっと、背筋が凍る。
「ひっ…」
それは誰の声か、だが、ほぼ全員の心境は同じだっただろう。
おかしなところがあるわけではない。
ただその目が、その深く、暗く、感情が抜け落ちたような目が、気持ち悪かった。
生気のない、何もかもを諦めた目が、気持ち悪かった。
「くらげ君、分かる…?」
フェイトが声をかける。
男は反応しない。
だが、次第にその表情が変わる。
無機質なものが、歪んでいく。そこにある感情は読み取れない。ただ苦しそうに、歪んでいく。
その口が何かを言おうと動く。しかし、何度も何かを言おうとするが、声が発せられることはない。
その手が、なのはとフェイトの方へ挙げられようするが、そのもがくようなその手が、挙げられることはない。
もがいていた。
その男はもがいていた。
まるで溺れているように、もがき、足掻き、だがそれを押しとどめ、押し込んで、抑えつけて、今にも泣き出しそうな顔で、
『助けて』
その言葉を、歯を食いしばって飲み込むと、震えながら小さく息を吸った。
ある劣化スキルを使うために、ここから消えるための劣化スキルを使うために。
その様子を見ていたなのはは、ぼろぼろと目から涙を零しながら、悲痛な声で叫んだ。
「フェイトちゃん!!」
その声と同時にフェイトは駆け出していた。
その男の口から言葉が発せられたまさにその時、
「『かわいい子には苦労を《トラブル・トラ」
男のこめかみに、フェイトが持つロストロギアの銃口があてられ、引き金が引かれる。
パシリッ、と電気のようなものが走り、男はその場に、崩れるように倒れ込んだ。
異様な雰囲気に包まれていたその場所に、静寂が広がる。
その静寂に、なのはとフェイトの、しゃくりながら泣く声が響く。
なのはは、泣きながら、言葉に詰まりながら言う。
「私たちが、助ける、から」
フェイトも、目から涙を流しながら、
「助け、させて…」
倒れたくらげに、そういった。