「初志貫徹、っと」
さつきは、そう軽く言うと、当たり前のように、殺し慣れたように、腕を振り上げる。
だが、さつきとくらげの間に琥珀が割り込む。
キッ、琥珀はさつきを睨みつけ、両手を広げた。もう何度繰り返したか、くらげのために、自らを犠牲にする。
くらげはその理由が分からない。出会って間もないくらげを庇う理由なんて、どこにもない。
さつきが割り込んだ琥珀をみて、若干眉間に皺を寄せたが、まあいいか、というような素振りでその手に力を込めようとした。
その時、フラッシュバックするかのように、くらげの頭に幻想が走った。
体を切り裂かれた琥珀が。
くらげの手の中で冷たくなる琥珀が。
『やっぱり、駄目だったな、私』と、そう言って動かなくなった琥珀の姿が。
駄目だ、とくらげは思う。
駄目だ、そんなの、ちゃんと諦めたままなら、僕がいなければ、僕がいなかったら、こんなことには、とそんな知らない後悔が渦巻いていく。
「駄目だ!!」
くらげは琥珀の腰の帯に手を引っ掛けて、そのまま力任せに引っ張る。
直後、琥珀のいた場所にさつきの腕が振り下ろされる。その爪で、琥珀の服が切り裂かれた。そのままの場所にいればどうなったかなど、考える必要すらない。
くらげは倒れこんだ琥珀を、慌てて両手で受け止める。足元の砂のせいで、滑りやすく、危うくそのまま倒れ込みそうになる。
どうにか堪えた体制は、くらげと琥珀の顔が近づいていた。
二人の目が合う。
何度もくらげを守ろうとした琥珀と目が合う。
その目は酷くまっすぐで、曇っていて、諦めていて、自分しか見ていない。
『ああ、やっぱり僕に似てる』
くらげが触っているせいで、琥珀が劣化していき、琥珀が苦しそうにうめき声を挙げたのを見て、慌ててくらげは琥珀から離れたが、琥珀はそのまま倒れこんでしまった。
「えー、よく分からないけど、触っちゃいけないタイプの人?」
さつきは、そういうと、足元に落ちている、元はベンチの一部であったであろう木材を持ち上げ、振り回す。
ビュンビュンと、音がなり、砂が巻き上がる。
それに満足がいったのか、笑顔でうなづくと、くらげに向き直る。
くらげは慌てて周りを見渡す。
遮蔽物が全くなく、逃げ場所がないことに愕然とする。
守ってくれる誰かもいない。
その木材が、くらげに振り下ろされればどうなるか。
頭が割れ、潰れ、血が噴き出す。
そうなれば当然、
『死ぬ』
その思考がくらげの頭を駆け巡った。
「い、いやだ…」
くらげは無様に後ずさりする。
「いやだ、いやだいやだいやだ!!」
さつきは鼻歌まじりに、くらげに近づく。
「『ただの戯言』《プチフィクション》!」
さつきが持っていた木材が消える。さつきが首をかしげると、1秒たち、また手元に木材が戻ってくる。
さつきは不思議そうにしていたが、まあいいか、とくらげへ足を進める。
「『ただの戯言』《プチフィクション》!」
さつきとくらげの距離が離れる。1秒たち、その距離が元に戻る。
「『ただの戯言』《プチフィクション》!」
さつきの姿が消える。1秒たち、またその姿を現す。
「いやだ、嘘だ、助けて、助けて…!」
劣化スキルでは倒す術がない。
どんなに劣化スキルを組み合わせても、そもそも逃げ場がない。
無理だ、助からない、死ぬ、ここで、無為に、無用に、無様に、死ぬ。そんな感情が心を占めたときに、暗闇の中でぼんやりと光る、そのスキルに気がついた。
くらげは、胸に手を当てる。
「嘘、だ」
それは、くらげにとって知りたくもない、事実だった。
「嘘だ…」
どんなに言葉を並べても、その事実は、変わらない。どんなに否定しても、その事実は、取り消せない。
「嘘だ…、『魔理沙』」
くらげは、彼女の名前を口にした。
前の世界で、そうすることでしか助けられないと、劣化し尽くした彼女の名前を。
覚えている。その笑顔を、その眩しさを、そして、彼女が使っていた、そのスペルカードを。
くらげは、そのスキルを、恐る恐る呟いた。
「『僕の憧れの人』《マスタースパーク》」
きらびやかな星が舞い、目の前が白く染まる。
その巨大な砲撃は、さつきに向かって放たれた。
いつまで、その眩い世界にいたか、ちらちらと星たちが、その白い世界に浮かぶ。それはまるで、くらげの無事を祝福しているようで、くらげは耐えられずに目を固く閉じた。
気がつけば、荒野は消え去っていて、チカチカと今にも切れそうな電灯が照らす、あの橋の前の道路へ戻ってきていた。
さつきは、目の前に倒れている。
死んでいるのか、気絶しているのかは、見た目では分からないが、少なくとも脅威が去ったことは、くらげにも分かった。
琥珀と凛も、衝撃のせいか、倒れて動かない。
だが、安堵することはなかった。知りたくない事実を知ってしまったくらげには、そんな余裕がなかった。
『だよね! 『奪った』から、そのひとが弱くなったんだよね!』
幻想郷で、フランドールがくらげに言った言葉を思い出す。くらげは、何故あれほどその言葉を否定したのか、それは無意識に何かを理解していたからではないのか。
くらげが、魔理沙のスペルカードを使える理由、それは一つしかない。
くらげが、魔理沙から、『奪った』からだ。
「嘘だぁぁぁあああ!」
くらげは慟哭する。
その否定の言葉は、自分すら騙せていない。むしろ、理解しているからの叫びだ。
くらげが憧れた魔理沙が、努力し、努力し、努力し、努力し尽くした結果、手に入れたものを、くらげが『奪った』という事実を確信しているからだ。
くらげは、膝を落とした。
何処を見ているかも分からない。
そこに、唐突に声がかけられる。
「あー、落ち込んでいるところ悪いが、くらげ君。君はこの世界から出ていった方がいい」
橙子がくらげに近づいてくる。
くらげは反応できない。
「これ以上の何かが来れば、君の命はないだろう。それに、こちらの命も危ない。早めに移動してもらえると助かるんだが」
橙子の言葉も当然だ。
くらげのせいで、命の危険に晒される。関わることのメリットもない。
「元々は、君がこの世界に来たことによる歪を、『世界』が利用して今回の異常事態を引き起こしたんだろう。君が出ていけば、この世界の異常もおさまるかもしれない。出来れば、こんな予測でなく、もっと確実な方法を考えたかったのだがな…」
橙子の要望に、くらげは、感情のない声で、端的に、
「はい」
と答えた。
橙子は、言う。
「それと、これは助言だが、君は出来る限り、人との接触は避けるべきだ」
そんなことは、くらげがよく分かっている。
だが、それはそんな単純な話ではなく、
「きみの性質上、君に触れたものは、君に『寄せられる』」
くらげの本質をついた、
「言っただろう? 君が『できてしまった』のには理由がある。プラス側の『異常性』《アブノーマル》には、マイナス側の『過負荷』《マイナス》でバランスが取れる。では、『悪平等』《ノットイコール》に対するバランスはどうやって取る? 恐らく、誤魔化しが効かなくなったんだろうが、君のその穴埋めさ。だからさしずめ君は」
生まれた理由さえ告げる、
「『原点』《イコールゼロ》とでもいうべきか」
まるで『呪い』のような言葉だった。
「『原点』《イコールゼロ》…」
くらげは、ぼんやりとした頭で、その言葉を繰り返す。
「気をつけてくれていればいい。それに付加価値さえなければ、危険性は無いはずだ。まあ、付加価値なしに、ただの無が、生まれるわけはないがな」
橙子は、そう言って苦笑いした。
その声が消えると、くらげは、倒れている琥珀をちらりと見て、その体がピクリと動いた事で、少なくとも生きてはいることを確認して言った。
「お世話に、なりました。皆さんにも、そう、お伝えください」
「伝えるだけは、伝えよう」
そして、くらげは、スキルを使おうとして、
「待って!!」
その声に止められた。
「琥珀、さん…」
声の方を見れば、琥珀がくらげを強い視線で見つめていた。
よろめく体で、くらげへ近づく。
体を引きずるように、一歩一歩、鬼気迫るように近づく。そして、くらげの前にくると、言った。
「私も、連れて行ってください」
それは、きっと願いだった。
その諦めに満ちた目は、絶望した目は、救いを求めていた。
「お願いします。何でもします。体も差し出します。お願いです…、私も連れて行って! こんな世界から連れ出して!」
絶望の末に諦めた琥珀の叫びは、静かな夜に響いた。
琥珀は、全てに絶望し、諦めていた。
人らしい感情など残っていなかったかもしれない。
だが、くらげがきた。
諦めていた心に、ほんの少しの希望が生まれた。
別の世界なら、誰も琥珀を知らない世界なら、最初からやり直せるかもしれないと。
だから縋った。
体を張ってでも、縋った。
これが、琥珀の、最後の希望。
けれど、
「『かわいい子には苦労をさせよ』《トラブル・トラベル》」
くらげは、その絶望に染めた表情のまま、琥珀の願いを打ち砕いた。
グニャリと歪む視界の中、くらげがその世界で最後に見た琥珀の顔は、全てを諦めた、くらげによく似た、良くできた笑顔だった。
こうして、くらげはまたもや別の世界に旅立った。
次は最後の世界。
くらげの全てが決まる世界。
くらげがいなければ綴られなかった物語。
魔法少女リリカルなのは《イコールゼロ》編。
それは、あってはならない物語。
以上、型月編、終了です。
次は最後の世界、魔法少女リリカルなのは《イコールゼロ》編です。
また、幕間を挟んで、その次からになります。
もしよろしければ、続けて、どうぞよろしく。