「避けろ! 戯け!」
くらげは、アーチャーのその声と同時に、腹部に鈍痛が走り、ズザザッと地面に倒れ込んだ。体のあちこちに擦り傷がはいる。
だが、その程度で良かったと言える。
くらげが居た場所には、『巨大な鮫』がその顎を閉じたところだった。
「うわあああぁ!」
何故鮫が居るのか、などと言った疑問は、正体不明の恐怖で塗り潰された。
「貴様が『混沌』に飲み込まれるなど、最悪の極みだ!」
どうやら、アーチャーがくらげを蹴り飛ばしたようだった。
全員の視線が、ネロ・カオスに注がれる。
「ふむ」
ネロ・カオスはそう言うと、黒いコートを右手で持ち上げる。
次の瞬間、そこには『馬』がいた。
いや、『馬』のようでそうではない。何故なら、『馬』であればあのような角は生えているわけがなく、背中の翼もあるわけはない。
それは、その翼をバサリとはためかせると、頭上高く舞い上がった。
「幻想種、だと…?」
橙子が、驚愕の声を上げる。
ネロ・カオスは、ニヤリと嗤う。
「我が肉体は、原初の海となんら変わりはない。動物という『因子』を肉体とし、混濁させているのみだ。我が領地である肉体から外界に放たれたとき、初めて何らかの『種』として形をなす。我が内なる系統樹には、貴様らの域を凌駕する生命があると知れ」
『馬』のような何かは、上空でひと鳴きする。すると、その角が帯電しながら激しく音をたてる。
「不味いわ、あれに当たればただではすまないわよ…!」
アルクェイドがそう言うと、体に力を込めようとするが、痛みのため崩れ落ちる。
何度か立ち上がろうとするが、それは叶わない。
凛は、握りしめた宝石で、宝石魔術を使おうと考えるが、まるで射程距離にないことに歯噛みする。
琥珀は、目の前の異常現象についていけずに唖然とし、くらげは、いつもどおりに震えている。
そんな中、
「『I am the bone of my sword』《我が骨子は捻じれ狂う》」
アーチャーだけは、冷静にそれを『標的』と見定めていた。
いつの間にか、左手に弓を、右手には螺旋を描くような剣を持っていた。それは宝具、英霊が生前築きあげた伝説の象徴である。だが、それはアーチャーの象徴の宝具ではない。
そして、その剣を弓に当て、引き絞る。剣は音を立てながら、さながら矢の如く、その刀身の姿を変える。
ギリッという、弓を引ききった音。
そして、
「『偽・螺旋剣』《カラドボルグ》」
アーチャーは、その『矢』を射った。
一閃。
その『矢』が、上空の脅威を通って、空の彼方へ抜けたかと思えば、黒い泥と化したモノが空から降ってきた。それは、ネロ・カオスの横に落ちると、少しして、ネロ・カオスに飲み込まれた。
「…面倒なものがいるな」
ネロ・カオスは、片目を吊り上げるようにアーチャーを睨みつける。
そのアーチャーは、既に弓は持っていない。
『弓』ではなく、『大剣』を持っていた。
それは剣で正しいのか、岩を砕き、持ち手をつけただけの無骨な剣。岩が割れた際に偶然できたかのような刃渡り。だが、その無骨さが、巨大さが、畏怖を撒き散らす。それもやはり、正しく宝具であった。だが、それもアーチャーのものではない。
「『投影、装填』《トリガーオフ》」
その声は、呟くように、定めるように。
そして、その照準は、黒いコートの男に。
アーチャーは続けて唱える。
「『全工程投影完了―是、射殺す百頭』《セット―ナインライブズブレイドワークス》」
大剣であることがまるで錯覚かのように、その神の如き剣速は、ネロ・カオスの体を確かに捉え、その連撃は全て急所へ叩き込まれた。
「グゥウウウ!!」
ネロ・カオスの苦悶の声が響く。体のあちこちが欠け、切り裂かれ、削られている。
倒れないわけがない。生きていれるわけがない。その体はズタズタに切り裂かれ、凡そ半身以上を失っている。
だが、
「やはり殺せんか」
そのアーチャーの声に、ネロ・カオスは、欠けた体のまま、体を崩すことなく、半身を失った状態で嗤った。
「この身の半身を断とうが、この首を潰そうが意味はない。私は一にして六百六十六。私を滅ぼすつもりであるのならば、一瞬で六百六十六の命を滅ぼすつもりでなくてはな」
「二十七祖というやつは、やはり理不尽だな」
アーチャーはそう言うと、ネロ・カオスの前からアルクェイドの側まで飛び引いた。
アルクェイドは、どうにか膝をついて、立ち上がろうとしているが、それ以上の動きを取れないでいた。
「その様子では、しばらく動けんな」
アーチャーの言葉に、アルクェイドは苦悶の表情を浮かべる。
「残念ながらね。昨日のことが無ければまだ行けたかもしれないけど、今の状態じゃ無理ね」
そこへ、凛が駆け寄る。琥珀、そしてくらげもおずおずとそれに続いた。
「アーチャー! さっきのなんなの!?」
「凛、魔力量はどうだ」
「う、うん、まだ余裕はあるけど」
「そうか、君も無茶苦茶だな」
そして、橙子も近づいてきた。
「なるほど、何故弱体化した真祖なのかと思えば、『混沌』を呼び寄せるための『餌』だったわけか」
「何の話かしら…?」
「こちらの話しだ。君を貶めているわけではない」
橙子の言葉に、アルクェイドが嫌悪を抱いたことが分かったのか、アーチャーがそれをたしなめる。
「凛。まだ、逃げる選択肢はあるが、そうであればそこの男は殺しておく必要があるぞ。生きたまま、『混沌』に飲み込まれれば、何が起こるかわからん」
アーチャーの視線は、くらげを指していた。
その視線に気づいた琥珀は、その間に割り込み、アーチャーを睨む。
凛は、アーチャーに言う。
「『真祖』が出てくるわ、『二十七祖』は出てくるわ、その方法も考えたいところだけど」
凛は、琥珀を見る。琥珀は、凛を睨む。
「こんな状態で、その方法は取れないわね」
「そうか」
アーチャーがそう言うと、琥珀は、ほっと胸を撫で下ろした。
「しかし、そうであれば『混沌』をどうにかしなければな。もう、完全に復元するぞ」
よく見れば、半身を失っていたネロ・カオスの体は、ほぼ元通りに戻りつつあった。
アーチャーは、また別の宝具を手にする。
「ねえ」
アルクェイドは、アーチャーに言う。
「どうした、アルクェイド・ブリュンスタッド」
「あなた、もしかして、『英雄王』《ギルガメッシュ》?」
「……はっ?」
アーチャーの口から、らしくない声が漏れた。
「複数の宝具を持つ英霊なんて、それくらいしか思いつかないんだけど」
宝具は、例外はあるが、英霊は対してそれは一つである。その例外の中で、もっとも有名な英霊、それが『英雄王』《ギルガメッシュ》だ。あらゆる宝具の原典を所持する英霊である。
「ふっ…、ふはっ、ふはははははは!!」
「?」
突然笑いだしたアーチャーに、アルクェイドは訝しげに首を傾げる。
「よりにもよって、俺があいつと間違われるとはな、久方ぶりにこんなに笑ったわ」
「何よ、違うなら、違うっていえばいいじゃない」
「ああ、いや、すまない。あいつの怒り狂う様が目に見えるようでな、くくくっ…」
アーチャーは笑いが抑えきれないようで、体を震わせる。アルクェイドはふてくされたように頬をふくらませる。
「そうなると、『贋作者』《フェイカー》らしく、あいつを真似るのも悪くないな」
アーチャーはそう言うと、凛に向かって言う。
「凛、宝具を使うぞ。どうせ『混沌』をどうにかしなければ、先はない」
その言葉を聞いた凛は、目を見開いた。
「さっきのは宝具じゃないわけ…? って言うかアーチャー! 思い出せないとか言って、やっぱり記憶喪失は嘘だったのね!」
「何を言う、宝具のことだけ思い出したのだ」
「そんな都合のいい記憶喪失があるかー!」
凛はそう叫ぶと、アーチャーに色々と文句を叫んでいたが、アーチャーはそれを尻目に『混沌』に向き直る。
そして、
「『I am the bone of my sword』《体は剣で出来ている》」
続けて、そう呟いた。
『全工程投影完了―是、射殺す百頭』《セット―ナインライブズブレイドワークス》は、士郎が使いましたが、アーチャーも使えて然るべき、という認識です。