ギギリ、と金属が軋み合う音が響く。
「ふ、ははは!」
ガギリッ、という音とともに、赤い革のジャケットを着た誰かと、志貴と呼ばれた男性は弾きあうように距離をとった。
「いいな、お前。凄くいいよ」
赤い革のジャケットを着た誰かは、くらげの前に立ち、志貴を見ながら愉快そうに嗤う。
だが、志貴は微動だにせず、今にも襲いかかりそうな前傾姿勢のまま、黙ってこちらを見つめる。
「志貴さん!」
着物姿の女性はそう叫ぶ。志貴は自分を呼ぶ声が、聞こえているようには見えない。
「私です! 琥珀です!」
着物姿の女性は、そう名乗った。
だが、琥珀の声は志貴には届かない。
「無理だな」
赤いジャケットの誰かは、志貴を見つめたままそう言う。
「お前が誰かも分かってないよ」
「私、あの方の家の家政婦です! 私が分からないわけないです!」
「いや、あれは正気じゃない。多分、自分が何やってるかも分ってない。無意識の殺人衝動って感じか? 殺意が純粋すぎて、気持ちがいいくらいだ」
「そんな…」
「それにしても」
赤いジャケットの誰かは、ニヤリと嗤い、
「俺も『式』っていうんだが…、にているのは名前だけかな…?」
そう言うと、志貴に向かって飛び出し、志貴ではなく、志貴が構えているナイフへ、自分のナイフを振るった。
志貴はそのままでも式のナイフを受け止められた体制だったが、そのナイフを少しずらして、式のナイフを受けた。
続けて、数度、式は同じように連撃をするが、志貴も同じようにそのナイフを受ける。
式は、声を出して嗤っていた。
その行為が続くたびに、式の嗤い声は大きくなる。
「あははは! やっぱり見えてるな! お前の目も特別製ってやつだな?!」
そのナイフをずらして受ける行為になんの意味があるのか、ただの人間には理解できないに違いない。
だが、式は違う。志貴も違う。
死を視る眼、『直死の魔眼』という稀有な能力を、どちらも有している。
それは生物、無機物に関わらず、物の『死』を、線や点といった形で視ることができる。その線をなぞればどんな鉱物も切れ、その点を付けばどんなモノでも即座に死に至る。
二つの魔眼は多少異なっており、それぞれ使用時の負担も異なるが、同じようなものと考えて差し障りないだろう。
そして、その二人の能力を同時に目にしたくらげも、その劣化スキルを得ていた。
『最悪で絶望的な答え』《クローズミーイヤー》。『終わり』をおぼろげに知覚する能力である。
そのスキルのせいでくらげにもわかった。
志貴がナイフをずらす理由、式がその箇所を狙う理由、そして二人の破格の能力を。劣化してこのスキルであれば、元のスキルの恐ろしさは想像がつく。
くらげはちらりと、琥珀の様子を伺う。
放心状態なのか、琥珀は目の前の状況を呆然と眺めている。
くらげはその様子に違和感を感じながらも、
『とにかく逃げないと』
と考える。
二人の隙をつくなのならば、二人が戦っている最中を狙うしかない。
その時、琥珀をどうするか。
おいて逃げるか、それとも、
『助けるか』
そんな言葉がくらげの脳裏をよぎる。だが、瞬時にして思い直す。
そんなこと、『僕にできるわけがない』と。
狙いがくらげであることは想像がつく。
琥珀が二人から襲われる可能性は低いと考えられた。いや、考えられなかったとしても、くらげはそう思い込んだ。
そうして、くらげは、ジリッと地面を後退る。
「おい!」
だが、かけられた声に、くらげは身を固まらせた。
「ちょっと待ってろ、こっちが終わったら、お前に用があるんだからなッ!」
そう言って式は、志貴とナイフをガキンッと合わせる。
戦闘中にも関わらず、式はくらげの動向も伺っていた。隙など、どこにあるというのか。
その時、甲高い車のブレーキ音が響いた。
公園の外に赤い流線型の車が、エンジンをかけたまま止まっていた。
運転席側の窓ガラスが開いており、そこから、
「そこの二人! 早く乗りなさい!」
と、赤髪でセミロングポニーテールの、『眼鏡』をかけた女性が叫んだ。
デキる女性を絵に書いたような人物で、有無を言わせない迫力があった。
「何をしているの! 早くして!」
「は、はい!」
くらげは思わず返事をして、車の方へ走り、慌てて後部座席へ乗り込んだ。
「貴女も早く!」
声をかけられた琥珀は振り返る。
その顔は状況について行けずに呆然としているように見えた。
そして、琥珀は小走り気味に走り出して、後部座席に乗り込んだ。
琥珀が車に乗り込んだと同時に、赤髪の女性は、『眼鏡』を外してニヤリと笑い、
「式! 後は任せた!」
と、叫ぶとアクセルを踏んだ。
ギャリギャリと、アスファルトがタイヤを焦がす。
「くそっ! 橙子! 後で覚えてろよっ!」
式のその叫び声と、ナイフがぶつかり合う音を置き去りにして、橙子と呼ばれた女性は、車を急発進させた。
スピード違反を無視したスピードで進む車の中は、緊迫した雰囲気が漂っていた。
くらげを狙っていた式の、恐らくは近しい知り合いなのだ。そうなって当然である。
「貴女は、一体…」
その疑うような問いかけに、橙子と呼ばれた女性は言う。
「怪しいものじゃない。っと言いたいところだが、まあ、そう認識してもらって構わないよ。できれば暴れないでくれると助かる。この車はお気に入りでね。できれば汚したくないんだ」
その答えにくらげの背筋が凍る。
一体何をした結果、車が汚れるのか。
「いや、そんなに構えなくてもいい。何事もなければ別にいいんだ。ただ、私もいくつか守るものができてしまってね。こういう暴挙に出たわけだ」
橙子は運転を続けながら言う。
「最近、こちらの世界にきた君はわからないだろうが、今、かなり混乱状態でね。いくつかの並行世界や時間がねじ曲がって、繋がってしまっている。」
「え…?」
「君、この世界の住人ではないだろう? 第二魔法、つまり並行世界からの移動ではなく、完全なる別世界からの訪問者だろう?」
「な、なんで、それを…」
「ふむ。否定してもらいたかったが、そうか。まあ、この現象から考えて、高次元からの介入か、別世界からの割り込みか、確率の高そうなほうでかまをかけてみたんだが…。まるでお伽話だな。今の状況でなければ一笑に付せるところだよ」
くらげは驚きを隠せないまま、橙子を見つめていたが、隣からの視線に気づいた。ちらりと見ると、琥珀がくらげをじっと見つめている。
その視線には、驚きに加えて、それとは違う何かが混ざっていた。