球磨川禊
くらげが、球磨川禊と言う男子と会った時の話をしよう。
それは、まだくらげが人生を諦めていない頃、黒神舵樹がくらげを助け出した後、まだくらげが努力という言葉を信じていた頃だった。
部屋に引き篭もりがちな自分の性格を直そうと、一人で駅前へ向かっていた時、くらげは球磨川禊と出会った。
その時、球磨川禊は、複数人の不良から囲まれて、殴る蹴るの暴行を受けていた。
くらげは、その光景に尻込みして、路地に隠れて球磨川を見ていた。
何度も助けに行こうと、誰かを呼ぼうと思った。 だが、努力していたからといって、それが改善できるとは限らないように、くらげの足が動くことは無かった。
だが、そこには、くらげの勘違いもあった。
よく聞くと、球磨川は悲鳴をあげていた。
「『痛いなー、酷いなー、内臓が破裂したかもしれないなー』」
棒読みで。
よくよく見ると、不良たちは脂汗をかきながら、恐怖に耐えられずに顔を引きつらせながら、その暴行を続けていた。
それは、ただただ気持ちの悪い、異常な光景だった。
悲鳴にも似た怒鳴り声をあげながら暴行を続ける不良と、その暴行を張り付いた笑顔で受け続ける球磨川。
そして不良のうちの一人が耐えきれずに、
「何だこいつ、何なんだよコイツ! 気持ちわりい…、もういい、もう見たくねえ! もう嫌だぁ!」
そう叫ぶと、周りの不良たちも、その場から逃げ出そうとした。
だが、それは叶わなかった。
走り出そうとした不良たちは、その場から動くことはなかった。
螺子が身体に突き刺さり、ねじ伏せられていたからだ。
「『おいおい、ここまでしておいて放ったらかしだなんて。全く、そんなことだからモブキャラ止まりなんだよ』」
球磨川がそう言って、折れているであろう両足を器用に使いながらヨロヨロと立ち上がり、制服の首のホックをパチリと留める。
その瞬間、球磨川の怪我が跡形もなく消えさる。
折れた両足も、顔の青あざも、制服の皺すら、全て『なかったこと』になった。
そう、これがくらげが使う『ただの戯言』《プチフィクション》の本家本物のスキル。
「『『大嘘憑き』《オールフィクション》、僕の怪我を無かったことにした』」
現実《すべて》を虚構《なかったこと》にするスキル、『大嘘憑き』《オールフィクション》である。
球磨川は、不良に突き刺さった螺子を一つ一つ抜いていく。だが、その箇所は、螺子が刺さっていた様子などなく、怪我どころか、血の後すらなかった。
螺子を抜かれた不良たちは、悲鳴に似た声をあげた。
「あぁ…、目が、目が…」
不良たちは皆、両手を目の前の空間に差し出して、何かを確かめていた。まるで、目が見えないみたいに。
「『ああ、もう見たくない、って言っていたから、優しい僕はその願いを叶えてあげたのさ。大丈夫、もう僕を見るとはないよ。君たちの視覚を『なかったこと』にしてあげたから』」
その言葉を聞いて、不良たちは悲鳴をあげながら去っていった。
「『ありがとうの言葉も言えないだなんて、彼らはどうしようもないね。あーあ、お願いを聞いてあげて、お礼も言われないだなんて。また、勝てなかったなー。そうは思わないかい、そこの君』」
そして、球磨川はくらげに声をかけた。
それがあまりに唐突で、くらげは声が出なかった。
球磨川はくらげにゆっくりと近づく。
「『君は僕を助けるために動こうとしてくれたんだね』」
「えっと、でも…」
くらげは俯いた。動けなかった自分を責めるように。だが、球磨川は言う。
「『でも動けなかった。うん、そうだね。でも、自分を責めることはないさ。大丈夫、『君は悪くない』』」
「え?」
「『人が酷い目にあってるのを見ても、動けない。それは、君の立派な個性なんだよ』」
両手を広げて説明する球磨川に、くらげは困惑する。
「なにを言って…」
「『大丈夫、頑張らなくていい。できないままで、ありのままの、そのままの君でいい。君ができないことは、できる奴にさせていればいいのさ』」
球磨川の甘い言葉が、くらげの心を誘った。
くらげは、球磨川の考えは駄目だと思った。駄目な考え方だと思った。
けれど、胸を張って、堂々とそう言い張る球磨川は、くらげの目に甘く映った。
そのままでいいと、駄目なままでいいと、認められたようで。
「『さあ、胸を張ろう』」
そう言って、球磨川はくらげの肩に触る。
その途端、球磨川は膝を落とした。
くらげは球磨川に駄目さに見とれていて、離れることを忘れていた。
くらげは、慌てて球磨川から離れた。
「ご、ごめんなさい! 僕、『触れた人を劣化させる体質』で!」
「『…劣化させる?』」
そのくらげの言葉を聞いた瞬間、球磨川の張り付いたような笑顔が、気持ち悪く歪んだ。あまりの気持ち悪さに、くらげは悲鳴を漏らす。
「ひぃっ」
「『劣化? 面白いね。確かに、僕の『過負荷』が弱まった気がする。君、名前は?』」
くらげはどうにか答える。
「黒神、くらげ、です…」
「『黒神…?』」
球磨川はとても愉快そうに、とても気持ち悪く嗤う。
「あ、あの」
「『ああ、いや、なんでもないよ。そうだね、君とはまた顔を合わせそうだ。その時はよろしくね』」
球磨川はそう言って、踵を返して去っていった。
くらげは球磨川が触った、寒気が走った肩に手を当てて、去っていく球磨川を見つめていた。
それが、くらげと、球磨川禊との出会いだった。
東方編を投稿しようとして、「あれ? どっかで球磨川くんの話をしないと、後々困るんじゃね?」と気づいたので、ちょっと話を割り込ませます。
次話こそ、東方編です。