くらげ達は、海沿いの公園で、なのはとフェイトの別れの挨拶を見守っていた。
フェイトが今回の件の処理で、しばらく離れることになったため、なのはのもとに訪れたのだった。
くらげとクロノはベンチに座り、ユーノとアルフは心配なのか、ベンチよりも前の方に立っていた。
なのはとフェイトは、海側のフェンスの前で、見つめ合っている。
夕日が、彼女らを照らしている。
「まあ、そんなに長い別れにはならないさ」
クロノは、そう呟いた。
「そうなの?」
くらげが問いかける。
「ちょっと今回の処理
で離れるだけだ。そもそも落ちているジュエルシードを拾うだけでは罪にはならない。彼女らはその行動に問題があっただけだ。あとは、まあ、僕らが何をどう報告するか、だからな」
「…えっと」
「虚偽はしないが、余分な報告は不要だろう?」
クロノは、口の端を釣り上げる。
くらげもつられて、笑う。
「クロノ君、そんな人だったの?」
「ん? いや、普通はこんなことはしないよ。ただ、幸せな親子の仲を引き裂くような趣味はないのさ。プレシアだけはどうしても何らかの罪状がつくかもしれないが、まあ、どうにかするさ」
と、くらげとクロノが話していると、誰かがくらげの背中越しに抱きついた。
「うわぁ!」
くらげが慌てて後ろを見ると、十数年の眠りから覚めたアリシアがいた。
カプセルから出る前と比べると、髪や肌が多少くすんでいるようにみえる。
「くらげ君、女の子に抱きつかれて、それはないんじゃない?」
アリシアがそういうが、くらげは声も出ないほど、あたふたと慌てている。
それもそのはずで、くらげは生まれて今まで、他人から抱きつかれたことはほぼない。相手を劣化させてしまうからだ。
けれど、アリシアは別だ。
アリシアは既にくらげから底辺まで劣化させられている。これ以上の劣化はない。
だからこそのスキンシップであり、そんなくらげの反応をアリシアも楽しんでいた。
因みに、プレシアも同様である。アリシアが目を覚ましたあとに、くらげに泣きついて感謝の言葉を述べていた。
ただ、劣化のことまで頭が回るような状況では無かったかもしれないが。
「アリシア、くらげ君をからかうのは止めよう」
「アリシアさん、だよ。クロノ君? わたしのほうが年上なんだから」
クロノの言葉を、アリシアは訂正する。
「身体年齢も、精神年齢も、五歳のままだろう」
「でも、生まれてからの年齢が、正式な年齢でしょ? もう、子供も産めるよ?」
「無理だよ…」
クロノとアリシアがそんな他愛も無い話を続けていると、なのはとフェイトが、お互いの髪を結んでいたリボンを交換していた。
「うわー、愛の誓い、かな? おねえちゃん灼けちゃうなあ」
「いやいや、普通に見て、友情の証だろ…」
フェイト、アリシア、プレシアは、色々とあったものの、どうにか仲良くやっているようだった。
プレシアは、自分でも気がつかなかったフェイトへの愛情に気づき始め、ツンデレをこじらせたような態度をとっているが、そのたびにアリシアに嗜められている。
なのはとフェイトが、くらげたちのほうを見る。
「おや、終わったようだな」
クロノがくらげを見る。
「君も行ってこい」
クロノがそう言うが、くらげにまだアリシアが抱きついて離れていないため、あたふたとしていた。
「アリシアさん?」
クロノが強めの口調で言うと、アリシアは「仕方ないなあ」と、言いながらくらげから離れた。
荒れている息を整えながら、くらげはクロノに言う。
「ぼ、僕、も?」
「ああ、黙って行くつもりだったんだろ?」
クロノのその言葉に、くらげは硬直する。クロノはため息をつく。
「二人からあれだけ好かれて、何が不満なんだ」
「…不満なんてないよ。ただ、ふたりにうっかり触ったりしたら…」
クロノはもう一度ため息をつく。
「まあ、君がそれでいいならいいさ。だけど、黙っていくにしても、挨拶くらいしてきた方がいい」
くらげは、時空管理局のつてで、地球でも、ミッドチルダでもない、別の世界へ籍を置くこととなった。そしてくらげには、一人で暮らせて、一人で仕事ができる環境を提供してくれるとのことだった。
そう、一人きりで暮らしていける環境を。
くらげは、なのはとフェイトに黙ってそこに行くことにしていた。話せばついてくるだろうし、自分は二人に相応しくないと考えていたからだ。
このことを知っているのは、アースラの一部の人だけだ。
「知ったら、フェイト、悲しむよ。なのはちゃんだって…」
アリシアがくらげに言う。
くらげは、目を伏せて「うん…」と応えると、ベンチから立ち上がって、なのはとフェイトのもとへ歩きだした。
二人とくらげの距離が詰まる。なのはとフェイトは、お互いの手を握っている。
三人は、気恥ずかしそうに笑う。
「ありがとう、くらげ君」
「本当に、ありがとう」
なのはとフェイトは、くらげにそう言った。
「えっと、なんのこと?」
くらげは、何に感謝されているのか、分からない。
「いっぱいだよ」
「全部だよ」
くらげの疑問に、なのはとフェイトが、くらげへ体を向けて応える。くらげは、何に対してなのかは分からなかったが、その感謝の気持ちは伝わった。
「そう…」
くらげは、顔を背けて言う。
なのはとフェイトは、頬を赤く染めて、くらげを見つめていた。
先程よりも沈んだ夕日は、彼女らを後押しするように朱く照らす。
なのはは、少しだけ笑うと、頬を赤らめたまま言う。
「わたし、くらげ君に会えてよかった。だって、このドキドキはくらげ君がくれたものだから。くらげ君、大好きだよ」
フェイトは、顔を更に朱くして言う。
「くらげ君が居なかったら、お姉ちゃんは助からなかった。もしかしたら、お母さんも、私も。わたし、今、凄く幸せなんだ。不幸だった頃があるから、今、凄く幸せなんだ。くらげ君、ありがとう。わたし、くらげ君が好き」
二人は、手を繋いだまま、くらげに言う。
「ねえ、くらげ君」
「くらげ君」
そして、二人の声が重なった。
「『わたしのなまえをよんで』」
くらげの顔が耳まで真っ赤に染まる。その告白が、気持ちが、言葉が、くらげの心に響く。
そして、それがとても嬉しくて、嬉しすぎて、くらげは目に涙を溜めた。
くらげは口を開こうとする。まずは、自分を見捨てなかった、なのはの名前を。
だが、
「くらげ君…? 最初に呼ぶのはわたしの『なまえ』だよね…?」
それを、フェイトが止めた。フェイトは、瞬きをせずに、くらげを見つめる。
「一緒に住んでたんだから、当たり前だよね?」
フェイトの見開いた目が、くらげを見る。
くらげは微かに震える自分を体に抑えながら、フェイトの名前を呼ぼうとする。
だが、
「くらげ君? わたし方が先に会ってるもんね? わたしの家で婚約の話もしたもんね? 先に呼ぶのは、わたしの『なまえ』だよね?」
なのはがそれを止めた。
なのはも目が見開いており、瞬きをしていない。
くらげの体の震えが大きくなる。
なのはとフェイトの手は、既に繋がれていない。
「フェイトちゃん、順番は守ろう? 私が最初で、フェイトちゃんは後」
なのはは、そう言いながら、バリアジャケットを装着して、金属製の杖をフェイトに向ける。
ガチリ、と金属が擦れた音がする。
「なのは、なんで分からないの? 私が最初なのは、当たり前なのに」
フェイトもバリアジャケットを装着し、金属製の杖をなのはに向ける。
ジャキリ、と鎌が組み上がる。
二人はそのまましばらく睨み合っていたが、同時に軽く息を吐くと、そのまま、くらげに体を向けた。
また、二人の声が重なる。
「『わたしのなまえをよんで』」
ヒィッ、とくらげの口から悲鳴が漏れ、思わずその場に座り込む。
くらげの目の前には、バリアジャケットを装着して攻撃態勢を整えた、なのはとフェイトが立っている。
二人の後ろから照らす夕日は、そのバリアジャケットを血のように朱く染める。
くらげのなかで、なのはとフェイトへの気持ちは繋がってしまっている。どちらかを選ぶことなど、できない。
それに、今はどちらかを選べるような状況ではない。
誰よりも弱いくらげが、戦闘態勢の二人と相対するなどできるわけがない。逃げることすら、叶わない。
1秒間だけ二人のデバイスを消しても、1秒間だけ認識できなくしたとしても、少し早く動けたとしても、この状況から逃れることはできない。
もし万が一、この危機から脱することができたとしても、こんな二人に黙って別の世界に移り住んで、果たして居場所を隠して生きていけるのか。この二人を前に、クロノは黙っていることができるのか。居場所がばれた場合どんなことになるのか。
くらげはそんなことを考えながら、兎に角、今この場から逃げるためのスキルを使わなければ、と思った。
だから、つい、思わず、そのスキルを使った。
「『かわいい子には苦労をさせよ』《トラブル・トラベル》」
くらげの視界が歪み、なのはとフェイトから見るくらげも歪んでいく。
くらげは、自分が口にしたスキルに驚き、声を上げた。
「あ、ち、違う! そんなつもりじゃ!」
その声は、くらげがこの世界で発する最後の声になった。
なのはとフェイトの前に、くらげは、もういない。いや、この世界に、もういない。
「くらげ君…?」
最初にそう呟いたのは、アリシアだった。
「うそ、なにこれ、嘘だよね? クロノ君!」
アリシアはクロノの肩を揺らしながら言う。
「いや、今調べたが、この周辺にくらげ君はいないようだ…、話には聞いていたが、これが彼の次元移動の能力か…」
顔を驚愕で染めたクロノはそう呟く。
「アリシア、これは…」
「うそ! だって言ってたもん! 移動する次元は選べないって! それって…」
アリシアは泣き崩れる。
「まだ、何もお返しできてないのに、全部これからだったのに」
ユーノとアルフも唖然としたまま、くらげが居た場所を見つめていた。
なのはとフェイトは、二人でブツブツと何かを呟いている。
クロノはそれを見て、精神的に不安定になっていると判断した。そして、二人に近づくと言った。
「二人とも、気をしっかりと持って」
だが、そうではなかった。
「フェイトちゃん、バインドするべきだった?」
「ううん、なのは、それじゃ駄目。多分、スキルを使わせないように口を塞がないと」
「でも、前にわたしの家で、無言で使ってたような感じもしたんだけど」
「じゃあ、そんなスキルがあることを記憶から消去する方法を」
クロノは、なのはとフェイトのその会話に割り込む。
「ちょ、ちょっと待て! 現実逃避したい気持ちは分かるが、くらげ君は、もうこの世界には…」
けれど、二人はそれになんともなしに応える。
「違うよ、クロノ君」
「そう、違う」
二人の応えに、混乱するクロノ、その場所に、アリシア、ユーノ、アルフが集まる。
「二人とも、くらげ君が居なくなって、悲しくないの?!」
アリシアが叫ぶ。だが、やはり二人は淡々と応える。
「悲しくなんかないよ」
「うん、悲しくない」
アリシアは、二人の応えに驚く。そして、次の言葉にも。
「だって、くらげ君は戻ってくるよ。だから、戻ってきた時に、逃がさないようにしないと」
「うん。絶対戻ってくる。そう、遠くないうちに。だから、次は逃がさない」
なのはとフェイトのその力強い目は、クロノの方を見てはいたが、別の何かに視点を定めていた。
クロノはどうにか問いかける。
「でも、そんな確証は…、なんで、そんな風に…」
それに、なのはとフェイトは満面の笑みで、同時に応えた。
「『女の子の感』」
こうして、くらげはまたもや別の世界へ旅立った。
次なる世界は妖怪、人外が住む世界。忘れ去られた何かがある世界。その幻想の中で、くらげは何を見るのか。
それでは二つ目。
東方紅魔郷編、開幕。
以上、リリカルなのは編、終了です。
最初にリリカルなのは編最終回のタイトルが決まったので、いっそのこと全部テレビのタイトルをもじろうと思って、書いてみました。
ところどころ、当初考えていた流れとは変わってしまいましたが、むしろこっちの方がいい良かったような気もしています。
次回からは東方紅魔郷編です。
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