灰色少女は愛を求めて   作:なよ竹

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第一話 灰色少女とダイアゴン横丁

 イギリス北西部にある森に囲われた丘。

 そこには小さめの屋敷が建てられているのだが、その存在を知るものは付近の農村には皆無だった。

 それもそのはず、森には熊をはじめとした猛獣が住んでいたし、屋敷にたどり着くまで行軍するにしても、村を出たときには黄金の陽光を落としていた太陽も、すっかり厚い雲に追いやられるためだ。

 そうすると深い霧が立ちこめてしまい、あたり一面は真っ白で、まさに一寸先は闇。

 やがて霧雨が降り出すと、手足が凍えるほどに寒さが増す。

 そして自然の静かな脅威から抜けたとしても、何者も屋敷に入ることができなければ、見ることも叶わない。

 そういった理由(ワケ)で長年、この屋敷周辺にはマグルが立ち入ったことなどなかったのである。

 

 理由は単純、この屋敷こそが闇祓い訓練生のための施設なのだから。

 魔法省のように本来の施設が地下に設置されているため、見かけよりずっと広い。魔法学校にあるような基本設備をはじめとして、魔法を行使するための広場や、決闘場に仮想実戦のための擬似街道。シャワールームにフードコートといった休憩室もあり、一種のアリーナとして稼働している。

 

 ――バシリ、バシリと。

 とあるフロアの廊下に、一定のリズムで破裂音に近い音が鳴り続ける。

 音の発生源は、気まぐれな闇祓いが時折使っていく程度の、だれかの趣味で増設されたとしか思えぬトレーニングジムだ。

 魔法使いはその名のとおり魔法を使うのが本懐なのだから、身体を鍛える者はごく稀だった。

 おおよそのことが魔法で片付くのだし、そもそもマグルのようにトレーニング技術が発展しておらず、保守的な魔法使いは未知のものには手を出したがらない。

 

 しかしそれは魔法を使えることが前提なのだから、ジムの使用者にそれは当てはまらないだろう。なにしろサンドバッグに鋭い蹴りを放っているのは、齢十歳ほどの杖も持たぬ幼い子供なのだから。

 

 一見して、性別の判断に困ってしまう中性的な容姿だ。上下のインナーが女物であることで辛うじて答えを察せられると、華奢で可愛らしい少女だと誰もがようやく評することができる。

 やや跳ね気味の灰色の短髪。大きくありながら鋭さを失わぬ、髪と同じ色合いの綺麗な瞳。子供ながらしなやかさを得た四肢も合わせると、彼女はどこか狼のような雰囲気を感じさせた。

 

 そんな彼女が蛇のようにしなる蹴りを放ち、小気味いい音を響かせている。

 ピンクのツンツンしたショートヘアの女がそれを片目に、ジムの片隅で見守っていた黒人男性の横へとやって来た。

 

「よっ、キングズリー。あの子の調子はどう?」

「トンクスか。ああ、順調だとも。すこぶるな」

 

 キングズリーがトンクスと呼んだ女を見ることなく、深みのある声で返す。

 

「こうして見てやるのも六年目だが、あの子の頑張りが衰えたことなんて見たこともない。君もたまにサボるのを止めてそれくらい頑張ってくれるなら、こちらとしても助かるんだがね」

「や……あっははは、前向きに善処しながら検討してみるよ」

「同時に政治家になることも考えておいたほうがいい」

 

 しがない訓練生のトンクスは舌を出しておどけてみせ、それにはベテランの闇祓いであるキングズリーも思わず呆れるほどだった。

 このまま小言を積もうと暖簾(のれん)に腕押し。

 キングズリーは諦めて、腹の底に落とすような息を吐く。

 

「私はもう中年に差し掛かっている。だから学生時代など遠い昔の話だが……」

「そうだね、過ぎ去った青春と髪の寂しさがありそうだし」

「髪は関係ないこれは剃髪だからな。……ごほん、話が逸れたが、去年までホグワーツに通っていた君から見て彼女はどうだ?」

「んー、と」

 

 二人の視線が再び少女へと向いた。

 トンクスも少女との付き合いは一年と長く、男所帯の闇祓い局だからか同性としてすぐ仲良くなれた。

 それ以上の時間を一緒に過ごしているキングズリーは言うに及ばず、トンクス以上に少女を知っている。

 

「まっ、主席は確実かな」

 

 だからこそ、あっけからん様子で告げられた言葉に、キングズリーがこれといって反応を見せることはなかった。

 

「いやもう、学校始まる前に教わること全部覚えてるからね、彼女。六年間ずっと勉強と訓練だけしてたんでしょ?」

「それをあの子は望んだからな」

「でもね、子供を一度も遊ばせたことないのはマジで引いた。チェスはルール知ってても駒にすら触ったことないなんてさ。昨日なんて、トランプの存在すら知らなかったんだよ?」

「……それが仕事が恋人な男たちの限界だったんだ」

 

 その点は後悔してもしきれないと、キングズリーが目を逸らしながら答える。

 最初はただの気まぐれだった。

 養父にくっついて闇祓い局に入り浸るようになった少女に、だれかが仕事の合間に勉強を教えていた。

 少女は聡い子供だった。そして手のかからない、泣き言一つ口にしないよくできた子供だ。

 自分たちはそれに甘えすぎたのだろう。

 ふと気付けば、子供には過剰なほどの知識と技術を吸収していたのだ。

 

「学業はうまくいっても、ほかのことまではどうだろうね」

 

 トンクスは持ってきた羊皮紙の手紙をヒラヒラと揺らす。

 それには獅子、穴熊、鷲、蛇のデザインが描かれていた。

 

「早いものだな。あの子ももう十一歳か」

「それもハリー・ポッターと同じ学年でね」

 

 キングズリーが深くうなずく。

 数々の戦いを切り抜いてきたからこその重みを(たた)え、いまだに経験のないトンクスでは彼の内心を読み取ることはできなかった。

 

「――シア」

 

 それからキングズリーは少女が一歩進むよう背中を押すために、決められた回数の蹴りを終えてこちらを伺う子供の名を呼んだ。

 

 

 ◆

 

 

 シアは、運動するのが好きだ。

 動いているときだけは嫌なことを忘れられるから。

 胸の奥にしまっていた不快なモノが汗と一緒に流れる快感は筆舌に尽くしがたく、たとえまやかしだろうと体力の続く限り味わってたいと常日頃から思っている。

 特に、いまやってるような体術だ。

 細く鍛え上げられた身体をバネのように弾かせ、シアはリズミカルにサンドバッグを蹴り続ける。

 

「――シッ」

 

 バシッ、と。

 かなりいい音が出たことで、シアがわずかに頬を緩めた。

 

 シアはカラダを最低限隠すだけの簡素な黒インナーの上下を着ており、むき出しの腹や腕、脚などが汗で濡れてより一層白さを際立たせている。

 華奢で繊細な体躯は未発達ながら美しくも儚げで、ともすれば触れただけで壊れてしまうガラス細工を思わせる。日の光を浴びたことのないような白い肌は弱々しい印象だが、実際には想像以上に頑丈で引き締まっていた。

 毎日毎日、こうやって運動しているおかげだ。

 養父には迷惑をかけてしまった。

 シアはこの場所を使わせてもらうために、否、闇祓いたちに鍛えてもらうためだけに、生まれて初めてワガママを言ったのだから。

 

 変身術はトンクスから、呪文学とマグル学、魔法史はキングズリー、魔法薬学と薬草学はドーリッシュ、魔法生物飼育学と天文学がウィリアムソン、数占い学と古代ルーン文字学をガウェインに。そして闇の魔術に対する防衛術を、スクリムジョールをはじめとした闇祓い全員から。

 

 シアは六年間、遊ぶためなどの自由時間すべてを犠牲にして、これから行くことになるホグワーツの教科のほとんどを、すでに最終学年までの課程まで教わっている。

 そのおかげか、特に魔法薬学などの杖を使わぬ教科には密かに自信があった。

 

 シアはただ価値が欲しかった。

 揺るがない、自分だけの価値が。

 それさえあれば不良品(ゴミ)として捨てられることもなく、幼い頃の忌まわしい生活に戻らなくて済む。皆が惜しみのない愛情を注いでくれる。そう信じていたからだ。

 

 その点、闇祓い局局長の養娘という価値は足枷になるとわかった。

 シアは闇祓い局に入り浸るようになって良いことも多かったが、反面、大人の汚れた部分もよく知っていた。

 養娘という色眼鏡だけで見てきたかと思えば、シアの才能を知ると、途端に嫉妬の感情からひがむようになる。

 子供ではない。

 大人が、だ。

 それくらい奴隷時代に理解していたためさして驚きはなかったが、気を揉んだ養父はいつもシアを自分のそばに置いて守ろうとしてくれた。

 あの時の歓喜ほど、身を痺れさせたことはない。

 なにしろそれは――シアがまだ使える存在になれるのだと、養父は考えてくれたのだろうから。

 

 おかげで養父の二つ名のひとつに“子連れ獅子”がついたのは余談だろうか。

 シアという小さな狼を連れ歩く、大きな大きなライオンである。

 

「シア」

 

 五十回ほど蹴り終えてキングズリーからの指示を待っていたが、呼ばれたことで小走りに彼のもとへトコトコと駆け寄る。

 それから、あどけなさそのもののような、子供特有の甲高い声で尋ねた。

 

「どうしたんだい、キングズリー。今日はもう終わりだったかな?」

 

 背伸びして大人の真似をしているような、声音に似合わぬ落ち着いた口調。

 そのアンバランスさは灰色の瞳にも宿っており、理知と無邪気さを混ぜ合わせたような光を帯びている。

 まるで幼い子供の内面を無理やりにでも大人にしたようだ。

 

「ああ、クールダウンをして今日の鍛錬は終わりだ。それとこれからの予定も、すべてキャンセルしよう」

「?」

「トンクス、手紙をシアに」

「はいどうぞ! 子供ならみんなが憧れるホグワーツからだよ」

 

 キングズリーから受け取ったタオルで汗を拭きながら、シアはその封筒を見てすべて察する。

 すぐに封を開いてみると、入学許可証と必要な学用品のリストが出てきた。

 

「ああ、魔法学校からの」

 

 シアが思い出したように呟いた。

 へえ、と冷めた態度の十歳児に慌てるのはトンクスだ。

 

「あれっ、嬉しくないの? 私だったら君ぐらいの歳だと狂喜乱舞してたんだけどなぁ」

「ん、確定事項だしそんなにはね」

「うっわ、聞いたキングズリー? なんて可愛げのない返事」

「それは君が昨日から何度も、『明日手紙届くかな? かな?』とシアよりもそわそわしてたからだろう」

 

 たとえそれ抜きだとしても、シアは子育て経験のない男連中がよってたかって育てたのだ。そりゃあ嫌でも徹底した現実主義者(リアリスト)になるというものだ。 

 まあ、シアの過去もそれにひと噛みしているのもたしかだろうが。

 

「それじゃあ今日ワタシは、ダイアゴン横丁まで買い物にいくのかい?」

「ああ。だが私はこれから、マグルの首相と護衛の打ち合わせだ。付き添いには今日の訓練を免除するトンクスに頼もう」

「よっし、キタ!」

 

 厳しい訓練がないことにガッツポーズを取るトンクス。

 だが次のシアの言葉でキングズリーとともに固まることとなる。

 

「……お義父さんは?」

 

 闇祓いに揉まれに揉まれたとはいえ、シアは本来ならば十一歳の少女なのだ。

 

「局長は多忙のせいで書類に封殺されている。できるならば今度埋め合わせをしたいと、伝言もある」

「そう……」

「やっ、シア? 悪いのは……そう! こんな時期に仕事いっぱい持ってきたファッジだからね? ちゃあんと私が楽しくエスコートしてあげるって!」

 

 トンクスに慰められたことでシアはうつむいていた顔を上げ、花咲くような笑みを浮かべた。

 

「ありがとう、トンクス。礼を言うよ。それでもキミは付き添いに来てくれるからね。たとえそれが訓練をサボるためっていうクソ最低な口実でも、ワタシ嬉しいよ!」

「わぁお、息するように上げて落とされたぁ。でもホントのことだから反論できなーい」

 

 もはやこんな軽口も慣れたもので、最後に二人はクスッと吹き出した。

 それにキングズリーもほっとしたのか、苦笑を浮かべながら口を開く。

 

「そういうわけだ。すでにグリンゴッツからは十分な金をおろしている。遅くなっても、昼前には行くように」

「わかった。トンクスが露店のものをひっくり返さないように見張ってるよ」

「いやいや、さすがにそんなド派手なことやらないよ? うん、二人して生暖かい目をしないしないで? やめて。ちょっ、ホントやめてそんな目で見ないで!?」

 

 談笑しながらも、シアは心の内で思う。

 やはりこの場所だけが自分の居場所なのだと。

 そして早くできねばならない、常時使っている開心術に頼らず、人間の心を知ることを。

 “愛”というものだけはなぜか、いまだにシアは理解することができなかった。

 

 

 ◆

 

 

 ダイアゴン横丁。

 そこは魔法使いや魔女が必要とする、ありとあらゆる魔法道具が売られている横丁だ。

 漏れ鍋の裏庭にある壁の特定の煉瓦を杖で叩くと、ちょうどそこに入ることができる。

 

 シアにはもう見慣れたもので、鍋を売ってる店もあれば本や魔法薬の販売店、いくつかの食品店や箒を売ってる店などを通り過ぎていく。

 最初にシアたちが入ったのはマダム・マルキンの洋服店だ。

 

 この時間はあまり混んでないからと選んだのだが、どうやら先客がいるらしい。

 おそらくマグルなのだろう。魔法界ではあまり見ない服装のボサボサな茶髪の少女がいる。まあ服装というのなら、シアも動きやすいマグル製のシャツにジーンズを着込んでいるのだが、茶髪少女の両親もマグル製品に身を包んでいるため判断は間違っていないはずだ。

 

「おや、ミス・トンクス。あなたも来ていたのですか」

「うげっ、マクゴナガル……!」

「淑女だというのにはしたないですよ。貴女も闇祓い候補生なのですから、普段から落ち着きを持ちなさい」

 

 そしてトンクスのように付き添いらしい、ひっつめ髪と四角い眼鏡が特徴の老魔女がいる。おそらくホグワーツの教員だろう。魔法を知らぬマグル家庭に入学を説明する場合、学校教員が手続きからなにまで関わると聞いたことがある。

 トンクスは彼女が苦手らしく、苦言を呈すマクゴナガルに頬が引きつっていた。

 

「貴女がいるということは、やはり彼女が……」

「はじめまして、シア・マルシアンです。以後お見知りおきを、先生」

「ええ、こちらこそ。ホグワーツの副校長を兼ねて変身術を教えているミネルバ・マクゴナガルです」

 

 礼儀正しいシアに微笑みながらマクゴナガルが自己紹介した。

 なるほど、厳格で公正だがまっとうな相手にはしっかりを答えてくれる人間のようだ。

 シアはそう分析して、この人の前では規則正しい姿でいようと決める。

 

「あら、新しいお客さんね。さあさ、こっちに来ないさいホグワーツの制服でしょう? すぐに寸法してあげるから……っと。ええと、坊ちゃん?」

「一応、女です」

「あら失礼。じゃあこっちの台に乗ってね」

 

 シアは確認を取るためにトンクスを見た。

 

「(どうする?)」

「(とりあえずタスケテ。アイス奢るから)」

「(あっ、そういえばワタシが楽しみにしてた冷蔵庫のアイス食べたの……キミだったね)」

「(オワタ)」

 

 シアはアイコンタクトの末、マクゴナガルにくどくど説教されているトンクスを見捨て、店主の使う魔法の巻尺に身をゆだねた。

 

「あなたもホグワーツの新入生? わたしもなのっ」

 

 隣で腰をメジャーで測られている茶髪少女が話したそうにうずうずしていた。

 

「ん、そうだね。ワタシはシア・マルシアン。これから学友になるんだし自己紹介くらいしないとね」

「あっ、ごめんなさい。ハーマイオニー。ハーマイオニー・グレンジャーよ。マグル出身なの。あなたは?」

「育ちは魔法界さ」

「そう、魔法界! 最初にフクロウが手紙を運んできたときはとても信じられなかったの! マクゴナガル先生から話を聞いても、本当に魔法を見せてくれるまで半信半疑だったわ。それに魔法があるって知っても、ダイアゴン横丁に来てから驚かされっぱなし! 高級クィディッチ用品店なんて見た? 絵本にあるみたいに箒が本当に空を飛んでるのよ? 身近な場所にこんな素敵な場所があるなんて知らなかったわ。お父さんとお母さんにお願いしてホグワーツの生徒になれたのは……本当に! 幸運だったと思うの!」

 

 このままマシンガントークバトルでもできそうな言葉の連射には、流石のシアといえど一瞬だけ対応に困った。

 そしてシアは答えようとして。

 

「……ん、キミ、どこかで会ったことがあるかな?」

「え?」

 

 刺激された記憶に言葉を変えた。

 しかしタイミングが良いのか悪いのか、ちょうどハーマイオニーの寸法が終わってしまった。

 

「ハイお嬢ちゃんの制服はもう少ししたらできるよ。それまで教科書やらなにやら買ってきたほうがいいわ」

「ふむ、ではそうしましょう。ミス・グレンジャー。次はフローリシュ・アンド・ブロッツ書店に行きましょうか」

「あっ、はい! それじゃあシア、また学校で会いましょう!」

「……うん、楽しみにしてるよ」

 

 それからほどなくしてシアも巻尺から解放され、若干やつれたトンクスと二人で洋服店を出る。

 

「それで、シア。次はどこ行くの?」

「……この時間だと薬問屋や鍋屋かな。杖は最後でいいとして、その前に書店。お昼を食べてから他の店を全部まわろうか」

「おーいおい。なんだか元気がないぞぉ? あのハーマイオニーって子に口説き文句言っちゃって、もしかして惚れちゃった? あるよねー、そういう一目惚れ」

 

 トンクスがにやにや笑いながら肘をシアの頭に乗せてくる。どうやらマクゴナガルにコテンパンにされた傷心を、シアをからかうことで癒そうとしてるのだろう。

 しかし相手がシアという時点で傷をえぐる結果になると思い至らないあたり、トンクスの迂闊さは闇祓いとして致命的だった。

 

「気安い性格のせいでだれとも友達以上の関係になれなかったのに、よく恋愛に関係することを我が物顔で言えるよね。あ、ごめん。もしかしてワタシが子供だからって、見栄を張りたかったのかい? 気の利いたことを言えずすまないね」

 

 撃沈したトンクスを置いてシアが横丁を歩いていく。背後で『違うし、周囲がすぐカップル作るからフリーを見つけられなかっただけだから……というか私年上趣味だから同世代なんて……』という暗いつぶやきはたぶん幻聴だ。

 

 しかしハーマイオニーとその両親を見てから記憶が疼く。

 彼女たちがマグルならば、ほとんど魔法界に缶詰だったシアとの接点がないはずなのに。

 ならば、どこで見たのか。

 ……忘れ去りたい記憶のなかにでも、その答えがあるのだろうか。

 

「くだらない」

 

 シアはすぐにそう吐き捨てた。

 もう昔とは違う。

 弱者として蹂躙されるだけの人生は変わったのだと、自分で自分を納得させる。

 シアが探しているのはあの時から焦がれていたもので。

 

 ふと足を止めると、店の隙間から入れる路地裏の先で若い魔法使いと魔女が唇を重ねていた。

 子供らしく頬を赤らめるでもなく、澱んだ灰色の瞳でじっと見つめていると、それに気づいたのかキスをしていた二人は恥じ入るようにそそくさと去っていった。

 

「トンクス」

「なぁに?」

 

 誰もいなくなった路地裏を見ながらシアが質問しようとしたところで、はたとある事実に気づいた。

 

「あ、ううん、ごめん。なんでもないよ」

「いやいや、そう言われると気になるんだけど。ほら、遠慮せずに言いなって。お姉さんがドンと受け止めてあげるからさ」

「いや、キスしたこともなさそうなキミに訊いてもさ、ホントどうしようもないんだ」

「オゥフッ、受け止めるにしても凄いヘヴィな内容ブッ込んでくるね!? というか、キ、キスくらいしたことあるし! ……ちょっ、やめて、ホントやめてその可哀想なモノ見る目!」

 

 シアは受け流すだけで、質問の続きを言うことはなかった。

 その後、二人は昼の休憩を挟んでから、書店まで揃える道具をすべて購入していった。

 

 あとは杖だけとなり、シアたちはオリバンダー杖店まで足を運ぶ。店内はかなり狭く、埃っぽいショーウインドウのせいで入る前からみすぼらしさを想像させたし、実際そうだった。壁という壁に杖が入っているであろう細長い箱がなければ、どこぞの廃屋と紹介されても信じてしまいそうだ。

 トンクスがベルを鳴らすと、店の奥から痩せぎすの老人が姿をみせる。

 

「いらっしゃいませ。本日はどういったご要件で?」

「この子の杖を見繕ってもらいたいんだ。ほら、ホグワーツの新入生だから」

「ええ、ええ、あなたもまた新入生としてこの店にやってきたことがありますね、トンクスさん。紫檀に不死鳥の尾羽、24センチ。ノリがよく、変身術に最適。……できればそこから動かないでいただきたいのですが」

「あの時は棚を引っ倒して悪かったって!」

 

 店主、オリバンダーの目がシアに向けられた。

 

「これはこれは、たしか……シア・マルシアンさんですか。新聞で拝見させて頂きました。ではマルシアンさん、杖を選びますが杖腕はどちらですかな」

「ん、右だね」

 

 オリバンダーが取り出した巻尺はマダム・マルキンのものより年季があった。

 それがシアの肩から指先、手首から肘、肩から床、膝から腋の下、頭周りとあらゆるところをしつこいくらいに測っていき、それを終えるとオリバンダーはひとつの棚から杖を取り出す。

 

「マルシアンさん。オリバンダーの杖は一本一本、強力な魔力を持ったものを芯に使っております。一角獣ユニコーンのたてがみ、不死鳥の尾の羽根、ドラゴンの心臓の琴線。一角獣ユニコーンも、不死鳥も、ドラゴンもみなそれぞれ違いますので、オリバンダーの杖には一つとして同じ杖はない。もちろん、他の魔法使いの杖を使っても、決して自分の杖ほど力を出せないのです」

「……杖が、持ち主を選ぶから」

「その通りです。はじめて正解されたので心が震えております」

 

 冗談めかしにそう言いながら、その割には心極まった様子で取り出した杖をシアに持たせるオリバンダー。

 

「マホガニーにドラゴンの心臓の琴線、29センチ。荒々しいが忠実」

 

 しっくりこないとシアが思ったときには、すでにべつの杖に持ち替えさせられた。

 目にも見えぬ早業である。

 

「桜に一角獣(ユニコーン)のたてがみ、24センチ。軽くて振りやすい」

 

 力のない光がふよふよと杖先から出た。

 これでは駄目だ。

 オリバンダーもそう考えたのか、すぐにまたべつの杖をシアに掴ませる。

 

「黒檀に同じく一角獣(ユニコーン)のたてがみ、25センチ。騎士のように主人を守る」

 

 それからいくつかの杖を試しても、シアに合うような相棒は見つからなかった。

 最後に持ってきた杖も不適だとわかると、オリバンダーはしばらく考え込むようにうつむき、さらに奥にある棚からかなりの年代物、言葉を変えればめっちゃボロい箱を持ってくる。

 

一角獣(ユニコーン)のたてがみ、不死鳥の尾の羽根、ドラゴンの心臓の琴線……。それがもっとも素晴らしい杖の芯ということで、あらゆる木は使えども、この三つの芯以外の杖を私は作っておりません。まあ、変わり種も悪くはないのですが、グレゴロビッチの作は独特で、ええ」

 

 語りながらも、オリバンダーがそっと箱の蓋を開けた。

 こびりついたホコリが舞って、窓から入り込んだ夕日を反射してキラキラと輝き、これまで安置されていた杖を引き立てた。

 

「五代前のオリバンダーが作成した杖ですね。アカシアにキメラの血晶、30センチ。非常に気高く、とても優秀とされていた作成者が唯一遺すこととなった作品です」

「キメラ……」

 

 使われている材質に眉をひそめ、シアは躊躇するように伸ばした手を彷徨わせていたものの、オリバンダーが杖を握らせると、これまで眠っていた力を解放するように杖先から魔力の波動をドッと吐き出した。

 

「この杖はあなたを主人と認めたようですね」

「…………」

「あなたがかつて動物との間でどのようなことがあったのか、それは私には知りえないことです」

 

 珍しく難しい顔で杖を見ていたシアが顔を上げる。

 

「ですが、いまこの時から杖はあなたの仲間であり相棒である。それを忘れないでいただきたい。第三者である私から言えるのはこれくらいのものですが」

「……ん、ありがとう。代金は?」

「九ガリオンとなります」

 

 オリバンダーに金貨を手渡し、シアたちは店を出た。

 

「あー、どうする? フローリアン・フォーテスキュー・アイスクリームパーラーにでも行く? 年上の私がおごってあげるよ」

「……ん、だいじょうぶ。気を遣わせて悪かったね」

 

 むっとした様子でトンクスがシアの髪をくしゃくしゃにかき回した。

 頬もふにふにと揉まれたあたり、そんなにひどい顔をしていただろうか。

 

「生意気だぞ、子供のくせに」

「トンクスもそう変わらないのに?」

「こういう時くらい揚げ足取らなくていいって。ほーら笑えー、こちょこちょこちょ~」

「うひゃっ!? や、やめっ、んぅっ……!」

 

 さすがにシアでも不意打ちには対処できず、悩ましげな声を上げながら身をよじることとなる。

 シアがようやっと解放されたときには頬が蒸気して、間違っても笑うことなく、困ったような顔になっていた。

 

「ほら、子供はなにも考えないでいまを楽しんでればいいんだよ。青春だよ、青春。ウチの局長に拾われてから、ずっと遊んでなんかないんでしょ? だったら余計なこと考えないで、これからの学生生活を楽しみなよ」

「よく、わからないな」

 

 遊ぶことより重要なことがシアにはあるのだ。

 そんなことなどしてる暇がない。

 

「気分転換もいいモンだよ? これまで散々悩んでたのに、フッと答えが出るときもある。シアがなにで困ってるのかわからないけどさ、案外そんなモンでわかるんじゃない?」

「……それでくすぐられた理由にはならないけどね。いいこと言ってうやむやにしないでほしいな」

「あっははは、悪かったって。じゃあ最後にあそこ寄ろっか。私からの入学祝い」

 

 トンクスが指さした先には魔法動物ペットショップがある。

 やはりモノでうやむやにされた感が否めないが、強引に引かれる腕は振りほどく気になれなかった。

 

『腹減ったよぉ、もうちょいエサ増やしてくれよぉ』

『買ってくれ! ウチを買ってくれ!』

『うるさいまぶしいさわがしいっ』

『ちょっとアンタっ、こっちのカゴにマーキングしてくんな!』

『最初から最後までクライマックスだぜ!!』

『お前たちに足りないもの、それは! 情熱・思想・理念・頭脳・気品・優雅さ・勤勉さ! そしてなによりもォォォオオオオッ!! 速さが足りない!!』

 

 この店にシアはあまり来たことがない。

 理由は単純、うるさいから。

 シアのこの動物の言語を理解する能力、蛇語使い(パーセルマウス)ならぬ動物語り(ディルマウス)というのだが、それのせいで犬猫がワンワンニャンニャン鳴くよりもよっぽどうるさく感じられるようになってしまうのだ。

 そのためまともに足を踏み入れるのは今日が初めてだった。

 

「できるだけ高いヤツを買うとするよ」

「あっははは、さすがに訓練生の初任給なんてタカが知れてるからね。やっぱ経費で……落ちればいいなぁ」

 

 さすがにシアも、財布と相談し始めたトンクスを追い詰めるほど鬼畜ではない。

 自分の頭でトンクスが損したと思わない程度の金額をはじき出し、どちらもウィンウィンで幸せになれる買い物ができればいいと思っている。けして年端もいかぬ少女の考えではないが、夢見がちになるにはシアの過去は厳しすぎた。

 

「まあ、猫かネズミかな」

 

 ホグワーツで持ち込み許可されているペットはフクロウ、猫、ネズミ、ヒキガエルの四種。

 そのうち、フクロウは学校のものを使えばいいから除外。ヒキガエルの利便性はほぼなし。残りはネズミ、猫と候補が残り、まずシアはネズミのコーナーに足を運んだ。

 

「シアって動物と話せるんだっけ。なんかイイのいる?」

「さすがにそれは話してみないとね」

「それもそっか」

 

 どうせならばなにか特殊能力持ちがいい。あるいは頭が良ければ世話がかからないのだ。

 言動からそれがわかるため、店内の騒々しさに辟易しながら眺めていると、一匹のオオネズミがケースを揺すってシアの気を引いた。

 

「キミはなにができるんだい?」

『おっ、あんた俺らの言葉がわかるのか!』

「それより、キミはなにができるのかな。見たところ能力持ちだけど」

『御目が高いねお嬢ちゃん。――遠からんものは音に聞け、近くば寄って目にも見よ! これが俺らネズミの最高の能力!』

 

 おお、と期待しながらシアが見ている先で、溜めに溜めたネズミが渾身の力で能力を開放した。

 

『――自分の尻尾で縄跳びができる能力!!』

「さーて時間を無駄にしたなぁ」

『オイ待てやコラァ! 結構体力使うんだぞコラァ!』

 

 ネズミにめぼしいものはいないと判断し、今度は猫のコーナーへとやって来た。

 しかしそこでもあまりいい猫はいない。野生と店内生まれの違いだろうか、どうにも平和ボケしててキレがないものが多く、これでは狩るはずのネズミにしてやられそうな感じである。

 だが奥にいた売れ残りらしい二匹の猫にシアの興味が惹かれた。

 オレンジ色の顔面が潰れたような猫と、皮肉屋そうなスラリとした黒猫だ。

 

「うわっ、オレンジのほうすっごいブサイクじゃん! これならこっちの黒猫のほうがいいって!」

「気をつけたほうがいいよ、トンクス。この二匹すごく頭がいいから。……なかなか秀逸な言葉をキミに向けてるけど、聞きたいかい?」

「……やめとく。私の代わりに謝っといて」

「そうしておくよ」

 

 シアは隣あったケースに入れられている二匹と目線を合わせる。

 

「キミたちの名前は?」

『……クルックシャンクスだ』

『オレはないですかね。名無しの黒猫のまま三年もここ暮らしですよ』

 

 澄ましたようにオレンジの猫が名乗り、やはり皮肉っぽく黒猫が答える。

 

「能力はあるのかな」

『自分にはないな。そっちの黒いのにならあるが』

『まあオレのこと店主に訊いても、ただの黒猫って言われますぜ』

「ホントはどうなんだい?」

『……ま、こういう感じでドロンと』

 

 黒猫はシア以外の人間がこの場にいないことを確かめると、能力の一端としてそのカラダを別の物体――エサ用の皿――に変化させた。その次は紙袋、ブーツ、首輪のリードと、様々な物体に矢継ぎ早に化けていく。

 

「自分の体積より小さいものならなんでも化けられるんだ」

『そうですねぇ、あんま細かいのは無理ですけど、大雑把になら』

「ワタシに見せてくれたってことは、買ってもいいってことなのかな」

『そりゃアンタの待遇次第だ。美味いメシ、綺麗な寝床、静かな昼寝場所。それらを斡旋してくれるってんなら、アンタをご主人として認めてやらんでもないさ』

 

 ペットの癖してなんとも厚かましい猫だ。

 しかし頭が良く、さらに機嫌を損ねさせねば面白い能力を使わせられるなど、かなり魅力的であるのもたしかである。

 それに動物はいい。彼らは絶対に嘘をつかないから、人間よりも信用できる。彼らの愛情はいつだって本物なのだから。

 シアはクルックシャンクスに目を向けた。

 

『買うつもりなら、断らさせてもらおう。自分とあなたでは合わなそうだ、利害重視ならそっちと主従になればいい』

「そうかい。じゃあ他に目ぼしいのもいないことだし、キミを買おうかな」

『毎度あり。クルックシャンクス、あんたとはいい会話ができたよ。お先にシャバに出て行くぜ』

『迷惑はかけないようにな。その娘、使えないと判断したら容赦なく捨てそうだ』

 

 長年一緒にいたにしてはかなりアッサリとした猫の別れだ。

 店主に黒猫を買うことを告げるを珍妙なものを見る目をされ、ただ長生きする猫だからと、四ガリオンと五シックルというトンクスがいい意味での笑顔になる値段で取引が成立した。

 店を出るとすでに夕日は傾き、街灯がポツポツと明かりを生んでいる。

 

「今日はありがとう、トンクス。おかげでこの子を買ってもらえたし」

「名前はつけた?」

「ん、そうだね、道化者(ハーレクイン)とでも呼ぶとするよ」

 

 ハーレクインと名付けられた黒猫がシアの腕のなかでニャアと鳴く。

 フローリアン・フォーテスキュー・アイスクリームパーラー。

 そんな長い名前のアイスクリーム専門店に最後に寄り、涼しい店内に入ったシアはほっと息をついた。

 

「シア、もしかして疲れた?」

「ん、いや本当に大丈夫さ。ただ人ごみは苦手でね」

 

 シアはこのまま進めと命令されたら、憂鬱そうな顔になってトボトボ歩いて行きそうな、体力はあっても精神が疲れた状態だった。

 あまり人ごみは好きではないのだ。

 微笑ましい親子、友人と一緒になって駆け回っている子供たち、果ては手をつないで歩く恋人同士。

 まったく理解できないものが多いと、どうも心が疲れる。

 

「じゃあ、アイス食べたらすぐ帰ろっか。シアはなに頼む?」

「そうだね、バニラとストロベリーと……いや、あそこからあそこまでのを全部」

 

 シアは一気に二十種類ほどのコーナーを指さした。

 

『ご主人、さすがに腹を壊すと猫でもわかるぞ』

「そうなれば無理やりトンクスに食べさせられたって、闇祓いのみんなに泣きつくよ」

「なんか不穏な言葉が!?」

 

 店主のフォーテスキュー氏に注文しにいくトンクスを見送ってから、シアはまぶたをゆっくりと閉じる。

 

「“愛”、かぁ」

 

 いくら本で読んでも、わからない。

 親子愛。本当の両親がいないシアにはないものだ。

 友愛。そもそもシアに友人なんていない。

 あとは……恋愛。

 

「…………」

 

 目を開けて、自分によくしてくれるトンクスの後ろ姿を見やる。

 彼女は自分にどういう愛を向けてくれるのだろう。

 そこまでは開心術を使ってもわからなかった。

 

 本当は養父をはじめとした闇祓いたちから、その“愛”を向けられているのかもしれない。けれど、形あるものとして証明されたことがないから、いまだにシアにはおぼろげな存在だった。

 だからせめて自分に価値がある存在だと認めてもらい、一緒にいれる時間を長くしたかったのだ。

 

「ホグワーツに行けば、わかるかな?」

 

 トンクスが笑顔で持ってきてくれたアイスの山に頬をゆるめ、シアは憂鬱になる原因の空腹をなくそうと思った。

 これから行くホグワーツで知りたい“愛”というものについて、しばし考察はやめにしよう。

 スプーンを持ったシアはそう決めた。


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