冷たい綿毛のような雪が降りしきるホワイトクリスマス。
遠くでジングルベルの音色が淡く聴こえ、街全体から浮ついた雰囲気を肌で感じられる。
しかしシアにとっては縁のないことで、固く閉ざされた裏口の扉を背に、雪が覆っている空をじっと見上げていた。
まっすぐに、微動だにせず、時折口元から白い息が上がってなければそれが陶製の置物であると錯覚したことだろう。
『……今度はどうした。また八つ当たりでもされたのか』
シアのそばに寄ってきたのはこの家の
シアにしかわからぬ言葉で、ぶっきらぼうに心配する素振りを見せる。
「だいじょうぶ、慣れてる。ワタシも悪い。仕事に協力しなかった」
ややカタコトな英語は話し慣れてないため。
ぎこちないのは顔を殴られたおかげで声を出すたびに痛いから。
シアは握っていた溶けかけの雪を捨て、目元にある大きなアザに新しい雪塊を押し付ける。
「こっち来て。温まりたい、ちょっと」
『…………』
ドーベルマンは呆れのためにうつむいてから、要望通りに少女のとなりに寄り添った。
薄着の少女、それも五歳やそこらの幼い子供が、寒空の下でどれだけ耐えられるか。
それを強制させている一人と一匹の主人である魔法使いたちはクリスマスディナーと洒落込んでいて、楽しげな歓声が途切れ途切れに聞こえてくる。きっとシアが食べたこともないご馳走を片手に騒いでいるのだろう。
「ワタシ、なんで、声が聴こえる? みんなの、声。こんなチカラ、いらなかった」
シアは生まれつき動物と会話することができた。
猫しかり、フクロウしかり、ネズミしかり。……そして蛇もしかり。生き物相手であれば例外なく意思の疎通が可能だった。
そういう血統らしい。
だからこそ赤子の時に誘拐されたのだ。
ヴォルデモートのもたらした暗黒時代、そういったことはさして珍しくもなく、密猟を生業とする魔法使いたちに売り払われたのがシアだっただけ。ハリー・ポッターが終わらせた時代なのだが、自分を救ってくれなかった英雄のことなどシアにとってはどうでもよかった。
事実、この日までシアはただ利用されるだけの道具として生かされていたにすぎない。
ドーベルマンに嵌められているものと同じ隷属の首輪、それがシアの細首にもあった。
『さぁて、わからんよ。オレは生まれた時から犬だったからな。それに、生まれた時からオマエはオマエだ。オレたちと話せるのも個性のひとつさ』
くあ、と犬があくびをする。
「この目のアザも?」
『なかなかイカしてる。生きてるって証だ』
「……そう」
雪は人を感傷的にする。
これまで一度もこぼさなかった愚痴をドーベルマンに聞かせたあたり、相当参ってきているのだとシアは客観的に分析した。
「あっ」
シアは灰色の髪から雪を払い、アザだらけで変色した右足を引きずって柵の隙間から隣家をのぞき見る。
こうして隠れ家のひとつとして使っているのは、マグル――非魔法族――の街なのだから、当然周囲には一般家庭だって普通にある。
隙間から見えた窓には幸せな一家が見えるのも当然だ。
茶髪の少女がプレゼントを貰ってはしゃぎ、それを温かく見守る両親の姿があった。
『羨ましいのか?』
「……うん」
ドーベルマンも同じように隙間を覗き見ている。
「壊したい。それぐらい、羨ましい」
シアは顔も知らない両親にああして囲まれることを想像してみる。しかし自分を助けてくれなかった相手のことなどどうでもよく、いまいちピンとこなかった。
あの少女の親のように、心の許せる相手が欲しいのだから当たり前か。
シアは互いに信頼できる“愛”を焦がれるほどに望んでいる。
いつだったか、路上で拾った『LIKE or LOVE』とかいう雑誌にそういう記事が書いており、それ以来シアは与えられたことのない愛情に飢えていた。
まあ、こんな奴隷のような生活では望むべくもないのだし、夢見がちな少女が白馬の王子様などいないと気づくように、シアもまたすでに現実に絶望していた。
おかげで幼いながら冷めた思考でそう結論を出し、シアが柵から離れた時だ。
『……騒がしいな』
ドーベルマンが呟いた瞬間、魔法使いたちのいる家から呪いの発射音が幾重にも響いた。
まさか酔って杖を振ったわけではあるまい。性格こそクソだが魔法使いたちはどれも手練で、マグルの街中でそんなヘマをするとは思えなかった。
「――油断大敵! なんだ、わしに呪いを使うか!? とりあえず死ねえぇええええええ!!」
「ちょっ、おまっ、マッド‐アイ!? 生け捕り! 生け捕りですよ!?」
「キングズリーが二人、ウィリアムソンが一人倒したぞ! 手柄奪われるな! 一人ヤるごとにボーナスだぞコラ!」
「……いやもう、マッド‐アイの初撃でそれ以外全滅だけどね」
「それより子供はどこだ? 二階にも見当たらんが……」
言葉の断片しか聞き取れなかったが、おそらく主人である魔法使いたちの犯罪が明るみに出ていたのだろう。ここ最近は羽振りが良くなく、慎重さを失って魔法生物の生息地を荒らしていたのだから。
『どうする?』
「どうせ、逃げられない」
諦めの心境でシアは己の右足をぶらぶら揺らす。こんな足では魔法も使えぬ少女に、不動の選択肢以外なかった。
強制されていたとはいえ、魔法生物の密猟にはシアも関わっている。
もしかしたらアズカバンとやらにでも収監されるかもしれない。
『……だれか来たぞ』
シアを守るよう、ドーベルマンがいつでも飛びかかれる体勢に移る。
しかし警戒は杞憂に終わりそうだった。
裏口の戸が開いて姿を見せたのは一人の男だ。
白髪交じりの黄褐色の髪がたてがみのように見え、顔もライオンに似ており、なんとなく老いたライオンを思わせる容貌である。
彼はシアの姿を見ると悲痛そうな顔になり、白い息は小刻みに揺れていた。
どうして赤の他人である彼がそこまで悲しむのか、シアにはまったくわからない。
男はシアと目線を合わせるように腰を屈めると、様々な言葉を呑み込んで、安心させるようにまずこう言った。
「今日まで、よく生きた。我々は君を助けに来たんだ」
それが後にシアの養父となる、ルーファス・スクリムジョールの最初の一言だった。