炎の吐息と紅き翼   作:ゆっけ’

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4:夢の終わり

「察しの通り、今頃“彼女”は君達の住処に直接出向いている筈さ。僕達がプレゼントした、とても素敵な道具を持ってね。……さて、どうなっているかな。君の大事な仲間達は」

「……っ!」

 

 アーウェルンクスはそう言うと、とても楽しそうにリュウを見ている。悪戯が成功した子供が見せるような顔……と言えば聞こえはいいが、実際はそんな可愛らしい物ではない。つまりはそう、ただの時間稼ぎ。こんな所に呼び出した目的は、リュウを仲間達の元から引き離す事そのもの。恐らくこれは、アーウェルンクスが単独で“彼女”に知らせずに仕組んだ事なのだろう。嫌がらせとは、そういう意味なのだ。

 

「くっ……!」

 

 どうしてだ。仲間を巻き込みたくないと思って誰も一緒に連れて来なかったのに、それがまたしても裏目に出た。言ってしまえば結果論でしかないのだが、それでもリュウは悔しくて堪らない。すぐにでも戻らなきゃ。リュウがガタンと大きな音を立てて椅子から立ち上がると、アーウェルンクスは詰まらなそうに足を組み替えた。

 

「話は終わりか。じゃあ、最後に一つ聞かせて欲しい事がある」

「……」

 

 最早悠長に問答している暇なんてない。こいつの話が本当なら……いや、こんな事をしてまで嘘を言う意味もない。全部真実として間違いないだろう。すぐにスイマー城へ戻らなくては……。

 

 リュウは焦っていた。アーウェルンクスの言う“彼女”がリュウにとって……“龍の民”にとっての最大の敵であるのなら、その龍の民であるリュウと関わりがある仲間達に一体何をするか。……どうイメージしてみても、最悪な想像しか浮かばない。リュウはとにかくまず、店から出ようと歩き出した。

 

「君は一体何故、僕達に敵意を向けているのかな。君の“動機”が、僕にはわからない。……いや、正確にはわからなくなったと言うべきか」

「……」

 

 急いでアーウェルンクスの傍を通り過ぎようとした所で、ピタリとリュウの足は止まった。なぜだ。リュウは自分でも、足を止めた理由がよくわからない。

 

「まさかとは思うけど、君の動機はそのちっぽけな正義感……だなんて言わないよね? そうだとしたら実にくだらない。彼女に対する龍の民の使命だ、と言うならこれ以上は何も言わないが……」

「……」

 

 違う。聞いている暇はない。一言「うるせぇ」と吐き捨てて、ここから出る。そうした方が良いとわかっているのに、リュウは言葉に詰まってしまっていた。戦う理由? 正義感? ……否定は出来ない。リュウは、少なくとも“完全なる世界”がやろうとしている事……その“過程”で戦争を起こすという事は、正しくないと思っている。そして“彼女”に対して使命を感じているだなんて思った事は、一度もない。

 

「……黙っているなら続けさせてもらう。僕がさっき“この世界を完全なる世界に移行する”という話をした時、君は疑問の声一つ上げはしなかったね。普通ならそれが一体どういう意味なのか。まずわからない筈なのに、だ」

「……」

 

 アーウェルンクスが言った疑問を、実の所ボッシュは胸に抱いていた。その通り、全く意味のわからない話だったからだ。しかし自分の相棒は特に反応を示さなかった。つまりその話の意味を知っている。そうわかったから、口を挟む気が起きなかっただけだ。

 

「僕が思うに、君は僕達が何をしようとしているのか。そしてこの世界の“真の姿”……引いては迫る“危機”についても、何故かはわからないが知っているのだろう? なら、“最善の方法”で対処しようとしている僕達や彼女と争う事が、どれほど無意味な事かも理解していると思うんだが……どうかな?」

「……」

 

 リュウは、一言も発さずに再び足を進めだした。質問に対して答えてはいない。そのまま、一度も振り返る事なく店を出て行く。アーウェルンクスは、特にそれに対してアクションを起こす事はなかった。単なる興味本意なだけだったのか、一口も飲まれなかったアイスコーヒーを見て冷たい微笑を浮かべ、湯気の立ち消えた自分のコーヒーの残りを飲み干すのみだった。

 

「……相棒」

「早く、戻らなきゃ……っ!」

 

 店を出て大通りを走りながら、リュウはポケットをまさぐるとフェアリドロップを取りだした。周りに人の目があるが、今はそれどころではない。戻るだけなら飛んで行くより、これを使った方が圧倒的に早く着く。……だが。

 

「!? 反応が……」

 

 掲げてみても、フェアリドロップは動かなかった。振ってみても、魔力を込めてみても、何も起きない。偶然故障した……とは思えない。何故なら先日もこれを使って城へと帰還したのだから。考えられるのは、その他の原因。

 

「どういうこった……?」

「……」

 

 嫌な予感だけが加速する。リュウは城に居るはずのメンバーに……共に修行した仲間の強さに、十分な信頼を置いている。でも……この拭えない不安感は何なんだ。明らかな異常事態。スイマー城で、一体何が起きているのか。

 

「みんな……!」

 

 フェアリドロップが使えない以上、空を飛ぶのが一番早い。リュウは来た道を逆走するように、赤いオーラのセブンスセンスさえも発動させて、全速力でスイマー城へと飛び去った。

 

「え……」

「おい……なんでぇこりゃぁ……」

 

 早かった。一般人が徒歩で一日はかかる距離を、僅か数分という超高速でリュウとボッシュはスイマー城へと戻ってきた。そして二人は、空から“そこ”を見下ろして呆然とした。揃って目の前の状況が理解できず、言葉が出ない状態になっていた。

 

 今見ている景色は一体なんだ? これは何の冗談なんだ? 幻覚? それとも幻術?

 とにかく、リュウ達は自分らの目の方が間違っていると思いたかった。

 

「な……何……これ……」

 

 何度も往復した事のある経路だ。道を間違えたなんて事は百パーセント有り得ない。寄り道もしていない。何かの術を食らったような感覚も全くない。最短距離を、真っ直ぐに飛んできた。筈だ。なのに……

 

 ……そこに、城はなかった。

 

 妖精達が耕していた筈の畑も。暇を見つけては釣り竿をしならせていた湖も。何もない。

あるのは、ただどこまでも広がる平原だけ。

 

「待て相棒、あそこに……!」

「!」

 

 ボッシュに指摘されて目を凝らしてみると……あった。何かが。城の代わりと言うにはあまりに小さい物体が。そこにあって欲しくなかった物体が。リュウとボッシュが急いで近寄ってみると、それは複数の……水晶の様な物で出来た柱だった。そして、その中に……

 

「!!」

「お、おめぇら!?」

 

 リンプーが、レイが、ゼノが……炎の吐息の面々が、そこに閉じ込められていた。スパナを握ったまま難しい顔をしているモモ。こっそりつまみ食いでもしようという姿勢のステン。訓練中らしきガーランドと、ランニングで汗を流しているリン。鍬を振るい上げたままのランド。銃の手入れをしているアースラ。気分良くピアノを弾いているような仕草のタペタ。いつも通りに空を仰ぎ、ゆったりしているサイアス。

 

 透明な水晶の中に、時間ごと切り取って凍りつかせたような出で立ちの、リュウの仲間達が居た。

 

「何だよこれ……。こんなもの……っ!!」

「よせ相棒!」

 

 その氷にも似た水晶から、とにかく仲間を救い出そうと炎の魔法を発動させようとしたリュウ。だがそれを、ボッシュは慌てて止めた。

 

「でも……!」

「よせって言ってんだ! こいつぁ壊れっちまったら、恐らく二度と元には戻せねぇ!」

「っ……」

 

 ボッシュにはわかった。この柱は、リュウの魔法如きでどうにか出来る代物ではない。尋常でないレベルの魔力……いや、魔力と言う枠では収まらない規模の“力”によるモノだ。解除するにしても下手に手を出さず、己の持つ知識を総動員して解析し、冷静に対処しないとならない。ボッシュの中に眠るユンナの膨大な研究記録が、そう警告を発していた。

 

「大丈夫だ相棒。安心すんには早ぇが、見た所死んでる訳じゃねぇ」

「……」

 

 ボッシュの言葉で、リュウは僅かに冷静さを取り戻した。これをやったのは誰か。そんな事はわかりきっている。城が無くなっているのも、コレも……間違いなくアーウェルンクスの言った通り、“彼女”がやったとしか思えない。だが、この場にその主犯者らしき人物の気配はない。どこへ行ったのか。リュウが怪しみながら周囲を伺っていると、ボッシュはこの場にある柱の数が合わない事に気が付いた。

 

「相棒、あのねーちゃんと嬢ちゃんがいねぇぞ」

 

 この場にある柱の数は十一。城に居た筈の、他の人物の姿が辺りに見当たらない。ディースとミイナ。人と言っていいかわからないがマスター。それに妖精達も。

 

「一体……」

 

 リュウがさらに周囲へと意識を向けた瞬間。バチっと、何かが弾ける様な音がリュウ達のすぐ傍の空間から聞こえてきた。咄嗟に警戒し、音の出所に向けてドラゴンブレイドを構えるリュウ。直後、まるで裂ける様な形で空間自体にひびが入り、そこから傷だらけの……細い腕が出てきた。

 

「く……ぅぁっ……」

「し、しっかりしてください! ディースさん! ディースさん!!」

 

 空間の裂け目から這い出るように一人が落ち、すぐにもう一人がそこから酷く錯乱した様子で出てきた。ディースと、ミイナだ。ディースは、目を背けたくなるような悲惨な姿をしていた。血塗れ。双頭の蛇が絡みついた杖は半分が炭化している。自慢の髪は焼け焦げ、片腕は妙な方向に折れ曲がり、全身に酷い傷が見て取れる。

 

「ディ、ディースさん!? 何があったんですか!!」

「うっ……ぁ……? リュウ……ちゃん……」

 

 リュウは即座に二人の傍へと駆け寄ると、血だらけのディースに治癒の魔法を掛け始めた。しかし、とても足りない。あまりの怪我の酷さに、自分の魔法だけでは治癒が追いつかない。無力感に顔をしかめながら翳されるリュウの手に、ディースは息も絶え絶えに縋りついた。

 

「ごめん……ね……リュウ……ちゃん」

「な、何言ってんですか!」

 

 リュウの手に力がこもる。治癒魔法の光が大きくなる。なんだか分からないが死なせてたまるか。見捨ててたまるか。そんな思いが、治癒魔法の効力を大きく上げていく。必死に何かを訴えようとするディースを、しかしリュウは強引に抑えた。

 

「喋らないで! 傷が開きます!」

「おう! 嬢ちゃん! いってぇ何があったんだ!」

「……」

 

 ボッシュから飛ばされた疑問の矢を受け、錯乱していたミイナは震えたまま黙って俯いた。血の気の失せた青白い顔をしたまま、緊張の糸が切れた様にペタンとその場に座り込んでしまった。

 

「な、何も……わかりませんでした……。気が付いたら、お城の中が静かになってて……妖精さん達が居なくなってて……たまたま一緒に居たディースさんが、突然私の手を掴んで……変な場所に逃げて……私を庇って……その後は……何も……」

 

 ミイナは青ざめたまま、ぽろぽろと涙を流していた。怖かったのだ。バルバロイに植え付けられたトラウマが再び顔を出し、何が何だかわからない恐怖に怯え、震えていた。その姿を横目で見たディースは、何かを必死に訴えようとしてリュウの静止を振り払い、言葉を紡ぎだす。

 

「……リュウ……ちゃん。あたし……は、いいから……このコも連れて……早く、逃げ……」

 

 その時だった。

 

「来ましたね……最後の龍の民……」

 

 ――――悪寒。全身の毛が逆立つ。とても柔らかで、人の心に何の抵抗もなく滑り込んで来るような、艶やかな声が聞こえた。リュウは、即座に声の聞こえた方向に振り向いた。

 

「……!!」

 

 薄い桃色の羽衣を纏い、その背に透き通るような純白の翼を携え、この世の全てを慈しむ様な、穏やかな表情を浮かべる女性がそこにいた。長い金髪がそよ風に棚引くその姿。美しい、神々しい、壮麗な、荘厳な、……どんな修飾語や形容詞でも、彼女の容姿を表現するには役不足。俗で陳腐な文字の羅列では表しきれない、その女性が放つ独特の空気。

 

 只一つ。敢えてその姿を言葉で言い表すとするならば。

 そう…………“女神”。

 

「……」

 

 リュウは、この女性に会った事など一度もない。記憶を丸ごとひっくり返して見ても、どこにもそんな事実は無い。でも、何故だろう。ずっと昔から知っているような感覚を、リュウはその女性から受けていた。自然と空いた方の拳が握り込まれる。身体の奥底から、何か黒い感情がうねりの様に沸き上がってくる。まるで全身の細胞の一つ一つにまで刷り込まれている惨禍の記憶が蘇るかのように。

 

 ふと、その女性の足元に彼女が放つ空気とは不釣り合いな物体がある事にリュウは気がついた。場違いにも思えるその物体が何なのか、さして時間も掛からず思い出す。見覚えのある、鎧のような金属の塊は……。

 

「! マスター!?」

 

 女神の足元で、マスターはその機能を完全に停止していた。目の光が消え失せている。リュウの声にも、何の反応も示さない。女神は、リュウが抱えて治癒の魔法を掛け続けているディースに、穏やかな視線を送る。

 

「このような機械に、私の足止めが出来ると?」

「く……」

「もう、無駄な抵抗は止めて下さい。……姉さん」

「……。あんたに……姉だなんて……呼ばれたく……ないね」

 

 ディースは治癒の魔法をかけるリュウの手を振り払い、僅かに回復した力を振り絞って立ち上がった。そして下半分が炭と化して無くなった杖の、残り上半分の先端を女神へと向ける。それを見た女神は、少しだけ悲しそうな表情を作った。

 

「……どうしても、私の言う事を聞いてはくれないのですか」

「あんたの……やり方は……間違ってる」

 

 ディースの魔力が杖の先端に集中し、常軌を逸した力へと変換されていく。全ての魔力を強烈な爆発力に変えて敵を打ち砕く、大魔道士ディースオリジナルの大魔法。制御が難しく未だ完成していない為、便宜的に“スーパーノヴァ”と呼んでいる。

 

「お、おいねーちゃん! そいつぁ駄目だ! よせ!」

「……リュウちゃんと、おチビちゃん……、後は……頼んだよ」

 

 叫ぶボッシュに、ディースは耳を貸さない。強烈な魔力が収束していくソレが、今の傷だらけのディースにまともに扱える訳が無い。では何のつもりでそんな技を使うのか。ボッシュと、そしてリュウは理解してしまった。

 

 ディースは、自爆するつもりなのだ。この目の前に居る、女神を道連れにして。制御不可能なこの魔法を使っても、リュウとボッシュが全力で魔法障壁を展開すれば、この場にある水晶の柱とミイナは守る事が出来るという計算の上で。だが……そんな暴挙を黙ってリュウが見過ごせる訳がない。リュウはディースへと手を伸ばし……

 

「ディースさん止め……!!」

「あんたも……私と一緒に地獄に落ちな! ミリア!」

 

 ……しかし伸ばしたリュウの手は、むなしく空を切った。ディースは真っ直ぐに正面を見つめると、己の全魔力を注いだその光を、女神へと放ったのだ。止められない。割り切りたくないが、どうする事も出来ない。リュウとボッシュは即座に自分達と周囲一帯を包み込む魔法障壁を形成。出来得る限りの魔力を込めて、爆発に備える。

 

「……」

 

 穏やかな表情を崩さない女神の横に、ふわりと杖のような物が浮かんでいた。杖? いや、鍵? 何か、リュウはその物体をどこかで見たことがあるような気がした。そして、ディースの放った光は女神の前に薄く張られた障壁らしき膜とぶつかり……静かに、霧散した。

 

「……!? そん……な……馬鹿な……」

 

 ディースは驚愕した。まさか、全魔力を注いだ自分の大魔法が、傷一つ付ける事さえ出来ないとは思わなかった。今展開された障壁のような物は、単なる魔法障壁のようにしか見えない。まさか、そこまで。そこまで力の差があるというのか。だがそんな分析はもう何の役にも立たない事に、ディースは気付かされた。

 

「残念です……姉さん」

 

 女神が、その白く細い指先をディースへ向けた。ただ魔力を集めて固めただけの光弾が高速で放たれ、無防備なディースへと迫る。

 

「やめろぉっ!」

「!」

 

 しかし光弾はディースに当たる直前で、リュウが振るったドラゴンブレイドによって弾き飛ばされていた。庇うようにディースの前に立つリュウは、とても少年の物とは思えない憎悪を思わせる気迫を顔に貼り付け、女神へ向けている。女神はそれまで纏っていた穏やかな空気を一変させて、まるでゴミを見るような目でリュウを見た。

 

「お前はそこで大人しく見ているがいい。龍の民」

 

 冷たい……とても冷たい声で、女神はリュウへと語りかける。リュウが何をするつもりだと、女神と視線を合わせたその瞬間……

 

「!! か……!?」

 

 突然、リュウとボッシュの身体が硬直した。動けない。何だコレは。何をされた。全身に力を込めてみても、全く動けない。強烈な金縛りか何かのようだ。剣を構えた格好から、リュウは押す事も引く事も、力を発揮する事さえ出来なくなっていた。 

 

「さようなら、姉さん」

「く……!!」

 

 再び、女神の指先が光った。今度は、誰もそれを遮る者など居ない。そして光は……ディースの胸を、真っ直ぐに貫いた。

 

「か……ぁ……」

「イヤァァァ!!」

 

 傍で呆然としていたミイナが悲鳴をあげ、ディースは、静かにその身を大地に横たえた。夥しい血の染みが広がり、草原を紅く染めていく。

 

「ディ、ディース……さん……っ!」

 

 まだだ、まだ今なら息があるはず。俺が助ける。助けなきゃ。リュウは動こうと必死で魔力を、龍の力を燃焼させる。怒りと共に。しかし、どうやっても、何をやっても、身体の自由が利かない。

 

「いやっ! ディースさん! お願い! 返事をして! ディースさん!!」

 

 ミイナは、必死に倒れたディースの傍で弱い治癒魔法を掛けていた。半狂乱になってその名前を呼びかけ続けている。

 

「落ち着きなさい、“ミイナ”」

「!?」

 

 まるで母親が赤子をあやす時のような、慈愛に満ちた女神の声。それに反応して、ミイナは思わず涙に濡れた顔を上げた。城に居たとき、訳が分からない状態の自分を庇ってくれたディース。彼女をこんなにした張本人からの声なのに。ミイナは、心に安らぎさえ感じてしまっていた。

 

「あなたはもう、苦しまずに済むのです。そう、心安らかに……」

 

 パキッ……。リュウの耳に、何かの音が聞こえた。隣に居た筈のミイナは……リュウの仲間達と同様、透明な水晶の中に閉じ込められていた。恐怖と安堵の入り混じった表情のまま、時を止められたかのように。

 

「!?」

「愚かな龍の民に心惹かれた、哀れな人形達よ。大丈夫。あなた達はこの世界から消え、その魂は……龍の民の居ない世界へと旅立つのです」

「!!」

 

 女神は、鍵の様な形の杖をリュウの仲間……水晶の柱へと向けて掲げた。……リュウは、察知した。理解してしまった。女神が何をしようとしているのか。脅しではない。これは宣言。妖精達、マスター、ディースに続いて、ミイナ、そして仲間達までをも……。

 

「う……ぐ……!!」

 

 やらせない。やらせてたまるか。なんとしてでも止める。全身の細胞を沸騰させるように、リュウはドラゴナイズドフォームへと変わろうとして……しかし、この金縛りが龍の力を抑えつけているのか思うように変身できない。焦るリュウの目の前で、女神の持つ鍵のような杖が徐々に柔らかい光を放ち……

 

 ――――何かに罅が入るような、小さな音が聞こえた。

 

「! や、やめろ……!」

 

 違う、今の音は聞き間違いだ。まだ間に合う、動け。いいから動け! 動くんだ!

 

 ――――パキッ。

 

「! やめ……!!」

 

 動け動け! 何で動けないんだ! 早くしないとみんなが! そんなの嫌だ! 動け! 動け!!

 

 ――――バキッ。

 

「! や、やめろぉぉぉぉ!!」

 

 そうして、一瞬の静寂を置いて……

 

 甲高い。とても綺麗で澄んだ音が、リュウの耳に響いた。

 

 ――――水晶は……全て、砕け散っていた。

 

「あ……あ……」

 

 キラキラと輝く、幾多の破片。一斉に。リュウの仲間達が閉じ込められた水晶は、その仲間達ごと砕け散った。動けないリュウの目の前で。女神は、母親の様な穏やかな表情を浮かべたままで。

 

「う……ぁ……」

 

 もう役目は終えたかのように身体の自由を奪っていた呪縛が解け、その場に崩れ落ちたリュウは、呆けた。リュウはこれまでの人生のうち、自らが好意を寄せる者の死というものを体験した事がない。今のリュウの中で、大きなウェイトを占めていた人達との、あまりにも唐突な別れ。それが一度に、複数も。だから、半ば冗談のように思えるこの事実を心が認識するまで、時間がかかっていた。

 

「う……そ……死……んだ……? みんな……」

「“彼ら”の世界……“完全なる世界”に、その魂を移したのです。龍の民の存在しない、安らかな世界に」

「……」

 

 女神の声は、リュウに届かない。

 例え本当に、完全なる世界とやらにその魂が導かれたのだとしても。

 今、現実としてリュウに突きつけられたのは。

 残酷な“仲間の死”。

 それだけ。

 完全なる世界なんて関係ない。

 そんなの……とても受け入れられない。

 

「リンプー……さん……?」

 

 虚空に向けて呼び掛ける。いつもの明るい声はもう……聞く事は出来ない。

 

「レイさん……?」

 

 何だよ、とぶっきらぼうに聞こえたような気がした。それが空耳だとは思いたくなかった。次々と、取り憑かれたようにリュウは仲間の名前を呟いて。そのどれにも、返事はなかった。

 

「……」

 

 もう、みんなは戻って来ない。

 叫んでも、何をしても、取り返せない。

 何でもないような日常も。一緒に過ごした日々も。全ては過去。

 もう、これから先みんなと共に過ごす事は……出来ない。

 

「………………」

 

 ――――リュウの心は、その重さに耐えきれなかった。

 

「…………してやる」

 

 リュウの目から、涙は出てこない。ただ、瞳の奥が燃えるように熱かった。左の腕と足に掛けられていた変装魔法が強制的に解除され、二度と戻らないドラゴナイズドフォームが露わになる。左半身が、右腕が、右足が、身体が、顔が。徐々に半人半龍へと変化していく。それまでのリュウの変身とは違う。血の一滴。細胞の一欠片。DNAの二重螺旋構造の奥底にまで刻み込まれている女神への憎しみが、敵意が、憎悪が、復讐の心が、リュウの意思と同調し、目覚め始めていた。

 

「……殺して……やる……!!」

 

 その何よりも暴力的な言葉と共に、リュウの激憤に満ちた目から一筋の涙が零れ落ち、地面に着く前に蒸発した。リュウは、この体となってから現在に至るまで、一度も「殺す」という言葉を誰かに向けて言った事はない。その言葉が持つ意味を初めてバルバロイと遭遇した時に実感し、なるべくなら口にさえ出したくなかったからだ。だがこの時、リュウの中の感情は、その言葉一色だけに染められていた。

 

「ウ……オオオオオッ!」

 

 ピッと誰の耳にも入らないような音を立て、ドラゴンズ・ティアに一筋の罅が入る。龍の民に代々伝わる宝ですら抑えきれない、自らの身体すら蝕む濁流の如き龍の力。それが真っ赤なオーラとなって迸り、リュウの全身を包み込む。同時に、リュウの意識を“アイツ”が塗り潰していく。憤怒に駆られたリュウは、D-チャージをはるかに上回る速度で龍の力を強烈に増幅させ、そして比例するように、意識への浸食度が増していく。

 

「ウゥゥゥ……ォォォオオオアアアアアッ!」

「……」

 

 咆哮と共に、練り上げられた膨大な龍の力を凝縮させていく小さな両の掌。まるでドラゴンの口のようにさえ見えるその掌が、女神へと狙いを定める。

 

「死……ね……!!」

 

 爆音。今までの何よりも強く、そして悲しみを帯びたD-ブレスの極光が、女神に向けて放たれた。それはこれまでのような、青白い光ではない。赤く、血のように紅いリュウと龍の民全ての憎悪が入り混じった極光である。もう、リュウの意識は“アイツ”によってほとんどが失われていた。侵食の割合は既に80%を大きく越え、その身体の二割未満しか、最早“リュウ”は残っていない。

 

「この力……やはり一人とは言え龍の民は、人間に仇成す存在に他ならない……」

 

 女神はとても悲しそうな表情を浮かべると、再び鍵のような杖を掲げた。リュウの放った紅い光の激流を前に、風圧だけで折れてしまいそうな華奢な手に握られた杖が、清浄過ぎる輝きを発し……

 

「!?」

 

 ……D-ブレスは、狙いを反れた。鍵の様な杖による力か。極光は女神に当たる直前で大きく進路を歪められ、空と海と山を激情のままに粉砕し、果てなき地平の彼方にまで飛んでいく。

 

「その力を野放しにしておけば、必ず人間に災いをもたらすと、何故わからないのです」

「ォォォ……ォォォオオオッ!」

 

 正常な判断力の失われたリュウは、尚強烈な龍の力を再び両手に集中させていく。侵食は、既に……90%を超えた。

 

「相棒! 俺っちの声に答えてくれ! 相棒!!」

 

 この場において只一人となってしまったリュウの味方。リュウと同じタイミングで呪縛の解けたボッシュは、ひたすらにリュウへと呼び掛けていた。いくら呼んでも、リュウはもう、戻ってくる事はないのだとしても。ボッシュには、それしか出来ない。ただ愚直なまでに相棒を信じる事しか、出来る事はない。

 

「愚かな龍の民……いいでしょう。気が済むまでやりなさい。……朽ち果てるまで」

「ォォォォオオオオアアアッ!」

 

 再び、リュウの掌からD-ブレスが放たれる。先程のものよりも大きく、禍々しい力の大波が押し寄せる。そして女神は、同じように鍵のような杖を掲げ……D-ブレスは、またもその的を見失い、女神に手傷一つ負わせる事は出来なかった。

 

「ゥゥゥウウウウウッ!!」

「相棒!」

 

 リュウの様子がおかしい。ボッシュは、リュウの気配がどんどん変化していっている事に危機感を抱いた。何が起きている。もうあのドラゴンズ・ティアも限界であるように見える。リュウの身体に、一体何が起きているのか。ボッシュの中の知識にも、答えはない。

 

 そして――――

 

「ガァァァァッ!」

 

 ――――パリン……と、小さく何かが破裂するような音が響いた。リュウの胸に下げられた龍の民に伝わる宝石ドラゴンズ・ティアが……割れた。割れてしまった。もう、“抑えていた物”は、無くなった。

 

「ウゥぅあアああアああッッ!!」

「あ、相棒ォォッ!!」

 

 この瞬間リュウの意識は、闇の彼方へと放逐された。完全に、“アイツ”に乗っ取られたのだ。もうこのドラゴナイズドフォームの姿をしているのは、リュウでは……なくなった。そして相棒の最後の気配すらなくなった事を直感した、ボッシュの叫びが空しく木霊して……

 

【アンフィニ】無限

 

 ……リュウの背が、大きく膨れ上がった。赤い突起物……バーニアだった箇所が盛大な血飛沫と共に変異し、とても巨大な翼へと変わる。ドラゴナイズドフォームの内側から食い破るように、リュウの存在そのものが、巨大な龍へと変わっていく。

 

「あ、相……棒……」

 

 あまりに違いすぎる変化の仕方に、ボッシュは呆然とした。変化していくリュウの周りに、砕け散ったドラゴンズ・ティアの中身が飛散する。リュウの身体に同化していた筈の“竜のなみだ”や契約カード、ドラゴンブレイドなども、辺りにばら撒かれた。

 

 ウ ウ ウ オ オ オ ア ア ァ ァ ッ !

 

 リュウの身体は、巨大なドラゴンへと変わった。悲しみを称えた様な深く沈んだ青色の外殻を持ち、翼から光で出来た羽を生やす神秘的な龍に。ただ、その顔は血にまみれた様に真っ赤に染まり、世の全てを呪うが如き形相をしていた。

 

 オ オ オ ォ ォ ォ !

 

 全てを滅ぼす悪鬼と化したドラゴンの、顔の前の空間が歪む。暗く冷たい色をしたブレスの源。女神を殺す為の、その為だけの力が、開かれた龍の顎門の前に集っていく。

 

「……」

 

 女神は、三度鍵のような杖を掲げると柔らかく宙に浮かんだ。ドラゴンの瞳は、そんな女神を捉えて離さない。顎門の前に展開する歪みは極限まで凝縮されて黒い光弾と化し、そしてついに、女神へ向けて放たれた。待っていたように女神が鍵のような杖を掲げると、やはりそのブレスの砲弾の行き先は狂い、はるか山の彼方へと消えていく。

 

 ……僅かな間を置いて、大地が大きく振動した。

 

「!?」

 

 地震。あのドラゴンのブレスが引き起こしたというのか。光弾は彼方に飛んでいった筈なのに、どうすればこんな巨大地震を起こせるんだ。あれは、一体どれほどの破壊を引き起こしたんだ。ボッシュは薄らと感じ取った。そのあり得ない破壊力が、この世界に何をしたのかを。

 

 ドラゴンの放った黒い光弾は海を超え、その先にある大陸の、アルギュレー大平原と呼ばれる場所に着弾していた。そしてその平原の悉く。直径にして数千kmにも及ぶ範囲を……ブレスは、一瞬にして消滅させたのだ。魔法世界の一部が、欠けたのである。

 

 ウ オ オ オ オ オ オ ! !

 

 ドラゴンは、止まらない。再びその顎門が開かれ、空間が歪んでいく。暴走を続ける【アンフィニ】のジーンの力。ユンナによって移植された物ではない。龍の御子としての、最初からリュウの身体の底に眠っていた真の力。何人も寄せ付けぬ狂った王の姿。その名は、“暴君(タイラント)”。

 

「相棒ォォォ!!」

 

 最早、リュウだったドラゴンは何物をも聞き入れる事は無い。只怒りのまま、破壊するのみだ。大陸を消滅させる威力を持つ黒い光弾のようなブレスが、立て続けに女神へ向けて放たれ……だが女神はそのどれをも自分に着弾させず、矛先を逸らせていく。女神の代わりに魔法世界そのものが、激しく傷付けられていく。

 

「やはり龍の民は人を……世を乱す存在。私の選択に、間違いはなかった。滅ぶが良い。最後の龍よ」

 

 冷酷な表情でドラゴンを見据える女神の持つ杖に、恐ろしい程の魔力が集中していく。それを見て、ボッシュは理解した。恐らくは、あの尋常でない力を持って葬るつもりなのだろう。どちらにしろあのドラゴンを野放しにしたら、この世界は破壊されるのを待つだけになる。

 

 ボッシュは絶望の面持ちで、かつての相棒の持ち物へと目を落とした。

 

「……?」

 

 散乱する、リュウの形見のアイテム。その中の何かが、ボウッと光を発している。光は徐々に大きくなりつつあるようだ。一体なんだ。僅かな希望を持とうとしたボッシュだが、しかしそれもすぐに絶望によって覆い隠された。もう、今更だ。みんな死んじまった。相棒も、消えちまった。もう自分に出来る事は、無い。

 

 オ オ オ オ オ オ !

「消えなさい……永遠に……」

 

 一際巨大な黒いブレスが、ドラゴンの顔前で形成されている。対照的なくらいに美しい白い光が、女神の杖に集中している。

 

「……」

 

 これで、全部終わっちまうのかなぁ。

 ……なぁ、相棒。

 相棒だけを、死なせやしねぇよ。

 あっちで会えたら、また仲良くしようぜ。

 

 ボッシュは、ドラゴンと女神の中間目指して歩き出した。死ぬ事のない自分の身体も、あの両者の激突に巻き込まれれば、死ねるかもしれない。間もなく、光が交差する。

 

「……」

 

 ボッシュは、初めてリュウと会った時の事を思い出していた。それからナギ達と会って、紅き翼に入った事。様々な場所を巡った事。炎の吐息という、もう一つの自分達の仲間と出会った事。とても楽しかった。本当に楽しかった。色々と思い出して、それが走馬灯だと気付いたのは、もう目の前に光が迫った時だった。

 

 ドラゴンが放つ黒い光弾と、女神が放つ白い光。光の中に、何かもう一つ別の光がある気がしたが――――

 

 

 ――――ボッシュは、そこで考える事をやめた。


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