炎の吐息と紅き翼   作:ゆっけ’

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3:悪夢

 それから、さらに数日が経過した。

 

 リュウ達の努力により、世界中に散らばっていた腕輪の反応はその大半が姿を消していた。一見すると進捗は順調かと思われたが、しかしその勢いも終盤になると、事態はそう単純な話ではないという事にリュウ達は気付いた。反応が未だ残っているのは、悠久の風からの書状も効力を発揮しない、権力のみが物を言う治外法権の領域。即ち、各国の政治・司法を司る都市である。

 

 腕輪はまるで狙ったように様々な国の中枢にぽつぽつと点在しており、リュウ達ではその当事者と接触する事さえままならなかった。強力なセキュリティに阻まれ、事を荒立てては活動に支障が及ぶ為強引な手段に出る事も出来ない。何としても腕輪を取り除かなければならない重要な場所に限って、指を銜えて見ている事しか出来なかったのだ。

 

 リュウ達の動向なんて最初から計算の内だと嘲笑うかのように、あの日以降世界に流行りつつある不穏な空気は留まる気配を見せない。日を追う毎にギスギスした敵意の様な物が、人々の間にどんどん広がっている。メガロメセンブリアからそれほど遠くなく、リュウを含めて純粋な人間が一人も居ない“炎の吐息”の拠点スイマー城にも、心ない罵倒や批判の声がちらほらと届き始めていた。

 

 ……そんな中、久しぶりにスイマー城に炎の吐息メンバーが丁度全員集合し、せっかくなのでみんなでゆっくりしようと休日に設定したとある日の朝方。

 

「うあぁぁ!?」

 

 ようやく太陽が顔を出し始めるかという頃に、リュウはベッドから飛び起きた。息は荒く、寝間着は汗でぐっしょり濡れている。何かとてつもなく恐ろしい夢を見ていた気がするが、どんな夢だったか思い出せない。

 

「ふぁ~ぁ……あんだよ相棒……朝っぱらから……」

「ん~~……リュウさん……どうかしましたかぁ……?」

 

 いきなり響いた目覚ましに反応し、欠伸をしながらもぞもぞ動くボッシュと四分の三程まだ夢の中なミイナ(ベッドは当然リュウとは別)が、部屋の主に声を掛ける。ボッシュは前足で器用に眠い目を擦りつつ、妙な叫び声を上げたリュウを見てギョッとした。まだ外からの明かりが入ってこなくとも、尋常でないその顔色だけはしっかりと見えたからだ。

 

「お、おい相棒大丈夫かよ。顔真っ青だぜ?」

「あ……うん……まぁ……」

 

 ……今見ていた夢は、少なくとも良い夢でなかった事だけはわかる。別に寝る直前に怖い話をしていたとか、そういう事はない筈だ。何だか分からないが快楽である筈の睡眠を苦痛に変えられて、リュウは不気味さを感じるよりもまず腹が立った。何を見ていたのか忘れてしまったのが、そのストレスに拍車を掛ける。とにかくこのやり場のない怒りの原因は何だろうと考えて、ふと枕元の小さな台の上が目に止まった。

 

「……」

 

 寝間着に着替える際に取りだしたポケットの中身等が、そこには置かれている。フェアリドロップにサイフィス達の契約カード。眠れなくなるからと外している“竜のなみだ”。そしてミニチュアサイズの髑髏……もとい“時の砂”の結晶。

 

「……これか」

 

 ここ数日持ち歩いてわかったが、見た目と違って特に何かの呪いがあるという訳ではないらしい妖精達からのプレゼント。しかし貰った当日も自分は夜にうなされていた(と後でボッシュに聞いた)ので、リュウは嫌な夢を見たストレスを、これに全て転嫁する事にした。一応くれた妖精達への義理でいつもポケットに入れているが、本当なら今すぐドラゴンズ・ティアの奥底にでも放りこみたい所だ。

 

「もー、何なの……」

 

 二度寝する気分にもならなかったので、訝しみつつもリュウは起きる事にしたのだった。

 

「さーて、今日はどうすんだ相棒」

「取り敢えず朝飯食ってからかな」

「あいよ」

「朝はしっかり食べないと、一日の元気の素ですものね」

 

 休日なのに思いの他早起きしてしまったリュウとボッシュとミイナは適当に顔を洗い、身嗜みを整えて、妖精達の居るホールを目指す事にした。最近は農場もそこそこ順調で食材に困らなくなってきたので、常駐の妖精達に頼めば朝昼晩三食作ってくれるのだ。

 

「よ……と」

「その背負った剣も、大分見慣れてきたなぁ」

 

 ちなみにリュウの持ち物の一つであるドラゴンブレイドは、今はもう抜き身で背負っている訳ではない。先日、以前のカナクイ乱獲等で得た大量のポケットマネーに物を言わせて、有名な鍛冶屋の“名工ビルダー”という人物に依頼を出し、オーダーメイドの鞘を作って貰ったのだ。

 

 完成した鞘はリュウの意思に呼応し、1マイクロ秒という驚異的な速度で鞘の腹の部分を自在に開閉させる事が出来る。つまり背負っていても簡単に抜刀する事が可能であり、しかも耐久性も抜群。勿論腰に装備した場合、通常の剣と同様の抜刀も出来るという珠玉の逸品である。奮発した甲斐もあり、見た目も中々カッコいいデザインに仕上がっていて、リュウは剣も含めて結構気に入っていたりする。

 

「む……早いな」

「あ、おはようございます」

 

 そんなこんなでリュウとボッシュとミイナが食堂と化しているホールに到着すると、反対側から鰐顔の巨体が姿を現した。早朝の自主訓練を毎日欠かさず行う真面目な男、ガーランドである。

 

「ガーランドさんも朝飯を?」

「うむ」

 

 そう答えながらどかっと特注の椅子に座る鰐男。もともと備え付けの椅子だとガーランドやランドの体重を支えきれないので、わざわざこの二人専用に拵えた頑丈な椅子だ。

 

「そう言えば、表にまた大量の手紙が届いていたぞ」

「うぇ、またですか……」

「まぁ頑張れ相棒」

 

 あんまり聞きたくなかった情報を貰い、朝から早速テンションの下がるリュウである。手紙に関しては読まずに捨ててしまえばいいのだが、もし何か自分達の不利益になるような事が書かれていたら厄介なので、一応全部に目を通すのがほぼ日課のようになっていた。

 

「めんどくさー……」

「まぁそう腐るな。後で俺の訓練に付き合ってくれるなら、半分手伝ってやってもいいが」

「マジすか……?」

 

 妖精達によって運ばれてくる朝ご飯を前にしながら、ガーランドから出された提案に唸るリュウ。厄介な日課が半分になるのは正直魅力的だが、条件として手伝うガーランドの自主トレもそれはそれで厄介だ。何より時間的拘束がどれほどか不明なのが気に掛かる。

 

「んー……いえ、大丈夫です。何とかこっちでやります」

「む、そうか。残念だ。出来れば浮遊魔法について聞きたかったのだがな」

「えっと、それでしたらまた今度……」

 

 ガーランドはこれでかなり拘る所があり、修行に関しては自分が納得いかないと、同じ事柄を延々繰り返す事が日常茶飯事だ。それに巻き込まれたら、今日一日くらいは簡単に潰れてしまうだろう。せっかく休みに指定したのにそれではあまりに勿体無い。安易に受けなかった自分の判断を自画自賛なリュウである。

 

「ごちそうさまー」

「はーい、お粗末様でしたよぅ」

 

 朝ご飯を食べ終わると、リュウは大量の手紙を持って例の会議室へ移動する事にした。何もない時は会議室というよりは、休憩や簡単な遊戯などの多目的な部屋として使われているのだ。自室でなくここにした理由は、誰かと鉢合わせして無償で手伝ってくれないかなーという淡い期待も込めての事である。テーブルの上にどさどさと大量の手紙の類を置くと、適当に一通ずつ手に取り、封を開けて内容を確認していく。

 

「あんまり代わり映えしないなー」

「お、前より提示額頑張ってんなぁこいつ」

 

 お決まりの文句に彩られた手紙を読み進めるリュウとボッシュ。ミイナは妖精達の所からお茶を持ってくると言って席を外している。特に厄介そうな話は無いとわかると、読み終わった手紙は申し訳ないがゴミ箱にポイッと直行である。

 

「頑張っていますね、リュウ」

「おはよー!」

「あ、お二人丁度いい所に」

 

 リュウが嫌々ながら手紙の山を消化していると、そこへふらりとゼノとリンプーが現れた。二人はたまたま廊下で会い、せっかくの休みだから近況も含めて世間話でもしようと会議室に来たようだ。勿論このチャンスを見逃すリュウではない。

 

「あのー、良かったらコレ手伝って貰えません?」

「別にいいけど、あたしムズカシー事よくわかんないよ?」

「あと少しじゃないですか。私達に頼むより、読み進めた方が早いのではないですか?」

「……それもそうですかね」

 

 言われてみると何だかんだで手紙の山は結構減っている……ように見える。何だか丸め込まれた気がするが、取り敢えず二人への救助願いは取り下げるリュウ。女性の目がある手前あんまりグダグダしすぎるのもカッコ悪いので、気を取り直して残りを一気に読破しにかかる。

 

「……よし、これでラスト」

「ま、結局いつも通りのヤツばっかだったなぁ」

 

 一気呵成に読み終えると最後の一通をクシャッと丸め、左手は添えるだけの華麗なシュートをゴミ箱へ決めて、リュウとボッシュはぐーっと伸びをした。例によってヘラス帝国からのものが一番上から目線な内容だったが、他には特に気になる話などはない。そうこうしているとリンプーがテテッとゴミ箱に駆け寄り、その中の一枚を拾い上げて文面を嬉しそうに指差した。

 

「ねぇねぇチラッと見えちゃったんだけどさ、ここに書いてある高級ディナーの招待とか、あたし行ってみたいんだけど」

「うーん、俺も行ってみたいトコですけど、そういうので先方に変な気を持たせると悪いじゃないですか」

「そうですね。相手に付け入る隙を与えるというのは、あまり良い事ではないでしょう」

「ぶー……いいじゃん。あ、そういえばさー……」

 

 リュウとゼノから駄目出しされて膨れるリンプー。それから三人と一匹で少しの間世間話に花を咲かせ、まったりとした和やかな時間を過ごしていると、廊下の方からドスドスという大きな足音が響いてきた。

 

「よお、ここに居たか。また一通来てたぜ」

「?」

 

 ピッと指先に挟まれた手紙を差し出すのは、この城一番の早起き者のランドだ。妖精農場の監督責任者のような立場のランドは、毎日朝から畑を回って作物の具合を見ているのだ。リュウはうんざりした顔を手紙に向けつつも、一応しっかりと受け取った。郵便配達の時間と微妙にズレててしかも一通だけ? と、その手紙の裏を見てみても、差し出し人は書かれておらず誰が出したかは不明だ。

 

「確かに届けたぜ。じゃあな」

「ええ。どうもです。……さて、何だろ?」

 

 忙しそうに畑へと戻っていくランドに礼を言い手紙の封を開けてみると、中にはリュウに対するメガロメセンブリアへの呼び出し文が書かれていた。当たり障りの無い挨拶から始まる、いわゆる一つの招待状だ。予定の日付はなんと今日である。大方配達が遅れたとか、そんな理由だろうか。何やら堅い話ではないとの事で、待ち合わせに指定されているのは少々高級な雰囲気の喫茶店らしき場所である。

 

「……でさー、タペタってばその凄いおっきなミミズを“美味しそうなのですねー”って言って大口開けて……」

「そ、それはまた彼らしい話ですね……」

「あの趣味だけは、俺っちも勘弁願いてぇなぁ。そういや前によ……」

 

 楽しそうに盛り上がるボッシュ達を横目で見ながら、リュウは手紙をゴミ箱にダンクシュートしようと立ち上がった。まだ最後まで読んでないが、どうせ他のと同じ様な事しか書かれていないだろう。特にこの手紙はメガロメセンブリアに来い、と言う趣旨だ。あの一件以来、メガロの街には色んな意味でとても行き辛くなってしまっている。なのでどうせ行かねーし、と既にスルーを心に決めながら、チラリと手紙の最後に書かれていた文字を目にしたリュウは……立ち止まった。

 

『では、お会い出来る事を楽しみにしています。

親愛なる“竜の成り損ない(ドラゴン・クォーター)”様へ』

 

「……っ!」

「? どした相棒?」

「いや……」

「何? 何か面白そうな事でも書いてあった?」

「いえ……」

 

 口では平静を取り繕うリュウだがその顔は強張り、無意識に力が籠っているのか手紙の端をグシャリと握り潰している。只ならぬ気配にゼノやリンプーは話を中断して怪訝な表情を浮かべ、ボッシュは空気を察してすぐさまリュウの肩に飛び乗った。

 

「……俺、ちょっとメガロに用が出来たんで行ってきます」

「今から、ですか?」

「……」

「あ、ちょっと! リュウ!」

 

 言うや否や二人を残し、リュウは会議室のドアから飛び出した。廊下の途中にある適当な窓から空に躍り出て、浮遊魔法を発動させて最高速度でメガロメセンブリアを目指す。

 

≪どうしたってんだ相棒! その手紙に何が書かれてたんだ!?≫

≪……≫

 

 ボッシュはポーチに入っていないため、猛スピードで飛行するリュウの肩にしがみつくのが精一杯だ。そんなボッシュからの念話に、リュウは答えない。その心にあるのは、只一つの疑問だけ。

 

(誰だ……こいつは一体……!)

 

 待ち合わせの時間指定はなかったが、リュウはすぐにでもこの手紙の差し出し人を確認したかった。最後に書かれていた“竜の成り損ない(ドラゴン・クォーター)”という呼び方をしたのは、後にも先にも今際のきわのバルバロイだけ。誰にも言っていないし、あの場には自分の他に誰も居なかったハズ。相手の正体がわからない以上、警戒するに越した事は無い。

 

「……」

 

 最悪の場合戦う事も考えると、リュウはとても仲間の誰かを連れていく気にはなれなかった。決して信頼していないからという訳ではない。むしろ、戦力としてなら連れて行った方が良い。だが、仲間達をこれ以上自分のしがらみに巻き込むのは、嫌だったのだ。

 

「……」

「……」

 

 無言で空を飛び続けるリュウの顔を見上げながら、ボッシュは恐らく何か大きな問題が起きたのだろうと感付いていた。もうかなり長い付き合いだ。リュウが何も言わなくても、それくらいはわかる。

 

 程なくしてメガロメセンブリアの手前まで来ると、リュウは着地して歩いて街へと入っていった。変身さえしていなければ、剣を背負ってるとは言え見た目普通の人間の子供である。入り口にテロを警戒して設けられている空港ゲートのような場所も、特に咎められる事無く普通に通される。そしてスタスタ歩いて街に入った直後、リュウとボッシュは四方から纏わり付いてくる視線にすぐさま気が付いた。

 

≪なぁ相棒……俺っち達、付けられてんな≫

≪……だろうね≫

 

 周囲の影からリュウの動向を注視している幾つかの視線。リュウとボッシュは監視の対象にされていた。まぁ、それも少し考えてみれば当然だ。メガロメセンブリアの上層部ならば、あの騒動の一端がリュウであるという情報は掴んでいるだろう。そして入り口ゲートに居た役人がすんなり通した事からわかるように、その事は上部の人間しか恐らく知らない事なのだ。

 

≪どうする相棒≫

≪……無視で≫

 

 監視しているのは、その上層部直属の諜報組織と言った辺りだろうか。簡単に尻尾を掴ませる時点で、連中に大した実力が無い事がわかる。力づくで排除しようとしないのは、もし自分がここで暴れでもしたら、またあの出来事の二の舞になるという判断の為か。そこまでリュウは推測して、まぁそれくらいなら問題ないし、と監視に対しては放置を決め込んだ。

 

 実際、国が街に入ったリュウに対して“監視”という曖昧な対応を取った理由は二つある。一つはリュウの想像通り、触らぬ神に祟り無し、という上層部の意向。そしてもう一つは、メベトが提出した報告書にある。それにはリュウが決して無駄に暴れるような性格ではないと、人柄に関しての詳細な記述が載っていた。メベトと、そしてその部下であるガトウがせめてリュウを擁護しようとして尽力した結果なのであった。

 

「……」

 

 大分復興が進んだ大通りを無言で歩くリュウ。以前は多少なり見かけていた亜人の姿が、今はパッタリと見えなくなっている。そうしてしばらく行くと、手紙で指定されていた喫茶店らしき建物が見えてきた。

 

「……ここだ」

 

 店は高級感とお洒落な雰囲気が程よくマッチした内装をしており、相応に人気があるらしい。外から見ても、かなりの数の人が中に居るのがすぐにわかった。

 

「……」

 

 何の話をするか知らないが、特に人払いをしているわけではないようだ。リュウは無意識に拳を強く握った。これではもし……万が一だが、この場で差出人である謎の相手と戦う事になってしまったら。再び何の罪も無い人達を巻き添えにし、せっかく復興してきたメガロの街に、もう一度地獄のような光景を産み落とす事になってしまう。リュウにとってトラウマとすら言えるあの出来事を繰り返すのは、絶対に避けたい。

 

「相棒……」

「……入ろう」

 

 ボッシュの案じるような声を耳にしたリュウは、意を決して店の中に入る事にした。悩んでいても仕方が無い。手紙には話がしたいと書かれていた。その言葉を信じるなら、いきなり襲ってきたりはしないはず。それに差出人が誰なのかを確認しなければ、この先ずっと悩まされる事になる。

 

「いらっしゃいませー。一名様ですか?」

「いえ……待ち合わせを……しているんですが」

 

 手紙にはどの席に着いている、とまでは書かれていなかったので、声を掛けてきた店員に用件を伝えつつ注意深く周囲を見て回る。すると一人、二人掛け用のテーブル席に、リュウに背を向けて座りカップを口にしている男が目に入った。明らかに、一人だけ雰囲気が違う。リュウから発せられた警戒の視線に気付いたらしい男は、カップを置いて振り返った。

 

「やぁ、来てくれたんだね」

「!?」

 

 リュウは己の目を疑い、ボッシュも驚きに固まった。振り返った男は、バルバロイの見た目をそのまま成長させたような白髪の青年だった。脚を組み、優雅にコーヒーらしき飲み物を飲んでいる。一見すると普通の人間のように見えるが、強いて違和感を上げるとするならその眼と表情だ。感情の色という物が全く伺えない。無表情、ではなく、どちらかと言えば人工物のような……それこそ人形のように見える。

 

「初めまして。どうぞ、そっちに座るといい」

「……」

 

 リュウは警戒を緩めず、対座の席へと近付いていく。一時も青年から逸らさす注視したままで、リュウは瞬時に思考を巡らせた。手紙の差出人は間違いなくこいつだ。どうして“竜の成り損ない”という単語を知っているのか。何の目的で自分を呼び寄せたのか。それら以外にも、聞きたい事が山ほどある。

 

「どうしたんだい? 座りなよ。別に罠なんて仕掛けてはいないさ」

「……」

 

 椅子に手を掛けたまま座ろうとしないリュウに向け、優しく促す青年。どこかぎこちなさを感じるものの、一見すると穏やかなその表情は、険しい表情をしたリュウと対照的だった。リュウは立ちっ放しでは先に進まないと判断し、ゆっくりと椅子に座る。注文を取りに来たウェイトレスに適当にアイスコーヒーを頼み、なお視線は青年から離さない。

 

「警戒しているね。けど安心していい。ここで君と争うつもりは毛頭ない」

「……」

 

 確かに、この白髪の青年からは殺気や攻撃の意志は全く感じ取れない。むしろリュウの方が周囲にピリピリとした威圧を与えてしまっているほどだ。青年は静かに、まだ湯気の立つホットコーヒーを一口啜り、無造作に置いた。……まるで隙だらけだ。リュウの腕なら今の間に、十回は首を刎ね飛ばす事が出来ただろう。少なくとも、その態度から争うつもりはないという言葉だけは本当だとリュウは判断した。

 

「……お前は、誰だ」

「フ……やっと口を開いてくれたね」

 

 “誰だ”と聞いたが、今の時点で薄々リュウには想像がついている。ドラゴンズ・ティアにしまわれている“記憶のメモ”にも、こいつの事を書いた覚えがある。そう、こいつは……リュウが初めてバルバロイと遭遇した時に、その似ている容姿から勘違いした“完全なる世界”の幹部……

 

「じゃあ、自己紹介をさせて貰おう。僕は“地のアーウェルンクス”。君がこそこそと嗅ぎ回っていた組織、“完全なる世界”の一員さ」

「!」

 

 素直に名乗った事を受けて、リュウは目を一瞬だけ見開いて警戒を強めた。まさか堂々と……今までバルバロイから以外は尻尾さえ掴めなかった“完全なる世界”の名まで出して名乗ってくるとは、流石に思っていなかった。

 

「へぇ……もう少し驚くかと思ったけど、意外と冷静なようだね」

「……」

 

 アーウェルンクスと名乗った青年は、口でこそ笑いながら顔は笑っていない。青年が指摘した通り、リュウのソレは驚きというよりは怪訝、という部類の表情だ。確かに少し動揺したが、まだ無事な昔の記憶の中にその辺りの事は残っている。だから正体そのものを聞いたところで、それはリュウの記憶を肯定する“確認”くらいの意味しかない。重要なのは、一体何を企んでいるのか。“何故正直に正体を明かしたのか”だ。

 

「ごゆっくりどうぞー」

「……」

「……」

 

 アイスコーヒーを運んできたウェイトレスが去るのを見届けると、青年はそんなリュウの考えを読み取ったかのように、話を続けた。

 

「フフ、僕があっさり素性を明かした理由が気になるかい? なら、これも正直に言おう。僕達は全面的に降参する事にしたのさ。君の力は想像以上だった」

「!」

 

 青年は演技ともつかないような諦めた表情をして、小さく両手を上に挙げる素振りを見せる。これには流石のリュウも困惑した。……本気なのか? いきなり降参? まだその組織の全貌すら掴めていないのに。自分はまだ何もしていないのに。なのに降参? それに力って一体何を見てそんな……。そこまで考えて、リュウは一つ思い当たった。あの手紙に“竜の成り損ない”と書いてあった以上、“見ていた”というのは“その事”だとしか思えない。

 

「やっぱりあのバルバロイは……お前らがたき付けたのか……!」

「へぇ、僕達だと気付いてたんだ。その通り。あんな失敗作でも、最後には役に立ってくれたよ」

「……」

 

 リュウは、バルバロイに同情する気は欠片もない。友情を感じているなんてベタな展開もあり得ない。ただ、バルバロイをさも当然のように扱き下ろす青年の態度が、気に食わないのは確かだった。そしてこの青年が言った事が本当なら、バルバロイに付いていたアレ。今リュウ達が世界中で破壊して回っているアレについても……

 

「じゃあ、あいつの腕に着いていた……世界中に散らばっている“腕輪”も、お前らが……!」

「そうさ。今世界中に“何故か”散見されるのは、あの失敗作の制御さえ出来なかった不良品の山さ。資源は有効に活用しないとね。……ああそれと、君は一つ勘違いをしている。あの失敗作の腕に着けたのは……別に操る為の物なんかじゃない」

「……!」

 

 青年は楽しそうに、リュウの驚きを期待するように話している。アルのような性悪のそれとは違う。もっと人が絶望に沈むのを、心のそこから楽しみにするような。そう言った薄暗い期待感が感じ取れる。

 

「失敗作の腕にあったのは……あの巨大で醜い本性を抑えつける為のリミッターだよ。“たまたま”君の知っている腕輪と同じデザインになってしまっただけさ。制御機能自体は、直接内部に埋め込んであった。まぁ当然だろう? 制御するための物を、どうして外に出しておく必要があるんだい?」

「!!」

 

 この青年は……いや、完全なる世界は、わかった上でやっていたのだ。リュウがバルバロイの腕輪に目を付けるであろう事を。そして、その結果がどうなるかも。リュウは自分が踊らされていた事を知り、しかしまだ冷静に、その怒りは内々に溜め込んでいた。

 

「なら……バルバロイをあんな風にまで改造したのは……俺を試す為か」

「試す、じゃない。倒す気だった。僕達の睨んだ通り、君は自らアレのリミッターを破壊してくれたからね。あの失敗作が本性を表して暴走すれば、それで君を倒せると思っていたのさ。まさか君がさらにその上を行くとは思わなかった」

 

 青年はそこまで言うと、奇妙なまでに言葉が出てくる舌を潤すように、再びコーヒーを口にした。先程から何度か出てきているが、リュウにとって聞き捨てならない単語が青年の話には混じっている。“失敗作”。それはユンナにとって、と言う意味なのだろうか。何故こいつがそんな風に呼ぶのか。取り留めの無い疑問だが、リュウは青年の態度が妙にそこに固執しているように思えた。

 

「なんで、お前はバルバロイを“失敗作”って呼ぶ」

「……知りたいかい? まぁ教えてあげるよ。アレは君のプロトタイプであると同時に……僕達にとってもプロトタイプなのさ。……癪だけどね」

「!」

「アレの正式名称は、アーウェルンクス・インコンプリート。かつて“彼女”に拾われた後、我が主によってあの姿を与えられた哀れな出来損ない。そしてその時、アレに使われている技術を解析出来たおかげで、主は僕を始めとした様々なタイプの強力な人形を造る事が出来るようになった」

「……」

「けどアレは元々無駄な自我が表に出過ぎな上に、彼女への忠誠心の方が圧倒的に強かった。僕らと別れてからは、“アーウェルンクス”の名も捨てていた。だから、アレには“失敗作”が最も相応しいんだ」

「……」

 

 青年は、全く何の感情も見せずにそう吐き捨てた。……何なのだろう、この気分は。話を聞いて、リュウは自分の内側に渦巻く思いに戸惑っていた。この、バルバロイを見下し、アーウェルンクスを名乗る青年の一言二言が……有体に言えば、非常にムカツクのだ。

 

「フ……」

 

 一旦話が途切れたと見ると、アーウェルンクスは気取った態度でパチンと指を鳴らした。すわ罠か、と警戒するリュウを、アーウェルンクスはさして気にする風も無く再びホットコーヒーを口にしている。そのまま、少しの間無言で居る二人。本当に何も起こらない……? とリュウが思ったその時だった。店の奥からウェイトレスが皿を持って来て、リュウの前にカチャリと置いた。乗っているのは、ケーキだ。

 

「?」

「話は変わるが、ここのケーキは絶品なんだそうだ。シェフが朝早くから仕込みをしていてね。限定二十食。それをわざわざ君の為に取り置きして貰っていた。勿論毒なんて入っていないから、存分に味わってくれていい」

「……」

 

 一体、こいつは何を言っているんだ。何のつもりなんだ。本当に、全く訳がわからない。罠か。ただの冗談か。こいつは、こんなユーモアを口に出すような存在だったのか。傍から見れば、ただ年上の男が年下の子供にケーキを奢っているだけの様に見える一連の流れ。その渦中に居るリュウは、思いきり混乱していた。

 

「……一体、何の真似だ」

「フフ……さて? まぁこれは僕達から君へのほんの些細な……“お礼”さ」

「……」

 

 お礼。言われてリュウは憤った。こいつにお礼されるような事なんて、した覚えは無い。それにその言葉も、例えばウィンディア王やマーロックの言ったような、世間一般の価値観と同じ意味の“お礼”だとは全く思えない。結論として、リュウはその“お礼”とやらに拒否を示した。

 

「……お前なんかに、礼を言われる筋合いは無い」

「まぁそう言わず、是非僕に礼を言わせてくれたまえよ。“君とあの失敗作のおかげで、この世界を戦乱に巻き込む準備が整った。どうもありがとう”とね」

 

 ……リュウの顔から、表情が消えた。

 

「最初の一歩が一番難しくてね。それを僕達に代わり、君達二人がやってくれたんだ。本当に、ありがとう」

 

 アーウェルンクスの造られた笑顔が、リュウには薄ら寒い物に見えた。何を言っているのか、わからない。わかりたくない。

 

「やめろ……」

「君が“僕達の目論見通りに”あの失敗作と死闘を演じてくれたからこそ、これからの僕達の行動も非常に楽になった。感謝しているんだ」

「やめろ……っ!」

 

 リュウから、怒気と共に凄まじい気迫が放たれた。アーウェルンクスの後ろに位置するテーブル席の上にあったグラスやカップが、皆一斉に砕け散る。突然起きた原因不明の現象に、店内は一時ざわつき騒然となった。

 

≪相棒! 落ち着け!≫

≪……!≫

 

 今まで成り行きを見守っていたボッシュが大音量の念話を送り、リュウはハッとして力を押さえ込んだ。慌しく店員が右往左往する店内を少し見渡し、変に大事にならなくて良かったとボッシュに感謝の念を送る。

 

「……」

 

 ……ふと、我を忘れかけた。わかってる。一番突かれたくなかった所を突かれたからだ。自分の行動が人々の心に楔を打ち込み、結果として戦乱の世にしてしまう。本当は止めたかったのに。止めるはずだったのに。リュウが目を逸らそうとしていた“平和な魔法世界に戦争の切っ掛けを呼び込む元凶は、他ならぬリュウ自身”であったという事実を、今曝け出されたのだ。

 

 例え裏で働いていたのが完全なる世界だとしても。ひょっとしたら自分が何かもっと別の方法で対処していれば、魔法世界に戦争の火種を落とす事はなかったのではないか。リュウは心のどこかで、そうなのではないかと恐れていた。腕輪の破壊を必死に行っていたのも、その事への罪滅ぼしと逃避行動でしかない。

 

「フ……」

 

 青年はリュウの気迫を受けても余裕の態度を崩さず、悠然としている。……アーウェルンクスは、楽しんでいるのだ。リュウの胸の内を見切って、的確にそこを突く。直接戦うのよりも、リュウにとってははるかに痛い攻撃だった。

 

「本当はね。もう随分前の時点で、この魔法世界は“完全なる世界”に移行している……筈だったんだ」

「……」

 

 さらに、アーウェルンクスは次の攻勢に出た。今度はリュウに聞かせるというよりは、幾分愚痴のような口調を交えている。リュウは迷っていた。これ以上、こいつと話したくない。心の中ではそう言ってこの場から逃げたくても、頭ではもっと情報を得なければと冷静に見ている部分がある。板挟みという奴だ。

 

「僕達の最初の計画ではね。協力者たる“彼女”の力を借りて、造作も無く、スムーズに行く……筈だった」

「……」

 

 アーウェルンクスは目を瞑るような素振りを見せ、語る。リュウは今の話に出てきた“彼女”というのが誰であるのか、凡そ理解していた。この推測は、ほぼ間違いが無いだろう。

 

「だが……全ての準備が整い、この魔法世界に住む人々が苦しいとさえ思う間も無く“完全なる世界”に移行できる……まさにその直前の段階になって、君が現れた」

 

 アーウェルンクスはそこまで言うと目を開け、つい今しがたまで嘲笑っていた表情を一変させた。まるで別人のような冷徹な瞳を、リュウへと向ける。

 

「彼女は君に甚くご執心でね。君を排除するまでは、僕達に手を貸してはくれないと言い出した。あと少しというところまで来て、君のおかげで計画は狂ってしまったんだ」

「……」

「だから、僕達は彼女に交換条件を持ちかけた。僕達が君を倒せたら、すぐに僕達の手伝いを再開して欲しいと。彼女はそれを承諾してくれたけど、でも僕達の方もまだ戦力は整ってなくてね。そこで丁度廃棄寸前だったアレを利用したのさ。……残念ながら結果はこの通りだけど」

「……」

「そして、その時ついでにアレの目標を少し弄らせてもらった。アレを君にけしかけたのには、二つの意味があったのさ。アレが君を倒してくれればそれで良し。逆に君が生き残ったとしても、それはそれで僕達の代替案の礎となるように。どちらに転んでも、僕らにとっては都合が良いようにね」

「……!!」

 

 リュウがもたらされる様々な情報の処理に頭のメモリ領域を裂いている傍らで、ボッシュは一人冷静に今の状況を分析していた。このアーウェルンクスと名乗った人物が語る話は、恐らく自分の相棒が欲しがっていた最も核となる情報に近いのだろう。それを得られた事は良い。問題は、何故それほどの機密をリュウにあっさり開示しているのか。その意図は何か。お礼だなどという言葉を、ボッシュは欠片も信じてはいない。

 

「おめぇさんは……そんな大事な情報を、何で俺っち達にペラペラ提供してんだ?」

「!」

 

 ボッシュの疑問を耳にして、リュウはハッと思考の海から引き戻された。そうだ。たくさんの情報を一度に得て、頭の中がこんがらがっていた。今一番気にしなければならないのはそう、こいつの目的だ。

 

「それは……」

 

 アーウェルンクスは、チラリとリュウの横の方に目をやった。

 

「……そろそろかな」

 

 呟いた言葉が何を意味しているのか、例によってわからない。反射的にリュウもそちらを見る。そこにあるのは時計だった。話に気を取られていたのか、思ったより大分時間が進んでいる。頼んだアイスコーヒーはリュウの気迫を逃れていたが、氷が融けだしてかなり薄くなっている。そしてアーウェルンクスは、静かに暗い笑みを浮かべた。

 

「ここへ君を呼んだ理由ね……。お礼と言うのも嘘じゃないがそうだな。強いて言うなら、僕達の計画を先延ばしにしてくれた君への“嫌がらせ”と、ささやかな“手向け”……と言った所かな」

「……」

 

 嫌がらせとは何の事か。アーウェルンクスが語った内容は、リュウにとって重要なパズルのピースとなるものばかり。ただの負け惜しみにしては稚拙そのものだ。それに手向けとは。言葉そのものには、死者の霊に花を添えたり、別れる者への餞別という意味がある。……冗談にしては、笑えない。やはりこの場で、自分を亡き者にする、という事なのか。

 

「それは、どういう意味だ……」

 

 店の中だというのにドラゴンブレイドに手を掛け、殺気立つリュウ。しかしアーウェルンクスは再び小さく両手を挙げる素振りを見せる。

 

「おっと。言っただろう。僕達は降参したんだ。誓って言うが、君に僕達が直接手を出す事はあり得ない。……そう、“僕達は”ね」

「……?」

「逆に聞こう。何故、僕が重要な情報を与えてまで君をここへ……“君の大事な仲間の居る場所”から、遠ざけていると思う?」

「!」

 

 アーウェルンクスの言う“僕達”とは、“完全なる世界”の事だとして間違いない。つまり言葉の裏を返せば、それ以外にリュウに手を出すモノが居る、という事だ。話の流れからすれば、それは恐らく“彼女”しかいない。そして今、アーウェルンクスがわざわざ時間を掛けて話をし、リュウだけをこの場所に留めておいた事。仲間の元からリュウを遠ざける。それ自体が嫌がらせ。時計を見て呟いたそろそろという言葉。つまりそれらが指し示す答えは……

 

「相棒!」

「まさか……」

「フフ……そう。君“達”は、もうゲームオーバーなのさ」

 

 リュウの顔色は、突き抜けるような青空よりも、深い青に変わった。


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