炎の吐息と紅き翼   作:ゆっけ’

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8:成り損ない

 魔法世界首都、メガロメセンブリア。

 

 総人口約六千万人を有する巨大都市。この数字は街に住む“人間”に限った話であり、隠れ住む亜人等も含めれば人口はさらに多い。当然そこに住まう全ての人間は、大なり小なり魔法を使う事が出来る。街の至る所に科学と魔法の融合した技術が溢れていて、上空には魔力を利用した、様々な型の飛行機械が闊歩する。まさに魔法世界の顔と言っても良い、高水準な都市国家だ。

 

 商店街で響き渡る、客を呼び込む威勢のいい掛け声。娯楽施設でレジャーを楽しむ家族連れの、楽しげな笑い声。いつも通りで何の変哲も無い、のどかな一日。少なくともそこに住む人々にとっては、そうであるはずのこの日。大都市のちょうど中央にある大きな通りに……ソレは降り立った。

 

「……フフフ……」

 

 亜人。一目で“人間”ではないとわかる異様な風貌。薄らと蒼いオーラを纏い、腕の先や足の先が甲殻のような物に覆われていて、背丈は大きくない。薄気味の悪い笑みを浮かべたソレは、静かに呟く。

 

「じゃあ、ゲームを始めるとしよう」

 

 その異様な風体と漂わせる空気が、ざわざわと道行く人々の注目を集めている。だが誰も何かをしようとはしない。“亜人”というのは魔法世界ではごく有り触れた存在であり、中にはソレよりももっと凶悪な風貌を持つ魔族と呼ばれる人種も居る。ソレについても、「珍しい格好だが、きっと魔族系に順ずる人なんだろう」と、すれ違う人々は、そう思った。

 

「……“結界”」

 

 ソレの足元から、光の波紋が広がる。…………悪夢が、始まった。

 

「お、おい! あれを見ろ! 飛行船が……!?」

 

 通りを歩いていた一人の男が事態に気付き、声を張り上げて指を指す。空に浮かんでいた飛行船の一隻が突如としてその制御を失い、機首を地上へと向けて落ち始めたのだ。突然の出来事に人々は一瞬ざわついたが、まだ誰も慌てた様子は無い。人々は一斉に自分の杖を取り出し、落下する飛行船へ向け呪文の詠唱を始めた。こんなトラブルくらいで騒ぐ必要はない。魔法を使えばすぐにでも回避できる。そうして最初に呪文を完成させた男は……今そこにある“異変”に気付いた。

 

「ま、魔法が……発動しない!?」

「ウソ!? 何で!?」

 

 未だかつて遭遇した事のない現象に、次第に混乱していく人々。何度呪文を唱え直しても、一向に魔法が発動する様子は無い。詠唱を間違えたかと思いゆっくり唱えなおそうにも、時間は待ってはくれない。より勢いを増して落ちてくる飛行船から、街人と同じく杖を持った人達が数人、迷い無く飛び降りた。

 

「う、浮かばな……!?」

「え……!?」

 

 頼みの魔法が発動しないまま、飛び降りた乗組員達は皆、容赦なく地面へと叩きつけられて動かなくなる。そしてさしたる間を置かずに響き渡る、轟音と悲鳴。……墜落。飛行船は無抵抗にとある商業施設へとぶつかった。施設内部の逃げ遅れた人々が瓦礫の下敷きになり、衝撃で起きた火花が施設で使われていた可燃性のガスに引火して……爆発、炎上。

 

「ハハハハハハ!」

 

 穏やかな日常を襲った突然の悲劇。しかし、これはさらなる悪夢の幕開けに過ぎなかった。空に浮かぶ飛行機械全てが一斉に、まるで動力を強制的に止められたかのように、次々とその目的地を真下に変更し始めたのだ。大きな音を響かせ、隕石のように降り注ぐ機械の塊。至る所から火の手が上がり、街全体が業火に包まれていく。ここメガロメセンブリアでは、避難も救助も全てが魔法を使う事を前提としている。だからその前提が覆された事により、人々は大きく混乱し、逃げ惑い、嘆き、パニックに陥っていた。

 

「遅いなぁ……リュウ!」

 

 ……蹂躙は、止まらない。ヒゥンと音を伴い、虫でも払うかのように凶爪が振るわれる。バルバロイの前方に建っているのは、複数のビル。魔法世界の発展の象徴とでも言うべき摩天楼。それらが……土台から一度に、薙ぎ払われた。

 

「な、なんで飛べないんだよぉぉ!?」

「た、助けて……助け……あああああ!!」

 

 大地に根付く礎から切り離されたビル達は重力への抵抗を止め、互いにぶつかり倒壊しながら崩れ落ちていく。一体、どれだけの人間が中に居ただろうか。人々は無力だった。何も出来ないまま、突然襲い来る惨禍に巻き込まれていくだけ。天災などではない。たった一人の亜人が、街を、人を、破壊しているのだ。

 

「貴様か! 通報にあったテロリストは!」

「……」

 

 蒼い光の亜人。バルバロイに縦長の剣の先端を向け、四方を囲むように展開する重厚な甲冑を身に着けた男達。メガロメセンブリアの平和を守る兵士達である。通行人の一人が、たまたまバルバロイの足元から光の波紋が広がるのを見ていた。その直後に、飛行船の墜落が起きた。偶然かと思ったが、しかしその光景に笑っているバルバロイを見て疑念は確信に変わり、即座に通報したのだ。

 

「そうだよ」

「貴様! 自分が一体何をしたかわかっているのか!?」

「さあ」

 

 バルバロイのおざなりな応答は、兵士達の逆鱗に触れた。認めたからには、これ以上問う必要は無い。自分達の裁量で、死刑を言い渡す。一連の出来事の元凶だとするなら、それはこのような一方的な判断さえ誰もが許すであろう大罪である。兵士達の誰一人、自分は正しいと思って疑わない。何故か今魔法は使えないが、それならば日頃の訓練で鍛えられた、この剣術を振るう時。四方八方から、一斉にバルバロイに向けて剣が突き出された。

 

「!?」

「……」

 

 バルバロイは、動こうとすらしない。突き出された剣の先端は、バルバロイの体表面でピタリと止まっていた。

 

「……気が済んだ?」

「そ、そんな……馬鹿な……!?」

 

 一切の刃が、通っていない。どれだけ力を込めても、それ以上刺さらない。一見すると相手は小柄な亜人。腕や足の甲殻は兎も角、上半身の皮膚自体は、普通の生物のそれと大差ないように見える。これは夢か。兵士達を束ねる隊長はそう思い、そして彼らは次の瞬間、心の底からこう思った。……本当に、夢ならば良かった、と。

 

「……“ダイアボリカル”」

 

 バルバロイの指先から、黒い煙に似た波動が放たれる。光の波紋とは正反対のそれは一人の兵士に狙いを付け、飲み込み、通り過ぎた。

 

「あ……ああああああ! うわあああああ!!」

「お、おい! やめろ! 一体どうしたんだ!」

 

 黒い波動に飲み込まれた兵士は突如としてパニックを起こし、持っていた剣を乱暴に振り回し始めた。まるで幻覚でも見ているかの様に、その顔は恐怖に歪み引き攣っている。黒い波動で精神が蝕まれ、男には周囲に居る者達が腐乱死体のように見えだしたのだ。その尋常でない様子を見た周りの兵士達は、バルバロイに対し静かに恐怖を感じ始める。

 

「君達も、今楽にしてあげるよ」

「!? そ、総員退避……!!」

 

 再び、バルバロイから広がる黒い波動。輪状に広がる波動に兵士達はおろか、周辺に居た逃げ惑う無関係な一般人達まで一人残らず飲み込まれた。ある者は身体を抱え込んでブルブルと震えだし、ある者は視力を失い暗闇にもがき、またある者は泡を吹き出し倒れて意識を失った。大部分は幻覚を見て、闇雲に剣や板切れを振り回す。そして互いが互いを傷付け、同士討ちのように一人ずつ倒れていくのだ。まさに、地獄絵図であった。

 

「……まだ来ないか」

 

 目的の人物が現れない。バルバロイの顔から、気味の悪い笑みは消え去った。今度は八つ当たりのように、目に付いた民家住宅目掛けて手当たり次第に爪を乱舞させる。混乱から逃げようと走る街人達を、容赦なく巻き添えにして。

 

 ――――ォォォォオオオ!

「!」

 

 不意に、何かがバルバロイの爪撃を遮った。人や建物に当たるより早く、似た何かが飛んで来てぶつかり、相殺したのだ。放たれた方向は上からだ。バルバロイが再び不気味な笑みを浮かべて見上げたそこには、バルバロイと似た姿をした亜人が一人、拳を震わせて佇んでいた。

 

「やぁ、遅かったね……リュウ」

「……」

 

 佇む亜人――――リュウは、震えていた。何だこの光景は。ここがあのメガロだと言うのか。まるで戦争にでも巻き込まれた様に、街を炎と混乱が支配している。酷い。ただ只管に、酷過ぎる。木魂すは爆音、響き渡るは悲鳴。全力で飛ばしてきたのに。ほんの数分判断が遅れた事で、このような悲劇を招いてしまったのか。自分のせいなのかという考えが嫌でも浮いてくる。リュウは無意識の内に、振り払うように頭を振っていた。

 

「ボクは言ったよ。全てのお荷物を守って見せろと。阻止できなかった君の負けさ」

「……」

 

 これほどの惨状は、見た事がない。リュウは、すぐにでも傷ついている人々を助けて回りたかった。しかし、出来ない。元凶たるバルバロイを何とかしなければ、戦火は拡大する一方だからだ。バルバロイの顔に浮かぶ薄笑いを視界に納めたリュウは、一瞬にして怒りに支配されかかった。バルバロイへの怒りと企みを即座に見抜く事が出来なかった自分への怒りで、煮え滾っていた。握り込んだ拳からは、血が滴っている。

 

「その顔。そう言えば君の怒った顔は、初めて見るね」

「……」

 

 様々な感情が内面で渦を巻き混在しているリュウは、激情のような紅いオーラを噴出させて、次の瞬間バルバロイとの距離を失くした。そのまま己の顔目掛けて叩きつけられるリュウの拳を、バルバロイは、避けない。

 

「!?」

 

 渾身の一打が、バルバロイの顔面を打ち抜いた。クリーンヒットだ。しかし、敢えて避けなかったように思える。何故だと思ったリュウは、そこで気付いた。殴り飛ばしたバルバロイは、猛烈なスピードで後方の建物全てを砕き貫通しているのだ。まるでわざと周りに与える被害を大きくさせようとでもしているように。リュウはすぐさま、その後を追いかける。

 

「……っ!」

「ハハ……君が暴れれば暴れるほど、ここではお荷物が巻き込まれる。それでも、全力を出すつもりかい?」

 

 追い付いた場所は、まだかろうじて被害を受けていないらしい高層ビルの真下だった。入口からはパニックになった人々が、蜘蛛の子を散らす様に逃げだしている。今は魔法が使えない。即ち身を守る手段がない。だから遠目からでもわかる圧倒的な威圧感を放つ紅と蒼の亜人の闘争に巻き込まれたら、それは死を意味する。我先に逃げようとする人々の判断は、正しい。

 

「……」

「……」

 

 そして、そんな周りの怒号や悲鳴が耳に届いていないかのように、静かに相対するリュウとバルバロイ。リュウ渾身の一打を喰らった筈のバルバロイの顔に、その痕跡は既にない。先刻切断した腕と同じく、あの異常に溢れている力が再生させたのだ。

 

「じゃあ……ゲームの続きと行こう」

「!?」

 

 バルバロイは、まるでリュウへの関心が薄れたかのように背を向けた。背後にある高層ビルの方を向き、右手を下から上へヒュッと軽く振り上げる。……そうしてそこにあったビルは、根元から吹き飛んだ。それは子供が遊びで放り投げた木の枝のようだ。高層ビルは建築材を激しく撒き散らしながら、クルクルと回転して空中で崩壊していく。かろうじて原型を留めているのはバルバロイの手加減か、それとも魔法世界の高度な技術故の物か。

 

「!!」

 

 リュウはすぐさま宙を舞うビルの進路を予想し、その着地点に目をやり、そして凍った。……人がいる。女性らしき人物が倒れている。幼い男の子がその側にしゃがみ込んでいる。どうやら女性は母親で、気を失っているらしい。男の子は必死に女性を起こそうとしている。

 

「お母さん! 起きて! 起きてよ! ねぇ!」

「う……」

 

 ちょうど幅の広い通りの真ん中辺りだ。他の人間は既にその場所から逃げ去っている。子供は必死に母親を起こそうと揺り動かしているが、母親は飛んできた破片か何かに運悪くぶつかってしまったのだろう。頭から血を流して倒れたまま、動かない。このままではビルの下敷きになり、あの二人の命は確実に……ない。

 

「お……お前……っ!」

「ハハハハハ! さぁリュウ。急がないとあそこに居るお荷物が潰れるよ」

 

 わかっていて、見逃せるはずもない。リュウはせめてもの抵抗にバルバロイに侮蔑の眼差しを向けると、吹き飛ぶビルの着地点手前へと急いだ。

 

「う、うわあああああ!!」

 

 果たして普通の生活をしていたとして、“空から巨大なコンクリートの塊が自分の真上に落ちてくる”光景を見る機会なんてあるだろうか。幼い男の子に、短い人生を思い出す余裕はない。小さいながらに「どうしようもない」と悟った男の子は、迫りくる恐怖に耐えきれず目を瞑った。……だが、いつまで経ってもその時は来ない。男の子は、恐る恐る……ゆっくりと、片目だけを開いて前を見た。

 

「あ……」

 

 落ちてくる筈のビルは、空中で止まっていた。宙に浮き、紅い光を纏った亜人が一人、圧倒的なパワーを持つ二本の腕をビルにめり込ませて受け止めていたのだ。自分達親子の、盾となるように。

 

「早く! お母さんを連れて逃げろ!」

 

 紅い光の亜人、リュウからそう声を掛けられた男の子は、怯えた。助けようとしてくれているのは何となくわかった。だが感受性の高い子供にとって、今のリュウの威圧感は大き過ぎた。既に恐怖が限界を超えていて、何が何だかわからなくなった男の子は……その場で、大声で泣き始めた。

 

「っ!」

 

 男の子は泣き喚いたまま動かない。母親も依然気を失ったままだ。このままでは埒が明かない。あっちが動けないのなら、こっちで動く。リュウは支えているビルをなるべく衝撃を与えないようにゆっくり移動させ、付近にまだ残っている建物に立て掛けた。土台部分と屋上付近が崩れ、今にも真ん中から折れてしまいそうな状態で、スケールの違う積み木かブロック遊びのように無造作に置かれたビル。本当にここは、数分前まで穏やかな街だったのかと疑いたくなる光景だった。

 

「防いだか。……けど、惜しかったね」

 

 ビルから手を離したまさにそのタイミングで聞こえてきた声。即座に反応し、リュウはその方向へと振り向いた。泣き喚く男の子のすぐ後ろに、バルバロイが立っている。腕を振り上げ、鋭く尖った爪の先端を、男の子の首に向けながら。

 

「!? よ、よせ!」

「嫌だね」

 

 爪は、容赦なく振り下ろされて――――

 

「! ぐっ……!?」

「こ……の……!」

 

 爪は、確かに振り下ろされていた。しかし、男の子の首には到達していない。当たると思われたほんの数ミリ手前で、止められたのだ。まるで光の速さでそこに移動したかとすら思える、紅い亜人の手に掴まれて。

 

「もう……やめろ……この野郎っ!」

「何だ……この力は……」

 

 リュウだ。リュウは今、ドラゴナイズドフォームの“力”を使ったのだ。それによって光速に匹敵する程の速度で距離を詰め、リュウはバルバロイの腕をしっかりと掴んだのである。当然リュウのような質量がそんな速度で動けば、衝撃波が発生する。そこに居た筈の男の子と母親は、衝撃で枯葉のように吹き飛んでいた。……だが不幸中の幸いか、命にまでは別状はなかったらしい。新たな痛みによって意識を取り戻した母親が、間近に迫るリュウとバルバロイの姿に気付いて……甲高い悲鳴を上げて男の子を抱きかかえ、一目散に逃げ出したのだから。

 

「いつまで掴んでいるんだ」

「!」

 

 リュウが無意識に使ったその“力”は、ドラゴナイズドフォームの特殊能力の一つ、瞬間的に何倍にも力を跳ね上げる“D-チャージ”である。そして使った力の代償は、確実にリュウの記憶を蝕んでいる。

 

「これ以上は……絶対にさせない……!」

「……フン」

 

 リュウの掴んだバルバロイの腕は、今にも握り潰されようとしていた。憤怒の思いが込められているのか、凄まじいまでの握力が、メキメキと腕の形を変形させていく。そしてふとリュウの目に、バルバロイの上腕部分に着けられている装飾品が飛び込んできた。腕輪だ。巧妙にカモフラージュされていて目の前数センチに来るまでわからなかったが、確かに“腕輪”が装着されている。リュウは、ここへ来る前に聞いたマスターの言葉を思い出した。

 

「ボクの力を……舐めるな!」

「!」

 

 バルバロイの“謎の力”が膨れ上がる。間近でその身体に触れていた事で、リュウはようやくその力の正体が何であるのかに気付けた。バルバロイは、スペックの劣る車に大量の燃料を注ぎ込み、ブレーキが壊れた状態でアクセルを全開にして突っ走っているようなものだ。だから、今のリュウの反則的な身体能力にも付いて来れている。ではその、“燃料”は何か。気付いてみれば、単純な話。

 

 そう――――それは“命”。

 

 バルバロイの力の源は、“命そのもの”。大量に取り込まれているドラゴンや、それ以外のもっとおぞましい何か。その全ての命を、無理矢理燃やされているのだ。バルバロイは今日この日、命を使い果たす為だけにリュウの元へ来た。もしくは、来させられた。リュウに勝とうが負けようが、文字通りここで命尽きるのだ。それを止める手段は、ない。

 

「離せ!」

 

 バルバロイが力任せに腕を振り、僅かだが思考の海に浸かっていたリュウは吹き飛ばされた。付近の民家に大穴を開けて中に転がり込み、壁に激突してガラガラと瓦礫に埋もれる。当然だが、その程度では身体に傷一つ付く事はない。何事も無く瓦礫の中から起きあがったリュウは、民家の外に居るバルバロイの方を向いて……

 

「く、来るんじゃねぇよ! 化け物がぁ!」

 

 コツン、と何かがリュウの頭に当たった。別にダメージになる程の物でもない。本当に小石が当たった程度の、極々小さな衝撃だ。

 

「あ……」

 

 だが、リュウにはその衝撃は十二分に重かった。恐怖に怯えた眼差しを向けられながら、投げられたのだ。石を。投げたのはその家の住人らしき若い男だった。傍らには最低限に纏めたと思われる荷物が転がっている。恐らく逃げる寸前だったであろう男は杖を片手に握りしめ、カタカタと震えていた。

 

「……」

「くそっ! ちくしょう! 何で! 何で魔法が出ねぇんだよぉ!」

 

 石を投げたのは、殺されると死を覚悟した上での最後の抵抗か。若い男は恐怖で涙さえ流しながら、リュウに杖を向け必死に呪文を詠唱している。勿論、何も起こらない。バルバロイの結界の効果が、まだ周囲一帯には残っているからだ。そして男からすれば、リュウもバルバロイも関係なかった。そこに居る二人は同じ“化け物”で、同じ“敵”でしかないのだから。

 

「……」

「さて、次は止められるかな」

 

 恐怖に震える若い男を無視して民家から出てきたリュウに、バルバロイは告げる。本当に、バルバロイは異様なまでにリュウ自身を狙おうとしない。この場所では駄目だ。なんとか誰も居ない所へ引き付けなければ、被害を食い止められない。リュウはとにかく、考えた。渾身の力で殴った筈のあの顔からわかるように、暴走する“命”の力が凄まじい速度でバルバロイの傷を再生させている。普通にやったのでは、悪戯に周りを巻き込むだけだ。何か手はないのか。

 

(……アレしか……)

 

 リュウの視線が、数瞬前に握り潰し損ねたバルバロイの腕を捕えた。……腕輪。これまでに見た操られた人と、このバルバロイの様子は全く違うけれど、少なからずアレがその心理に影響を及ぼしている筈。

 

「……」

 

 正直、そんな不確定な想像に縋るくらいしか方法が無い。リュウは予想が当たっていてくれる事を願いながら、静かに力を溜め始めた。狙うは腕輪。勝負は一瞬。これでバルバロイが正気――――リュウを執拗に狙う狂った思想が正気と言えるかはわからないが――――を取り戻せば、街よりリュウ自身だけを優先して襲ってくるかもしれない。そうなれば、ここから距離を離す事など簡単だ。

 

「……」

 

 同情する気は全くないが、せめて本来の意思くらいは取り戻して欲しい。“アイツ”に近付き記憶に影響が出てきている自分の境遇と重ねてしまい、リュウはそう思ったのかも知れない。

 

「ウオオオォォォ!」

「なに……っ!?」

 

 再びリュウは、光速に近い速度を出せるまでに力を溜めた。“D-チャージ”。“命”を力に変えて燃やすバルバロイですら反応できない、代償を伴う龍の力の収束。次の瞬間、リュウはバルバロイの背後に居た。すれ違うと同時に爪を一閃し、バルバロイの片腕の、肩から先を狙い通りに吹き飛ばしたのだ。それはまさに、“抉り取られた”という表現が良く似合う。そうして自分の足元にドサリと落ちたバルバロイの腕を、腕輪ごとリュウは思い切り踏み砕いた。

 

「あ……う……」

「……」

 

 向き直り、様子を伺うリュウ。これでバルバロイは、自分だけを執拗に狙う以前の状態に戻る……筈だ。かつてのように自我が混濁し、暴走状態になる可能性もあるかも知れない。だがそれなら今の自分の力を持ってすれば、強引に抑え込める。そんな希望的観測を抱きつつ、リュウは静かに状況を注視して……

 

「あ……うあ……ああ……」

「…………?」

 

 バルバロイの様子がおかしい。何故か、肩口から抉り取られた腕が、再生する気配を見せていない。バルバロイは呻きながら……ブルブルと、震えだしていた。

 

「あ……あああ……ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!」

「!?」

 

 刹那、膨れ上がった。感じられる力と、そしてバルバロイの“身体そのもの”が。リュウの予想は、真っ向から否定される結果になった。まるで今まで抑えていたモノが外に噴き出すかのように、バルバロイの身体は内側から醜く膨れ上がり、変異を始めたのだ。

 

「な……」

 

 訳がわからない。一体何が起こっているのか。混乱するリュウの目の前で、バルバロイの変異は速やかに進行する。膨らんでいく。何かが皮膚を突き破る。色が変わる。飛び出した骨が金属的な光沢を放つ。見上げるほどに巨大になっていく。突然濃厚な魔物の気配が多数そこから溢れだし、バルバロイの身体が、異様な何かに変貌していく。

 

「ま、まさか……」

 

 リュウは、かつてドラグニールに行った時の事を思い出していた。ユンナの幻影にバルバロイの事を訪ねた時、あの男は何と言っていたか。

 

『バルバロイは……あいつも、あんたが造った……?』

『ああ、アレの事ですか。アレはうつろわざるものの研究段階で作成したテストヘッドですよ。数多の生物の強靭な部分のみを繋ぎ合せてみたのですが、私の求めるスペックを満たす事ができず、その上余計な自我を持ってしまったので、魔法世界に遺棄した筈です。要は、私の過去の失敗作ですな』

 

 そう、ユンナの幻影は確かに言った。“数多の生物の強靭な部分を繋ぎ合わせた”と。

 

「まさか……これが……!?」

「ヴオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!」

 

 リュウの頭上のはるか上。見上げるほどの高さから、バルバロイが吼えた。変異――――真の姿への変化が、完了したのだ。それは多数の建築物をゴミの様に踏みつぶす巨大さを誇り、サソリのような蛇のような、とてつもなく長い体であった。顔と思われる部分は最早それまでのバルバロイの面影などなく、全てが鋼鉄のような外骨格に覆われている。額の部分に、全てを見通す様な瞳が……真っ赤な第三の目がある。

 

 上半分は所々筋肉繊維のような物が剥き出しで、そこから生えた腕らしき物体はエメラルドに輝く鋭利な爪を備え、やはり強固な外骨格で覆われている。下半分には脚と思しき巨大な突起が四本。これも腕と同じく鋭利に尖り、それ自体が非情な凶器にしか見えない。

 

 そして何より最も特徴的なのは、そのとてつもなく長い“尾のようなモノ”だ。多数の剥き出しの臓器が、触手のような物体が、ぐちゃぐちゃに連結されていた。どう機能しているのかわからないが、それらは確かに脈動し、蠢いている。まさに“繋ぎ合わされた”と形容するしかない異形そのもの。さらに不気味な事に、そこには以前に取り込んだと思われる無数のドラゴンの骸が点在し、形容し難い臭気を放っていた。

 

「何で……」

「ゴ ア゛ア゛ア゛ア゛!」

 

 発した“声”だけで、街を津波のような衝撃波が襲う。バルバロイの真の姿は、完全にバケモノだった。剥き出しの臓器を繋ぎ合わせた長い尾が、振るわれる。家が、建物が、人が、全てが、一緒くたに薙ぎ払われた。今この場に、リュウ以外に抵抗出来る者は存在しない。まさに、圧倒的な暴力だ。

 

「何でだよ! ちくしょう!!」

 

 尾の直撃を避け、空中に飛び出たリュウの悲痛な叫びが木霊した。リュウの考えは、全てが裏目に出てしまっていた。腕輪を砕けば何とかなると思ったのに、より事態を悪化させる方向に動いてしまったのだ。

 

「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!」

「!!」

 

 バルバロイの腕らしき部分が、小さなリュウ目掛けて振るわれる。命を暴力へと変換した凄まじいエネルギーが刃となり、放たれたのだ。リュウのドラゴナイズドの体さえ、それは容赦なく斬り裂いていった。

 

「うぐっ!?」

 

 かろうじて直撃は免れたが、エネルギーの刃はその程度で衰える事はない。刃はリュウのはるか後方……未だ無事だった建物達を、次々と破壊しながら飛んでいく。

 

「ヴ オ゛オ゛オ゛オ゛!」

「!」

 

 灼熱のブレス。バルバロイの口腔部から、超高熱の炎が吐き出された。足元の瓦礫、散乱する金属の類はドロドロに融解し、辺り一面文字通り火の海となる。取り込んだドラゴンの力か。はたまたユンナによる改造が原因か。とにかくブレスを避け、リュウはバルバロイの裏へと回り込む。だがその動きを追随するようにリュウへ顔を向けたバルバロイは、再び口を開け、ブレスを放った。……今度は極低温。極寒のブレスを。

 

「うああっ!?」

 

 直撃を受けたリュウの体が、たちまち凍り付いていく。ドラゴナイズドの体にさえ効果を及ぼす氷結のブレス。即座に龍の力を燃焼させ、リュウは周囲の温度の低下に抗う。このままじゃ駄目だ。反撃を。リュウは体に叩きつけられるブレスの中で手を前に突き出し、強引に力をそこに集中させていく。

 

「ウオオオオッ!」

 

 両の掌から、輝き放たれる力の極光。渾身のD-ブレスは氷結のブレスと正面から衝突し、徐々にだが押し返していく。何とかして、食い止めなければ。このままこのバルバロイを暴れさせたら、メガロメセンブリアは数分も経たずに完全壊滅してしまうだろう。リュウの強い意思によりさらに力を込められた熱線は、ついに氷結のブレスを打ち破り、バルバロイの顔と腕を、見事に焼き貫いた。

 

「ギ ャ オ゛オ゛オ゛!」

「っ!?」

 

 だが……瞬く間に再生が始まる。暴走する“命”は、傷つけられた箇所を見る見るうちに修復していく。そしてほんの数秒で、バルバロイの顔も、腕も、全く無傷の状態に戻ってしまっていた。……早い。早すぎる。正直、手に負えない。

 

「……くそぉ!」

 

 渾身の力を込めた筈のD-ブレスがこのような結果に終わった事で、リュウは悟ってしまった。コレは、紛う事なきバケモノだ。大きさも、そして強さも。もう少しで街を支配する“結界”の効果はなくなりそうだが、それを待っている時間があるとは思えない。待ったとしても、事態が好転するとも思えない。だから今コイツを止められるのは、自分の中に眠る“力”しかないのだと。

 

「……!!」

 

 わかっている。手段は一つしかない。“竜変身”。バルバロイの命を再生する間もなく一気に消滅させるしか、どうにかする術は最早ない。しかし……今の自分の状態での“竜変身”が、一体どんな事態を引き起こすのか。リュウ自身にも予想がつかない。最悪その時点で“リュウ”が失われ、“アイツ”に取って代わられる可能性だってある。怖い。だけど……

 

「ヴオ゛ア゛ア゛!」

「あぐっ!?」

 

 奇声を発しながら叩きつけられるバルバロイの爪が、リュウの身体と、そしてメガロの街を深く抉る。その姿はまさに言葉が表す通り“不明の言語を話す蛮族(バルバロイ)”そのものだ。やるしか……ないのか。リュウは半ば自棄のような気持ちで、自分の奥深くへと意識を巡らせて……

 

「!?」

 

 ……瞬間、リュウの視界はブラックアウトした。

 

 

***

 

 

 ――――――――何故だ

「え……?」

 

 気が付くとそこは、真っ暗な空間だった。明かりはない。耳に届いたのは、頭から足の先までを貫き裂くような、おどろおどろしい声。リュウはすぐに、自分が今どこに居るのかを理解した。

 

「……」

 ――――――――お前は、わかっているはずだ

 

 覚えている。この声の主はリュウが初めて変身した時に、この場所で自分を飲み込んだ巨大なドラゴン。即ち、“アイツ”だ。暗くて姿は見えないが、リュウにはわかった。今まで散々話をしたくてここへ来ようと努力したのに、こんなタイミングで招くとは、意地が悪い。

 

「……」

 ――――――――お前自身の消滅に近付くとわかっていながら、何故だ

 

 “アイツ”は何かを言いたげに、再びリュウに問うた。それに答えたら、何とかしてくれるとでも言うのか。そんな訳がないとリュウにはわかる。だから“アイツ”の問いが何だか非常に無責任なように感じられて、徐々にリュウの中に溜まっていた不満が……様々な思いが、頭をもたげてきていた。

 

「じゃあ……他に……方法、あんのかよ」

 

 ……。暗闇の主は答えない。

 

「他に……あのバルバロイを今この場でどうにかする方法……あんのかよ」

 

 リュウの質問に質問で返すような言葉に、やはり“アイツ”は答えない。どんな回答を期待しているのか知らないが、自分の気持ちを誤魔化して答えるのは無意味だとリュウは知っている。何故なら“アイツ”は……自分の、“半身”なのだから。

 

「こんな時にのこのこ現れて、そんなどうしようもない事言うなよ!」

 

 溢れだした。リュウが誰にも言えずに溜め込んでいた思いが、爆発した。

 

「どっちにしても、俺はきっと後悔する! 何とか出来る力があるのに何もせず見捨てたら後悔するし! でもそれで記憶とかが消えたりしたら、それはそれで後悔するんだよ! わかってんだよそれぐらい!」

 

 暗闇の主は、静かに聞いている。

 

「だけど! こうするしかないだろ! “比べてどっちがマシか”ってだけだよ! 俺だって出来れば消えたくないに決まってんだろうが!」

 

 嘘を言った所でどうしようもない。この半身様は、お見通しの筈だから。今こうしている間にも、ほんの僅かずつだが、同化していっているのだから。

 

「……」

 

 息を荒げ、リュウは投げやりに思った。ありがちに、命を捨てて誰かを守る高尚な精神だとか、覚悟とやらでも問いに来たのか。生憎だけど、俺にはそんなモンはない。言ってみれば“仕方ない”からだ。あんただって俺のそんな考えぐらい、わかってんだろ……と。

 

 ある意味相手も“自分”なのだと理解出来ているからか、リュウにかつてのような“アイツ”への怯えも遠慮もない。それにしても、自分の考えは言わなくとも伝わっているという感覚があるのに、“アイツ”の考えに関しては全く自分には分からない。理不尽だな、とリュウは思った。

 

 ――――――――そうか

「!」

 

 一言だけ。“アイツ”はそう言うと、そこに浮かぶリュウの身体の……左腕と左足が、暗闇に溶け込んだ。視界の隅に、ドラゴンの片腕と片足が、浮かび上がった気がした。

 

 

***

 

 

「!」

 

 ほんの僅かな時間だったらしい。リュウは正気を取り戻した。“アイツ”に言ったセリフは本心だ。結局今この場を何とかするには、自分がやるしかないのだ。内面に意識を向けずとも、選ぼうとしていたその力……竜因子(ジーン)は、勝手に浮かび上がって来ていた。

 

【ダーク】闇

【トランス】覚醒

 

「でぇやぁぁぁぁぁ!!」

 

 上空から紫色の落雷がリュウに直撃し、形勢される巨大で黒い球体。バルバロイの大きさに勝るとも劣らない、禍々しい力を放つ光の珠。表面に浮かぶ魔法陣が輝きを増すと、徐々にひびが入り、砕け散る――――

 

オ オ オ ォ ォ ォ ォ !

 

 耳にしただけで、命が奪われるとすら錯覚する咆哮。“ダーク”のジーンを極限まで引き出し、姿を現した深く暗い紫緑の龍。浮遊したまま巨大な蛇のようにとぐろを巻き、それでもなお有り余る長さを誇る全長。獄炎を伴って燃え盛る二本の角。血を固めた紅玉の様な瞳。この世とあの世を行き来する、死出の旅地に誘い導く冥界からの使者。

 

 ――――“ティアマト”が、降臨した。

 

「イ゛ィ ィ ア゛ア゛ア゛!」

「オ オ オ オ オ !」

 

 二体の巨大な化物……ティアマトとバルバロイは互いを敵と認め、同時に吼える。街を離れ、近場の高台に避難した人々は、この世の物とは思えないその光景を目にしてこう思った。

 

 今日でメガロメセンブリアは終わりだ……と。

 

「ガ ア゛ア゛ア゛ア゛!」

≪ウオオアア!!≫

 

 巨大都市の一部を焦土に変えた、バルバロイの灼熱の息――ファイアブレス。対してティアマトが放つのは、体内に溢れる闇の力の息吹――ダークブレス。同時に放たれ衝突し、激しく競り合う赤熱と暗黒のブレスが拮抗を見せたのは、僅かな時間だった。軍配は黒に上がる。ダークブレスはあっさりとバルバロイのファイアブレスを押し切り、その長大で醜悪な尾の一部と、足二本を消し炭と化した。

 

「ア゛ギ イ゛イ゛イ゛イ゛!」

≪ち……!≫

 

 だが折角のダメージも、ほんの数秒で完全に再生する。だからティアマトは、その僅かな合間に蛇のようにとぐろを巻く尾を解き放ち、強靭な先端を、真上からバルバロイ目掛けて叩き付けた。

 

≪オオオ……ッ!≫

「ギ ア゛ッ!」

 

 ズズゥン……と地響きが起き、バルバロイは瓦礫を押し潰し街の深くへとめり込む。傷は即座に治っても、全体に与えられた衝撃そのものは蓄積する筈だ。ティアマトは畳み掛けるように再び尾を叩きつけようとして……だが今度は、めり込んだままのバルバロイの醜悪な尾が動き、ティアマトを横から殴りつけた。

 

≪っ! ぐぅ……!!≫

 

 臓器と触手、ドラゴンの骸の塊が一度に叩きつけられ、ティアマトの鱗が僅かに溶ける。尾から胴にかけてはまだ、ドラゴンキラーの力が残っているらしい。だが逆に今、バルバロイの身体そのものは無防備な状態で起き上がっている。それを見たティアマトは一気に勝負に出た。己へのダメージさえ顧みず、凶悪な口を大きく開けてバルバロイの胴体に……噛み付いたのだ。

 

≪ウゥゥゥッ!!≫

「ゴ オ゛オ゛ア゛ア゛ッ ! ?」

 

 ブシュブシュと牙の隙間から体液が漏れ出し、異様な臭気が広がっていく。痛みにもがき、暴れるバルバロイ。しかしティアマトは離さない。突き刺す牙は奥深く。口の周りを焼いていくドラゴンキラーに耐えながら、ティアマトは噛み付いたバルバロイの身体を……徐々に、そこから持ち上げていく。

 

「グ ウ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ッ゛!」

≪!!≫

 

 ティアマトが何をするつもりか勘づいたのだろう。至近距離からバルバロイの爪が振るわれた。凝縮された命の刃が乱れ飛び、ティアマトの身体は激しく傷付いて……だが、離さない。幾度も刃が鱗を傷付け、血が飛び散る。それでも耐え続け、ついに一瞬だけだが、命の刃の乱舞が止んだ。

 

≪い……ま……だぁぁぁ!≫

 

 その瞬間を狙い、バルバロイの巨大な身体を持ち上げたティアマトは大きく身体をうねらせて――――渾身の力で、大空へと放り投げた。バルバロイの長大な尾さえもが、はるかな高さにまで舞い上がる。

 

「グ ウ゛ッ !?」

≪……≫

 

 何者をも巻き込む事の無くなった空の下で、ティアマトは大きく力を蓄える。身体の奥。吸い込む空気と闇の力が入り混じり、膨大なエネルギーに変換されていく。目には目を。暴力には暴力を。高く舞い上がったバルバロイに照準を合わせ、ティアマトの(アギト)が……地獄の釜の蓋が今、開かれる。

 

≪ウォォォォォァァッ!≫

 

 ――――それは、まるで黄昏の様であった。

 

 暗い燈色の、触れる物皆塵と化す、地獄の吐息。空に浮かぶ一つの生命を飲み込み、終わりを与える亜空の障気。

 

 ティアマトの真骨頂、“ゲノサイドブレス”。

 

 燈色のブレスはバルバロイの身体を包み込み……大空全てを、燈に染めた。尾の先から頭の頂点に至るまで。放たれた瘴気は存在する“命”の全てを貪り尽くしていく。ユンナによって繋ぎ合わされた身体は悉く崩れて行き……遂にバルバロイの巨体は、悲鳴一つ残さないまま、燈色の彼方へと消え去った。まるで天へと……あの世へと昇っていく様に――――

 

 

 

 

「……」

 

 バルバロイの消滅を見届け、ティアマトの姿から変身を解いたリュウは、遠方に微かに残る気配を感知した。メガロから少し離れた荒野。リュウは街から逃げるようにそこへと向かい、気配の元を探して……倒れている、一人の少年の姿を発見した。

 

「……」

「……やぁ……リュウ……」

 

 薄らと開いた目に力は無く。そこに居たのは存在感そのものが薄れていく、バルバロイの成れの果て。少年の姿を取り戻しているのは、今際の際の微かな猶予か。

 

「……」

「……僕は……君に、やられたのか……」

 

 バルバロイはそう、自分自身を納得させるように呟いた。あの“腕輪”を切り離した事で、何故バルバロイはあんな事になったのか。リュウは内心問い質したかったが、様子からすると恐らくこいつに聞いてもわからないだろうと、聞くのを止める。力の無い目がリュウの方を向き、バルバロイは再び口を開けた。

 

「今の、君は……」

 

 少しずつ……身体が灰になっていく。既に足の先はない。かつてのように、最後に魔法を使う力など残っていよう筈もない。リュウは静かに聴いている。

 

「“君自身”が……薄れている」

「……」

「“ヒト”に……成り切れていない」

「……」

「ミリア様のような“うつろわざるもの”には……遠く及ばない」

「……」

「そして“竜”に少しずつ、近づいている……」

 

 リュウが戦っている最中にバルバロイの力を感じ取っていたように、バルバロイもまた、リュウの事を感じ取っていた。腕輪を着けていた時の記憶の筈だが、バルバロイはその事を覚えていた。

 

「君を構成するその四つ……不安定だ。僕と……同じように……」

「……」

 

 バルバロイは安堵していた。リュウもまた、自分と同じく欠陥だらけだと理解したのだ。最後の最後で、バルバロイの執着は本当の意味で薄らいでいた。リュウは、今言われた言葉を否定する気はない。その事実自体は理解している。完全に受け入れているのとは多少異なるが。

 

「……」

「……消える……か……」

 

 灰となる速度が加速する。足から腰へ。腰から胸へ。自分が滅ぶというのに、バルバロイは落ち着いていた。

 

「じゃあね……“竜の成り損ない(ドラゴン・クォーター)”。僕は……君が大嫌いだった」

「……!」

 

竜の成り損ない(ドラゴン・クォーター)”。今のリュウを的確に表した、バルバロイの最後の皮肉。それはリュウの耳に、しっかりとこびり付いた。

 

「ミリア……様……申し訳……あ…………り……」

 

 そしてバルバロイは灰の山となり、完全に、その命を消失した。一陣の風が吹き、灰は風に紛れてサラサラと流されていく。まるでそこには最初から何も居なかったかのように……。

 

「……?」

 

 ふと、リュウは気付いた。バルバロイの体が横たわっていた場所に、いつの間にか一振りの剣が落ちている。不思議に思い拾い上げてみると、剣はまるでリュウに持たれる事を望んでいるように、僅かに発光した。

 

「……」

 

 この剣はなんなのだろう。バルバロイに取り込まれていた多数のドラゴン達の、解放された事へのお礼みたいな物だろうか。確実に自分に都合の良い解釈ではあったが、今、リュウはせめて、そんな風に思いたかった。

 

 

 

 続く


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