炎の吐息と紅き翼   作:ゆっけ’

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7:葛藤

「……っっ!」

「あ、相棒!!」

 

 リュウの脳内に渦巻く警報。尋常でない痛みもそうだが何より、今貫かれているこの触手らしき物体。触れているだけで、その部分が激しく焼けついていく感覚。これには覚えがある。かつて旧世界の山奥、ドラグニールで相対した天敵とでも言うべき力、“ドラゴンキラー”。これを持っているのは一人しかいない。つまりこの、兵士隊の隊長の姿をしているのは、あの時自爆的に放った魔法で石と化した筈の――――

 

「バ……」

 

 ――――バルバロイ。そう言葉に出そうとして、リュウは喉の奥から込み上げてきた己の血で口を塞がれた。必死に頭を回転させる。今しなければならない事は二つ。一つは、腹に最大出力で治癒魔法を当てる事。貫かれた箇所が心臓の位置だったら即死だった。危ない所だったが、それでもこの傷は対処を誤れば間違いなく致命傷になる。そしてもう一つは、何とかしてこの場から遠ざかる事だ。目の前の相手がバルバロイだとしたら、その目的は間違いなく自分の命なのだから。自分のために、周りを危険に晒す訳にはいかない。

 

「……」

「う……ぐっ……」

 

 ゾブッ……と耳に残る音を立てて、兵士長はリュウの腹から触手に変化していた腕を引き抜いた。

 

「なんだ……他愛無いね」

 

 兵士長の声は、先程までの精悍な男の物ではなくなっている。もう変装の意味もなくなったからだろう。ヴンと兵士長は光に包まれ、小柄な少年の姿へと変わった。そこに居たのはリュウの読み通り、冷たい顔をした白髪の少年だった。

 

「相棒! しっかりしろぉ!」

「かっ……」

「……」

 

 ボッシュの呼びかけに応答出来ず崩れ落ち、腹を押さえ、血反吐をぶちまけたリュウを、白髪の少年は機械のように無機質な瞳で見下ろしている。そしてリュウの血で塗れた己の腕の感触を確かめて顔色一つ変えぬまま、今度は確実にリュウの首へ狙いを定め、再び触手に変化した腕を振り下ろ――――

 

「リュウ!!」

「!」

 

 ――――す寸前、白髪の少年はその場を飛び退いた。ナギの魔法の矢と詠春の斬空閃。その二つが自分を狙って飛んで来ていたのだ。二人の咄嗟の判断が、文字通り間一髪でリュウの危機を救った。

 

「アルッ!」

「わかっています!」

「モモ! あなたも!」

「了解ー!」

 

 ナギの一声でアルが、ゼノの声でモモがリュウの側に駆け寄ると、すぐに治癒の魔法を唱えて貫かれた傷に光を当てる。両者の魔力は普段に比べて遥かに弱いが、それでもないよりはマシだ。そして炎の吐息メンバーの三分の一とナギ、詠春がリュウを庇うようにその前に立ち、残りとゼクトは見物客達の警護へと回る。一変して、場に緊迫した空気が形成されていた。

 

「てめぇは……!」

「やぁ、ナギ・スプリングフィールド。直に会うのは二回目だったかな」

 

 ナギはその白髪の少年の顔に覚えがあった。随分前の事だから名前は忘れてしまったが、麻帆良で初めてリュウに会った時、勝負を邪魔したヤツだという事を記憶から引っ張り出す。その時は、自分も危うく魔族の大群に殺されかけたのだ。何故、今もこうしてリュウを狙っているのか。理由はさっぱりわからないが、“敵”だと判断するには十分過ぎる。

 

「挨拶なんざどうでもいい! よくもリュウをやりやがったな! 絶対許さねぇぞ! 俺達全員を相手に無事で済むと思うなよ!」

 

 ナギをはじめとした紅き翼の四人。リュウを除いた炎の吐息メンバーの十一人と一体。彼ら全員、断定していた。こいつは正体不明だが、“敵”だと。既に取り出していた武器を持つ手に、力が篭る。けれど、白髪の少年はそれを全く意に介さない。

 

「威勢が良いね。でもそれはこっちのセリフさ。君達こそ今のその弱々しい力で、僕を止められると思っているのかな」

「……っ!」

 

 少年の言葉に、ナギは僅かに汗を滴らせた。この少年の力は未知数だが、強敵である事は間違いない筈だ。今自分達は皆、例外無く力を消耗している。炎の吐息のメンバーは勝負で使ったセブンスセンスの影響で、大きな力は使えない。ナギ達にしても、全員普段の力の半分も出せるかわからない。唯一“変身”という切り札を持つリュウがやられている現状で、背後に居る大勢の見物客達を守りながら戦うというのには、厳しい物がある。

 

「この傷、何て酷い……」

「……いけません、早く消毒を」

 

 少年と対峙しているナギ達の後ろで、リュウの傷を見たモモは顔をしかめ、アルに至っては顔色を変えていた。リュウの腹は、貫通された穴の周囲がまるで強烈な酸で溶かされた様に焼け爛れている。それが二人には毒か何かのように見え、そしてリュウが未だ意識を保っている事にも驚いていた。普通なら間違いなく気を失う程の痛みが襲っている筈だと、嫌でもわかったからだ。

 

「だ……大丈……夫……だから……!」

 

 もし仮に毒だとしても、リュウの持つ魔法発動体“竜のなみだ”が防いでくれる。この焼け爛れは“ドラゴンキラー”のせいだ。しかしその事を二人に説明しているような余裕はリュウには無い。相手はあのバルバロイだ。今は一刻も早く傷を治して、最低限動けるようにならなければ。アルとモモの手を借りれば、何とかすぐに復帰出来る筈。リュウはボッシュに自分はいいから他の援護に回れと念話で伝え、とにかく回復に専念しようとして……

 

「……“結界”」

 

 バルバロイが一言呟いた時、その足元から波紋のように白い光が放たれた。それは辺り一面を這うように広がっていく。

 

「これは……魔法が……!?」

「あ、あれー!?」

 

 突如、リュウの治癒を行おうとしていたアルとモモの二人の掌から、魔力の光が消え去った。治癒の光を放っているのは、“龍の力”を元としているリュウ自身の治癒魔法だけとなる。

 

「な、何だって!?」

「気が消えた……いや、消されたのか!?」

 

 今自分達の周囲に起きた不可解な現象にナギは声を荒げ、詠春も驚きを隠せない。刀に纏わせた気の光が失せ、ナギの握る杖が単なる木の棒に成り下がる。バルバロイの足元から広がった光は、その場に有る全ての気や魔力を掻き消したのだ。

 

「馬鹿な……あり得ん……!」

「これはまさか……魔法無効化能力!? そんな筈は……」

「心配しなくていい。僕のは一時的なものさ。でも、今はこれで十分」

 

 再び気や魔力を纏おうとしても、光の波紋の影響が残っているらしくまともに力が発揮されない。予想しなかった事態に、両チームの間に衝撃が走った。これでは翼をもがれた鳥も同然。この場に居る戦闘可能な人員全てが、攻撃も防御も大きく弱体化した事を意味している。

 

「……」

 

 そしてバルバロイは、己の周囲に実体を持った石の矢を大量に浮かべた。謎の“気とも魔力とも違う力”を媒介にしているそれは、リュウ達だけでなく後ろの客達をも襲ってなお余り有る程の膨大な数だ。標的とされた見物客達は兵士も含めてごく一部を除き、事態のあまりの突飛さに現状把握が出来ずその場で呆然としていた。

 

「ついでだから、全員消えて貰おうかな」

「!!」

 

 バルバロイに躊躇いは無い。鋭利な石の矢は、切っ先をその場に居る全ての人達へ向け、唸りをあげて飛んで行く。ナギは“人を助ける”という己の理念に従い、リュウの防御をアルと彼の仲間に任せ、意思を同じくした詠春と共に客達の前に躍り出た。自分一人分ぐらいなら、弾くのは容易い。しかし、後ろの見物客達はそんな芸当出来はしないのだから。

 

「お前ら! 絶対にそこから動くんじゃねーぞ!!」

 

 下手に動かれては守れる者も守れない。ナギは見物客の集団に向けて乱暴に言い放つと、護衛に回っていた炎の吐息メンバー三分の二とゼクト・詠春と共に、石の矢からの防衛戦を開始した。

 

「く……ぅっ……!」

 

 弱い障壁すら張れない為に素手で石の矢を弾く度、あちこちに増えていく擦り傷や切り傷。体力が万全の状態だったなら。それか気と魔力が使えたら。どちらか一つさえあれば、これほどの苦戦はしないのに。ナギ達は無い物ねだりをしながら、それでも必死に石の矢を弾き落としていく。

 

「ひいい!!」

「ば、馬鹿動くんじゃね……」

「ぎゃああっ!!」

「っ!」

 

 恐怖に駆られ、ナギの制止を振り切って逃げ出そうとした某国の重鎮が、腕を、足を、背中を、石の矢で串刺しにされた。集団から離れた為、ナギ達の手もそこまでは届かなかったのだ。

 

「くそっ!」

 

 犠牲者が出てしまった事に顔を歪めながらも、ナギ達は死に物狂いで迫り来る石の矢を叩き落としていく。

 

「……ぐ……」

 

 石の矢全てを一つ残らず粉砕した後の光景は、先程の勝負終了後よりも酷かった。何しろ数が数だ。炎の吐息も紅き翼も、増えた傷から大量の血が流れ出ている。それらがまるで、失われていく体力そのもののようにすら思えてくる。既に多くの血を流している彼らから、その痛みと出血は“集中力”を奪うに十分だった。

 

「う……あ……た、助け……」

「あの方、まだ…………た、助けないと……!」

「ミイナ、何を!?」

 

 集団から離れたせいで石の矢に貫かれた男には、まだ息がある。集団の一番後ろに居たおかげでその事に気付いたミイナは、持ち前の行動力で彼を助けようと集団から一瞬だけ離れた。弱いが治癒の術なら自分も使える。ナギ達とリュウ達が守ってくれているこの集団の中にまで引っ張ってくれば、きっとあの人も助かる筈。そう考えての行動だった。

 

「……」

 

 バルバロイは目だけを動かして、集団から離れたミイナを追った。特に彼女が気に触ったと言う訳ではない。脅威となる力を感じたという訳でもない。……しかし、だからと言って放っておく理由も特にない。集中力を落としていたナギ達の、その隙を突いた形だった。バルバロイは飛び出した飛翼族の少女の目の前へと、瞬時に移動したのだ。無機質な瞳のまま鞭のようにしなる触手と化したその腕を、大きく振り上げながら。

 

「ミイナッ!」

「え……」

「やめ……!」

 

 エリーナの悲鳴にも似た叫び声と、焦燥に彩られたナギの声が重なり合い――――

 

 ――――鮮血が、宙を舞った。

 

「!」

 

 ……僅かに遅れてキィンと響き渡る、澄んだ金属音。

 

「やら……せ……るか……!」

 

 ……切断されたのは、バルバロイの触手の方だ。千切れたそれは血飛沫を撒き散らしながら地面へと落ち、同時に折れ飛んだ金属質の刀身が、カランと音を立てて地に転がる。

 

「え…………リ、リュウ……さ……ん……」

「……」

 

 へたり込んだミイナの前に立っていたのは、リュウだ。塞がりきっていない腹の穴からポタポタと血を流し、息を荒げ額に玉の様な汗を浮かべたリュウが、刃の無くなった剣を振り切った姿勢で立っていた。

 

「っ……!!」

 

 歯を食いしばり、続け様にリュウは回し蹴りをバルバロイに放った。それは腕を無くしたバルバロイの脇腹に当たり、誰も居ない方向へその体ごと吹き飛ばす。反動が腹の傷に響いて、リュウの顔が苦痛に歪む。何とか目論見通り、ナギ達を含めた一団からバルバロイを引き離す事に成功したと見る。そしてリュウは、折れてしまったフィランギを投げ捨ててその後を追った。

 

 リュウはアルや仲間達が自分へと飛来する石の矢を払い除けてくれた後、傷に治癒の魔法を当てながら決して目を逸らさなかった。一時も、バルバロイから。そして本当に最低限動ける程度に回復をした所で、バルバロイが動いた瞬間にこれ以上させまいと、その後を追随したのだ。

 

「ふー、ふー……」

 

 何事もなかったようにふわりと着地したバルバロイと相対し、腹の傷の痛みに喘ぐリュウが感じているのは、責任感である。バルバロイの狙いは、ほぼ確実に自分である筈だ。だから、この場で襲われた皆については“巻き添え”以外の何物でもない。自分のせいでこれ以上他の人達が傷付く事を、リュウは嫌がった。

 

「そう言えば、以前にも君には腕を斬られた事があったね」

 

 白髪の少年バルバロイは氷の様な表情のまま、抑揚の無い声でそう言い放った。バルバロイが言っているのは、初めてリュウが変身した時の話だ。その時は切られた腕を回収し、後で接合しなければならなかった。だが今斬られたバルバロイの腕は、まるで内側から新しい腕が生えてくるかのように既に再生している。

 

「お前の、相手は……俺だけの……筈だろ……」

「……」

 

 リュウは、何とかしてバルバロイの意識を自分だけに向けさせたかった。どうやってあの石化から戻ったのか。何故今、この場に現れたのか。気になる事は山ほどあるが、それ以上に他の人間に手を出して欲しくない。これは私闘だ。勝負を終えた直後で弱っている上に“結界”の効果で気も魔力も封じられた状態では、ナギ達や自分の仲間ではまずバルバロイには歯が立たない。今対抗できるのは、リュウだけしかいないのだ。

 

「……」

 

 ギリっと歯を食い縛って痛みに耐え、余裕が無いリュウ。それと相反するように、バルバロイは静かだった。その瞳はリュウだけでなく何故か後ろのナギ達の一団へも向けられ、交互に視線が動いている。

 

「何故だろうね。今僕は、とても不思議な気持ちなんだ」

 

 バルバロイはふっと空を見て、突然妙な事を言い出した。リュウはそんなバルバロイの“話”よりも、その一挙手一投足の方にだけ注意を払っている。左手で腹に治癒の魔法を当て続けているが、戦いながらのペースでは完治に時間が掛かる。そもそも最初から魔力も龍の力もギリギリしか残っていないのだ。それでもなんとか“このまま”で現状を打破する術が無いか、リュウは頭を回転させる。

 

「そう……不思議と……君だけじゃなく、他の人間も纏めて殺したい気分なんだよ」

「!!」

 

 再び、バルバロイの周囲に石の矢が浮かんだ。今度は、前の物よりもさらに数が多い。……何故、俺だけを狙ってくれない! リュウは焦った。バルバロイは本気だ。何故かこの場にいる皆を、リュウ以外をも標的にして、皆殺しにしようとしている。

 

「今の君に、これが防げるかな」

「こ、この……!」

 

 リュウの頭上を飛び越える形で、再びナギ達の方へと襲いかかろうとする石の矢の大群。リュウは治癒の魔法を止めると、咄嗟にポケットに両手を突っ込み、残り少ない力を絞り出す様にスーパーコンボを発動した。気と魔力は封じられ使えなくても、龍の力は使える。そしてポケットから極大のショットガンを放ち、飛び掛ろうとする石の矢全てを、一撃で塵へと返した。

 

「……はぁっ……はぁっ……」

「……」

 

 バルバロイは、かつてのように暴走する素振りを欠片も見せない。そもそもドラゴンキラーは半身が黒く染まる姿だった筈なのに、そうならずに効果だけ発揮している所がさらに不気味だ。おまけに自分も魔力が使えなくなった筈の空間で、どう見ても魔法のようにしか見えないあの石の矢を放てるカラクリ。わからない事が多すぎて、リュウは考えが纏まらない。そして体力も魔力も、既に限界に近い。

 

「今のでさらに力を消耗したようだね。“あの姿”になる気はないのかな」

「……」

 

 前にもドラグニールで似たような問い掛けをされた事を、リュウは思い出した。あの時は素の状態では全く叶わず、やむなく“変身”という選択を取るしかなかった。今度はどうだ。体調が万全なら、あの時の様に一方的に殴られる事はないと思いたい。だが消耗し、怪我まで負った状態でこいつを退ける術は……今度も、やはり“変身”する以外に思い当たらない。けれど……

 

「……」

 

 リュウは迷った。今は、リスクがある。暴走なんかよりもハッキリと、自分が消えてしまうかも知れないという恐怖がある。だから、迷っていた。考えても他に選択肢が見つからないのに、それでも必死にそれ以外の可能性を模索していた。

 

「……。やっぱりまだ、あの姿になるつもりはないんだ。まぁ、それならそれでもいいよ」

「!」

 

 リュウは思考を中断して、バルバロイの態度に疑問を抱いた。バルバロイは、自分に対抗する為だけに魔法世界に生息するドラゴンを大量に取り込んで、ドラゴンキラーを得る程の執着を見せていた……筈だ。己の意識の混濁さえ、厭わずに。その事と比べると、今の態度には違和感がある。まるでリュウへの執着が、バルバロイの中の優先順位で最上位ではなくなったかのようだ。

 

「どっちにしても、僕には……“好都合”だから……!」

「!!」

 

 そう言ったバルバロイが上空に手を掲げると、そこに巨岩が召喚された。いや、“巨岩”という言葉では生ぬるい。それは“山”だ。直径数キロメートルはあるほどの“山”を、根こそぎ移動させたかのような超巨大な岩塊。あまりの大きさに太陽の光が届かなくなった機械浜の地で、バルバロイはリュウに選択を迫る。

 

「さぁ、変わって防ぐか。変わらずに皆と共に死ぬか。好きな方を選べばいい」

 

 そしてバルバロイは……掲げた手を一時すらも躊躇わず振り下ろした。“山”は真っ直ぐに、落下を始める。自分だって巻き込まれる程の規模であるのに、涼しい顔をして。

 

「っ!」

 

 考える暇すら貰えない。何でだ。何でこんな事になった。リュウはバルバロイを凄まじい形相で睨んだ。自分が自分じゃなくなるのと、この場に居るみんなの命。その二つを天秤に掛けられたら……後者を取るしかないじゃないか。他に方法なんて、切羽詰まったこの状況では例えあったとしても、思い付かない。……思い付けない。

 

「くっそぉぉぉぉぉ!」

 

 リュウの叫びに呼応するように、紅く禍々しいオーラが全身から立ち昇る。リュウの身体が、その真っ赤な光の中で半人半龍のそれへと変化していく。後方に居る大勢の人間の目の前で、リュウは真の姿、ドラゴナイズドフォームへと変わるのだった。

 

「ウゥオオォ!!」

 

 落ちてくる“山”に向け、リュウは咆哮と共に爪を一閃させた。“ウラガーン”。真横に薙ぐような爪の一振り。たったのそれだけで、次の瞬間直径数キロメートルはある筈の“山”が、粉微塵にまで粉砕されていた。瞬きをするのと等しい時間の間に真上にあった筈の“山”は、その原形を無くしたのだ。

 

「ウオアァァァ!!」

 

 さらに上空へと向けられた両の掌から、一瞬だけ放たれた眩い光を伴う熱線。それが空を埋め尽くす小石と化した大群を、一つ残らず蒸発させてしまった。たった一人の存在が、目にも止まらぬ速度で山さえ消してみせる。まるで夢物語の様な桁の違う力を、リュウは見物客全員に見せ付ける形になっていた。

 

「な……何なんだ……あの姿は……」

「か、彼も、人間じゃあなかったのか……!?」

 

 今のリュウの姿を見た見物客達の反応は、一様に同じものだった。見ているだけでカタカタと体が震え、バルバロイよりむしろ明らかにリュウに対して怯えている。それは恐怖だ。根源的な恐怖だ。今のリュウは、そこに居るだけで巨大なドラゴン以上の圧倒的威圧感を放つ存在だ。それが人間の心の奥底にある、潜在的な恐怖心を呼び起こしたのだ。

 

「流石だね。化物」

「……お前にだけは、言われたくない……!」

 

 リュウは、これ以上この姿で居たくない。理由は一つ、この姿で居るだけでも、自分が失われていく気がするからだ。変身した事で腕を斬られたバルバロイと同じように、塞がりかけていた腹の傷が高速で修復されていく。だがその異常さが今は逆に、リュウに焦燥感を与えていた。すぐに終わらせなければ。決断したリュウは、ナギの目にすら影しか捉えられないほどの速度で、バルバロイの横を“通り過ぎた”。

 

「がっ……!?」

 

 振るわれたのは、“ヴィールヒ”。爪を振り抜く、何でもない只の一撃。しかし、それは桁の違う一撃だ。以前はあれほど苦戦した筈のバルバロイの体が、今の一撃で上下に泣き別れした。文字通りの瞬殺である。リュウが今の攻撃で手に受けた感触は精々、バルバロイの体に宿るドラゴンキラーによって、じわりと指先が焦がされた程度の物だ。

 

「……」

「フ……フフ……」

「!」

 

 笑い声? ……あり得ない。リュウは声の出所、自分の後ろへと咄嗟に振りかえった。そこには、何もない。確かに切り裂いたと思ったバルバロイの、身体のどちらも。すぐにリュウは気付いた。今のは錯覚。攻撃が当たったと思った事で、自分の脳が見てしまった唯の錯覚だと。即座に鋭敏過ぎる感覚を周囲に向けて、リュウは察知した。上に居る。そうして見上げたリュウの瞳は、驚きで見開かれる事になった。

 

「フフ……リュウ、僕はね、力を手に入れたんだ」

 

 ……頭に、今のリュウと似た角のような物が生えている。両手両足にも、色は青いがリュウと似た甲殻の様なものが付いている。

 

「ドラゴンキラーよりもずっと強力な……」

 

 ……背中に、リュウのそれよりも禍々しく尖った突起物がある。リュウと同じような文様が、顔から上半身に掛けて走っている。

 

「君と…………同じ力を!」

 

 全身に、リュウとよく似た蒼いオーラを纏っている。バルバロイの今の姿はそう、まるで……

 

「ドラゴナイズド……!?」

 

 バルバロイの姿はリュウとオーラの色や各部の形状こそ若干違えど、紛れも無くドラゴナイズドフォームそのものだった。そんな筈はない。リュウがドラゴナイズドと呼ぶ姿は、元々ユンナによる改造が原因だ。そのユンナはもう居ない。現実世界のドラグニールに機械はあったが、ユンナの投影機器以外の大半は破損していたし、ボッシュの様な存在でも居なければ解析すら無理な筈。

 

「まさか……」

 

 一体誰がバルバロイをこうしたかと考えて、リュウは一つの結論に辿りついた。“完全なる世界”。かつてバルバロイが口にした、その組織が関わっているとしか思えない。石化を解除し、数多のドラゴンを取り込んでいたバルバロイに、さらに何らかの改造を施したのだ。そう考えれば、一応の辻褄が合う。だが、わからないのは“目的”だ。単純に自分を倒す為だけなのか。それとも何か別の目的があって、バルバロイを改造したのか。

 

「……!」

 

 リュウは今この時、意識への浸食の影響が出ている事を感じた。昔の記憶の中身が、思い出せない。あのドラゴナイズドフォームとよく似た姿の詳細を、自分は“知っている”。……だが、その肝心の中身が思い出せないのだ。思い出そうとしても、霞のように消えてしまう。

 

「フフ……リュウ……君の見ていた世界……見えるよ……ボクにも」

「……!」

 

 宙に浮かぶバルバロイは、蒼いオーラを纏っている。龍の力ではない。似た感じを受けるのは、あくまで以前取り込まれたドラゴンの影響だろう。では先程から理解し難い、あの力の出所は一体何なのか。後方に居るナギ達からは、未だ魔力や気の発現を感じ取れない。この場にあの“結界”の効果は、まだ生きているらしい。という事は、やはりバルバロイのそれは魔力や気ではない。あの力の正体が、リュウにはわからない。

 

「……そう、リュウ。僕達は同じだ」

「……」

 

 バルバロイの声に、リュウは思考の海から引き戻された。同じ? 俺がお前と? リュウはそれを否定したい。同じじゃない。こんなヤツと一緒にして欲しくない。でも、どこかに否定しきれないと思う部分もあった。それが、たまらなくもどかしかった。

 

「……同じ、ヒトにあらざるものだ」

「……」

 

 元々人間でなかったくせに、今更何を言うのか。だが改めてヒトとは“違う”事を強調されると、リュウの耳に、その言葉は重かった。

 

「……」

 

 見上げるリュウ。見下ろすバルバロイ。まるで背後に居る多数の人間を守るように立つリュウの姿を見て、バルバロイは笑った。

 

「はは、リュウ。今度は……あんなお荷物を庇っている余裕があるかな」

「……!」

「さぁ、始めようか……リュウ!!」

 

 リュウへ向け、背中の突起物から蒼い光を噴射しながら迫り来るバルバロイ。正面からの突撃。速度は並。だが、リュウに避ける選択肢は無い。もしも避ければバルバロイは、そのまま後ろの集団へと突っ込んでいくだろう。ならば止めるしかない。いくらドラゴナイズドの姿を真似たとしても、修行して伸びに伸びた力までは、決して真似出来ない筈。

 

「みんな! 伏せて!」

 

 山さえ粉砕する爪の二連撃、タルナーダ。圧倒的な力を秘めたリュウのその攻撃と、バルバロイの同じくオーラを纏った脚が激突した。一瞬で天地は裂かれ、尋常でない威力の衝撃波が機械浜を襲う。ナギ達は全員、リュウの言葉通りに伏せたおかげで吹き飛ばされずに済んでいた。

 

「なっ……!」

「フフ……」

 

 リュウの爪と正面衝突して、バルバロイの足に変化はない。むしろリュウの腕の方に、同じくらいの衝撃を返してきている。リュウは驚愕した。こんな馬鹿な事があるか。いくらバルバロイがドラゴナイズドと似た姿になったとは言え、修行という上乗せがある今の自分と互角だと言うのか。そんなの、信じられない。……信じたくない。

 

「タルナーダ!」

「フンッ!」

 

 再び振るわれるリュウの爪に、やはり同種の蹴りと踵落としで対応するバルバロイ。結果は先程の焼き直し。打ち合い、そこまで。……二度も続く偶然なんてない。リュウは認めざるを得なかった。互角なのは、事実。だが、不可解だ。二度拳を交えてわかった。単純な力やスピードというスペックでは、やはり自分の方が大きく優っているのだと。なのに……

 

「お前、一体……!」

「フフ……力だ。力が湧いてくる……ハハ……ハハハハハ!」

「!!」

 

 愉悦という感情を露にするバルバロイの爪と蹴りが、リュウを襲う。それはまるで、リュウのヴィールヒ・ウラガーン・タルナーダと見た目も威力も瓜二つであった。一撃一撃を受け止めながら、リュウはさらに理解する。スペック自体はやはり自分が優っている。違うのは“出力”だ。まるで上限が取り外されているかのように、バルバロイの“謎の力”が、最初からフルパワーを出し続けているのだ。そして、それが途切れる様子は全く無い。

 

「くっ……!」

 

 リュウは攻めあぐねていた。バルバロイの攻撃を受け止めた時、発生する衝撃波の威力はそれだけで周囲に甚大な被害を及ぼしている。もしもこの場でD-ブレスを放ち、万が一それをもバルバロイに防がれたら、行き場を無くした力がナギ達の方にまで飛び火する可能性は高いだろう。それに力を使えば、それだけ早く意識への侵食が進む事にもなる。

 

「どうしたんだい? あまりやる気がないように見えるけど」

「……うるさいっ!」

 

 たまらずリュウはバルバロイとの距離を詰めると強烈な蹴りを見舞って上空へと吹き飛ばした。そして自身も背中のバーニアから紅い光を噴出させて、すぐさま後を追う。空中ならば、まだ巻き添えの影響も少なくなる筈との計算の上で。

 

「ふぅん……そう。まだ、あのお荷物共を庇うつもり」

「……」

 

 バルバロイは興奮状態が僅かに納まったのか、リュウの対応を冷ややかに見ていた。まるで自ら背後に居る人間達の、盾になるようなリュウの行動。それを見てどこか、苛立ちの様な感情を表に出してきている。

 

「君は、どうも焦っているね。その姿で居る事に、何か不都合でも生じたかな」

「……」

 

 饒舌なバルバロイ。リュウが攻撃を交えて相手の事を推し計れたのと同じように、バルバロイにもリュウの僅かな感情の変化が伝わっていた。そしてそれはズバリ、指摘通りだ。

 

「ボクが思うに、君は完全にヒトには成りきれていないようだ。そして、竜にも成りきれていない。実に中途半端な存在だ。潔く、片方は捨てたらどうだい」

「……」

 

 何をわかった風な事を。リュウはただ睨み返すだけだった。どちらかを“捨てる”なんて選択肢は、あり得ない。外側が竜の民で、中身は普通の人間。今はもう、それが“自分”なのだから。進んでどちらかを捨てるなんて、あり得ない。そういう意味で、リュウの行動は“証”であった。後方の人間を守るという、自分がヒトである“証”。

 

「……そう」

 

 己の喋った言葉に一切の同意も反論も示さないリュウを見て、バルバロイはふと何かを思いついたような素振りを見せた。

 

「……なら、こうしよう。君が大事そうに庇っている“全てのお荷物”を……ボクから守れるかどうかのゲームをしようじゃないか。それほど大事にしているなら、守りきって見せなよ」

「!」

 

 そう言って、ニィと薄気味悪い笑みを浮かべたバルバロイは…………背中の突起物から蒼い光を噴出させ、凄まじい速度で、その場から“後方に”遠ざかって行った。

 

「!?」

 

 逃げた? ……いやそんな訳が無い。逃げる理由がない。そもそも今、ヤツは後ろの人間達を“守って見せろ”と言った。何かをするつもりの筈なのだ。だが、それならば一体どこへ行ったというのか。少しの間周囲を警戒していたリュウだが、バルバロイが戻ってくる気配は一向にない。

 

「……」

 

 リュウは、思考を切り替えた。戻って来ないという事は、その先にこそ目的があるという事だろうか。奴が向かった先には一体何がある? ……そこまで考えて、リュウはハッとした。バルバロイが向かった先。この方角のずっと向こうにあるのは……

 

 ……メガロメセンブリア。

 

 魔法世界の首都だ。“全てのお荷物を守って見せろ”と言い、向かった方角は首都。つまりこれから、バルバロイが何をしようとしているのか。最悪な一つの事柄しか、リュウの頭には思い浮かばない。こうしている時間的ロスは、そのまま惨劇に直結してしまうのだろう。リュウはすぐに後を追おうと、背中のバーニアに意識を向けて。

 

≪相棒!≫

 

 その時、集団の中に居たボッシュから念話が飛んできた。だが、応答している時間も惜しい。

 

≪ボッシュ、俺はあいつを追う!≫

≪わかってっけどちょっと待ってくれ相棒! マスターのヤツが言いたい事があるって言ってんだよ!≫

 

 ボッシュからの念話に、リュウはチラリと後方へ振り向いた。集団から一人前へと出て来ていたマスターはどこから取り出したのか、メガホン形の拡声器の様なものを手にしてリュウの方を向いている。

 

『さっきの奴に、あの“腕輪”の反応があった! 気をつけな! ……ってマスターが言ってますよ!』

「……」

 

 腕輪……あの“人を操る腕輪”だろうか。それを探す為に造られたマスターが言うなら、間違いないのだろう。ではさっきのバルバロイの態度は、それに影響された物だったのだろうか。いやひょっとすると、あの腕輪も完全なる世界が何か……。いや、今はそんな事より、一刻も早く追いかけなければ。

 

「……!」

 

 マスターの助言を頭の片隅にしっかりと残し、少しずつ失われていく記憶の事を今は考えないようにして、リュウは赤い光と共にバルバロイの後を追うのだった。


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