『雁首揃えて重役出勤とはエエ御身分ですな?』
「……」
ナギ達と対峙しているリュウ達に向け、上から目線でそう横槍を入れてきたのはマーロックだ。映像の向こうでふてぶてしく葉巻を一吸いし、遠回しにリュウ達の遅刻を非難している。だがまぁ彼が言っているのは悔しいが正論。非があるのは確実にリュウ達の方だ。なので、ぐぎぎとリュウは内心でのみ不満を噛み締め、表に出す事はない。
「……遅れてすみません」
『フン。まぁ遅刻に関しては、この機会をくれた事に対するワイからの謝意……って事で大目に見たりますわ』
「……」
何事も取引材料と捉える商人特有な、恩着せがましい物言いをするマーロック。やはりムッとしたリュウだが、だからと言ってイチイチ気にしてたらキリが無い。ここは気持ちを抑え、さらっと受け流すのが正解だ。
「……どうも」
『ほな、早速ですが始めてもらってええですか』
「おう。待ちくたびれたぜ。文字通りにな」
「……うん、ごめん」
そんな風にリュウとナギがマーロックの映像を挟んで会話している頃……リュウ達の登場により、来賓席は俄かにざわついていた。何しろリュウ達はチームとしては新参であり、全くの無名だ。実績も功績も無ければ、どれほどの実力を備えているかも不明である。破天荒な内容で業界にその名が広がりつつある“紅き翼”とは、ネームバリュー一つ取っても埋める事の出来ない溝が横たわっているのだ。
「……」
「……」
特に“紅き翼”の活躍を噂話でしか聞いた事のない元老院議員やアリアドネー騎士団総長などは、「話に聞く“紅き翼”とは、一体どれほどの力を持っているのか?」という事にしか興味はなかった。彼らの実力を測るための噛ませ犬としか、リュウ達の事は映っていない。
「……」
何故かウィンディアの第二王女がリュウ達と共に降ってきて、それを見たウィンディアの王がホッと胸を撫で下ろし、顔に暗い影を落としてブツブツ小声で愚痴のようなものを吐いていたのは全くの余談である。
『そや、一つ言い忘れてましたわ。死なない範囲でならルールはそちらで決めて貰って結構ですが……時間については制限を付けさせて貰います』
「あんだと? んな話聞いてねーぞおい」
思い出したように言う映像の中のマーロックに、これだけ待たされた上に時間制限ではストレスの解消にならない、とナギが食って掛かる。そんなナギの態度に真っ先に反応したのは、隣に立っている生真面目剣士だ。
「ナギ、お前相変わらずだな。修行して少しは変わったかと思えば、全く変わってないじゃないか。いいか、目上に対してタメ口というのは……」
「うっせーよ詠春。お前もその小言ぶり全然変わってねーな」
久しぶりに見る紅き翼唯一の良心による説教。詠春が微妙に呆れながらナギとギャーギャーやりあう姿というのが、リュウ的には中々懐かしい光景であるように見える。
『そう言われましてもな。こればかりは飲んで貰います。あんたらに好き放題させたら、万が一にも今日中に終わらんかも知れんですからな』
「……」
マーロックの“紅き翼”に対する評価は高かった。流石に凄腕の商人だけあって、物事を見る目はやはり確かだ。実際今のナギ達ならば、十時間だろうとぶっ続けで戦う事ぐらい朝飯前だろう。
『形式はどうでもええですが、一度の戦いは精々一時間に納めて頂きたいですな』
「ナギ、ここは大人しく従いましょう。逆に言えば、疲れを気にせず戦えるという事ですし」
「その通りじゃ馬鹿弟子。全くお前は単細胞が治るどころか悪化しとるようじゃの」
「……わかった。……それとお師匠は後でボコる」
まだ納得いってない風ではあるものの、こんな事に時間を取られるのも馬鹿らしいと判断したのか話を切り上げるナギ。一歩引いて見ているリュウからすれば、余計な一言を付け加えたゼクトの無表情っぷりもやはり懐かしい。それに久々に披露されたアルのナギ操作術は、ほぼ完璧な域に達しているようだ。
「あ、俺達の方も時間制限は有りで構わないです」
『……。では後はご自由に。ワイは仕事があるんでこの辺で』
「……」
そう言うと、マーロックの映像はぶちんと途切れた。大方、来ている客に自ら飲み物でもサービスして回るんだろうとリュウは予想する。その後もどうせ来賓席の方で、文字通り高みの見物をするつもりなのだろう。とにかくお邪魔虫が消えたので、リュウは頭を切り替えてナギの方に目をやった。
「じゃあルールは……前にアルに伝えといた通りで」
「おういいぜ。確か……」
「私達の内の一人対、あなた達の四人以下。……そういう話でしたね?」
「うん」
紅き翼一人vs炎の吐息四人以下。
それがアルの提案した負けた方が罰ゲームをするという案を飲む代わりとして、リュウが出した“とある条件”だった。あの時点では実力的に、冗談抜きで“紅き翼”と天と地の差があった“炎の吐息”。それがたった一ヶ月の修行をした所で、個人戦でナギ達と拮抗するレベルになれるとは到底思えなかったからだ。
「何なら、俺には全員で束になって掛かってきてもいいんだぜ?」
「……いや、今の俺達は多分そう簡単にはいかないと思うよ」
修行前の“炎の吐息”の力量ならば、例え全員でかかったとしても、それこそアル一人にだって勝てなかっただろう。だが修行した後であるなら、何とか四人で“紅き翼”一人分くらいにはなれる…………かも知れない。期待を込めて、当時のリュウはそう考えた。そして、それは間違っていなかったと今のリュウは確信している。
「ほーう、何だリュウにしちゃ随分自信たっぷりじゃねーかよ」
「まぁね」
一月前の時点で、半分紅き翼のマネージャーのようなアルとの間で、勝負の細かい話は詰めてある。形式は勝ち抜き戦ではない変則的な団体戦。先鋒vs先鋒、次鋒vs次鋒、副将vs副将、大将vs大将の計四戦を行い、例え先にどちらかが三勝を上げたとしても、必ず大将戦までやるというのがナギからの要望だ。戦い自体の勝敗はどちらかが降参の意思を表明するか、気絶(リュウ達の場合は場に出ている全員が気絶)した時点で終了。時間制限が付いたため、それを過ぎたら引き分けという事になる。
そして、誰をどういう順で出すのかについても両チーム共既に決まっていた。一応相手チームの詳細についてはお互いに秘密なので、誰が相手になるのかは結局運次第だが。
「そんじゃ…………詠春、頼んだぜ! あの生意気なリュウに吠え面かかせてやれ!」
「吠え面はどうか知らんが……最善は尽くすさ」
紅き翼の先鋒は、青山詠春。片手に白木拵えの野太刀……夕凪を携え、長身眼鏡のサムライマスターが前に出る。
「お久しぶりです詠春さん」
「ああ。何だか色々と苦労しているみたいだなリュウ君」
「……ええ。まぁかなり」
「どうしてこんな事になってるのかについては、アルから聞いたよ。悪いが、勝負となれば手加減はしない。例え相手がリュウ君の仲間だとしても、ね」
トン、とまだ鞘に入ったままの刀の先を地に突き、肩の力を抜いて話す詠春。その立ち振る舞いは修行前よりも格段に自然体で、それでいて全く隙が無いのだった。元々の腕に加え、旧世界で相当厳しい修行を積んだであろう事を伺わせる。
「勿論ですよ。これでも、詠春さん達を倒すつもりで修行してきたんですから」
「ふっ……面白い……」
詠春の顔に、笑みが浮かぶ。詠春は、柄にもなくワクワクしていた。それは大雑把に、三つの興味が重なり合った結果である。一つは自身の力への興味。自分の修行の結果が、どれほどの物になっているか。二つ目はリュウの態度への興味。一体何が、リュウの自信の根拠であるのか。そして三つ目は、未知の敵への興味。剣士である詠春にとって見知らぬ相手と戦うというのは、やはり何よりも楽しみに思う部分があるのだった。
「じゃあこっちも……先鋒、準備いいですか」
そう元気良く後ろに声を掛けるリュウ。促され、気勢良く前へ出る炎の吐息の四人。虎人少女、リンプー。のほほん学者、モモ。カエル紳士、タペタ。二刀流女剣士、ゼノ。
この四人が“炎の吐息”の先鋒である。詠春に負けず劣らず、こちらもそれぞれの顔に浮かぶのは“ワクワク”といった表情だ。修行後初めての実戦で、相手はあのナギがリーダーを務める“紅き翼”の一員。果たして自分達は、この長身の青年にどこまで通用するのだろう。リンプー達は相手が強いとわかっているからこそ、挑戦者のような気持ちで勝負に臨んでいた。
「む、女性が三人……これは少々やり辛いな……」
出てきた顔触れを見て、詠春は少し困惑した。神鳴流の生真面目剣士である詠春は、基本的に女性を殴る拳を持たない。尤もリュウ達の内の誰がいつ出るかについては、話し合いの結果としてこうなっただけである。詠春を相手にすれば有利になるかも、と見越していたという訳ではない。
「それじゃ、よろしくねオジサン。コテンパンに叩きのめしちゃうから!」
「おじ……!?」
背中に装備していた棍を手足のように振り回し、ピシっとキメて見せるリンプー。その挑発的な言葉の一部は、詠春にとってちょっとショックだったらしい。まだ年齢的にそう言われる区分ではない筈だが、実はちょっと自分の老け顔を気にしていた詠春だ。
「ワタクシも、精一杯やるのですね!」
「そうねー、みんなで頑張らないとねー」
タペタはレイピア。モモは例によってバズーカ。軽口を叩きながらそれぞれが武器を取り出すと、徐々に周囲を緊張感が包んでいく。
「見た所、あなたは純粋な剣士のようですね。相手にとって不足はありません」
「……」
二振りの紫音剣を携え、ゼノが鋭く詠春を見据える。既にほわほわした雰囲気は消え去って、辺りには危うい空気が満ち満ちていた。リンプー達の佇まいに相当な修羅場を潜ってきたであろう気配を感じ、油断ならないと詠春も理解する。そして一人、静かに鞘から愛刀の夕凪を抜き放った。
(剣を持つ者が二人。棒が一人。飛び道具が一人……か)
百戦錬磨の神鳴流剣士は、静かにそれぞれの得物を見て大まかな得意距離を把握する。肌を刺す程に緊張感が膨れ上がり、対峙していた両者は極めて自然に距離を取った。双方既に臨戦態勢。出番ではない者達は空気を察し、そっとその場から大きく離れていく。リュウ達とナギ達は今は敵同士。互いに反対の方向へと別れ、それぞれの味方の背を見守る構図となる。
「では、僭越ながら私が合図を」
一人両者の中間地点に残ったアルはそう言いながら、袖から一枚のコインを取り出した。これを弾き、地面に付いた瞬間が勝負開始の合図となるのだ。
「用意は……よろしいですね?」
静かに対峙する両者とも、直前まで浮かんでいた笑みは既に消え去っていた。あるのは戦士としての顔。そして敵の挙動への意識の集中。それぞれが得物を握る手に、力が籠もる。
先鋒戦
青山詠春 vs リンプー、モモ、タペタ、ゼノ
キィンと澄んだ音を立て、アルの指からコインが弾かれた。続けてアルもその場を退避する。キラキラと光を反射して回転するコインが、ゆっくりと大地に到達し――――
「ふっ!!」
――――た瞬間、仕掛けたのはゼノだ。完璧な瞬動の入り。瞬時に詠春との距離を消して懐に飛び込み、先手を取って二刀からの剣閃が走る。
「っ!」
油断と言うよりは、頭を切り替えきれていなかったと言うべきか。集中していたつもりが、それでもどこかに相手の半分以上が女性であると見て侮る部分が詠春にはあった。一気に間合いを詰められ先を取られた詠春は、ゼノの変幻自在に繰り出される連続攻撃をただ受けるしかない。連続で響く金属音。流れるような丁々発止。思ったよりもずっと手強い。ゼノの猛攻にそう詠春は判断を下す。それでも野太刀一本で二刀の連撃を軽々と防ぐのは、流石の技量だ。
「くらえぇぇ!」
「っ!?」
ゼノとの攻防に気を取られている隙を突き、左からも詠春は攻撃に晒された。多数という数の強みを存分に発揮し、リンプーが思いっきり棍を振り上げ、迫る。
「ちぃっ!」
ゼノの攻撃を裁きつつ、空いた片手に気を集中。振り下ろされたリンプーの棍を、詠春は何と素手で受け止めた。バチィッと耳触りの良い音を立て、只ならぬ威力に止めた手がじんと痺れる。僅かに顔を顰める詠春だが、そこは古来より多数の妖魔を相手にしてきた神鳴流。培ってきた一対多への身のこなし。続くゼノからの剣撃が来るよりも早く棍を掴んだ詠春は……そのまま棍をリンプーごと後方へ投げ捨てた。
「ふ……んっ!!」
「!?」
「おーう、流石なのですね!」
投げられたリンプーは、うまく空中でバランスを取り着地。すると今度は右方向から。ゼノの瞬動に一拍遅れて追いついたもう一人の剣士タペタが攻撃に加わる。まるで示し合わせたように、互いの動きを邪魔しない見事なコンビネーション。修行前はあらゆる面で力の劣っていたタペタも、今や立派にゼノと肩を並べている。
「くっ……!」
単純に相手の手数が増えたのに加え連携される事で、ゼノ相手に構築しかけていた詠春のリズムが乱れた。タペタの攻撃の主体が“突き”である事が、それに拍車をかける。たまらず後ろへ跳躍し、一旦距離を取ろうとする詠春。だが、先ほど投げられた彼女はそれを見越して既に走り込んでいた。
「今度こそぉぉぉ!!」
「!」
金属同士とは違う、ガン、と言う鈍い響き。再び襲撃の虎娘。ゼノ達の洗練された剣技とは一味違う、リンプーの棒術。修行の成果である習いたての気を纏ってコーティングされたにゃんにゃん棒は、切断される事なく夕凪と打ち合えている。
「こ、この……パワー……!?」
「うおりゃー!!」
虎人少女リンプーの馬鹿力。空振りしようが剣に阻まれようが、お構い無しに叩きつける。“斬る”ではなく力任せの“打撃”を目的とした攻撃は、受ける度に詠春の重心の軸をブレさせる。その強引な攻めにバランスを崩された詠春は、続く一撃に大きく剣を弾かれた。
「今だ!」
チャンスと見たリンプーはにゃんにゃん棒を片手で持って、空いた方の手に気を集中させた。拳に生まれる淡い光。光弾と成ったその力を、全力で詠春へと解き放つ。
「食らえ! 獅子ほーこー弾っ!」
「!」
棒術による連撃からの気弾攻撃。修行によって得たリンプーの新たな力の一つだ。ちなみに“獅子咆哮弾”というネーミングは完全にただの思いつきである。リンプーは“獅子”を虎の事だと盛大に勘違いしているのだが、ここではその事はスルーする。
「甘い!」
しかしリンプーが放った気弾は詠春には当たらなかった。にわか仕込みだけあって力の集中に僅かな時間がかかった事。そして強者から見ればまだまだお粗末なコンビネーションの隙間。それらの時間的猶予であっさりと詠春は体勢を立て直し、夕凪を振るって光を両断。リンプーの気弾は詠春の両脇に着弾し、ドンと地面を抉った。
「中々惜しかったが……!」
「うわわっ!?」
すぐさま取って返し、隙だらけのリンプーへ夕凪が振るわれる。一応刃の方ではなく峰の方になっているのは、詠春なりの心配りか。しかし戦闘不能を狙って振り抜かれようとしたその一撃は、失敗に終わった。何故ならまさにこの時を見計らったかのように、詠春の剣を持つ腕がピンポイントで爆発したのだ。
「ぐ……何っ!?」
「待ってたわー」
爆発の正体はモモの砲撃だ。一人全く戦闘に加わっていなかったモモは、詠春と一定の距離を保ちながら付かず離れず隙を伺い、確実に当てられる一瞬を見極めていたのだ。勿論見てから撃ったのでは間に合う筈がない。これもモモ達が修行で得た、一種の洞察力による先読みだ。それに従ってバズーカを発射し、見事に弾は詠春の腕へ直撃したのである。
「各員、畳み掛けます!」
「!!」
正面から詠春に迫るゼノ、タペタ。そして脇からはもう一度体勢を立て直したリンプー。さらに中距離からスコープを除いて狙い続けるモモ。大きな隙を晒したここをチャンスと見たゼノの号令により、四人の特技が一斉に詠春へと襲い掛かる。
「紫音、絶命剣!」
「弐獣葬ですね!」
「もう一度……獅子ほーこー弾!」
「えぇーい!」
間欠泉のように地面から三連続で噴き出す気の奔流。リュウから教わった、気を込めた高速二段突き。リンプー必殺の気弾。そして“火炎撃”という炎の属性を宿したバズーカの砲撃。四つの攻撃は全く同時に、重なるように詠春へ――――
「うおおおっ!?」
――――大きく、爆ぜた。凄まじい爆風が広がる。確実に捉えたという手応えを感じたゼノ達は、一旦後方に距離を取る。
「……さて、どうか」
「結構イケたじゃんあたし達」
「おーう。ワタクシ達の勝利なのですね」
「うーん、だといいんだけどねー」
軽い調子で話しながらも息を整え、得物を持つ手には未だ油断なく力が込められていた。あの程度で倒せるとは、リンプー達も正直な所思っていない。だがそれなりのダメージは与えられた筈である。その様子を見極めるべく、爆風が収まるのを待つ。
「……ふう……」
「!」
煙の中から姿を現した詠春は……無傷だった。彼は瞬時に全身の気をコントロールし、体を覆う膜のようにして防御したのだ。ポンポンと服についた埃を払い、衝撃でずれたメガネを直す。所々服は煤けているが、どこにも目立った外傷は……いや、あった。一箇所だけ、先ほどバズーカの弾丸が直撃した腕の部分だけが、僅かに赤く血を流している。怪我の程度は転んで出来た擦り傷、と言った所か。他は全くの五体満足だ。夕凪は変わらず、その手に力強く握られている。
「……流石は“紅き翼”。あの頑丈ぶり、いつぞやのリュウと戦った時を思い出しますね」
「ホントねー」
「ていうか、アレでかすり傷しかないって……ナニソレ」
「やはり、想像以上に強いのですね」
流石に呆れるしかないゼノ達。だがそう言いつつ瞬時に悟った。詠春の纏う雰囲気が明らかに変わっているのだ。再び戦闘態勢を取り、油断無く武器を構え、詠春の動きを注視する。
「へぇ。中々やるじゃねーかあいつら。っつーかそれより詠春のヤツ、エンジン掛かんのおせーよ」
「ふむ、ここからが見所じゃな。何しろ詠春は今の所、奥義の一つも出しておらんからの」
遠巻きから、ここまでの戦闘に対する評価を下すナギとゼクト。反対側で見物しているリュウとボッシュも、二人の言った事とほぼ同様の見方をしている。そして気配の変わった詠春についても、双方で同じ分析を行っていた。恐らく頭のどこかにあった女性への遠慮が、今の怒涛の攻撃で完全に解き放たれたのだろう。言い換えれば、ゼノ達は改めて詠春に“強敵である”と認識されたとも言える。
「……ハッ!」
剣を正眼に構えて意識を集中させ、吹っ切るように気合を入れ直す詠春。ゴッ、と強大な気を纏い、風が激しく吹き荒れる。巻き起こる剣気に足元の小石が巻き込まれ、触れてもいないのにピシパシと弾け飛ぶ様は圧巻の一言だ。
「神鳴流剣士、青山詠春……参るっ!」
それなりに離れている筈のゼノ達にまで、ビリビリと届く詠春の剣気。正々堂々名乗りを上げた詠春のそれは、紛れも無い本物であった。ゆらり、と自然体から戦闘用のものへと体勢が移行する。仕掛けてくる。そう判断したゼノ達に緊張が走る。
「神明流奥義、斬空閃!」
「!」
――――鋭い。本気となった詠春の愛刀から、極めて鋭い一撃が放たれた。螺旋状に駆ける気の斬撃は、集まっていたゼノ達の中央に、
「散開!」
ゼノの掛け声で攻撃を避け、四方に散るリンプー、タペタ、モモ。通り過ぎた斬空閃は大地を割りながら彼方へと飛んでいく。ゼノ達は戦慄した。避ける事は避けたが、今の一撃に込められた反則的な威力を間近で肌に感じたのだ。もし首にでも当たっていたら、確実に撥ね飛ばされていただろう。これこそ“紅き翼”のサムライマスター、青山詠春の本気なのだ。
「行くよタペタ!」
「ウィ!」
やられたらやり返す。本気の詠春を目の前にして、微塵もやる気を萎えさせていないリンプーはタペタの両足をガシッと掴み、ジャイアントスイングのように盛大に振り回しだした。
「いっっけぇぇぇ! ハヤブサ斬りぃぃ!!」
「ぬおおーーう!」
十分な遠心力を蓄え、タペタがリンプーの手から放たれる。ゴウと風すら切り裂いて、タペタ自身が斬撃となるのだ。気を纏わせたレイピアを突き出し、超高速で詠春へと迫る姿は、ハヤブサの如し。
「桜楼月華!」
「おぶっ!?」
だがしかし、紙一重。突き出されたレイピアを冷静にミリ単位で避けた詠春は、気を込めた掌底をすれ違いざまタペタの顔面に叩き込んだ。リンプーの馬鹿力で投げられたタペタはクロスカウンターのようにそれを食らってしまい、ベタリと地面に倒れ、悶絶。その様は、まさに潰れたカエルである。
「そうそう好きには……!」
「!」
飛んでいくタペタの影に隠れ、すぐ後を追っていたゼノ。再び二刀による連撃が詠春を襲う。……が、しかし今度は先程とは勝手が違った。本気となった詠春はゼノの動きに完璧に対応し、着実にその弱所を見極めて攻め立てたのだ。攻撃の悉くを封殺されるゼノ。何とか喰らいつくが、僅かな隙を逃さない詠春の膂力に対抗出来ない。そして詠春が狙い済まして繰り出した一撃は、一振りでゼノの二刀を同時に弾き、大きく隙を晒け出させた。
「くぅあ……っ!」
「神鳴流奥義……」
即座に気を刀に伝え、奥義を放つ姿勢を取る詠春。狙いは当然、目の前のゼノ……
「……斬空掌・散!」
「!? きゃぁぁ!!」
……ではなかった。側面で隙を伺っていたモモに、気の散弾が降り注ぐ。詠春にとっての好機こそ、モモの狙い所の筈。それを読んでいた詠春は、利き手ではない方の手でモモへ牽制を放ったのだ。詠春の力量ならば誰がどこにいるのかくらい、気を探ってわかる。そして夕凪に注ぎ込まれた気は依然としてそこに存在し、ゼノはやはり窮地にある。
「奥義……!」
「くっ、貰う訳には……っ!」
モモへの迎撃に割かれた一瞬、それによって僅かな時間的猶予を得たゼノは、両の剣を交差し、固くガードを取る。如何な詠春と言えど、気を込めた防御ならばそう簡単には貫けない……筈だった。
「……斬岩剣!」
「!? あっっぐっ……!?」
……斬られた。混乱がゼノの頭を支配する。確実にガード出来た筈の剣戟は、ゼノの肩に深い傷を残した。馬鹿な。鋭い痛みに襲われながら、ゼノの思考が鈍る。交差していた両の剣に、何かを受けた衝撃はない。まさか、すり抜けたとでも言うのか。
「よくも!!」
「っ!」
後ろからゼノを飛び越えて、詠春へ飛び掛かるリンプー。にゃんにゃん棒に込められた気は仲間がやられた怒りもあってか、一際大きく輝いている。大振り上段に振りかぶったそれを、詠春目掛けて全力で叩きつける。
「パワーは確かに凄いがな……!」
「んにゃ!?」
瞬間、カクンとリンプーは空中で体勢を崩した。当たった筈なのに、まるで空振ったように衝撃がない。力に力で対抗すると見せ掛けて、詠春はリンプーの攻撃を柳のように受け流したのだ。これぞ百戦錬磨の経験値。力任せの相手にはどのようにすれば効率的であるか。神鳴流剣士たる詠春の体には、対処法が染み着いているのだ。
「く、まずい……っ! リンプー……!」
空中で体勢を崩し、武器も振り下ろしたままの状態。詠春の目の前で致命的な隙を晒したリンプーをフォローするべく、ゼノは肩の傷を押して駆けだす。先ほど掌低を食らったタペタも、気の散弾を受けたモモも同様だ。何とかリンプーに決定打を浴びさせぬ為、再び一斉に詠春を取り囲んで……
「神明流奥義、百烈桜花斬!」
……そして、吹き飛ばされた。詠春を中心として、円状に広がる無数の斬撃。リンプー以外の他三人が己に迫っていた事など、詠春は先刻承知の上。そこを狙い、引き付けた上で纏めて吹き飛ばす。放たれた退魔の技に咄嗟の防御さえ許されず、強烈な斬撃の嵐にゼノ達は巻き込まれた。そして詠春は、静かに仕事を遂行する。
「かふっ!?」
気を全開にしての瞬動。それは最早縮地の領域。そして夕凪の峰が、吹き飛ぶゼノの無防備な背中を
「おうっ!?」
神鳴流・烈蹴斬。くるくると錐揉み状態で宙を舞うタペタに、強烈な蹴りでの追撃を加え、地面に叩きつける。さらに詠春は、その先にいるモモに標的を定めて。
「斬空閃!」
「きゃぁぁっ!?」
螺旋状の斬撃がモモを襲う。幸い直撃こそなかったが、それでも掠めた斬撃の威力はモモの身体を容易く吹き飛ばし、衝撃を全身に伝える。そして最後に。
「ハッ!」
「あぐぅっ!?」
ちょうど目前に捉えたリンプー目掛けて徒手空拳。詠春の突き出した拳は、リンプーの腹へとめり込んだ。程なくして、ドシャリと地に落ちる四人。一瞬で形勢逆転。先程とは逆に詠春が立ち、ゼノ達が沈むという光景がそこに展開されていた。
「……ふむ。流石は詠春。以前に比べて技のキレが格段に増していますねぇ。彼女達も良くやりましたが、これではもう……」
「……」
冷静に分析するアルの呟きに反応を示さず、非常に口数が減っているナギ。一連の攻防を目にし、今その顔に浮かんでいるのは“不満”である。
確かに気を使えなかった連中は使っているし、個々の強さも一ヶ月前よりは断然良い。普通の目で見れば、十分に強いと言っていいレベルである事もわかる。……でも。それでも、あの程度なのか。あの程度の癖に、リュウはさっきのような自信満々な態度を取ったというのか。
「……」
それとも、詠春が強すぎたのだろうか。……いや、少なくとも自分から見てそうとは思えない。つまりこれは…………期待はずれ。そんな結論に達したナギは、八つ当たりとも言える剣呑な視線を詠春達のさらに先に居る、リュウへと向けた。
「……?」
視線を向けられたリュウは、腕を組んだままじっと戦いの場を見ている。その顔には焦りも、仲間の劣勢を嘆くような表情も浮かんではいない。ボッシュも同様。そして見守る他の者達も同様であった。だからナギは気付いた。あれは、違うと。これで終わりだと思っている顔ではないと。リュウの表情は、仲間の底力を信頼しきっている者のそれだ。という事はつまり、まだこの先に“何か”がある。そうとわかった途端、ナギの顔に浮かんでいた不機嫌の色は、消え去っていた。
「さて。これ以上女性に剣を向けるつもりは無い。力の差がわからない訳でも無いだろう。降参を勧めるが……」
倒れている四人へ向け、詠春はそう声をかけた。これまでの攻防で、詠春はほぼ全員の動きを見切っていた。見切れる範囲だったのだ。つまりもう、自分はどうあっても負けない。詠春はそう確信を持っていた。だからこその降参勧告だ。しかしゼノ達は無言で体を起こし、立ち上がった。誰にも詠春の言葉を受け入れる様子は無い。
「流石に……強いね」
「ええ。聞いていた以上です」
「ですがワタクシ……あの人に勝ちたいと思うのですね」
「そうねーこのままっていうのも、ねー」
負った怪我の具合を四人は確認する。ダメージは確かに濃いが、深刻という程ではない。このままの状態で戦いを続けたとして、恐らく良い勝負ならば出来るだろう。しかし、決して勝てはしない。ズルズルとジリ貧になり、いずれ全員力尽きる未来が目に見えている。
「……では、やはり“アレ”をやるしかないようですね」
「うん」
「なるほど……勝負を捨てはしない、か」
目に光を宿し、向かってくると宣言するゼノとリンプー。当然、とそれに頷くタペタとモモ。詠春は感心した。流石にリュウ君が見込んだ仲間達だ。その心意気や良し。降参を迫るのは礼を失した行いだったな。そう心の中でゼノ達の姿勢を評価し、再びしっかりと夕凪を構え直す。そしてゼノ達は……あろうことかその場で、ゆっくりと目を瞑った。
「!?」
棒立ち。敵を目前にしてのあまりに不自然な姿。何かの反撃や罠を警戒し、詠春は油断無く周囲に気を巡らせる。だがゼノ達には、何か行動を起こす気配は全くと言って良い程ない。その行為に、何か他の目的があるらしいと気付く。隙だらけの今ならば阻止は容易いのだろうが、詠春はそれをしなかった。この状況から、形成を逆転出来る秘策でもあるというのか。あると言うなら、見させて貰う。実力差を理解してなお立ち向かうゼノ達への、サムライとしての敬意だ。
「……なんだ……?」
目を閉じたまま不気味な雰囲気を醸し出す四人を前に、感覚の目を研ぎ澄ませた詠春は妙な事に気が付いた。四人の“気”が増している。いや待て、これは“気”なのか? それとも“魔力”? 何か“よくわからない力”が、目を閉じた四人から発せられている。
「これは……」
似たような現象が、記憶のどこかに引っ掛かる。これは何だったか。思い出せ。確か…………そうだ。これは……これはリュウ君の変身に似ている。あの青い髪の少年が、無敵の力を発揮する姿に変わる時のような――――
「はぁぁぁぁ!」
「やぁぁぁぁ!」
「!!」
リンプー、ゼノの咆哮が機械浜に轟いた。続けてモモ、タペタからも同様に咆哮があがる。四人の足元から吹き上がるのは、強烈なまでのオーラ。それはリュウが行う変身と同様に、光の柱となってそれぞれの身体を包み込んでいる。
「何じゃあの光は……」
「あれじゃ、まるでリュウみてぇじゃねぇか……!?」
ナギ達陣営は驚きと共に、その光景に見入っていた。よく知るリュウの変身に酷似した現象が、あの四人に起きている。強いてリュウのそれとの相違点を挙げるとすれば、それは吹き上げるオーラの“色”だ。リュウは赤だったが四人は違う。薄い青。黄。緑。ピンク。そのカラフルさは、まるでそれぞれの個性を象徴しているかのように思える。
「まさか……!!」
驚愕する詠春を尻目に立ち昇る四つの光の柱。それぞれの柱が一層の光を放ち、機械浜を四色の閃光が埋め尽くす。この光り輝くオーラこそ、炎の吐息が得た新たな“力”。死に物狂いの修行の末に身に付けた、“拳を極めし者”直伝の極意。
その名は……“セブンスセンス”!
“拳を極めし者”ドヴァーは、遠い昔から数多の強者と戦ってきた。武の道を極めんと歩み出した初期には、当然のように力及ばず、死と直面した事もある。そんな時、死の間際では決まって目は見えなくなり、音も聞こえなくなる。全身の感覚も失せ、味も匂いも感じる事は無くなる。生と死の狭間。言わば生物にとっての極限状態。飽く事のない戦いに身を置き続ける内に、ドヴァーはその生死の境で、五感が断たれた状態でだけ知覚できる真の潜在能力とでも言うべきモノに気が付いた。
力を求め続けるドヴァーはその潜在能力さえ我が物にしようと貪欲に修行し、ある時、遂に力の一部を通常の状態で開放する事に成功する。だが、開放した力はドヴァーの手に余る物だった。全く制御する事が出来ず古龍本来の姿となった彼は、とある“銀髪の男”に止められるまで、次々と魔法世界を破壊して周っていたのだ。
正気を取り戻した時、ドヴァーは己のしでかした事に震えた。恐れたのではない。嬉しくて震えた。その潜在能力――セブンスセンスを極める事こそが、己の目指す武の道の頂点だと確信したのだ。そしてそれを制御すべく、敢えて常日頃からその力を纏う事を決意した。修行の場所を獄炎島へと移し、噂を聞きつけて挑んでくる戦士達を、ドヴァーは己のセブンスセンスの実験台にしていたのである。
リュウ達を幾度も死ぬ寸前まで痛めつけ、徹底的に鍛えたドヴァーの目的は、リュウ達全員をこのセブンスセンスに目覚めさせる事であった。それがドヴァーの出した“修行の最低修了条件”だったのだ。結果ドヴァーほど完璧ではないものの、リュウ達“炎の吐息”のメンバーは皆、極意セブンスセンスを操る術を会得するに至ったのだ。
「か……変わった……!?」
光が収まり姿を現したリンプーは、先程までの姿ではなかった。腰まで届く金色の長髪に青白い肌。耳が尖り、虎のような縞模様だった尻尾は細く、先端のみに毛を残している。そして見につけているのは赤いレオタード。まるで魔族を思わせるような、扇情的なスタイルに。
「今度は、さっきみたいには行かないよ……!」
それは以前、リュウが施した変装魔法の姿と同じだった。リンプーにとって始めて姿を変えたあの時の事は強くその深層心理に残っており、それが力を引き出したと同時に、表に出てきたのだ。つまりこの姿は、リンプーにとって最も“変身”を意識した結果と言える。
「さて……ここからが、本番です」
ゼノは、光の柱が収まってもリンプーのような身体的変化は見られない。しかしその代わりに、大きく変化していたのは二本の紫音剣。装飾の少ない造りだったはずの剣は強大なオーラを纏い、神秘的な意匠の施された大振りの二刀に進化していた。ゼノの剣に対する拘りや思い入れが、形となって顕現したのだ。
「こうなったら、タダじゃ済まないわよー?」
モモもゼノと同様、身体的変化は見られない。だが当然のように手持ちのバズーカが、巨大な大砲と化していた。身長よりもはるかに巨大な砲身全長。シンプルだった見た目は近未来的で複雑な機械の塊となり、相当な重量感を伺わせる。そんな機械的大砲を軽々と肩に担ぎ、のほほんとしているモモ。持ち前の大火力大艦巨砲主義の表れである。
「ワタクシの真の力、お見せするのですね」
タペタは、ある意味最も変化が大きい。レイピアだった剣は両刃の大剣となり、只ならぬ威力を想像させる。小太りだった身なりは見紛うばかりにスラリと高く。長い足に小さな顔。薄青色の肌に純白の軽装鎧。さらに赤い頭髪のようなトサカまで揃え、非常にスマートな姿になっていた。王宮に使える騎士の如きイケメンカエルへの、激的ビフォーアフターだ。
あの地獄の修行で最も力を伸ばしたのは何を隠そうタペタだった。ほとんど素人同然だったタペタは成長の幅が著しく、その成長度合いが力を引きだした後の姿にまで影響を及ぼしたのだ。
「こんな裏技を用意しているとはな……」
つうと詠春の額から汗が流れ落ちる。どういう原理で姿が変化したのか、正直な所想像がつかない。だがわかるのは四人から感じられる力が、さっきまでとは段違いである事だ。見た目も感覚も、彼女らの大幅なパワーアップをしきりに詠春に訴えかけている。
「では……いきます」
セブンスセンスの発動を待ってくれた詠春への礼を込めて、ゼノは攻撃を宣言した。構え、詠春は状況を把握する。恐らく、あの女剣士に飛び道具はない。つまりは先程と同様、距離を詰めてくる筈。ならばその手段はやはり瞬動が濃厚だ。あの変化でどれだけ速度が上がっているかはわからないが、来ると分かれば対処は出来る。
「いいだろう……来い!」
そして、再びゼノが駆けた。
「!? 速……!!」
来るのは分かっていた。コースの予想も、迎撃体制も整っていた。見誤ったのは速度。そして予備動作だ。先程のゼノは瞬動に入る直前、ほんの僅かだが足に力を溜める隙があった。今度もその兆候があるはずと思った。だが今は、それが無かった。それ故の、詠春にとっての小さな失敗だ。そしてやはり、速度は比べ物にすらならない。
「だがっ……!」
「ふっ!」
繰り出されるゼノの剣撃。受ける詠春。飛び散る火花。互いに速く、そして重い。瞬時に二人の周囲は容易に近づけぬ空間と化した。大地が飛び交う剣閃によって斬り刻まれていく。それはゼノと詠春の放つ斬撃の威力に、大した差が無いという事を物語っていた。
「ふんっ!」
「はぁぁっ!」
受ける、反撃、かわす、反撃、かわす、受ける、かわす…………僅かな予断も許さない攻防。しかし、徐々にだが追い込まれていくのは詠春の方だ。一振りと二振りの差。手数の違いがここに来て浮き彫りとなった。今のゼノは、詠春と対等に渡り合っている。ならばとさらに一段ギアを上げようとした詠春だったが、それは背後からの声によって遮られた。
「油断大敵よねー」
「な!?」
いきなりだ。真後ろから聞こえた間延びした声。詠春は驚愕した。視界の隅に映りこむのは、巨大な砲身の一部。一体自分はいつの間に回りこまれたのか。確かにゼノに集中していた。周りへの注意が散漫になっていのも認める。けれど、それでももう一人のここまでの接近に気付かない訳が無い。一対何が起きたというのか。
「隊長!」
「ああ!」
大砲を担いでいるにも関わらず、モモのフットワークは軽い。その理由は元々彼女が持っていた特技、短距離ワープ技の“シャドウウォーク”にある。セブンスセンスを発動させたモモは、これを連発する事が可能になっているのだ。
「えぇーい!!」
「!?」
予備動作無しの虚空瞬動で空を蹴り、詠春の目前から退避するゼノ。密着の如き至近距離で、詠春は背後に控えた砲口から、ジジッとエネルギーを集める音が聞いた。次の瞬間、そこから放たれる極太のビーム。受けるなどと言う選択肢はない。正解は避けるのみ。飛び道具が効かない事を誇る神鳴流が、飛び道具相手にまさかの撤退である。
「くっ……!」
「あらー、あれでも避けるのねー」
あわや光に飲まれるか、という所で虚空瞬動が間に合い、はるか上空へと避難する。詠春は読み違えた事を歯噛みした。あの大砲を持つ女性は、見た目から遠距離担当であると思い込んでいた。まさか、勇敢にも零距離を挑んでくるとは思ってもいなかった。
「やっぱり、上に来たねおじさん。じゃあ次は……」
「ウィ、ワタクシ達の番ですね!」
「!!」
しかし上空に逃れても、詠春に安息は訪れない。避けた先で待ち構えていたのは魔性リンプー、騎士タペタ。盛大な歓迎セレモニー代わりに振舞われる、暴力的な格闘術と見事なまでの刺突及び斬撃。迷惑極まりないその歓迎に、詠春は全力で返礼する。
「くっ……!?」
冗談じゃない。詠春は心の中で悪態を突くように、そんな事を思った。リンプーの馬鹿力はさらに強化され、拳や蹴りには衝撃波のおまけまで付いている。もしあの拳が直撃したら、確実に骨の一本や二本は砕かれるだろう。さらにタペタの剣もレイピアでなくなり、そのせいで突きの範囲が広く、変幻自在に斬撃に派生して、軌道がほとんど読めなくなっている。何より、両者のスピード。それが大幅に増していて、最早詠春一人で二人のコンビネーションを裁ききるのは、到底不可能と思える領域に達していた。
「神鳴流奥義、斬魔剣弐の太刀!」
けれどサムライマスターは伊達ではない。防御の割合が多いせいで連続で放つ事は難しいが、研ぎ澄ませた一撃ならば十分に撃てる。夕凪に気を送り込み、詠春が放ったのは先ほどゼノに深手を与えた奥義だ。防御不能、相殺不可能の気刃による反撃。お互いに浮遊魔法は使えないらしく、高度を下げていく間に数え切れない攻防が繰り広げられる。
「おっと残念! 当たらないよ!」
「ノンノン、ワタクシにはあなたの動き、よく見えているのですね!」
「っ!」
幾度か放たれる詠春の奥義。しかし、当たらない。いくら防御を素通りする弐の太刀と言えど、それ自体をかわされてしまっては意味が無い。どんなに狙いを澄ましていても、リンプー、タペタの腕や足に僅かな切り傷を付ける事しか出来ていなかった。彼女らの猛攻は止まらない。だが辛抱強く待った詠春はついに見つけた。不意にリンプーが、目の前で拳を空振りしたのだ。発生する大きな隙。今ならば当たる。そして詠春は奥義を放とうとして……
「引っ掛かったぁ!!」
「!?」
詠春の顔に、この日初めて苦悶の表情が浮かんだ。リンプーの空振りは“誘い”、即ちフェイントであったのだ。先程殴られた仕返しとばかりに、魔性リンプーの強烈な後ろ回し蹴りが、詠春の剣をかわすと同時にその鳩尾に直撃していた。気を全身に巡らせて最低限の防御をしているとは言え、この一撃は下手をしたら内臓が破裂してもおかしくない。
「う……ぐぁっ……!」
「今ですねっ!」
「!」
詠春がグラついた所へ、さらにタペタの剣が振り下ろされる。だが詠春はそれをかろうじて剣で受け、威力に押され下方へと跳ね飛ばされた。地面へぶつかりそうになるが咄嗟に受身を取り、大きく後退して距離を取る。腹部に手をやり、痛みの具合を確かめる。始めてまともに食らった一撃は、少女の物とはとても思えない威力だった。喉に込み上げる血を吐き捨て、夕凪を握り直す。
「負けられん……!」
ギリッと歯を食いしばり、詠春は痛みに耐える。相手は四人がかり、さらに初期より大幅なパワーアップをしているとは言え、このまま女性ばかりのチームに負ける訳にはいかない。そして詠春が剣を高く掲げると、突如としてそこに雷が落ちた。
「神鳴流奥義、雷鳴剣……」
詠春の気と混ざり、電撃稲妻熱風を纏った夕凪は爛々と輝いていた。今のこの剣は、掠っただけでも大きなダメージを与える。これでさらに弐の太刀を当てられれば、相手がいかなパワーアップを遂げているとしても一撃必殺に変わりなし。ここからが、神鳴流の真髄だ。真の侍という物を、見せてくれる。
「二人とも、悪いけど時間稼いで。あたしちょっと“溜める”から」
「ワタクシも、力を集中するのですね!」
「わかりました」
「どうせなら、うんと強力なやつをお願いねー」
稲妻を剣に纏う詠春の前に、再び集まったゼノ達。リンプーは胸の前で両手を合わせ、タペタは剣を腰だめに呼吸を制し、気を集中させる。それを庇うように、前に出るゼノとモモ。
「正念場です。行きますよモモ!」
「はーい隊長」
ゴゥッとセブンスセンスのオーラを強大に吹き上げ、三度ゼノは地を駆ける。僅かに距離を空けて、モモがそれを追う。
「おおおおおっ!!」
迎え撃つ詠春も彼らしからぬ咆哮を上げ、同じく強大な気のオーラを纏って正面からぶつかっていく。一合五合十合二十合……瞬く間に積みあがっていく剣撃の応酬。夕凪が振るわれる度に大地を無数の稲妻が走り、紫音剣が振り抜かれれば、衝撃波が空気を裂く。
「はぁぁっ!」
「ぬううっ!」
剣舞の舞台は場所を選ばず。それは次第に空中へと移り代わり、ぶつかっては離れ、離れてはぶつかる。ゼノと詠春の二人が纏うオーラの輝きは、二条の光となり、大空を縦横無尽に駆け巡っていた。
「神鳴流決戦奥義!」
「我流奥義!」
数度の虚空瞬動を経て、天空高く駆け上がる詠春、それを追随するように空を蹴るゼノ。ここで詠春は決めに出た。厄介なゼノを全力で潰すつもりだ。ゼノもそれを真っ向から受けて立つ。更なる稲妻を夕凪に蓄え、片や二刀を重ねて下段に構えて力を集中する。互いに必殺の力を剣に纏わせ、それは同時に解き放たれる。
「極大・雷光剣んん!!」
「活殺! 剛翔剣っっ!!」
巨大な雷球を纏って振り下ろされる詠春の奥義に、ゼノの三日月の如き斬撃の結晶が立ち向かう。激しくぶつかり合う力と力。天空高くで弾ける二つの光。
「うおおおおっ!!」
「くぅ……ぅっ!」
そして勝負は……雷球が制した。威力はかなり相殺したものの、押し負けたゼノに雷撃の一部が直撃し、まともに動きが取れない。それは正真正銘のチャンスだ。今無防備なゼノに攻撃を加えれば、一人戦闘不能に落とし込む事が出来る。だが詠春は気を抜かない。即座に周囲の索敵を行い……横に人の気配を察知した。
「あ、バレたー?」
「そう何度もくればなっ!!」
予想の通り。詠春の真横には、砲口を向けたモモが居た。そうとなれば来るのはビーム系の砲撃だ。それをかわして、上から一撃。一瞬の内にそこまでプランを立て、けれど詠春の予想は覆された。目の前のモモが虚空瞬動の形跡も無く、いきなり視界から消え失せたのだ。
「な……!? ……ぐぁっ!?」
「大きな砲身にはこういう使い方もあるのよねー」
モモはシャドウウォークで詠春の真後ろに出現すると、その巨大な砲身で持って詠春の背中へ叩き付けていた。想定外の事態でまともに食らってしまい、下方に吹き飛ぶ詠春。どうやって移動したかわからないが、しかし一方的にやられてはプライドが許さない。痛み分けに斬空閃の一発ぐらい見舞ってくれようとモモの方に振り向いて……詠春は青ざめた。
「エネルギー充填完了ー」
「!!」
自分を捉える巨大な砲口に、考えたくも無い程のエネルギーが溜まっている。モモ全力全壊の必殺技、“アトミックボム”。大艦巨砲主義たるモモは、容赦なく詠春に向けてその引き金を引いた。自身を飲み込む大口径のエネルギー波が、とんでもない速度で迫ってくる。かわす、不可。防御、不可。ならば耐える。なんとしても。
「頼む……夕凪よ!」
剣を前方、光に対して水平に構え、全身の気を全力で放出。耐える姿勢を見せた詠春は流されていく枯れ木のように、光の洪水に飲み込まれた。モモの放ったアトミックボムの光は、そのまま機械浜の彼方の地に着弾。一拍の間をおいて凄まじい爆音と爆風を轟かせ、地を揺らし、巨大なキノコ雲に姿を変えた。
「ふう。隊長、大丈夫ー?」
「ええ、何とか……」
腕を押さえて大地に降り立つゼノ。服は所々破けており、疲労の色も濃い。モモも今の一撃に力の大半を注ぎ込んだのか、顔色が良くない。そんな二人は気配を察知し、前方に視線を送る。そこには同じく服をボロボロにした、詠春が立っていた。モモの技に、詠春は正面から耐えきったのだ。両の足は微かに震え、気の力は大分衰えている。だがそれでも剣を握る腕とその眼には、未だ力強さを保っている。
「まだ……まだだ……!」
「流石、“紅き翼”ですね……」
思わず感嘆の声を漏らすゼノ。最早彼女に、詠春と打ち合えるだけの力は残っていない。モモも、あんな大技はもう無理だ。二人に戦う力は、もうほとんどない。
「後は、頼みますよ……」
「二人とも、お願いねー……」
そんなゼノとモモの二人に代わり、庇うように前へ出る二つの影。
「おっけー」
「やってやるのですね!」
「!!」
詠春の視線の先に、力を溜め終えた二人の亜人の姿が見えた。否応なく顔が強張る。どうする。考えが纏まらない。どうする。魔性の少女は既に振り被っている。その手に集う強大な光を。どうする。……どうする。駄目だ、間に合わない。
「くらえ必殺! ……
溜めに溜め、リンプーの持つほとんどの気を注ぎ込まれた光球が、詠春に向かって放たれた。淡いエメラルドのような輝きに込められた破壊力は、一体如何ほどか。詠春は想像するのを止める。距離は離れている。速度も瞬動等には遠く及ばない。それでも詠春は、向かってくる光球をかわす事が出来なかった。先程のモモの一撃を食らったダメージで、もう足がまともに動かないからだ。
「神鳴流、四天結界っ……!」
「!」
咄嗟に足元に四つの独鈷を打ち込み、詠春は自身を囲む正四面体の絶対防御壁を展開した。この期に及んで、まだそんな防御技を隠していたとは。驚愕するゼノ達。そしてリンプーの放った光球が、詠春の防御壁とぶつかる。一瞬の抵抗を見せた防御壁は、次の瞬間威力に押し負け濡れ紙のように崩壊した。
「な……!?」
詠春には、驚愕する暇すら与えられなかった。防御壁を容易く突破した光球はそのまま直撃。激し過ぎる閃光。耳をつんざく大爆音。光球は天を貫く巨大な火柱となって、詠春の身を焼いていく。激しい威力は、リンプーが秘めていたもう一つの才能の片鱗によるものだ。それはかの究極技法、“咸卦法”に準じる。彼女が全てを込めたその光球には、無意識の内に魔力と気が混合された力が込められていたのだ。
「うぐあああっ……!!」
リンプーの光球の破壊力は、まさに桁違いだった。モモの一撃も大概だったが、凝縮されている分こちらの方が威力が大きい。詠春に残されているのは、最早気力のみであった。気をしっかりと持たなければ。意識を失う訳にはいかない。こうなったら意地だ。血が出るほどに歯を食いしばり、ひたすらに、耐える……。
「ぐぅぅ……っく……!!」
「そんな、あれでも……駄目なの……?」
……踏み止まった。凌ぎきった。焼け焦げた大地の中心に、詠春は未だ立っていた。防御壁は吹き飛び、全身血だらけ傷だらけ。だが前を見れば、光球を放った少女も呆然としてがくりと膝を折っている。今の威力でトドメをさせなかったんだ、当然だろう。
「……」
しかし、休息の隙は与えない。反撃する力なら、僅かだが残っている。吹けば倒れそうな彼女達だが、決着は俺の手で……。そう思い、詠春は己の剣に意識を向けて……違和感。頭のどこかが警鐘を掻き鳴らす。今見た光景の、何かがおかしいと。もう一度、詠春は前を見た。奥に疲れきった女性が二人。手前に膝を折った少女が一人。
……? ……三人しか……居ない!?
「!! ……しまっ……!!」
詠春を、影が覆う。同時に、気付く。視線を自分の真上。太陽の方向へと向けて――――
「これで、終わりなのですねっ!」
「っ!!?」
その目に映るは逆光の中を突き進む、大剣を上段に構えた剣士タペタ。眼下に見下ろす詠春目掛け、最後の一撃を振り下ろし――――
「……!」
……静寂。
時が止まったような静けさが辺りを支配する。
はらりと、詠春の前髪が数本、滑り落ちて。
空が、ズレた。
タペタの剣閃に沿って、空が二つに“切り裂かれた”。少なくとも、詠春の目にはハッキリとそう映った。力を溜めたタペタ渾身の一刀。技名無し。名称不明の“ジャンプ斬り”。両刃の大剣は詠春の中心線を正確に捉え、そしてその、額の僅か一センチ手前で、ピタリと止まっていた。
「! は……」
気が付けば、空には何の変哲も無い。剣が空ごと切り裂いたように思ったのは、詠春の見た幻だったのか。だが詠春はまだ気付いていない。その後ろに広がる大地には、まるで彼の身代わりとなるかのように、どこまでも続く一筋の溝が深く刻み込まれている事に。
「お……俺の……負け……だ……」
詠春は、素直に認めた。どう見ても、どうあがいても、付け入る隙の無いほどの負けだ。だが不思議と気分は悪くない。正直に言って、全力を尽くした。それでも、負けたのだ。自分の修行がまだまだ足りないのは百も承知。だが今は、自分を負かした彼女達の力を、賞賛する言葉しか出てこない。リュウ君の仲間は、彼同様とんでもないな。勝利に沸き、力の入らない腕でガッツポーズを取るリンプー達を尻目に、詠春はそんな事を思うのだった。
炎の吐息、初戦を白星で飾る。
これより後年。この勝負を女性に負けた詠春の話として情報屋がどこからか嗅ぎつけ、それが巡り巡ってどこぞの筋肉ダルマの耳に入ったりするのだが……それは今は関係のない話である。