明くる日、ハイランド城。
実質的な城内の実権を握っている急進派は、その中でシュプケーに次ぐ権力を持つ高官の命により、兵士達を朝から街へ駆り出していた。理由は一つ、“盗賊の魂”の存在を知っているチーム・トリニティ+αを消すためである。
「何をしている! まだ見つからんのか!」
本来なら会議の為に使われるハズの一室を我が物顔で占有し、唾を撒き散らしながら部下を叱責するその男。ハイランダーにしては珍しく恰幅の良い、高圧的な雰囲気を纏うこの国の高官。名をトラウトと言う。
「も、申し訳ございません、何分手掛かりが少なく……」
「言い訳など聞かぬ! 今日中に始末できなければ貴様はクビだ! とっとと行け!」
「は、はっ!」
「愚図どもめ……っ!」
“クビ”と言う単語に顔を青くし、慌てて去って行く部下の兵。扉から出ていく背を一瞥して、トラウトは冷淡にも一言そう吐き捨てた。
「おのれ……小娘どもが私の手を煩わせおって……」
トリニティとの約束を目の前で破って見せたこの男、トラウトは苛立っていた。盗賊の魂を手に入れられた事は良い。これでもうじきこの国の支配者になるシュプケーに、多大な恩を売る事が出来た。それは良し、だ。だがその後がいけない。万一、という事がある。あの玉の存在を知られていては、思いも寄らない所から弱点として露出するかも知れないのだ。何としても、後顧の憂いは断つべし。
彼はそう考えていた。彼は臆病な程に慎重な男だった。権力欲に凝り固まるあまり、本来なら杞憂と言える事柄にさえ執拗に拘る悪癖の持ち主が、彼という男であった。
「う……む……」
少し前から患っている持病の高血圧。それを抑える薬を懐から取り出し、次々に口へと放り込むトラウト。苦いだけの薬を腹立たしげにガリガリと噛み砕きつつも、彼の興奮はなかなか収まらない。だが、彼は知らない。その血圧の値は奇しくもこの日、史上最高値を迎えてしまう事を……。
*
ハイランド城には、城自体への入り口と城門との間に僅かな“間”が存在する。そこにはせめてもの緑として草や花、小さな木などが植えられ、かつては荒んだ兵士たちの心を和ませる役割があったが、今ではほとんど誰も見向きもしなくなっている。
「まずは我らだな」
「腕が鳴るぜ」
慌ただしく街へと向かって行く兵士達の、誰一人として気にも留めないその草の茂みの裏に、何故かちょうど人が隠れられるサイズの穴が掘られていた。そしてそこから周囲を伺う四つの視線が城門を注視している事に、兵士達は当然だが気付かない。
「まだ合図来ないわねー」
「ワタクシ、頑張るですね!」
その人影の正体は、【ストレス解消殴りまくり大作戦(命名・ランド)】の第一陣。ガーランドとランド、それにモモ、タペタである。前衛にて格闘のランド、槍による中距離を得意とするガーランド、そしてバズーカによる遠距離大火力のモモという攻撃一辺倒な組み合わせだ。タペタは一応レイピアを扱えるのだが、戦力としては心許ない為にリュウから大量の薬草を預かっての回復要因という役回りとなっていた。
「ふむ……城内の穏健派達の退避は済んだ頃か」
「時間的には大丈夫な筈ねー」
このリュウ達の作戦は夜中のうちに城へと戻ったゲインにより、城内部の穏健派達に知らされていた。ステンのネームバリューはやはりハイランド内部ではかなり大きく、ほぼ全ての穏健派はリュウ達の味方となり、この作戦は半ばクーデターと言えなくもない規模になっている。
当然今四人が隠れている穴についても、夜の内にこっそり穏健派が掘っておいたものだ。そこに第一陣が夜明け前、ひっそり忍び込んだのである。一応夜間に奇襲を掛けるという案もあったが、リュウ達はあえて夜が明けてからの作戦開始を選んでいた。それはトリニティ討伐の為の兵士が出払い、城内における急進派の戦力が低下する事を計算に入れていたからだ。そしてそれに加え、夜は王家の棟の警備が極めて厚くなるという理由もある。
「第三隊と第四隊は郊外を調べろ!」
「ハッ!」
城門の前で任務を確認し、現場へと向かっていく急進派のトリニティ追撃部隊。最後の部隊が出て行った事を何食わぬ顔で門番をしているゲインが確認すると、彼はガーランド達の居る場所へ向けて合図を送った。いよいよ作戦開始。まずは第一陣が行動を起こすのだ。
「あ、合図ねー。動きましょー」
「やっとかよ」
四人は一斉に穴から飛び出し、城の入り口の前で各自の獲物を取り出した。ガーランドは“ギガンテス”の名を冠する長槍。ランドは“ブラスナックル”という強固なナックル。モモはバズーカにノーマルな弾“オレンジシェル”を装填し、タペタも“むてきのレイピア”と言う少々名前負けしていそうなレイピアを鞘から抜く。
「ではリュウ達にも届くよう、派手に開戦の狼煙を上げるとするか」
「あんた、何する気だよ?」
「少し門から離れていろ。危ないぞ」
ランドからの疑問にニヤリと笑みだけを寄越すガーランド。彼はわざわざ城門の外へ行き、何故かゲインに門を閉じさせた。そしてその門の前で槍を足元に突き立て、右腕に自らの気を集中させ始める。
「ぬぅぅぅぅ……っ!!」
装備していた手甲を軽々と弾き飛ばし、気合いを込める度に一回りも二回りも巨大に膨れ上がっていく右腕。そしてその掌に、気の固まりのような光球が生まれた。淡く輝くその光に凝縮された破壊力は、解放される時を今か今かと待ち構える。そして気合いと共に膨れ上がった右腕と掌は閉じた城門へ向けられ、“ソレ”は放たれた。
「かぁぁぁぁぁっっ!!」
光球はまるで大きな竜巻を真横に放ったような凄まじい闘気の大渦となり、城門へ直進そして直撃。轟音と共に貫通。さらに勢い衰えぬその大渦は、城そのものの入り口までをも木っ端微塵に大粉砕。まさに会戦の初撃に相応しい一撃であった。
それは修行の末に編み出したガーランドの必殺技、“会心撃”。素早く動く標的には当たり辛いが動かぬ的には情け容赦のない、当たりさえすれば文字通り必殺の大技である。その場にリュウが居たとしたら、間違い無く技名の頭に“獣王”と付け足すよう要請していた事だろう。
「……」
ちなみに何をするのかとガーランドを見ていたゲインは、口をあんぐりと開けて尻餅を付き、呆然と破壊された城の方を見ていた。
「よし、行くか」
「やるなぁアンタ……」
「それじゃ、程々に頑張りましょー」
「ウィ。ワタクシの剣捌き、見せて差し上げるのですね!」
突如として城を襲った爆音を聞きつけ、各所から集まってくるハイランダーの兵士達。ガーランドら四人は彼らを正面から見据え、堂々と城内へ侵入していった。
*
「な、何事だ!?」
ズズン……と鈍い振動に揺すられ、トラウトは驚いた。ハイランドには地震はない。だから今の揺れは、それとは違う別の何か。少なくとも良い予感が全くしないトラウトは、直ちに廊下で待機していた部下を呼び付けていた。
「何が起きたか!」
「は、何者かが城内に侵入したとの事です!」
「侵入者だと!? 馬鹿な、警備はどうした! あの臆病者どもは居眠りでもしていたのか!」
急進派であるトラウトは、その思想から穏健派を完全に見下していた。自らは表舞台に出ないで指示を下すだけにも関わらず、彼の中で戦いを止めよう等と言う者達は総じて腰抜けの臆病者とまで思うようになっていたのだ。だから、彼はまさか穏健派が内部から手引きしている等とはこの時考えもしていない。穏健派の性根に、自分達に逆らう度胸などある筈も無いとタカを括っているのだ。
「ええい、どこの馬鹿だ! 正面から我が城に攻めてくるなど!」
「そ、それが人数は定かではありませんが、侵入者はかなりの猛者達らしく……」」
「言い訳はいらん! さっさと片付けてこい! それでも我が国の兵か貴様!」
「……。現在速やかに処理に当たっております。ですが何分、相当の戦力が街へと向かっておりますので……」
「っ……」
トラウトは、自らの命令が仇となっている事を理解した。だが己の失策を易々と認められる彼ではない。
何故このタイミングで。まさかどこかから城内部の兵が少なくなっているという情報が漏れたのか。いや、そんな事よりまずは城の防衛が先……いや待て、シュプケー様の命を仰ぐのが先か? いやしかし……。
「……」
ハイランド城に直接攻め込んでくる人間が出るなど、トラウトがこの城に勤めだしてから一度もない事態だった。己の保身が第一な彼には、この事態を収める妙案など浮かぶはずもない。
「く……どこの誰かは知らぬが、そんな命知らずどもは総力を揚げて叩き潰せ! ワシはシュプケー様にこの事を伝えてくる!」
「はっ!」
トラウトは懐から血圧の薬を取り出し、中身を一気に口の中に流し込んでボリボリと咀嚼する。その後重い腰を上げ、シュプケーの居る王家の棟へと足を向けた。
*
「全員、用意はいいですね」
「問題ありません! 隊長!」
「あたしも大丈夫」
その頃、城の左側面。堀に面した城壁の一部にある、内部の者にもあまり知られていないハイランド城の非常用出入り口の一つ。そこで待機していた四つの人影が、今まさに行動を開始しようとしていた。この場所は本来火事等における避難用だ。手すりの無いバルコニー程度の空間。勿論彼女らをこの場所に運んだのは、唯一空を飛ぶ手段を持つリュウである。
「……」
「貴様! 返事はどうした!」
「……だ……大……丈夫」
そこに居るのは【我等の怒りを思い知るがいい大作戦(命名・アースラ)】の第二陣。ゼノ、アースラ、サイアス、リンである。二刀流剣術使いのゼノと居合いのサイアスを前衛。銃使いリンと銃+魔法のアースラを後衛とした、バランスの取れた布陣だ。ちなみにこちらの薬草を持っての回復役は、リンが務める事になっている。
「……時間です」
第一陣が騒ぎを起こしてから五分。時間差で城の内部をさらなる混乱に陥れるべく、彼女達が活動しだす。
「リン、アースラ、一陣に負けないようお願いしますね」
「了解!」
ゼノの声に答えリンは銃口を真上へと向け、そしてアースラは呪文を唱え始める。
「ウェイブス・レイブス・ブレイブス!【火の精霊71柱・集い来りて敵を射て! 魔法の射手・収束・火の71矢!】」
「これで……とどめだ!!」
アースラが放つ収束した魔法の矢。そしてリンの銃バムバルディから放たれたミサイルの嵐が、全くの同時に扉へ着弾する。この日二度目のド派手な爆音がハイランド城に響き渡り、鋼鉄製だったであろう扉は可哀想なくらい無残な鉄屑に。さらに周囲の城壁までもを不必要なくらい大きく削り取り、文字通りの大穴をそこに開けた。
「では、行きましょう」
「……斬る」
開いた穴から粛々と侵入していく二人のサムライ。ゼノは最早体の一部とも言うべき愛刀、二振りの紫音剣を両手に。サイアスは刀————かつて戦争の最中に千人の血を吸ったと言う曰く付きの業物“千人斬り”を携え、濛々たる爆煙の中を静かに歩み進める。
「な、何奴だ!?」
「おのれ、侵入者共め!」
城門部分と同様、続々と集まってくるハイランダー兵達。未だ爆煙立ち込める内部にて。例え煙の中であろうとも、二人の剣士には見えていた。前方から聞えてくる声の出所の一つ一つ。そしてそれらが集まり増えていく気配。その全てが、手に取るように。
*
「こ、今度は……何だ!?」
王家の棟へと続く吹き曝しの石橋。そこへ至る為の最後の階段を昇っていたトラウトは、またもや聞こえてきた大きな爆音に酷く狼狽えた。慌てて背後へ、発信源の方向へ振り返る。
「誰か! 誰か居らんか!!」
「はっ、ここに」
たまたま通りすがった兵士を捕まえ、トラウトは今起きた爆発らしきものの詳細を問い質す。もちろん汚く唾を飛ばす事と、高圧的な態度は忘れない。
「何が起こったのだ!?」
「そ、それが、さらに別の侵入者との報が……」
「何だと!?」
予想だにしなかった事態に、トラウトは焦る。
何なのだこれは!? 何故こうも同じタイミングでこのような馬鹿が出るのだ!? ……まさか、穏健派の連中が何か……!?
ここに来てトラウトは、ようやくその可能性に気付き始めていた。考えてみればそもそもがおかしい。今こうして泡を食っているのは、ほぼ急進派の兵のみだ。ここまでで穏健派の兵の姿を全く見ていないし、一日に二度も、立て続けに侵入者が出る事自体まずあり得ない。
「ここに居られましたか! ご報告がございます!」
「! 何用だ!」
そんなトラウトの前に現れたのは、彼を探していたと思われる武装した兵だ。そしてその兵士の報告で、穏健派の可能性を追求しようとしたトラウトの思考は、惜しくもストップする事になる。
「先ほど、侵入者の正体が判明致しました! 敵は我らが追っていた“トリニティ”です!」
「何、誠か!?」
「ハッ、先日街で連中を追い立てた兵からの報告です。間違いないかと」
「むう……」
その一報を聞いたトラウトは、落ち着きを取り戻していた。顔から焦りの色が徐々に消え、安堵と共に愉悦の表情へと変貌していく。
……は、そうか。そういうことか。あやつらの復讐だったのか。そう言えば奴らはそれなりには出来る連中だったな。……ふん、のこのこと向こうの方からやってくるとは愚か者どもめ。返り討ちにしてくれる!
「……飛んで火に入る夏の虫とはこの事よな」
トラウトは先程までの狼狽えぶりが嘘のように、鋭く兵を見据え伝令を伝える。
――――穏健派の連中に、我らに楯突こうという度胸などあるはずもないし、な。そう自分の思い込みを肯定しながら。
「よし、ただちに街へ向かった全兵を引き上げさせろ! 侵入者は一人残らず皆殺しにするのだ! このハイランドから生きて帰すな!」
「ハッ!」
報告に来た兵と通りすがった兵に命令を下し、さらにトラウトは石橋へ続く扉の前に目を向けた。そこは王家の棟に至る為のたった一つの道だ。故に、専門で守護する警備の兵が二人ほど立っている。
「おい! 貴様らも行け!」
「は? いえ、お言葉ですが我らはここを離れる訳には……」
「構わん、侵入者の討伐の方が先だ! それともワシの命令が聞けんと言うのか!」
「……ハッ!」
警備兵を全て侵入者の討伐に向かわせ、トラウトは事態をシュプケーに報告するべく悠々と石橋へ向う。彼の脳内では、もう問題は全て解決したも同然だった。その為、自らの功績をどうシュプケーに伝えるか、既にそれだけに思考のリソースが割かれている。まだ新たな侵入者が現れる可能性など、微塵も考えずに。
*
「さて、そろそろ俺らの番ですね」
「がんばろーね!」
「ったく愉快だねぇ……」
城の右側面、ゼノ達の居た場所をそっくり鏡に映した様な足場に、彼らは居た。【みんなで大暴れしちゃおう大作戦(命名・リンプー)】の本命である第三陣。リュウ(ボッシュ)、ステン、リンプー、レイである。王家の棟侵入を目的とした、素早さ特化の速攻チームだ。
「おいら達は真っ直ぐ王家の棟を目指す。旦那方が暴れて手薄になっているはずだからね」
「あんだけでっかい音立ててるぐらいだし、城の中スゴイ事になってそうだよねー」
実際この時ガーランド達とゼノ達は、もう本当に十二分すぎる程兵の目を引き付けているのだが、リュウ達にはその事はわからない。
「じゃそろそろ時間ですし、行きましょう」
第一陣が動き出してから十分、第二陣が動いてから五分。とうとうリュウ達が行動を開始する。リュウはヒュパッとドラゴンズ・ティアから無銘の“剛剣”、マンジカブラを取り出し、錆びついたドアに一瞥くれた。そして……
「ふんっ!」
大地斬。刹那の如き剣速で切り裂かれる鋼鉄の扉。スッパリと十文字に切断され、ゴトゴトと崩れ落ちる。
「じゃ、みんなしっかりおいらについてきてよ!」
内部を熟知しているステンを先頭にして廊下を走り、階段を昇り、リュウ達は城内を駆け抜けていく。囮役の一陣と二陣、そして穏健派が各所で工作をしてくれているのだろう。おかげで全く兵士とは遭遇しない。一度も交戦する事なく、順調過ぎる勢いで石橋へ続く扉の前までやって来ていた。
「おや? ここの警備兵も居ない……まぁおいら達には都合がいいけど……」
「何止まってんだ? さっさと行こうぜ」
「……そうだね」
自分が居た頃から、この場所を守る兵が持ち場を離れる事はなかったと記憶しているステン。少しだけ戸惑ったがレイに促され、ふっ切ったように力強く扉を開ける。そしてその先に広がる光景は、申し訳程度に柵のついた石橋が一本だけというモノだった。下は外の堀と同じく谷のように深い。底にキラキラと光を反射する水面が見え、吹き抜ける強風が足元を揺らがせる。
「おい……あそこ、誰かいるぞ」
「あれは……」
「!? な、なんだ……貴様らは!?」
ステン達の前方。橋の後半部分をのそのそと歩いていたのは、恰幅の良いハイランダー。言わずもがなのトラウトだった。ぶつぶつと考え事をしながら歩いていたトラウトは、聞えてきた声に後ろを振り返り、先頭に立つ青年の姿を見て驚愕に染まった。
「貴様は……馬鹿な……な、何故貴様が……」
考え得る限りで一番最悪の事態というヤツが、トラウトの脳裏によぎった。とうの昔に死んだと思っていた男が、このタイミングで今目の前に居る。この男は、自分の記憶が確かなら確実に王女の側の人間。それらの事実から導き出される答えは……先程捻じ伏せようとしたあの結論以外には、ない。……トラウトは全てを察した。
「まさか……この騒ぎの元凶は……貴様がっ!!」
「なぁアンタ、あれ知り合いだったのか?」
レイにとって、トラウトは街で自分達が追いまわされる切っ掛けを提供してくれた相手だ。ギロリと鋭く橋の先にガンを飛ばす。だが聞かれたステンは、むしろアレ誰だっけ、とでも言いたげにしている。
「いやぁ……見覚えはあるけど……知り合いって程じゃないねぇ」
ステンの記憶では、トラウトに関しては精々顔見知り程度のものだった。実際シュプケーが台頭するまではさして目立つ事のない男だったため、それは当然と言えるだろう。
「くっ……衛兵! 衛兵であえ! であえーっ!!」
睨んでくるレイを見て焦ったトラウトは、王家の棟に向って力の限りに叫んだ。棟にはシュプケーの息の掛かった“近衛兵”が常駐しており、王女の護衛も幾人か滞在しているのだ。トラウトの魂の叫びはギリギリ届いたらしく、王家の棟から武装した兵が何人も出てきていた。
「……なんだよ、まだ結構残ってんじゃねぇか」
「ふ、わはははは! こうなれば誰が来ようが最早関係ない! 馬鹿どもめ! ここで死ぬがいいわ!」
わらわらと出てくる兵士を見て勝ち誇ったように高笑いするトラウトは、そのまま一目散に王家の棟へと駆け出した。……と言っても走る速度は非常に遅い。そして彼を庇うように、重武装の近衛兵達は前に出てきていた。
「やれやれ……こうなったらやるしかないかなぁ」
「……」
「相棒、どうした?」
少し諦めたように腰のキングオブダガーを抜くステン。その後ろでリュウは、何故か兵士達を飛び越えた王家の棟の入り口を注視していた。正確にはその少し上にある、窓のように開いている空間を、だ。
「……ステンさん、あそこの窓みたいな所って、例のループの結界届いてますか?」
「ん? いや、あそこには結界はきてなかったと思うけど?」
「……」
リュウが何を考えているのか、その場の誰もわかっていない。ただ一匹ボッシュだけがひょっとして、と見当を付けていた。
「よし……じゃあこの場は俺達が引き受けますから、ステンさんは先に行って決着を付けてきてください」
「? ……いやそれはありがたい話だけど、どうやってアレ突破しろってのさ?」
丁度橋の真ん中くらいまでを埋めるように、槍や剣で武装した近衛兵がわんさと居る。この狭い石橋では彼らを避ける事など出来ないから、ぶつかるしかないはず。そう思ったステンは、リュウが何をしようとしているのかまだ分かっていない。
「それはですね……こうするんですよ。
「!?」
まだバトルに突入していないのに、何故か身体強化を掛けるリュウ。それを見たステンは、敏感に本能が反応した。所謂ところの危険察知能力だ。何だかとてもいやーな予感がする。ステンは僅かに、だが確実に足を引いた。けれどもリュウはにこやかな笑みを浮かべて、逃さんよ? とばかりにガシッと力強くステンの肩に手を掛ける。
「……あ……リュウゴメンおいらちょっと急用を思い出したんだけど……」
「まぁまぁ。そんじゃあステンさん……いってらっしゃいませぇ!」
そしてリュウは笑みを浮かべたままステンの体を…………思いっきり、向こうの窓目掛けてブン投げた!
「ウッッッキャーーーッ!?」
割と本気に聞こえる叫び声を華麗にスルーするリュウの目論見通り、兵士達の頭上を一気に越えて、窓の中へと見事ステンはストライク。ちょっとそこからドゴッと何かにぶつかったような破壊音が聞えたけど、気にしてはいけない。ナイスコントロール、俺! と自画自賛のリュウである。
「うわぁ……」
「愉快だねぇ……」
あまりに強引過ぎる力技に呆れたレイとリンプーの視線が、リュウの微妙に誇らしげな背中を射抜いていた。
「な、何を……! 一体何が目的なんだ貴様らぁっ!!」
「……さぁな。まぁ今の俺には、お前をぶちのめしてぇって目的が出来たがな!」
「あ、あたしもそれ賛成!!」
「俺はこれで一応の目的を達成したんで、後は色んなフォローですかねー」
ステン一人を棟に先行させたリュウ達の行動の意味がわからず、唾と共に問い掛けるトラウト。それに対しレイは両手にナイフ————以前旅の途中で手に入れたナイフ“スライサー”を構え、リンプーは言わずと知れた猫の手棍棒、にゃんにゃん棒を。そしてリュウもドラゴンズ・ティアからヒュパッとマンジカブラを取り出す。
「さて、それじゃあ……行きますか!」
「おう!」
「おっけー!!」
狭い石橋の上で向ってくる大量の近衛兵へ、リュウ達は正面から突撃していくのだった。
「あいたたた……ったく、リュウってば結構乱暴だよなぁもう……」
なんとか無事に王家の棟に潜入し、頭に出来たたんこぶをさすりながら文句を言うステン。だが言葉とは反対に、彼の顔に怒りの表情は浮かんでいない。それどころか、自嘲とは違う笑みのようなものすら垣間見える。
『リュウ、おいらは……おいらの手で、助けたい人が居るんだ』
『わかりました。じゃあ俺が、そこまでサポートしますよ』
宿でステンがリュウに頼んだ事。それは確実にシュプケーの側に居るであろう、戦友のトゥルボーを救いたいという事だった。明らかに不審なトゥルボーの現状。それに対しリュウとステンは、彼はシュプケーに操られているのではという結論に行き着いた。だとするなら、一つ可能性がある。あの富豪のキルゴア氏に起きていた事が、そのまま当て嵌るのではないかという可能性だ。
「……」
そしてさらに、ステンにとってもう一人助けなければならない人間がいた。トゥルボーと同等か、もしくはそれ以上に気になるその人物とは、王女。今自分が居るこの棟の上に彼女と、そしてシュプケーは居るだろう。ステンは過去を思い出し、僅かに躊躇する。だが自分が入ってきた窓から下。チラリと奮闘する少年達の姿が目に映ると、迷いを振り切り、感謝の念を送り、勢い良く階段を駆け上がっていくのだった。
*
「さぁ王女よ、私と一緒に来て頂きたい」
「お断りします。私は……いえ、この国の民は、戦を望んではいません」
王家の棟、最上階。代々王族の住まう一室。その豪華な装飾溢れる部屋の中で、二人の女性が言い争っていた。凡そ、その部屋には似つかわしくない激しい剣幕で。
「これはお戯れを……この国がこれまで栄えてきたのは何故か。どうやって我等を養ってきたかをお忘れか?」
「それは……」
「我が国は元来軍事国家。戦争こそ我等が生業。それを否定する権利は、王家の血筋たるあなたにはありませんわ」
「……」
悲壮な雰囲気を漂わせ、美しいドレスに身を包むハイランダーの王女。そして煌びやかな鎧を着飾った、美しいがどこかに棘のある気配を纏う女将軍。王女は、目の前の女性が放った言葉を否定しない。出来ない。それは純然たる事実なのだから。
「確かに……その通りです。ですが何と言われようと……私は、この考えを曲げるつもりはありません」
「…………。そうですか……良くわかりましたわ」
王女は将軍の目を真っ直ぐに見据え、強く言い切った。だが女将軍はそれを一笑に附すように鼻で笑い……ツカツカと、土足で王女の側へ近付いていく。
「! な、何をするのですか! 無礼者!」
「は、もうアンタに跪くのも終わりさ。何故ならもうすぐ、アンタは王座は明け渡す事になるんだからねぇ。このアタシに!」
女将軍は、近付いた王女の腕を荒々しく掴んだ。王女はそれを振り解こうとするが、しかしその細腕はガッチリと捕まれていて、振り払う事など出来ない。仮にも相手は将軍。非力な王族が抵抗できる筈もない。
「……くっ……離しなさい!」
「フフ、最後にあなたに相応しい仕事が残っていますの。この城の、隠された力を解放するという大事な仕事が。そして新たな戦乱の世が幕を開ける……是非来て頂かないと困るのですよ、王女殿下?」
「いっ……」
王女の腕を掴み、ギリギリとその手に力を込める女将軍。彼女の顔は、これ以上ない程に歪んでいた。それは野望の成就を確信した笑みだ。今日この日より自らが王になるのだという、勝利に酔った者の笑みだ。
「こ、断ると言ったはずです! そんな事に使われるくらいなら……今すぐ私を殺しなさい!!」
「フッ、アハハハハ! 素敵ですわ王女様。でも残念。もうこれは決定事項なんですの」
腕を掴まれたまま、強い眼差しで睨む王女。それを痛くも痒くもないと嘲笑う女将軍。王女は祈るような思いを胸に、部屋の入り口で待機している旧知の友に望みを託す。
「……トゥルボー! 聞えてるのでしょう! お願い! 私の声に答えて!」
「……」
しかし確実に聞こえている筈のトゥルボーは、王女の声に全く反応を示さない。待機の姿勢のまま、視線すらピクリとも動かず微動だにしない。
「あら、形振り構わず私の“部下”に助けを求めるだなんて。随分と無様なお姿ですわね王女様」
「……くっ……あなたは……っ!」
勝ち誇る女将軍を前に悔しさを滲ませ、目の端に涙まで浮かべて、王女は語気をさらに荒げた。
「殺しなさい! 殺せばいいでしょう! さっさと私を—————」
それは王女の心からの叫びだ。いざとなったら自刃さえ厭わないという断固たる決意だ。だが、その自棄とも言える決意の言葉は、最後まで紡がれる事はなかった。
「おいおい、穏やかじゃないねぇエルファーラン」
「!?」
沈黙が訪れる。
二人の女性は声の聞えてきた方……部屋の入り口を、同時に見た。そこに居たのは一人の青年。蒼いベストを羽織ったような服装の、飄々とした雰囲気を纏った男。そしてその男の登場に対する反応は、女性二人でまさに、真逆。
「まさか……あなたは……ステン? 本当に……本当にステンなの!?」
「ば、馬鹿な……貴様はあの時……っ! 何故ここに居る!?」
両者とも、その表情にあるのはただ一つ“信じられない”という驚きだ。だが王女の根底にあるのは喜び。対して女将軍の奥底にあるのは焦り。それらのベクトルは、決して交わる事はない。
「王女に取って代わろうだなんてふてぶてしい事考えちゃって……お仕置きしちゃうから覚悟しな……シュプケー!」
「くっ……!?」
ヤツは昨日殺したハズ! 一体どうやって生き延びた!? 警備の兵は何をやっているのだ!? 何故こいつの侵入を許した!? おのれ! やはり死体を確認しておくべきだった……ッ!
シュプケーの脳裏に、様々な疑問と後悔の念が渦巻く。しかしそれも一瞬の事。次の瞬間にはステンのすぐ横にいる、最も信頼できる“部下”に命令を飛ばしていた。
「トゥルボー! そいつを殺せ!」
「はい。シュプケー様」
シュプケーの声に即座に反応したトゥルボーは、躊躇うことなく標的をステンに定めた。一足飛びに飛び掛かり、ヌンチャクを降り抜く。
「おっと! ……トゥルボー、今度は昨日みたいに行くと思うなよ!」
いつでも動けるよう神経を緊張させていたステンは、トゥルボーの攻撃をひらりと横へ回避。そしてキングオブダガーを取り出し、その刀身に意識を集中させた。刀身が淡く輝き、薄い魔法の光がステンの全身を覆っていく。リュウからしっかりと使い方を聞いたステンは、十分にその性能を引き出せていた。
「すぐに正気を取り戻させてやるよ! トゥルボー!!」
ヌンチャクを振り被り、なおも飛び掛ってくるトゥルボー。ステンはその攻撃を、真正面からダガーで受け止めた。ダメージはない。ダガーの特殊効果で強化された防御力は、トゥルボーの一撃を完全に上回っている。続く連撃に対して反撃こそしないものの、ステンは冷静に捌き、かわし、対処していく。
「な、何をしている! 早くそいつを殺すんだ!」
「はい、シュプケー様」
「トゥルボー……!」
一朝一夕でステンがトゥルボーより強くなるなんて事はない。だが、攻撃を当てられたとしてもそれが碌なダメージにならないトゥルボーには“決め手”がなかった。だから、ステンには余裕が生まれる。注意深くトゥルボーを観察するという、余裕が。
「! ……あれか!」
攻防の最中、ステンは目聡く見つけだした。トゥルボーの手首に着いているリストバンド。その片方が、妙に盛り上がっている。まるでリストの下に、何かを隠してでもいるように。
「よっ!」
操られている為かトゥルボーの動きに規則性を見出したステンは、攻撃をかわし様にリストバンドだけを器用に切り裂いた。リストの下に現れたのは、かつてキルゴアが盗賊にいい様にされていたあの物体。現在リュウが所持している、あの腕輪とそっくりの代物だ。
「やっぱりか……その“腕輪”のせいみだいだな、操られているのは!」
「!!」
ステンの声に反応したのはシュプケーだ。何故わかったのだと言うかのように、顔色が変化している。リュウとの話でそうではないかと想像していたステンとしては、案の定といった所である。
「そんなのに操られるなんて、爆裂中隊隊長の名が泣くぞ! トゥルボー!!」
「……」
振り下ろされたヌンチャクの一撃をカウンター気味に弾き、バランスを崩したトゥルボー目掛け、ステンのダガーが一閃する。
「……!」
交差するようにすれ違うステンとトゥルボー。一瞬の間を置き、トゥルボーの手首に嵌っていた腕輪のみが真っ二つに斬り裂かれ、落ちる。それはカツン、と二つの乾いた音を立てて。
「しまった……!」
シュプケーの叫びと同時、まるで糸が切れたマリオネットのようにがくりと膝を折るトゥルボー。呪縛から解き放たれ、シュプケーの命令を受け付けなくなった事で、最早勝敗は決していた。