リュウ達はハイランドシティの宿へ到着すると、新たに各人用の部屋を借り直す事にした。幸い宿にはまだいくつか空き部屋があったので、早朝に叩き起こされた宿の主人は若干不機嫌ながらもこれを了承。やはり相当に疲れていたトリニティの面々は久方ぶりのベッドへ吸い寄せられるように横になり、それはもう爆睡であった。
「ちょっとここんトコ無節操に金使い過ぎたかも……」
「まぁ金は天下の回りモンってやつだからなぁ」
ちなみにこの時点で、リュウの財布の中身は残金一万ドラクマにまで減っていた。この所節約とは程遠かった事を少しだけ後悔し、軽くなってきた財布を見て嘆息するリュウである。全て自分が原因なのだが、それをあえてスルーしたボッシュの慰めが心に響き渡るのだった。
そして翌日――と言っても宿に着いたその日だが――リュウが起きたのは昼の少し手前といった時間だ。丸一日寝過ごしたという訳ではなく、当然日付は変わっていない。眠りについてからどれだけ経ったかを計算し、「ほんの数時間しか寝てないじゃん、勿体な!」とすぐにまた横になって夢の世界へ行こうとする怠惰なリュウ。だが残念ながら見事に脳は覚醒し、何だか眼も冴えてしまっていた。
「……。ちくしょう寝れない……」
「はえぇな相棒」
「あーごめん、起こしちゃった?」
「いや、俺っちもちょうど目が覚めた所だぜ」
リュウとボッシュはお互い随分と波長が合うなぁと苦笑しつつ起き出し、まずは着替え。そして洗面所に行き顔を洗って、さてまだみんな寝てるしどうしようかな、と思いながら宿の廊下をテクテク歩いていく。窓から差し込む日差しを見て、そう言えばずっと暗がりに居たよなーとボッシュと話し、リュウはお日様の下で外の空気でも吸おうと決めて、宿の玄関へ向かった。
「……あれ?」
「!」
と、玄関には先客がいた。扉に手を掛け、今まさに外へ向かう直前だったという様子のその人物。突然背後から掛けられたリュウの声に驚いて、慌てて振り返ったのはステンだった。
「おはようございます」
「お、おはよう。いやー、リュウ早起きだねぇ」
早いと言っても時間的にはもう昼前だけど、なんて突っ込みをリュウは心の中で入れる。そしてリュウは、ステンの挙動に違和感を覚えた。微妙に声が上擦り、何かを焦っているようで何となく不審者っぽい感じである。
「……どこか行くんですか?」
「あーいや、そのー……」
「?」
あからさまに目が泳ぎ、冷や汗まで垂らしているステン。それはどう誤魔化そうか悩んでいるようにしかリュウには見えない。少しの間混乱気味にあーとかうーとか唸っていると、ステンはいつものお調子者の顔を取り戻してリュウの方を向いた。
「……おいらちょっと、散歩に行ってくるよ」
「? 散歩……ですか?」
「うん」
「どちらまで?」
「……いやぁちょっとその辺まで、ね」
おちゃらけた表情ではあったが微妙に視線を逸らし、やはりどこかよそよそしいステン。何か言い辛い事があるのかと、リュウとボッシュにはすぐにわかった。だからだろうか。妙な不安がリュウの心の中に生まれていた。
「ん~……俺も一緒に行っちゃ……駄目ですかね?」
「い、いやいやホントその辺だし、こんな街見るものもあんまりないって」
「……」
ステンの眼は「頼むから付いて来ないでくれ」と口ほどに物を言っていた。リュウはそれが気になり、ハイランドに来てからのステンの気になる行動を思い出す。そして自分の昔の記憶と照らし合わせようとした所で、ステンはくるりとリュウに背を向けて、意を決したように玄関から出て行こうとした。
「リュウ、悪いけどおいらちょっと一人になりたいんだよね。それじゃ……」
「あ、ち、ちょっと待って下さい!」
「?」
ステンの態度にほんの一瞬、虫の知らせの様に嫌な感じを覚えたリュウはあわてて引き止めた。そしてそれならせめて……と、ドラゴンズ・ティアからヒュパッと一振りのダガーを取り出した。
「コレ、キングオブダガーって言って結構切れ味良くて、意識を集中すると防御力が上がる効果もあるスグレモノなんです。良かったらお守り代わりに持ってって下さい。最近は何かと物騒ですから」
「へ? コレを? おいらに?」
「はい」
リュウの顔と差し出されたダガーを交互に見やり、考えこむステン。もちろんハイランドシティの治安は悪くないので、物騒だと言うのは建前である。別に貰う理由とかないんだけどと迷うステンに、リュウはどうぞと一際強くそのダガーを差し出す。ステンは結局断る理由を思いつけず、それをおずおずと受け取った。
「……わかった。それじゃありがたく貰っておくよ」
「あ、いえ貸すだけですよ? もちろん後で返して下さいね?」
「へ?」
てっきりくれるものだと思っていたステンは、リュウの思いがけないセリフに一瞬呆けたような顔を見せる。そして何だか間の抜けた空気が形成され、よくわからない沈黙が漂う事数瞬。ステンは次に、肩の力が抜けたように笑ってみせた。
「……はは、わかった。帰ってきたらちゃんと返すよ。それじゃあ……」
そうしてステンは宿から出ると、意思の強さを感じさせるしっかりとした足取りで歩きだした。
「……」
「……どした相棒」
「ん? ……んー、何て言うか……」
ステンの態度によからぬ物を感じたリュウはこっそり後を付けたかったが、ああ見えてステンは結構鋭い。それに加えあの様子では、下手な尾行はすぐに気付かれてしまうだろう。はてさてどうしたものかと悩んでいると、ふと腰のポーチから顔を出すボッシュと目が合った。
「……ねぁボッシュ、悪いんだけどこっそりステンさんの後付けてくれない? お前ならきっと気付かれないだろうし」
「あん?」
「いやまぁ、何もなければそれでいいんだけど……」
「わかったぜ相棒」
「……いいの?」
「ま、あの態度は俺っちも気になるしな。ここはドンと任しとけや」
怪しさ万点過ぎる尾行の依頼だが、ボッシュはその理由を深く聞くことはしない。自分も少し気になるし、それにこの相棒からの無茶な頼みは日常茶飯事で、要するに慣れっこなのだ。
「じゃあお願い。何かあったら念話で」
「おうよ」
ボッシュはピョンとポーチから飛び出すと、急いでステンの後を追うように駆け出していった。リュウは取り合えずボッシュからの報告を待つ事にして、一旦部屋へと戻る事にする。階段を上り、パタパタと音を立てるスリッパに気を使いながら廊下を歩いていると、角を曲がった所で突然目の前が暗くなった。
「おわっと!?」
「きゃっ!?」
危うくぶつかるかと思われた所で、上手い具合に横へと緊急回避。その程度例え気が抜けていたと言えど、リュウにとっては文字通り朝飯前である。無駄にいい動きをしたリュウの前で硬直していたのは、中折れ兎耳と二手に編んだピンク色の長髪が目立つモモだ。帽子を被っていない寝ぼけ眼のモモは、傍から見ても抜群に癒し系である。
「あ、おはよーリュウ君。朝早いわねー」
「おはようございます、モモさんも結構早起きなんですね」
「私ってレポートとかよく書くから、短時間睡眠に慣れてるのよねー」
「……。へー」
慣れているという割にはぐしぐしと目を擦り、寝ぼけているようにフラフラしているモモ。だがリュウはその事への突っ込みを心の中だけで済ませ、それよりも己の反射神経の良さを後悔していた。「しまったどうせならぽにゃっとぶつかっておけばよかった!」と。まぁそんな男子的下心は脇へと置いておき、丁度いいので本来の目的を伝える事にする。
「そうそう、実はモモさんに折り入ってお願いしたい事があるんですが……」
「なにー? 私で出来る事なら力になるわよー?」
思いの他しっかりしている受け答えとは裏腹に、モモはぼけぼっけした空気を変わらず周囲に振りまいている。それに対しリュウは「まぁいいか。癒されるし」と突っ込みを放棄。そしてボッシュと協力して、あの“人を操る腕輪”を探す機械を作って欲しい事を伝えた。
「ふ~ん、なるほどそう言うことなら私に任せて。リュウ君の頼みだものねー」
「良かった。お手数おかけしてすみません」
「あ、でもちょっと待ってー。今日隊長達とあの依頼品を届けて来ちゃうから、その後になると思うわー」
「大丈夫です。そこまで急ぎって訳じゃないので」
ふわふわ空気の中で協力の依頼を取り付け、ちょっとした世間話をしてお互いの部屋へ戻っていくリュウとモモ。そしてリュウは自分のベッドに再び寝転がり、ボッシュから連絡が来るまでの間何をしようか考えた。まず先立つのは空腹感だ。食堂行って何か食っておこうかなー? と適当に考えていると、コンコンと部屋にノックの音が響いた。
「はーいどうぞー」
だらしなく寝っ転がりながら迎えるのもアレなので、取り合えずベッドの上に腰かけなおす。ドアを開けて入ってきたのは、巨体を誇る鰐の獣人ガーランド。そしてその後ろからのそりと姿を現したのは、遺跡の中からずっと寝ていたフーレン族のレイだ。
「あ、レイさん気が付いたんですか。体の方は大丈夫ですか?」
ベッドの上から己を心配する声を受けて、レイはポリポリと頬を掻きながらどこか自嘲気味な態度を見せた。
「ああ。おかげさんでな。ちっとフラフラするが、問題ねぇ」
「? どうかしました?」
「……いや……その……な」
「?」
レイは首を傾げるリュウと目を合わせられなかった。リュウには良く分からなかったが、その態度の原因は彼なりに感じている羞恥の心にある。かつて多少なりとも盗賊の真似事をしていたレイ。それが今回“盗人の墓”に盗みに入り、そこで死ぬような目にあって知らぬ内に助けられた。まさしく文字通り“ミイラ取りがミイラになる”寸前だったわけで。まぁ要するに、思いっきりそんな醜態を晒した事がエライ恥ずかしかったのだ。
「お前はこれでリュウに命を助けられたのは二度目だ。しっかり礼を言っておくんだな」
「! うるせーな。わかってるよ」
ガーランドに言われ、親に反抗する子供のように反発するレイ。その姿はどちらかと言えば子供と言うより体の大きいガキと言った方が正しいかもしれない。やれやれと肩を竦めるガーランドである。
「おっさんから全部話は聞いた。その……なんだ……正直助かった」
「いえいえ、気にしないで下さいな」
ぷらぷらと手を振りながらレイの言葉に答えるリュウ。傍から見たら子供に頭を下げるいい年をした青年という図だ。中々におかしなものである。そして挨拶もそこそこに、レイはその話は取り合えず止めようぜと宣言。その後は色々とリュウと別れてからの珍道中の話をしたり、逆にリュウの紅き翼としての活躍を聞いたりと、愉快な話題に花が咲く。
「あー、そういやお前、あの連中とも知り合いなんだってな。聞いた時ゃ驚いたぜ」
「あの連中って……ああ、ゼノさん達ですか?」
「あいつら、マジでおっかねーな。会った時殺されるかと思ったぜ」
「あはは」
リュウは冗談ぽく受け取っていたが、レイの目はマジだった。実際その時の状況は一対四だったわけで、モンスターの軍勢が現れなければレイは容赦なく斬撃と銃弾とバズーカの嵐に晒されていただろう。全身骨折など生温い事態になっていたに違いない。
「それでリュウよ、お前はこれからどうするのだ? もう目的は達成したのだろう?」
「そうですね、俺はゼノさん達の仕事が終わるのを待ってから……」
と、そこまでリュウが言いかけた時、廊下の方からドタドタと慌ただしい足音が聞こえてきた。そして僅かな間をおき、けたたましい音と共に開かれるリュウの部屋のドア。
「リュウにボッシュおっはよー!!」
ノックという選択肢はその脳裏にあるはずもなく、ドガンとぶっ壊さんばかりの勢いで入ってきたのはご存知暴走特急虎娘。恐らくこの部屋のドアの寿命は、今ので著しく減っただろう。
「ん? あ! あんた、やっと起きたんだ」
「……なんだお前?」
いきなり現れたリンプーは、そこでようやく部屋の中に居るメンツに気が付いた。そしてその第一声は、堂々のあんた呼ばわりだ。客観的に見ても、レイの人相はお世辞にも良くはない。同族とは言え流石の怖いもの知らずぶりである。
「あたしの名前はリンプー。リュウと一緒にあちこち回ってるんだ!」
「一緒に……だと? へーぇ……」
「……何か?」
レイは面白い事を聞いたとばかりに、リュウの方を見てニヤニヤしだした。何となくその視線に居心地の悪さを感じるリュウ。勿論レイは今回の自分の失敗による恥ずかしさを、リュウをからかう事で晴らす気満々である。
「いやいやいや愉快だねぇ。俺ぁてっきりリュウは女とかそういうの興味ねぇ人間だと思ってたんだが……」
「何ですかその根拠のない疑いは……」
「だってお前……聞く限りじゃ、お前のチーム女一人もいねぇそうじゃねぇか」
「うっ……まぁそれは……その……」
痛い所を突かれ、ぐうの音も出ない。「そんなんむしろ何でかこっちが知りたいわ!」と内心で憤るリュウ。その気持ちを知ってか知らずか、その後も適度なネチネチ感でリュウをからかうレイである。
「ねーねー、そー言えばステンの姿が見当たらないんだけど?」
「ステンさんなら、さっき散歩に行くって言って外へ行きましたよ」
「なーんだ」
ただの散歩と聞いて途端に興味を失うリンプー。尤もリンプーがステンのあの妙な態度を知ったら絶対後を付けるだろうな、と、自分はしっかり相棒に尾行を依頼している事を思いきり棚の上に上げるリュウである。
「愉快だねぇ……」
そんなこんなで取り合えず会話もひと段落し、腹減った、と言うレイの一言で食堂に向かおうかという話が出た。俺も丁度行こうと思ってたんですよーと言いつつ、喉が乾いたリュウは備え付けの水差しから水を飲もうとする。だがその瞬間……
≪相棒!!≫
「ゴフゥッ!?」
「うわっ!? 何どうしたの?」
「何やってんだお前」
唐突にリュウの頭に聞こえてきたボッシュからの念話。タイミングが良いのか悪いのか。驚いて景気良く水を噴き出すリュウである。念話を返すのは、同じく備え付けの布巾で床を拭きながらだ。
≪ど、どうしたボッシュ?≫
≪ヤベぇぜ! いいから今すぐハイランドの城まで来てくれ相棒! とにかくアイツがヤベェんだよ!≫
≪!≫
ボッシュの焦り具合はかなり深刻だ。どうもリュウの嫌な予感は的中してしまったらしく、ステンに何かのっぴきならない事態が起きてしまったようだ。ならば細かい事は後回し。リュウはすぐさま城に向かう事にする。
「ちょっと俺急用が出来たんで行ってきます!」
「あ、おいリュウ……!」
「城は……あっちか!」
リュウは即座に部屋の窓を開け放つと、そこから全力の浮遊魔法を発動させ、城の方へと飛び出していった。
*
時は少々遡り、ここはハイランド城へと続く道の途中。
「またここに戻ってくる事になるとはなぁ……」
ステンは宿を出た時の勢いはどこへやら、時折止まりそうになる足を無理やり動かして、ゆっくりと城へ向かっていた。今更のこのこ戻ってきた己の無節操さを恥じ、心の中で笑いながらである。
「みんな……元気かな」
それでもかつての自分とその周囲の事が脳裏に蘇り、ぽつりと漏れる本音。徐々に近づいてくるハイランドの城は、ステンの記憶と寸分違わずに悠然と聳え立っていた。その変わらぬ姿にどこか言い知れぬ不安を覚えたステンは、歩みを僅かに速くする。
「あれは……」
城門が見えて来ると、その前にハイランダーの兵士が二人、槍を持って立っているのがわかった。ステンはそこに見覚えのある顔を発見し、懐かしさから頬が緩みそうになるのを堪えつつ二人へ近寄って行く。
「! 止まれ!」
「ここは王城だ。用の無い者は即刻…………!?」
素性不明の通りすがり。そうだと思い、門兵二人はやって来た男を咎めようとする。だが二人はそこで固まった。その通りすがりと思われた青年の顔は、自分達がよく知っている顔だったからだ。
「……よっ、ゲイン。そっちはウルマンか。久しぶりだな」
その青年はどこか自嘲気味に笑いながら軽々しく、以前からの知り合いであるかのように二人に挨拶する。突然の訪問者を止めようとした門兵二人は、そんな馴れ馴れしい青年に対して怒る素振りすら見せない。それどころか……
「ス、ステン……隊長……!?」
「隊長……! 生きておられたのですか!」
驚愕して、すぐにそれも消える。城の門を守る兵としての顔は二人には既に無く、代わりにまるで親と久しぶりに再会した子供のような、嬉々とした表情だけがそこに浮かんでいた。
「……隊長は止めろよ。おいらはもう、お前達の隊長でも何でもないよ」
「な、何を言うのですか! 私達にとっては隊長はいつまでも隊長です!」
そんな真っ直ぐな二人の眼差しを受け、心の痛みと後ろめたさを感じて暗い影を落とすステン。それはどこか、自分の行いを悔いているようにも見える。
「……」
「隊長、何故今まで戻ってこられなかったのです?」
「そうですよ! 生きていたなら連絡くらい……王女様もトゥルボー様も、ずっと待っていたのに!」
「いや……」
二人の言葉の意味が、ステンには痛い程わかっていた。わかっていたけれど、それでも自分は今の今までここに戻ってはこなかったのだ。それが酷く後ろめたくて、申し訳なくて、ステンは弁解する事ができない。
「今更……あの二人に、どんな顔をして会えっていうのさ……」
深く事情を知らない門兵の二人は、ステンの言葉の真意がわからない。だが、二人にとってはそんな事はどうでも良かった。死んだと思っていた自分達の隊長が、こうして生きて帰ってきた。それだけで十分だからだ。
「そうだ、隊長。今城の中は大変な事になっているんです。帰ってきてくれたのなら是非お力を……」
「いや、おいらは……」
「隊長、とにかく中へ……」
半ば強引にステンの腕を引き、門兵二人は城の中に招き入れようとする。だがその行為は、甲高く響き渡る声によって遮られた。
「その必要はないよ!」
「!?」
それは城の中からの声だった。声の次に聞こえてきたのは、規律正しく揃った複数の足音。門兵が開くより早く、城門は中から開かれていく。
「シ、シュプケー…………様!?」
門兵二人は、誰が来たのかを察してその名を呟いた。門から出てきたのは大量のハイランダー兵達。彼らはベテランを思わせる手慣れた素早い動作でステンを囲み、さらに別れた数人が門兵二人を見張るようにその側に立つ。そして一際煌びやかな鎧を着飾った女性の兵が、ステンを取り囲む兵士の輪を裂いて姿を現した。その顔はハイランダーとして美人ではあったが、張り付いている不気味な薄笑いが全てを台無しにしている。
「……誰だい、あんた? おいらに何か用かい?」
「私はシュプケー。数年前に空位になった将軍の座を継いだ者さ。お前がステン、ね。戻ってきていた事は知っていたよ」
「……」
街に情報収集のための密偵が居ることぐらい、ステンにはわかっていた。だから、特に自分が帰ってきたと知られていた事についての動揺は無い。だがそれでもステンは少し驚いた。何故ならシュプケーと名乗った人物は、見下したようにステンを一瞥した後に突然、仰々しく頭を下げてみせたのだ。
「それは……何のつもりだい?」
「フフッ……お前が居なくなったおかげで、私はこの座に着く事が出来た。だから、こうして感謝してるのさ。……ねぇ臆病者のステン元隊長?」
「……」
ステンは何も言い返さない。目の前の人物を、胡散臭げに睨むだけ。それに対し、シュプケーはステンを値踏みするような視線で舐めまわした。敬愛する隊長をいきなり臆病者呼ばわりされ、門兵二人はその言葉を言い放った張本人に、鋭い視線を向けている。だが当のシュプケーはそちらなど気にも止めていない。
「……おいらが臆病だってのは、認めるよ」
「あらそう。まぁ事実だもの否定しようがないわよねぇ」
「そんな事より……お前、将軍やってるんだろ? ならこの国が“盗人の墓”の宝を欲しがった理由……ってヤツを知ってたりするのかな?」
「!」
途端、シュプケーの雰囲気が固いものに変わる。ステンがここにやってきた理由はそれだった。遺跡で見たあの宝。強大な力を持つゴースト鉱の結晶。あんな物を、何故この国が求めたのか。もう自分とは関係ないけれど、それだけは確かめておきたいという気持ちが、ステンにこの行動を取らせていた。
「……答える必要は無いね」
「へぇ、顔色が変ったね。ってことは相当知られちゃ困ることみたいだねぇ。お・ば・さん?」
「……!!」
先程の意趣返しのようなステンの挑発。それまでとはうってかわり、みるみるうちに鬼のような形相になるシュプケー。周囲の空気がピンと張りつめ、辺りに怒気が充満していく。
「……今更お前に戻ってこられても困るんでね。……ここで死んでもらう」
シュプケーはそう言って、片手を上げた。するとその合図により、兵士の輪が再び左右に割れていく。そして空いた通り道の奥から、一際屈強なハイランダーの兵士が現れた。黄色の体毛に立派な鎧、手には使いこまれたヌンチャクを持っているその兵は、ステンの前へと無造作に歩みを進める。
「!! ト、トゥルボー……!?」
「……」
その兵士の姿に驚愕するステン。トゥルボーと呼ばれた屈強な兵士は、虚ろな目をしたまま何も反応を返さない。
「お、おい! トゥルボー!!」
「残念だけど、何を言ってもこの男には届かないよ。この私の命令以外はねぇ!」
「はい、シュプケー様」
「!?」
シュプケーの声にのみ、トゥルボーと呼ばれた男は反応を示した。極めて機械的な、感情の伺えない声色で。
「お前……トゥルボーに何をした!」
「そんな事はどうだっていいだろう? お前はこれから死ぬんだ。さぁトゥルボー、やってしまいな」
「はい、シュプケー様」
「! くっ!?」
ステンの呼びかけも空しく、戦闘態勢に入ったトゥルボーは容赦なくステンへと襲い掛かる。上段から叩きつけられるヌンチャク。その最初の一撃を辛くも下がってかわしたステンは使いなれたナイフを取り出し、仕方なくトゥルボーと対峙した。
「ま、待て! トゥルボー!!」
「……」
必死なステンの声にもやはり応じる事はなく、虚ろな目のまま次の攻撃を繰り出すトゥルボー。変幻自在に繰り出されるヌンチャクの一撃は、確実にステンの急所を狙っている。
「くそっ! 何で……」
次から次へと襲いかかる怒涛の連続攻撃を、ギリギリで回避し続けるステン。だがトゥルボーは一向に攻撃の手を止めない。受け流す事に徹し反撃しようとしないステンを、トゥルボーは徐々に追い詰めていく。さして時間も掛からずに、ステンは奈落のように深い堀の淵へと追い込まれていった。
「ステン隊長!」
門兵二人が劣勢のステンに加勢しようとする。だが二人の周りを固めている兵士がガッチリと抑え、それを許そうとはしない。
「くっ……!」
「トゥルボー! やっておしまい!」
「……」
シュプケーの言葉に反応したトゥルボーの打ち下ろし。渾身の一撃が、ステンを襲った。背後は崖。逃げ切れない。ならば受けきるしか道はない。
「うあぁっ!?」
振り下ろされたヌンチャクを受け止めようと突き出したナイフは、トゥルボーの一撃の重さに耐え切れず中心から真っ二つに折れ飛んだ。だがそれでも勢いの死なないヌンチャクは、ステンの足を強烈に打ち据えたのだった。
「あ……ぐっ……!?」
「アハハ! 良いザマじゃないか元隊長! ほらトゥルボー、とっとと決めておしまい!」
「はい、シュプケー様」
「!!」
ただシュプケーの声にのみ従うトゥルボーの攻撃が、武器を失い、頼みの俊敏性をも失ったステンへ肉薄する。ステンは咄嗟にリュウからダガーを預かった事を思い出し、腰に着けていたそれに手を掛けて————
「……」
「うっ……がはっ……」
――だが、それは僅かに遅かった。せっかくのダガーは握られただけで振われる事はなく、トゥルボーのヌンチャクはステンの腹に痛烈な一撃を残していた。
「く……くそ……トゥル……ボー……」
あまりの痛みに意識が遠のいていく。ステンは気を失う直前まで、そのかつての同僚の凍りついたような顔を見続けていた。ふらつく足は自重を支え切れず、ゆっくりと後ろに身体を傾けていく。そう、深い深い堀の中へと。
「隊長!!」
ステンは、そのまま滑落した。気を失ったまま崖を転がり落ちればどうなるか。門兵二人は必死に湧きあがってくる想像を否定する。
「ちっ……しまった。……まぁ、あの状態でこの高さなら助かる筈もないか。……お前達、戻るよ!」
「ハッ!」
シュプケーの命令に従い、周囲を囲んでいた兵達は城の中へ引いていく。そしてシュプケーは、呆然としていた門兵二人の前まで来て足を止めた。
「いい事? ああなりたくなかったら、今の出来事は忘れた方がいいわねぇ」
「……」
二人の耳元に近付いてそう言い残し、悠々と城の中へと去って行く兵士達とシュプケー。門兵二人は血が滴るほどに握り込まれた拳を、ただ震わせるのみだった。
……けれど、彼女達は気付いていなかった。ステンが転がり落ちる直前、その手に持ったダガーが僅かに発光し、彼の体を薄い魔法の光が包んでいた事に……。