人の気配が感じられない寂れた村の入り口に、二つの影が立っている。一つは、青い髪をした少年の物。もう一つは、それよりもさらに小さい小動物らしきモノだ。
「さーて、そろそろ行こうぜ相棒!」
「うん。でもまさかリアルでこんな火事場泥棒なコトするハメになるとはなぁ……」
どう見ても小動物としか思えない生物から何故か流暢に紡ぎ出される人語。相棒と呼ばれた少年はその事に疑問を挟むこともなく、溜息交じりに言葉を返している。
「気にするこたぁねえって。もうこの村にゃ誰もいねぇからよ」
「……そうだね」
少年はある程度の荷物を背負っていた。小動物はとっととこの場所から離れたいのか、少年を急かしている。他に、周囲に生き物の影はない。一体何故、こんな事になっているか。その経緯はと言うと……
*
あの後、龍亮は村へと戻った。この村周辺に、敵と言える怪しい気配はすでにない。何でかはわからないが、そういうのが感覚でわかるようになっていた。雷を放ってから大地に降り立ち、呆然としていると自然と体の変化は収まった。ハッキリと自分の意志が帰ってきて、その時龍亮はまず何よりも安堵を覚えたのだった。
「……」
村の方へと歩きながら、龍亮は自分が何をしたのかだけは、しっかりと覚えていた。あの白髪の少年の腕を訳のわからない力で切断し、天井を突き抜けて空へと舞い上がり、4人の悪魔みたいな連中を一瞬の内に粉砕した。
思い出してみれば、なるほど無敵のパワーで瞬く間に敵を蹴散らしたというだけ。まさに、無双だ。龍亮は、少なからずそのような力には憧れを持っていた。現状はその夢が叶ったと言い変えても間違いではない。……しかし今、龍亮の表情は明るくない。
(……)
怖い。
龍亮は怖かった。未だ手に残る感触や、視界を青く染める血飛沫。今になって手足が震え、その場に蹲りたくなってくる。自分の持つ現実感とは懸け離れたこの“現実”に気がおかしくなりそうだった。絶対無敵な力なのに、出来ればもう二度と使いたくないとさえ思えてくる。何かうまく言い表す事が出来ないが、あの姿になることに対する得体の知れない不安感があるのだ。
もう自分は今までの自分じゃなくなってしまったんだと、龍亮は文字通り魂で理解してしまった。元に戻る方法もわからない。その手段があるのかすらも。でも、だからと言って生を放棄するつもりはない。村へ到着し少しだけ放心した後、龍亮は一応世話になったユンナ、そして村長の墓を立てる事にしたのだった。
先に納屋らしき所に放置されていた古びて今にも壊れそうな農具を拝借して適当に穴を掘り、そこに村長の死体を埋めていく。あの謎の機械が置かれた部屋に入り死体を運び出そうとした時、再び襲ってきた吐き気と恐怖に手を震わせ顔を真っ青にしながらも、これを何とか完遂。
作業をしながら龍亮はぼんやりと思った。きっとこれから、こんなことは何度も見ることになる気がする。慣れたくないけど割り切らざるを得ないんだろうな、と。覚悟というには拙いが、ある程度の気持ちの切り替えが必要だという事を嫌でも認識していた。
ユンナの石像はできる限り砕けた破片を持ちより、同じく埋めることにした。既に石となっているので生々しい死体よりは抵抗が少ない。研究室のあちこちに飛び散った破片を集めている途中、龍亮はあの機械の部屋の隅に電子レンジのような物がある事に気付いた。
何となくその物体に近付くと、中にはイタチらしき小動物が入っているのがわかった。どうやら生きてはいるらしく、きょとんとした目で龍亮の方を見ている。
(何かの実験動物かな?)
あのユンナさんがペットなんて飼ってるとも思えないしな、等と龍亮がそのイタチを見ながら考えていると……
「おう! お前、誰でもいいから俺っちをこっから出してくんねぇか?」
「……」
……いきなり話し掛けられた。勿論、龍亮は固まった。さすがに言葉を話せるだなんて思いもしなかったのだ。改めて、もう自分の現実は通用しないまさに異世界なんだな、とその何でもありな事実に呆れた。
「何固まってやがんだよ! ほら、下にスイッチがあんだろ、さっさと開けてくれよ」
口の悪さにちょっとムッとした龍亮だが、まぁ別に取って食われる訳でもないだろうしいいかと思い、電子レンジのスイッチらしき物を押す。適当にポチポチ押しているとシュゥゥという煙と共に、レンジの前面が開いた。
「いやー、助かったぜ。サンキュー見知らぬ小僧! んで? あのクソヤローはどこだ?」
開くや否や凄い勢いで外に飛び出て、イタチは辺りをキョロキョロしだした。なんだかこうして人間でないものと言葉で意思の疎通が出来るのが妙な感じである。
「糞野郎って?」
「ユンナだよユンナ。あのボケジジイ俺っちをこんなとこに閉じ込めやがって!」
イタチらしき小動物が汚い言葉を撒き散らしながらぷりぷり怒っている。なんともシュールな絵柄である。見た目はかわいいのになぁ、と龍亮は失礼にもイタチの口の悪さを微妙に残念がった。
「ああ? なんだコリャ? 何だってこんな荒れてやがんだ? 巨人がここで喧嘩でもしやがったのか?」
そこでようやくイタチは辺りの惨状に気がついた。驚いたように部屋の中をチョロチョロ行ったり来たりしている。ていうかあの惨劇に気付かないとかこいつ結構図太いんだな、と龍亮は密かに思った。
「なぁ、えーと……君? は一体なにもの?」
「あん? 俺っちはフェレットのボッシュってんだ。そーいやそーゆーおめぇさんは何モンだ?」
「あ……うん、えーと俺はたつな……」
そこまで名前を言いかけてふと、龍亮は思う。自分は自分だけど、もう今までの自分じゃない。多分あのとき……あの白髪の少年に殺されて、暗闇の中でドラゴンに食われたときに完全にこの世界の者になった気がする。元の世界に帰る手段もわからないし、そもそも元の姿に戻れるかもわからない。今のこの姿で帰ったとしても、どっちみち一人ぼっちだろう。
「……」
きっとこの世界にある“日本”は今まで自分の居た日本とは違う。自分自身の居場所はそこにはないだろうから、新たに作らなきゃいけない。立浪の名前もきっと混乱するから、これからは名乗らない方がいいように思える。
「……」
「おいおい、何を黙りこくってやがんだ?」
そこまで考えて別の適当な名前を名乗ろうかと思った龍亮だったが、本名まで完全に捨てるのも心情的に嫌だった。どこかに元の自分との繋がりがあり、かつ違う名前。数秒間そんな都合の良い名前を自分の脳内から探しだす。そして、不意にその名前が口から出た。
「俺は……“リュウ”って言うんだ」
龍亮は、思わず心の中で苦笑した。真っ先に出たのが祖父に呼ばれてた愛称だったからだ。それに、自分の名前の一部でもある。ついでにこの姿には本当にお似合いな名前に思えてくる。安直だけど、とてもしっくりきた。
「リュウか。わかったぜ。所でよ、おめーこれからどーすんだ? どっか行くとこあんのか?」
「いや、実はこれからどうしようか迷ってたんだけど……」
実際、これからどうしようかは悩んでいた所だった。本当は日本に行きたいけれど、道もわからなければ金も無い。ここが中国のどこかだという事がかろうじてわかっているだけである。
「そうかい。なら俺っちの故郷へ来ねぇか? いやまぁ別に他意はねぇ。ここから出してくれた礼がしてぇだけさ」
イタチ……ボッシュはそう言うと、僅かに照れくさそうにしている。なんだか、お互い何となく通じる物があるな、と龍亮改めリュウは思った。
「……わかった。ここに居ても仕方が無いし、連れてってもらっていいかな」
「おうよ。なら、とっとと行こうぜ。いつまでもこんな辛気くせぇとこにいちゃあ体が腐っちまうぜ」
トコトコと部屋の入口に向かうボッシュ。その小さな後ろ姿を追い掛けつつ、相手がフェレットとは言え、一応これから一緒に行動する訳だから、とリュウはちゃんと挨拶する事にした。
「あ、んじゃぁよろしく。えーと……ボッシュさん?」
「んだよ水臭ぇな。ボッシュでいいってんだよ。こっちこそよろしく頼むぜ、相棒」
(! ……相棒……)
ごく自然にそう呼ばれて、リュウは別に悪い気はしなかった。“ボッシュ”にそう言われるとホントに自分が“リュウ”になったんだと妙に実感できた。
「あ、でもちょっと待って。これからちょっと……お墓を立てるから」
二人の墓を建て終えると、既に日は暮れていた。リュウはボッシュと共に誰も居ない村のユンナの家に泊まり、朝を迎える事にしたのだった。
*
「おら、いつまでも辛気くせぇ面してねぇで行こうぜ!」
「うん」
準備はした。この村に戻ることがあるかはわからないが、もし機会があるならどこかで戻って来よう。自分の新たな始まりの地だから。いくつかわかったこととまだよくわからないことがあったけど今はいいや。せっかくのいい天気だし。
リュウは、空を見上げながらそんな風に思う。
ユンナが何を考えていたのか。村長が怒った理由。あの白髪の少年……記憶にある“とある姿形”と瓜二つだった彼が襲ってきた理由。村人が居ないこの村。そして自分のこと。気になる事は多々あれど、ここに居た所でわからない物はわからない。考えるだけの時間なら、きっとこれから結構ありそうだ。まぁ、なんとかなる……かな。
少年と一匹は誰にも見送られず旅立っていく。
空は、雲一つない晴天だった。
「あぁ! しまった。おいちょっと待て相棒!」
「何だよボッシュ。人がせっかくこう感慨に耽ってたのに……」
「忘れもんだよ。ぜってーアレ持ってった方がいいって。癪だがあの辛気くせぇとこへ戻るぜ! ほら!」
「へいよ」
さてこの先どうなることやら
続く