炎の吐息と紅き翼   作:ゆっけ’

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4:暴走

「……こ、こんな……うぐっ!」

 

 何も見えなかった。気付いたら左腕が斬り飛ばされていた。驚いた事は認めるが、戦闘態勢には移行しており、魔法障壁も完璧だった……はずだ。それなのに、“何か”がいつそれを貫通したのか気付けなかった。今、喉を掴まれている。捻り切られそうな凄まじい剛力。このままではマズイ、とにかく脱出を……。

 

 白髪の少年は右の腕で左腕の切断面を抑えながらもがいていた。片腕で、自分の体を軽々と持ち上げている生物から逃れるために。しかしその抵抗は、何の影響も目の前の生物に与えていない。元の青い髪の少年だったなら、上半身毎消し飛ばしてもおかしくない蹴りをガンガンとその顔面に打ちつける。生物は、微動だにしない。

 

「ッ!」

 

 生物は白髪の少年の喉を掴んだまま、その身体を上に掲げて盾の様にし————猛スピードで急上昇した。

 

「……あ……ぐっ!?」

 

 次から次へと高速で天井を貫いていく。一つ破壊する毎に白髪の少年が呻き声を上げ、しかし生物は止まらない。猛烈な速度で最後の天井を破壊し青空が見えたところで、その生物はようやく止まった。

 

(このままでは……!)

 

 決断した白髪の少年は、右腕にありったけの魔力を込めた。

 

「くっ……ふっ!」

 

 力を集中させた拳で生物の胴体に一撃。その反動でなんとか掴まれていた首を振りほどき、距離を取る。頭から爪先まで、相手の姿を確認した白髪の少年は、目を見開いた。

 

 自分と似た白髪。真っ赤な瞳。両腕には肘から先に真っ赤な竜の腕を彷彿とさせる手甲、下半身は黒い何かに覆われ、両足にも膝から下に竜の脚に似た形の脚甲がついている。背中には羽のような突起があり、赤い光が吹き出ているようだ。

 

 さっきの青髪の少年の面影はどこにもない。「彼ら」がこんな姿を取るなんて聞いたことが無い。

 

(なんだ……コイツは!?)

 

 白髪の少年は混乱していた。唯一つわかっているのは、このままでは自分が確実に殺されるということ。先程蹴りつけた顔面も、今全力で殴った胴体も、傷一つついてはいない。今の自分では例え“本来の姿”に戻っても、勝てる気がしない。じっとこちらを睨み続けているその眼からは、絶えず殺気が溢れている。逃げたい所だが、先程の速度から考えても到底逃げ切れない。転移するにも空中では発動に必要な水がない。

 

(せめて左腕があれば)

 

 無いよりマシだが、あった所でどうしようもない。考えたくは無いが八方塞がりか。そんな思いが頭をよぎった直後、自分がまだ運に見放されていはいない事を、白髪の少年は自らが崇拝する“女神”に感謝した。

 

「探したぞバルバロイ……お? 何? おまえ怪我してんの?」

「お゛、お゛で……ま゛わ゛り゛み゛でぎだげど、だ、だれ゛も゛い゛な゛がっだ」

「ふぅん? あなたが手傷を負うなんて……何が起きたのかしら?」

「……」

 

 禍々しい魔力を放つ人型が四つ、バルバロイと呼ばれた白髪の少年の側に飛来した。いかつい男、太った男、妖艶な女、顔のないヒトガタ。彼らは、少年と共にこの辺りを捜索していた者達であり、いずれも爵位持ちの上位魔族だ。

 

「やぁみんな。いきなりで悪いけど、アレの相手をしてくれないかな? ちょっと僕疲れてるから」

 

 左腕の切断面を抑えながら、少年は目の前の生物を顎で指す。四人の魔族は釣られてそちらへと目をやった。

 

「お? ……おいあれ……人間、なのか? まぁいいがやっちまっていいのか?」

「お゛でばら゛べっだ。あ゛れ゛、ぐっでい゛い゛?」

「うーん、気が進まないわねぇ」

「……」

 

 四人の反応からもう一押しだと判断した白髪の少年は、少しずつ下降しながら距離を取る。あの生物は、どうやら新たに現れた四人の方を意識しているらしい。こうなれば好都合。彼らを囮にして、腕の回収を優先する。四人がどうなろうが知ったことではない。

 

「アレ化け物だから気をつけてね。帰ったら一杯奢るから」

 

「マジかよ! ヘヘヘ、言っとくが俺メチャメチャ飲むからな! 言質取ったぞ!」

「お゛、お゛で、ばら゛い゛っばい゛ぐう゛。だ、だの゛じみ゛」

「そういうことなら、頑張りましょうかねぇ」

「……」

 

(帰ってこれれば……ね)

 

 自分の仲間をけしかけて、白髪の少年は腕を回収しに先程の部屋へと落ちていった。

 

 

(……熱い……)

 

 朦朧とする意識の中で、龍亮は目を開けた。手も足も頭も胴体も、何か自分の体が自分じゃないような、浮ついた妙な感覚のままで目だけを動かす。

 

(……空……?)

 

 浮いている。あり得ない。

 そう、あり得ないはずなのに、その事に疑問を挟む気は起きなかった。これは当たり前。空を飛ぶくらい当たり前の事。気にする必要さえない。そんな風に、今のこのあり得ない現象を、龍亮はぼんやりと受け入れていた。

 

(何か……)

 

 何かが、凶暴な何かが皮膚の薄皮一枚の下で暴れ回っている。そんな初めての感覚。戸惑う。訳が分からない。

 

(苦しい……)

 

 徐々に大きくなっていくその感覚は何なのか。止められない。どうすれば。

 

(……手……が……)

 

 ふと、指先に残る感触。おぼろげに、あの白髪の少年の腕を斬り飛ばした気がする。

 これは、その感触。

 

(……)

 

 虚ろな視線が前を捉える。変なのが4人、そこにいる。さっきのはどこへ行った? こいつらは何だ? あぁ、敵か。そうだ、俺……殺されて……ああ、そうか。敵は倒さなきゃ……倒す……タオス……

 

「ウ……ウオオオオオオォォォォォォォァァァァ!!!」

 

 世界は、真っ赤に染まっていった。

 

 

 

 

 一瞬。

 魔族4人、誰が最初にあの“正体不明”の相手をするか決めようとジャンケンをしようとした時、咆哮が轟いた。驚くように振り向いた彼らの前に、それは居なかった。

 

「オガァッ!?」

 

 鈍い悲鳴。それだけを残して、彼らの仲間の一人である太った魔族の腹に、正体不明の肘がめり込んでいた。パン、と風船が割れるような音が響き、肘の威力は背を貫いて、トンネルのような大穴をそこに空けた。

 

「!! ば……!?」

 

 馬鹿な。いかつい男の魔族はそう口にしようとして、最後まで言わずに身を翻した。太った魔族はこの4人の中で随一の防御能力を誇る。それがたったの一撃で致命傷。おまけに自分たちに認識されないほどの速度で接近だと。信じられない。残った3人は目の前の生物を侮っていた事を悟り、そして気を引き締めた。全力で殺す。もうそこには先程までの余裕を見せていた3人は居ない。

 

 腹に大穴を開けた太った魔族。腕を振り上げそれにとどめを刺そうとした“正体不明”の両脇へ、左右に展開した女性型魔族と顔なしの魔族。その両手から、巨大な魔力の光弾が放たれる。手加減は無い。人間ならば掠っただけでも死に至る。迫る巨大な光に両手を向けた“正体不明”は涼しげな表情のままで、いとも容易くソレを受け止めた。

 

「……っ!?」

「そんな!?」

 

 顔の無い魔族にさえ、ハッキリと驚愕の色が浮かぶ。認めたくない。こんな馬鹿な事があってたまるか。そんな事を口走りたかったが堪える。これで倒せなかったのは意外。だが動きは止めた。もう一人の厳つい魔族が“正体不明”の頭上を取った。腕を鋭い刃へと変形させ、両断するべく迫る。二段構えのコンビネーション。

 

 だが“正体不明”の表情は変わらない。受け止めていた光弾を二つを掴み、あろうことかそれをあっさり上へと放った。腕を軽く振っただけのはずなのに、尋常でない速度で打ちあがる光弾。頭上の確認すらしていないはずのそれは、厳つい魔族への軌道を確実に捉えていた。

 

「うおおっ!?」

 

 予想していなかった“正体不明”の反撃。咄嗟に停止し、横へと逸れる厳つい魔族。目の前数ミリを通り過ぎた光弾に、わずかに肌を焼かれる。そしてすぐさま下に居る筈の“正体不明”へと目をやって————

 

「が……は……っ!!?」

 

 “正体不明”の右腕が、厳つい魔族の腹を貫いていた。背中から生えた腕の先端、鋭い爪からは青い血が滴っている。自らの魔法障壁が、この相手に何の効果も無かった事を魔族が認識するより早く……“正体不明”の蹴りが、その顔面を捉えた。猛烈な勢いで大地へと叩き付けられた厳つい魔族は、もう動けない。

 

(……一匹……)

 

 “正体不明”は次に、光弾を放った魔族二人へと目をやる。そこには女性型一人しか居ない。その一人は呪文を唱え、先程よりも強力な魔力を溜めている。“正体不明”が詠唱中の魔族を標的として定め、そちらへと動き出そうとした瞬間、背後から何かに羽交い絞めにされた。

 

「そのまま抑えてな!!」

 

 女性型の溜めた魔力が一層の輝きを放つ。背後から抑えている魔族――顔無しの力は強く、振り解こうとする“正体不明”に懸命に喰らいつく。

 

「……死ね!!」

 

 顔無しが避ける時間的余裕はない。巻き添えになるが仕方が無い。一番の優先事項はこの“正体不明”を葬る事だ。女性型が、魔力を解き放とうとしたまさにその時。

 

「!? ……ッッアアアアアア!」

 

 顔無しの声にならない悲鳴が木霊し、その両肩から青い血が噴出していた。

 肩から先は、ない。

 “正体不明”の背中の突起から発する赤い光が瞬間的に膨らみ、まるで水圧カッターのように、顔無しの肩口から先を切断したのだ。よろよろと痛みに耐えるように、呻きながら離れる顔無し。“正体不明”の左手には、切断した片腕が未だ残されている。そして返り血を浴びて青く濡れた“正体不明”は空いている右腕で、よろめく顔無しの頭を掴んだ。冷めた表情のまま、ミシミシと骨が軋む音を響かせながら、今にも握りつぶさんばかりの力で締め上げる。

 

「アアア……アアアアアアッッ!!」

 

 “正体不明”はそのまま、悲鳴を上げる顔無しをまるでボールか何かのように投げつけた。先程、厳つい魔族を蹴落とした場所へ。猛烈なスピードで。またもや大地に大穴を開ける。顔無しの意識は、もうない。

 

(……二匹……)

 

「お……おのれ……っっ!」

 

 女性型は焦った。溜めた魔力は完成している。しかし、動きを止められないのなら、遠距離で当てるのは不可能。危険だが至近距離で炸裂させるしかない。

 

 女性型は、真正面から“正体不明”へと迫る。その顔には最早先程までの妖艶な表情はなく、鬼のような形相が浮かんでいる。そして“正体不明”は、持っていた顔無しの片腕を女性型へ向けて投げつけた。

 

「!?」

 

 何のマネだ。こんな物、牽制にすらならない。飛んでくる腕を無造作に払い除けようとして、女性型はその向こうの“正体不明”が、自分に向けて手をかざしている事に気付いた。

 

『メガ』

 

 “正体不明”が呪文を唱えた瞬間、女性型の目の前にあった腕が、轟音と共に爆発した。

 

「あああっ!?」

 

 強烈な熱と閃光に目を焼かれ、動きが止まる。魔族の再生能力を持って、即座に視力だけは回復させた女性型が再び上空へと目をやると、既に“正体不明”は居ない。

 

「後ろ……っ!」

 

 女性型は気付いた。気付けた。

 が、間に合わなかった。

 自らの腹に、腕が生えていた。痛みは遅れて襲ってきた。

 

「か……ぁ……!?」

 

 障壁が役に立たない。それに加えてなんという速度だ。この“正体不明”に自分達魔族が、そもそものスペックで負けている。バルバロイは、なんてモノを押し付けてくれたんだ。

 

「ち、ちく……しょ……」

 

 女性型は恨み節を吐く時間すら与えられず、“正体不明”は血濡れの腕を引き抜くと同時に下へと殴り飛ばした。厳つい魔族、顔無し魔族と同じ場所へ。大地に三つ目の大穴が空いて、女性型は呼吸を止めた。

 

(……三匹……)

 

「ヒ……ヒィ……」

 

 最初に腹に大穴を明けられた太った魔族は、軽くなった腹を押さえながら逃げていた。逃げ出そうとしていた。何なんだこれは。この状況は。こんな化け物の相手なんて無理だ。こんなはずじゃなかったのに。逃げるしかない。

 

 よたよたと力なく宙を飛ぶその太った魔族を、“正体不明”は逃がさない。背中の突起から赤い光を大きく噴出させ、距離を詰める。僅かな間にその太った魔族の背中を捉え、そのまま頭からの体当たり。

 

「ガァ゛ァ゛ッッ!?」

 

 開いた穴をさらに大きく広げるような、重い重い一撃。飛び出た血が、さらに“正体不明”を青く染める。“正体不明”はさらに太った魔族の頭上で両手を組み、脳天を叩き潰すように、それを振り下ろした。

 

「グギャッ!?」

 

 耳障りな音と悲鳴。それと共に頭を陥没させた魔族は、他3体と同じように地面へと叩き付けられた。大地に4つ目の大穴が開いた。

 

(……これで……全部……)

 

 大地の密集した箇所に、4つの大穴。それを見下ろす血濡れの“正体不明”は、空へと手を掲げる。広がる空に、分厚い雲が集まりだす。巨大な力を解き放ち、“正体不明”は、呪文を唱える。

 

『バルハラー』

 

 空気が膨張する強烈な音。そして目も眩むほどの閃光。天変地異を思わせる極太の柱のような雷が、地上の4つの大穴目掛けて一欠片の容赦もなく降り注ぐ。

 

「……」

 

 閃光が消え去ったあと。大穴だった痕には、何も残っていなかった。

 焦げた地面と溶けた岩で出来たクレーター以外は。

 

 

(4人の上位魔族を瞬殺、か)

 

 バルバロイと呼ばれた白髪の少年は考えていた。昨日感知した妙な力は多分アレだ。全く正体がわからないが、恐らくは「彼ら」の突然変異種か何かだろう。これは報告しておかないといけない。

 

(でも……)

 

 自分が恐怖を感じたなんて認めたくないが、認めるしかない。今日のこれは屈辱だ。力を回復させ、必ず……殺す。どんな手を使ってでも。少年は恐ろしいほどの敵意に満ちた瞳で空を睨んだ。

 

(必ず……)

 

 白髪の少年は、あの空に浮かぶ“正体不明”への復讐を誓う。そして自らの千切れた左腕を拾い、どす黒い床の血溜りの中へ、静かに消えて行くのだった。


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