翌日。夕方頃まで適当に時間を潰したリュウは、日の傾いた薄曇りの中、リンプーの出るというショーを見に行くべく街中を歩いていた。普通に歩いていても昨日のように奇異の視線を向けられる事は無く、むしろ時々客引きに声を掛けられている。一体どうしてかというと、何とリュウの今の見た目は子供ではなく、二十歳前後の青年のようになっているからだった。
「しっかし、そうしてると別人みてぇだな相棒」
「みてぇ、じゃなくて別人て設定なの。イメージとしては俺の成長後の姿とか、そんな感じで」
「……そうかぁ? 相棒が成長したってそんなキリッと締まった顔にゃなんねぇと思うけどなぁ。盛り過ぎじゃねぇの」
「はいそこ黙れ」
何を隠そう、これこそ闇の福音直伝の変装魔法である。リュウは宿を出た後人の居ない路地へと移動し、この魔法を使って見た目の年齢を上方修正したのだ。理由は簡単。昨日の経験から子供の姿のままだと、ショーとやらの会場に入れるのかどうか不安であったのが一つ。ついでに変装姿で人混みに入ることで、まるでコスプレでもしているかのような慣れない事からくる気恥ずかしさを消すという目的もある。
この魔法、姿カタチを全く別人に変えられるので非常に便利であるのだが、その分何の触媒も無しで使うのは、リュウの魔法の腕では少し厳しい物があった。その為、変装していられる時間は精々が四時間程度という時限付きの魔法なのである。
「さて、段々近づいてきたね」
「それにしても目立つなぁあの建物は」
「まぁあれのおかげであんまり迷子にならないからいいけどね」
このジンメルには、“闘都”という別名を象徴するシンボルとも言える、大きなコロシアムが街の中央にある。そこは毎日のように拳闘大会が開かれる場所なのだが、リンプーが出るというショーは、そのコロシアムの隣に建つビルのような建物の中で行われるらしい。
午前中の暇な時にあらかじめ下見しておいたので、迷うことなく道を辿ってビルへと到着するリュウ。入口でチケットを渡し中へ入ると、実際には地下が闘技場のようになっているらしく、そこそこ深い階段を降りていく。
≪そろそろ懐入って。大人しくしててよ≫
≪わかってっけどもうちょい位置変えてくれ。見えねぇ≫
≪ん≫
そして階段の終着点、地下闘技場の入り口に到達すると、リュウはそこでやけに物々しい警備に歓迎された。黒服のガードマンが手荷物の中をチェックし、簡単な身体検査までして撮影機器などがないか確認してきたのだ。幸いボッシュはそれをリュウの体を移動するようにしてすり抜け、リュウ自身がくすぐったさを我慢することで事なきを得た。
「……以上がここでの注意事項です。決して破らないようお願いします」
「はーい」
検査後、リュウは必ず守るようにとの注意事項を黒服から言い渡された。それはこの中で起きた事は外で公言しない事。ショーの最中は何が起きても絶対に進行の邪魔をしない事の二つ。まぁそんな物なんだろうと聞き流し、さらに奥へと進んでいく。そして着いた場所は、闘技場というよりはまるで巨大な野球場のようだった。階段状に座る席があり、中央の部分が円筒状に窪んでいる。どうやらその窪みの中で戦いが行われるらしい。
「えーっと俺の席は……」
≪相棒、自由席だろうが≫
「……そうだった。つい」
一応全景が見渡せそうな位置で、適当に選んだ椅子に座るリュウ。徐々に人が集まって来ているのだが、そこでリュウは妙な事に気付いた。どうも空気がおかしい。周りに居る人達からは、どこかそわそわとした浮ついた雰囲気が感じられ、妙な期待感を持っている事が伝わってくるのだ。
≪相棒、何か変じゃねぇか?≫
≪なんだろね……?≫
ボッシュと訝しみながらも開始を待つリュウ。そしてしばらくすると会場は満員となり、開始を告げるブザーが鳴る。次に中央の窪みだけを照らすように照明がライトアップされ、趣旨を説明するアナウンスがなされた。極々当たり障りのない、魔物を退治するだの何だのと言った内容だ。
「お、リンプーさん出てきた」
≪向うからもなんか出てきてんぜ≫
少々耳障りな音楽と共に中央の窪みの両側にスポットライトが当てられる。片側からは緊張した面持ちのリンプーが登場し、反対側からは見るからに凶暴そうな熊のモンスターが現れた。
≪中々強そうじゃねぇかあの魔物≫
≪まぁでもリンプーさんがやられる事はないと思うけどね≫
可憐な少女が悲壮な決意を持って凶悪な魔物に立ち向かう! といった囃したてるようなアナウンスが流れ、ゴングらしき音が響き渡る。勝負開始の合図と同時に、リンプーは武器である棍を器用に操り、魔物に攻撃を仕掛けていく。
≪やっぱな。中々堂に入っているじゃねぇか≫
≪うん。かなり強いと思う≫
リンプーはアナウンスで言われたような前評判を覆し、巧みな棒術とフーレン族特有の素早さでもって熊のモンスターをタコ殴りにしていく。リュウの目から見てもリンプーは中々の腕前で、あの程度のモンスターに負けるとは全く思えなかった。
≪それにしても……≫
≪何だって、周りはこんな静かなんだろうなぁ?≫
≪うん≫
リュウはとても不気味な空気を周囲に感じ始めていた。一人頑張っているリンプーと対照的に、周りの観客達は全くと言っていいほど盛り上がっていない。静かすぎるのだ。まるで彼女の活躍そのものに興味がないかのようだ。集まった客たちの目は、何か違う出来事を待っているように思えてくる。
そんな風にリュウが中央で奮闘しているリンプーではなく、周りを気にしだしたちょうどそのタイミングだった。突然、中央からカランと何かが転がるような音が聞こえてきたのだ。
≪……え?≫
≪相棒、あの嬢ちゃん……様子がおかしいぜ?≫
急いで音の出所である窪みの中に目をやると、何故かリンプーが持っていた武器を落としたらしい。それに加えてふらふらと、突然夢遊病患者にでもなってしまったかのように緩慢な動きをしている。
≪え、ちょ……マズイんじゃないの!?≫
≪お、おう。何かあったんだぜきっと≫
≪係の人は? 止めないと……≫
リュウとボッシュが慌てだすのと同時に、痛めつけられて頭に血が上っているであろう熊のモンスターは様子のおかしくなったリンプーを、さもそれまでの恨みを晴らすかのように、渾身の力で激しく殴打した。細い彼女の体は枯れ枝のように吹き飛ばされ、壁に激突する。起き上がろうとする気配もない。そして……それを見た周りから、強烈な歓声が沸き起こった。
「!?」
今のどこに盛り上がる要素があるのか。それに何故止めない。あのままじゃ、リンプーさんが一方的な攻撃に晒されるだけなのに。そう焦るリュウは周りに居る観客達の顔を見て、ゾッとした。彼らは、それまでの静かさが嘘のように熱狂しだしている。そしてその目に映るのは、やはり期待だ。不安や心配等といった身を案じているのとは違う。これから目の前で、不幸な事故が起こる事への期待なのだ。
≪ま、まさか……≫
≪こいつぁ……やべぇぞ相棒!≫
倒れているリンプーに近づき、今度は無防備な腹を痛烈に蹴り飛ばす熊のモンスター。石ころのように何回か弾み、ごろんと横たわるリンプー。既に気を失っている可能性が高い。再び沸き起こる歓声の嵐。リュウは戦慄した。まさか、これはそういう意図のショーであるのか。観客達の目的は、それであるのか。女の子がモンスターにボロボロにされ、そして殺されるのを、周りの人達は見に来ていると言うのか。
≪相棒!≫
≪わかってる!≫
リュウは決断した。これ以上、こんな最低なショーは見ていられない。力づくでも止める。リュウはすぐさまドラゴンズ・ティアから煙玉三つを取り出し、窪みの壁目掛けて投げ込んだ。衝撃により玉が破裂し、大量の煙幕が発生。驚いたモンスターが動きを止める。
「……!」
リュウが行動を起こした瞬間、ざわりと揺れた観客達は、引き波のようにリュウから離れていく。そして注意事項を破ったリュウの身柄を拘束するためだろう、警備の黒服が数人、瞬時にリュウを取り囲んだ。手には魔法銃のようなものや刃物らしき物を握り、抵抗するなら殺人も厭わないであろう気配を漂わせている。流石に、素早い対応だ。
≪相棒!≫
≪無視して突っ込むから、腰にでも捕まってて!≫
何よりもリンプーの安否が気掛かりだ。多少背中に攻撃を受けるだろうが仕方ない。グッと瞬動を使う為にリュウが腰を落とした、その時。囲んでいた黒服の一人が、突然気を失ったかのように崩れ落ちた。
「!?」
「く!?」
「あがっ!」
二人、三人。次々と倒れていく黒服達。やったのは当然リュウではない。黒服を攻撃しているのは魔力でも気でも龍の力でもなく、言ってみれば空気の塊の様な物であるらしい。その見えない何かが彼らの顎の辺りを正確に撃ち抜き、脳震盪を起こさせているようだった。
「君、ここは俺が抑える。早くあのお嬢さんを」
「!」
そう渋い声が聞こえたのは、リュウの背後からだった。続々と集まりだす黒服及び周囲への警戒をしながら、チラリと見てみる。その人物は室内なのにサングラスを掛けた、白いスーツ姿の謎の男であった。
「……」
「どうした? 早くした方がいいと思うが」
「……どうも!」
リュウに気配を感じさせなかった事といい、黒服を次々と沈めていく力量といい、不審者だが只者でない事はわかる。だがリュウは、今は信用する事にした。声の感じと行動から、少なくとも自分と敵対する意思はないだろうという判断だ。今はリンプーを助けるのが最優先なのだから。
「ボッシュ、行くよ!」
≪おうよ!≫
リュウは浮遊魔法ではなく使い慣れた瞬動と虚空瞬動を駆使し、窪みへと直行する。そこでは煙幕に驚いていたモンスターがすぐそこに倒れているリンプーを見つけ、今まさに巨大な足で彼女の頭を踏み潰そうとしている所だった。
「こんのぉっ!!」
そこへリュウによる、虚空瞬動からの強烈な“とびげり”が炸裂。土手っ腹に風穴を開けんばかりの派手な一撃が決まり、ぶち抜く勢いで壁に叩きつけられる熊のモンスター。そのままがっくりと気絶し、動かなくなる。見事な一発KOだ。
「リンプーさん!」
倒れているリンプーの傍に寄り、リュウは急いで傷の具合を確認をする。やはり、気を失っている。呼吸は弱い。所々骨も折れているが、ギリギリ命にまでは影響なさそうだ。リュウは酷い傷にだけ応急的に治癒魔法を施し、そのまま彼女を背負った。ついでに武器も拾い、一足飛びに先程の白スーツの男性の元に戻る。すぐに逃げ出したかったが、大パニックを起こした周りの観客達が我先にと出口へ殺到し、団子のようになっていて入ってきた所からは逃げられなそうだ。
「くそ……」
「……ふむ、君、良かったら俺に付いて来ないかい? 丁度、あっちに抜け道があるんだ。怪しむのは分かるが、君達に危害を加えるつもりはない」
「……」
白スーツの男性にそう促され、リュウはその後を追う事に決めた。警備員を根こそぎ倒した男性は、何故かこの施設にも詳しいらしい。怪しいが、今はとにかく脱出が先決。こんな事までして自分達を騙すメリットもないだろうという考えのもと、リュウは男性の後をついて地上へと脱出するのだった。
*
あのビルから逃げ出して数十分。リュウ達は今、先日リュウが腹を壊しかけたあのティガの定食屋の二階に逃げ込んでいた。単純にリュウが寝泊りしている宿よりも近かったのと、既に街にはあの黒服のような連中が溢れていたので、緊急避難的な意味も兼ねてだ。駆け込んできたリュウ達が店にいたティガに事情を伝えると、彼は快く住居に使っているというこの二階へと匿ってくれたのだった。
「ぅ……ん……」
「! ……気が付きました?」
「……? ……あれ……あたし……どうして……?」
ベッドに寝かされていたリンプーが意識を取り戻し、まだあまり視点の定まらない目でリュウの顔を見た。リンプーには、もうほとんど怪我の痕はない。今その部屋にいるのは心配そうなリュウとボッシュとティガ、それに謎の白スーツの男性を加えた四人だ。
「……えっと……あたし、どうしたんだっけ? 確かあのモンスターと戦ってる時、いきなり目の前が暗くなって……」
ベッドから体を起こしたリンプーは、自分に何があったのかまだわかっていないようだった。リュウは少し迷った。殺されそうになった事をそのまま伝えていいのかどうか。考えたがやはりいきなりはキツいと思い、まずは怪我の具合を見てお茶を濁す事にする。
「あの、それより体の方は大丈夫ですか?」
「え……あ、うん。何か大丈夫み……痛っ……!」
「あ、あんまり無理はしないでください」
「……うん」
助け出した時のリンプーはかなりの重傷だったが、リュウがこの場で丹念に治癒魔法を掛け続けたおかげで、痕が残らない程度には回復している。しかし血を失った事や傷が持っていた痛み、体力の消耗といった症状は残っているので、しばらくは寝ていた方がいいだろう。
「……ねぇ、あたし、どうしたの。なんでここに居るの? 知ってるんでしょ? 教えてよ」
「……」
リンプーの要望は強いものだった。迷ったリュウだが、一通り痛み以外は異常が無い事を確認したので、彼女の身に起きた事を包み隠さず話すことにした。モンスターと戦っていた時、何故か突然棒立ち状態になった事。そのモンスターに殺されそうになっても誰も止めようとしなかった事。そして、リュウと謎のスーツの男性がそれを見兼ねて助け出した事を。
「……という訳です」
「……。そう……だったんだ……じゃあ、あたしは……」
言ってみれば、リンプーは生贄に選ばれたに等しかった。そう考えると、何故自分がショーの主役に抜擢されたのか。オーナーと名乗った人間が、何故親切にしてくれたのかが、理解出来てしまった。どうせ死ぬ事になるのだから、彼らにとってリンプーの事は、どうでも良かったのだ。
「……あの……」
「……そう言えばキミの名前、まだ聞いてなかったよね?」
気丈に振舞うリンプーに、言われてみればまだしっかりと自己紹介してなかったな、と今更気付くリュウである。
「あ、すみません、俺はリュウって言います」
「リュウ、か。じゃあリュウ、助けてくれてありがと。命の恩人だね」
調子は良くないだろうに、それでもにぱっと微笑むリンプー。屈託のない笑顔が眩しすぎて、思わず目を逸らしそうになるリュウである。
「あとそっちの……」
リンプーがおずおずと尋ねると、それまで奥の方で黙って煙草を吸っていたスーツの男性は掛けていたサングラスを外し、普通の度付きのメガネにかけ直した。
「すまないが名前は出せないんだ。素性もまぁ……明かせないが、俺は君達の敵ではないから安心してくれ」
「……」
目元が出るとハッキリわかる。男性はどことなくハードボイルドな雰囲気の漂う、ナイスミドルなおじさんといった容姿である。そして名前は出せないという彼の態度を怪しむティガとボッシュ、ちょっと困った感じのリンプー。その中でリュウだけは、男性の顔を見て驚いた顔をして固まっていた。
「……何だい? 俺の顔に何か付いているかな?」
「あ、いえ、何でもないです」
リュウはその男性の顔に覚えがあった。サングラスでなく普通のメガネを掛けた姿は、記憶のどこかにとても引っ掛かる容姿であったのだ。他人の空似かとも考えたが、改めてあの地下施設での手際を思い出すと、逆にやっぱりそうだと納得出来てしまう。何故名前を隠すのかは疑問に思うが、取り合えず保留しておくとして。
「さて、リンプーと言ったかな。お嬢さんがあの時、どうして棒立ちになったかなんだが……」
そう言うと、男性はリュウの方に目配せをした。リュウとこの男性は、リンプーが戦っている途中でおかしくなった原因を、既に突き止めている。彼女の身体を治療していた時、気付いたのだ。リュウは脇にあった、小さな小さな細い針のようなものを摘み上げた。
「……これが、リンプーさんの足に刺さってたんです」
「何これ……あたし、こんなの刺された覚えないけど……?」
「お嬢さん、その針なんだが……それには毒が塗ってあったんだよ。意識を朦朧とさせる類の、な」
「え!?」
その指摘に、リンプーの顔が青くなる。つまりは主催者側が、気付かれないように針をリンプーに打ち込んだのだろう。でなければ、あの棒術捌きなら問題なくモンスターを倒してしまっていただろうから。途中でリンプーの動きが鈍ったのは、ほぼ間違いなくこれのせいだというのが男性とリュウの見解だった。
「なぁお嬢さん、あの舞台に出る時、何て聞かされたんだい?」
「……それは……ただ、これで有名になれるって……オーナーって名乗った偉そうな人が、あたしに声を掛けてきて……」
「なるほど」
その言葉に考え込む男性。リュウはリュウで、恐らくあの一連のショーとやらが、マニーロの言っていた“物騒な催し物”だったのだと結論付けていた。物騒というよりは胸糞悪くなる催し物、と言った方がいいだろう。
「人が嬲り殺される様を見世物にする、か。どうやらその“偉そうな人”には、詳しい話を聞く必要がありそうだな」
そう言って立ち上がり、男性は何かを決意したような精悍な顔をする。そんな男性に対し、リュウも反応した。
「あの、すみません」
「ん?」
「それ、俺にも手伝わせてもらえませんか?」
リュウは静かに怒っていた。リンプーの有名になりたいという気持ちを利用して、あんな酷い目に会わせたというだけでその“偉そうな人”はフルボッコにしたいくらいだ。それに、ひょっとしたらそいつらは“完全なる世界”に繋がってるかも知れないという考えもある。そうしたリュウの申し出に、男性はフッと肩の力を抜いた笑みで答えた。
「いやぁ君の方からそう言ってくれるとはね。むしろこちらから頼もうと思っていた所さ。君さえよければ、是非手伝って欲しいよ。“紅き翼”のリュウ君?」
「!?」
そこまで話してはいない筈なのにいきなり素性を言い当てられて、リュウは少し動揺した。そのリュウの様子を見て、男性はどことなく意地の悪い笑みを見せる。
「あーいや、驚かせてすまない。職業柄その手の情報収集は得意でね。君は昨日、酒場で暴れたろう? それで知ってしまったというだけさ」
「はぁ……」
リュウは思った。記憶の中でのこの人は、どちらかと言えば諜報員ぽい立ち位置だったようだと。ついでにその“してやったり”と浮かんでいる顔を見て、リュウもピクッと悪戯心が刺激された。握手するように右手を差し出し、告げる。
「じゃあ、こんな俺ですがよろしくお願いします。“ガトウ”さん」
「! ……ガトウ? 誰の事だいそれは?」
男性はぽかんと知らないフリをしている。だがリュウは見逃していない。彼の目が一瞬だけ、とても鋭くなった事を。リンプーとティガに聞こえないよう配慮し、小さな声で話し掛ける。
「隠さなくてもいいですよ。確かフルネームは……えーっとガトウ・フォアグラ・ハンバーグさんでしたっけ?」
「……」
ふふんどうだ、と自信満々にそう言うリュウ。何だかちょっと美味しそうな、わかっているのかいないのか微妙なボケである。それに対しガトウと呼ばれた男性は一瞬だけ呆けた顔を見せたあと、観念したように盛大に笑い出した。
「ハハハハハ。いやぁ参った。一本取ったつもりだったが中々どうして。ちょっと間違っているけど、まさか俺の名を知ってるとはね。まだ小さいのに頼もしい限りだよ」
「いえ……」
笑いながら煙草の火を消すガトウ。リュウはあははと愛想笑いしたが、自分が言った名前にどこか間違いがあったのかと、実は素でわからなかったりする。その後、ガトウはリュウが手伝うと申し出た事で、自分の知る情報を少し開示してくれると言った。
「ま、仕事柄あまり詳しくは言えないんだが……」
そう前置きしたガトウは話しだした。彼はとある筋から調査を依頼されて、ジンメルにきたそうだ。調査の内容はこの街の行方不明者が飛び抜けて多い事について。あの場に居たのは例のショーの存在を知って潜入捜査していた所だったらしく、あと少しリュウが騒ぎを起こすのが遅かったら、多分自分が騒動を起こしていただろうと笑って話していた。
「そういう訳で、お嬢さんの言っていた“偉そうな人”についてだが、明日の朝には情報を持って来よう」
「朝……ってあと数時間しかないですけど……?」
「なぁに。それくらい俺にとってはイージーオペレーション。いわゆる朝飯前ってヤツさ」
ダンディな物言いが憎たらしいほど似合うガトウ。またここに来るからそれまでは居てくれと言い残し、彼は外へ出ていく。情報を待つ間リンプーの体調も少し不安であったリュウは、ティガに頼み込んでここに泊まらせて貰う事にするのだった。
その後、ティガの店に押し掛けた迷惑へのお詫びの意味も込め、リュウはティガとリンプーの二人に夜食として炒飯を振舞った。様々な国の料理を齧ったが、やはり得意なのは中華である。闇の福音にも認められた料理の腕は二人の胃袋をがっしりと掴み、存分に満足させていた。
「な、ななななな何だこの美味さは!?」
「凄い美味しい! え、これホントにリュウが作ったの!?」
「ええまぁ。色々あって上手くなっちゃいまして……」
「うおおおお、食べるのが止まらねぇ……!」
そうしてまた日も昇っての朝、約束通りティガの定食屋へ資料を片手にガトウが再びやってきた。彼の調査結果から、どうやらリンプーの会ったという“偉そうな人”は、この街の大会を一手に仕切っている組織の大元締めらしいということが判明した。
ガトウによると直接会う事はこの街の有力者とのコネがあっても難しいらしく、住処も複数の箇所を転々としており割り出すのが困難とのことだった。恐らくリンプーに関してはどうせ死ぬから、と言った思惑があった為に直で会えたのだろう。
「うーん、じゃあどうやってそいつに会えば……」
「なに、当てはある。君が居てくれたからこその、当てがね」
「?」
そうニヤリと笑って言うガトウの“当て”の内容を聞き、リュウは驚いた。それは何と、もうすぐ開かれる“漢羅狂烈大武会”で優勝するという事であったのだ。その大会はジンメルを代表する大きな大会であり、当然組織が主催している。ガトウが調べた所によると、毎年大会の優勝者に賞金を手渡しするのが、決まってその大元締めらしいのだ。
「どうだいリュウ君。確実に会えるという点ではこれしかないと思うが?」
「……」
ガトウの実力は折り紙付きだ。不安がない訳ではないが、タッグという事ならこれ以上の相方はそうそう居ない。自分がヘマをしなければ、この手の大会で遅れを取る事もないだろう。少し悩んだが、リュウはその提案を飲む事にした。
「あの、リュウとおじさん」
「ん?」
「あたし……どうすればいいかな……?」
一通りこれからの事を話しているリュウとガトウに、そうリンプーが声が掛けた。どうすれば、とは外に出たり、自分も何かした方がいいのではという気持ちからの言葉である。
しかしそれにリュウは難しい顔をした。リンプーは、組織のヤツらに対して顔が割れている。実は昨日まだリンプーが目覚めていない時、このティガの店にやくざ者っぽい連中が訪れていた。そしてリンプーの写真を見せて「この娘が働いていたはずだ、匿っているなら大人しく出せ」と迫ってきたのだ。
その時はティガがフーレン族の迫力でもって居ないと言い張り追い返したのだが、これでは下手に外も歩けない。その上体調が万全でないこともあるので、リュウとしては、しばらくここで休養してもらうのがいいと伝えた。
「……そっか。何か、ごめんね」
「ま、ここに居る分には気にすんなよリンプー。なんなら俺が力のつく料理を作って……」
「いや、それなら俺が作るんでティガさんは何もしないで下さい。っていうか下手するとそれが致命傷になります」
「ぬう……」
ちなみに訪ねてきたヤクザは、地下での騒ぎの主犯であるリュウの事も同じく聞いてきていた。しかしあの時のリュウは変装していた為、今の子供姿のリュウにはどうあっても辿りつけないだろう。そしてガトウからも、この店ならいいカモフラージュになるので是非ここを拠点にしたいという提案までされ、リュウはなし崩し的に大会が終わるまでの期間、ティガの店に厄介になる事になるのだった。
「な、そういう訳で頼む! この通りだ!」
「……わかりました。でも大会が終わるまでの間だけですよ?」
「! おう。それでいい。よろしく頼むぜリュウ先生!」
「いや先生って……」
さらには必死に頼み込むティガの願いに折れ、彼に迷惑料という形で料理を教える事になるという流されぶり。しかも、夜だけ厨房に立つという条件までついてだ。
「うーん大丈夫かな俺……」
「大丈夫! お前の腕なら絶対イケるぜ!」
ティガはリュウの料理の腕前にいたく感激したらしい。それに料理を教えるといっても、ティガの場合は単に基本がなっていなかっただけである。もともとセンス自体が壊滅的などこかの大魔道士さんよりは見込みがあるので大丈夫だろうと思い、リュウは引き受けたのだった。ティガ曰く恋人のクラリスが帰ってくる前に上達して驚かしてやりたいとの事。
「でまぁ、あいつは口煩いんだけど、一応俺の為を思って言ってくれてるみたいでよー。こう仕方なく聞いてやったりして……」
「……」
「……」
どうでもいいがその話を聞いている最中、あっちこっちへと話が脱線し、目尻を垂れさせまくりのティガに、惚気は余所でやってくれと砂糖を吐きそうなリュウとボッシュが念話で話していた事は秘密である。